「お前の歓迎会来てやったぞ。感謝しろよ」
地方から本社へ異動してきた初日、私はその言葉を浴びせられた。エリート大卒を自称する木下課長は、私だけでなく部署の全員を見下すように扱っていた。優秀な人材が来ると聞いて期待していたが、中卒か、と鼻で笑われた時、この会社でやっていけるのだろうかと不安になった。
私の名前は高橋直樹。五十歳。高校時代から続けていたアパレルの仕事が評価され、地方の店舗立ち上げを任されるまでになった。そして本社からもその力を発揮してほしいと声がかかったのだ。不安もあったが、長年お世話になった会社の頼みとあれば断れない。私は本社勤務を引き受けた。
異動初日、部長の藤野さんに挨拶に向かった。
「高橋君だね。君の評判はよく耳に入ってくるよ。本社は慣れないだろうが、これまでの経験を存分に生かしていってくれ」
穏やかな人だ。安堵したのも束の間、部長が言いにくそうに口を開いた。
「君に少し頼みたいことがあるんだ」
そう言って部長から告げられたのは、驚くべきミッションだった。何でも木下課長の高圧的な態度に苦情が絶えず、会社としても無視できない状況になっているらしい。そこで私に調査役が回ってきたのだ。
「移動してきたばかりの私に務まるでしょうか」
「君だから頼むんだ。困っている社員たちを助けてやってくれ」
私はそのミッションを引き受けることにした。
私が配属された部署には、木下課長がいた。名前の通り、威圧的な態度で部下を怒鳴り散らす。特に北野さんへの当たりが厳しい。ある日、取引先からの電話を北野さんが代わりに受け、メモに残して課長の机に置いた。しかし課長はそのメモを無視。結局、会議の時間変更を伝え忘れ、取引先を激怒させてしまった。
「君のせいで大事な案件がパーだよ。どうしてくれるんだ」
理不尽極まりない。北野さんは何も悪くないのに、課長の機嫌を損ねた私にも嫌味を言うようになった。
「おや、高橋君。また松本さんと話してるの?そんな暇あるなら少しは会社のために働いてくれないかな?」
松本リナさんは部署で唯一私に優しくしてくれる女性社員だ。明るく社交的な彼女だが、たまに暗い表情を浮かべることがある。気になって理由を聞いてみると、彼女は声を潜めて話してくれた。
「実は課長からしつこく言い寄られていて、休憩時間に声をかけられるくらいならまだいいんですけど、プライベートのスマホにも連絡が来るんです。止めて欲しいんですけど、なかなか言い出せなくって」
課長は松本さんに休みの日の予定や彼氏の有無まで聞いてくるらしい。私だけではない。他の社員も皆、課長の言動に怯えていた。彼がいるだけで部署全体の空気が重くなる。このままではダメだ。私は部長から言い渡されたミッションを遂行するべく、調査を始めた。
私が異動して二週間が経った頃、部署の飲み会が開かれることになった。私の歓迎会のつもりだったが、課長は渋っていた。
「君の歓迎会なんて参加している時間はないよ」
困った。課長に来てもらわないと計画が台無しだ。そこで松本さんに協力を頼み、課長を参加させた。どうやら「松本さんがどうしても」と言ったらしい。
飲み会当日、課長は上機嫌でやってきた。
「高橋君の歓迎会なんてやる必要もないと思ったんだが、松本君がどうしてもというので仕方なく来てやったんだ。感謝しろよ」
すると、そこに遅れて部長が現れた。
「遅くなって悪いね。今聞こえてきたけど、今日は歓迎会じゃなくて送別会じゃなかったかな」
課長は一歩下がって神座を開けながら尋ねた。
「誰のですか?」
部長は穏やかな表情のまま、少しだけ曇らせて答えた。
「君のだよ」
その場が凍りついた。課長は「冗談ですよね」と苦笑いを浮かべるだけだ。私は課長に全てを打ち明けた。部長からのミッション。課長の態度を調査し、適切な処置を取ること。集めた資料を社内の人権委員会に提出したところ、事態を重く見た委員会は課長の諭旨解雇を決定したのだ。
「私がそんな態度を取っている証拠があるのか?」
「ありますよ。私がこの二週間で見たこと、聞いたこと、全て証拠として提出しました。北野さんの件も、松本さんの件も」
課長の顔色が変わった。それまでの高圧的な態度が嘘のように小さくなっていく。
すっかり力の抜けた課長は、とぼとぼと店から出て行った。私は少し気の毒に思ったが、周りの社員たちの顔を見てその考えは吹き飛んだ。皆が安堵の表情を浮かべていた。中には泣き出す者もいた。松本さんもその一人だ。きっと私が聞いた以上に、嫌な思いをさせられていたのだろう。
その後、飲み会は皆の笑顔があふれる楽しいものになった。
翌朝、出勤すると課長の机は空っぽだった。どうやら夜中に荷物を取りに来たらしい。皆の表情は明るい。もうあの重苦しい空気はない。
朝礼の時間、部長から人事発表があった。
「新しい課長について皆さんにお知らせがあります」
続く部長の言葉に私は驚きを隠せなかった。
「こういうのはサプライズがいいかと思ってね」
部長はいたずらっぽく笑った。
新しい課長。それは私だった。
私は深呼吸をして、これからまとめていく社員たちを見回した。たくさんの部下がいる。そして、部下の意見をしっかりと聞いてくれる部長がいる。皆と一緒なら、様々な困難も乗り越えられるだろう。
もう二度と、社員が我慢しなければならない環境にはしない。未来ある社員をもっと育てていこう。
何も載っていない新しい机を前に、私は心に誓った。



