「今まで毎月20万円の仕送りをしてたけど、今月で止めるから。今後一切連絡してこないで」
数年前、女性には縁がなかった息子のサトが結婚した。相手は千里という派手な女性で、私たちの家でまるで女王様のように振る舞っている。その姿に怒りを通り越して呆れてしまう。それでもサトが選んだ人だと認めるしかなかったのだ。
そんな千里から電話がかかってきたかと思うと、サトから私への仕送りをやめさせるという。
「それはいいけど、後悔しない?」
「しないわよ。サトのお金は全部私のものよ」
千里は私たちと絶縁すると言い放ち、そのまま電話を切ってしまった。サトが私に送金していたことがよほど頭に来たのだろう。しかしまさか絶縁まで宣言するとは思っても見なかった。ただ、私たちと絶縁して困るのは千里の方なのだ。
1ヶ月後、家のインターホンが鳴った。モニターにはボロボロの姿の千里が映っていたのである。
私は三山広美、53歳。近所のスーパーでパートしながら、5歳年上の夫・順一と2人で暮らしている。
順一とは結婚してもうすぐ30年が経つ。一人息子にも恵まれ、私たちは幸せに暮らしてきた。息子のサトはおとなしい性格ではあったが、どんなことにも真面目に取り組み、心が優しい。弁護士をしている夫は多忙ながらも家庭を大切にしてくれ、サトは私の手伝いをよくしてくれた。週末になると3人で様々な体験をし、長期休暇には家族旅行にも出かけて円満な生活を送ってきたのである。
数年前、サトが大学を卒業し、社会人として独立してからは夫婦2人の生活となり、私は趣味である家庭菜園を楽しむようになった。久しぶりの夫婦2人暮らしに最初は少し戸惑いもあったが、順一と2人で土いじりをしていると自然と会話も増えていく。相変わらず仕事が忙しい夫ではあるが、時々育てた野菜を使った料理を作り、近所の主婦たちと食事会を開くことも私の楽しみの1つとなっていた。
そんな中、ただ1つ心配だったのはサトの将来のことだ。サトは大学を卒業した後、ゲーム開発の企業に就職した。小学生の頃からプログラミングに興味があったサトは大学で本格的にプログラミングを学び、独自のアプリ開発も行っていた。その功績が認められ入社することができたのだ。入社してからのサトは仕事熱心で真面目に頑張っている。ただ、どういうわけかサトは恋愛には奥手で、これまで恋人がいたことがない。順一はサトにもきっといい縁があるとそれほど気にしていないようだが、母親としてはそろそろ結婚を考える相手が現れてもいいのではないかと心配だった。しかしサトからは仕事の話以外聞いたことがない。直接恋人はいないのかと尋ねても苦笑いするだけで、誰とも縁がなさそうだったのだ。サトはこのまま誰とも一緒になれないのではないかと私は暗く落ち込んでいたのである。
しかし1年ほど前から「会って欲しい人がいる」と電話がかかってきた。聞けば結婚を考えている女性がおり、数日後に家に連れてくるという。サトが結婚すると聞き、私と順一は大いに喜んだ。しかし当日、サトが連れてきた女性を見て私は驚いてしまったのである。
女性の名前は千里といい、サトとは交際してわずか1ヶ月しか経っていないという。
「付き合いはまだ短いけど、僕は千里と結婚したいんだ」
サトは千里に運命を感じたというが、交際してから1ヶ月ではまだお互いのこともちゃんと理解しているとは思えない。
「もう少しお付き合いしてから決めてもいいんじゃない?」
「やだな。こういうのは勢いも大事なのよ。私たちが結婚したいって思ってるんだから、それでいいじゃん」
千里は初めて会う私たちに向かって敬語も使わず強気な態度を示したのだ。派手な身なりで濃い化粧をしているが、話してみないと分からないと向き合うことにしたのだが、それが間違っていたと後悔したのである。
「千里はこんな感じだけど、根は優しい人なんだ。俺には千里しかいない」
「ほらね、サトもこう言ってるし文句ないでしょ」
スマホをいじりながらまともに挨拶もできない千里が本当にサトにふさわしいのだろうか。初めて会う前はどんな女性でもサトが選んだ人であれば受け入れようと話していた私たちだが、とても認めるわけにはいかない。しかし千里が言うように結婚するのはサトたちで、2人が付き合っているのであれば一概に反対だとも言えないのだ。
「とにかく今日は夕飯を一緒に食べて、千里のことももっと教えて。俺たちはサトが決めたことに反対するつもりはない。ただ急なことでちょっと戸惑っているんだ」
その日、サトが好きな料理を作り4人で食卓を囲んだ。しかし夕飯の準備をしている間も千里は手伝おうともせずソファーに座ってスマホをいじっている。食事を始めると「味が薄い」と文句を言い、私の料理に醤油をかけて食べ始めた。結婚しようかという人の実家に来て、これほどまでに無礼な振る舞いができるものだろうか。私は千里の人間性を疑ったのだ。
その後、順一はサトを書斎へと呼び出した。男同士できちんと話をするつもりなのだろう。私はリビングで千里と話をすることにした。
「千里さんはどこで出会ったの?」
「バイト先ですよ」
千里は質問に答えてはいるが、私の目を見ようとせず、視線はずっとスマホに向けられている。
「人と話す時はスマホを置いたら?」
「そういう古臭い考えはやめて。小言を言われるためにサトと結婚するんじゃないわ」
「人としての礼儀作法に古いも新しいもない」
しかし千里は私の話を無視し、聞く耳を持たなかったのだ。しばらくしてサトと順一が部屋から戻ってきた。
「サトの気持ちを優先しよう」
順一はサトの熱意に負けてしまったらしい。
「本当に千里さんでいいの?」
「うん。後悔はしないよ」
サトの本気さに押された私たちは不安を感じながらも、2人の結婚を認めたのである。しかしすぐに後悔することになった。
サトと結婚した直後から千里の本性が露呈したのだ。千里は「サトが私に一目惚れしたから結婚してあげた」と豪語し、私たちに恩を着せ始めたのである。我が家の中で女王のように振る舞う千里に私は怒りが湧いた。千里は週末ごとに家に訪ねてくるが、私を心配したり気遣ってくれているわけではない。ここに来ればただで食事ができるという理由で来ていたのだ。私が家事を行っていても一切手伝わず、リビングでだらだらと過ごす千里に呆れてしまう。しかし、帰れとも言えず、私は我慢するしかなかったのである。
ある日、親戚の子が結婚することになり、ご祝儀を準備していると、それを見た千里が騒ぎ始めた。
「私たちが結婚する時は何もくれなかったのに、他の親戚のことは祝うなんてひどい」
「あなたたちにはたくさんしてあげたでしょ」
サトと千里が結婚する際、私と順一は2人の結婚式の費用や新居の頭金を出し、マイカーもプレゼントした。総額にすれば1000万ほどの祝いをしたのだ。
「それは親として当然のことでしょ。一人息子が結婚するんだからもっと出すのが常識よ」
千里は顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。感謝の言葉すらなく、お金を出すのが当たり前と言い捨てる千里に、私は嫌悪感が湧き起こったのである。
別の日には、いとこの子が出産したと聞き祝いを準備している私に向かって、「子供を産むだけでお金を渡すなんて非常識だ。そんなお金があるなら私によこせ」と怒鳴りつけてきた。千里はとにかくお金への執着心が強かったのだ。家に来るたび、私に小遣いを要求し、渡さなければ罵声を浴びせる。どうしてそんなにお金が必要なのかと尋ねても「あんたには関係ない」と言いはるばかり。どうしたものかと順一に相談しても、これといった対策は見つからない。とにかく現金は渡さないようにしようと決めるしかできなかったのである。
翌年の正月、私の家に親戚たちが新年の挨拶にやってきた。昼食を食べ終わり、私と順一はまだ幼い子どもたちにお年玉を配ったのだ。
「おじちゃん、おばちゃんありがとう」
子どもたちは笑顔を見せてくれている。最後の1人に渡し終わると、子どもたちは庭に出て遊び始めた。しかしその数分後──。
「ひどい!私だけもらってない!」
千里がお年玉をもらっていないと騒ぎ出したのだ。
「千里さんは大人でしょ」
「サトは息子でしょ。その息子の妻なんだから当然お年玉ももらえるはずよ」
親戚の前で駄々をこねる千里に呆れてしまう。
「分かったわ」
私は千里を黙らせようと3万円を渡したのだ。しかし中身を確認した千里はさらに声を強めたのである。
「私は大人だから、こんなのは全然足りないわ」
その様子を呆れながら見つめていた親戚たちは皆一様に凍りついた。
「サト、もうやめてくれ。みんなが見てるじゃないか」
「ケチケチするお母さんが悪いのよ。大事な息子夫婦にあげるお年玉なんだから。この10倍はもらってもバチは当たらないわ」
千里はサトが止めるのも聞かず、むちゃくちゃな理論を振りかざしたのだ。
その日、私はサトと話をした。
「千里さん、どうしてあんなにお金への執着心が強いの?」
「小さい頃、欲しいものも買ってもらえず悔しい思いをしたって言ってた。大人になってからもお金のことで騙されたことがあるって。きっとそのせいだよ」
サトが言うには、過去の苦労によってお金への執着心を強めていったという。しかし、だからと言って時と場合をわきまえてもらいたい。
「僕から千里に言って聞かせるよ。困ったことがあればちゃんと協力するからね」
サトと千里が生活に困るようなことがあれば、私たちは喜んで協力するつもりだ。しかし千里が要求を続けるのであれば、それも叶わなくなる。自分たちの身を守るためにも千里には遠慮してもらいたい。私は彼女が変わってくれることを望んだのだ。
サトはその日のうちに千里に話をしたようで、それからというもの、千里はサトが一緒の時以外家に顔を出さなくなった。我が家にも平穏が戻り、ほっと胸を撫で下ろしていたのだ。しかし、その頃から不愉快なことが起こるようになった。
千里とサトが訪ねてきた日に限って、私の私物が少しずつ紛失するようになったのだ。亡くなるのは決まって貴金属やブランド品ばかり。まさか千里が無断で持ち帰っているのではないか。疑念を持った私は、それとなく千里に確認してみることにした。
「私のアクセサリーがなくなってるんだけど、千里さん何か知らない?」
「なくなったって、お母さんボケたんじゃない?私は何も知らないわよ」
千里は鼻で笑ったのだ。
「いえ、確かに亡くなっているの。それもあなたたちが来た時に限ってよ」
「知らないわよ。まさか私が盗んだっていうの?」
千里は嫁いびりだと大声で騒ぎ出した。
「盗んだなんて言ってないわ。知ってることがないかって聞いてるの」
「知らない。こんな目に遭うならサトと結婚なんかしなきゃよかった」
千里は暗にサトとの離婚を匂わせた。サトは千里のことが大好きで、離婚なんてことになったら精神を病んでしまうかもしれない。それを危惧した私は、それ以上追求することができなかったのである。
それから数日後、千里から電話がかかってきた。
「今まで月20万もしてた仕送りだけど、今月で止めるから今後一切連絡してこないで」
千里はサトから私への送金をやめさせるという。
「それはいいけど、後悔しない?」
「しないわよ。サトのお金は全部私のものよ」
千里は私たちと絶縁すると言い放ち、そのまま電話を切ってしまった。サトが私に送金していたことがよほど頭に来たのだろう。千里と結婚して以来、サトは毎月私にお金を送ってきていたが、そのことを千里には知らせていなかったのだ。千里が知ればまた騒ぎ立てると思ったからなのだが、おそらく千里はサトの通帳を見てしまったのだろう。しかしまさか絶縁まで宣言するとは思っても見なかった。ただ、私たちと絶縁して困るのは千里の方なのである。
翌日、休みを利用して順一が車の整備をしようとガレージに向かった。順一は若い頃から車いじりが好きで、休みの日に時々自分で整備を行うのだ。しかし順一がガレージに向かってすぐ、私を呼び寄せた。何事かと思いながらガレージに向かうと、工具が数本なくなっているという。
「泥棒かしら」
自宅のガレージはシャッターがついており、確認しても壊されたような跡はない。シャッターは常に閉めているため、シャッターを開けるためにはシャッターの横にあるドアを開けて中から開けるしかないのだが、そのドアにも鍵を壊された形跡は見られなかったのだ。考えられる可能性は、ドアの鍵を持っている人物が侵入したということだけだったのである。
「また千里とかしら」
「その可能性は大いにあるが、証拠もないのに疑うことはできない」
順一の言うことは最もだ。限りなく怪しいのは千里だが、彼女が盗んだ証拠はどこにもない。
「とにかく今後のことも考えて、防犯カメラを設置しよう」
順一の提案に従い、私はその日のうちにカメラを設置してもらった。
それから数日後、今度は収穫済みの野菜がなくなっていた。ご近所にも配ろうとガレージに保管していたのだが、それが丸ごと亡くなっていたのである。さらに別の日には、順一が保管していた車のホイールがなくなっていたのだ。いよいよ放置できないと思った私は、防犯カメラの映像を確認した。すると、そこには夜間に私の家に忍び込み、手際よく物を運び出す千里の姿が写っていたのである。
やはり犯人は千里だった。千里は前々から私の私物や家の道具を持ち帰っている。私には知らないと白を切っていたが、彼女以外に犯人はいないと私は確信を持っていたのだ。防犯カメラの映像は言い逃れできない証拠となる。私は千里を家に呼び出し、映像を突きつけ問い詰めた。
「これ、あなたよね」
「それがどうしたって言うの?」
千里は映像を見ても顔色1つ変えず、嫌な笑みを浮かべている。
「これは立派な犯罪よ」
「違うわ。今まで無駄に仕送りしてやった分を現物で取り返しただけよ」
千里は自分は悪くないと盗んだことを正当化したのだ。
「人の家から勝手に物を持ち出すのは窃盗よ。どんな言い訳したって犯罪に変わりないわ」
「だから、これまで私のお金になるはずの20万を私に無断でサトに送らせていたのはそっちでしょ」
千里はあくまで取られたお金を返してもらっているだけだと言い張っている。
「盗んだものをどうしたの?」
「そんなことあんたに関係ないでしょ」
「フリマアプリで売っていたのよね」
私はフリマアプリを開いて見せた。そこには千里のアカウントで、私の家から盗み出したものが多数出品されている。彼女は私の家から盗んだものを現金化し、自分の小遣いにしていたのだ。
「それが何だっていうのよ。私は私のお金を返してもらっただけ」
「そんな言い訳が通用すると思ってるの?」
「うるさい。文句があるならサトからもらったお金を今すぐ返して」
反省もせず身勝手な言い分を突き通す千里に、私は呆れて何も言えなくなってしまった。
「もういいでしょ。今後は私たちに関わらないで。お母さんが絶縁したいって言ってるってサトにも伝えておくから」
そう言い残し、千里は家を飛び出していった。
「浮気だったのね。これからどうする?」
実はこの時、私はサトとビデオ通話をつなげていたのだ。千里とのやり取りの一部始終がサトに筒抜けだった。千里の本性を知ったサトは、画面越しに顔を青ざめさせ頭を抱え込んでいる。サトはこれまで千里がどんな暴言を吐いても彼女の過去の傷のせいだと自分に言い聞かせてきた。しかし、お金への執着心が収まらない千里は、犯罪を犯してでもお金を手に入れようとしたのだ。まさか窃盗までやってのけるとはサトも思っていなかったのだろう。
「千里はもうだめね。いくら辛い過去があったって、他人に迷惑をかけるのは間違ってるわ」
「そうだな。残念だけど、彼女とは別れるよ」
サトは千里との離婚を決意したのである。
数日後、私はサトと共に千里の元を訪れた。
「全部知ってるよ。もう終わりにしよう」
「終わりって何?まさか私と別れるっていうの?」
「ああ。これ以上千里を信じられない」
サトは記入済みの離婚届を千里に渡した。しかし千里はそれをすぐに破り捨ててしまったのだ。
「お母さんの言いなりなんてマザコンじゃない?みんなに言いふらしてやるから」
千里は怒り狂い、サトのことを罵倒し始めた。
「好きにすればいい。でもこれ以上夫婦としてやっていけない」
サトは冷静に答えている。
「どうしても離婚するって言うなら、嫁いびりされて捨てられたって会社にも言いつけてやるから」
「犯罪者の言い分なんて誰が聞く耳持つかしら?私は窃盗の罪で警察に告訴すると告げたのだ」
「だから、それはあんたが勝手に使ってた私のお金を返してもらっただけだって言ったでしょ」
サトが私に送っていたお金は仕送りじゃないのよ。実はサトから送られていた20万円は、千里の借金返済と将来生まれてくるかもしれない子供の教育資金のために私が預かっていたお金なのだ。サトと結婚する前から千里には多額の借金があった。自分の力ではその返済もままならないというのに、千里は浪費を繰り返し、サトの給与が入ると後先考えずに使ってしまう。自分の口座に置いておくのが危険と判断したサトが、使い込まれないように私に預かって欲しいと頼んできたのである。サトは安定して給料を稼いでいたが、結婚してすぐ千里は夫婦の共同口座に入ったお金を、給料日当日にホストクラブで全額使い果たすという事件を起こしていた。それ以来、サトは家計の管理を千里に任せず自分で管理するようになったのだが、千里はサトの口座のお金にも手をつけるようになったのだ。このままでは生活もままならなくなると思ったサトは、使わない分を私に預け、生活に必要なお金も千里の知らない口座へと移動させたのである。
「最初から私のことを信じてなかったって言うの」
「千里は僕が何も知らないと思っているのかもしれないけど、千里はサトと結婚する前からホストクラブに入れ込んでいたらしい」
サトは結婚すれば千里のホスト通いもなくなるだろうと思っていたようだが、その考えは甘かったようだ。ホストに貢ぐお金欲しさに、千里はサトの通帳を盗み見て「お金をよこせ」と迫ったらしい。しかしサトは必要な金額以外は渡さなかった。すると千里はサトのキャッシュカードを無断で持ち出し、お金を抜き取るようになったそうだ。サトの同僚が結婚するからと用意していたご祝儀袋から現金を抜き取ったこともある。サトが別口座にお金を移動させた後は、家にあるサトの私物を売り払い現金を手にするようになったという。
「私もやられたの。それじゃ母さんも」
実は私の家から私物や道具が紛失したことについても、家に設置していた防犯カメラの映像から千里が犯人だということは早い段階で分かっていたのだ。それでも私が千里の犯行に気づいていると分かればやめるかもしれないと思い、それとなく千里に話をしたのだが、彼女は聞く耳を持たず知らないと私を罵倒したのである。
「一体、君はどれだけ犯罪を犯したんだ?」
「別にいいじゃない。夫の金は妻にも自由に使う権利があるわ」
千里は開き直り、当然の権利だと言い放つ。
「人を騙して盗みまで働くのは犯罪だ。犯罪を犯した人間と夫婦でいられるわけがない」
サトはもう1枚用意していた離婚届を突きつけたのだ。
「別にいいわよ。どうせあんたの顔も好みじゃなかった。面白くもないあんたは給料以外メリットなんてない」
千里はサトに悪態をつきながら離婚届に署名して出ていった。残された私とサトの間に虚しい空気が流れる。千里は最後まで謝罪の言葉を言わなかった。ごめんなさいと反省する素振りでも見せてくれれば少しは考えも変わったかもしれない。しかし千里は何1つ反省することなく、怒りに任せて暴言まで吐いた。
「やっぱり無理だったんだな」
「そうね。残念だけど諦めましょう」
サトは初めて結婚を望んだ相手に裏切られ、ひどく落ち込んでいるようだ。
「本当に千里を告訴するのか?」
「それはあの人次第よ」
千里がきちんと反省し、人生をやり直すのであれば告訴は取りやめよう。そう思っていたのだ。しかし数日後、SNSでは我が家を誹謗中傷するような投稿が繰り返されたのである。投稿者は千里だった。千里は私たち家族を貶めるため、事実とは違う内容ばかりを書き込んでいたのだ。さらに千里はサトが務めている会社にも「ひどい嫁いびりにあって離婚させられた」と訴えたのである。会社は普段から真面目に仕事に取り組んでいるサトを信じ、大事にはしなかったようだが、相手にされないと分かると千里は会社のことまでSNSで批判し始めたのだ。
私は弁護士である順一と協力し、その全てを証拠として保全した上で、名誉毀損による慰謝料に加え、これまで千里が無断で持ち出した金品の全てに対し返還を求める裁判を起こそうと準備を進めた。
1ヶ月後、訴訟の準備が整い裁判所に告訴状を提出しようとしていた時だった。自宅のインターホンが鳴ったのだ。モニターには千里の姿が映っている。今更何しに来たのだろうか。玄関を開けた瞬間、千里は土下座して私に謝ってきた。髪は乱れ、汚れた服を着た千里は1ヶ月前とはまるで別人だ。
「お願いします。助けてください」
サトの家から出ていった千里は、多額の借金の返済ができず連日激しい取り立てに合っているのだとか。ホストに貢ぐため複数の消費者金融から借入れを行い、それでも足りず闇金にまで手を出していたという。そのため住み始めたばかりのアパートを夜逃げ同然で飛び出し、貢いでいたホストに助けを求めたそうだ。しかしホストからは「金がないならもう終わりだ」と別れを告げられ、店から放り出されてしまったのだとか。その後は行く当てもなく町を彷徨っていたそうだ。このまま誰も知らないところへ逃げてしまおうかとも思ったらしいが、闇金の取り立て屋に見つかってしまい、このままでは自分の身が危ないと察知した千里は私の家を尋ねたらしい。
しかし、私と順一はすでに家を売り払い、サトの家に引っ越していた。実は将来的な同居を考え、サトが建てた新居はバリアフリー住宅にしていたのだ。千里が去った後、今後のことを考え一緒に暮らす方がいいと判断した私たちは、サトの家に引っ越したというわけだ。
「お願いします。少しでいいから」
「君は赤の他人だ。2度と我が家の敷居をまたぐな」
必死に懇願する千里に、サトは冷たい視線を向け冷たく言い放った。
「私たちはあなたを告訴することにしたの。これ以上騒ぐなら、今この場で警察に通報するわ」
千里はこの時になってようやく自分の行いを反省したのだろう。大粒の涙を流しながらとぼとぼと帰っていった。
その後、私はサトと共に千里を相手取り民事裁判を起こしたのだ。しかし千里は裁判所の呼び出しに応じず、私たちの主張が一方的に認められる形となった。千里には多額の慰謝料と損害賠償の支払いと同時に、盗んだ金品の総額の返済が命じられたのだが、彼女に支払う能力はない。そこで将来的な収入から差し押さえる手続きを取ったのだ。千里は一生をかけて私たちに賠償金を支払い続けることになる。しかし闇金の取り立てがある以上、彼女はまともに働くこともできないだろう。そう考えた私は最終の情けと思い、千里に債務整理を行ってもらうことにしたのだ。借金の全額が免除されるわけではないが、少なくとも闇金の取り立ては止めることができる。
「本当にありがとうございます」
千里は私たちに深々と頭を下げ、その後は真面目に仕事をするようになった。多額の支払いをしながらの生活は決して楽なものではない。それでも自分の罪と向き合いながら人生をやり直してくれれば、サトも少しは救われる。そう信じて私は千里に手を差し伸べたのだ。
その後、サトは今回の件を教訓にして、見た目ではなく内面を重視して女性選びを心がけるようになった。
ある日、サトから「会って欲しい人がいるんだ」と言われ、会いに行くと可愛らしい女性が待っていた。久美と名乗ったその女性は、サトと同じ趣味を持っているらしく、前から友達としてよく話していたらしい。久美は私にも丁寧に接してくれ、千里のような傲慢さは一切感じない。
「久美さんとお付き合いしようと思ってるんだけど、母さんはどう思う?」
「あなたがいいなら、私は何も異論はないわ」
久美はよく笑う明るい女性で、私とも気が合いそうだ。金銭感覚もしっかりしており、将来のこともきちんと考えている久美に私は好感を持っていたのである。彼女であればサトは幸せになれる。そう確信していた。新しい第一歩を踏み出した息子を見守りながら、これからも順一と2人穏やかに暮らしていこう。ようやく訪れた平穏な毎日に私は満足しているのである。



