母が万引きで捕まったと電話がかかってきたのは、昼下がりのことだった。驚いた私はすぐに雑貨店へ駆けつけ、母が盗もうとした商品の代金を支払って、その場はなんとか収めた。
しかし、母が万引きをする理由が分からなかった。食べるものがないの? そんなはずがない。私は毎月20万円を母に仕送りしているのだから。
「ねえ、お母さんの通帳は誰が管理しているの?」
「みな子さんに預けているわ。彼女は献身的に私の世話をしてくれて、お金の管理もきっちりしているから安心でしょ。」
母は兄嫁のみな子を完全に信用していた。私が「みな子さんがお金を勝手に使っているのでは」と問いかけても、母は「そんなことあるわけない。みな子さんを悪者にしたいからって、20万仕送りしていたって嘘を言うの?」と決めつけた。
信じないなら、自分の目で確かめさせるしかない。私は母を銀行へ連れて行き、口座の入出金記録を確認させた。その記録には、私が毎月20万円を送金していたことがはっきりと残っていた。そして同時に、振り込んだその日のうちに、同額の20万円が引き出されていることも判明したのだ。
私は相葉花江、36歳の会社員だ。幼少期からずっと、4つ年上の兄・一兵と比較されて生きてきた。一兵は成績優秀で運動神経も抜群、両親はいつも兄を褒めていた。私は「お兄ちゃんを見習いなさい」と言われる度に寂しさが込み上げた。それでも褒められたくて勉強を頑張ったが、私がいい点数を取っても、両親が褒めてくれることはなかった。
一兵は自分が両親に可愛がられていることを自覚しており、いつも私に傲慢な態度を取った。特に食事の時間は最悪で、その日のメニューが気に入らないと、私の分まで食べてしまった。私が抗議しても「悔しかったら俺よりもいい成績を取ってみろ」と鼻で笑われるだけだった。
いつしか私は早く自立したいと思うようになり、高校を卒業したら一人暮らしをしようと決めていた。しかし中学2年の頃、両親は私に高校の授業料を出さないと宣告した。理由は、両親の思う高校に私が入れないからだという。「嫌なら、有名校に合格できるように今から頑張ればいい」と母は言ったが、その高校には私の学力では絶対に入れなかった。
それでも高校に行きたかった私は、1年間必死に勉強した。しかし結果は不合格。結局、地元の公立高校に通うことになったが、両親は「約束だから」と授業料の支払いを拒否した。私は高校に入学して早々にアルバイトを始め、授業料を自分で工面するしかなかった。コンビニで早朝のバイトをし、学校が終わった後はまっすぐバイトへ向かう。友達と遊ぶことも、高校生活を楽しむ余裕もなかった。
大学に進学することなどできるはずもなく、私は高校を卒業してすぐに地元企業へ就職した。一兵は有名私立大学を卒業後、大手企業に就職し、相変わらず私を見下してきた。私はがむしゃらに働き、就職して半年で実家を出て一人暮らしを始めた。誰にも見下されることもなく、私らしくいられる空間をようやく手に入れたのだ。
それからは平穏な日々が流れた。仕事では業績が認められ、管理職にも出世し、順風満帆な毎日を送っていた。
そんなある日、仕事のプロジェクトを進めていると、社長がやってきた。隣には私とそれほど年の変わらないであろう青年が立っている。
「明日からここにいる息子の孝太郎が一緒に働く。みんなよろしく頼むよ。俺の息子だからって特別扱いはしないでくれ。」
「孝太郎と言います。この会社のことを知るため、平社員から頑張ります。どうぞよろしくお願いします。」
孝太郎は礼儀正しく頭を下げた。アメリカの大学を卒業した後、そのまま現地に残り経営学を学んでいたらしい。最近になって父である社長に呼び戻され、事業を手伝うことになったそうだ。ゆくゆくは社長になるために現場の仕事を学びたいと自ら志願して、平社員として入社を決めたのだとか。
翌日から私のプロジェクトに孝太郎が加わった。孝太郎は社長令息とは思えないほど腰が低く、重たい作業はもちろん雑用に至るまで率先して行ってくれた。
「社長のご子息なんですから、もっと偉そうにしても誰も文句言いませんよ。」
「僕はそういう人が苦手なんです。父が社長だと言っても、それは僕の実力じゃない。僕はあくまで実力で評価されたいんです。」
その言葉に私は感心してしまった。孝太郎はアメリカ仕込みのアイデアを出しながら私をサポートしてくれ、プロジェクトは大成功を収めた。孝太郎はどこまで行っても決して奢らない。プロジェクトが終わった後も一社員として誠実に働く孝太郎に、私はいつしか恋心を抱くようになっていた。しかし相手は社長令息。高卒の私など相手にしてくれるはずがない。私は淡い片思いだと諦めていた。
ある日、仕事のトラブルがあり、私は一人会社に残って残業をしていた。そこに、帰ったはずの孝太郎が現れた。
「お疲れ様です。コーヒーで一息つきませんか?」
「ありがとう。でもどうして?」
「こんなことでもなかったら、早苗さんと二人で話すことなんてできませんから。」
孝太郎は少し顔を赤らめ、私から目をそらした。まさか孝太郎は私に興味があるのだろうか。
「口がうまいのね。でもちょうど休憩したかったから嬉しいわ。」
私は喫茶室のソファーに座り、コーヒーを飲みながら一息つくことにした。
「早苗さんはどうしてそんなに頑張れるんですか?」
「みんなが頑張ってくれるからね。私がサボるわけにはいかないでしょ。」
「すごいですね。ところで、会社にはどうして入社を?」
孝太郎は次々に質問をぶつけてくる。その一つ一つに私は素直に答えた。
「なんだか質問ばかりしてすみません。」
「気にしないで。別に隠すようなことは何もないから、遠慮なく聞いてちょうだい。」
「それじゃあお言葉に甘えて。今、交際されてる彼氏はいますか?」
その質問に、私は思わず飲んでいたコーヒーを詰まらせてしまった。
「大丈夫ですか?」孝太郎は慌てた様子で私にティッシュを差し出す。
「大丈夫よ。ありがとう。ちょっとびっくりしちゃって。」
「すみません。ぶしつけでしたね。でも、僕は個人的に早苗さんに興味があるんです。」
孝太郎はまっすぐに私を見つめ、交際を申し込んできた。
「私なんか、社長のご子息にはふさわしくないわ。」
「そんなこと気にしないでください。僕は、僕がいいと思った人と一緒になります。」
孝太郎の真っすぐな気持ちは、抑えていた私の感情を揺り動かした。
「実は私も前から孝太郎さんが好きだったわ。だけど、本当に私でいいの?」
「早苗さんがいいんです。」
お互いの気持ちを確認し合った私たちは、そのまま交際することになった。プライベートでも孝太郎は私のことをとても大切にしてくれ、公私ともに私たちは良きパートナーへとなっていった。
それから2年ほど交際を続け、私たちは結婚した。社長も私たちの結婚を祝福してくれ、孝太郎に自身が経営する別会社の社長を譲ることにしたようだ。地元の中小企業向けにオフィス機器や事務用品の販売を行いながらメンテナンスを行う地域密着型の専門商社で、業績は伸び悩んでいたが、「今の孝太郎なら新しいアイデアでまだまだ業績を伸ばせるだろう」と、社長は孝太郎が自身の力を試せるように考えたのだ。
「うちの出世頭である早苗さんと一緒になるんだ。彼女の力も借りながら、二人で会社を盛り立ててくれ。」
社長は結婚後も私たち夫婦を支えてくれた。そのおかげもあり、孝太郎の会社は次々に新しいサービスを開始し、業績は右肩上がりに伸びていった。私と孝太郎の結婚生活はまさに順風満帆だった。
私たちが結婚して1年が過ぎた頃、見知らぬ番号から電話がかかってきた。私のプライベートな番号を知っている人は限られている。営業電話かいたずらくらいしか考えられない。電話に出るのをためらっていると、数回のコールの後、電話は切れた。しかしすぐに、また同じ番号からかかってきた。出てみると、救急病院からの電話だった。母が家の階段から落ちて足を骨折したという。入院の手続きがあるため病院に来てほしいと言われ、私は戸惑った。
あれほど私を見下してきた母のために、私が動く必要があるのだろうか。しかし一兵は連絡が取れず、数年前に父も亡くなっていたため、代わりに病院へ行ってくれる人はいない。仕方なく、私は病院へと向かった。
「なんだ、苗が来たのかい。」
私の顔を見るなり、母は残念そうに呟いた。母にしてみれば一兵に来てほしかったのだろう。それでも、わざわざ足を運んだ人間に対して感謝も言えないのかと、私は呆れてしまった。私は必要な手続きを済ませ、足早に病院を後にした。
それから2週間、入院することになった母は、毎日のように電話をかけてきては「あれを持ってこい」「これを持ってこい」と注文をつけてくる。一兵は仕事が忙しいらしく、病院には顔を見せていない。だとしても、一兵も数年前に結婚し、妻のみな子は専業主婦のはずだ。実家との関わりをできるだけ持たないようにし、仕事もしている私より、みな子の方が母との関係も良く、時間的余裕もあるはずなのに。
それでも母は「一兵とみな子に迷惑をかけられない」と、私にばかり要求してきた。結局、母が退院するまでの間、私は毎日病院に通うことになった。
母は順調に回復し、予定通り2週間で退院することになった。足は少し動きにくいようだが、一人で暮らすことに問題はない。私は実家まで母を送り、「仕事があるから」と口実を作り、すぐに自宅へと帰った。
それから数日経って、また母から電話がかかってきた。
「一兵とみな子が、足の悪い私を心配して同居してくれることになったのよ。」
一兵夫婦が同居することになり、母は上機嫌のようだ。
「それは良かったわね。」
「おとどっかの誰かさんは、退院したばかりの私を置いて、そそくさと帰って行ったっていうのに。一兵たちは違うわね。」
母はあんに私に嫌味を言いたかったらしい。
「忙しいから切るわね。」
母の話にうんざりした私は、一方的に電話を切った。一兵たちが同居するのであれば、当分母が私に連絡してくることもないだろう。そう思っていたのだが、それから1ヶ月ほどして、今度は一兵から電話がかかってきた。
「実は、相談があるんだ。」
一兵は珍しく弱々しい声を出している。
「相談って何?」
「実は、務めていた会社が倒産したんだ。」
聞けば、一兵が勤めていた会社は、他国の円安政策の影響で膨大な損失を出したのだとか。それと同時に社長の脱税が発覚し、経営が急激に悪化した。会社の倒産により一兵は失業し、それまで母に送っていた仕送りができなくなったという。
「それで、私にどうしろって言うの?」
「俺が再就職するまでの間、母さんへの仕送りを代わりにやってくれないか?」
一兵は母を失望させたくないと、失業したことも伝えないようだ。「俺のキャリアがあれば仕事はすぐに見つかる。ほんの少しの間でいいんだ」と。
散々私を馬鹿にしてきたというのに、都合が悪くなった時だけ頼ってくる一兵に腹が立った。しかし、私が支援せず、年を置いた母を見捨てたと噂が立てば、孝太郎の会社に影響が出るかもしれない。と思うと、無碍に断るわけにもいかなかった。
「分かったわ。だけど、本当に一時的に援助するだけだからね。」
私はしぶしぶ受け入れ、毎月20万円を母の口座に送ることにした。しかし半年が経っても、一兵は再就職することができなかった。理由を尋ねても「自分に合う仕事がなかなかない」というだけで、はっきりした答えは返ってこない。
一兵夫婦は無収入となった半年の間に、亡き父の遺産を全て使い果たし、母の年金まで使い込んでいた。母は一兵とみな子の話を偶然聞いてしまい、一兵の失業を知ったそうだが、「再就職するまでは生活も大変だろう」と、自分の年金を一兵たちに差し出していたのだ。どこまで行っても一兵に甘い母に、嫌気が差す。
ある日、私は何気なく見ていたSNSの投稿に、一兵とみな子の姿を見つけた。二人は高級レストランで食事をする様子を写真に収め、リッチな生活をアピールしているようだが、無収入の身でありながらどんな神経をしているのかと呆れてしまった。よく見ると、みな子の投稿には高級時計やバッグがこれみよがしに映り込んでいる。他の投稿も見てみると、一兵とみな子の贅沢ぶりがよく分かった。やはり一兵は就職活動などしていない。頻繁に投稿される写真や動画がそれを裏付けていた。
私に仕送りを押し付け、仕事もせず遊んでいる一兵たちが許せない。その日の夜、私は実家へと赴き、母に一兵たちのことを報告した。
「何かの間違いじゃないの? 一兵がそんなかっこ悪いことをするわけないわ。」
母は私の言うことを信じようとしない。
「これを見て。」
私はスマホを取り出し、みな子のSNS投稿を見せた。
「なんてこと? 人のお金でこんな…」
母は言葉をつまらせ、顔を真っ赤にして震えている。よほど頭に来たのだろう。母はすぐに一兵夫婦を呼びつけ、目の前に座らせた。
「それは一体どういうこと?」
「ちょ、ちょっとした息抜きのつもりだったんだ。」
母の剣幕に、一兵とみな子は肩を丸めて小さくなっている。
「このまま働かないなら、この家から出ていって。」
「分かった。ちゃんと働くから。」
実家を追い出されると言い渡された一兵は、ようやく就職する気になったようだ。
「だけど、本当に仕事が見つからないんだ。小さな会社ならすぐに採用されるけど、給料が前の半分になる。だからって、大手は若い人材を選ぶし…」
一兵は言葉を遮り、何かを思いついたように私を見た。
「そうだ。孝太郎さんの会社で働かせてもらえないだろうか。」
私は驚いてしまった。確かに孝太郎の会社は、一兵が以前勤めていた会社に見劣りしないほど成長している。しかし、これまでの実家での私の扱いを知っている孝太郎が、一兵を採用するだろうか。
「頼むよ。内から孝太郎さんに頼んでみてくれないか? 私からもお願いするわ。一兵を助けてあげて。」
「孝太郎に聞いてみるわ。彼の会社のことは私には分からないから。今は人手は足りているって言われても、文句言わないでね。」
私はしぶしぶ仲介を引き受けた。正直なところ、一兵の手助けなどしたくない。収入を得るようになれば、また私に傲慢な態度を取るに決まっている。しかし、一兵に収入ができれば、私からの仕送りは止めることができる。そう自分に言い聞かせ、私は孝太郎に話をした。すると孝太郎は「困っているなら」と、一兵を雇用することを承諾してくれた。
翌日から一兵の勤務が始まった。オフィス機器の法人営業を担うことになった一兵は、管理職でないことに不満を言いながらも、毎日真面目に出社しているようだ。
一兵が就職して1ヶ月が過ぎた頃、私は母への仕送りを元に戻してもらうように申し入れた。
「仕事に慣れるまでは、もう少しだけ援助してほしい。」
就職したとはいえ、慣れない営業で収入も安定しないのだろう。そう思った私は、「安定するまでの間」と思い承諾した。しかし、3ヶ月が過ぎても、一兵は母への仕送りを再開せず、ずっと私に依存していた。
一兵の就職から半年後、私は実家を訪ねた。みな子がパートに出るようになったと聞き、母の身の回りの世話をするためだったのだが、どういうわけか母は警戒そうに私を見つめる。
「何しに来たの?」
まるで汚いものでも見るように顔をしかめる母に、私は違和感を感じた。毎月20万円の仕送りをして母の生活を支えているというのに、なぜそんな態度を取られないといけないのか。
「困ってることがないかと思ったんだけど。余計な心配だったようね。」
「あなたにやってもらうことは何もないわ。分かったら、さっさと帰って。」
母は以前にも増して冷たい態度を取り続けた。一兵の再就職の件から親子関係も少しは改善していたというのに、一体どういうことなのか。私には母の態度の理由が全く見当もつかなかった。
しばらく経ったある日、地元の雑貨店の店長から電話がかかってきた。聞けば、母が万引きで捕まったという。驚いた私はすぐに雑貨店に向かった。雑貨店の事務所で、母は申し訳なさそうに下を向き、店長に謝っている。私は母が盗もうとした商品の代金を支払い、その場はなんとか収めてもらい、母を連れ帰った。
しかし、なぜ母が万引きなどしたのだろうか。生活に困らないように仕送りは続けている。何か思い悩んでいることでもあるのだろうか。家までの道中、私は喫茶店に立ち寄り、母に理由を訪ねることにした。
「どうして万引なんてしたの? 何か悩んでることでもあるなら、話くらい聞くわよ。」
「理由は、苗が一番よく分かってるでしょう。」
え? 母の回答に、私は戸惑ってしまった。母に対して私が何か傷つけるようなことをしたというのだろうか。
「悪いけど、私には何のことか分からないわ。」
「とぼけないで。毎月たった200円じゃ、食べていけないのよ。」
「え? どういうこと?」
母の話では、私からの仕送りを毎月200円しか受け取っていないという。
「そんなはずないわ。私はちゃんと20万振り込んでるわ。」
私の話に母は驚愕した様子を見せたが、それでも「実際には200円しか受け取っていない」と断言した。
「お母さんの通帳は誰が管理しているの?」
「みな子さんに預けているわ。彼女は献身的に私の世話をしてくれて、お金の管理もきっちりしているから安心でしょ。」
その話に、私は愕然とした。母は、無収入の状態でも暮らしていた一兵とみな子の姿を忘れたのだろうか。
「みな子さんが、お母さんのお金を勝手に使っているってことはないの?」
「そんなことあるわけないわ。みな子さんを悪者にしたいからって、20万仕送りしていたって嘘を言うの?」
母はみな子を信じるあまり、私の主張を嘘だと決めつけた。信じないなら、自分の目で確かめさせるしかない。そう思った私は、母を銀行へ連れて行き、口座の入出金の記録を確認させた。その記録により、私が毎月20万円を送金していたことが証明された。それと同時に、私が振り込んだその日のうちに、同額の20万円が引き出されていることも分かったのだ。
「じゃあ、誰がお金を引き出してるっていうの?」
「みな子さんしかありえないわね。」
その後、実家に母を送った私は、家でのみな子の様子を聞いてみた。みな子は毎月私からの仕送りが200円しか入っていなかったと嘘をつき、母にお金を渡さなかったそうだ。
「だけど、お弁当やおかずを買ってきてくれてね。すごく気にかけてくれてるのよ。」
そう言いながら母は、冷蔵庫にしまってあったおかずの材料を持ってきた。よく見ると、みな子がパートをしているスーパーのもので、どれも賞味期限が切れている。
「これは、いつ買ってきてくれたの?」
「昨日の夜よ。仕送りがなくて生活が大変だろうからって。」
間違いない。みな子は母への仕送りを自分の懐に入れ、それがバレないように母にスーパーで廃棄になる賞味期限切れの弁当やおかずを与え、献身的なふりをしていたのだ。
「これまでもずっと騙されていたのね。」
母は想像もしていなかった真実に驚愕し、言葉をなくしている。
「私…あなたを誤解していたわ。私はてっきり、あなたがこれまでの私たちの態度に腹を立てて、仕返しに嫌がらせをしているものだと思ってた。」
「これまでのことは許せないわ。だけど、仕返しなんてしないわよ。」
「本当にごめんなさい。」
母は涙を流し、私に頭を下げた。母は幼い頃から優秀だと信じていた一兵のことも、その一兵が選んだみな子のことも信じきっていたのだろう。全てが嘘だったと気づいた母は、これまでの私への態度を反省し、心から謝ってきた。
「もういいわよ。それより、今後は銀行振り込みはやめた方がいいわね。」
「そうね。年金の口座も変更して、みな子さんに預けている通帳は解約するわ。」
私と母はその後も話し合い、仕送りを手渡しで行うことに決めた。
「それより、兄さんとみな子さんは何にお金を使っているのかしら。孝太郎の会社からは相応の給料が出ているみたいだけど…まさか、まだ贅沢を続けてるんじゃ…」
母に言われ、私はみな子のSNSを確認した。すると、最近更新された投稿にも、一兵とみな子が高級品を購入したり、贅沢な旅行を楽しんでいる様子が掲載されていた。
「人のお金を無断で使って、こんな…許せないわ。」
母は怒りを露わにした。無理もない。一兵とみな子は私や母に嘘をつき、騙し取ったお金で贅沢の限りを尽くしているのだ。
その日家に帰った私は、一兵たちの所行を全て孝太郎に話した。
「それは許せないことだね。だけど、仕送りだけでできる贅沢じゃない。他にも資金源があるんじゃないか。」
孝太郎の言う通り、高級レストランでの食事だけならまだ理解できるが、高級時計やバッグとなると20万では賄えない。
「だけど、他の資金って言っても、お母さんの年金くらいしかないわよ。」
「実は、お兄さんが入社してから、会社の備品がなくなることが増えたんだ。それに、営業の経費だって請求してくる。費用も成果と見合っていない。」
「まさか、会社のお金を横領しているってこと?」
私は驚いてしまった。もしそれが事実なら、一兵は犯罪に手を染めているということだ。
「今、詳しく調査しているところだから、すぐに真実が分かるよ。」
孝太郎は一兵の身辺調査を行うため、探偵を雇ったという。もし事実であれば、一兵には罪を償わせなければならない。しかし、家族が犯罪者になることに、私は戸惑いを隠せなかった。
それから1ヶ月後、一兵から電話がかかってきた。彼は私が電話に出るなり、怒鳴りつけてきた。
「ばあさんを飢えさせるつもりか。」
どうやら、みな子が口座からお金を引き出そうとしたらしい。
「仕送りなら、お母さんに直接渡したわ。だから何も問題ないと思うけど。」
「なんだって。だけど母さんは、そんな金受け取ってないって。」
「それはおかしいわね。ちゃんと受け取りのサインもらったわよ。」
一兵は態度を急変させ、動揺した様子を見せた。
「それより、大事な話があるの。今夜、みな子さんと一緒にうちに来てもらえないかしら?」
「話って何だよ。」
「来れば分かるわ。来なければ、後々二人が困ることになると思うから、必ず来てね。」
その夜、私は孝太郎と母も同席の上、一兵とみな子の到着を待った。夜7時、訪ねてきた一兵とみな子は戸惑いを隠せないのか、二人で顔を見合わせてはこちらの様子を伺っている。
「あなたたち、私の年金と早苗からの仕送りを自分たちの小遣いにしてたのね。」
母はこれまでの私からの仕送りの記録と、一兵たちに渡していた年金の記録を見せつけた。
「ちょっと借りただけだよ。後からちゃんと返すつもりだったんだ。」
「嘘おっしゃい。返すつもりの人が、わざわざ仕送りが200円だったなんて嘘を言うもんですか?」
母が真実を突きつけると、一兵とみな子は何も言い返せないのか、俯いて黙り込んでしまった。
「お兄さん、会社のお金も不正に受け取ってますね。」
「それは知らない。俺は何もやってない。」
孝太郎の追求に、一兵は強く反発した。
「証拠は揃ってるんですよ。」
孝太郎は車内に取り付けられた防犯カメラの映像を流した。そこには、誰もいないオフィスで一兵が会社の備品を持ち去る映像が映されていた。
「そして、これがその備品です。」
孝太郎はタブレットを取り出し、ネットオークションの画面を開いて見せた。
「このアカウントを調べてもらったら、一兵さんのものだってことが判明しましたよ。」
一兵は会社から盗んだ備品をネットオークションで売っていたのだ。
「それから、お兄さんが請求した接待費ですが、調査の結果、全て虚偽の申告だったことが分かりました。」
探偵の調査により、一兵はみな子と訪れた高級レストランや友人たちと訪れた高級クラブの領収書を接待と偽り、経費として請求していたことが分かったそうだ。孝太郎は探偵の調査報告書と合わせて、タブレットに送られてきた一兵とみな子が贅沢な旅行や食事を楽しんでいる光景を隠し撮りした映像を見せた。
「これが撮影された日と領収書の日は完全に一致しています。これをどう説明しますか?」
孝太郎の厳しい追求に、一兵は言い訳も思いつかなくなったのか、その場で土下座を始めた。
「すまなかった。この通りだ。許してくれ。」
「どうしてこんなことを?」
「前の暮らしが忘れられずに…つい…。」
一兵は平謝りしているが、母は気が収まらないようだ。
「今後一切、あなたを息子だとは思わないわ。今すぐこの家から出ていって。」
母は一兵とみな子に絶縁を宣言した。
「お兄さんを即刻解雇します。今後のことは警察にお任せすることになりますので、覚悟しておいてください。」
「そんな…頼む。警察だけは勘弁してくれ。」
一兵とみな子がどれほど謝っても、母も孝太郎も一歩も折れない。
「早苗、お前からも俺たちを許すよう頼んでくれ。」
「お断りよ。私はすでに母と孝太郎と話し、一兵たちがどれだけ謝っても決して許さないと決めていたんだ。」
「きっちり罪を償いなさい。」
その後、警察に逮捕された一兵とみな子は、複数の詐欺と業務上横領の罪で起訴された。裁判では二人に懲役刑が言い渡され、分の間の向こうで過ごすことになった。
一兵夫婦の一件が落ち着き、私と母は完全に和解することができた。母はこれまでの償いをするかのように、私と孝太郎に優しく接してくれている。最近、母は「自分で生きていく力が欲しい」と働くことに意欲を見せ始めた。孝太郎は母の気持ちを考慮し、自社の事務職として採用してくれた。働き始めた母は、生き生きとした笑顔を見せてくれている。
しばらくして、私の妊娠が発覚し、孝太郎も母も喜んでくれた。優しくて頼もしい夫と、心を入れ替えた母と共に、私は明るく温かい未来を迎えられそうだ。



