婚活パーティーで知り合った男への「見合い」を、姉は私に押し付けた。「あんたが身代わりになりなさい。あんたがうまくあいつの気を引けば、全部丸く収まるわ」と。55歳の貧乏な男に嫁げばいいと、父は笑っていた。私はただ従うしかなかった。覚悟を決めて古びた山小屋へ向かうと、彼は言った。「ここでは生活しないよ。ただの荷物置き場だ」そして裏手に案内され、私は最新型のプライベートヘリコプターを目の当たりにし…

婚活パーティーで知り合った男への「見合い」を、姉は私に押し付けた。「あんたが身代わりになりなさい。あんたがうまくあいつの気を引けば、全部丸く収まるわ」と。55歳の貧乏な男に嫁げばいいと、父は笑っていた。私はただ従うしかなかった。覚悟を決めて古びた山小屋へ向かうと、彼は言った。「ここでは生活しないよ。ただの荷物置き場だ」そして裏手に案内され、私は最新型のプライベートヘリコプターを目の当たりにし...

朝の五時半、私は起こされることなく自然に目を覚ます。昨日までの実家での生活と同じ、自分に課せられた仕事を始めるために。しかし、今日は違う。今日から私は、この家を出て行く。

トラックの運転席には、見合いで会った山田左助さんが座っている。実家の父と姉が、私に彼と結婚しろと言った。姉・知夏は、お見合いパーティーで知り合ったこの男性を「貧乏な底辺男」と嘲笑し、私に押し付けたのだ。

「あんたが身代わりになりなさい。あんたがうまくあいつの気を引けば、全部丸く収まるわ」と、知夏は言った。父もそれに賛成し、笑っていた。私に拒否権はない。使用人同然に扱われてきた私に、反論する術はなかった。

駅で合流し、車に乗り込む。左助さんは、想像していたよりもずっと穏やかで、知的な男性だった。「こんなおじさんと会ってくれてありがとう」と、彼は申し訳なさそうに言った。父と歳が変わらないのに、彼からは怖さを感じない。それどころか、彼の笑顔に、私は初めて「認められた」気がした。

食事に連れて行ってもらったのは、下町の小さな定食屋だった。母が亡くなってから、家族とゆっくり食事をした記憶はない。いつも皆が食べ終わった後に、残り物をかきこむだけだった。温かいご飯を、誰かと向かい合って食べる。そのことが、涙が出るほど嬉しかった。

「つらいことがあったんだね」と、左助さんは言った。彼は詳しくは聞かなかったが、私の心を見透かしたように、そっとティッシュを差し出してくれた。

数回のデートの後、彼はプロポーズしてくれた。「とみさんが良ければ、僕と一緒になってくれないか」。

私は自分の意思で、この結婚を選んだ。実家を出られる。もう誰かにこき使われることもない。そう思った。

実家を出る時、父は「俺たちとは他人だ」と言い放った。姉は「底辺同士、お似合いよ」とせせら笑った。それでも、私は誇らしかった。

役所で婚姻届を提出し、彼の住む山奥へ向かう。動画で見た通りの、古びた山小屋に到着した。隙間風が吹き荒れる、ボロボロの小屋。私は「自給自足の生活が始まるのか」と心中で覚悟を決めた。

「ここで暮らすのね。壁を補強しないと寒いわね」と私が言うと、左助さんは大声で笑い出した。

「ははは、それは余計な心配だよ。ここでは生活しないよ。ここはただの荷物置き場だ」

そう言って、彼は私を裏手へ案内した。そこには、広大な土地と、最新型のプライベートヘリコプターが待機していた。

「あなた、一体何者なの?」

ヘリに乗り込み、飛び立つと、眼下には雲海と美しい山々。数分後、ヘリは山頂付近にある広大な邸宅に着陸した。門の前には、沢山の使用人が並んでいる。

この辺一体の土地は、すべて僕の所有なんだ。左助さんは、名実ともに日本有数の山林王だった。あの山小屋での動画配信は、ボランティア活動の一環だったのだ。育てた野菜は恵まれない子どもたちに寄付し、動画の収益もすべて慈善団体に充てているという。

あまりの展開に、ただ驚くばかりだった。私を実験台にした姉の思惑は、大きく外れた。私は、今まさに、誰もが羨むような生活を手に入れようとしている。

彼と過ごす日々は、夢のように幸せだった。彼は私がやりたいと言ったことを何でもやらせてくれたし、行きたい場所にも連れて行ってくれた。私は彼に、野菜の育て方を教わりながら、本来の自分を取り戻していった。

ある日、テレビのニュースで、父の会社が脱税で摘発されたことを知った。父は逮捕され、会社は倒産。すべての財産を失ってしまったらしい。姉は、SNSで暴露された過去の行いで炎上し、モデルの仕事をすべて失っていた。

そうしているうちに、私は左助さんとの子供を身ごもった。

それから数日後、邸宅の門の前に、見すぼらしい姿の父と姉が現れた。元々の富を失い、行く当てもなく彷徳っていたのだ。

「お願い、少しでいいからお金を貸してちょうだい」

そう懇願する姉に、私は言った。「あなたたちにあげるものは何もない」。

私の代わりに、左助さんが一言付け加えた。「君たちがとみさんにしてきた虐待の証拠は、すべてそろっている。実家にいた使用人たちに証言をしてもらった。とみさんを身代わりにしたこともな」

それを聞いた父は、怒りに震えていたが、左助さんは続けた。「君たちは自分でチャンスを捨てたんだ。僕は、とみさんと出会えたことを、心から感謝している」

二人は必死に謝罪したが、許す気にはなれなかった。左助さんは、二人がこのまま路頭に迷うのを見かねて、山の麓にある古い家を提供してくれた。ただし、「二度と会わない」という誓約書を書くことが条件だった。父は二つ返事で署名した。

その後、父は日雇いの仕事をしてようやく食いつないでいるらしい。姉は過去の栄光にすがり、相変わらずSNSで自慢話を続けているらしいが、薄い壁の家からは、二人が罵り合う声が絶えないのだという。

私は父との戸籍を離れ、正式に彼らとの縁を切った。

今は、左助さんと一緒に、自分の畑で野菜を育てている。太陽の光を浴びて育った野菜を収穫し、二人で食卓を囲むたびに、幼い頃に母が教えてくれた「自然の恵みに感謝する心」を思い出す。

かつて私を愛してくれた母のように、私も自分の家庭を築いていく。使用人でも、身代わりでもない、ただの「とみ」として。

お腹の中で、新しい命が鼓動している。私はこの子に、自分が受けたような悲しみを絶対に味わわせない。そう心に誓いながら、今日も土にまみれる。

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