母のリハビリに付き添った日、高校時代の同級生で、かつて俺を見下していた男が理学療法士として現れ、「高卒貧乏はリハビリじゃ治らないぞ」と聞こえるように嫌味を言ってきた。俺が何も言い返さずにいると、彼はさらに追い打ちをかけた。「高卒だと言葉も知らないのか?」――その瞬間、廊下が騒がしくなり、病院で美人と評判の看護師が走ってきた。彼女は俺に向かって叫んだ。「先生!患者さんが急変したようです!」同級…

母のリハビリに付き添った日、高校時代の同級生で、かつて俺を見下していた男が理学療法士として現れ、「高卒貧乏はリハビリじゃ治らないぞ」と聞こえるように嫌味を言ってきた。俺が何も言い返さずにいると、彼はさらに追い打ちをかけた。「高卒だと言葉も知らないのか?」――その瞬間、廊下が騒がしくなり、病院で美人と評判の看護師が走ってきた。彼女は俺に向かって叫んだ。「先生!患者さんが急変したようです!」同級...

母の退院が決まった日、大学病院のリハビリセンターで、俺は卒業以来の同級生と再会した。

先月、母が転倒して大腿骨頸部を骨折し、手術を受けた。合併症もなく、術後一ヶ月が経って、ようやく退院の日を迎えたのだ。母は慣れない環境に少し体調を崩したり、年齢に似合わず弱気になったりもしていたが、今日はニコニコしている。俺が退院の手続きをしている間に、母は荷物をまとめ、主治医の先生に挨拶へ行った。

「一ヶ月間、お世話になりました」
「いえいえ、次は外来で会いましょう」

主治医から、今後はリハビリが必要だと言われた。リハビリの計画を理学療法士と話すように言われ、俺は母と一緒にエレベーターに乗り、病院内のリハビリセンターへ向かった。

大きな病院は迷子になりそうだなと思いながら、二階で降りると、すぐそこにリハビリセンターがあった。中を覗くと、たくさんの理学療法士が患者のリハビリを行っている。動けない患者に寄り添い、優しく声をかけている姿が見えた。

「もう少し頑張りましょう。あと一歩ですよ」

みんな真剣な眼差しで仕事をしている。ここなら母も安心して任せられると思った。ところが、一人だけ患者に怒鳴っている理学療法士がいる。

「なんでできないんですか?もう退院も近いんですよ」

患者が自分の思った通りに動けないことが気に入らないらしい。体が動かず、一番悔しい思いをしているのは患者本人だ。この理学療法士に母を預けて大丈夫だろうか。不安が頭をよぎる。母も少し不安そうな顔をしていた。

「母には言えないが、あの怖い理学療法士じゃないといいけどな」

心の中でそう思っていると、母が俺の心を読んだように言った。

「優しい人がいいけど、我がままも言えないしね」

俺は何も返事ができなかった。すると、受付から母の名前が呼ばれた。

「佐藤ひ子さん、中へどうぞ」

中に入ると、対応してくれたのは、あの怒鳴っていた理学療法士だった。運が悪いなと思ったが、とりあえず話を聞いてみることにした。実は思いやりのある人かもしれない。そう期待して話し始めると、その理学療法士の顔に見覚えがあることに気づいた。声を聞いた時から、もしかしてとは思っていたが、やはり俺の記憶に間違いはない。理学療法士も俺を見て、すぐに表情を変えた。

その理学療法士は、俺の高校時代の同級生、田中正太だった。

田中は高校時代、頭が良く成績も良かったが、それが原因か、人を見下す節があった。彼は医学部を目指していたが、受験に失敗し、一浪して再チャレンジしたと風の噂で聞いた。その後どうなったのかは知らなかったが、今の状況を見ると、医学部には合格できず、理学療法士になったのだろう。

田中は俺の顔を見て、嫌な顔をした。

「お前じゃないか。こんなところに来て何してるんだ?高卒貧乏はリハビリじゃ治らないぞ」

医療人としてあるまじき暴言だった。その表情は、高校時代に人を馬鹿にしていた時の田中そのものだ。俺は、こいつが主治医じゃなくて良かったと思い、不快感を覚えたが、冷静に母の付き添いで来ていることを告げ、リハビリを頼んだ。

「高卒に払えるお金はあるんだろうな。金払わないならリハビリやんねえからな」

また嫌味を言ってくる。なかなか成長しない人間もいるもんだなと思ったが、何か言い返したところでまた嫌味を言われるだけなので、黙っていた。田中の顔を見ていると、高校時代の記憶が蘇ってくる。俺の高校時代は決して順風満帆ではなかった。

俺は高校時代に父親を病気で亡くし、家計が苦しい状況になった。将来の夢があったが、大学進学を諦めて就職する道を選んだ。とても悔しかったが、母を支えるためだと思ったら、少し気が楽になり、サラリーマンとして頑張ろうと思えた。田中は俺が経済的に苦しく進学を諦めたことを知っていたので、先ほどのように嫌味を言ってきたのだ。昔から、人の弱みを見つけては嫌味を言ったり馬鹿にするような奴だった。

田中とは高校卒業以来の再会だ。もちろん、連絡を取ろうと思ったこともなかったし、仕事が忙しく同窓会にも出席したことがなかった。俺は何から説明しようか迷ったのと、あまり長々と話したくもないなと思い、なかなか話し出せずにいた。

「高卒だと言葉も知らないのか?言いたいことがあるならはっきり言えよ」

すると、ここに来る途中にあった廊下が騒がしくなった。どうやら人が集まっているようだ。母がそう言うので、俺が様子を見に行こうとしたその時、廊下から美人看護師として有名な松村さんがこちらに走ってきた。

「先生!患者さんが急変したようです。お願いします」

松村さんは俺に向かってそう言った。田中は何が何だか理解できず、頭にハテナマークを浮かべている。この状況を全く理解できていないようだ。母を田中に預けるのは不安だったが、緊急事態なのでそうも言っていられない。

「先生、急いでください」
「あ、分かった」

俺は田中に母親のリハビリをよろしく頼むと言って、患者の元へ駆けつけた。処置中も母のことが頭の片隅から離れなかった。田中から嫌味を言われているのではないだろうかと考えていた。

幸い、患者の容態はすぐに安定し、全ての処置も無事に終わって救急に引き継いだ。俺は松村さんと共に、田中がいるリハビリセンターへ戻った。リハビリがちょうど終わったところのようで、田中が母親の車椅子を押しながら出てきた。リハビリについていけなかったので心配していたが、母の顔を見ると、何事もなく終わったようで安心した。

すると、田中が俺に向かって言った。

「おい、どういうことだよ、佐藤。先生って呼ばれてたんだろ。ちゃんと説明しろよ」

すると、一緒にいた松村さんが話し始めた。

「あなた、何も知らないのね。私が教えてあげる。佐藤先生はこの病院で働く医者なの」

実は俺は、元々優秀で成績はいつもトップクラスだったので、田中も高校時代は俺のことを邪魔にすることもなかった。小さい頃から父が癌を患い、再発を繰り返し、長年苦しんでいるのを見てきたため、医者になってそういう人たちを救いたいと考えていた。父はずっと入退院の繰り返しだったが、とても優しく、いつか父も退院し、家に帰ってくるのだろうと漠然と考えていた。

しかし、父が帰宅することはなく、病院で亡くなってしまった。家計が急変し、とても大学に行けるような状況ではなくなり、医者になる夢を諦めて地元の中小企業に就職した。サラリーマンとしての仕事は順調で特に不満などなかったが、医者になることを諦めきれなかった。

やっと生活が安定してきた時、母から「医者になる夢は諦めたの?」と聞かれた。俺は本当は今からでも勉強して医者になりたいということを正直に母に伝えた。母も応援すると言ってくれたので、そこから数年間はサラリーマンとして働き、ある程度お金を貯めて奨学金制度が充実している医学部を受験し、見事合格した。

初めは地方で勤務医として働き始めた。毎日忙しく患者の相手をしていると、あっという間に一日が終わる。地方の特性なのか、患者さんたちとの距離も近く、世間話をしながら診察をし、忙しいながらも毎日楽しく仕事をしていた。それを繰り返し、気づけば数年が経っていた。忙しい中で少しでも時間を作って、父のような患者を一人でも救うため、俺は毎日毎日勉強に励んでいた。

そして昨年開催された学会で、この大学病院の教授と出会った。地方の病院を辞めて大学病院に来るように誘ってもらったが、なかなか決心がつかず、最初は断っていた。しかし、教授が熱心に誘ってくれたので、今年から循環器内科医としてこの大学病院で働くことになったのだ。

「佐藤先生は自分の夢を諦めず、仕事と勉学を両立して立派な医者になったの。今はこの病院で、私と一緒に働いているわ。あなたは佐藤先生のことを何も知らないくせに、馬鹿にするなんてありえない!」

美人看護師の松村さんは、循環器内科が入っている病棟の看護師で、入職当時から新人の俺に色々と教えてくれた先輩だ。俺が父が亡くなってから今までのことを全て話していたのは、松村さんだけだった。彼女は俺の今までの努力を知ろうともせず、高卒だからと言って馬鹿にしてきた田中を許せなかったのだろう。

「佐藤先生はあなたと違って、ちゃんと努力して夢を掴み取ったの」

俺ももちろん怒りはあったが、松村さんが言ってくれたおかげで少し怒りは収まっていた。だがそれ以上に、学生時代から成長していない田中の姿に呆れるしかなかった。

田中はこの話を聞いて茫然として、何も言ってこなくなった。全ての状況が理解できたのか、明らかに動揺している。自分が高卒だと馬鹿にしていた相手が実は医者だと知って、よほど応えたようだ。田中は元々プライドが高い男だから、彼にとってはかなり大きなダメージだろう。しかも、彼が目指していた医者に俺がなっているので、なおさら辛い状況だ。

先ほどまでの威勢がなくなった田中に向かって、俺は言った。

「ああ、今後のために忠告しておく。患者さんや周りの人間を大切にした方がいいぞ。発言をする時は、もっと相手の気持ちを考えろ。お前は医療人として大事なものが欠けている」

田中は俯いて何も言わなかった。すると、少し間を置いて「そうだな…」と言って、リハビリセンターへ戻っていった。その後ろ姿は下を向き、明らかに落ち込んでいる。少し言い過ぎたかなとも思ったが、学生時代のことを思うとまあいいかと思った。どうせ言われたところで何も改善しないだろうと思っていたからだ。

その後、母は一人でリハビリへ通っていたが、田中から何か言われている様子はなかった。それからしばらくは仕事が忙しく、田中との出来事も忘れていた。

すると、リハビリ室へ患者を連れて行った松村さんから、田中の話題が出た。

「理学療法士の田中さん、患者さんに対して少し優しい対応ができるようになったみたいですよ。佐藤先生のおかげですかね」

松村さんは嬉しそうに話した。俺も嬉しくなって、つい笑ってしまった。俺が話したことがちゃんと伝わっていたようで安心したと同時に、少し彼の成長が見れて嬉しく思えた。

一方、田中と会ったリハビリの帰り道、母親から次のように言われた。

「田中さんって理学療法士の方ね。言葉遣いは悪いんだけど、間違ったことは言ってないわよ」

俺は少し驚いて母の話の続きを聞いた。

「疑問点を聞いたら少し嫌そうな顔したんだけど、こちらが納得するように詳しく答えてくれたのよ」

俺はそれを聞いてはっとした。母は俺が知らない田中の一面を話し出したのだ。それは外から田中を見ているだけでは、きっと気づけない彼の性格だった。田中はきっと、彼なりに患者に寄り添おうとしているのだろう。実際に田中のリハビリを受けた母は満足そうにニコニコ笑いながら話していた。昔からその性格ゆえに、うまく人付き合いができず、患者にも厳しく当たってしまうのかもしれない。言い方は間違っているのかもしれないが、正しいことを言うというのはすごく大事なことだ。分からないところも詳細に教えてくれるのは、それだけ患者のことを考え、一緒に直していきたいと思っているからだろう。

母の話を聞きながら、リハビリセンターで見た田中は、患者を治すために一生懸命になっているからこそ怒っていたのではないだろうかと思うようになった。実際に患者と理学療法士は信頼がないと、お互いの関係もうまく築けない。患者にとってもリハビリの時間が苦痛になってしまう。

田中は他人から見ると、周りの人への配慮が全く足りていないように見える。しかし、俺は田中の一面だけを見て、彼が何の努力もせず一方的に患者に怒っているように決めつけていたのかもしれない。俺自身が相手の性格を勝手に決めつけ、いいところが見えていなかったのだ。高校時代の嫌な思い出もあり、なおさら田中のいい一面が見れなかったのだろう。

これからも医者として働く中で、様々な患者やスタッフと出会う。人間同士衝突することもあるが、やはり一方的に相手の人格を決めつけるのは良くない。時間がかかっても相手のいいところを探していくことが大事だと思った。そして足りない部分はお互い補い合えれば、とてもいい人間関係が築けるだろう。

信頼関係を築くというのは医療人として当たり前のことだが、とても難しい。ちょっとした言葉の選び間違いで大きなトラブルの元にもなる。俺は日々忙しく働く中で、当たり前のことも忘れてしまっていた。

俺は珍しく、田中に感謝した。このまま田中と再会せずに過ごしていたら、当たり前のことも忘れたままだったかもしれない。この反省を学びにして、一人でも多くの患者を救うために日々努力していこうと、決意を新たにしたのだった。

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