「無能職人のじじいに融資する金なんて、こっちにはないんだよ」
勇気を振り絞って訪ねた銀行で、新しく着任した支店長――清水と名乗る男――が、吐き捨てるようにそう言った。
俺は玉山仁。花火職人として30年以上、この道一筋でやってきた。父が興した花火製造会社を継ぎ、これまで多くの人に喜んでもらうために、休む間もなく働いてきた。そんな俺を「無能」呼ばわりした男の態度に、俺の堪忍袋の緒は完全に切れた。
「後悔しないでくださいね」
今まで長年お世話になってきた銀行だ。本当なら、こんなことをしたくなかった。だが、もう仕方ない。
「あ? 何言ってんだ。後悔なんてするわけないだろ」
清水支店長は、自分が地獄の一歩手前まで来ていることに、まったく気づいていないようだった。俺はため息をつき、その場を去った。果たして、次に会った時、彼は今日と同じ口をきけるのだろうか。
俺の実家は、70年続く歴史ある花火製造会社だった。子供の頃、汗水垂らして花火と真剣に向き合う父の背中は、いつ見てもたくましくて、かっこよかった。
「父ちゃんの花火、すごくきれい! 俺も花火職人になる!」
「お、ありがとう。花火職人の道は大変だぞ。頑張れるか?」
「うん! 俺、頑張って花火職人になるんだ!」
成長しても、その夢は変わらなかった。そして俺は父から仕事を教わり、花火職人として長く働いてきた。
環境が変わったのは10年前。最愛の父が他界した。尊敬する父を亡くし、深い悲しみに暮れたが、いつまでも泣いてはいられない。俺は後継ぎだ。気持ちを抑え、社長の座を引き継いだ。
「亡くなった親父に恥ずかしくない花火職人社長でいる」
その思いだけで、この10年、必死に働いてきた。親父から引き継いだこの仕事を、俺は本当に誇りに思っている。
会社を続けていく上で欠かせないのが、銀行との関係だ。我が社は長年、地元の銀行と取引をしてきた。
「玉山さんには息子さんがいらっしゃいますよね。実は、私の息子と同い年らしいんですよ。器遇ですね」
担当の大西さんは、とても穏やかで人当たりのいい人物だった。初対面で言われたその一言で、俺は彼に好印象を持った。
「大西さん、聞いてくださいよ。この前、孫が…」
それ以来、会うたびに息子や孫の話で花を咲かせていた。銀行の担当者がこんなに話しやすい人で、俺は本当にラッキーだと思っていた。しかし、最近になって、大西さんの様子が少し変わった。会うたびに、疲れた表情をしているのだ。
「大西さん、最近なんか大変なの?」
「いえ、そんなことないですよ」
「大西さん、俺は誰にも言わないよ。ずっと付き合いもあるし、表情で分かるんだ。最近、何があったんだろう」
大西さんに少しでも楽になってもらおうと、もう一度問いかけてみた。少ししつこいかとも思ったが、どうしても心配だったのだ。
「…ここだけの秘密ですよ、実は」
そう言って、大西さんは話をしてくれた。最近、銀行の支店長が新しい人物――清水という男に代わったらしい。そしてその清水という支店長が、問題のある人物だというのだ。
「支店長が着任されてからというものの、すごい威圧的な態度で私達を威圧してきて、暴言もすごいんです。毎日、結果を出すようにプレッシャーをかけられて、大企業への融資を増やすべく、朝から晩まで支店長の怒号が響いているんです」
大西さんの語った内容があまりにもひどく、俺はかける言葉を見つけることができなかった。大西さんにはいつもよくしてもらっている。だからこそ、力になってあげたいという気持ちはあった。しかし、俺にできることは、励ますくらいしかなかった。
「それはきついね。話だったらいくらでも聞くからね」
「玉山さんが気にかけてくれた、その気持ちだけで嬉しいです」
自分が何もしてあげられないのに、そう言ってくれる大西さんは、やはりいい人だと思った。俺は心に誓った。力になれることがあれば、大西さんのために動こうと。
その誓いから数日後、青ざめた顔をした大西さんが、アポもなしに俺の会社へ突然やってきた。普段はそんなことをしない人なだけに、嫌な予感がした。
「あの……融資の打ち切りが決まりまして、今月中に6000万の融資を一括で返済していただくことになりました」
「え、どういうことだ?」
いきなりの言葉に、状況が読み込めなかった。大西さんも理由が分かっていないという。今まで長く取引を続けてきた銀行だ。急に融資を打ち切られるようなことをした覚えは、俺にはまったくない。
「ちょっと納得できないな。一度、その清水支店長と話してみるよ」
俺はすぐに清水支店長と面会の約束を取り付けた。当日、約束の時間の少し前に着いたが、清水支店長は一向に現れない。1時間近く待たされた後、ようやく現れた。
「本日は一体、何のようなんですか?」
約束の時間に遅れてきたのに、謝罪の一つもない。それどころか、第一声から非常に不快感を覚えた。大西さんから聞いていた通り、かなり嫌な人物であることが、その一言で分かった。
「先日、いきなり融資の打ち切りの話を聞きました。こちらとしては打ち切られるような心当たりがないので、説明をお願いします。なぜ、うちの会社が融資を打ち切られることになったんですか?」
担当直入に理由を聞いてみると、清水支店長は天井を仰ぎ、面倒くさそうに小さく息を吐いた。
「ああ、それね。今年の夏イベントで、会場への花火の到着が遅れた件がありましたよね」
「はい、ありましたね」
確かに、そのトラブルはあった。しかし、花火の到着が遅れたのは、こちら側の原因ではない。原因は自然災害だ。台風の影響で荷物の運送に遅延が発生してしまったのだ。うちの会社としては期日内に出荷しており、自然災害の影響がなければ、問題なく到着していたはずだった。
「うちの会社としては間に合うように送りました。結果的に遅れてしまったのは自然災害の影響です」
相手方もこちらに非がないことは分かってくれた。しかし、そんな俺を見て、清水支店長はニヤリと笑った。
「それでも、会社としての信用は一定数、毀損されたんですよ。それで、そちらは融資の基準を下回ったんです」
こちらに非がないというのに、基準を下回るなんてあんまりではないか。そもそも、それでいきなり融資が打ち切られるなんてことがあるのか、俺は疑問に思った。
「商品を期日に届けられないような無能な花火職人に融資する金なんて、こちら側は持ち合わせてないんですわ」
「なんてことを言うんですか?」
こちらに非がないことを説明したのに、「無能」だなんて言葉を投げつけられるとは思わなかった。あまりにもひどい言動に、俺は怒りで体が震えた。大西さんから聞いた話を思い出す。確か清水支店長は、大企業への融資を増やそうとしていたはず。もしかして、俺の会社の信用が毀損されたというのは、単なる建前ではないのか。それを理由に俺の会社への融資を打ち切り、大企業への融資枠を増やそうとしたというのが真実なのかもしれない。その理論で行くと、正直、理由なんて何でもいいのだ。俺はそう悟った。本当に、本当に勝手な人だ。清水支店長は自分の評価のために、俺の会社を犠牲にしようとしている。
怒りで我慢できずにそう言ってしまうと、清水支店長はヘラヘラとした態度で俺に帰れという。
「あれ? じいさんは耳が遠いのかな? 早く帰ってください」
畳みかけるように、再び帰るように迫ってきた。
「わかりました。融資の返済はします。後から後悔しないでくださいね」
もう清水支店長とまともに対話しても無駄だと思った俺は、返済を了承した。一気に6000万を返済しなければいけなくなったが、別に焦ってはいない。この時、俺は絶対にこの支店長を後悔させてやろうと心に誓った。大西さんを苦しめたこと、酷い言葉で融資を打ち切ったこと、そして、あまりにも酷い言動を繰り返したことへの仕返しだ。
「後悔? するわけないですよ」
俺の言葉が負け犬の遠吠えにでも聞こえたようだ。清水支店長は鼻で笑う。しかし、そんな態度を取られても、俺はもう何とも思わない。俺はその場を立ち去った。決めたことは、きちんと守る。そういう男だ。
清水支店長と会った翌日、俺は銀行へ向かった。ロビーのスペースで、清水支店長と大西さんとテーブルを挟んで向かい合う。
「はい。こちら、融資していただいていた6000万です」
スーツケースに入った現金を清水支店長に突きつける。俺は6000万を一括返済した。
6000万円もの大金を一括で返済できたことを不思議に思う人もいるかもしれないが、それにはちゃんと理由がある。うちの会社は過去に何度も有名な花火大会で賞を取っており、業界の中でも特に名の知れている会社だ。花火の注文は国内だけにとどまらず、海外からも来るほどだ。毎日、注文されたものを作るのに大忙しで、繁盛している方だと思う。それだけ多くの注文が入る会社なので、儲けもそれなりにある。急に銀行に融資を打ち切られたとしても、今まで通りやっていけるような環境だったのだ。
目の前に6000万円という大金が置かれ、清水支店長は驚いていた。そして、融資していた金額が全額返済されたことを理解すると、面白くなさそうな表情へと変わった。本当は返済できずに困っている俺の姿でも見たかったのだろうか。返済しろと言うから返済してやったのに、どこまでねじ曲がった性格をしているのだろう。
清水支店長は気を取り直すように一呼吸を置いて、にっこりと笑う。その満足げな表情を眺めながら、俺は思い出したかのように切り出した。
「あ、そうだ。今日は返済だけではなく、別件でお願いしたいことがあったんですよ」
「はい」
「いえいえ、融資はもう結構です。では、何でしょうか?」
「私名義の個人口座の解約をお願いしたいんですよ。大体、5億円ほど入っているでしょうか?」
急に想像もしていない話になったものだから、清水支店長の声は裏返っていた。一緒に聞いていた大西さんも、とても驚いた表情をしている。
「は、はい。承知しました」
それでも大西さんは俺の希望を受け入れ、手続きを始めてくれた。俺が大西さんを好きなのは、普段の人柄の良さはもちろん、仕事に真面目ですぐに仕事をこなしてくれるからだ。こんな状況でもすぐに仕事を始めてくれる大西さんに、心の中で感謝した。
「おい、大西! ちょっと待て!」
清水支店長が慌てて止める。その焦った様子に、俺は微笑みを浮かべて目を向けた。
「俺が大金を持っているだなんて、思ってませんでしたか? 意地悪ですかね?」
「え? いや、その……」
おそらく言葉を失ったのだろう。俺の問いかけに対し、清水支店長はアワアワとするばかり。そんな中、支店長に止められたのにもかかわらず、大西さんは手続きを淡々と進めてくれている。
大西さんの姿を見て、清水支店長はかなりマズいと思ったのだろう。
「大西、やめろ!」
今度は大声を出し、大西さんの続けていた作業を止めた。
「私は、玉山さんが個人口座を持っていたのを知らなかったんですよ。ちょっと待っていただけないでしょうか?」
今まで俺と俺の会社に対してひどい仕打ちをしていたくせに、清水支店長は態度を急に変えてきた。大金を持っていると分かるや、気持ち悪い猫なで声で擦り寄ってくる。きっと俺の会社の業績だって大して調べもせずに、小さな古い花火製造会社だと思っていたのだろう。だからこそ、きっと今まで俺を馬鹿にしていたに違いない。おそらく俺の会社が有名であることを知っていれば、清水支店長だって融資の打ち切りなんてしなかったはずだ。
「私は、後悔しないでくださいって言いましたよね。あなたは、後悔しないと言ったはずですよ」
俺は冷めた目線で清水支店長を見ながら言う。
「あなたは、俺をバカにしていましたよね。だから、うちの会社の融資なんて簡単に打ち切ればいいと思っていたんでしょ」
いよいよ清水支店長も、自分の置かれている立場を理解したらしい。
「す、すいません! 土下座をして、必死に謝罪してくる」
「今さら、そんな風に謝られてもね。散々、ひどいこと言われましたし」
「ど、どうか、解約の撤回だけはしていただけないでしょうか! 融資も、引き続きさせていただきますので!」
謝って、この状況がどうにかなると思っているのか。自分が言った内容も覚えていないのか。
「あなたが言ったことですよね。私はあなたの言った言葉、忘れてませんよ」
「それは謝りますので、どうか! 本当に知らなかったもので!」
「ひどい言葉でしたよ。とてもじゃないですけど、今さら謝られても、その謝罪からも誠意は感じられません。許す気はないですよ」
支店長から謝罪されて、俺の決意が揺らぐことはない。
「お、おい、大西! やめろ!」
俺の決意が固いと分かり、どうにもならないと思ったのか、清水支店長はかなりパニックになったようだ。再び大声を出し、大西さんに掴みかかって手続きを止めようとし始めた。
その異常な行動を、さすがに他の従業員は見逃せなかったらしい。複数の銀行員たちが、清水支店長を取り押さえた。
「離せ! なんで、こんな……」
複数の銀行員に抑えつけられた清水支店長は、力なく項垂れる。そもそも大西さんを止めたところで、俺が解約をやめる気はないのだ。今、大西さんを止めたところで、解約が少し遅れるだけのこと。パニックになった清水支店長は、そんなことも瞬時に判断できなかったらしい。自分の手柄を獲得することばかりを考えて、好き勝手にした結果がこれなのだから、本当にバカバカしい。
こうして、俺は本当に個人口座を解約した。
銀行との付き合いがなくなっても、俺は今までと同じように花火を作っている。特に生活の変化はない。
「玉山さん、こんにちは!」
「お、大西さん!」
あのトラブルから数日後、また俺の元に大西さんがやってきた。融資が打ち切りになった時と同じように、アポなしでいきなり来たものだから、俺はまたびっくりした。
「俺、あの銀行やめましたよ」
そんなことを大西さんが言うものだから、俺はとても驚いた。その後の流れは大西さんの口から明かされた。
「『5億円の口座を解約されたのはお前のせいだ』って、清水支店長に責任を押し付けられたんです」
大西さんは何も悪いことをしていない。最初から最後まで俺に不快感を与えたのは清水支店長だ。俺のしたことによって、大西さんが仕事を失うなんて思ってもいなかった。とてもよくしてくれた人物なだけに、俺の影響でそうなってしまったことを、非常に申し訳なく感じる。
「いいんですよ。もう清水支店長についていく気がしなかったですし。解約処理をしていた時から、覚悟はできていましたから」
そう言って笑って答えてくれる。その時の大西さんの表情は、晴れやかなものだった。よほど清水支店長によって精神的に追い詰められていたのだろう。毎日毎日圧力をかけられ、朝から晩までクタクタになっていた時の大西さんとは比べ物にならないほど、いい顔をしていた。
大西さんが会いに来てくれた日からしばらくして、大西さんが勤めていた銀行の支店が閉店したと人から聞いた。そんな時、大西さんから電話が来た。
「玉山さん、大手銀行に再就職しました!」
「そうなのか。本当におめでとう。そういえば、清水支店長のいた支店、閉店したらしいな」
「ああ、よくご存知ですね。あそこで一緒に働いていた人から聞いた話なんですが…」
そう言って、なぜ閉店になったのかを俺に話し始めた。清水支店長は自分のしでかしたことを大西さんに押し付けたが、それに他の銀行員たちが怒ったらしい。元々、清水支店長は自分の権力を振りかざして、他の銀行員たちを従わせていた。そのため、多くの人間が清水支店長に対して不満を持っていたのだ。その不満が、大西さんが首になったことで爆発したという。
「清水支店長に実際に会って思ったが、あの人の言っていること、やっていることは本当にめちゃくちゃだった。そんな人物と毎日仕事で関わっていれば、そりゃ不満も湧くだろう。しかし、立場が上の人間なため、大西さんを始め銀行員たちは我慢していたのだ」
大西さん同様に、どんどんと銀行員たちが退職し、働く人が極端に減ったことで、業務に支障が出てしまった。そんな状態になって、銀行の上の人間たちも放っておけなくなった。清水支店長のことが調べられていくうちに、今までしてきたパワハラが明らかになった他、俺の5億円口座解約の理由もバレたらしい。ことの重大さに、清水支店長は支店長から地方へ左遷されたという。
彼のような人間が上に立つべきではない。これ以上、犠牲者が出ないことに、俺はほっとした。
大西さんが違う銀行で働くようになったことで、俺は再び大西さんが働く銀行に足を運び、顧客になった。大西さんが仕事をやめてしまった原因を作ったのは俺だったから、どうにか力になりたいと思ったのだ。
違う銀行へ行っても、大西さんはしっかり仕事をこなしてくれる、素晴らしい銀行員だ。これからも大西さんと良好な関係を保ちながら、仕事に励んでいきたいと思う。



