夫は今日、最高の笑顔だった。
「いい物件が見つかった。両親も同居できる広い家だ。5日後に引っ越すから準備しろ。断ったらどうなるか分かっているよな」
義両親と同居するなんて、私は寝耳に水だった。でも、私は一切動揺しなかった。この日が来るのを、ずっと待っていたから。
「いつかあれば十分よ。任せておいて」
「いい返事だ。まあ、お前は俺がいなきゃまともに生活もできない無能だからな。これからも俺に黙って従え」
夫はそう言って、嫌らしく笑いながら出張に出かけた。私は夫に言われた通り、引っ越しの準備を始めた。だが、これはただの引っ越しの準備ではない。夫への復讐の準備の始まりだった。私は全てを知っているのだから。
引っ越し当日、新居の前で待っていると、夫が義両親を連れてやってきた。夫は義両親に優しい言葉を投げかけている。
「ここがこれから俺たちが一緒に住む新居だよ。お父さん、お母さん、立派な家だろう?」
「おや、本当に立派な家だね。こんないい家に住めるなんて嬉しいよ」
「京香さん、ゆきとから話は聞いてるよ。君が私たちとの同居を提案してくれたんだとね。本当に感謝しているよ」
「お父さんの言う通りよ。京香さんだって仕事が忙しくて大変でしょうに。なのに私たちとの同居を選んでくれて本当に嬉しいわ」
私はアパレル会社に勤務しており、確かに多忙だ。義両親はとても優しい人たちだ。問題なのは、義両親に対する夫の言葉が嘘だということ。夫は私と結婚したことを幸せだなんて思っていない。義両親の前で優しい息子、優しい夫を演じて、2人を騙している。もし義両親が夫の本性を知ったら、どれほどショックを受けるだろうか。私は拳を握りしめ、静かに怒りに震えていた。
義両親が先に家の中へ入っていくと、家の前には私と夫の2人だけが残った。夫は私を見て、にやりと笑う。
「さて、本当に準備は万端なのか? すぐに片付けられるんだろうな。もし嘘だったり、文句があるようなら離婚してもいいんだぞ。何もできない無能な家政婦はいらないからな」
私はため息をつきながら、近くの荷物を開けた。
「準備はばっちりよ。とりあえず、そこの荷物を開けるから自分の目で確かめてみたらどう?」
「え? なんでそんなものがあるんだ?」
夫が一瞬、戸惑った表情をした。それは、義両親と私たち夫婦の4人で生活していくだけなら不要なはずの荷物だったからだ。
「これがあるの、そんなにおかしいかしら。ベビー服なんだけど」
「お前、なんでベビー服なんて用意してんだよ。不妊のくせに。しかも男の子用だろ、それ。妊娠してから買えよ」
「買ったんじゃないわ。手作りしたのよ。あなたの隠し子は男の子よね」
直後、夫は時間が止まったように固まった。目を大きく見開き、驚愕している。
「俺に隠し子なんているわけがないだろ」
「本当にそうかしら。おかしいわね。ゆきとの浮気相手からあなたと子供のことを聞いたから準備したんだけど」
「それは何かの間違いじゃないのか? 俺は浮気なんてしてないし、ましてや子供なんているわけないよ」
夫は笑っているが、口元がピクピクしている。
「このベビー服はちゃんと浮気相手の家に送っておくから安心してね。もうゆきとの荷物も、その家に送ったから」
「はあ? 本当に俺の荷物を送ったのか? 一体どこに?」
私がメモした住所を見せた瞬間、夫は顔面蒼白になった。
「この住所は間違いなくあいつの家だ。お前、なんでそれを知っているんだ?」
「さっきも言ったじゃない。あなたの浮気相手から聞いたって」
夫はカッとなり、大声を張り上げた。
「ふざけるな! お前は俺の従順な家政婦でいればいいんだ。これ以上余計なことをしやがったら承知しないからな!」
その大声を聞いて、義両親が戻ってきた。
「おいおい、ゆきと、そんなに大きな声を出してどうしたんだ?」
「夫婦喧嘩でもしてるのか? あなたがそんなに怒るなんて珍しいわね」
夫は焦った表情を浮かべ、ごまかそうとする。
「いや、父さん、母さん、驚かせてごめんよ。ほら見てくれよ、このベビー服。俺たちには子供はいないし、妊娠すらしていないんだ。それなのに、こんなものを買って無駄遣いしてるからつい腹が立ってしまったんだよ」
「それはそんなに怒ることなのか。君たちはまだ若いし、子供を授かる可能性だって十分あり得るだろう」
「ああ、そういう可能性もあるのか。そんなことは考えられなかったな」
夫は頭をかきながら、ごまかすように笑った。義両親は呆れていたものの、夫の本性には気づいていない。この瞬間を逃してはならない。私は意を決して、夫の本性を暴露することにした。
「いえ、ゆきさんが大声を出した理由はそんなことじゃありません。ゆきさんは浮気しています。このベビー服を浮気相手の家に送るつもりだったんです。すでにゆきさんの荷物を、浮気相手の家に送っています。その話をした途端に、ゆきさんが声を荒げて大声を出したんです」
「え、ゆきとが浮気だと?」
「そんな幸せそうな人が京香さんを裏切るようなことするわけないわよね。何かのお間違いよね」
義両親は信じられないといった表情をした。夫はまだチャンスがあると思ったのか、わざとらしく「やれやれ」というポーズを取りながら話し始めた。
「いやいや、父さん、母さん、俺が浮気なんてするわけないじゃないか。京香のやつは勘違いしてるんだよ」
「そうか。そうだよな。びっくりしたよ」
「もし本当に京香さんの勘違いだったとしても、誤解させるようなことはゆきとだってしてるはずだから反省しなさいね。ちゃんと2人で話し合いなさいよ」
夫が浮気を認めないことは想定内だ。そこで私は、義両親に別の真実を先に明かすことにした。
「話したいことはそれだけじゃないんです。実は、新居への引っ越しとお2人との同居は、私に相談なくゆきさんが勝手に決めたことでした。逆らったら離婚するって脅されて」
「なんだと?」
「いや、そんなはずは。だって、同居は京香さんの希望だったんだろ? それに、私との買い物やお父さんとのゴルフも楽しみだって話だったわよね?」
「お2人さえよければ、これからそういうことができれば嬉しいです。その気持ちに嘘はありませんが、私が同居を希望したというのはゆきさんの嘘です」
まだ義両親は信じることができずにいた。私は自分の話が本当である証拠を見せることにした。
「お父さん、お母さん、少し落ち着いて聞いてくださいね。ゆきさんが優しいのはお2人の前だけです。今、その証拠を見せますね」
私はスマホを取り出し、ある音声を再生した。
『おい、今日から5日後だ。いい物件が見つかった。両親も同居できる広い家で、2人とも喜んでるよ。引っ越すから準備しろ。もちろんお前が全部やるんだ。断ったらどうなるか分かっているよな』
『いつかあれば十分よ。任せておいて』
『いい返事だ。まあ、お前は俺がいなきゃまともに生活もできない無能だからな。これからも俺に黙って従え』
流れたのは、5日前の私をいびる夫の声だった。あの日、私はこっそり音声を録音していたのだ。
「え、う、嘘だろ」
夫はゼクしていた。義両親もお互いの顔を見合わせ、だんだんと表情が険しくなっていく。私はすかさず、別の音声を再生した。
『子供が産めない分、俺たち家族に尽くせ。それすらできないような家政婦なら出ていってもいいぞ』
日頃から言われていた言葉の数々だ。これにはさすがの義両親も夫を庇うことはできなかった。
「ゆきと、これはどういうことだ? 京香さんにこんなことをしていたのか。お前が一方的に引っ越しや同居を決めているじゃないか。私たちに嘘をついてまで」
「そんなこと、私たちが悲しむことになるって分からなかったの? 何よりも京香さんに対して申し訳ないわよ」
義両親が私の話を信じ、夫を責めると、夫は悔しそうに唇を噛んだ。
「今までひどいことを言って悪かった。俺、子供が欲しくてさ。だから京香が不妊だと知って、ショックだったんだ」
「子供が欲しい気持ちは理解できる。だが、それは京香さんをいびる理由にはならないぞ」
「お父さんの言う通りよ。むしろ、それならゆきとが京香さんを支えなきゃだめじゃない。なのに嫁いびりなんてして、挙げ句の果てに浮気もしてるってどういうことなの?」
夫は再び謝罪しながらも、あくまで浮気のことは否定した。だが、私は夫が嘘をついていることを知っている。今度はその証拠も見せるべく、鞄から封筒を取り出した。
「3人に見て欲しいものがあります」
封筒の中に入っていたのは、たくさんの写真。夫と女性が仲良さそうな笑顔で映っており、女性の腕の中には男の子の赤ちゃんが眠っている。
「これは確かにゆきとだな。この女は誰なんだ?」
「それに男の子の赤ちゃんまで。一体どういうことなの?」
「お、俺はこんなの知らないぞ。これはきっと合成写真だ。そうに決まってる」
「見苦しい言い訳ね。ゆきと、これは合成じゃないわ。だって、この女性は私が務めているアパレル会社に中途採用で入社した人なんだもの」
「んだと。お前、レミのことを知っていたのか?」
「レミさんが仕事を始めた理由は、赤ちゃんが生まれたからだそうよ。その話をしていたら、彼女は家族写真を見せてくれたの。あなたと男の子が映っている写真をね」
「じゃあ、そのベビー服もレミの家に送るつもりだったのか?」
「レミさんと約束したからね、ベビー服を送るって。そしたらレミさんすごく嬉しそうにしていたわ。私がゆきとの妻だと知らずに」
レミさんは無警戒だった。何も知らない彼女は素直に喜び、住所を教えてくれた。全てが明らかになった。
「ゆきと、お前というやつはどこまで最低なんだ。家族のことを騙して裏切るなんて」
「平気で嘘をつくなんて、本当に信じられないわ」
これで少しは反省するかしら。私はそう思ったが、次に夫が放った言葉は信じられないものだった。
「はあ、もうどうでもいいよ。ああ、はいはい。そうだよ。俺は浮気してた。だけど、それは父さんと母さんのため仕方なかったんだよ」
「わしたちのためだと? 私たちは京香さんを裏切るようなことをしろなんて言ってないぞ」
「俺、早く父さんや母さんに孫の顔を見せたかったんだ。でも京香が不妊だと知って、それが叶わないならさっさと切り捨てようと思ってた。そんな時に出会ったのがレミだったんだ」
「それでレミさんには独身だと言って、子供を作ったってわけね。ああ、そうだよ。レミは俺の望み通り妊娠して子供を産んでくれて、本当に最高の女だぜ」
夫はゲスい笑みを浮かべながら話していた。夫は私だけでなくレミさんすらも騙している。結局、自分のことしか考えていないのだ。
「ちなみに、俺が京香をいびっていたのは離婚したいと言わせるためだ。だって、俺の浮気が理由で離婚したら慰謝料が発生するからな。そんな無駄金は払いたくなかったんだよ」
夫の自分勝手な言い分に、義両親はこれ以上怒りを抑えることはできなかった。
「ふざけるのもいい加減にしろ! 慰謝料が払いたくないから京香さんをいびっていただと? お前は自分の妻を何だと思ってるんだ?」
「私たちは確かに孫の顔を見たかったわ。でも、もしあなたたちに子供ができなくても、2人が幸せに暮らしているだけで良かった。それが私たちの一番の望みだったのに」
夫には何も響かない。
「ギャーギャーうるさいな。こんなことになったのは不妊の京香のせいだ。ちゃんと妊娠して子供を産んでくれていたら、浮気せずに済んだんだよ」
夫は悪びれることなく、全ての責任を私に押し付けるセリフを吐き捨てた。私はもう決心していた。
「ゆきと、もういいわ。ここまで言われて反省しないようじゃ、話にならないから。私たち離婚しましょう。もちろん慰謝料だって請求するからね」
私は離婚届けを突きつけた。
「もちろん、わしたちもゆきとは絶縁する」
「当然よ。私もお父さんと同じ気持ちだからね」
「ああ、喜んで離婚してやるよ。俺は新居でレミと人生を再スタートさせるから。父さんも母さんもバカだよ。後で泣きついてきても、孫の顔なんて見せてやらないからな」
夫は私たちを見下すように高笑いしていた。彼がサインした離婚届けを受け取ると、私と義両親はそのまま新居を後にした。
新居から離れて少し落ち着くと、義両親は夫の代わりに私に謝罪してくれた。
「京香さん、ゆきとが本当に迷惑をかけて申し訳なかった。わしたちの育て方が間違っていたのかもしれないな」
「同居の話をゆきとから聞いた時も、ゆきとの話だけを一方的に聞かず、京香さんに確認すればよかったわね。京香さんの話を何も聞かずにごめんなさい」
「お2人とも頭を上げてください。私の方こそ、ゆきさんの浮気やいびりを相談できず申し訳ありません。ただ、このままゆきさんの思い通りには行きませんよ。必ずゆきさんは後悔することになります」
「え、それはどうしてだ?」
「京香さん、他に何か知ってるの?」
「しばらく様子を見ていましょう。その答えは、すぐに出ると思いますから」
私がくすっと笑いながらそう言うと、義両親も少し戸惑いながらも小さく頷いた。
その答えが出たのは、思った以上に早かった。翌日、私が仕事を終えスマホを取り出すと、元夫から何十件もの着信が入っていた。折り返すと、電話越しでも分かるくらい元夫は焦っていた。
「やっと電話に出やがったな。昨日あの後、レミの家に行ったが、俺の荷物があっただけでレミ自身はいなかった。一体どういうことだ? お前、何か知っているのか?」
正直、いい気味だと思った。私は元夫に現実を突きつけることにした。
「ゆきと、あなたはレミさんのことを独身だと騙していたけど、レミさんだってあなたのことを騙していたのよ。あの人はあなた以外にも何人もの男性と交際して、全員に貢がせているわ」
「はあ? なんだよそれ。なんでお前にそんなことが分かるんだ?」
「探偵所を使ってしっかり調べたからよ。あなたの浮気を知ったのは、レミさんから聞いただけじゃないの。徹底的に調査したら、彼女の本性を知ることができた。レミさんはあなたのことをATMとしか見ていなかったのよ」
私はレミさんの本性を知っていたが、元夫への復讐のために黙っていた。
「そんなはずはない。だって俺はレミと子供を作ったんだぞ。俺のことを騙してたなら、子供を抱きながら俺と一緒に笑顔でいることなんてできないはずだ」
「あのね、実は不妊なのは私じゃなくて、ゆきとの方よ。もちろんレミさんが産んだ子供は別の男性との子供で、ゆきとの子供じゃないわ。別に信じたくないなら信じなくてもいいけど」
「何を言ってるんだ? 自分が不妊だって負け惜しみか? 俺との子供を産んだレミが羨ましいんだろうが」
「さっきも言ったけど、信じなくていいわ。とりあえず不妊検査の結果は出てるから、あなたのスマホに送るわね。あなたが検査だけは受けてくれたから、ちゃんと進められてよかったわ」
私が検査結果を送ると、ようやく元夫は信じた。
「なんだよ、これはどういうことだ? 本当に俺が不妊だったのか? おい、どうして教えてくれなかったんだ?」
「最初はゆきとにも伝えるべきかどうか悩んでいたわ。でも、あなたはあんなに子供を欲しがっていたから、あなたに不妊だと伝えるのは酷だと思ったのよ。もし、私が不妊だったとしたらどうだっただろう? 簡単に前向きになれるはずがなかった。そう思うと、あなたにも簡単に話すことができなかった」
「だったら、どうして!?」
「それはあなたが一番よく知ってるんじゃない? あんなに私のことを不妊だと決めつけて嫁いびりをしてきたのよ。挙げ句の果てに浮気もして、お父さんやお母さんのことさえも騙してた。あなたの本性を知ってしまったら、支えたい気持ちなんてなくなったわ。絶対に復讐すると決意したのよ」
「京香は俺が不妊でも見捨てず支えようとしてくれてたってことか。俺がもっと京香に寄り添ってれば、こんなことにはならなかったってことなのか」
「まあ、そういうことになるわね。今更気がついても遅いけど」
「京香、本当に悪かった。許してくれないか。今度こそ俺は京香のことを支えていくから。もう一度やり直してくれないか? 頼むよ」
「いいえ、もう無理よ。世の中には取り返しのつかないことがあるの。ゆきとは、それだけのことをしたの。よく覚えておくことね」
元夫はまだ何かを言いたそうに声をあげていたが、私はそのまま電話を切り、話を終えた。
その後、私は元夫と離婚し、自由な生活を続けていた。そんなある日、義両親が野菜を持ってきてくれた時に、元夫の様子も教えてくれた。
「この間、ゆきとがわしたちのところに助けを求めてやってきたよ。どうやらあの後、ショックで引きこもって仕事もやめたらしい。貯金も失い、仕方なく新居も売りに出したそうだ」
「だからと言って、許してもらえるなんて思ったら大間違いなんだけどね」
元夫が人生のどん底に落ちているのは理解したが、ここから這い上がれるかは元夫の努力次第だ。一方、レミさんもまた幸せに過ごせているわけではなかった。ある時突然アパレル会社を退職したのだが、付き合っていた男の中には既婚者も多く、奥さんにバレて多額の慰謝料を支払うことになり、全財産を失ってボロボロになっているらしい。元夫にしろレミさんにしろ、自業自得だ。
私はこれから自分の幸せを考えて生きていこう。そう考えて前向きに過ごしていると、数年後に私に幸せが舞い込んだ。縁あって、素敵な男性と再婚できたのだ。今度の夫はとても優しく、私のことを大切にしてくれた。
「子供を授からなくても、夫婦2人で幸せに過ごせるといいね」
そう言ってくれたので、私はストレスを感じることもなく、毎日笑顔で過ごしていた。それが良かったのだろう。結婚して1年後には、無事に男の子を出産した。
「ママがかっこいい服を作ってあげるからね。きっとあなたによく似合うわよ」
さらに翌年、息子が1歳の誕生日を迎えた際には、ベビー服を手作りして息子に送った。夫と一緒に息子の誕生日を祝い、みんなが笑顔になっている。それを見て、私は幸せを噛みしめていた。きっとこの幸せは永遠に続いていく。私はそう確信している。



