金曜の夜8時、いつものようにインターホンが鳴った。息子夫婦が大型バッグを抱えて立っている。週末の無料ホテル扱いされること、もう何ヶ月も続いていた。先週、台所で洗い物をしていた私は、リビングから聞こえてきた息子夫婦の会話に耳を疑った。「母さん、早く相続できればいいんだけどな」。息子は笑いながら、私が死んだ後の家を賃貸に出す計画を話し、嫁は「お母さんの料理、塩分多すぎて体に悪そう」と言った。38…

金曜の夜8時、いつものようにインターホンが鳴った。息子夫婦が大型バッグを抱えて立っている。週末の無料ホテル扱いされること、もう何ヶ月も続いていた。先週、台所で洗い物をしていた私は、リビングから聞こえてきた息子夫婦の会話に耳を疑った。「母さん、早く相続できればいいんだけどな」。息子は笑いながら、私が死んだ後の家を賃貸に出す計画を話し、嫁は「お母さんの料理、塩分多すぎて体に悪そう」と言った。38...

金曜の夜、息子の怒鳴り声が私のスマホから響いた。思わず小さく笑ってしまったのは、この日を迎えるまでが長かったからだ。午後8時、我が家のインターホンが鳴った。モニターに映る見慣れた顔を見て、私は深いため息をついた。「母さん、俺たちだよ。今週も来たから開けて」という洋介の声に続き、ゆいさんも明るく言う。「お母さん、お世話になります。今週もよろしくお願いします」。3歳の孫を抱いたゆいさんの隣には、大きなボストンバッグを二つも持った洋介が立っている。まるで長期旅行に出かけるような大荷物だ。

私は玄関に向かいながら心の中でつぶやいた。先週も、その前の週も、そのまた前の週も。いつの間にか、我が家は彼らの週末限定の無料ホテルになってしまっていた。ドアを開けると、当然のような顔をした息子夫婦がズカズカと上がり込んでくる。「ああ、疲れた。母さん、晩御飯まだでしょ?腹減っちゃって」。私は何も言えず、ただ立ち尽くすしかなかった。

私は坂木原恵、65歳。長年パティシエとして働き、5年前に定年退職した。夫は10年前に病気で亡くなり、今は一人暮らしだ。息子の洋介は一人っ子で、私たち夫婦はこの子のために全てを捧げてきた。小学校から大学までの教育費だけで1200万円。就職活動ではスーツ代や交通費、セミナー受講料などで200万円を援助した。洋介が結婚するときは、結婚資金として300万円を渡した。式場で彼は涙を流して言ってくれた。「母さん、本当にありがとう。母さんがいてくれたから俺は幸せになれた。これからは俺が母さんを支えるから」。ゆいさんも優しく寄り添ってくれた。「お母さん、これからは家族としてよろしくお願いします」。あの頃は本当に幸せだった。息子夫婦が近くのマンションに住み始め、これから楽しい日々が待っていると信じていた。

しかし、結婚してから息子の態度は180度変わってしまった。最初は月に1回程度の訪問だったが、次第に頻度が増え、やがて毎週週末になるようになった。「実家なんだから遠慮なんていらないよね」と言って、洋介は金曜日の夜に必ず現れるようになった。しかも日曜の朝まで滞在するのが当たり前になっていく。ある時、私は恐る恐る聞いてみた。「陽介、毎週来てくれるのは嬉しいけど、マンションのお家は大丈夫なの?」すると彼は不機嫌そうに答えた。「何言ってるの?実家に帰って何が悪いの?母さん、俺たちが来るのが迷惑なわけ?」「そんなことは言ってないわ。ただお金もかかるし」と言うと、「お金?母さん、俺たちマンションのローンで大変なんだよ。実家に来るくらい、いいじゃん」と。ゆいさんも横から口を挟んだ。「そうですよ、お母さん。私たち本当にカツカツで生活してるんです。実家があるって本当に助かります」。

その日から我が家は彼らの第二の家になった。金曜日の夜8時、決まってインターホンが鳴る。大きな洗濯物の袋を抱えてやってくるゆいさん。「お母さん、洗濯機使わせてくださいね。うちの洗濯機調子悪くて」。冷蔵庫を勝手に開けて中身を物色する洋介。「ビールないの?あ、これもらうね」。私が1週間分の食材として買っておいたものが、週末の3日間であっという間になくなる。朝食、昼食、夕食、そして夜食まで全て私が用意し、もちろん費用も私持ちだ。「お母さんの手料理本当に美味しいです」と言いながら、ゆいさんは遠慮なく大盛りをよそう。陽介に至っては「母さん、豚とから揚げがいいな。あと刺身も食べたい」と、まるでレストランに注文するような口調だ。

孫の世話も全て私の仕事になった。おむつ替え、お風呂、寝かしつけ。その間、洋介はリビングでテレビを見ながらビールを飲み、ゆいさんはスマートフォンをいじっているだけだ。「お母さん、リクのおもちゃ、新しいの買ってもらえませんか?お友達が持ってて欲しがってるんです」と言われ、断ると機嫌が悪くなるので、仕方なく買い与える。1つ5000円、1万円するおもちゃが毎週のように増えていった。光熱費も跳ね上がった。エアコンは1日つけっぱなし、お風呂は何度も沸かし直し、洗濯機は1日に3回も回る。「実家って最高だよな。何も気にしなくていいし」という洋介の言葉を聞いて、私は愕然とした。彼らにとって、我が家はただの無料施設でしかないのだろうか。

ある日、私は決意して家計簿を見せた。「陽介、見てちょうだい。あなたたちが来るようになってから、月の出費が15万円も増えているの」。洋介はバカにしたように笑った。「大げさだな、母さん。そんなにかかるわけないでしょ」「でもこれが現実なのよ。食費が8万円、光熱費が3万円、孫のおもちゃや日用品で4万円」。「母さんさ、お金のことばっかり言うのやめてくれない?俺たち家族でしょ?家族がお金の話なんてみっともないよ」。ゆいさんも冷たく言い放った。「お母さん、私たちだって大変なんです。洋介さんのお給料だけじゃとても生活できません。実家があるからなんとかやっていけてるんです」。私は何も言い返せなかった。家族だから、そう言われてしまえばそれまでだ。でも私の年金生活も決して楽ではない。夫が残してくれた貯金を切り崩しながら、なんとか生活しているのだ。

ある日、台所で洗い物をしていると、リビングから洋介たちの会話が聞こえてきた。それは私の人生観を根底から覆すような内容だった。「ねえ、洋介さん、この家本当に便利よね。お金もかからないし、家事もしなくていいし」。ゆいさんの声は、いつもの猫なで声とは違い、どこか冷たい響きがあった。「そうだな。週末はここで過ごすのが一番楽だよ。食費も浮くし、光熱費もかからない。月に15万は節約できてるんじゃないか」。そして、衝撃の言葉が続いた。「でもさ、お母さんの料理、正直言って味が濃いのよね。塩分多すぎて体に悪そう。それに盛り付けも古臭いし」。「まあ、ただだから文句は言えないけどな。でもこの家も相当古いよな。昭和の匂いがプンプンする」。「本当よね。インテリアもダサいし。カーテンとか絶対に30年は変えてないでしょ。私だったら全部リフォームするわ」。

陽介が大きなため息をついた。「リフォームか。それもいいな。この立地なら綺麗にすれば結構いい値段で貸せるぞ」。「え、貸すの?」「ああ、母さんがいなくなったらの話だけどな。相続したら速攻でリフォームして賃貸に出す。月に10万は堅いよ。この辺りの相場なら」。私の手から、洗っていた茶碗が滑り落ちそうになった。なんとか堪えたが、心臓が激しく脈打っている。「でもお母さん、まだまだ元気そうよ」とゆいさんが言うと、「そうなんだよな。正直早く相続できればいいんだけど」と洋介。「陽介さん、それはちょっと…」「冗談だよ。でもさ、この家を維持するのも大変だろうし、母さんには早めに老人ホームにでも入ってもらった方がいいかもな」。「それがいいかも。私たちが二世帯で住むって手もあるし」。「いや、それは面倒くさい。母さんの世話なんてしたくないし。金は出してもらうけど、面倒は見たくないってのが本音だよ」。ゆいさんが小さく笑った。「洋介さんって本当に正直ね。でも確かにお母さんの介護とか考えたくないわ。今でさえ古臭い話ばっかりで疲れるのに」。「そうそう。昔の自慢話とかもう聞き飽きたよ。パティシエだったとか、どうでもいいっての」。

私は震える手で蛇口を閉めた。涙が溢れそうになったが、必死でこらえた。38年間、お菓子作りに情熱を注いできた私の人生を「どうでもいい」と言われてしまったのだ。「あ、そうだ。来月の母さんの誕生日、何かしなきゃいけないかな」と洋介。「え、面倒くさい。適当にケーキでお茶を濁しておけばいいんじゃない?」「そうだな。プレゼントとか期待されても困るし。俺たち金ないからさ」。毎週末、我が家で15万円分のただ飯を食べている人たちが、よくもそんなことを言えるものだ。「でもさ、洋介さん、お母さんって結構お金持ってるんじゃない?この家だってローン終わってるし、年金もあるでしょ」。「あ、父さんの遺族年金もあるはずだ。貯金も結構あるんじゃないかな」。「じゃあ、もっと援助してもらってもいいんじゃない?孫の教育費とか言えば出してくれそう」。「それいいな。孫のためにって言葉に母さんは弱いから」。2人の笑い声が響いた。

その瞬間、私の中で何かが音を立てて崩れていった。これまで我慢してきたこと、尽くしてきたこと、全て無意味だったのだろうか。息子にとって私はただの金づるでしかなかったのか。私は静かに台所を離れ、自分の部屋に向かった。もう終わりにしよう。そう心に決めた瞬間だった。

翌日の月曜日、洋介たちが帰った後、私は早速行動を開始した。まず向かったのは近所の鍵屋さんだった。「すみません、家の鍵を交換したいのですが」。工事は水曜日に行われることになった。次に向かったのは家具屋さんだ。ゲストルームにあったベッドと布団一式をすべて処分することにした。部屋を物置きにしてしまえば、もう泊まることはできない。家に戻ると、私は冷蔵庫の中身を確認した。いつも金曜日に備えて満杯にしていた食材を、今週は最小限にすることにした。ビールも買わない。陽介の好物も用意しない。そして、一番重要な準備を始めた。金曜日の夜、私はこの家にいないことにするのだ。旅行会社のパンフレットを広げ、温泉旅行を予約した。2泊3日の小旅行だが、十分だ。金曜日の午後に出発し、日曜日の夜に帰ってくる予定にした。自分へのご褒美で、久しぶりに心から笑みがこぼれた。

木曜日、予定通りベッドが撤去され、ゲストルームは物置き部屋に変わった。鍵の交換も無事に終わった。新しい鍵を手にした時、なぜか解放感を覚えた。これで、勝手に入ってくることはできない。金曜日の朝、私は入念に準備をした。貴重品は全て金庫にしまい、冷蔵庫にはメモを残した。「温泉旅行に行ってきます。日曜日に帰ります。恵」。簡潔だが十分だろう。午後3時、私は小さなスーツケースを持って家を出た。駅に向かう途中、カフェに立ち寄り、普段は節約のために我慢していた少し高めのコーヒーを注文した。美味しい。ゆっくりとコーヒーを味わいながら時計を確認した。午後4時。いつもなら、洋介たちのために夕食の準備を始める時間だ。でも今日は違う。私は自分のためだけに時間を使えるのだ。

午後6時、温泉旅館に到着した。部屋に案内され、窓から見える景色に心が和んだ。午後7時、温泉に浸かりながら心と体をほぐす。きっと8時頃には洋介から電話が来るだろう。でも私は出ない。出る必要もない。夕食は旅館の懐石料理だった。一品一品を味わいながら思った。こんなにゆっくりと食事をしたのは、いつ以来だろうか。午後8時、予想通り携帯電話が鳴り始めた。画面を見ると、洋介からの着信が何度も表示されていた。私は静かに電源を切り、のんびりとお茶を飲んだ。さあ、これからが本番だ。息子夫婦がどんな反応を見せるか、楽しみでもあった。

午後8時15分、私は携帯電話の電源を入れた。着信履歴が次々と表示された。陽介から15回、ゆいさんから5回。留守番電話も入っているようだ。私は深呼吸をしてから、洋介に電話をかけ直した。1回のコールで、すぐに繋がった。「母さん、どこにいるの?」陽介の声は明らかに焦っていた。「あら、洋介、どうしたの?」私はできるだけ平静を装った。「どうしたもこうしたもないよ。俺たち今家の前にいるんだけど、鍵が開かないんだよ」。「鍵が開かない?おかしいわね」。「おかしいじゃないよ。いつもの鍵を使ってるのに、全然開かないんだ」。後ろからゆいさんの声も聞こえてきた。「お母さん、早く帰ってきてください。リクが眠くてぐずってるんです」。私は落ち着いて答えた。「あ、そういえば鍵を交換したのよ。防犯のためには」「なんで俺たちに言わないんだよ!」「だって、あなたたち今週は来ないって言ってたじゃない」。「そんなこと言ってない!」「あら、そうだったかしら。私の勘違いかもしれないわね」。陽介の声がさらに大きくなった。「とにかくすぐ帰ってきて!俺たちはどこで寝ればいいんだよ!」

その瞬間が来た。私は静かに、でもはっきりと言った。「さあ、うちは旅館じゃないから。ホテルでも探したら」。一瞬の沈黙の後、陽介が怒鳴った。「は?何言ってんの?俺たちを締め出すつもり?」「締め出すなんて人聞きの悪いことを言わないで。私は温泉旅行に来ているだけよ」。「温泉旅行?ふざけるな。今すぐ帰ってこい!」「あら、どうして私が旅行に行くのに、あなたの許可が必要なの?」「母子の言うことか!俺たちは家族だろ!」「家族」。その言葉を聞いて、私の中で何かがプツンと切れた。私は言った。「洋介、あなた先週なんて言ってたか覚えてる?」「何の話だよ!」「『金は出してもらうけど面倒は見たくない』って言ってたわよね。私の介護はしたくないって」。洋介が息を飲む音が聞こえた。「それから、早く相続できればいいとも言ってたわね。私が死ぬのを待ってるの?この家を月に10万で貸し出すって計画も聞いたわ。私の人生をどうでもいいって言ったことも」。完全に言葉を失った洋介に代わって、ゆいさんが電話を奪ったようだ。「お母さん、誤解です!私たちはそんなつもりで…」「ゆいさん、あなたも言ってたわよね。私の料理は塩分が多くて体に悪いって。家は昭和臭くてダサいって」。「そ、それは…」「ねえ、ゆいさん、そんなに嫌な家に、どうして毎週来るの?」ゆいさんも黙り込んでしまった。私は続けた。「月に15万円。あなたたちが我が家で使っている金額よ。食費8万、光熱費3万、その他もろもろで15万。年間にすると180万円。すごい金額よね」。「で、でも私たちだってローンが…」「あら、マンションのローンはあなたたちが選んだ生活でしょう。どうして私があなたたちのローンのために、自分の老後資金を削らなければいけないの?」

再び洋介が電話を奪い返した。「母さん、とにかく今すぐ帰ってきて。話はそれからだ」。「いや、私は日曜日まで温泉でゆっくりするの。あなたたちは自分たちで何とかしなさい」。「ふざけるな!こっちは子供もいるんだぞ!」「あら、お子さんがいるなら、なおさらちゃんとしたところに泊まった方がいいわね。この辺りにもいいホテルがあるはずよ」。「金がないって言ってるだろ!」私は少し笑ってしまった。「あら、不思議ね。ゆいさんが言ってたじゃない。『もっと援助してもらってもいい』って。ということは、まだ余裕があるってことでしょう」。「それとこれとは話が違う!」「どう違うの?私だって年金暮らしで大変なのよ。それなのに、あなたたちは当然のように毎週やってきて、お金も払わずに帰っていく。これっておかしくない?」陽介が悔しそうな声で言った。「だから、家族だって言ってるだろ。家族なら助け合うのが当然だ」。「助け合う?陽介。あなたは私を助けたことがある?」沈黙が流れた。「私が体調を崩した時、あなたは来てくれた?私の誕生日に心のこもったプレゼントをくれたことは?『適当にケーキでも買っておけばいい』って言ってたわよね」。「それは聞き間違いだ!」「そう。じゃあこれも聞き間違いかしら。『お荷物にはお金はありません』って言ったのは、あなたでしょう?」「そ、それは…」「いいえ、これは私が今から言うわ。陽介、あなたは私のことを『お荷物』だと思ってるんでしょう。だったら、お荷物にお金を求めないで」。陽介の悲鳴が響いた。「母さん、いい加減にしろ!俺たちを路頭に迷わせる気か!」「路頭に迷う?大げさね。38歳にもなって、一晩の宿も自分で確保できないの?陽介、あなたIT企業で働いてるんでしょう。そこそこのお給料もらってるはずよね。それなのにホテル代も出せないなんて、どういう金銭管理してるの?」返事がなかった。私は最後に言った。「陽介、ゆいさん、よく聞いて。私はもう、あなたたちの都合のいい無料宿泊所じゃないの。これからはきちんと連絡して、私の都合を聞いてから来なさい。そして来た時は、自分たちの食費くらいは払いなさい。それが嫌なら、来なくていいわ。私は日曜日の夜に帰ります。それまでによく考えておいて。これからどういう関係でいたいのか。一方的に搾取する関係は、もう終わりよ」。そう言って、私は電話を切った。再び電話が鳴り始めたが、私は電源を切った。ベッドに横になりながら、私は天井を見上げた。少し寂しい気持ちもあったが、それ以上に、肩の荷が下りたような解放感があった。これで良かったのだ。本当の家族なら、お互いを尊重し合えるはずだ。一方的な関係は、家族とは言えない。私は目を閉じて、ゆっくりと眠りに着いた。何年かぶりに心から安らかな眠りだった。

日曜日の夜、私は温泉旅行から帰宅した。玄関を開けると、静かな我が家が迎えてくれた。金曜日の夜から土曜日にかけて、洋介たちがどう過ごしたのかは分からない。でも、それは私の知ったことではなかった。月曜日の朝、陽介から電話があった。「母さん、この前はごめん」。声のトーンがいつもとはまるで違っていた。「どうしたの?洋介」。「俺たちホテルに泊まったよ。1泊2万円もしたけど」。「そう、大変だったわね」。「母さん、本当にごめん。俺たち調子に乗ってた。母さんに甘えすぎてた」。私は静かに聞いていた。「言うと、話したんだ。俺たち本当にひどいことを言ってた。母さんに対して感謝の気持ちを忘れてた」。「そう思ってくれたなら、よかったわ」。「これからはちゃんと連絡してから行くよ。そして食費も払う。迷惑かけてごめん」。洋介の言葉に少し心が柔らぎた。でも、私はまだ慎重だった。「口だけじゃなくて、行動で示してちょうだい」。「分かった。本当に反省してる」。

それから1ヶ月が過ぎた。洋介たちは約束通り、事前に連絡をしてから来るようになった。月に1回、土曜日の午後に来て、日曜日の午前中には帰っていく。そして来る時には必ず手土産を持参し、食事代として1万円を置いていくようになった。「母さん、これ、今日の食事代」。「あら、そんなに気を使わなくても」。「いや、これは当然のことだから。今まで本当にごめん」。ゆいさんも変わった。「お母さん、お皿洗い、私がやりますね」。「お母さん、このお料理のレシピ教えてもらえませんか?美味しくて」。以前の横柄な態度は消え、本来の優しさが戻ってきたようだった。私も、月15万円も節約できたことで生活に余裕が生まれた。そのお金で、昔からの夢だったお菓子教室を始めることにしたのだ。自宅の一部を改装し、小さな教室を開いた。近所の方々に、私がパティシエ時代に培った技術を教えている。「恵先生のシュークリーム、本当に美味しいです!」「こんな本格的なお菓子が作れるなんて感動しました」。生徒さんたちの笑顔が、私の新しい生きがいになった。

ある日、洋介が言った。「お母さん、生き生きしてるね。教室楽しそうだ」。「え、とても楽しいわ。自分の技術を人に伝えられるって、素晴らしいことね」。「俺、母さんのこと、ただの主婦だと思ってた。でもすごい技術を持ってたんだね。尊敬するよ」。その言葉を聞いて、私は涙が出そうになった。やっと息子が、私の人生を認めてくれたのだ。半年後、私の誕生日がやってきた。その日、息子家族がケーキを持って現れた。でも、それは市販のケーキではなかった。「母さん、これ、ゆいが作ったんだ。母さんに教わったレシピで」。少し不格好だったが、心のこもった手作りケーキだった。「お母さん、まだまだ下手ですけど、お誕生日おめでとうございます」。孫も元気に歌ってくれた。「バーバ、お誕生日おめでとう!」家族みんなでケーキを囲み、温かい時間を過ごした。これこそが、私が本当に望んでいた家族の形だった。

最近、洋介が相談してきた。「母さん、実は転職を考えてるんだ。今の会社、残業が多すぎて家族との時間が取れない」。「そう、大変ね」。「給料は下がるかもしれないけど、もっと家族を大切にできる会社に移りたいんだ」。私は微笑んだ。「陽介、お金も大事だけど、家族との時間はもっと大事よ。あなたたちが幸せなら、それが一番」。「ありがとう、母さん。母さんに締め出されて、やっと分かったんだ。本当に大切なものは何かって」。私は今、心から幸せだ。週末の静かな時間、好きな本を読んだり、友人とお茶をしたり。月に1度の息子家族との楽しい時間。そして、生徒さんたちとの充実した教室活動。全てがあの日の決断から始まったのだ。誰かにNOと言うという勇気。それは冷たさではなく、お互いのための愛情だった。依存させることが優しさではない。きちんと線を引き、お互いに自立した関係を築くことこそが、本当の家族のあり方なのだ。私は時々思う。もしあの日、洋介たちの本音を聞かなかったら。もしずっと我慢し続けていたら。きっと私は心身ともに疲れ果て、息子との関係も最悪なものになっていただろう。でも、勇気を出して行動したことで、全てが良い方向に向かった。

先日、お菓子教室の生徒さんが言ってくれた。「恵先生、本当に素敵です。お菓子もすごいし、人生の先輩としても尊敬しています」。「あら、ありがとう。でも私も昔は我慢ばかりしていたのよ。でも今は違います。自分の人生を生きています」。誰かの都合に振り回されることなく、自分の意思で自分の幸せを選択している。息子夫婦との関係も、以前より深いものになった。お互いを尊重し、適度な距離を保ちながら、本当の意味で支え合える関係。これこそが私が求めていたものだった。私の経験から言えることは、家族だからといって何でも我慢する必要はないということだ。理不尽な要求には、きっぱりとNOと言う権利があるのだ。もし同じような悩みを抱えている方がいらっしゃったら、どうか勇気を出してみてください。最初は怖いかもしれません。でも、その一歩がきっと素晴らしい未来に繋がるはずです。

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