「お母さんはもう用済みですから、いつまでも私たちにまとわりつかないでください」…

「お母さんはもう用済みですから、いつまでも私たちにまとわりつかないでください」...

「お母さんはもう用済みですから、いつまでも私たちにまとわりつかないでください。死んだ人のことでグダグダ言わないで」

電話の向こうから聞こえてきた嫁の言葉に、私は一瞬、心臓が止まるかと思った。66歳になって、まさか自分の息子の嫁からこんな言葉を浴びせられる日が来るとは思ってもみなかった。

7年前に夫を亡くしてから、私の家族は息子の直だけだった。会社員として真面目に働く優しい息子。夫が亡くなった時も「母さん、僕が父さんの分まで守るから」と私の手を握って言ってくれた。その言葉を信じて、私は息子夫婦を心から支えてきた。

しかし今、息子からの連絡は一切ない。息子夫婦が住むマンションの鍵も返却し、息子のために毎月積み立てていた預金もすべて解約した。そして私は息子にこう告げた。

「あなたはもう私の息子ではありません」

愛する息子はなぜここまで変わってしまったのか。そして私がなぜ実の子と縁を切る決断をしたのか。そのすべての始まりは、夫の七回忌の法事での出来事だった。

息子の直が結婚したのは2年前のことだ。同じ会社で働く舞という28歳の女性。美人で教養もあり、一見すると申し分のない女性に見えた。最初こそ礼儀正しかった舞の態度が、結婚2年目あたりから微妙に変わってきた。

電話をしても以前のような笑顔はなくなり、話しかけてもそっけない返事しか返ってこない。直の耳に「お母さんって少し干渉的じゃない?古い価値観を押し付けてくるから困ってるの」と吹き込むようになった。

最初に舞の冷たさをはっきり感じたのは、夫の七回忌の法事だった。親戚が一堂に集まる中、舞は私にだけあからさまな無視を決め込んだ。他の親戚には愛想よく話しかけ、笑顔を振りまいているのに、私にだけは顔すら向けない。

「疲れているんだろう」と自分に言い聞かせた。しかし、舞の嫌がらせはエスカレートしていった。孫の勇気君の写真を一切送らなくなった。舞の実母には毎日のように写真が送られているのに、私には月に一度も送られてこない。私が選んだ孫への贈り物も、直の前で平然と「趣味が古い」と批判した。

決定的だったのは、勇気君の1歳の誕生日だった。直に確認を取り、お祝いに行く予定になっていたのに、当日の朝になっていきなり「勇気が体調を崩した」と電話が来た。ところが、その夜にSNSを見ると、舞のアカウントには元気いっぱいの勇気君の誕生日パーティーの写真が投稿されていた。そこには舞の両親や兄弟家族が映っていて、とても楽しそうだった。

「体調を崩したって、嘘だったの?」

私は大切な孫の初めての誕生日から締め出された。しかも、それを仕組んだのが自分の息子だという事実が、何よりも辛かった。

そして運命の日が来た。夫の月命日の墓参りを息子夫婦と一緒に行く約束をしていたのに、直前になっていきなり直が言った。

「舞が勇気はまだ小さいから墓場は良くないって言ってるんだ。だから今年は僕たち家族だけで行くことになった」

「家族だけって……私は家族じゃないってこと?」

私は一人で夫の墓に向かった。すると、そこには新しい花と酒が備えられていた。直夫婦が来た後だったのだ。その時、舞のSNSに投稿が上がった。

「勇気のおじいちゃんにご挨拶。私の両親も一緒に手を合わせてくれました。本当の家族になれたようで嬉しい」

「本当の家族」。その言葉が私の胸に深く突き刺さった。夫の墓を分けた息子の母親である私は排除されて、血のつながりもない舞の両親が「本当の家族」として扱われている。あまりの屈辱に、私は怒りを抑えて直に電話をした。すると、電話の向こうから舞の声が聞こえてきた。

「なお、また文句言ってるの?本当にしつこいわね」

そして告げられたのが、あの言葉だった。

「お母さんはもう用済みですから。いつまでも私たちにまとわりつかないでください。死んだ人のことでグダグダ言わないで」

「用済み」?夫の死を侮辱され、私の存在そのものが否定された。しかも、直はそれを止めもせず、こう言ったのだ。

「聞こえたけど……母さんが絡むと雰囲気が悪くなるんだよ。舞もストレスが溜まってるし、あまり気にしないで」

その瞬間、私の中で何かが音を立てて崩れ落ちた。息子は妻の暴言を止めるどころか、母親の存在そのものを否定したのだ。

「わかりました。よくわかりました」

私はそう言って電話を切り、鏡の前に立った。そこには66歳になった自分の顔がある。深い悲しみの代わりに、強い怒りと尊厳を守りたいという気持ちが湧き上がってきた。

もう我慢はしない。私は戦う。

私は舞からの嫌がらせをすべて記録していたノートを取り出した。無視された件、孫の写真を送らない件、贈り物を批判された件、墓参りから排除された件。すべてを時系列で整理した。そして、自分の財産を確認した。息子夫婦に家や車の頭金、孫の教育資金として支援してきた金額は、積立預金500万円、教育資金200万円など、合計で1000万円を超えていた。私がこれだけの犠牲を払ってきたのに、この仕打ち。

私は夫の法事の日に、決着をつけることにした。親戚が集まる場で、私は静かに、しかし明確に事実を告げた。

「皆さんにお話ししたいことがあります。実は舞さんから、私に対してとても辛い言葉をいただいています」

舞が私だけを無視すること、孫の写真を一切送ってくれないこと、贈り物を「趣味が悪い」と批判すること。そして先日は「用済み」という言葉まで言われたこと。すべてを話した。

親戚の間から「それはひどい」という声が上がった。舞は顔を赤くして反論しようとしたが、私の従姉にあたる男性が舞を厳しく叱った。

「舞さん、それは言いすぎでしょう。どんな理由があっても『用済み』なんて言葉は人として許されません」

そして私は決定的な行動に出た。銀行の通帳をテーブルの上に置いたのだ。

「私は直のために、これまで多くの経済的援助をしてきました。この定期預金500万円。教育資金として積み立てた200万円。すべて直の名義で私が積み立ててきたものです。しかし、こうした援助を受けながら、母親をこのように扱うのであれば、もう支援する必要はありません。これらの預金は明日、すべて解約します。そして私の土地の相続についても、遺言を書き直していただきます」

会場は静まり返った。直の顔は青ざめ、舞も事の深刻さにようやく気づいたようだった。

「直、あなたに最後のチャンスを与えます。息子として私と以前のように付き合っていくか、妻に従って母を切り捨てるか。どちらかを選びなさい」

長い沈黙の後、直は小さな声で言った。

「僕は舞と勇気を選びます」

その言葉に、親戚の何人かがため息をついた。私は悲しそうに微笑んだ。

「わかりました。それがあなたの選択ですね。私はこれを持って、直と縁を切らせていただきます。もう私の息子ではありません」

翌日、私は約束通り銀行に向かい、直名義の預金をすべて解約した。そして弁護士事務所で遺言書を書き直し、直を相続人から除外する手続きを取った。

それから3ヶ月が経った。最初の数週間は確かに寂しさと喪失感に襲われた。しかし、時間が経つにつれて、私の心には今まで感じたことのない解放感が広がっていた。地域のボランティア活動に参加し、同じような価値観を持つ人たちとの交流を深めていくうちに、私は自分自身の人生を生きているという実感が湧いてきた。

「中谷さん、最近とても表情が明るくなりましたね」

そう言われて、私は気づいた。息子夫婦のために尽くしてきた時間が、どれだけ私を縛っていたのか。愛情と甘やかしは違う。尊重されない関係に固執する必要はないのだ。

直夫婦が経済的に困窮しているという噂は風の便りに聞いた。舞は私が解約した貯金を勇気君の教育資金やマンションのローン返済に当てる予定だったらしい。さらに、私が所有していた土地の相続権も失った。駅に近い一等地で、将来的には2000万円以上の価値があると言われていたものだ。

しかし、それは彼らが自分たちで招いた結果だ。私のせいではない。

あれから1年が経ち、私は今、地域のコミュニティセンターで同じような悩みを抱える女性たちの相談に乗る活動をしている。私の経験が誰かの役に立っている。それが何よりも嬉しい。

今日も一人の女性が相談室に来た。息子の嫁から「古い考えを押し付けないで」と言われ、孫にも合わせてもらえなくなったという。涙ながらに「私何か悪いことをしたのでしょうか」と尋ねる彼女に、私は言った。

「大丈夫ですよ。あなたは何も悪くありません。愛する家族のために尽くすことは美しいことです。でも、一方的に我慢する関係は健全ではありません。私も同じような経験をしました。でも今は自分の人生を取り戻すことができました。大切なのは、愛することと自分を大切にすることは両立できるということです」

家に帰り、夫の写真の前で手を合わせる。

「あなた、私は今とても幸せよ。直のことは心配だけど、それは私が解決できる問題じゃない。彼らが自分で学ぶしかないのね」

窓の外では桜の花びらが風に舞っている。私は静かに微笑んだ。私の選択は間違っていなかった。愛する人を手放すことは辛いことだった。でも、自分の尊厳を守ることの方が、もっと大切だったのだ。

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