夫のクローゼットを掃除していたとき、私は自分の目を疑った。衣替えをしようと扉を開けると、そこには見覚えのない女性の服がずらりと並んでいたのだ。
「え、これ誰の…?」
まさか浮気?一瞬そう考えたが、一緒に住む家に堂々と女物の服を置くはずがない。夫はファッション関係の仕事だから、仕事用の服かもしれない。そう思ってその日は片付けを済ませた。
夜、帰宅した夫に聞いてみた。
「クローゼットにあった洋服、何?」
「ああ、あれか。全部母さんの服だよ」
「え、お母さんの?なんでうちに大量の服があるの?」
「来月から母さんも一緒に住むことになったから」
あまりにも軽い口調で言われて、私は言葉を失った。
「は?今なんて言った?なんで私に相談してくれないの?一切聞いてないんだけど」
「大きな声出してどうしたんだよ。だから今言っただろ。なんでそんなに怒ってるんだよ」
夫はまるで何でもないことのように言う。私は頭の中が真っ白になった。義母の世話をするために仕事を辞めて専業主婦にさせられたのだと、そのときようやく気づいたのだ。
義母は夫が小さい頃に父を亡くし、今は一人暮らしをしている。どこも悪いわけではないのに、たまに家に来ては家の中を隅々までチェックし、私の家事にダメ出しをしていく。
「女性として家事もできないなんてね。仕事は優秀だったのかもしれないけど、女性は家事ができなきゃ意味ないわよね」
「こんな料理を息子に食べさせるなんて、ちゃんと料理の勉強してちょうだい」
毎回毎回、嫌味を言われていた。同居したら毎日こんなことを言われるのか。考えるだけで気がめいった。
「親なんだから同居してもいいだろ。いずれは同居するつもりだったし、面倒を見ることはお前も分かってたことだろ。だからお前に専業主婦になってもらったんだよ」
夫の言葉に怒りが込み上げてきた。
「私は姑の面倒を見るために仕事を辞めたわけじゃない。私の気持ちは無視なの?」
「嫁が長男の親の面倒を見るのは当たり前だろ。大人なんだからそれくらい我慢しろよ」
呆れた顔でそう言われ、私はさらに反論した。
「面倒を見るのが当たり前なら、結婚しているんだから決める前に相談するのが当たり前なんじゃないの?」
すると夫は驚いた顔をした。
「そんなにお前が怒るとは思ってなかった。お前って白黒はっきりさせるタイプだったんだな。本当に呆れるわ。母さんに全部報告するからな。覚悟しとけ」
そう言って夫は家を出て行った。下打ちしたいのは私の方なのに、私は夫の枕を地面に叩きつけた。
その日、夫は帰ってこなかった。私が同居を嫌がったことが相当気に入らなかったのだろう。しばらく家には帰らないと連絡があった。
夫が家に帰ってきたのは一週間後だった。
「母さんと今後について話し合ったから」
仏頂面でそう言う夫に、私は少しだけ期待した。もしかしたら同居を諦めてくれたのかもしれない。しかし夫から渡されたのは、記入済みの離婚届だった。
「何これ?どういうこと?」
「母さんの面倒を拒否するお前は嫁失格だろ?そんな嫁は必要ない。だから離婚するしかないと思う」
同居できないなら離婚すると聞いて、私は逆に冷静になった。こんな理由で離婚と言い出すなんて、駄々をこねる子供と同じだ。そしてそのとき、私は自分の心に愛情がなくなっていることに気づいた。呆れて、覚めてしまったのだろう。
「今日一日頭を冷やして同居のこと考え直せ。お前だって離婚したくないだろ。今晩、母さんを含めて3人で改めて話し合うから」
そう言って夫は会社へ行った。私はテーブルに座り、静かに覚悟を決めた。
その夜、義母が家に来た。夫も仕事を早めに切り上げて帰宅し、義母は家に入るなり怒鳴った。
「あなた何様なの?夫の親である私との同居を嫌がるってどういうこと?自分勝手な女ね」
「同居嫌がるとか本当にありえないだろう。結婚する相手を間違えたわ。あき子、頭をちゃんと冷やしたか?嫌なら出ていってくれてもいいんだぞ」
二人に詰め寄られても、私はもう何とも思わなかった。痛くも痒くもない。
「頭を冷やしてよく考えました。本当に私がバカだったわ」
そう言うと、夫と義母は安心したように笑った。
「分かればいいんだよ。許してやるよ」
「許してやる?何か二人とも勘違いしてない?私はちゃんと頭を冷やしたのよ。意味分かる?嫁の気持ちも考えられない人たちと同居するなんて、ごめんだわ」
まさかの言葉に、二人は驚いた顔をした。
「ま、まさか離婚するなんて言わないよな」
「そ、そんなに嫌なら同居しなくていいわよ。まだ自分で生活できるし。今後ゆっくり話し合いをして決めていきましょう。それでいいわよね。同居の話は一旦なしにしましょうね」
急に意見を変えてご機嫌取りをしてくる義母に、私は冷淡に言い放った。
「お母さん、また勘違いしてますけど、同居することは今後も絶対にありえません」
「へ?なんでそんなこと言わないでちょうだい」
「そんなお願いされても困ります。もう私は嫁ではないので。お二人の希望通り、頂いた離婚届を記入して今日出してきましたから。ちゃんと受理されましたので、私はもう関係ありません」
一息にそう言うと、義母と夫はポカンとしていた。しばらくして夫が我に返る。
「何勝手に出してるんだ。ちゃんと出す前に話し合いするのが普通だろ!」
「何が普通よ。私は我慢の限界なの。相談されずに勝手に行動される気持ち、これで分かった?」
そう言い放つと、二人は何も反論しなかった。私はそのまま荷造りを始め、止めようとする二人を振り払って実家へ戻った。
「行かないでちょうだい」
最後に義母が泣いていたが、私は無視した。まずは今までの嫌味を謝罪して欲しかったが、もう会うこともないだろうと思うと、気が楽になった。
二人は離婚届をちらつかせれば私がすんなり同居すると思ったのだろう。専業主婦だから離婚にも応じないだろうとでも思ったのかもしれない。そんな理由で我慢するほど、私は弱い人間ではなかった。
「離婚届は冗談だったんだ。ごめんよ。どうか取り消してください」
夫が後日家に来て土下座して謝ってきたが、もちろん拒否した。いくら謝られても、私の気持ちが変わることはなかった。
私の両親には全てを話した。
「やっぱりあなたに専業主婦は会わなかったのね」
両親は深くは聞かず、ただそう言った。その後も懲りずに夫から謝罪の連絡が入る。
「私が間違えてたみたい」
「だから二度と連絡してこないで」
そうだけ送って、メールを拒否した。軽い気持ちで離婚届を渡した報いだ。自業自得とはこのこと。一生後悔してほしいと思った。
その後、夫と義母は二人で住み始めたそうだ。だが、さすがは親子。頑固で自分勝手な性格が似ているから、喧嘩が絶えず、すぐに別々に暮らすようになったらしい。
しかも、それだけでは終わらなかった。しばらくして義母が交通事故に遭ってしまったのだ。幸い命に別状はなかったが、足が不自由になり一人で生活するのが困難になってしまった。
最初は夫が面倒を見ていたそうだが、仕事をしながらの介護は簡単ではない。お互いうまくいかずイライラする日々が続いたようだ。
「こんなはずじゃなかった。嫁がいればこんなことにならなかったのに」
二人はそう嘆いていたらしい。今は義母の希望で施設に入っている。
嫁も義母もいなくなり、夫は寂しくなったのだろう。焦って婚活を始めたそうだ。最初は婚活パーティーに参加していたが誰からも相手にされず、今は結婚相談所に登録して頑張っているらしい。だがプライドが高く自分勝手な性格だ。お世辞にも一緒にいて楽しいとは言えない。私が言うのもなんだが、そんな人を選ぶ女性が現れるのだろうか。現れたら会ってみたいものだ。
私はと言うと、以前勤めていた会社の同僚たちと会う機会があり、離婚したことを報告した。
「結婚祝いもしてくれたのにごめん」
ところが、なぜか同僚たちは大喜びしている。
「是非職場に戻ってきて欲しい!」
聞けば、私が辞めてから取引先が増えて人手が足りずに困っているらしい。後日、上司とも話し合い、無事に職場復帰することになった。
「君がいなくなってからみんな大変だったんだ。もう頼むからやめないでくれよ」
泣きつかれたが、私は笑顔で答えた。
「それは分からないですね。またご縁があったらよろしくお願いします」
それから仕事はすごく順調で、職場復帰してから一年で昇格した。今は仕事が楽しくて仕方がない。恋愛はまだ考えられないが、いつかまたご縁があればいいなと思っている。次は、私の意見も尊重してくれる人が第一条件だ。
世界は広い。きっといつか、そういう人に出会えるはずだ。


