パーティーの壁際で水を飲んでいたら、見知らぬ夫人が近づいてきて、私のスーツにシャンパンをかけた。「あなたの会社が成り立っているのは私の主人のおかげよ。感謝しなさいよ」と、私を嘲笑いながら。妻を侮辱され、私は怒りをこらえてこう言った。「後で後悔することになりますよ」。その直後、私が壇上に上がり、全員の視線が私に注がれた。私はこの会社の新社長だった。夫人の顔色が一瞬で変わったが、本当の衝撃はそれ…

パーティーの壁際で水を飲んでいたら、見知らぬ夫人が近づいてきて、私のスーツにシャンパンをかけた。「あなたの会社が成り立っているのは私の主人のおかげよ。感謝しなさいよ」と、私を嘲笑いながら。妻を侮辱され、私は怒りをこらえてこう言った。「後で後悔することになりますよ」。その直後、私が壇上に上がり、全員の視線が私に注がれた。私はこの会社の新社長だった。夫人の顔色が一瞬で変わったが、本当の衝撃はそれ...

「なんだかさえない人ね。あんたの会社が成り立っているのは、私の主人のおかげよ。感謝しなさいよ」

取引先の夫人だとわかり、俺は波風を立てないよう挨拶を交わした。だが、酒も入っているのか、彼女の暴言は止まらない。

「私が一言主人に言えば、あなたの会社との取引は終了よ。そうしたら、あなたの会社、大変なことになるわね」

あまりにも失礼な夫人に、俺の堪忍袋の緒が切れた。

「取引をやめて大変になるのは、どっちでしょうね」

俺の言葉をせせら笑う夫人だったが、直後、壇上に上がり挨拶をする俺を見て、夫人は真っ青になり、そして集まった人たちからも冷たい視線を浴びせられることになったのだった。

俺の名前は朝日裕二。今年、大手食品メーカーの社長に就任した。

俺は早くに父を病気でなくした。父親のことは記憶にないが、幼い頃の写真や母から聞く父親の話で、その存在は姿なくとも天から見守っているような存在だった。母は昼は会社員としての仕事、そして夜はパートとして働き、昼夜問わず働いて俺を育ててくれたのだ。

懸命な愛情の中で育った俺は、片親でも不自由なく育ち、学業や部活動にも専念することができた。女手一つで俺を育ててくれた母が、いつも俺に言ってくれたことがあった。

「あなたはやりたいことをやりなさい。お母さんはあなたのためなら何でもできるのよ」

いつも俺のことを一番に思ってくれている母だった。

俺は父譲りの運動神経を生かし、バレーボール部に入部し、高校では国体の代表に選ばれるほどの実力をつけた。選抜選手に選ばれると合宿や遠征などかなりのお金がかかったのだが、母はいつも快く行かせてくれた。

「裕二が頑張ってくれることが、お母さんの励みなのよ」

いつも笑って送り出してくれる上に、試合があるといつも応援に駆けつけてくれ、勝てば共に喜び、負けた日は共に次の勝利を目指し励ましてくれた。俺はそんな母のために厳しい練習にも耐え、部活動が終わった後も一人自主練に取り組んだ。母の喜ぶ顔が見たかったのだ。

俺は高校を卒業すると、母にこれ以上の苦労はかけられないと思い、就職する道を選んだ。大学も特待制度で入学できたのだが、俺はすぐにでも働き、母に楽をしてほしいと思っていたのだ。勉強のできる方ではなかったが、幸運なことに社会人バレーボールチームを所有した会社がこれまでの実績を認めてくれて、選手兼として入社することができた。仕事をしながらバレーボール選手として活動できる、満足できる就職先だった。

俺が配属された部署は営業部で、営業成績でインセンティブの制度があったため、母に早く恩返しができるよう俺は必死で仕事にも励み、入社3年目には営業成績トップとなった。バレーボールの選手としても会社の業務態度と共に周囲からは評価してもらえた。

妻ともバレーボールチームで出会った。妻はチームのマネージャーをしており、選手みんなを陰で支えてくれていた。練習しやすい環境を作り、試合に勝つため対戦相手の攻略法など入念に調べ、マネージャーとしての役割を完璧に担う女性だった。そんなひたむきな努力をする彼女に俺は密かに恋心を抱いていたが、俺が勤める会社の社長令嬢ということもあり、高嶺の花といった印象だった。だが俺たちはチームを通して共に惹かれ合うようになり、いつしか結婚を意識するようになったのだ。

彼女の父親である社長も、裕福とは言えない育ちであることや高卒という学歴なども気にせず、俺の今までの努力を見てくれており、結婚はトントン拍子で進んでいった。仕事も順調で、バレーボールでは常に好成績を残してきたのだが、30歳手前で選手生命に関わる怪我をし、引退することになってしまった。今まで懸命に取り組んできたバレーボールをやめなければならない環境になった時はさすがに気落ちしたが、そんな時も妻は優しく支えてくれたのだ。それから今まで、俺は妻と幸せな家庭を築いてきた。

そして55歳になり、義父から社長就任を言い渡され、俺はこの大手食品会社の社長となった。父親がいない俺にとって、義父は本当の父親のような存在だった。会社の仕組みや経営についても、社長として丁寧に教えてくれていたので、社員や取引業者が不安になることなく会社を引き継ぐことができたのだ。今でも温かく見守ってくれている。

そんな家族に支えられ仕事に励めている俺が、今日は社長になって初めての親睦会だった。最優秀社員の表彰なんかも行うイベントで、取引先の会社の役職者やその家族も招待するのが恒例だ。俺は会社の代表として振る舞わなければいけないのだが、正直どうもこういう場が苦手である。

「社長なんだから、堂々と偉そうにしてればいいのよ」

そんなアドバイスをもらったが、残念ながら実行に移すことはできなかった。一応の挨拶回りを終えると、俺は早々に会場の一番奥の壁際に引っ込み、気持ちを落ち着かせるためホテルスタッフが準備してくれた水を飲んでいた。

すると、一人の女性が近寄ってきた。シャンパンの入ったグラスを片手に持ち、少し酔っているようだ。

「あなた、こちらの会社の方?」

ニヤニヤしながら訪ねてきた。

「はい。お世話になっております」

俺は誰だか分からない女性に失礼のない挨拶をした。

「なんだか、こういう場所に慣れていないみたいね」

「ええ、どうも苦手でしてね」

「やっぱりね、慣れていないのが丸分かりよ。これから表彰される社員さんかしら?あなた。華やかな場所が全然似合わないわ」

女性は笑いながら続ける。

「というか、表彰されるほど優秀にも見えないわね。貧相で頼りないっていうか。あら、ごめんなさい。私、思ったことを素直に言ってしまうのよ」

一方的に話しかけてくる失礼な女性を不快に思った。

「どちらの会社の方ですか?」

俺が尋ねると、その女性はツンと済ましていった。

「私ね、あなたの大切な取引先の会社で営業トップの久保田の妻よ。何でもこの会社が存続するのも私の夫の力なのよ。ご存知?」

久保田さんとは面識があった。

「久保田さんの奥様でしたか。存じ上げております。久保田さんにはいつもお世話になっております」

俺はそれなりの挨拶をした。

「夫はね、会社で有名な優秀な社員でね。うちの会社との取引があなたの会社に恩恵をもたらしているのよ。あなたもうちの夫と同じくらいの年齢ね。でも無能そう」

クスクス笑いながら言う。

「ねえ、お腹空いたわ。何か持ってきてくださる?貢献しているんだから、それ相応の対応できるわよね」

とことん高圧的な態度を取ってくる。俺はなんでここまで強気なのか不思議で仕方なかった。

久保田さんのところは業務用のシステム開発を行っている会社だ。久保田さんの進めでシステムを取り入れ、確かに利益は多少上がった。だが元々は導入実績を作りたいと打診され、久保田さんに頭を下げられ導入していた。そしてうちへの導入実績により、久保田さんの会社は信用を得て利益を上げていたはずだ。我が社は大手企業ということもあり、実績を上げるには有効的な会社だったのだ。

久保田さんとは仕事を通して色々と話をしていて、確かにとても優秀な人だ。だが彼ほどの優秀な人でもミスするのだと、目の前の女性を妻に選んだことを残念に思い、同時に少し面白くなり、ふっと笑ってしまった。

「ちょっと、何笑ってるのよ」

俺の笑いを不快に思ったようだ。

「いえ、すみません」

それでも笑ってしまった。その時、ピシャッと冷たい感覚が俺の首元から胸まで伝ってきた。あろうことか久保田の妻は、俺にシャンパンをかけたのだ。その異変に気づいたホテルスタッフは慌ててタオルを持って走ってきて、俺に手渡した。

俺がスーツを拭いていると、妻が駆け寄ってきた。

「あなた、どうしたの?なんで?」

妻も急いでバッグからハンカチを取り出し拭いてくれた。それを見た周りの人たちは総然としていた。

「あなた、奥さん?あなたの旦那が旦那なら、妻も妻ね。地味で冴えない。こんな華やかなパーティーに来るのに貧相で」

うら笑いを浮かべながら妻に言う。

「旦那が無能じゃ、裕福な生活もできないでしょ。群れネズミの男がお似合いよ」

俺は妻を侮辱され、怒りが込み上げてきたが我慢した。

「私がね、主人に一言言えば、ここの会社との取引はやめることになるのよ。そうしたらどうなるかしら?あなたたちの会社、大変なことになるわね」

俺はここで自分の身分を明かそうと思ったが、後で分かることだ。代わりに冷静に告げてやった。

「奥様、私は表彰される社員ではありませんが、今から壇上で挨拶があるので失礼します。どうぞご主人様にも、こことの取引をやめるようお話しされても構いません」

高圧的な態度に怒りが収まったわけではない。

「冴えないあなたが挨拶?楽しみだわ」

俺にこれ以上言うことはない。

「行こう。奥さん、後で後悔することになりますよ」

ただ一言だけ言って、俺は妻とその場を後にした。

それからしばらくして、司会者の社長の挨拶を促すアナウンスがあった。一斉に参加者の視線が俺に集まった。俺は壇場へと向かった。社長に就任してから初めての挨拶になる。

「皆さん、本日はお集まりいただきありがとうございます。この度、弊社の社長に就任いたしました朝日と申します」

大きな拍手に包まれた。まずは俺が社長となった会社の指針や決意表明を発表した。そして自分が育ってきた環境や、尊敬する母のこと、そして献身的に支えてくれる妻の話をした。

「今の自分があるのは、集まってくださった取引会社の方々。そして俺を身近で支えてくれた前社長の義父、母、妻に感謝の気持ちを述べます」

妻をステージに上げると、さらに大きな拍手が会場内に響き渡った。そして最後に告げた。

「今日は濡れ鼠のスーツで申し訳ありません。つい先ほどハプニングがありまして、私の何が悪かったのか、シャンパンをかけられてしまいました」

会場内がざわついた。そのハプニングに気づいていた人たちは、一斉に久保田さんの夫人を見た。そして少しずつ夫人の周りから集まっていた人たちが離れていった。一人ポツンと、離れた人たちの輪の中心に、真っ青になり総然と立ち尽くす夫人の姿が見えた。

「私、私、そんなこと何を?」

慌てふためく夫人は取り繕うのに必死な様子だ。

「私が緊張しまして、少し会場の壁際にいたのですが、もっと積極的に真ん中にいなかったのが悪いのでしょうね」

軽い冗談を言うが、会場は静まり返ったままだった。だが一言言いたい。

「私が社員であろうが社長であろうが、人を見下すことや人を侮辱することは許し難い」

俺は少し厳しい口調でそう断罪すると、夫人は恥ずかしさのあまり、会場の壁際によろよろと歩いていった。その後、最優秀社員の表彰を済ませ、和やかながらもパーティーの席は滞りなくお開きとなった。

翌日、久保田さんが勤務する会社の伊藤社長が、久保田さんと夫人を引き連れ訪ねてきた。伊藤社長と久保田さんは深々と頭を下げ謝罪する。

「本当に申し訳ありませんでした。社長就任後の初めての挨拶の場でとんでもないことを。本当に申し訳ありません」

夫人は謝罪する社長と久保田さんを横目に、少し不機嫌そうな印象だった。

「私の妻が社長様にシャンパンをかけるなんて。本当に申し訳ありません」

何度も何度も頭を下げる二人と違い、夫人は反省してるようには見えなかった。夫の会社の社長までもが同伴してきた謝罪の場で、俺の目を見ることもなく、しぶしぶと首だけ下げる夫人。会社同士の問題ではなく、この人の人間性の問題だと怒る気にもなれず、俺はただ久保田さんが不憫で仕方なかった。

それに伊藤社長とは取引関係でシステムにも満足していた。社員の妻の言動で取引を辞めるのもどうかと思った。この一件で、伊藤さんの社員の妻に人を見下す人間がいようがどうしようが、俺には関係ない。俺は会社にとっていいものは取引を続けていこうと思う。ただ、久保田さんのことは心配だった。このようなことがあり、会社での立場で辛い思いをしているのではないか。俺も伊藤社長に今回の件は水に流したいという旨を伝えていた。結果、最低限の処分に落ち着いたと聞いた。

そして翌年の親睦会に、久保田さんも参加していた。

「社長、いつもお世話になっております。あれから色々とご配慮いただき、ありがとうございました」

「久保田さん、こちらこそいつもありがとうございます」

久保田さんは前に比べ明るい表情をしていた。

「久保田さん、なんだか生き生きされていますね」

「え、そうですか。実はですね」

久保田さんは1年前の親睦会からのことを話し始めた。

「1年前、朝日社長には俺の元妻がとんでもないことをしてしまって、本当に申し訳ありませんでした」

「元妻?」

「はい。恥ずかしながら、離婚をいたしまして」

頭をかきながら久保田さんは答えた。久保田さんは静かに話し始めた。夫人は専業主婦でありながら、家事や育児はすべて人に任せ、毎日のように遊び歩いていたらしい。ある日、久保田さんが営業先を回っていると、夫人と若い男がホテルに消えていく現場を目撃し、浮気が発覚したそうだ。それまでも家庭のことや1年前の一件からなんとなく離婚という二文字が頭にあったそうだが、子供のこともあり我慢を続けていたそうだ。だが子供のことも家事も全てを放り出し、全て人任せ。挙句の果てには若い男と浮気。優しい久保田さんもついには堪忍袋の緒が切れ、母親らしいことも何もしない夫人と、子供の成長にも悪影響があると離婚に踏み出したそうだ。離婚の原因が浮気ということもあり、妻と浮気相手に慰謝料の請求もした。今は実家で子供とご両親と生活をしているという。

俺はその話を聞き、内心ほっとした。久保田さんは真面目で優しい性格の持ち主だ。あの日会った元夫人は、人を見下し自分勝手な性格が見て取れた。人の不幸を楽しむわけではない。俺は久保田さんの話も聞き、久保田さんは正しい判断をしたと思ったのだ。

最後まで久保田さんの話を聞いた俺は、久保田さんに言った。

「久保田さん、1年前の一件で、久保田さんと伊藤社長が必死に詫びるその横で、不機嫌そうにしている夫人のことは忘れもしない」

俺はあの日のことを思い出しながら、久保田さんの肩に手を置いた。

「子供のために我慢することも必要だが、そうじゃない場合もある。その証拠に、久保田さんはなんだか何かが吹っ切れたような、清々しい印象があります」

「清々しい?ええ、なんだかそんな印象です」

「実はですね、私は母子家庭の一人親で育ってきました。母が俺のために一生懸命に働き、俺を育ててくれました」

これは母がいつもバレーボールの試合で大きな声をあげ応援してくれている姿を思い出した。

「子供は親の背中を見て育ちます。俺は母には頭が上がらない。本当に感謝しているのです」

「そうですか。私もそんな親になれますかね」

久保田さんが照れ臭そうに笑う。

「なれますとも。久保田さんの誠実さや優しさは、きっと子供さんにも伝わりますよ。そして子供さんの未来に、素晴らしい出会いがありますよ」

そんな話をしながら、自分の人生を振り返った。母がひたむきに愛情を注ぎ育ててくれたこと、やめたいと思ったこともあったバレーボールも、母の厳しくも優しい励ましで続けられた。そのおかげで妻と出会うことができ、そして俺には尊敬する父親ができ、今こうしてたくさんの社員を率いる立場となった。

久保田さんの元夫人は、今は浮気相手にも捨てられ、慰謝料のために借りたお金を返すため、昼も夜も仕事をしているらしい。今まで久保田さんが稼いだお金で遊び回り、仕事という仕事もしたことがなく、かなり大変な思いをしているそうだ。だが同情の余地もない、自業自得の結果を招いたのだ。

俺は母や妻はもちろん、社員やパートナー企業の人たちを、命をかけて守り抜こうと改めて心に誓った。

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