「え、あんた来てたの?」
実家に久しぶりに顔を出した私は、玄関でばったり姉のまみと鉢合わせた。その第一声がこれだった。2か月前に結婚したことも、ハワイで式を挙げたことも、私は誰からも知らされていなかった。家族全員が私だけに内緒にしていた。それが何よりショックだった。
私は28歳。ダンスのインストラクターから身を起こし、今では自分のダンススクールを会社にまで成長させた。姉のまみは3つ上で、昔から勉強ばかりしている優等生タイプ。私はその正反対で、勉強が大嫌いな自由人だった。幼い頃は一緒に遊んだこともあったが、いつの間にか姉は私を見下すようになった。
「あんたさ、勉強もしないで毎日遊びほうけてるけど行ける学校あるの?家族が恥をかくってこと分かってるの?あんたみたいに努力もしないバカが妹で私は本当に迷惑してるし恥ずかしいわ」
高校受験の頃、姉に言われた言葉だ。その時は売り言葉に買い言葉で言い返したが、心の奥に深く刺さった。
姉は大学に進むと黙って実家を出て行った。私は高校を卒業し、ダンスのインストラクターとして働き始めた。初めての一人暮らしで家事に奮闘しながらも、仕事に打ち込む日々。そんなある日、久しぶりに実家を訪れると、母から驚くべき事実を告げられた。
「ごめんね。まみがどうしてもあみには言うなって」
「おかしいでしょ。お父さんもお母さんも弓だって、みんなで私だけに内緒にしてたってことだよ」
「そうなんだけど……あの子が『この結婚式は私の結婚式だから勝手なことはするな』って聞かなくてね」
私はその瞬間、生まれて初めて心の底から姉に怒りを覚えた。結婚の報告さえも聞かせたくないと言われたのだ。もはや家族ではない。いつか必ず仕返しをしてやる。漠然とだが、強くそう思った。
私は仕事に没頭した。自分のダンススクールを持ち、数年かけて大きな会社にまで成長させた。衣装やデザインから制作まで、すべて自社で行う体制を作り上げた。子供からプロのダンサーまで、多くの人が私の会社を訪れるようになった。姉に馬鹿にされたことが成功のきっかけになったのかもしれないが、ここまで順調にいくとは自分でも思っていなかった。
あれから実家との付き合いは薄くなったが、姉以外とは連絡を取り合っていた。私の会社のことや私の話を、一切姉にしないように言ってあった。いつか姉が勝てないと思うような人間になって見せつけてやりたかったのだ。
ある日、オフィスで仕事をしていると、社員の一人が私を呼びに来た。
「代表、なんとかという会社の営業の方が、是非代表に直接お話を聞いてほしいと来ています」
「なんとかって聞いたことない会社なの?」
「そうですね。私は聞いたことがありません」
「分かった。ちらっと顔を出すよ」
私は警戒しながら来客室に向かった。突然営業に来る連中は、しっかり見極めないと痛い目に遭うことがある。ところが、ガラス張りの来客室に座っていたのは、あの姉のまみだった。彼女はこの会社の代表が私だとは知らずに来ているらしい。
「お待たせしました」
「え、あみ?」
姉は私を見てすぐに気づいたが、私は平然と話し続けた。
「ご用件は?」
「代、代表……お知り合いですか?」
「いいえ、知らない方よ」
私はこのセリフを言うためにこの部屋に入ったのだ。
「ちょっと何言ってるのよ。私、この子の姉です」
「あんた、この会社どうしたの?本当にあんたの会社なの?」
「あの勘違いはやめていただけますか?私の身内にこんな低レベルな人間はいません。もし本当なら恥でしかないわ」
社員を驚かせてしまったので、彼女には申し訳ないことをした。席を外してもらうと、姉はようやく本題を切り出した。
「うちと専属契約を結んでほしいの。どうしてもあんたの会社と仕事がしたいって、うちの上司が聞かなくて」
「営業何年やってるの?それじゃ出世もできないはずだわ」
「どういう意味?」
私は姉の営業能力の低さにがっかりした。営業先のトップのことを調べもしないで、アポイントもなく突然来る。相手が知り合いだと分かると、企画内容も説明しないで専属契約をしろと言う。馬鹿にしているのか。
「何よ?いつからそんなに偉くなったの?何もできないただのバカだったくせに」
「いつから?私はずっと努力してきたから、結果がついてきてるだけのことよ。都合のいい時だけ私の姉だと名乗るなんて」
私は冷静にそう思った。人生で勝負するなら、私はもう完全にこの人に勝っている。姉は数年ぶりに会うと随分落ちぶれていた。
「今日のところはお引き取りください。本気でうちと仕事がしたいなら、もっと人として魅力的な営業を寄越すよう、上司の方にお伝えください」
私はあの姉と仕事をするつもりはさらさらなかったので、最後まで冷たい態度を貫いた。ところが、社員がこんなことを言ってきた。
「お姉さん、今回うちとの契約が失敗したら会社を首になってしまうっておっしゃってましたけど」
「たいした営業してるね。そんな嘘までついて」
「そうでしょうか。嘘ではなさそうでしたよ」
そう聞いても、私は助けてあげたいとは思えなかった。そもそも、これは仕事だ。ところが姉は諦めなかった。翌日すぐに電話がかかってきた。
「お願いだから」
「昨日も言ったけど、本気で仕事を取りたいならそんなやり方じゃどこへ行っても通用しないと思いますよ。しっかりしてください」
「あんた、ここにばかり私に仕返ししているつもりでしょ?」
「申し訳ないけど、私はたくさんの社員の生活を預かっているの。責任があるの。納得のいかない仕事は絶対に受けない。でも、どんなに嫌な相手からのオファーだとしても、それに魅力があるなら断ったりはしないわ」
「うっ……分かった」
「自分の能力をフルに使って、やれるだけのことを一度必死でやってみたらどうなの?次はちゃんとアポイントを取ってきてね」
こう見えて私も忙しい。姉がどんな仕事を見せてくれるのか、私の心を動かせるのか。それは姉次第だ。私は昔からそうだが、姉に恨みはない。できれば仲良く過ごしたかった。家族も友達も恋人にしても、自分の思いだけでどうしようもないこともある。私は姉のことは諦めていた。だが、今回の仕事がきっかけで姉が変わるのなら、私はすべてを水に流してもいい。そう思い始めていた。
その日はなぜか気分が良く、両親に連絡してみた。
「今夜レストランを予約するから、お父さんと一緒に出てこれる?」
両親は私の誘いに来てくれた。私はこの日、両親に交際している彼の話をした。結婚を考えていること。彼は仕事では私のライバルと言ってもいい相手で、同業の同じ経営者だということ。結婚してもこの仕事を続けていくつもりではあるが、先のことはまだ未定であること。
「今度彼をみんなに紹介するね。その時はうちでバーベキューでもするから、お父さんもお母さんも来てね。まみと弓も」
食事を終えると、私は初めて両親を自分のオフィスへ案内した。ダンススタジオ、衣装部屋、デザインルーム、ミーティングルーム。普通の会社とは全く違う空間に、両親は驚いていた。
「あみ、すごい会社ね。よくここまで頑張ったな。私たちは何も助けてあげていないのに」
「最初から大きい会社だったわけじゃないからね。これで世の中は、学力だけが全てじゃないって分かってもらえたかな。これでまみも認めてくれるかな?」
「そうね。本当にそうだもんね。きっと分かってくれるわよ」
それから1週間以上、姉から連絡はなかった。諦めたのか。そう思い始めた頃だった。仕事を終え、帰宅しようとした時、正面から姉が全力で走ってきた。
「代表!たった今お見せしたい資料が出来上がって、どうしても見てほしくて……突然すみません、来てしまいました」
「アポは取るように言ったのに」
姉は息を切らしながら、一生懸命企画の説明をした。気がつくと私も前のめりに聞いていた。
「よく頑張ったね。面白い企画だった」
「正直に言うと、こんなに仕事に真剣に向き合ったのは入社して初めてでした。ずっと頭のどこかで、私はこんなところでこんなくだらない仕事をしてる人間じゃない、こんなはずじゃないって仕事をずっと否定してきた。でも、あみがこんなに立派な会社の代表だって知って、能力を使えって言われて目が覚めたの。勉強ができないことをずっと馬鹿にしてきて、本当に悪いことをしたって思ってる。ごめんね、あみ」
姉の表情は、今までとは違っていた。
「私は本当に学歴だけで入社してもう何年も経つのに成長していないの。恥ずかしいのは私の方よね」
「分かった。一旦うちのメンバーとも打ち合わせして、結果はまた報告するね」
「ありがとう」
再会の場所が、私が活躍している場所で本当に良かった。私たちはこうして仕事での繋がりができた。姉が初めて真剣に向き合った仕事は、完璧で素晴らしいものだった。そして来年には、妹の弓が我が社へ入社することが決まっている。次は能力の高い姉をヘッドハンティングしようか。そんなことを考えながら、私は今、彼と一緒に家族全員が揃ってバーベキューをする支度をしているところだ。



