突然の訪問に困惑しながらドアを開けると、そこには同じ保育園のママ友であるあねさんが立っていた。いつものように上から目線のあねさんは、開口一番に言い放った。
「100万出して。」
心当たりもない大金の要求。混乱する私の隙に、あねさんはずかずかと家に上がり込んでくる。
「いいから100万持ってきて。これは私が頼んでるわけじゃないから、払うのが義務なのよ。」
あねさんはいつもそうだ。ママ友会で食事代を払ったことは一度もなく、ブランド品を盗まれたママ友もいる。立て替えたお金が返ってきたことなんて一度もない。それでも私たちがあねさんに強く出られないのには理由がある。あねさんの夫はヤクザなのだ。何か気に食わないことがあれば、夫を使うと脅してくる。ママ友たちはみんな報復を恐れて受け入れるしかなかった。
「とにかく100万渡せばいいのよ。これから他のママたちのところにも行かなきゃなんだから、早くして。」
「他のところにも?みんなすぐ出せる金額じゃないし、話もきっと聞いてもらえないよ。」
「私の言うことを無視したら、旦那に言いつけてやるわよ。そしたら家族全員怖い目に会うんだから。」
私は理由も分からないまま100万円を要求されても払えるわけがない。ましてや他人のために借金するなんてできない。
「なんで必要なの?お金、お金って言う前に理由を聞かせて。」
「うるさいなあ。理由なんてどうでもいいだろ。いいから払えよ。」
理由を全く言わないあねさん。ヤクザの夫が何か危ないことに使おうとしているのだろうか。不安が募る。
「ねえ、これは上納金っていうのよ。私、ママ友会のボスだから上なの。わかる?」
「上納金って…私たちに上下関係なんてないよね。ママ友会にボスなんて初めて聞いたよ。」
「何にも知らないんだね。ヤクザには組長がいるだろう。保育園にも園長がいる。それと一緒だよ。」
「それは統率を取る必要がある組織の話でしょ。ママ友会はそんな組織とは違うんじゃない?」
「情報交換なんていらないよ。そんなことよりママ友をまとめる必要があるんだから、私がボスをやってあげるってこと。毎月上納金を払ってもらうからね。毎月。」
「そんなの現実的に無理よ。さすがに頭おかしいんじゃないの?」
「はあ。稼ぎがないなら働き口紹介してあげるわよ。誰が他人のために働こうって言うの。そんなに言うなら自分で稼ごうとは思わないの?」
あねさんの言っていることは全く筋が通っていない。毎月100万円なんて、一体どう生きていたらこんな考えができるのだろう。呆れていると、あねさんは意地悪そうに笑ってスマホを耳に当てた。
「ああ、パパ。この前話した上納金のことだけど、全然話通じなくてさ。ちょっと来てくれない?」
電話を切って、あねさんは私にニヤリと笑いかける。
「うちの旦那に来てもらうわ。ヤクザに逆らわない方がいいのに。そんなことも分からないなんて、残念な人。」
呆然としていると、家の前が騒がしくなり、玄関のドアが開いた。黒いスーツ姿の男たちが土足で家に上がり込んでくる。あねさんの夫だ。その後ろにはチンピラたちも数人いる。
「てめえか、話が通じないって女は。あの話ちゃんと聞いたのか?理解できないなんてバカなんだな。」
「本当にかわいそうな人なの。」あねさんが私を見下すように言う。
「あねさんの話は筋が通ってないと思うんです。毎月100万を上納金として渡すなんて、私たちはただのママ友ですし。」
「ただのママ友じゃねえだろう。あねがボスなんだからよ。」
「このボスって一体いつ、どのように決まったんですか?初耳すぎて、他のママもきっと私と同じ反応をすると思いますよ。」
「さっきから偉そうにな何なの?あんたもうめんどくさいから。パパ、お願い。」
「そうだな。あの言ってることが理解できない奴には、体で分からせるしかねえな。」
そう言われた瞬間、視界が歪み、左頬が熱くなった。夫に平手打ちされたのだ。
「痛いよね。やっと私たちのこと理解した?言うこと聞かないともっと怖い目に会うよ。早く払えば痛い思いしなかったのになあ。」
私は頬を押さえながら言い返す。
「暴力に屈するとでも思ったんですか?諦めても、あねさんの言っていることはやっぱり理解できない。」
言い切る前にまた平手打ちが飛んでくる。鉄の味が口の中に広がり、口を切ったことを理解した。派手に転び、壁に頭を打ちつけた私を見て、あねさんは嬉しそうに笑う。
「ヤクザに逆らわない方がいいのに。そんなことも分からないなんて、残念な人。」
あねさんは他のチンピラたちに目配せをする。それを合図に、私はチンピラたちに袋叩きにされた。殴る、蹴る、髪の毛を引っ張る。やることは小学生のようだが、大人の力は強く、人数も多い。私は丸くなって身を守ることしかできなかった。
「そろそろ懲りたか。」
あねさんの夫に赤く腫れた顔を掴まれ、私はぐったりとされてしまう。一体どうすれば、この人たちは話を聞く気になるのだろう。私はこの場を切り抜けるため、今まで秘密にしてきたことを打ち明けることにした。
「私のおじいちゃんは組の組長よ。」
一瞬にしてその場は凍りついた。あねさんの夫が目を見張る。
「何?あねさんの旦那さんがヤクザであるように、私のおじいちゃんは組長だって言ったのよ。目には目を、歯には歯を、ヤクザにはヤクザよ。」
「はあ。どこの組だ?」チンピラたちが少し緊張した様子であねさんの夫が私に問いかける。
「別にうちの組じゃなければ問題ないんじゃないの?」
「そんな簡単な世界じゃねえことくらい、てめえで判断しろよ。」
静かにドスの聞いた声に、その場にいる全員が息を飲んだ。
「なあ、どこか組か言ってみろよ。」
体中に痛みが走り、口を動かすことも辛い私を見たあねさんは嘲笑う。
「ほら、言えないってことは、小さな組か出任せなんじゃないの?うちの組は大きいんでしょ?」
「ああ、俺ら黒川組はここら以外にも島を増やしていってるからな。」
黒川組。私は耳を疑った。私のおじいちゃんは黒川組の組長なのだ。あねさんの夫の組がまさか黒川組だなんて。私は確信を持って言った。
「あんたたち、黒川組なのね。」
私の発言から、あねさんの夫はことの重大さを悟ったようだ。顔色が一変する。
「黒川組よ。あんたたち、大変なことになるわね。今の私よりもひどい目に会うかも。」
「はあ。あんたのとこが黒川組?同じ名前の組なの?」
「お前は本当にアホか?やべえよ。なんてことしてんだよ。」
チンピラたちは後ずさりし、私は蹴られた体をさすりながら立ち上がった。
「そ、そんなこと信じられるわけないじゃない。こっちが黒川組って言ったから合わせてるだけなんじゃないの?」
「別に信じなくてもいいけど、本当のことだからね。今一番やばいのは、あねさんの旦那さんじゃないかな。」
「く、本当かどうかなんて分からないじゃない。あんた普通すぎて、組長の孫に全然見えないし。」
「それはそうよ。私は祖父がヤクザの組長であることをずっと隠して生きてきた。普通に幸せに暮らしたかったから。ヤクザの家の子だと知られたら、周りの人は怖がってしまうでしょう。あなたみたいに身内にヤクザがいるなんて言ったら、息子も友達ができなくなってしまう。」
「そ、そんなことないわよ。親の応募さで息子さんに悲しい思いをさせていることすら気づいていなかったのね。そんなことも分からないなんて…」
「うるさい!息子のことは関係ないでしょ。それにあんたのじいちゃんがうちの組の組長だって信じたわけじゃないんだからね。」
「そんなに信じられないなら、今ここに呼んであげましょうか。」
あねさんのことが心底哀れに思えた。自分の言動の馬鹿さ加減に気づかず、まだ強がっている。
「呼べるもんなら呼んでみなさいよ。」
祖父が組長であることは事実であり、私はこれ以上殴られることがないことに胸を撫で下ろした。あねさんの夫やチンピラたちは、私とあねさんの一連の会話を聞き、本当だったらどうしようと自分の行いを案じるものもいれば、呼べるはずがないと息巻く奴らもいる。
「ほら、どうせ呼べないんでしょ。今なら『嘘つきました。ごめんなさい』って、土下座したら許してやるわよ。」
あねさんは私の話を全く聞き入れない。その態度に呆れた私は、祖父に連絡を取ることにした。
「わかった。あんたもあんたの旦那さんも、ここにいるみんな、後悔することになるよ。」
「その態度は何よ。もう絶対許してやらないんだから。どうせ呼べないくせに強がっちゃって。」
「もしもし。おじいちゃん、突然ごめんね。ちょっと助けてほしくて…忙しいところ申し訳ないんだけど、今すぐうちに来てもらえないかな。」
私が電話を切ると、あねさんは嘲笑う。
「助けてって言うだけで、組長が動くもんなのかしら。うちの組の組長なら、忙しくてこんなところになんて来ないわよ。」
「おじいちゃんは昔から私には甘いのよ。それに、身内が助けてほしいなんて言ってたら、飛んでくるわ。ご心配には及びません。そんなことより、自分たちのことを心配したらどうかしら。」
あねさんは私の言葉を全く信じない。この後に及んで上納金を奪おうと夫に言うが、夫はさすがにあねさんほどバカではないようだった。祖父が家に着くまでの間、私は殴られることも蹴られることもなく、静かに時間が過ぎた。あねさんのうるさい独り言は家中に響き渡っていたが、家の前に車の止まる音が聞こえると同時に、スーツ姿の男たちが五、六人、玄関のドアを開けた。
「美由紀、何があったんだ?」
「お、おじいちゃん…」
真っ先に家に入ってきたのは、スーツ姿の年配の男性。私の祖父だ。私の赤く腫れた左頬を見て、祖父は周りのチンピラたちに叫んだ。
「こいつは一体どういうことだ?お前らがやったんか?」
あねさんの夫とチンピラたちは、その場に土下座して頭を床に押し付けた。
「組長、申し訳ございません。まさか組長のお孫さんだとは梅知らず…」
「知らなかったじゃ済まされねえぞ。どういうことか、ちゃんと説明しろ。」
「おじいちゃん、主犯はそこの女よ。」
私はあねさんを指差すと、あねさんはさすがに状況を飲み込んだのか、チンピラたちに混ざって土下座した。
「この人はあねさん、同じ保育園のママ友。いや、もう友達でも何でもないんだけど…いきなり家に押しかけてきて、上納金として毎月100万円払うように私を脅してきたの。意味が分からないからそんなお金払えないって言ったら、旦那さんを呼びつけて私にこんなひどいことを…」
「上納金だと?ただの他人にか。本当か…」
「そうよね。自分はママ友会のボスだなんて言いはって。意味が分からないから、そんなお金払えないってことあったら、旦那さんを呼びつけて…」
祖父の拳は固く握られ、今にもあねさんや旦那さんに殴りかかりそうだった。だが、祖父はあねさんの頭を掴み上げ、ゆっくりと声を出す。
「俺の可愛い孫娘にこんなことして、ただで済むと思ってんのか。」
祖父はあねさんの夫の頭も掴んだ。二人は震え上がる。
「す、すみません。本当に知らなかったんです。知ってたらこんなことしてません。」
「知らなかったじゃ済まねえんだよ。てめえはヤクザの癖に、手を出していい相手かどうかも見極められねえのか。」
「でも、知らないもんは知らないです。それに、組長の孫と言っても、ママ友会では私がボスだし、ボスに上納金を納めるのは当たり前じゃないですか?」
「…てめえには病気か。」
私はこの後に及んでまだ自分を正当化するあねさんのことが、一周回って恐ろしく感じた。どこまでも自分勝手な人だ。祖父もあねさんの言葉に呆れたように首を振る。
「ママ友ってのは友達だろう。友達からそんな大金を巻き上げようなんて…俺らヤクザでもやらねえよ。」
「でも、上納金は納めるのが普通じゃないですか。」
「義務ならって話だ。給料以上の金額を納めろなんて言ってみろ。誰もできねえ。組からみんな抜けちまうよ。お前ら、毎月100万俺に納められるのか?」
あねさんは夫の方を見るが、夫は沈黙していた。
「ここにいても美由紀に迷惑がかかっちまうな。おい、全員事務所に連れてけ。」
チンピラたちの中には勘弁してくれと逃走を測るものもいたようだが、スーツの男たちに捕まり、車に放り込まれた。祖父は私の頭を優しく撫でた。
「美由紀、痛かったな。あいつらのことは、じいちゃんがしっかり面倒を見るからな。」
「おじいちゃん、ありがとう。久しぶりの連絡だったのに、ごめんね。」
「いや、いいんだ。頼ってくれて嬉しいよ。美由紀はしっかり幸せになってくれ。」
そう言って祖父は全員を連れて家から出て行ってくれた。
事務所に着いてから、あねさんの夫とチンピラたちは私以上にボコボコにされたようだ。その様子を目の前で見せつけられたあねさんは、顔を真っ青にしていたという。逃げ場を失ったあねさんの夫は必死に責任転嫁を始めた。
「こうなったんだ。すみません。全部こいつがやれって言ったんです。」
「てめえは、てめえの女の言うことなら何でもその通りにやるのか。つまんねえ男だな。」
「俺が上納金の話をしていたら、こいつがママ友たちから上納金を取りたいって言い出して。ママ友なのになんで取るんだって聞いたら、自分がボスなのにみんな言うことを聞かずわがままばかりだから示しをつけたいと。それに、上納金のうち10%をやるって言われたんで…」
「てめえは黙ってろ!」あねさんが夫を遮る。「私はあいつらのボスなんだよ。」
「てめえは黙ってろ。示しをつけるために金を巻き上げようってか。そんで金が手に入らないからって、俺の孫娘をボコボコにしてくれたんだな。」
「本当に知らなかったんです。組長のお孫さんがあんな普通に暮らしているなんて。こいつもそんな話聞いたことなかったって…」
「自分の家のこと言わねえだろうな。ヤクザと繋がりがあるってわかったら、世間はどう思うよ。美由紀は美由紀の家族を守るために、普通に生きてくことを選んでんだ。てめえもヤクザの家系なら、手を出していい相手かどうかちゃんと考えろ。」
「俺もこいつに呼ばれなかったら、お孫さんに会うことすらなかったんです。」
「おい、あんた、名前は何て言うんだ?」
「ひ、あ、あねです。」
「あねか。いい名前だね。あね。なんで友達にあんなひどいことができた?なんで100万なんて金を取ろうとしたんだ?」
「な、なんでって…お金が必要で…」
「てめえの家にもちゃんと金は出してるのに、なんで足りねえんだ?何に使うんだ。」
「買い物してたら色々と買いすぎちゃって、カードも限度額いっぱいだったし…。偶然旦那が上納金の話してたから、これだって…毎月100万あったら好きなだけ買い物できるな、と思って…」
「つまり、てめえの欲望のために必要な金ってことか。そんなもののために、俺の孫娘は痛い思いをしたっていうのか。」
「すみません。でも、知らなかったから…知ってたら、そんな組長の孫に手を出すことなんてできません。」
「誰に対してもやってはいけないことなんだよ。てめえらはもう分かってるだろうな。俺の可愛い孫娘に手を出したら、どうなるか。」
「許してください。お孫さんと知ってたら絶対にやりませんでした。ごめんなさい。これからは仲良くしますから。美由紀さんをボスと崇めます。」
「別にもう仲良くしてくれなんて俺は望んでねえし。美由紀も嫌だろうな。関わりたくねえだろうよ、てめえらなんかとよ。」
祖父は一呼吸置いて、冷たい声を落とした。
「でも、やっちまったことはどうしようもねえ。上納金って言葉知ってんだろ?じゃあ、けじめって言葉は分かるか?ボスって言うくらいだから、けじめの意味も大切さも理解してるよな。」
「どうやってけじめを…」
「まあな。とりあえず、てめえが味わった以上の痛みと恐怖は絶対条件だな。」
「そ、そんな嫌なのか…」
「てめえ、自分がやられる覚悟もねえのに、他人に拳を振りかざしてんじゃねえよ。」
「で、でも、もう少し温情はいただけないかなと…」
「温情?」
祖父はあねさんを一瞥すると、金貸しの鮫島という男を呼んだ。
「では、あなたの代わりに今1億円を払いますので、ここにサインをお願いします。」
あねさんがサインすると、金貸しの鮫島はすぐにパソコンを操作し、祖父の口座に1億円が振り込まれた。
「よかった。これでとりあえずはどうにかなりそうね。」
「そうですね。じゃあ、早速行きましょうか。」
「どこに?」
「お金を稼ぎにですよ。」
「何?」
「命は取りませんから、ご安心を。」
あねさんは金貸しの鮫島に連れて行かれた。女が大金を稼ぐ方法。それは言葉の通り、身を削ることになる。自分がこれから何をすることになるのか、あねさんはこの時、何も分かっていなかったようだ。
残ったあねさんの元夫とチンピラたちにもけじめが待っていた。祖父は笑みを浮かべながら言った。
「ちょうどいいタイミングでな、裏稼業の人手が足りなくなったんだよ。ま、ヘマした奴の補填だな。腕を磨けば、しっかり稼げるさ。下手こいたら無給だけどな。」
あねさんがいなくなり、平和が訪れた。私が望んでいた普通の幸せだ。久しぶりのママ友会で、あねさんの話になった。
「実は私、5万円貸してくれって言われて、怖くて渡したことあるのよ。帰ってきてないけどね。」
「え、実は私も10万円くらい。」
どうやらあねさんは、いろんなママ友からすでにお金を取っていたらしい。5万、10万では足りなくなり、私に上納金100万円を払うように言ってきたのだろう。
「でも最近全然見かけなくなったね、あねさん。」
「そうね。どうしたのかしらね。あの人がいない方が助かるから。お金帰ってこなくても仕方ないと思えるわ。」
あねさんは夜の世界でたくましく生きているという。あの図太さとぶっ飛んだ思考は、夜の世界では受け入れられたようで、普通のママでいるよりも生き生きとしているらしい。生きる世界は人それぞれ。私は家族、三人で穏やかに暮らすこの生活に、幸せを感じている。



