「桜子、両親との同居か、離婚か。タイムリミットは俺が出張から帰るまでだ」…

「桜子、両親との同居か、離婚か。タイムリミットは俺が出張から帰るまでだ」...

「両親との同居か、離婚か。俺が出張から戻るまでに選べ」

夫からの高圧的な電話が鳴ったのは、新居への引っ越し当日のことだった。脅迫と言ってもいい内容だったが、私には響かなかった。なぜなら、彼はあまりにも無知すぎたからだ。

「えっと、今じゃないとダメかしら。ちょうど慰謝料を請求中なの。あなたの愛人宅で」

私の一言で夫は途端に黙り込んだ。その隙に私はビデオ通話に切り替え、愛人宅の様子が画面に映るようにする。当然、夫側の様子も確認できるようになり、あたふたする夫の間抜け顔とご対面だ。どうやら本気で隠し通せていると思っていたらしい。本当にバカな人だ。ずっと夫の態度に我慢してきたが、今日で終わりにする。

「覚悟してね、ミキさん。必ず地獄を見せてあげるから」

「桜子、お前は何を言ってるんだ?愛人だと?俺に愛人がいるとでも?被害妄想も大概にしろよ」

「被害妄想じゃないわよ。ここのリビング、あなたにも見覚えがあるでしょう」

「そんな場所知っているわけがないだろう。いい加減にしろよ。お前は俺の嫁だ。嫁は黙って俺に従っていればいいんだよ。全く、今すぐに新居に行って荷解きしろ。そんなよく分からないところで油を売っているんじゃねえ」

「よく分からないところじゃないでしょ。ここはあなたもよく知っている愛人の家よ。そして今、愛人に慰謝料を請求中だから、新居の方にはいないの。だから帰れと言われても無理なのよ」

夫の強気な態度に私も負けじと返す。すると電話越しに夫の大きなため息が聞こえてくる。

「はあ、桜子、俺は今出張なんだ。お前の妄想には付き合ってられないんだよ。頼むから俺の言うことを聞け。いいな」

夫はそう言って電話を切ろうとする。その直後だった。

「ミキさ、桜子さんのせいにして電話を切ろうとするんじゃない」

「本当よ。勝手に切ろうとしないで。桜子さんにまずは謝りなさい」

「え、父さん、母さん?」

電話から義両親の声が聞こえてきて、夫を引き止める。まさか彼らが私と一緒にいると知らなかった夫は、電話越しでひどく焦り出した。実は義両親も愛人宅にいて、私のすぐそばに控えてもらっていたのだ。

「どうして父さんたちが桜子と一緒にいるんだよ」

「あら、私たちが桜子さんと一緒にいるのはダメなのかしら?」

「え?いや、別に……」

どう考えても私と義両親が一緒にいることに戸惑っている夫。まあ、夫が戸惑うのも当然だろう。彼は私が従順で何もできない人間だと思っていたはずだから。だが、すでに私は義両親に今回のことを相談しているため、義両親は夫のいびりを知っている。義両親は夫に、私から受けた相談の内容を確認するように話し始めた。

「ミキさ、お前は桜子さんを脅して勝手に同居を決めてしまっていたらしいな。俺たちもお前たちと同居するという話は初めて聞いたんだが」

「えっと、それは……」

「それに、新居の購入も桜子さんに探すだけ探させて勝手に決めたと聞いたし。何よりミキさん、あなた、桜子さんを家政婦と言ってこき使っていたそうじゃない?」

「ま、待ってくれ。何かの誤解だ。俺はいびりなんてしてない。桜子に対して少し強く当たったりしたかもしれないが、それだけだ」

「残念だけど、何を言おうとしても無駄よ。お父さんたちには全て話しているから」

「桜子、お前何を言ってるんだ?どういうことだ?お前、父さんたちに何を吹き込んだんだ?」

「あら、吹き込んだとは失礼な言い方ね。私はただありのままをお父さんたちに伝えただけよ」

そう言って私はこれまでのことを説明する。以前から私は夫の暴言をスマホの録音アプリで録音していた。このことを最初、義両親に相談するかどうか迷ったこともある。でも夫からのいびりに耐えられなくなった私は、証拠を持って義両親に相談し、その時点で全て聞かせていたのだ。最初、私の話だけでは義両親も信じてはくれなかった。だから録音の音声を流し、かっこたる証拠を前にすると、義両親は驚きつつも私の話を信じてくれ、今に至るのだ。

「まあ、論より証拠ってね。あなたも私のことを下に見ていたから無警戒だったわ。だから素行調査で動くことは案外簡単だった。ありがとうね」

私を舐めてくれたことに皮肉を込めて感謝すると、夫は黙り込んだ。義両親という強力な味方のおかげもあって、早々に立場を逆転することができたようだ。夫は観念したように「すまない」と謝罪した。この場で下手なことは言えないと悟ったのだろう。

「出張から帰ったら話をしよう。だから今は……帰ってからにしよう。そう言って、居心地悪そうに言って電話を切ろうとする。それが今の自分にとって最善の策だと判断したようだ。だが、そうはさせない。逃げることも想定済みだ。

「ミキさん、待ちなさい。まだ切らないで」

「なんだよ。何度も言うように俺は出張中なんだ。だから今は忙しいんだぞ」

「まあ、そう言わずに。今あるものを送るから、確認してくれる?」

「は?送る?何をだ?」

私は夫を引き止めた上で、夫のスマホにあるデータを送信した。確認したであろう夫は、いきなり叫び声をあげる。

「な、なんだこれは?」

「あら、あなたにはちゃんと覚えがあるでしょ」

私は夫に送ったデータを義両親にも見せる。直後、彼らも夫と同じように驚愕した。

「さ、お前、この若い子たちは何だ?見つめ合ったり、手をつないだり。どういうことなの?」

「ち、違うんだ。父さん、母さん……」

そのデータとは、夫がパパ活相手の女の子と食事に行っている画像だった。昼夜問わず出歩いている画像にはどれも違う女の子が映っており、夫が仕事をしていないことも明らかである。

「ミキさ、あなた、これお昼の時間帯よね。仕事はどうしたの?」

「仕事は……それに、毎回映ってる子が違うわ。お前は彼女たちと何をしていたんだ?」

「これは出張先の女の子たちだよ。どれも案内してもらったついでに、お昼を一緒にしたんだ」

苦しい言い訳をする夫。だが画像には、仕事関係だとは思えないほど親密な様子が映っている。こんな言い訳が通用するとでも思っているのだろうか。しどろもどろになっている夫を見ながら内心思う。そして私は義両親に真実を告げる。

「実はミキさんは、だいぶ前に会社を退職しているんですよ。そしてこのパパ活をして、若い女を引っかけて遊んでいたんです」

「そんな、嘘でしょ?桜子さん、それは本当なのか?」

「桜子、何を言ってるんだ。冗談はやめろ!」

電話越しに叫ぶ夫。それが事実だと証明していることが、なぜ分からないのだろうか。そう、今まで夫が出張と言っていたのは全て嘘だったのである。いや、最初の頃は本当に出張に行っていただろう。だが、今では夫は私と義両親を騙し続け、若い子を引っかけて遊んでいたのだ。私は改めて、こんな状況になったことを話す。

「そもそもミキさんが私をいびり出した頃、ミキさんの出張が明らかに増えました。さすがにそんな頻繁に出張があるわけがないと不審に思った私は、ミキさんのスマホを確認したんです。本当はダメだと思いましたが。確認すると、パパ活アプリがインストールされているのを発見したんです。そこからは、この写真を見ていただければ分かる通り、ミキさんの行動を監視しました。結果として、ミキさんが仕事をさぼって遊んでいたこと、並びに私たちに黙って退職していたことが発覚したというわけです」

「あ、あんた……ミキさん、お前というやつは。桜子さんを支える夫という立場でありながら、ふざけたことをしているんだな?」

「ち、違う。聞いてくれ。こ、これには訳があるんだ」

「あら、よく出任せが言えるわね」

そう言った私を全員が見てくる。そう、私は見つけたのだ。夫が言い逃れできない決定的な証拠を。ミキさんはパパ活相手の1人と男女の関係になっていた。何人かのパパ活女子とのデートを実行していましたが、そのうちの1人とホテルに一緒に入ったのを目撃したのだ。

「ホテルだと?」

義母が頭を抱え出す。義父も同様に怒りに満ちた表情をしている。

「桜子、お前、俺の知らないところでこそこそと動きやがって。自分が何をしているのか分かっているのか?」

私がここまで行動していたからなのか、もしくは自分の知らない間に調査されていたからか、とうとう夫がぶち切れる。ただ、電話越しに怒鳴られようが、私はもう夫を恐れはしない。

「ミキさ、お前がそれを言える立場か?」

「そうよ。桜子さんに隠れて浮気をしたり、私たちにも内緒で仕事を辞めるなんて、一体どういうことなの?」

それはまさか、義両親がここまで自分のことを全否定すると思っていなかったのか。夫は言葉が出ないようだ。それもそうだろう。浮気に関しては元々こそこそとするようなものだが、仕事を退職し、無職になることを黙っているのはどうかと思う。本来なら私なり義両親なりに相談してもいいはずだ。その相談もせずに、夫は退職していた。正直、私も仕事を辞めているとは思っていなかったのだから。結局、夫は自分のことしか考えていないのだ。

「で、何だ。今すぐその出張とやらから帰ってこい。どうして遊びほうけているだけなんだ」

「い、いや、だから今は……」

「いいから帰って来なさい。お父さんはそう言っているのよ」

「あ、はい……」

義両親は本当にすごいと、この時ばかりは思ってしまう。両親は夫を黙らせると、再度すぐに帰れと大激怒し、私に電話を切っていいと言ってくれた。

1時間後、慌てたように、焦ったように夫が愛人宅へとやってくる。現在、愛人宅には私、義両親、愛人であるルミがいるという状況だ。その状況を見た瞬間、夫は脂汗をかき、口元を引きつらせている。

「さあ、説明してもらおうか」

「もちろん、私たちにも納得のできる説明をしてちょうだいね」

全然笑っておらず、どう見ても大激怒している義両親。私に対するいびりや浮気、退職した理由について夫を問い詰める。

「実は俺さ、会社で成果を上げてスピード出世してたんだ」

義両親の迫力に負けている夫にいつもの勢いはなく、うつむき加減になりながらぽつりぽつりと語り出す。夫の話はこうだ。若いうちにスピード出世をした夫。この時のことは私もよく覚えている。テンション高く私にも報告してくれたからだ。若くして出世をした夫は、周りからの信頼が厚かった。夫もその信頼に応えようと頑張っていたのだ。しかし、夫のスピード出世を良しとしない上司から疎まれてしまい、嫌がらせを受けていたという。最初はただの日頃の恨みだろうと気にしなかったそうだ。だが、夫に相手にされないことがさらに上司を煽ることになってしまったという。日を増すごとに嫌がらせはだんだんとエスカレートしていく。出世したとはいえ、上司に逆らうことができない夫はただ我慢するだけ。嫌がらせがエスカレートするごとに、周りの社員たちは自分たちに火の粉が飛ばないように夫のことを助けず、見て見ぬふりをするようになったらしい。結果的に誰にも相談できずに追い詰められた夫は、自分を保つためにパパ活に逃げたらしい。少しでも若い子に癒やされたかったのだという。しかし、それでもたまった不満を全て吐き出すことができなかったらしい。自分の精神状態を保つために、夫はいびりを始めてしまったという。病院に行くことも考えたらしいが、夫の精神状態がボロボロではすぐに私にバレると思ったらしい。自分が優位に立っていないと気が済まない。夫らしい行動だ。結局、夫は最終手段として、出社しても仕事にならないならと、会社を自主退職したようだ。そんな中、パパ活を通し、ルミと出会ったことで俺は救われた。

「だから桜子、俺はお前と離婚してルミと再婚するつもりだ」

最後にはドヤ顔で打ち明ける。私と義両親は夫のその態度に呆れてしまう。夫には理由があったものの、結局は自分のことしか考えていない。

「お前はそんな理由で桜子さんにいびりをして、さらには浮気をしたのか」

「そんな理由って……上からの重圧がどれほど重くて辛いものか……」

「だからと言って、家を支えてくれる桜子さんをいびるなんて」

義両親は嘆きながら夫の考え方や態度を再度全否定する。それでも彼は認めようとはしない。

「母さん、違うんだよ。父さんなら分かるだろう?」

「そんなものが理由になると思っているのか。ミキさん、お前は結局自分のことしか考えてないじゃないか。本当にどうしてそんな間違った考え方をするようになってしまったんだ」

「仕方なかったんだ。俺だって辛かったんだ」

「さっきから被害者ヅラをしているが、お前のやっていることも会社での嫌がらせと同じだろう。ミキさ、自分のことよりも、桜子さんに謝罪するのが先だ。もし謝罪すらできないなら、親子の縁を切る」

「父さん、待って。勘当されたら俺は……」

「もうお前なんか知らん。自分のことばかりで、桜子さんの気持ちも俺たちの気持ちも何も考えていないことがよく分かった。今後は一切俺たちを頼ってくるな。俺たちもお前には頼らん」

「もうやめてください!これ以上ミキさんを責めないでください!ミキさんは悪くないんです!私が悪いんです!」

何も言えなくなった夫に代わり、今度はルミが土下座する。今まで話を聞いているだけで何もしようとしなかったルミが動いた。突然の行動に夫両親は驚く。私はその様子を見てすっと目を細める。

「お願いです。ミキさんもそれ以上怒らないでください。私が全面的に悪いんです。私がミキさんを誘ったから……」

「お、おい、ルミ……」

「私、ミキさんに奥さんがいるって知っていたの。それでもミキさんのことを好きになってしまって。関係を持ったのも私なんです。だから……本当にごめんなさい」

「そうね。あなたは元々ミキさんと同じ会社で受付事務をしていた子だもんね」

義両親は私の言葉に首をかしげる。私は義両親に浮気の証拠を全て提示しているが、愛人であるルミとどういう経緯で夫と関係を持ったのかまでは説明していないのだ。

「実はミキさんの愛人であるルミさんは、入社当時から年上で頼りがいのあるミキさんに好意を抱くようになったそうです。しかし、ルミは奥手で、夫に話しかけることも気持ちを打ち明けることもできないまま、スカトブさんという会社に転職したようです。どうして転職したかは知らないけどね」

ルミを見ると、彼女が話を引き継いだ。

「えっと、スカトブさんは私の叔父が社長を務める会社なんです。叔父のすすめもあり、私はミキさんへの思いを絶ち切ろうと思って転職したんです」

「ということは、ルミさんはスカトブさんの社長の姪だということ。桜子さんはそこまで知っていたのね」

「そうですよ。それにスカトブさんはミキさんの会社の取引先の1つです。退職するまでの間、ミキさんが担当を務めていた1つでもあります」

義父は大手企業であるスカトブさんのことを知っていたようで、「あのスカトブさんの……」とルミを見て驚いている。

「叔父の会社であるスカトブさんに転職してからは、新しく覚えることも多く、その間にミキさんのことを諦めようと忘れようとしました。でも……」

目を伏せがちにルミは語る。偶然、営業のためにスカトブさんを訪れた夫と再会したルミ。忘れようとしていた気持ちが再度溢れ出し、気持ちを打ち明けようとしたが、夫はすでに私と結婚した後だった。たった数年の間に自分じゃない誰かと結婚したことに希望が打ち砕かれ、本当に諦めようとしたルミ。でも、その寂しさを紛らわせようと登録したパパ活アプリで、夫を発見したという。まさか夫がパパ活に登録しているとは思っていなかったようで、最初は半信半疑であったらしい。だがやり取りをしていく中で夫だと確信したルミは、会うことを決意する。実際に会ってみると本当に夫の姿があったため、ルミが舞い上がったそうだ。しかし、すでに既婚者である夫。体の関係を持つことはダメだと分かっていたが、ルミは私から夫を奪うために浮気を持ちかけたとかす。

「本当にごめんなさい。全部、全部、私が悪いんです。私の心の弱さのせいで、この事態を招いてしまいました」

ルミは泣きながら自分が悪いと土下座と謝罪を続ける。あまりにもルミが聞き入っていたので、義両親は何も言えなくなっていた。義父は難しい顔をし、義母は少し同情の色まで見える。

うまい。まるで役者顔負けの演技ね。ふと夫を見ると、夫もそんなルミの姿を見ながら感嘆している様子だ。よくもまあ、こんな茶番を作り出すことができたなと内心思う。本当に笑えてしまうほどに技巧的だ。

「色々と説明してくれてありがとう。本当に面白い演説だったわ」

私がルミを馬鹿にしたように笑いながら言う。その場にいた私以外の全員が、笑い出した私に戸惑っている。

「何ですか?どうしてそんなに笑うんですか?まさか、ルミが嘘を言っているとでも思ってるの?」

「ええ、もちろん。よく口が回るから驚いたわ」

「ルミは嘘なんかついてません!」

「そこまで言うなら仕方ないと思い、私は写真の束を取り出し、ルミに投げつける」

「これはルミ、これは一体何だ?」

その写真を見てルミが絶句する。夫も写真を拾い上げ確認した途端、衝撃を受ける。写真に写っていたのは、嫌がらせをしていたという上司だ。

「どうしてこんなものが……桜子さん、あなたが素直に認めたら、こんなもの出さずに済んだんだけどね」

ルミは言葉に詰まり、私を睨みつけ拳を握りしめていた。実はルミは、夫の会社の上司と今も繋がっている。それはルミが上司の弱みを握ってこき使っている証拠だ。

「ルミは夫を自分のものにするため、上司に嫌がらせをするよう指示を出し、夫を精神的に追い詰めた後、弱った夫に接近したのである。なんと手の込んだことではあるが、そこまでして夫を手に入れたかったのだろう。結果として、何も知らないあなたは、ルミが救ってくれたと未だに勘違いしているというわけよ」

「そんなの嘘だ!」

「これだけ証拠が揃っているのに、今更私が嘘を言うとでも?どう見ても彼女の自作自演なの。あなたはそれに騙されているの」

「嘘だ!ルミがそんな俺を騙すようなことするはずがないだろう!なあ、桜子、お前はどこまで俺をコケにすれば気が済むんだ!」

しかし、夫は私の話を信じることができないようだ。食い気味に「ルミはそんなことをしない」と言い続けている。恋は盲目とはこのことを言うのかしら。なんて暢気に考えてしまう。

「だったら、彼女に直接聞いてみなさいよ。私の話が本当か嘘か。彼女に聞きなさいよ。ルミ」

「だよな。お前はこんなことしてないよな?」

夫はルミに事情を確認しようとするが、ルミは夫から視線を外し、うつむいて沈黙してしまう。何も答えないルミに、夫はそれを肯定と見なし、膝から崩れ落ちる。

「そ、そんな。嘘だろ……」

「これで分かったでしょ?騙されていたとはいえ、あなたはやってはいけないことをした。だからミキさん、あなたの最初の選択に答えるわ。私はあなたと離婚することを選ぶ。そしてあなたにも、そこにいるルミさんにも、慰謝料を請求させてもらうから」

私は崩れ落ちたままの夫に、改めて離婚を宣言というより、最初の夫の選択に答えただけだ。しかし顔を上げようともしない夫。放心状態のため、今の話が耳に入っているのかさえ分からない。すると、私が離婚を宣言したことでルミは開き直ったのか。突然立ち上がると、私を罵倒し始める。

「うるさい!うるさい!さっきから聞いていれば何なのよ。ミキさんを攻め立てるようなことばっかり言って。あんた、本当にミキさんの奥さんなわけ?」

「ええ、そうよ。今はまだね」

「信じられない。やっぱりあんたより先に私がミキさんと結婚するべきだった。私こそがミキさんの横に立つにふさわしい女なの。あんたが邪魔をするから、こんなことになるのよ。ただの専業主婦のくせに、私に向かってこないでよね」

ルミの言葉に、夫は感動したのかいつの間にか顔を上げており、その目には涙を浮かべ、喜んでいるようにも見える。まるでルミを女神だとでも崇めるかのように。息を切らせて睨みつけてくるルミに私も反論する。

「だからって、手の込んだことをしてくれるじゃない。人の夫を奪いたいからってことを」

「だって、私はあなたよりミキさんのことを愛しているの。そのためにあの上司を利用しただけに過ぎないわ。ミキさんの横に立つためなら、あんな奴を手玉に取ることなんて簡単なのよ」

ドヤ顔をしながら言う。好きな人のためならってやつかしら。私から夫を奪うためだけにこんなことをするなんて正気の沙汰じゃないわ。本当に吐き気がする。

「ミキさんと離婚するのは私の中では決定事項なの。だから、好きにすればいいわ」

「へえ。好きにさせてもらうわよ。いつか後悔するでしょうけどね」

「それはこっちのセリフよ。今までミキさんの相手をありがとう。これからは私があなたの分までミキさんと愛し合うから。くれぐれも私たちの幸せを邪魔しないでね」

ルミは悪びれもせず捨てゼリフを残し、夫を強引に引きずって新居へと向かってしまう。本来なら私と夫、そして義両親が住む予定だった新居に、ルミと夫を見送る。ルミの家に取り残された私と義両親。2人の姿が見えなくなると、義両親は夫の代わりに勢いよく頭を下げて謝罪してくれる。

「桜子さん、本当にごめんなさい。こんなことになってしまうなんて……。ミキにはきっちりと慰謝料を払わせるから、心配しないでくれ」

どこか決意のこもった目で見てくる義両親。私はそんな義両親の気持ちに感謝しつつ、

「大丈夫です。もう手は打ってありますから」

と、見えなくなってしまった2人の方を見て不敵に笑う。そう。これからがあの2人にとって本当の地獄が始まるのだ。

数日後、夫から鬼電がかかってくる。想定通りだと思いながら、私は電話に応答した。

「おい、桜子、一体どうなってるんだ?」

「何のことかしら?」

「ここに、出るんだが。俺は聞いてないぞ!」

私はああ、気づいたんだと思いながら、焦りまくった夫からの話を聞く。夫が出ると言ったのはもちろん幽霊のことだ。実は私が見つけ、夫が購入した一軒家は事故物件だった。夫は昔から霊感が強いらしい。それを知っていた上での家探しをしていた。そのため、まともに住むことができず、夫は焦りまくっているというわけだ。そんな彼を見ながら、「まあ、あの家は本当に出るって不動産屋が言ってたしね」と電話越しに笑顔になる私。元々私は新居を見つけても、すぐに夫と離婚すると決めていた。だから最後の仕返しとして事故物件を選んでおいた。ちなみに、なぜ夫が知らなかったかと言うと、私を家政婦扱いし、面倒なことは全部丸投げだったからだ。新居に住むと言い出したくせに、家探しすらも私に押し付けていた。だから疑われることもなかったというわけだ。

「おい、何とかしろよ。お前がこの家を見つけてきたんだろ」

「そんなこと言われても、何も確認しなかったのはあなたで、最終的にその家に決めたのもあなたなのよ。だから私のせいじゃないわ」

強く反論する私に、夫は電話越しに黙り込む。

「あなた自身が事故物件そのものなの。だからあなたみたいな人にはその事故物件がぴったりですね」

「さ、桜子、お前と仲良く地獄に落ちなさい」

「待ってくれ。もう1つ聞きたいことがあるんだ」

「何かしら」

「お前、ルミがどこに行ったか知らないか?実は少し前から帰ってこないんだ。連絡しても返事が返ってこないし、電話も繋がらないんだ」

どうやらルミが夫の前から姿を消しているようだ。電話越しの夫は焦りまくっているが、私からすればそれも想定内である。

「ここまで来ても、あなたは自分が騙されていたと気づかないわけ?ルミがそんなことするはずないでしょう。あなたの頭は本当におめでたいよね」

そう言って、私は夫に真実を告げる。実はルミには、夫の他に本命の男がいること。そしてその本命の男とは、夫と同じ会社にいた夫の後輩であると告げる。

「は、嘘だろ?俺の後輩だと?」

「残念だけど本当よ。ルミはあなたの後輩の1人に熱を上げていたの。実はルミが言っていた、夫のことを前々から好きだったとか、スカトブさんの社長の姪だという話は全部嘘。ルミがあの場ででっち上げた話なのである。だからあの時、私は面白い演説だと言ったのだ。ルミは本命の男であるあなたの後輩と示し合わせ、上司と一緒に他の部下にも圧力をかけてみきさん、あなたに嫌がらせさせていたのよ」

「そんな馬鹿な……」

「ルミの本当の目的は、その後輩君を出世させるため、上のポストへ上がったあなたを追い出すことだったのよ。どう、理解できたかしら?」

「ふざけるなよ!知っていたのなら、なぜあの時言わなかった!?」

「言うわけないじゃない。あの時私は真実しか言ってなかったのに、あなたはルミを信じて私を信じなかったのよ。そんな人に言ったところで、信じるわけがないと思うに決まってるでしょ。それにルミのことに関しては探偵事務所にも依頼してるから、確かな情報なのよ」

「だからって、俺に隠れてそんなところにまで手を伸ばしていたのか」

「当たり前じゃない。そうでもしないと、あなたは納得しないでしょうからね。嘘だと思うなら、証拠の写真と調査報告書をあなたのところに送るわよ」

「嘘だ……ルミはそんな……」

「さ、桜子、お願いだ。助けてくれ。俺はこれからどうすればいいんだ?」

「そんなのあなたの自業自得じゃない。あなたは自分で私よりもルミを選び、浮気をした。自分のことばかり考えて行動した結果がこれなの。今更助けてくれなんて言われても、助けないわ」

「それはそうだ。今からでもやり直さないか?お前もこのまま1人になるのは嫌だろ?」

今更よりを戻そうとしてくる夫。どれだけ自分のことしか考えていないのだろうか。本当に腹が立つ。

「そういうところが嫌だって言ってるのよ」

「桜子、お願いだ……」

「あなたとの関係はもう終わったの。私と義両親を騙したことを、一生後悔しなさい」

電話越しに泣き言を言ってくる夫に強く告げて、電話を切る。これ以上もう関わりたくない。あんな人が一時でも私の夫だったなんて思いたくないのだ。

その後、元夫は事故物件に住み続けることはできないとして新居を手放すが、多額の借金が残ってしまう。もちろん私への慰謝料を払う必要もあるので、心身共にボロボロになっていく。そんな状況のせいか、当然のごとく元夫の再就職もうまくいかない。働き口が見つからない元夫は、ギリギリの生活を送ることになっていた。元夫は私に後悔と反省のメールを送り、復縁を迫ってくる。あの日もやり直そうと持ちかけたのを断っているというのに。ここまで来ても自分のことしか考えられない元夫に、私は呆れるしかない。呆れつつも、私は元夫が地獄に落ちる様を見届けるため、あえてブロックせずにいる。気が向けば返信をするが、それ以外は基本既読スルーだ。

一方、ルミの方もボロボロになっていた。なぜなら、ルミの本命の男も、ルミを使い捨てるつもりで利用していたのである。本命の男である後輩は、元夫のことが入社当初から気に入らず、どうにかして出世コースから元夫を外したかったらしい。その時、受付事務をしていたルミに好意を持たれ、元夫を引きずり下ろす計画を思いついたようだ。念入りに計画を立て、実行に移す。その後、ルミのことが感じづかれないように転職させたらしい。しかし、後輩は後輩で、今回のことが会社にバレてしまい首になる。同時に、元夫に嫌がらせを主導していた上司も、悪事がバレて社内で白い目で見られ、自主退職したそうだ。結局、全員が自業自得で因業応報という結果になった。本当にこんな綺麗にことが進んだことには驚きねえ。うまくいけばとは思っていたが、ここまでうまくいくとは正直思っていなかったので、本当に驚きだ。

全てが落ち着いた頃、私は新居に引っ越した。その後、味方になってくれた義両親にお礼を伝えに行く。

「お父さん、お母さん、この度は本当にありがとうございました」

「いや、こちらこそ……本当に迷惑をかけてすまなかった」

「いえ、これも人生経験の1つだと思うことにしますので、気にしないでください」

義両親は最後まで渋い顔をしていたが、彼らに恨みなどない。私の味方になってくれたことに感謝しかなかった。

「桜子さん、あなたのこと、本当の娘だと思っているの。戸籍上では親子ではなくなったけど、いつでも頼ってほしいわ」

「お母さん……」

「だから、たまに一緒にお茶でもしましょう」

義母の言葉に、私は笑顔でうなずく。元夫やルミのように、自分のことだけを考えて人を傷つけてはいけない。義両親のように、人を思いやり、人のために怒れるような、優しい人間になりたい。私はそう思い、一歩を踏み出すのだった。

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