100万円のキャンセル料を請求したのは、本当に正しいことだった。なのに、あの男は逆ギレして、私の人生をめちゃくちゃにした。
40名の大口予約。当日の5分前、電話が鳴った。
「すみません、行けなくなりました」
理由も説明もない、一方的なドタキャン。すでに仕入れも人員配置も、すべて完璧に整えていた。断っていた他の予約客もいた。被害額を計算すると、背筋が凍った。
私はキャンセルポリシーに従い、100万円の支払いをお願いした。電話口で、相手の男は嗤った。
「俺が誰だか分かってんのか? あのオー組の若頭だぞ。痛い目見せてやるから首洗って待ってろ」
そして数時間後、男、高森孝志は十人ほどの若い男たちを連れて、私の店に乗り込んできた。グラスや皿、テーブル、壁。次々に壊されていく。従業員が殴られ、顔を腫らして倒れた。私は耐えた。ここで警察を呼べば、私の秘密がバレるからだ。私の祖父が、裏の世界の重鎮だと知られてしまうから。
「やめてください。警察を呼びますよ」
「警察だ? いいぜ、呼べるもんなら呼んでみろよ。でもいいのか? お前の家族どこに住んでたっけな? 可愛いママとか兄弟がいるんじゃねえのか。そいつらがどうなってもいいのかね」
その瞬間、私の中で何かが切れた。私は微笑み、高森に提案をした。
「分かりました。警察は呼びません。その代わり、あなたの組の組長さんにお目にかかれますか?」
「は? うちの組長だと? 何だって?」
「組長にお会いできれば、キャンセル料はいただかなくて結構です。それに、私とこの店をうまく使えれば、あなたにとってもいい話になるかもしれませんよ」
興味を持った高森は、私を車に乗せ、組長の屋敷へ向かった。車内でも、彼は私に下品な視線を向けてくる。
「お前、結構いい体してんじゃねえか。組長も気に入るぜ」
着いた屋敷で、高森は組長に私を売り込もうとしていた。
「この女の店、俺に任せてもらえませんか。焼肉店より稼げる店にしてみせます。この女も、組長のお楽しみにどうですか?」
組長は静かに私を見つめた。その視線に、私はそっと息を吐いた。
「えっと、このバカ言ってるけどどうする? おじいちゃん」
一瞬、部屋の空気が凍った。高森の顔色が真っ青に変わる。
「おじいちゃんって……この女が組長の……?」
「そうだよ、俺の孫だ。血の繋がった実の孫だ。驚いたか?」
祖父は笑いながら近づいてきて、私の頭を乱暴に撫でた。小さい時から変わらない、大きくて優しい手。
高森は腰を抜かし、畳に額を擦りつけた。
「そ、組長、本当に申し訳ありませんでした! 孫娘さんとは知らず……」
「知らなきゃ何やってもいいって話じゃねえんだよなあ。俺の大事な孫娘の店と従業員に、とんでもないことしてくれたんだってな」
「反省してます! 何とか許してください!」
「反省ってのは口でするもんじゃねえんだよ。おい、あんた。あの時、私に言ったよね? 『俺が誰だか分かってんのか』って。今、その言葉をそっくりそのまま返すよ。私が誰だか分かってる?」
高森は泣きそうな顔で震えていた。祖父は冷徹な声で言い放った。
「被害総額はざっと見積もって1億円だ。2週間以内に全額払え。払えねえなら……そうだな、いい病院を紹介してやるよ。お前の体には金になるもんが入ってるだろうが。腎臓でも肝臓でも、高く売れるぞ」
「やります! 必ず払います! 家でも車でも何でも売ります! 命だけは! 命だけはお助けください!」
高森は必死に命乞いをした。店で暴れていた時の威勢の良さは、どこにもなかった。祖父という最終手段を使ってしまったことに、悔いがなかったわけではない。それでも、店と従業員を守れたことに、私の心は晴れていた。
しかし、これは終わりではなかった。私たちの計画は第二段階へ移行した。
2週間後、高森は賠償金1億円をどうにか用意した。高級車も腕時計も投資物件も、全て売り払ったようだった。そして次の計画。それは、高森を私の店で雇うことだった。
祖父の右腕であるイサさんが、毎日客として店に現れ、高森を暴く。それが私たちの制裁だった。初日は肩を突くだけ。2日目は胸ぐらを掴む。3日目には顔面を殴り、鼻血を出させた。制裁は日に日にエスカレートし、高森はみるみる痩せ細っていった。恐怖とストレスで、顔はやつれ、引きつった笑顔で接客する日々。
「おい、この肉、焼きすぎじゃねえか」
「すみません」
「あのお客様、何とかしてくださいよ。もう無理っす。毎日毎日殴られてしんどいっす」
「あの呼び方やめてくれない? 気持ち悪いんだけど。あと、あのお客様は大切なお客様だから、出禁にはできないよ」
数ヶ月後、イサさんの来店がぱったりと途絶えた。高森は安心したような顔をしていたが、ある日、イサさんが数人の男たちと共に再び店に現れ、高森を強引に連れ出した。そして、高森は二度と戻ってこなかった。後日、風の噂で、ある男が魚の餌になったらしいという話を聞いた。それが本当かどうかも、高森だったかどうかも分からない。祖父もイサさんも何も教えてくれなかった。
それから3ヶ月後、私たちの店は常に満席の人気店になっていた。高級焼肉店としての評価は鰻登りで、予約は5年先まで埋まっている。従業員たちの表情も明るく、過去の困難が私たちの絆を強く結びつけてくれた。
そして、事件の解決に力を貸してくれた祖父とイサさんが、ついに店に来る日が来た。私は制服を整え、精一杯の笑顔で二人を迎えた。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
「お姉さんのやりたかったことを、ようやく見せてもらえるな」
祖父はそう言って、いつものように微笑んだ。緊張で手が震えたが、最高の状態で接待をした。最高級の黒毛和牛、祖父が食べやすいように用意した最高級の岩塩とわさび。厨房スタッフも、サービスも、全てに手を抜かなかった。
食事を終え、祖父が言った。
「うめえな。本当にうめえよ。サービスも完璧だ。よくここまで頑張ったな。お前は本当に頑張った。胸を張れ。さすが俺の孫娘だ」
その言葉が沁みわたっていく。堰を切ったように涙が溢れ出した。
「あ、ごめんなさい。嬉しくて……涙が止まらなくて」
「いいんだよ。こんな日くらい、泣いたっていいじゃねえか」
祖父は優しく、乱暴に私の頭を撫でた。イサさんは静かに拍手をしてくれた。それに続いて、祖父も従業員たちも拍手をし始めた。店内は温かな賞賛に包まれた。
私を認めてくれた人たちがいる。私についてきてくれた人たちがいる。この店も、従業員たちも、私にとって命よりも大切な宝物だ。これから何があっても、私はもう怯えたり、くじけたりしない。この先、どんな困難があっても、私は大切なものを守り抜いて生きていこう。そう心に誓った。



