「母さんはもう他人だよ。早く出て行ってもらわないと俺たちの生活が成り立たない」…

「母さんはもう他人だよ。早く出て行ってもらわないと俺たちの生活が成り立たない」...

玄関で買い物袋を下ろした瞬間、リビングから息子の声が聞こえてきた。「もう限界だ。母さんはもう他人だよ。早く出て行ってもらわないと俺たちの生活が成り立たない」

私は凍りついた。買い物袋を持つ手が震えた。でも、なぜか冷静な部分があった。ポケットからスマートフォンを取り出し、録音アプリを起動させた。この瞬間から、私の人生は大きく変わることになる。

私は柴田和枝、68歳。長年貿易会社で働き、部長職まで務めた。夫は5年前に病気で亡くなり、それ以来息子夫婦と同居している。息子夫婦のために、私はできる限りの援助をしてきた。年金の半分にあたる月8万円を生活費として渡し、孫の学費も月10万円を6年間、一度も欠かさず支払い続けている。現在も朝5時に起きて、家事全般を担当している。

以前は嫁の美由さんも「お母さん、本当に助かっています」と感謝してくれていた。息子の孝志も「母さん、いつもありがとう」と優しい言葉をかけてくれた。しかし最近になって、2人の態度が少しずつ変わってきた。感謝の言葉が減り、当たり前のような顔をするようになってきたのだ。

それでも私は、家族だからこそ支え合うものだと信じていた。まさか「他人」と呼ばれる日が来るなんて、想像もしていなかった。

態度が明確に変わり始めたのは、3ヶ月ほど前からだった。

「母さん、この味噌汁薄くない?もっとしっかり味付けしてよ」

朝食の席で孝志が不機嫌そうに言った。38年間毎朝同じ分量で作ってきた味噌汁だ。夫も「和枝の味噌汁が一番だ」と褒めてくれていた。しかし翌日、濃い目に作ると「塩分取りすぎは体に悪いでしょ」と文句を言われる始末だった。

掃除についても同様だった。「お母さん、ここにほこりが残ってますよ。もっと丁寧に掃除してください」と美由さんが部屋の隅を指差しながら言った。老眼で見えにくくなっているとはいえ、私は毎日2時間かけて家を掃除している。

「すみません。すぐに吹き直しますね」

そう答えると、美由さんは鼻で笑った。「最近お母さんも年取ったんですかね。前はこんなことなかったのに」

さらに驚いたのは、美由さんの両親が訪ねてきた時のことだ。美由さんは自分の両親には丁寧な敬語を使い、お茶とお菓子を慎重に選んで出していた。一方、私に対しては「お母さん、お茶出してください。ちょっと買い物行ってきてもらえます?」と、まるで使用人のような扱いだった。

ある日、美由さんの母親が私に言った。「和枝さん、大変ですわね。でも同居させてもらえるだけでもありがたいと思わないと」

私は言葉を失った。この家は私と夫が建てた。息子夫婦を迎え入れたのは私の方なのに。いつの間にか立場が逆転していた。

最も衝撃的だったのは、1ヶ月前の出来事だった。「お母さん、最近もの忘れがひどくないですか?」と美由さんがわざとらしい心配そうな顔で言った。「病院で見てもらった方がいいんじゃないですか。認知症とか始まってるかもしれないし」と孝志も同調した。

確かに多少のもの忘れはあるが、日常生活に支障はない。それなのに、まるで厄介者扱いだ。

そして極めつけは、先週の夕食時の会話だった。「お母さんの部屋、もっと小さい部屋に移ってもらえませんか。あの日、子供部屋にしたいんです」と美由さんが切り出した。現在私が使っている部屋は、夫と過ごした思い出の詰まった寝室だ。

「でもあの部屋は、もうなくなった父さんの思い出なんていつまでも引きずってても仕方ないでしょ。母さんは1人なんだから小さい部屋で十分だよ。物置き部屋でも片付ければ使えるでしょう」と孝志が冷たく言い放った。物置き部屋は窓も小さく、冬は寒い4畳半の狭い部屋だ。

「考えさせてください」とやっとのことで答えると、孝志は「どうなの。じゃあ施設の方がいいの?」と言った。その言葉に、私は何も言えなくなくなった。

あの日、玄関で聞いた会話は、さらに衝撃的な内容へと展開していった。

「母さんの年金と退職金、全部で5000万はあるはずだよ。この前通帳をちらっと見たら、まだ3000万以上残ってた」

「え、そんなにあるの?」と美由さんの声も興奮気味だった。

「そうだよ。それにこの家と土地だって相当な価値がある。最低でも8000万するだろう」

「じゃあ、合わせて1億以上ってこと?」

「そういうことだから、早く相続の準備をしないと。母さんが認知症になったとか理由をつけて、成年後見人の手続きを進めよう」

私は息を飲んだ。認知症でもない私を、勝手にそういうことにしようとしているのだ。

「でもお母さん、まだしっかりしてるし大丈夫。医者なんてこっちの言い分次第でどうにでもなる。診断書さえもらえれば財産管理は俺たちでできるようになる。それで施設に入れちゃえば、もう口出しもできないしね」

「そう。毎月の年金は施設費用に当てるとして、残りの財産は全部俺たちのもの」

「でも今まで援助してもらったのに、そんなことして大丈夫かな?」と一瞬美由さんにためらいがあったようだが、孝志はあっさりと否定した。

「だから何。もう十分だよ。そもそも親が子供を援助するのは当たり前。俺たちが特別なことをしてもらったわけじゃない」

「そうよね。むしろこっちが面倒見てあげてるんだから」

「そうそう。家事をやってもらってるとはいえ、ただで住ませてやってるんだから、感謝してもらいたいくらいだ」

私は耳を疑った。この家は私の家なのに、まるで自分たちの家のような口ぶりだ。

「とにかく、母さんはもう他人だと思った方がいい。かかわってたら俺たちが損するだけだ」

「他人か。でも、一応は家族でしょう」

「だからこそだよ。もう完全に他人。むしろ俺たちの人生の邪魔物だ」

邪魔物。その言葉が私の心に深く刺さった。

「来月、俺の会社の顧問弁護士に相談してみる。財産を確実に手に入れる方法を教えてもらおう」

「いいわね。でもお母さんに気づかれないようにしないと」

「当然だろ。今まで通り表面上は優しくしておけばいい。『大丈夫ですか?お体に気をつけてくださいね』って書いておけば疑われない」

2人は薄気味悪い笑い声をあげた。

「そういえば、この前お母さんが『老後は海外で暮らしてみたい』なんて言ってたよね」

「ああ、言ってた。バカみたい。もうろくじいさんのくせに」

「でも、いいアイデアかも。『お母さんの夢を叶えてあげたい』とか言って、どこかのトークの施設に入れちゃえば」

「それ、いいね。できれば日本から出て行ってくれれば最高だ」

私はもう十分だった。これ以上聞いていたら、玄関で泣き崩れてしまいそうだった。静かに玄関の外に出て、しばらく家の周りを歩いてから、何事もなかったように帰宅した。

「ただいま」

「あ、母さん、お帰り。遅かったね。心配したよ」と孝志が先ほどの会話が嘘のように優しい顔で迎えてくれた。

「お母さん、夕飯の準備をお願いしますね」と美由さんもいつもの調子で言った。

私は何も言わずキッチンに向かった。手は震えていたが、いつも通り夕食の準備を始めた。

その夜、部屋に戻ってから録音した音声を何度も聞き返した。聞けば聞くほど、悲しみが怒りに変わっていった。私が必死で育てた息子が、私のことを「他人」「邪魔者」と呼んだのだ。今まで信じていた絆など、もう存在しないことがはっきりした。

そして私は決断をした。この家を出て、新しい人生を始めるという決断を。

翌朝、私はより早く起きて静かに準備を始めた。まず最初に向かったのは、長年お世話になっている弁護士事務所だった。担当の富岡弁護士に録音を聞いてもらうと、彼は真剣な表情で最後まで聞いてくれた。

「なるほど。大変お辛い思いをされましたね。この音声は息子さんたちの本心を示す重要な証拠になります」

「法的に問題はないでしょうか?」

「ご自宅での会話ですし、柴田さんも同居人です。全く問題ありません。それより、息子さんたちが計画している成年後見人の不正申請の方が重大な問題です」

富岡弁護士は今後の対策について詳しく説明してくれた。「まず、柴田さんの財産を守る必要があります。すぐに金融機関に連絡して、必要な手続きを進めましょう」

私は弁護士事務所を出ると、すぐに銀行へ向かった。全ての口座の届出印とパスワードを変更し、息子夫婦からの不正なアクセスを防ぐ手続きを行った。さらに、定期的に彼らの口座に振り込んでいた援助金の自動送金も、この場で停止手続きを行った。

次に向かったのは別の銀行だった。ここでは新しい口座を開設し、まとまった金額を海外送金できるよう準備を整えた。実はシドニーには、私の元同僚で親友のマリ子が住んでいた。

昼食後、国際電話をかけた。「和枝、久しぶり。どうしたの?急に」とマリ子が出た。私は事情を説明した。マリ子は私の話を黙って聞いてくれた。

「和枝、それはひどすぎる。すぐにでもシドニーに来なさい。私の家には部屋も余ってるし、いくらでも泊まっていいから」

「でも、迷惑じゃない?」

「何言ってるの?40年来の友達でしょう。それにこっちには日本人のコミュニティもたくさんあるし、和枝なら英語もできるから、すぐに馴染めるわ」

マリ子の温かい言葉に、目が熱くなった。「永住権の申請もこちらで手伝うわ。和枝の経歴なら、投資家ビザも取れるはずよ」

午後は不動産会社を訪ねた。この家と土地の現在の評価額を確認するためだ。「柴田様の物件ですと、現在の相場で約8500万円の価値があります」と担当者が言った。売却ではなく賃貸に出すことは可能か尋ねると、「もちろんです。月35万円程度の家賃収入が見込めます。管理は弊社で全て受け持ちます」とのことだった。

私は賃貸に出す方向で検討することにした。この家には夫との思い出がたくさん詰まっている。手放すことはできないが、息子夫婦に無償で使わせる必要もない。

夕方、家に戻る前にもう1つ重要な場所に立ち寄った。パスポートセンターだ。「更新の手続きをお願いします。急ぎで発行していただけますか?」と尋ねると、「特急発行でしたら3日後にはお渡しできます」とのことだった。

全ての準備が整いつつあった。私はもう後戻りする気はなかった。

家に帰ると、息子夫婦は何も知らない様子でリビングでくつろいでいた。「母さん、今日も遅かったね。どこか具合でも悪いの?」と孝志が心配そうな顔を作って聞いてきた。昨日の会話を知っている私には、その演技が見えすぎていた。

「いえ、ちょっと銀行に用事があって」

「銀行?何か問題でも?」と美由さんが急に興味深そうに聞いてきた。

「いいえ、定期預金の更新だけです」

2人は安心したような顔を見せた。まさか援助を止められるとは、夢にも思っていないのだろう。

その夜、私はシドニーへの航空券をインターネットで予約した。出発は1週間後。もう全ての準備は整った。

運命の朝が来た。いつものように朝食の準備を整え、息子夫婦を食卓に呼んだ。2人はいつものように席に着き、私が給仕するのを当たり前のように待っていた。

「母さん、今日の味噌汁は美味しいね」と孝志が珍しく褒めてくれた。最近、私の機嫌を取ろうとしているのが見え見えだった。

「お母さん、今日も1日よろしくお願いしますね」と美由さんもわざとらしい笑顔を向けてきた。

私は静かに席に着き、2人の顔を交互に見つめた。

「実は、大切なお話があります」

「何、急に改まって」と孝志が箸を止めて不審そうな顔をした。

「来月から、経済的な援助は全て停止させていただきます」

一瞬、食卓に静寂が訪れた。

「は?何を言ってるの、母さん」

「援助というのは、毎月の生活費8万円、孫の学費10万円。その他臨時の支出、全てです」

美由さんの顔から血の気が引いていくのが分かった。

「ちょっと待ってよ。急にそんなこと言われても困る」

「困る?どうしてでしょうか?お2人とも働いていらっしゃいますし、私からの援助がなくても生活できるはずです」

「そ、そんな…今までずっと…」と孝志が言葉をつまらせた。

「そうですね。今までずっと援助してきました。でも、もう必要ないと判断しました」

「必要ないって、母さんが勝手に決めることじゃないでしょ!」と孝志が声を荒げた。

「あら、でも私は他人なんでしょう」

その言葉に、2人の動きが完全に止まった。

「他人に援助する必要はありませんよ。それとも、私の聞き間違いでしたか?」

私はポケットからスマートフォンを取り出した。

「何、それ?」

「では、お聞きください」

録音アプリを起動し、あの日の会話を再生した。

「母さんはもう他人だよ。早く出て行ってもらわないと俺たちの生活が成り立たない」

「母さんの年金と退職金、全部で5000万はあるはずだよ」

「もう十分だよ。心はもう完全に他人。むしろ俺たちの人生の邪魔物だ」

スピーカーから流れる自分たちの声に、息子夫婦の顔は真っ青になっていった。

「これ…盗聴じゃない。犯罪よ!」と美由さんが震え声で言った。

「私は自分の家でたまたま聞こえてきた会話を録音しただけです。それより、認知症でもない私を認知症だと偽って財産を奪おうとする方が犯罪ではないでしょうか?」

「そんなつもりじゃ…」

「では、どんなつもりだったのでしょう?成年後見人の不正申請は立派な詐欺ですよ」

孝志は言葉を失い、ただうつむいていた。

「母さん、あれはその時の勢いで言っただけで…」

「勢い?では、私が邪魔者だというのも勢いですか?」

私は立ち上がり、2人を見下ろした。

「もう1つお伝えすることがあります。来週、私はシドニーに移住します」

「シドニー?は?」

「もう航空券も取りました。向こうには友人もいますし、新しい生活を始めるには最適な場所です」

「待って。この家はどうするの?」と美由さんが必死な顔で聞いてきた。

「この家は私の所有物です。不動産会社を通じて賃貸に出します。もちろん、あなた方が普通の賃借人として申し込むことは可能です。家賃は月35万円になりますが」

「35万?そんなの払えるわけない!」

「でしたら、別の場所をお探しください。1ヶ月の猶予は差し上げます」

孝志が突然立ち上がり、私の前にひざをついた。

「母さん、お願いだ。謝る。本当にごめん」

「今更謝られても、もう遅いです。あなたは私を『他人』と言いました。他人からの謝罪を受け入れる必要はありません」

「そんな!血のつながった親子じゃないか!」

「親子?つい先日まで『他人』だとおっしゃっていたのに、都合のいい時だけ親子ですか?」

美由さんも泣き始めた。「お母さん、お願いします。私たち本当に困るんです」

「困る?どうしてでしょう?あなた方の計画では、私は施設に入れられるはずでしたね。私がいなくても、何も困らないはずです」

「あれは本気じゃなかったんです」

「録音を聞く限り、とても本気に聞こえましたが」

私は冷静に、事務的に話を続けた。「銀行口座も全て変更しました。もう私の財産に手を出すことはできません。それから、遺言書も作成しました。私の財産は全て、慈善団体に寄付することにしています」

「そんな!俺は息子だぞ。相続権があるはずだ!」

「ええ、遺留分はありますね。でも、それも私が生きている間にどれだけ使うかによります。シドニーでの生活は、存分に楽しむつもりです」

2人の顔に絶望の色が広がっていった。

「来週の出発まで、この家には住み続けます。ただし、今日からは一切の家事はいたしません。ご自分たちでなさってください。でも、私はもう『他人』なのでしょう?他人に家事をさせるなんて、おかしいですよね」

私はかかとを返し、自室に向かった。背後から息子夫婦の泣き声と言い争う声が聞こえてきた。

その後の1週間、息子夫婦は必死に私を引き止めようとした。「母さん、考え直してくれ」「お母さん、私たちが悪かったです」。しかし、私の決意は変わらなかった。

出発の前日、孝志が最後の手段に出てきた。

「母さん、これを見てくれ」

差し出されたのは孫の写真だった。「孫に会えなくなってもいいの?」

「あら、他人の子供に会う必要はありませんね。それに、今はビデオ通話という便利なものがあります。もっとも、他人からの連絡に応じるかどうかは分かりませんが」

最後まで諦めきれない息子夫婦を残し、私は荷造りを終えた。

成田空港の出発ロビーで、私は深呼吸をした。68年間の日本での生活に別れを告げ、新しい人生へと旅立つ瞬間だった。これで良かったのだ。そう自分に言い聞かせながら、搭乗ゲートへと向かった。

9時間のフライトを経てシドニー国際空港に降り立った時、マリ子が満面の笑顔で迎えてくれた。「和枝、よく来たわね」

40年来の親友との再会に、思わず涙がこぼれた。「マリ子、本当にありがとう。お世話になります」

「何言ってるの?これからは一緒に楽しく暮らしましょう」

マリ子の家は、シドニーハーバーを見下ろす高台にある素敵な一軒家だった。用意してくれた部屋は、大きな窓から青い海が見える日当たりのいい部屋だった。

「まあ、素晴らしい眺めね」

「でしょう。朝起きてこの景色を見るだけで、幸せな気持ちになれるのよ」

その言葉通り、毎朝窓を開けた時の感動は忘れられない。キラキラと輝く海、真っ青な空、そして温かい太陽の光。まるで新しい人生を祝福してくれているようだった。

マリ子は現地の日本人コミュニティにも紹介してくれた。温かく迎えてくれた人々の中には、私と同じような経験をした方もいた。「私も息子夫婦とうまくいかなくて、5年前にこちらに来たんです。今では本当に来て良かったと思っています。家族に縛られず自由に生きられるって、素晴らしいですよね」

皆さんとの会話の中で、私は初めて本当の意味で理解されていると感じた。

シドニーでの生活は、想像以上に充実したものだった。朝は海岸沿いを散歩し、午後は英語教室でボランティアとして日本語を教え、夕方は新しくできた友人たちとカフェでお茶を楽しむ。そんな穏やかで豊かな日々が続いた。

移住から1ヶ月が経った頃、日本から一通のメールが届いた。孝志からだった。

「母さん、お元気ですか?こちらは大変なことになっています。家を出なければならなくなり、今は美由の実家に身を寄せています。援助がなくなって、生活が本当に苦しいです。どうか、もう1度だけチャンスをください。心から反省しています」

私はしばらく画面を見つめた後、短い返信を送った。「他人からの連絡には返信しません」

その後も何度かメールは来たが、私は一切返信しなかった。自分で巻いた糸は、自分でほどくしかないのだ。

3ヶ月後、日本の不動産会社から連絡があった。「柴田様、良い借り手が見つかりました。ご指定の条件で契約したいとのことです」

月35万円の家賃収入は、シドニーでの生活には十分すぎる金額だった。皮肉なことに、息子夫婦が出ていった後、すぐに新しい家族が入居を希望してきたのだ。

シドニーでの生活も半年が過ぎた頃、私は永住権の申請も無事に通り、正式にオーストラリアの住民となった。「和枝、おめでとう。これで本当に自由ね」とマリ子や友人たちが盛大にお祝いしてくれた。

そして今、私は海の見えるカフェのテラスでこの物語を振り返っている。隣では、最近知り合った日本人の紳士が優しく微笑みながらコーヒーを飲んでいる。彼も奥様を亡くされた後、息子さんとの関係に悩み、シドニーに移住してきた方だった。同じような境遇の私たちは、自然と親しくなっていった。

夕暮れ時、ビーチを散歩しながら、私は改めて思う。今、私は本当に自由で幸せだ。息子夫婦に「他人」と呼ばれ、「邪魔者」扱いされたあの日。あの時は絶望的な気持ちだったが、今となってはそれが私の人生を変える転機となった。

もしあのまま我慢し続けていたら、私は息子夫婦の都合のいい存在として、財産を奪われたまま生きていただろう。でも、勇気を出して立ち上がり、自分の人生を取り戻すことができた。

家族だからと言って、理不尽な扱いを受け入れる必要はない。血のつながりがあっても、人としての尊厳を踏みにじられていい理由にはならないのだ。自分を大切にすることは、決してわがままではない。当然の権利なのだ。

今でも時々、日本での生活を思い出すことがある。でも、後悔は全くない。あの決断があったからこそ、今の幸せがあるのだから。孝志には、いつか心から反省し、人として成長してくれることを願っている。でも、それは彼自身の問題だ。私はもう、彼の成長を待つ必要はない。

シドニーの夕日が、オレンジ色に海を染めている。明日もきっと、素晴らしい1日になるだろう。新しい友人たちと笑い、美味しい食事を楽しみ、美しい景色に癒される。そんな当たり前の幸せが、今の私にはある。

「本当に、素晴らしいものね」と隣の紳士が言った。

私は穏やかにうなずいた。68歳で始めた新しい人生。それは想像していた以上に輝かしいものだった。

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