それは忘年会の会場で起こった。宴もたけなわの中、僕は飛び込んできた光景に足を止めた。妻のあやの前に、一目で残飯と分かるものがぐちゃぐちゃに混ぜられて置かれている。そして、見知った男の顔が酒で真っ赤に染まり、彼女に怒鳴り散らしていた。
「おい、どうした?早く食えよ。中卒にはぴったりの食事だろ。黙って食え。」
あやは俯いたまま、恐怖で小刻みに震えている。僕は気づけば、その男の腕を掴んでいた。込み上げる怒りを何とか飲み込み、できるだけ冷静な声を絞り出した。
「いや、君のお父さんを首にさせてもらう。」
会場の誰もが、その言葉の意味を理解できずに、呆然と僕を見つめていた。
僕は小林俊助、35歳。叔父が経営する不動産会社で働いている。子供の頃、両親と三人で仲良く暮らしていた。しかし、僕が7歳の時、家族旅行中の事故で両親を一度に失った。生き残ったのは、運転席の後ろで軽い怪我を負った僕だけだった。
「なんで俺だけ生きてるんだよ。」
病院のベッドで大泣きする僕を、唯一の親戚である叔父が引き取ってくれた。叔父は言った。「私も兄貴に育てられたようなものなんだ。兄貴の分まで、お前をしっかり育てるからな。」しかし、叔父は会社の立ち上げで忙しく、僕はいつも家で一人ぼっちだった。寂しさを紛らわせるように、僕は次第に夜遊びをするようになった。中学生になる頃には、家に帰る時間もまちまちだった。
ある夜、深夜に帰宅すると、叔父が仏壇の前で頭を下げていた。「ごめんなさい。ごめんなさい。」と、両親に謝っている。その姿を見て、僕は自分がどれだけ迷惑をかけているかを悟った。しかし、高校に行かずに遊び続ける僕に、アルバイト先はどこも門前払いだった。「中卒にできることはうちにはない。」冷たい言葉を浴びせられる日々の中、叔父が言った。
「うちで働かないか。」
その言葉に、僕はどれほど救われたか分からない。叔父の会社で働き始めたが、営業に行っても門前払いの連続だった。くじけそうになる僕に、叔父は「失敗は財産だ。だが、同じ失敗を繰り返すようじゃ話にならん。次は何ができるか、それを考えろ。」と背中を押してくれた。その言葉を胸に、僕は必死に働き、働きながら宅地建物取引士の資格も取った。
仕事も軌道に乗り始めた27歳の時、取引先の村松物産で、受付の女性に目を釘付けにされた。栗色のボブヘア、切れ長の瞳。名前はあや。彼女の笑顔に、僕は恋をした。勇気を振り絞って食事に誘うと、彼女は快く応じてくれた。そして、僕たちは交際を始め、32歳の時にプロポーズした。「あや、俺と結婚してほしい。」涙を浮かべて頷いてくれた彼女の顔を、今でもはっきりと覚えている。
同居を始めて数週間後、あやが泣いていた。話を聞くと、会社の部長にしつこく言い寄られ、セクハラに悩まされているという。その部長は、社長の息子だった。「この会社では上司の言うことは絶対なの。おかしいと思っても、誰も意見できないの。」あやは怯えた様子で話した。僕は怒りで肩を震わせながら、彼女を守ることを心に誓った。すぐに、あやは「あれからピタッと突きまとわれなくなった」と言ったが、僕は油断はしていなかった。そして、会社の忘年会に夫婦で参加することになったのだ。
遅れて会場に到着すると、部長が酔った勢いであやに絡んでいた。「あやちゃん、2人だけで次の店に行こうぜ。」あやが断ると、部長は逆上し、周囲の残飯をかき集めて彼女の前にぶちまけた。「おい、どうした?早く食えよ。中卒にはぴったりの食事だろ。」あやが涙をこぼすと、部長はさらに調子づいた。「この俺様がせっかく目にかけてやったのに、ふざけやがって。中卒女のくせに身のほどをわきまえないからこうなるんだよ。俺は時期社長になる男だ。お前みたいな中卒のペーペーくらいどうとでもできるんだぞ。」
僕はこれ以上見ていられず、部長の腕を掴んだ。しかし、部長は僕を「あの業者野郎」と嘲った。「お前の嫁が俺の言うことを聞かないから、しっかり指導してやってんだよ。邪魔者はもう帰ってもらえるかな。それとも、お前の夢を首にしてやろうか。」
僕は静かに言った。「いや、君のお父さんを首にさせてもらう。」そして、携帯を取り出して電話をかけた。「村松社長。実は私の妻が御社で働いていまして、今、少し忘年会に顔を出させてもらっているんですが、どちらにいらっしゃいますか?」すると、社長は慌てて僕の元へ駆けつけてきた。部長は信じられない面持ちで、「親父、誰なんだよ、こいつは。」と叫ぶ。社長は青ざめた顔で震えながら説明した。「この方は、うちの会社の一番の大株主の小林さんなんだ。この人が株主総会で社長解任に賛成したら、私は間違いなく解任される。」
その瞬間、部長の顔色が一変した。「嘘だろ。」僕は社長に、部長のセクハラ行為や、これまで退職に追い込まれた女性社員がいること、内部通報が握りつぶされてきたことを淡々と告げた。「もし仮に私の妻じゃなかったとしても、到底許されることじゃない。これらの行為は、すべて行き過ぎたパワハラとして、株主総会で厳しい処分を取ります。」村松社長は額に汗を浮かべながら、「誤解があっただけだ」と言い訳を続けたが、僕は聞く耳を持たなかった。「もういいでしょう。次の株主総会で、時期社長が決まります。」そう言い残して、僕はあやの肩を抱き、会場を出た。
「怖い思いをさせてしまって、ごめんな。」「うん。いいのよ。俊助さん、ありがとう。あなたが私の会社の株主だったなんて知らなかったわ。」村松親子は店の前まで追いかけてきて、社長は「毎月、売り上げの3%をお渡しします」と持ちかけてきた。僕は大きなため息をついて首を振った。「そういうところがダメなんですよ。あなたは今、私に不正取引を持ちかけていますよね。」そう言って、二人の横を通り過ぎた。
忘年会の3日後、株主総会が開かれた。僕は、部長の不祥事、社長による内部通報の握りつぶし、そして忘年会での出来事を全て議題に上げた。社長は「息子が恋をしていただけで、セクハラではない」と言い訳を繰り返したが、僕は用意していた証拠を次々と突きつけた。忘年会の日、僕は社長の「売り上げの3%を渡す」という発言を録音していたのだ。その音声を会場に流すと、社長は「違う、これは俺じゃない」と慌てふためいた。さらに、僕は社長が顧客の土地を横領しようとしていた証拠もスクリーンに映し出した。「社長、あなたの解任要求は、私個人の復讐ではなく、会社の健全化のために必要な正義の執行です。」社長は床に座り込んだまま、「悪かった。解雇だけはしないでくれ」と泣きついたが、僕は力強く、「解雇要求します」とだけ言った。株主総会での多数決により、社長の解任が決定した。
その後、村松物産には外部から新たな社長が招かれ、村松親子の影響力は完全に排除された。部長も自主退職した。社員たちは抑圧から解放され、活発に意見を交わすようになり、会社は見違えるように活気づいた。売上も右肩上がりに伸びていった。あやは安心して働けるようになり、弟も大企業に就職して母の面倒を見てくれることになった。元社長は横領の返済で退職金を失い、噂が広まった不動産業界で働くこともできず、アルバイトをしているのを偶然見かけた。
そして、ある晴れた日、僕とあやは結婚式を挙げた。叔父はスピーチでこう語った。「私は今まで、兄の代わりにこの子を育ててきました。不器用な叔父で、たくさん失敗もしました。でも、今日こうして立派な男に育った姿を見て、やっと兄との約束を果たせた気がします。俊助、あやさん、本当におめでとう。」僕は叔父に抱きついた。「叔父さんのおかげだよ。今まで育ててくれて、ありがとう。」
結婚式が終わり、すぐにあやの妊娠が分かった。叔父は「俺もやっとおじいちゃんになれるな」と喜んでくれた。命のバトンを受け取った実感と共に、これまでの道のりを振り返る。単なる復讐は、新たな憎しみを生むだけだ。正義とは、個人の感情を超えて、より良い未来を作るために努力を惜しまないこと。そして権力とは、正しい目的のために使うものだ。そんなことを考えていると、あやが僕を覗き込んで笑った。「一緒に幸せになろうね。」僕は彼女を強く抱きしめ、「うん。」と頷いた。



