「おめでとう。この度あんたの首が決定した」
新社長はそう言って、私に向かって嫌味ったらしく拍手をした。引退した前社長の代わりにやってきた高田社長。初対面の時から私を「年寄り」呼ばわりしていた男だ。まさかここまで露骨に、私を追い出すための行動に出るとは思わなかった。
「俺の娘が近日中に帰国して、この会社に入社することになってるんだ。社長の娘だ。それ相応のポストを用意してやらんことには、さすがに格好がつかないだろう」
私はアパレルブランドを展開する会社でデザイナーをしている。服を作ることが好きで、この業界で長く経験を積み、様々な会社を渡り歩いてきた。今の会社は規模こそ大きくないが、ここ数年の業績は安定していて、新店舗展開の計画も着々と進んでいた。
そんな中、私をこの会社へ誘ってくれた前社長が病状の悪化で退任することになった。後任としてやってきたのが、この高田社長だ。前社長が丸く柔らかい空気をまとう人だったのに対し、高田社長は真逆。その貫禄のある体から滲み出すのは、周囲を威圧する傲慢さだ。
就任挨拶の場で、彼は早くもとんでもないことを言い放った。
「お前らが今この会社で呑気に働いていられるのも、俺のおかげだ。お前ら全員、俺に感謝しろ」
社員たちは困惑し、顔を見合わせる。しかし高田社長は鼻で笑い、吐き捨てるように続けた。
「どうやらここの社員は、前社長とよく似た性質の人間ばかりのようだな。どいつもこいつも平和ボケした顔しやがって。いいか?俺が来たからには、しっかり働いてもらうからな」
初日からこの不穏さ。私は思わずため息をつきそうになった。だが、納期は待ってくれない。私はデザイナー室の最年長として、明るく声をかけた。
「さあ、皆さん。仕事をしましょう。新店舗用のデザインが上がった人は、私の方まで提出してくださいね」
すると、それまで頼りなさそうだった部下たちが、見る見るうちに引き締まった様子へと変わり、テキパキと手元を動かし始めた。私も負けていられないと、目の前の仕事へ向き合った。
しかし、それから数日後。高田社長がデザイナー室の視察に現れた。彼はおざなりに周囲を眺めると、やがて変な生き物でも見たかのように首を止め、私をじろじろと睨みつけてきた。
「おい、一人だけ年行ってる。そこのじいさん」
「私のことでしょうか?」
首をかしげて手元の作業を止めた私に、高田社長は馬鹿にしたように見上げてくる。
「そう。そこのあんたよ。この場にじじいなんて一人しかいないだろうが。あんた本当にデザイナーなのか?ここの清掃員とかじゃなくて」
完全に見下した物言い。不快感を覚えながらも、私は冷静に答えた。
「ええ。小野と申します。前社長に声をかけていただき、デザイナーとして5年ほどこちらで務めております」
「はっ、本気か?こんなじいさんがデザイナーとか名乗ってていいのか?自分たちが着る服をデザインしてるのがこんなじいさんだって知ったら、客も嫌がるってもんだろう。服が先行臭くなるじゃないか」
うちのアパレルのターゲット層は、主に30代から40代のミドル世代だ。確かに私の年齢はその層と合致しているとは言いがたいかもしれない。だが、それにしても、社長自らが客を「客」と呼び捨てにしていると知られた方が、よほど嫌がられると思うのだが。
何も言い返せずに黙っていると、高田社長は興味を失ったように肩をすくめ、つまらなそうにその場を去っていった。
周囲にいた部下たちが、私より先に怒りをあらわにする。
「何ですかあの言いよう!小野さんに向かってじいさんだなんて、失礼にも程があるわ!」
「私は大丈夫ですよ。私たちが気にすべきは、お客様のことですから」
私たちの会社の信念は、日々忙しく過ごされるお客様一人ひとりに、そっと寄り添える服作り。より消費させる商品ではなく、お客様のクローゼットや記憶にいつまでも残していただける商品作り。前社長のその考えに惹かれて、私はここへの入社を決めたのだ。
高田社長のことは気がかりだが、デザイナーが不真面目に仕事をしていれば、それはお客様にも伝わるもの。どうにかこれ以上の軋轢が生まれませんようにと願うばかりだった。
だが、そんな願いも虚しく、高田社長の言動は日に日にひどくなっていく。社員たちを「仕事が遅い」「レベルが低い」とあざ笑う。それにうんざりして、自ら会社を去る者もちらほら出てきた。一方で、高田社長に媚びを売って、自分だけ取り入ろうとする者も現れ、車内の雰囲気は悪化の一途を辿っていた。
幸いデザイナー室にはまだ退職者は出ていなかった。だが、私たちがしているのは応急処置に過ぎない。これは誰かが辞めるのも時間の問題かもしれないと、私は危惧していた。
そんなある日、私は高田社長に社長室へ呼び出された。何の用だろうかと警戒しながら入室すると、彼は落ちた獲物でも見るかのような顔をして、口を開いた。
「俺には娘がいるんだが、その子は今海外でファッションの勉強をしてるんだ。親の俺が言うのもなんだが、才能のある子でね。あちらでもデザイナーとして早くも認められているという話だ」
「それは素晴らしいですね」
話の趣旨が分からないまま、私はそう相槌を打った。すると、高田社長はにやりと笑って続けた。
「そう。本当に素晴らしい娘なんだ。でな、この話には続きがあるんだが……」
そう言っていかにも意味ありげに言葉を切った彼は、困惑する私の視線を存分に受けて、やがて楽しそうに頬を歪ませた。
「おめでとう。この度、あんたの首が決定した」
パチパチと乾いた音が社長室に響く。彼は含み笑いながら、私に向かって拍手をしている。
「実はな、俺の娘が近日中に帰国し、この会社にデザイナーとして入社することになってるんだ。社長の娘だ。それ相応のポストを用意してやらんことには、さすがに格がつかないだろう」
「……わかりました。それでは、私はこの会社を退職いたします」
「おお、やっと分かってくれたか。ああ、清掃員でならまた雇ってやってもいいから、その時は遠慮せず連絡してきなさい」
私は静かな口調で告げ、最後まで嘲笑の言葉を吐いてくる社長を背に、会社を立ち去った。
翌日。デザイナー室の部下たちは、私の退職を知って騒然とした。
「俺、小野さんがここを辞めるんなら、一緒に辞めます!」
「私も!あんなバカ社長の下では働けません!」
「皆さん、落ち着いてください。皆さんのお気持ちはありがたく感じています。ですが、どうか軽率なことはせず、自分自身がどうしたいのか、よく考えてくださいね。他でもない、自分のことですから」
そう言うと、彼らはしんと肩を落とした。
退職日当日。高田社長が珍しくデザイナー室へ顔を出した。その横には、見慣れない女性が立っている。顔が高田社長とよく似ているので、きっと彼の娘だろう。
「今日は俺の娘を紹介する。来月からこのデザイナー室への配属となる。娘も日本で早く働きたいからと、急遽帰国してくれた。我が娘ながら、その熱意には敬服する。みんなも見習うように」
紹介の後、彼の娘が一歩前に出た。
「どうぞよろしく。つまらない自己紹介より、早速私の仕事ぶりを見ていただいた方が早いかと思って、今日は私のポートフォリオを持参しました」
娘は自信満々に、こちらにポートフォリオを渡してくる。だが、それを見た私たちは一様に困惑してしまった。
なんというか、全てにおいて素人くさい。とても海外留学までして勉強したとは思えない出来だ。これならまだ専門学校に通う学生の方がよほどいいデザインを書く。確か海外の賞でも認められているという話だったのに、一体これはどういうことだ。
高田社長とその娘だけは、やたら鼻高々な様子で笑い合っている。
「ほら、お前の才能にみんな黙ってしまったぞ」
「まあ、パパったら褒めすぎ。でも私も時々、自分の才能が怖くなるのよね」
なんともまあ、ある意味怖いものなしの親子だ。きっとセンスも性格も顔も、この娘は父親から正しくそのまま受け継いでしまっているのだろう。
やがて、娘は私の方を見て言った。
「あ、あなたが噂の小野さんね。今日で退職するんですってね。あとは私に任せて、安心して穏やかな老後を過ごしてくださいね」
ずっと父親から、あることないこと聞いているのだろう。私は何も言わず、ただ「よろしくお願いします」と頭を下げて、そのまま会社を去った。
事が動いたのは、その翌日だった。私のスマートフォンに、高田社長からしつこく着信がある。仕方なく応じると、開口一番、彼は待ってましたとばかりに怒鳴り散らす。
「おい!絶対お前が何か言ったんだろう!」
苦労して聞き出した内容によれば、どうやら今朝方、デザイナー室の全員が示し合わせたようにして退職届を出したのだという。
デザイナー室の部下たちは、私と仕事がしたいからあの会社にいた人間が大半だった。そして私に一度は釘を刺されたものの、やはり私がいないのであればこの会社にいる意味もないという考えに至ったらしい。それを退職理由として高田社長に述べたようだ。
「一体どういうことなんだ?お前、何者だ?」
何者も何も、私は特に堂々と名乗れるほどの人間ではない。だが、実はデザイナーとして世界的な賞を受賞したことがある。それからはフリーのデザイナーとして様々な会社と仕事をしてきたのだが、そのこともあって若いデザイナーたちは何かと私を慕ってくれているようだった。会社では上がってくる全てのデザインに目を通し、製品化するデザインの最終チェックは全て私に任されていた。つまり、あの会社で現在扱っている商品のデザインは、基本的に私が生み出したものだけで構成されているのである。
「いいからあいつらを呼び戻せ!お前の言うことなら聞くんだろう。なら責任持ってお前が説得しろよ!」
暴言無礼とはまさにこのこと。自分から私を辞めさせておいて、随分と勝手なことを言ってくる。さすがに我慢の限界を超えた私は、その言葉にシャキッと切り返した。
「私はあなたに首にされた人間です。それを今更ああしろこうしろとは、虫がいい話ですね。それに、後のことはあなたの娘さんにお任せしてありますので、どうぞご自分たちでなんとかしてください」
電話の向こうではまだ何事か叫んでいる気配がしたが、私はもう構わず一方的に電話を切った。
その後、あの会社の業績は一気に悪化した。優秀なデザイナーたちが揃って辞めたことで、実質会社に残ったデザイナーは高田社長の娘一人。彼女のデザインしたものをそのまま商品化したものの、どれも売れ行きは散々だったからだ。また、新しいデザイナーを雇おうにも、私を無理やり辞めさせたという噂が業界に広まり、高田社長がやり玉に挙げられたため、応募しても誰も集まらない状態らしい。新規出店も全て取りやめになり、他店舗展開の計画は完全に頓挫してしまった。
そんな中、またしても高田社長から着信があった。しぶしぶ応じると、今度は怒鳴り散らすのではなく、存在感は隠しきれない口調で会社へ戻ってこいと訴えてくる。
「娘も頑張っているが、まだ若く経験も浅い。あんたがいれば、娘のサポートができるだろう。給料なら前の2倍は出す。どうせあんたもう辞めて暇なんだろ?戻ってこいよ」
こういう状況になってさえ、何が何でも自分を上の立場に置きたいのが見え見えだ。私は呆れて、ため息しか漏れなかった。だが、このままでは向こうも執拗に絡んでくるだろう。私はごく冷静に事実を伝えた。
「実は私、この度新たなアパレルブランドを立ち上げることとなりまして。そちらの会社を辞めたデザイナーたちと一緒に、新会社も作りました。ですので、あなたの誘いには乗れません」
電話口で、高田社長が間の抜けた声をあげた。どうやらこちらのことは初耳だったらしい。それなりに業界では話題になっていたのだが、もしかして高田社長はアパレル業界について情報に疎いまま、ここまでやってきたのかもしれない。あの親子は、自分たちのことだけにしか興味を持っていなかったようだ。私は今度こそ呆れ果てて、それきり電話を切り、彼の番号を着信拒否にした。
その後、あの会社は転げ落ちるように負債を抱えて倒産の危機に瀕した。当然ながら高田社長はその責任を取らされ、社長を辞任。彼は本社の会社にも戻ることを許されず、そのまま娘と二人、どこかへ姿を消してしまったという。
一方、私はデザイナーたちと一緒に立ち上げた新会社が世間にも好評で、この度他店舗展開も視野に入れた計画が持ち上がっていた。その新店舗候補地として上がったのは、なんと以前あの会社が自社店舗候補地としていた場所と同じだった。
実は私は新しく会社を作る前、今は自宅で静養を続けている前社長の元を訪ねていた。そして、これまでの経緯と、元部下たちと新しいブランドを立ち上げるということを話した。
「せっかくあなたに声をかけていただいた会社だったのに、こういう結果になってしまい、申し訳ありません」
深く頭を下げた私に、前社長は穏やかに笑ってくれた。
「いいんだ。たとえ会社という場所がなくなろうと、私の信念は君たちがちゃんと引き継いでくれる。それだけで、私はとても幸せだよ」
温かく背中を押してくれるようなその言葉に、私は心から感謝した。前社長の信念は、今も私の、そして仲間たちの胸にある。信じてついてきてくれた彼らにも最大級の感謝を捧げ、私はこの足が動く限り、この業界の一線で働き続けようと改めて心に誓ったのだった。



