ある日、取引先の会社で打ち合わせのため待機していると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。うちの担当部長・黒谷の声だ。彼は俺と目が合うと、すぐに目をそらし、「そういうことだ。なんとかしておけ」と部下に指示を飛ばした。そして、何事もなかったかのように白々しく挨拶してきた。
「あんな弱企業はどうにでもなる」
その言葉が、確かに俺に向かって放たれたものだと分かった。俺はこの瞬間、心に誓った。いつか必ず痛い目を見させてやると。
俺の名前はナルセ。35歳でベンチャー企業を経営している。いくつかの特許を持ち、それを元に製品開発をしたり、他社から特許使用料を受け取ったりしている。中でも一番最近取得したのは、冷却構造の特許だ。これはロボットなどに使われており、モーターが熱で壊れるのを防ぎ、限界以上のパワーを引き出すための画期的な水冷構造である。
現在の取引先は、大規模な倉庫などで使われる自動搬送ロボットを製造している。俺の特許技術を使うことで、より薄型でありながら重い荷物を載せてもスピーディに作業ができる。その企業の担当者が黒谷という50代の部長だ。最初は「ナルセ社長の技術が世界を救うんです。我々が必ず有効活用して見せます」とゴマをすってきた。しかし、特許使用の許可を出した途端、態度が一変した。
契約書を交わした翌日から、電話をかけても折り返しが来なくなった。直接会えば挨拶すらそっけなく、まるで別人のようだった。そして今では「これって構造さえ分かれば他の工場でも作れるんだろ。結局誰でも作れるものってことだよな」と平然と言ってのける。
その構造で特許を取っている以上、他者が模倣すれば特許権の侵害になる。この人は分かっているのだろうか。不審感は募る一方だった。
俺は親友の池田に愚痴をこぼした。池田は高校時代からの親友で、うちの顧問弁護士だ。特許や著作権を専門としており、過去に俺が著作権侵害をされた時も、池田のおかげで勝訴している。うちの会社は池田がいるからこそ上手くいっている。頼りになる相棒だ。
「何かあったら絶対に俺がなんとかしてやるよ。こういう奴に限って、必ずどこかでボロを出すもんだ」
池田は不敵に笑いながらそう言った。ただ、この時点では実害がない。池田に相談しても、無闇に動けば逆効果だと言われていたので、俺はひとまず様子を見るしかなかった。
そんな時、黒谷から連絡があった。
「この特許使用料、もっと安くならないの?」
いかにも俺を下に見た発言だ。俺はイラっとして突き放すように答えた。
「もう契約書も交わしていますし、値下げをする気は一切ありません」
「随分強気だね。特許を持っているというだけで、目上である私にそんな態度を取るとは大したもんだ」
いつものように嫌味を繰り返す黒谷。仕事は仕事として割り切っているつもりだが、彼の態度に苛立ちは募っていくばかりだった。その頃、俺は次の特許開発の真っ最中で、かなり忙しかった。
黒谷の会社から、今年度の特許使用料が期日を過ぎても振り込まれないことに気づいたのは、それから3ヶ月が過ぎてからだ。年間払いの契約なので、1年分の特許使用料をもらっていない状態だった。俺は昔からこういうことに無頓着なところがあり、池田からも注意を受けていたのだが、また確認を怠ってしまった。
俺は溜め息をつきながら、黒谷に連絡をした。しかし、電話の向こうからは「ああ、確認してみるわ。今忙しくてな」と言われ、一方的に切られてしまった。会社にも突撃してみたが、「アポなしは困る」と門前払い。黒谷より上の立場の人間には会えないし、彼の部下たちは誰もが黒谷の言いなりのようで、話にならなかった。
今日も黒谷の会社に行くと、たまたま黒谷が出てきたところだった。
「黒谷部長」
俺は声をかけた。黒谷は「アポなしは困ると言っているだろう」と迷惑そうに返す。
「アポすら取ろうとしないから来たんですよ。特許使用料を滞納しているんだから、理由があるのならそっちから連絡してくるべきではないんですか?」
なるべく冷静に話した。すると、黒谷は首をかしげて「特許使用料?」ととぼける。俺はその態度に眉間に皺を寄せた。
黒谷は思い出したかのように「ああ、あれか。それはもう俺の友人の会社に変更した。君のところにも連絡したはずだが」と言う。
「連絡なんて来てませんけど」
「すっとぼけておかしいなあ。まあとにかく、君のところの高い特許使用料はもういらないんだ。コスト削減だよ」
「契約解除ということですか? でしたら違約金の支払いをお願いします」
「あ、分かった。部下に伝えておくよ」
そう言って話を終わらせようとする黒谷に、俺は「それって同じ構造の部品を作っているということですよね」と聞いたが、「俺はよく知らない」と言い逃れた。
黒谷はそそくさと俺の目の前から去っていく。俺は彼の背中を見ながら思った。それって特許侵害してるだろう。
事務所に戻り、すぐに池田に連絡した。池田は「だからあれほど言っただろうが」と説教から始めた。俺は自分が悪いと思いながらも、黒谷との会話を全て説明した。
「ふうん。そういうことね。だったらいい手がある」
電話の向こうで、きっと池田は不敵な笑みを浮かべているのだろう。池田は黒谷の会社が1週間後の展示会に出展するという情報を掴んでいた。
「俺はてっきり、お前の特許技術が使われたロボットが堂々と出展されるのかと思っていたんだが」
「ああ、まあおそらくお前の特許技術が使われてるんだよ。無断使用ってだけ」
「さすがだな。情報通だ。展示会に出展ね……。池田、そこで俺の特許技術が使われてる証拠を掴めば訴えられるよな」
「もちろん。ああ、それ俺も行くから」
池田は当然のように言った。池田はちょっと血の気が多いというか、悪は徹底的に制裁するという信念の持ち主だ。もちろん俺も黒谷のことは許せない。
「展示会には変装し、バイヤーとして潜入する。動かぬ証拠を掴んで徹底的に追い詰めるぞ」
「了解」
展示会当日。俺は慣れないスーツに眼鏡をかけた。池田は俺に合わせて安物のスーツを着て、髪型も変えてきた。まあ、池田は黒谷と面識がないので、わざわざいつもと変える必要はなかったのだが。「潜入捜査って楽しそうだよな」と本人が言っているので、特に止めないでおいただけだ。
会場に入ると、黒谷がブースでプレゼンをしていた。
「我が社の新技術で、コストを半分に抑えた次世代モーターを搭載しています。こんなに薄型のロボットでも、従来の5倍もの力を発揮しますよ」
「我が社の新技術だと……?」
思わず呟いた俺を、「まあまあ落ち着け」と池田が制する。黒谷との距離は数メートルもない。見破られるわけにはいかない。俺は顔色を変えて質問をした。
「素晴らしい性能ですね。しかしこの小ささでこの出力を出すには、相当特殊な加工が必要なはずですが、どうされたんですか?」
すると黒谷が得意げに答える。
「目が高い。そこは我が社の独自構造でしてね。細かくは言えませんが、特許申請するつもりの技術です」
再び声を上げそうになった俺を遮って、池田が確認をする。
「その技術で御社は開発したと」
「もちろんです」
黒谷は胸を張った。サンプル品が購入できるというので、俺は感情を抑えて「是非購入させていただきたい」と言うと、黒谷は「ありがとうございます」とにこやかに微笑んだ。
全てを終えてブースを離れると、池田が「おい、ちゃんと録音できたか?」と聞いた。俺はボイスレコーダーを取り出し、「もちろん」と答える。これは事前に池田から渡されていたもので、さっき俺が質問をしたのは、俺の特許技術を自社の技術だと主張する証拠が欲しかったからである。
それから数日後、届いた黒谷の会社のサンプル品を俺は躊躇なく分解し始めた。構造を把握し、やはり俺の特許技術だと確信を持って池田に報告すると、「こっちの用意はもうできてる」と心強い言葉をもらった。
池田はすぐに動いてくれ、特許侵害による差し止めと損害賠償請求の書類を黒谷宛てに送ってくれた。証拠として添付されているのは、展示会での黒谷の発言や、俺の特許と完全一致するサンプル品の分解データだ。
3日後、池田がうちの事務所にやってきて、「そろそろ何か連絡来たか?」と言ってくる。
「いや、まだないな。まだ見ていないのか。それとも車内で揉み消しをしているのか」
俺がそう答えると、工場の外に1台の車が入ってきた。俺はそれが黒谷の車だと分かったので、池田にそう伝える。黒谷は俺を制止する間もなくズカズカと入ってきて、「なんだこれは? 嫌がらせか」と池田が送った書類を封筒ごと持ってきて怒鳴った。
「なんて短絡的なんだ。嫌がらせはどっちですかね。それに弁護士を通しているのに、直接俺のところに乗り込むなんてどうかしてますよ」
俺がそう言ってやると、黒谷は「これはうちが開発したんだ。それを友人の工場で作らせている」と言ってくる。
俺は負けじと言い返した。
「うちの特許技術を盗むために、うちと契約をしたかったんだな。設計図も全てもらっておいて、友人の工場に横流しし、これは自社の開発だと言いはる。おまけにうちへ支払うはずの特許使用料は、すでに3ヶ月滞納。これは元々支払う気なんかなかったんだろう。全部お見通しなんだよ」
それでも黒谷は「自分は悪くない」と言いはる。
「こんな書類送り付けてきやがって」
黒谷は鼻で笑うと、書類の束からサンプル品の分解データの写真を出し、机に叩きつけた。
「おい、ナルセ。はったりはよせ。お前の特許は螺旋状の水路で冷却する構造だろう。だがうちの友人の工場で作らせた最新モーターの冷却水路はな、ジグザグのZ型に曲がっているんだよ。形状が全く違うんだから、特許侵害になるわけがないだろうが」
黒谷は勝ち誇ったように胸を張った。どうやら彼なりに特許をすり抜けるために、友人の工場に指示して見た目の形だけを少し変えさせていたらしい。
「はあ? 形を変えただけで別の技術だと言いはるんですか」
俺が呆れてため息をつくと、その時、池田が奥から出てくる。
「ですね。それで特許侵害を逃れたと? でも……」
「誰だお前」
黒谷が池田を睨み、凄む。
「申し遅れました。私、その書類を送らせていただいた池田と申します」
池田は丁寧に挨拶をした。黒谷は池田と手元の書類を交互に見て、「お前がこの弁護士か」と吠える。池田は静かに笑い、「あなたは決してこの特許侵害から逃れられませんよ」と言った。
「だからここが違うだろうが。何が特許侵害だ。浅い知識で弁護してんじゃねえよ」
黒谷が怒るが、俺はすかさず口を開いた。
「浅い知識を披露してるのはあなたの方ですよ。特許の文面をよく読んでみたらどうですか? 俺の特許は形状や見た目の問題じゃなく、その仕組みそのものだ。水路の形をジグザグに変えようが、水の流れで熱を逃すという仕組みそのものは同じ。その仕組みに特許を取っているんだから、見た目を変えただけでは何の意味もない。だからあんたらが少し形状を変えてZ型にしたところで意味はない。完全なる特許侵害なんだよ」
黒谷は少し動揺したようだが、それでもまだ強気で「何を言っているんだ、そんなはったり」と言いかける。しかしそれを池田が遮る。
「法的な補足をしましょうか」
池田は余裕の笑みを見せながら、この特許が何たるかを黒谷に説明した。
「少しだけ形状を変えたのは、単に特許逃れを狙った悪質な偽装だと、裁判官も一発で見抜きますよ」
黒谷は先ほどよりも焦って「そんな……友人の工場では、こう言えば大丈夫だって……」と口を滑らせてから口を閉じた。
「それに」
俺は黒谷の前でボイスレコーダーを再生させる。
「これ、あなたの声でしょ? あんなに大きな展示会で『特許申請するつもりの我が社の独自構造だ』なんて大きな口叩いてたじゃないですか。大勢のバイヤーの前で言っていましたよ。実際、この構造目当てでサンプル品を購入したバイヤーも多数いるはずです。それくらい魅力的な構造ですから」
どんどん青ざめていく黒谷を、さらに追い詰めるように池田は言った。
「他人の特許を盗んで自分の特許だと偽って宣伝した。これ、裁判でどれだけ悪質だと判断されるか想像がつきますか?」
黒谷の顔はもう真っ青だった。俺は「ようやく事の重大さが分かってきましたか」と声をかける。黒谷は「あ、ちょっと待ってくれ。じゃあ特許使用料を支払う。以前の契約金を支払えばいいんだろう。それでうちはそのままこのロボットの販売ができるし、君には特許使用料が入るしウィンウィンだもんな。そうだ、そうしよう。今すぐ支払わせる」と、まるでいいことを思いついたと言わんばかりに提案してきた。
俺はその提案を一笑に付す。
「何言ってるんですか? あんたはその特許使用料を3ヶ月も滞納した。あの時に支払わず、特許侵害から逃れられないと分かったから今までのことをなかったことにして使用料払うだと? どこの世界にそんなものを許す技術者がいると思ってるんだよ」
池田が隣で頷きながら促す。
「その書類、早く会社に戻って上に見せた方がいいですよ」
「いや、しかし」
黒谷は粘ったが、当然俺は聞く耳を持たない。「お帰りください」と俺が言うと、黒谷は言葉を失ったまま車に乗って走り去った。
その数時間後、池田の元に黒谷の会社の社長から連絡があった。
「黒谷は懲戒解雇する。違約金も支払う。だからどうにか特許使用料の支払いだけで済ませてくれないか」
当然、俺たちは断った。それからわずか1時間後、事務所の扉が勢いよく開き、髪を振り乱した黒谷が飛び込んできた。
「社長! お願いだ! 頼む!」
黒谷はいきなり俺のデスクの前で床に頭を擦りつけた。まさかの土下座だ。あれだけ俺を見下していた男が、今床に頭を擦りつけている。
「社長に書類を見せたら大激怒されて、特許の契約を結び直せるまで会社に帰って来るな。出なければ懲戒解雇で数億円の損害賠償を個人に請求すると言われたんだ。頼む。掃除でもお茶出しでも何でもやる。もちろん給料もいらない。だからどうか考え直してくれ」
俺はそれを鼻で笑った。
「あんた、今まで掃除もお茶出しも部下にやらせてただけですよね。プロフェッショナルならともかく、大して綺麗にもならない掃除を頼む気はないですし、わざわざまずいお茶を出してもらわなくて結構です。それに、人の技術を盗むような人間をここに入れるなんてしませんよ」
「ここをなんとか……」
まだ帰らない様子の黒谷。俺が「お帰りください」と何度言っても帰らないので、池田が黒谷の会社の社長に連絡した。社長は飛んできて一緒に土下座をしてきたが、「次は不法侵入で警察呼びますよ」と言うと、ようやく退散していった。
結局、黒谷は懲戒解雇。その後には裁判で数億円規模の損害賠償を支払う判決が下った。池田によると、黒谷の友人の工場は連鎖的に倒産したそうだ。
「弱企業と切り捨てられたあの日から、今日この瞬間のためにやってきた気がするな」
「持つべきものは、敏腕の親友だな」
俺が池田の肩を叩くと、池田はやりと笑い「悪者は徹底的に退治しないとな」と言った。
「この賠償金があれば、新しい特許製品の開発が続けられる」
俺がそう言うと、池田は「お前さ、今度から特許の管理は最初から俺に任せろ。もちろんその分ちゃんと代金はいただくからな」と笑う。
「そうだな。そうしよう。よろしく頼むよ」
俺も笑った。これからもこのパートナーと共に、特許開発に励んでいこうと思う。



