工場長が肩を落とし、「もうだめだ」と呟いた。俺は上司にはめられてこの工場へ飛ばされてきた。月100時間の残業が当たり前のブラック工場だが、そこには隠された理由があった。俺の名前は間、35歳。高卒で就職し、営業部の係長を務めていた。部下と軽口を叩き合えるほど部署に馴染んでいた矢先、可愛がってくれた部長が病気で退職。後任として来た村松部長は、コネ入社のプライド高い男だった。
村松部長は平気で自分の仕事を他人に押し付け、感謝もせず高圧的に接する。ある会議で開発部の部長から村松部長のミスを指摘され、俺が正直に答えたところ、それが事の始まりだった。「よくも大勢の前で恥をかかせたな」と詰め寄られ、罰として大量の仕事を押し付けられた。それから嫌がらせはエスカレートし、会議での発言遮り、ミスの誇張、仲間からの引き離し……やがて俺は孤立し、精神的に追い詰められていった。
そしてついに、副社長を通じて俺の悪評を流した村松部長は、俺を関連企業の自動車部品工場へ左遷させる。事実上の追放だった。「工場のライン仕事でもやってろ。お前にはちょうどいい底辺の仕事だ」と言い放つ部長の顔は、心底楽しそうだった。
翌日、左遷先の工場で高山工場長と顔を合わせた。「聞いてるとは思うが、うちの工場はトラブル続きでもうだめだ」。そうこぼす工場長の話では、制御システムのトラブルでラインが1日に何度も止まり、その度に損失が出ているという。俺は画面を覗き込み、腕を組んだ。「これならなんとかできるかもしれません」。実は俺、高校時代にパソコン部で自作システムを作り、ロボットを動かしていた。大会経験もある。システム開発こそが俺の最も得意とする分野だったのだ。
工場長の許可を得て試作システムを作ったところ、想定外のエラーが発生。現場からは「本社から来た人間がしゃしゃり出るな」と不満の声が上がった。だが、村松部長の嫌がらせで精神的に鍛えられていた俺は冷静さを保てた。ログを1行ずつ追い、センサーからの応答遅延が原因だと特定。タイムアウト設定を見直し、プログラムを書き換えた。翌日、改善したシステムでラインは止まらず、スムーズに稼働。現場の評価も一転し、俺のやる気も回復していった。
しかし、システム導入から3日後、本社から50件以上の着信があった。電話に出ると、村松部長だった。「工場の制御システムを改善したのはお前って本当か?」。俺が認めると、さらに「じゃあ営業部で使っていた作業効率化システムもお前が作ったものか?」と聞いてきた。それは俺の自作だったが、前の部長に「便利なシステムを作れることは周りに黙っていた方がいい」と言われ、能力を隠していたのだ。効率化システムのおかげで営業部全体の処理件数は大幅に向上したが、俺は部署を去る際、全て削除した。「俺がいないところで不具合が起きても対処できないからです」と答えると、村松部長は「お前が作ったシステムをもう一度使わせろ」と要求。「お断りします」と突き放すと、部長は「明日そっちに行ってやる。覚悟しろ」と脅して電話を切った。
翌日、村松部長が工場に乗り込んできた。顔を真っ赤にして怒鳴る。「システムを返せ!」。俺は「無責任なシステムを使わせることはできません」と応じた。すると部長は「高卒の無能のくせに調子に乗るからだぞ。サモないとまたお前の評判を落とすぞ」と脅す。その瞬間、陰から高山工場長と副社長が現れた。「先ほどの発言は本当か? 相田君を工場に左遷するよう仕向けたのか?」。工場長は「俺もこの耳でしっかり聞いていました。村松部長は優秀な社員を身勝手な理由で貶め、工場に左遷させたのです」と証言。俺が「本社を去る日、『工場のライン仕事でもやってろ。お前にはちょうどいい底辺の仕事だ』と言いましたよね」と指摘すると、空気が一変し、集まった現場社員たちの冷たい視線が村松部長に注がれた。
副社長は深く頭を下げ、「君を部長に据えたのは俺の判断だ。本当にすまなかった」と謝罪した。その後の処分は迅速で、村松部長は工場の現場仕事に左遷された。奥さんに愛想を尽かされ、離婚寸前という噂も聞いた。自業自得だ。一方、俺は本社へ戻る打診を断り、この工場に残った。俺を受け入れ、再チャンスをくれた御恩を返すまで、ここを離れるわけにはいかない。
さて、今日も頑張って働くか。
「お前のやり方は古い。部長失格だ」。全社員を集めた会議で、新人の専務が営業部長の俺にそう言い放った。横柄な態度で、広報か左遷のどちらかを選べと迫る。俺は上園、52歳。設備メンテナンスの会社に入社して30年、営業部長を務めて20年になる。担当する顧客は100社を超える。それは単に成果を稼いだ結果ではなく、目の前の人間に真摯に向き合ってきた結果だ。
数日前、担当する食品加工工場で、冷凍設備の微妙な振動の変化に気づいた。マニュアルにもデータにも残せない、10年20年の経験だけが教えてくれる違和感だ。「部品が痛み始めています。交換の手配をしましょう」。担当者の顔が一気にほぐれた。「上園さんはいつもこちらが気づく前に見つけてくれますよね」。こうした信頼関係こそが、長く続く取引の土台だと確信している。
だが新専務の中西は、データと数字だけを基準に改革を進めようとしていた。会議で、俺が抱える案件群は「低利益率の塊」だと指摘され、1案件あたりの平均利益率と費やした時間の相関グラフで、俺は「最も時間をかけ、最も利益が薄い領域」にあるとされた。「これは何だと思いますか? ただの非です」。顧客を思って積み重ねてきたものが、非に塗り替えられた瞬間だった。中西は俺に向き直り、断言した。「お前のやり方は古い。はっきり言って部長失格だ。広報か左遷かどちらか選べ」。だが、俺はこの男の土俵に乗るつもりはなかった。「顧客は数字ではない。日々の仕事や暮らしに悩み、苦しみ、そして喜びを感じながら生きる人間だ」。俺は覚悟を決め、口を開いた。
「では退職します」。
会議室が静まり返った。中西の表情がほんの一瞬崩れた。俺は静かに一人、会議室を後にした。
退職した翌日から、担当していた顧客から次々と電話がかかってきた。「上園さん、本当にやめられたんですか?」「新しい担当が上園さんのように動いてくれるか、正直不安です」。5件目の電話で「もし独立されるなら、是非うちと契約を」と言われた時、独立という言葉が現実味を帯びた。これは逃げではなく選択だ。俺が長年かけて築いてきたものが、次の仕事の場所を呼び込んでいる。
俺はすぐに開業準備を始めた。個人事業主として開業し、顧客が自分の意思で選んできてくれたのだから、自分から声をかけることはしないと決めた。退職から3週間が過ぎた頃、元部下のま田から電話があった。「中西専務は相変わらずデータの話ばかりです。でも現場はもう回っていません。問い合わせと苦情の電話が増えて、もう収まらないんです」。さらに「あの全社会議で星野が言った『反面教師にします』という言葉、あれは中西専務の命令らしいんです」と教えてくれた。権力を持ち、若い社員を道具にしてまで俺を貶めようとするやり方に、静かな怒りが沸いた。
退職から1ヶ月、俺は腹を決めた。岩瀬社長に直接会おう。伝えるべきは、顧客を窮地から解き放つこと、そして数字ではなく事実として現状を示すことだ。面談の日、社長室には岩瀬社長の隣に中西、そしてま田が同席していた。俺は資料をテーブルに置いた。「退職後、80社を超える元顧客が私の携帯に直接連絡をくれました。そのうち20社ほどとは、すでに新しい契約かその相談に入っています」。ま田も「問い合わせと苦情の電話はこの1ヶ月で100件を超えました。現場はもう回らなくなっています」と証言した。
中西は「一時的な摩擦に過ぎません」と反論したが、空しく響くだけだった。俺は中西が言った言葉をそのまま返した。「あなたは言いましたね。顧客のために時間をかけることは、会社の人件費と時間の無駄に過ぎないと。ですが、その無駄と呼んだ時間の積み重ねだけが、会社と顧客をつないでいた1本の糸なんです。それをご自分の手で断ち切ったことが、今この会社を追い詰めているんです」。岩瀬は「営業改革の指揮は一旦私が預かる。君の処遇は検討させてもらう」と述べた。戻ってきて欲しいと言われたが、俺は断った。「私が戻れば、顧客はまた板挟みになります。引き継ぎにはできる限り協力します」。中西には「今回のあなたご自身の振る舞いを、反面教師にしてください」と告げた。
数週間後、中西は解任された。顧客に多大な不利益を与えたことが理由だ。数ヶ月後、ま田が事務所を訪ねてきた。「一緒にやらせてください」。俺は向かいの椅子を示し、笑った。「頼むよ」。顧客は少しずつ増えていくが、俺がやることは変わらない。目の前の人間に真摯に向き合う。それが信頼を生み、長く安定した取引の土台になるのだ。
俺は武田、56歳。精密機械の部品を製造する中堅上場メーカーで38年間、法人営業として働いてきた。高卒で入社し、営業の傍ら、会社に寄せられる様々な苦情処理も一手に担ってきた。顧客の声の奥にある怒りや失望を聞き取り、誠実に向き合う。問題が片付いた時、相手の声が静まる瞬間にやりがいを感じてきた。小心の話も2度あったが、顧客と直接向き合うことこそが俺の役目だと断ってきた。苦情処理案件の記録は、俺が独自に整理したファイルで管理している。
そんな時、外部から井川という男が新社長として着任した。数字に厳しい人間だと聞いていた。井川は全社員を集めた会議で「年功序列制度を廃止します」と宣言。高い給与のベテラン社員を排除する狙いが透けて見えた。業務棚卸しの場で、苦情処理について説明を求められた俺に、井川は言い放った。「つまり重要度は低いですね。正社員である必要はない。電話対応はバイトで十分でしょう」。さらに、今年入社したばかりの若手社員・田が「苦情処理程度僕なら3分でできます」と追い打ちをかけた。
社長室に呼ばれた俺に、井川は全社員の給与が並んだ紙を見せながら「武田さんは高卒入社でずっと平社員のまま。この給与水準はなかなかですよ」と皮肉を言い、「今後、営業の担当を外れてもらいます。苦情対応も若手に引き継ぎます」と告げた。「では私の仕事は何ですか?」と聞くと、「それを自分で考えるのが成果主義というものです」と返された。38年間、顧客の怒りを受け止めてきた人間が、この程度の言葉で表情を崩すわけにはいかない。俺は自己都合退職の意思を告げ、その日のうちに退職届を提出した。
1つだけ懸念があった。大口取引先の電気メーカーから来ている苦情処理が、まさに対応の途中だったことだ。しかし篠原部長は「電気メーカーの件は田に任せます。引き継ぎは不要です」と言い放った。俺は何も言わなかった。私物をまとめながら、15年分の苦情処理記録ファイルを手に取った。本来ならシュレッダーにかけるべきものだろう。だが、このファイルには現在進行形の案件が含まれている。捨てられない。俺はファイルを鞄に納めた。
退職から3週間後、同期から電話が入る。「電気メーカーから来た苦情処理の件がおかしなことになってる」。田が送った回答書は事務的で、10年前のトラブル収拾の際、俺が電気メーカーの役員・朝倉との間で交わした「再発時は事前協議の場を設ける」という合意が無視されていたのだ。その取り決めは書面には残っておらず、俺の記録だけに詳細が残っている。朝倉は誠実さを何より大事にする人間だ。事務的に処理されたと感じれば、交渉のテーブルそのものを壊しかねない。夕方、「電気メーカー側が弁護士を立てた」と同期から連絡があった。退職から2ヶ月近く経った朝、再び同期から連絡が入る。「電気メーカーが正式に損害賠償の訴えを起こしたぞ。請求額は12億だ。株価も1割近く落ちた」。同日の夕方、井川から電話があった。「武田さん、1度お時間をいただけませんか?」。俺は「考えます」とだけ答えて切った。3日後、井川から再び着信が。「条件があれば、聞かせてください」。二度と同じ目に遭う人間を出さないため、俺は3つの条件を提示した。苦情処理専門部署の新設と責任者としての復帰、15年分の記録を会社の正式資産として登録すること、そして訴訟に至った経緯の社内調査報告書の全社員への開示だ。井川は「3つ目は社内の士気への影響が懸念される」と渋ったが、俺は「3つ目がなければ、同じことが必ず繰り返されます」と譲らなかった。結局、井川は全て受け入れた。
復帰後、俺はすぐに朝倉へ電話をかけた。「担当として会社に戻ることになりました。話し合いの時間をいただけませんか」。朝倉は少し間を置いて「武田さんが来るなら、話は聞きます。ただ、今回の対応を決めた方にも同席してもらいたい」と条件を出した。翌日、電気メーカー本社の会議室。俺は朝倉の前にファイルを開き、10年前の記録を見せた。「日付とトラブルの概要。帰り際に朝倉さんが言った言葉まで書いてあります」。朝倉は黙ってそれを見つめ、静かに席を立って会議室を出た。数分後、戻ってきた朝倉は言った。「なぜこんなものを書き残していたんですか?」。「引き継ぐためです。私がいなくなった時、誰かが朝倉さんと向き合えるように、と思っていました。ただ、今回は引き継ぎの機会がありませんでした」。朝倉は井川と田代に言い放った。「田という人間が寄越した回答書を見た時、もうこの会社とは話せないと感じた。長年の付き合いをその程度のものとして扱う会社なのかと」。そして俺を見据え、「武田さんが戻ったのなら、訴訟は取り下げます」と言った。最後に朝倉は井川に向き直った。「武田さんから直接連絡があった時、私は話し合いをしようと決めた。しかし井川社長、あなたからは一言もない。申し上げたいのはそれだけです」。そう言い残して朝倉は部屋を出た。
残された3人。田が「すみませんでした」と頭を下げた。井川は朝倉が座っていた席を、空席になった後も見つめたまま動かなかった。俺は深く息をついて「電話対応がバイトで十分なら、この数ヶ月で発生した12億円の賠償請求と株価の下落はどう説明されますか? これが成果主義の結果ですか?」と問いかけた。井川は顔を上げなかった。2人の沈黙が全てを語っている。俺はファイルを静かに閉じ、会議室を後にした。数日後、訴訟の取り下げが正式に発表され、株価は回復基調に転じた。成果主義への転換方針は撤回され、年功序列制度の再設計が始まった。俺が求めた社内調査報告書が開示された時、15年間の案件の中に、適切な対応がなければ訴訟に発展していた可能性が高いものが多数含まれていたことが判明した。田は苦情処理専門部署に移動となり、俺の部下になった。「3分でできる」と言った人間が、今は俺の隣で電話を取っている。俺の仕事は、記録を次の人間に渡すことだ。
「17億? 零細企業に払う金はない。契約中止だ」。俺の会社を零細企業と馬鹿にしたのは、取引先の新しい部長だった。俺の名前は太田、45歳。社員数わずか11名の零細企業の社長だ。電子部品の制御装置や関連部品の開発製造をしているが、売上は安定していて、社員には食べるのに困らない給料を渡せていた。元々人と交流するのが好きで、営業の真似事もしている。坂本部長は、俺が営業を担当している取引先の人だった。甘いものが好きで意気投合し、親しくしていた。そんな坂本部長が、業界ナンバーワンの会社に転職が決まった。寂しいが、仕事ができる人が正しく評価されたのは嬉しい。坂本部長は転職先に俺の会社のことを紹介してくれると言った。そして「私の後任は、島岡課長が就任することになりました」と告げた。
島岡課長。2年前、新しい制御装置の開発依頼で会った時、最初から依頼するつもりがないのが分かった。「会社の規模がかなり小さいな。11人しか社員がいない零細企業だと? あんたは社長だそうだが、全然そういう風には見えないし」。こちらが提示した相場の値段にも「半額まで抑えられるだろう。俺を騙そうとしたってそうはいかないぞ」と文句ばかり。「底辺企業の考えなんてお見通しだからな」。会議は中止となり、俺は坂本部長に告げ口しなかった。部長との関係を壊したくなかったからだ。
坂本部長が去って2ヶ月後、納品のため島岡部長の元へ伺った。「部長への昇進、おめでとうございます。今後ともよろしくお願いいたします」。そう言って帰ろうとした俺を、島岡部長が呼び止めた。「ちょっと待て。大切な話がある。17億だ。零細企業に払う金はない。契約は中止だ」。俺は「騙すつもりなんてありません。我が社は対等な立場で御社と取引しています」と言い返したが、部長は爆笑した。「とは俺とお前が面白い冗談だな。うちは業界ナンバー3の大手企業だ。で、お前のところは地味な企業だろ? どこが対等なんだ?」。そして、許せない言葉を口にした。「あの無能が残した引き継ぎ資料なんて、見る価値もないだろ」。俺への侮辱より、坂本部長への侮辱の方が何倍も許せなかった。俺は契約中止を受け入れ、その場を去った。
2日後、予定外の来客があった。島岡部長だった。顔色が悪い。「お前のところの制御系技術が、うちの主力製品の製造ラインに使われているって。逆になぜ知らなかったんだ! 部長だろ?」。そう、我が社は部品を納入しているだけではない。島岡部長の会社の主力製品の製造ラインには、特許取得済みの17個の制御技術が使われているのだ。坂本部長の時代に交わした契約は秘密扱いで、ライセンス料17億を受け取っていた。契約中止を通達したので特許使用も停止。アメリカの大手企業と新しい独占契約の話が進んでいた。島岡部長は慌てて「契約中止はキャンセルだ!」と叫んだが、俺は「お断りします」と断った。「す、すまない。この通りだ」と土下座する姿を、俺は覚めた目で見ていた。「今更遅いんですよ。もう俺は決めました。御社とは2度と取引しません。契約は中止です。あなたがどうなろうと、知ったことではありませんよ」。島岡部長は力なく膝をついた。
その後、島岡部長は責任を追求され、表向きは自己都合の退職となった。会社の市場シェアは20%も落ち、来期はかなりの赤字になるだろう。ある日、コンビニで見覚えのある人とすれ違った。島岡部長だ。スーツはくたびれ、手には転職情報誌を持っていた。部長は俺に気づくことなく、コンビニを後にした。俺も声をかけなかった。さて、会社に戻るか。仕事は山積だ。
「意見するなら首な」。課長の問題発言がはっきりと耳に響く。システムがエラーを出し、俺が修理しようとしているのに、課長がやらせてくれないのだ。俺の名前は細谷、39歳。電子部品メーカーの技術者だ。独学でプログラミングやシステム設計を学び、能力を評価されている。2ヶ月前、新幹線が開通した地方都市の支社へ応援として移動してきた。移動先の技術部で、ただ1人、俺を快く迎えない人物がいた。課長の野村だ。「本社から移動って言うから、どんな優秀な人物かと思えば、高卒って厄介なものを押し付けられたもんだ」。野村は有名大学出身で、学歴への強いプライドがある。技術的な実務はほとんど理解していないのに、年功序列で課長になった男だ。
俺は「現場の人間関係を壊さず、まずは信頼を築くこと」という本社からの指示に従い、黙々と仕事をこなしていた。だが、ある日の午前中、工場から品質管理システムのエラー報告が入る。それは俺が1年前に本社で設計し、特許技術を使った自動品質検査システムだった。データの遅延や応答不良。俺はログとキャッシュの蓄積によるリソース競合が原因だと見当をつけ、部長に報告しようとした。しかし、話し合いの間に先に工場へ行った野村が、ドヤ顔で現場に指示を出していた。「適切な指示を出しているんだが、課長ともなれば優秀な業者を手配する判断力が重要なんだ。お前のような現場作業員とは格が違う」。俺が「このシステムは特許技術が絡んでいます。外部の業者でどうにかできることとは思えません」と言うと、野村は「生意気な口を、高卒は黙ってろ。意見するなら首な」と吐き捨てた。俺は「そうですか。野村課長の仰せの通りにいたします」とだけ言って引き下がった。最悪の事態に備えて、復旧作業の準備は整えていた。野村は知らない。俺がこのシステムの設計者だということを。野村が呼んだ業者は特許技術を扱えず撤退。システムは完全に停止し、製造ラインまで止まった。1時間で約500万円の損失だ。
支社長が駆けつけ、事実を報告すると、野村は「細谷が余計な真似をしたせいで壊れたんです!」と責任転嫁した。だが、部長や同僚たちが真実を証言した。「野村課長の強い制止、いえ、脅迫によって、細谷さんは手を出すことができなかったんです」。さらに、野村が俺の経歴書すら見ようとしなかったことも明らかになった。支社長は野村を睨みつけ、「細谷君は確かこのシステムの設計者だったはずだが」と言った。野村は言葉を失った。俺は支社長の許可を得て、すぐに復旧作業に取りかかった。ログ削除、キャッシュクリア、リソース調整……30分ほどでシステムは完全に復旧した。工場から歓声が上がった。その1ヶ月後、野村は「体調不良による退職」という形で会社を去った。実質的には解雇で、支社長は「本来なら懲戒解雇に値する」と人事部に報告したと聞いた。俺は応援移動の期間を満了し、本社へ戻ることになった。部長や同僚の温かい見送りに、少し寂しさが込み上げた。帰ったら昇進し、新たな一歩を踏み出す。だけど決して、野村のような上司にはならない。
「お前、あのボロ工場で働いてるんだって」。明らかに俺を馬鹿にし、見下した顔で言ったのは、中学の時の同級生だ。会の場でいい年した大人がそんなことを言うなんて、俺には衝撃だった。こいつは俺のことを何も分かっていない。だが、俺はこいつに何かしてやろうとは思わない。ただ事実を突きつけるだけで、こいつは地獄に落ちるだろう。
俺の名前は井出、40歳。父から継いだ工場を経営している。高校3年の時、工場を経営していた父が過労で倒れた。「卒業まであと半年待てない」。俺は高校を中退し、父の工場で働くことにした。周りのように高校を卒業しなきゃいけないとは思わなかった。それからの俺は忙しかった。工場で働きながら、暇な時間にたくさん勉強した。1年後、父が仕事に復帰でき、俺は勉強時間を確保できるようになった。そんな時、高校の2つ上の先輩・追川さんと再会した。追川さんはロボット研究会で仲良くなった先輩で、大学卒業後は大手企業に就職し、今は部長職だ。追川さんから新しいロボットの開発を手伝って欲しいと言われ、俺はそれを手伝った。そして月日は流れ、2年前に父から社長を継いだ。俺は父の時代にはやっていなかった分野へも進出し、追川さんの会社と取引を始めた。追川さんの部署ではガソリンスタンドの機械を扱っていて世界進出を目指している。うちはその機械のガソリンの流量を正確にコントロールする超精密弁を作っている。この弁のおかげで、うちは国内シェアを拡大して急成長している。追川さんの部署では人手不足で派遣社員を雇ったが、俺と同い年くらいの自分勝手な奴がいるらしい。「ミスさえしなければいいんだが」と追川さんはため息をついていた。
そんなある日、中学の同窓会に行くことになった。金曜日の夕方、追川さんから連絡が入った。「一部の検査データが上がってきていない。担当は例の派遣社員だったんだが、データを出さずに代謝してしまって連絡がつかないんだ」。「あいつ、明日同窓会だったよな。楽しんでこいよ」と追川さんは気遣ってくれた。
同窓会で、木原がやってきた。中学の時から俺を馬鹿にしてくる嫌な奴だ。木原は幼い頃ロボットや機械が好きで、将来は工場で働きたかったらしい。だが公務員の両親に「工場の仕事なんて底辺の仕事」と言われて育ち、いつの間にか両親と同じ考えに染まっていった。「お前、あのボロ工場で働いてるんだって。まだ潰れていないなんて驚きだな」。事情を知っている友人が「今は井出が社長だぞ」と言ってくれたが、木原は「大手ね。俺は今大手企業で働いてるんだ。お前のところの技術なんかとは桁違い」と名刺を差し出した。名刺には会社のロゴが入っておらず、どう見ても手作りのようだった。その時、会場の電気が消え、ハッピーバースデーのBGMと共にホールケーキが運ばれてきた。今日は俺の誕生日だったのだ。友人たちのサプライズに感動し、ロウソクを消すと、木原が思いっきり俺を睨んでいた。自分の自慢の直後に主役を奪われたと思ったのだろう。すると木原は「井出なんて高校中退だぞ。つまり中卒。今の時代に中卒なんてあり得るのか? 生きてて恥だろ」と叫んだ。さらに、なんとホールケーキを俺に投げつけてきたのだ。「中卒君、反射神経もダメだな」と笑う。「俺の勤務先は誰もが知っている大手企業だぞ。俺はその部署の責任者だ。お前工場潰れたら、俺が雇ってやるよ。もちろん最低時給でな」。
その時、俺の携帯が鳴った。追川さんからだった。「あの派遣社員、検査データを出ち上げて虚偽報告をしていた。検査データを取るのが面倒だったという理由らしい。派遣契約は終了だ」。俺はその派遣社員の名前を聞き、俺の思っていた通りかを確認した。電話を終え、会場に戻ると、木原はまだ「俺に酒を注げよ」と絡んでくる。「ああ、知ってたよ。お前がその大手企業の正社員じゃないことも、お前がプロジェクトの責任者じゃないこともな」。木原はようやく黙った。「お前の派遣の契約、終了な」。木原は顔面蒼白になった。「木原の名刺に書いてある大手企業はうちの取引先。うちの工場はそこにガソリンスタンドで使う機械の精密制御弁を下ろしている。プロジェクトの責任者の部長は俺の高校の先輩で、彼がうちの精密制御弁を絶賛し、このプロジェクトが始まったんだ。つまり、このプロジェクトの全貌を俺は知っているし、ある程度の発言権も持っている」。木原は「ちょ、ちょっと待ってくれ。お前の工場ってあのボロい……」と言って口を閉じた。「ああ、お前の言うボロ工場だよ。だが中身は最新設備も整っているし、超精密機器を作り出すだけの技術もある」。「お前は必要な検査データを、あろうことか出ち上げたらしいな。しかもその理由が面倒だったから。お前の嘘は追川部長がログを調べてくれて、全て発覚しているんだよ」。木原は顔を真っ赤にして「お前に何がわかる? 俺はお前が散々憶測で馬鹿にしてきたのとは違う。俺は事実しか言ってないよ」と返すと、「さっきも言った通り、お前の契約終了だから」。木原は「覚えてろよ」と捨てゼリフを吐いて会場を出ようとしたが、友人が「井出にクリーニング代くらい支払えよ」とすごんだ。木原は慌てて財布を出し、お札を俺に投げつけて逃げるように去っていった。
数日後、木原が工場に乗り込んできた。「おい、俺が首ってどういうことだよ」。俺はため息をつく。「首というか契約終了な。自分のやったことを考えれば当然の結果だろう」。「お前、俺を落とし入れてそんなに楽しいか」。俺は「お前を落とし入れる気なんてないし、そんなことに興味もない。お前はただ、自分で自分の首を閉めただけだろ」と返した。木原は「お前からうまくいって戻してくれよ」と言ってきた。「だったら転職でも何でもして、実力で世界規模の職場で働いてみたらどうだ」。「後悔するぞ。覚えてろよ」と背を向けようとしたので、俺は「あ、待てよ」と声をかける。「この間お前が投げつけた分じゃ、クリーニング代が足りなかったんだ。これ差額分、今支払ってくれ。請求する手間が省けたよ」。木原は「自分で払えよ」と言ったが、「訴えてもいいんだけどな。目撃者は山ほどいるし」と返すと、悔しそうに残りを払った。その後、木原が仕事ができなさすぎて首になったとか、木原が俺を殴って訴えられたとか、様々な噂が広がった。今は街外れのボロアパートに住み、アルバイトで食いつないでいるらしい。まあ、自業自得だろう。俺はと言うと、とても順調だ。例の精密制御弁は、追川さんの会社の世界進出に貢献し、その採用範囲は徐々に広がっている。「井出のおかげだよ。井出の精密制御弁がなければ、この機械は完成しなかったからな」。これからも、こういう革命を起こせるものを開発していきたいと思う。



