私は花嫁衣裳に身を包み、入場を待つ扉の前に立っていた。隣で信明が、まるで昨日の裏切りなど存在しなかったかのように、能天気な声を漏らす。
「ついに来たんだな。この日が。一緒に幸せになろうな」
その言葉で、私は心の中で凍りついた。どこまでこの男は私を欺くつもりなのか。私は作り笑いを貼り付け、声を絞り出す。
「ええ、そうね」
声が僅かに震えたが、信明は気づかない。彼は満足そうに笑みを深める。私は彼の鈍感さに感謝した。
全てを知ったのは結婚式前夜のことだ。私は式場近くのホテルに宿泊していた。信明は「後から行く」と言っていた。だが、それは嘘だった。彼は自宅に姉を呼び、私のスマホの画面越しにペットカメラの映像として、その現場を私は見てしまった。あの日、私は決めたのだ。この結婚式を、彼の罪を暴く舞台にすると。
扉がゆっくりと開き、入場曲が流れ始めた。だが、流れたのは予定されていた曲ではない。信明と愛人が浮気の最中に交わした、恥ずかしい会話の音声だった。
「はる子さん、今のうちです。今夜はじっくり楽しみましょう」
「え、そうね。どうせ誰にもバレないし。最高の夜にしましょう」
会場が凍りついた。参列者たちは目を見開き、困惑の声を上げる。信明の顔は驚愕とともに真っ青に染まり、私に詰め寄ってきた。
「おい、何をした? お前がやったんだろ?」
怒りに震える声に、私は静かに微笑む。彼は私のドレスを思い出したのか、掴みかかる手を途中で止めた。そして、皆の前で晒されたことに耐えられず、懇願するように叫ぶ。
「止めてくれ! これを!」
私は首を振った。
「何を言ってるの? 楽しかったんでしょ? あの時は、恥ずかしいなんて思わなかったでしょう」
信明は悔しそうに唇を噛みしめた。私は場の中央へ歩み、参列者に頭を下げた。
「皆様、このような形で驚かせてしまい、申し訳ありません。ここでお伝えしなければならないことがあります。私は信明とは結婚しません」
その瞬間、会場は騒然となった。信明が怒鳴る。そんな中、隣に立っていた愛人が私に牙を剥いた。彼女の名は、はる子。私の実の姉だ。
「あんたのせいで、全部めちゃくちゃじゃないの!」
姉はヒールを響かせて近づいてきたが、信明の両親が私をかばうように前に立った。
「信、やめなさい! 絶対に手を出してはダメよ」
信明は両親に食ってかかる。
「どうして俺の味方をしないんだ? 俺は何も悪いことなんてしてない!」
だが、両親は冷静だった。実は、彼らの自宅に設置されたペットカメラに、信明の浮気の一部始終が偶然映っていたのだ。私はその映像を見せてくれと頼み、真実を知った。信明は必死に言い訳を続けるが、もう無駄だった。私ではなく、両親が証拠を掴んでいるのだから。
姉は私に向き直り、憎しみに満ちた目でまくし立てた。
「私はね、あんたと信明が婚約する前から彼のことが好きだったのよ。あんたが悪いのよ。信明を誑かすから。せっかく親代わりとして育ててやったのに」
彼女は、私が信明の話をするたびに「お似合いだと思う」と偽りの言葉をかけてきていた。姉はさらに続ける。
「信明はあんたのことなんて愛していないわ。結婚するのは、家政婦として使うためよ。信はいずれ私と結婚するから、あんたはすぐに捨てられる運命だったのよ」
その得意げな言葉に、私の心は冷めきっていた。逆に、彼女の浅はかさが滑稽にすら思えた。
「お姉ちゃんこそ、うぬぼれない方がいいわよ。信明のこと、何も知らないくせに」
姉は鼻で笑う。
「何が彼? 彼は私だけを愛してるのよ」
「お姉ちゃん以外にも、愛人がいるのよ」
その瞬間、姉の体が大きく震えた。信明もまた、顔面蒼白になる。姉は叫ぶ。
「嘘よ! 信、私だけを愛しているんじゃなかったの?」
信明は答えない。沈黙を貫く。その態度が何よりの証拠だった。信明の両親は、その時点でさらなる証拠を差し出した。別の女性と夜の街を歩く信明の写真。それも複数人だ。姉は写真を床に叩きつけ、発狂した。
「こんなの嘘だ! 信、嘘だと言ってよ!」
しかし、信明は何も言わない。私は呟いた。
「因果応報だね。人を騙したら、こんな風に報いが来るんだよ」
姉は私に殴りかかろうとしたが、スタッフに腕を掴まれて式場の外へ連れ出された。扉の向こうから、「絶対に許さない」という叫び声が響いた。
私は再びマイクを握り、謝罪した。
「皆様、失礼いたしました。本当は当事者同士で解決すべきだったと思います。ですが、私はどうしても浮気をした二人を許せませんでした。一生忘れられない出来事として刻みたかったんです」
参列者の視線は一斉に信明へと向く。彼はその視線に耐えかね、その場に力なく崩れ落ちた。
「大変申し訳ございませんでした」
信明は土下座をした。
しかし、事態はこれで終わらなかった。信明は、義父の会社を解雇されたのだ。露見したのは浮気ではなく、会社の経営不振を乗り越えるために彼が行っていた不正取引だった。彼は確かに仕事に真摯に取り組み、売上を上げていた。しかし、それは地道な営業ではなく、目の前の利益に飛びついた不正の上に成り立っていた。周囲の期待に応えるため、彼は不正を続けるしかなかった。罪悪感と責任感の間で揺れ動きながらも、止めることができず、その不安を紛らわせるために浮気に走ったのかもしれない。
結局、浮気も不正も全てが露見し、信明は何もかも失った。周囲からの信頼を失い、彼は孤独に追い込まれていく。数ヶ月後、彼から「本当にすまない。許してくれ」という懇願のメッセージが何度も届いたが、私は彼の連絡先を削除した。
姉もまた、会社を辞めた。浮気の話が社内に広まり、冷たい視線に耐えられなかったのだ。信明に裏切られたショックも加わり、心身ともにボロボロになった彼女からも、同じように謝罪のメッセージが届いた。幼い頃に両親を失い、親代わりとして私を育ててくれた姉。その感謝の気持ちはある。しかし、それでも彼女の裏切りは許せなかった。私はもう彼女を家族だとは思えなかった。
「さようなら。お姉ちゃん」
私はそう呟いて、姉の連絡先を削除した。目の前に涙がこぼれた。大切な存在に婚約者を奪われ、今や私には血の繋がった家族が誰一人として残っていない。その悲しみで胸が張り裂けそうだったが、私は少しずつ痛みを乗り越えることを決意した。
私を救ってくれたのは、信明の両親だった。彼らは何度も私を守ってくれた。
「無理をしないでね。何かあったらいつでも頼って」
「血の繋がりはないけれど、君のことは本当の娘のように思っているよ」
その温かい言葉が、私の胸にじんわりと染み込んだ。血の繋がりはなくても、ずっと私を支えてくれる存在がいる。私はその思いを胸に、新たな一歩を踏み出したのだった。



