息子の「他人は来るな」という怒鳴り声は、新築の家に響き渡りました。まだ冷たい三月の風に吹かれながら、私は立ち尽くすことしかできませんでした。四十年前から大切に育ててきた息子に、私は「他人」と呼ばれたのです。
それは三ヶ月前、六十七歳の誕生日を迎えたばかりの朝のことでした。孫たちに会いたくて、手作りのお菓子を持って息子夫婦の新築祝いに駆けつけたのです。
「お母さん、ちょっと話があるんだけど」
玄関先で息子の健二が切り出しました。
「新築の部屋のことなんだけどさ、ゆかりのお母さんにだけ渡すことにしたから」
私は手に持っていたお菓子の包みを握りしめました。この家の頭金千五百万円を出したのは私なのに、与えられる部屋すらないというのです。
数日後、私は自宅でこれまでの人生を振り返っていました。夫を病気で亡くしてから二十年、女手一つで健二を育ててきました。三十八年間、美術教師として働き、退職後は息子家族のために尽くしてきたのです。
新築の頭金千五百万円は、退職金と夫の生命保険金から出しました。私の人生そのものと言えるお金でした。
そんな時、健二から電話がありました。
「母さん、今度の日曜日は来ないでね。ゆかりのお母さんが泊まりに来るから」
「あら、そう。じゃあ次の週は?」
「それも難しいかな。最近忙しくて」
電話を切った後、私は深いため息をつきました。後で聞いた話では、義母の紀子さんは週に三回は自由に出入りし、専用の部屋まで用意されているそうです。月に十万円のお小遣いまで渡しているとか。
一方、私が訪問する時は必ず事前連絡が必要で、半分以上は断られてしまいます。
「先週も孫の顔を見たくて連絡したら、その日は都合が悪いの一言で終わりでした」
同じ母親なのに、なぜこんなに扱いが違うのでしょうか。私の胸に言いようのない寂しさが広がっていきました。
ついに許可が出て、私は息子の家を訪れました。リビングに入ると、紀子さんがソファでくつろいでいます。
「あら、まち子さん。今日来てらしたの?」
紀子さんの言葉に、私は愛想笑いを浮かべるしかありませんでした。
孫の萌花が駆け寄ってきましたが、ゆかりさんがすぐに止めました。
「萌花、宿題は終わったの? 紀子おばあちゃんとお茶する約束でしょう」
「でも、まち子おばあちゃんが来てるから… 」
「いいから、宿題やりなさい」
私はただ、その様子を遠くから眺めることしかできませんでした。
夕食の時間になると、さらに驚くべき光景が広がりました。テーブルには豪華な料理が並び、それは全て紀子さんのためのものでした。
「母は最近オーガニックにこだわっていらっしゃるので」
ゆかりさんが誇らしげに説明します。
「有機野菜に高級ランクの和牛、調味料も全て無添加の特別なものを使っているんです」
私の前には、普通のスーパーで買ったであろう簡素な料理が置かれていました。
「母さんは粗食の方が好きでしょう」
健二の言葉に、私は何も言えませんでした。
食事中、紀子さんへの気遣いは続きます。一方、私への言葉はほとんどありません。まるで透明人間になったような気分でした。
さらに衝撃的だったのは、お金の話でした。
「そういえば、今月もお母さんへのお小遣い振り込んでおいたよ」
健二が何気なく言いました。
「十万円。うん、いつも通り」
私は箸を止めました。月十万円、年間百二十万円。それだけのお金を義母に渡しているのです。
私も最近、病院でお金がかかるようになりました。年金だけでは厳しいものがあります。でも、そんなことを言い出せる雰囲気ではありませんでした。
「母さんは年金があるでしょう。それで十分じゃない」
健二の冷たい返事に、私は言葉を続けることができませんでした。
帰り際、ゆかりさんが玄関で言いました。
「お母さん、次はもう少し早めに連絡してくださいね。急に来られても困りますから」
「でも、紀子さんは連絡なしでも… 」
「それは別です。母はこの家の本当の家族ですから」
「本当の家族」。その言葉が鋭いナイフのように、私の心を切り裂きました。千五百万円も出して建てた家なのに、私は「本当の家族」ではないのです。
家に帰ってから、私は一人で泣きました。
それから数日後、健二から電話がありました。
「母さん、今度の連休なんだけど、ゆかりのお母さんと温泉旅行に行くことになったんだ」
「あら、いいわね」
「それで、留守番お願いできる?」
私は耳を疑いました。
「留守番? 私も一緒に行くんじゃないの?」
「いや、お母さんとゆっくり過ごしたいから。母さんは家で待っててくれる?」
また私だけが除外される。しかも、今度は留守番係としてです。
「分かったわ」
私は力なく返事をしました。
この差別的な扱いは、日常のあらゆる場面で繰り返されました。病院に行く時も紀子さんには健二が付き添いますが、私は一人でバスを乗り継いで通院。誕生日も紀子さんは高級レストランでお祝い、私はコンビニのケーキ。
「母さんは丈夫だから大丈夫」「母さんは一人でも平気でしょう」
そんな言葉で、全てが片付けられていきました。
運命の日は、梅雨の重い雲が垂れ込める土曜日でした。その日の朝から、私は強い頭痛と吐き気に襲われていました。家で横になっていましたが、症状は悪化する一方。このままでは危険だと感じ、健二に助けを求めました。
震える手で電話をかけると、ゆかりさんが出ました。
「お母さん、何ですか?」
「ゆかりさん、体調が悪くて… 。健二はいる?」
「買い物に出かけてます。どうかされたんですか?」
「実は朝から頭痛がひどくて、吐き気もするの。一人で病院に行くのも辛くて…

」
電話の向こうで、ゆかりさんがため息をつく音が聞こえました。
「今日は困ります。母がいらっしゃってるので」
「でも、本当に具合が悪くて… 」
「他人は事前予約でしょう」
「他人」。その言葉を聞いた瞬間、私の体中から力が抜けていくのを感じました。
「ゆかりさん、私、本当に申し訳ないですけど… 」
私は必死に頼み込みました。このままでは本当に倒れてしまいそうだったからです。
「お願い。救急車を呼ぶほどじゃないけど、一人では… 」
その時、電話の向こうから健二の声が聞こえてきました。
「誰から?」
「お母さんよ。また急に来たいって」
そして次の瞬間、私の人生を決定的に変える言葉が聞こえてきたのです。
「他人は来るな。何度言えば分かるんだ」
健二の怒鳴り声が、電話越しにはっきりと聞こえました。ゆかりさんが慌てて電話を切ろうとしましたが、もう遅すぎました。
私は受話器を握ったまま、戦慄して立ち尽くしていました。
結局、私は自力でタクシーを呼び、病院へ向かいました。点滴を受けながらベッドで一人、涙が止まりませんでした。
「お一人で来られたんですが、ご家族は?」
看護師さんの優しい問いかけに、私は力なく首を振りました。
「一人です。家族は…
忙しいみたいで」
嘘でした。本当は「他人」扱いされているから、来てもらえないのです。
夕方、症状が少し回復して家に戻ると、留守番電話にメッセージが入っていました。健二からでした。
「母さん、さっきは言いすぎた。でも急に来られても困るんだよ。ゆかりのお母さんがいる時は特に。分かってくれよな」
謝罪の言葉は、一つもありませんでした。ただ自分たちの都合を押し付けるだけ。
私は力なくソファに座り込みました。窓の外では雨が激しく降り始めていました。その雨音を聞きながら、私の心の中で何かが音を立てて崩れていくのを感じました。
「他人は来るな」。あの言葉が頭の中で何度も繰り返されます。千五百万円出して、四十年間大切に育てて。それでも私は「他人」。
その瞬間、私の中で何かが変わりました。悲しみが静かな怒りに変わっていくのを感じたのです。
もう、こんな扱いを受け続ける必要はない。他人と呼ばれたなら、本当の他人になってやろう。
あの屈辱的な出来事から一週間が経ち、すっかり体調も良くなりました。私は鏡の前に立ち、自分の顔をじっと見つめていました。
「他人ね。分かったわ」
静かに呟いた私の顔には、もう迷いはありませんでした。
まず最初に向かったのは、長年お世話になっている銀行でした。プライベートバンキングの個室で、担当の岡部さんが資料を広げてくれました。
「三浦様、お久しぶりです。本日はどのようなご要件でしょうか?」
「全財産の確認をお願いします。定期預金、投資信託、全てです」
岡部さんは手際よく資料をまとめ始めました。
「定期預金が五千万円、退職金の運用分が二千万円。その他、通算しますと総額で約七千二百万円になります」
「ありがとうございます。全て解約して、普通預金に移してください」
岡部さんは少し驚いた様子でしたが、プロらしく冷静に対応してくれました。
「承知いたしました。何か大きなご予定でも?」
「ええ、人生を変える予定があるんです」
私は穏やかに微笑みました。
銀行を出ると、次は行きつけの喫茶店に向かいました。そこで待っていたのは、大学時代からの親友、安子でした。
「まち子、久しぶり。顔色が良くないけど?」
「実は相談があって… 」
私は健二夫婦の所業を全て話しました。安子は黙って聞いていましたが、「他人は来るな」の部分で怒りに顔を真っ赤にしました。
「ひどすぎる。千五百万円も出してもらっておいて」
「もういいの。決めたから」
「何を?」
「日本を出ることにしたの」
安子は目を丸くしました。
「日本を出る? どういうこと?」
「実はイタリアのフィレンツェに素敵な物件があるの。十年前、美術教授をしていた頃に研修で訪れて、偶然見つけた場所なのよ」
私はスマートフォンで物件の写真を見せました。アルノ川を望む、歴史的建造物を改装したアパートメントです。
「実はこの物件、十年前に訪れた時からずっと心に残っていた場所でした。老後はここで暮らしたい。そんな夢を密かに温め続けていたんです」
「素敵… 。でも、言葉は?」
「イタリア語は勉強してきたわ。美術の勉強で必要だったから、日常会話くらいなら大丈夫」
安子は私の顔をじっと見つめました。
「本気なのね」
「ええ、本気よ。もう決めたの」
その日の夜、私は国際電話をかけました。相手はフィレンツェの不動産業者、マルコさんです。
「プロント、こちらマルコです」
「こんばんは、マルコさん。三浦まち子です。以前お話しした物件、まだ空いていますか?」
「ああ、まち子! ちょうど先週、空きが出たところです。あなたのために取っておきますね」
マルコさんとは研修旅行で知り合いました。日本の美術に詳しい彼とは、その後もメールで交流を続けていたのです。
「手続きを進めてください」
「素晴らしい! いつ来られますか?」
「来月には」
電話を切った後、私は持ち物の整理を始めました。四十年間の思い出が詰まった家を見ながら、本当に必要なものだけを選別していきます。
健二の幼い頃の写真を手に取りました。笑顔で私に抱きついている五歳の健二。あの頃は「母さん大好き」と言ってくれていたのに。
でも、もう過去は振り返りません。写真をそっと箱にしまい、次の作業に移りました。
翌日、私は市役所に行き、必要な手続きについて確認しました。そしてパスポートの更新も済ませました。
「長期のご旅行ですか?」
係の女性が不思議そうに聞いてきます。
「いいえ、移住です」
「移住? それは思い切った決断ですね」
「ええ、人生最後の決断だと思っています」
全ての準備は着々と進んでいきました。残るは息子夫婦への通告だけ。でも、それは最後の最後、出発直前でいい。他人なのですから、詳しい説明など必要ないでしょう。
出発の一週間前、私は健二に電話をかけました。
「母さん、珍しいね。どうしたの?」
「大切な話があるから、明日の夜、時間を作ってもらえる?」
「明日ね… 。まあ、いいけど」
翌日の夜七時、健二とゆかりさんが家にやってきました。紀子さんは今日は来ていないようです。リビングに通すと、二人は少し緊張した面持ちで座りました。
「で、話って何?」
健二が早速切り出しました。
「これを見てもらえる?」
私は銀行の残高証明書をテーブルに置きました。二人は書類に目を落とし、そして凍り付きました。
「七千二百万円…
」
「母さん、これ本当?」
「ええ、本当よ。お父さんの生命保険と私の退職金、そして四十年間の貯蓄」
ゆかりさんが口を開きました。
「お母さん、こんなにお金があったなんて知らなかった… 」
「でしょうね。でも、それはもう関係ないことです」
私は次の書類を取り出しました。
「これは何?」
「援助停止の通知です。他人なので、今後一切の経済援助はいたしません」
健二の顔が青ざめました。
「援助停止って… 。母さん、何を言ってるんだよ?」
「毎月の生活費援助五万円、年間六十万円。孫の教育費援助、年間五十万円。その他諸々を合わせて、年間約百五十万円。これを全て停止します」
「ちょっと待ってください!」
ゆかりさんが声を上げました。
「私たち、その援助を計算に入れて生活してるんですよ。新築のローンだって… 」
「他のご家庭の経済事情は知りません」
私はゆかりさんの言葉を冷たく切り捨てました。
「母さん、そんな水臭いこと言わないでよ。僕たち家族じゃないか」
健二が必死に訴えてきます。
「家族?」
私は静かに健二を見つめました。
「『他人は来るな』と言ったのは、誰かしら」
健二の顔から血の気が引きました。
「あれは…
その時は感情的になってて… 」
「感情的? 私が体調を崩して助けを求めた時に?」
二人は言葉を失いました。
「そして、もう一つお知らせがあります」
私は最後の書類を取り出しました。それはイタリア語で書かれた不動産契約書です。
「来月から、フィレンツェに移住します」
「フィレンツェ? イタリア?」
健二が信じられないという顔で私を見ました。
「ええ、お望み通り、日本を去りますわ」
「待って! そんな急に… 」
「もう準備は全て整っています。フィレンツェのアパートメントも購入しました」
ゆかりさんが慌てた様子で言いました。
「お母さん、そんな… 。私たちに相談もなく…
」
「他人に相談する必要があるかしら」
私の冷静な対応に、二人はますます焦りを募らせていきます。
「母さん、頼むよ。考え直してくれ」
健二が懇願してきます。
「新築のローン、母さんの援助がないと払えないんだ。月々十五万円もあるんだよ」
「それは知りませんでした。でも、他人のローンまで心配する義理はありませんね」
「他人じゃない! 母親だろ!」
健二が声を荒げました。
「あら、都合のいい時だけ母親ですか?」
私は立ち上がりました。
「紀子さんが本当の家族で、私は他人。そう言ったのはあなたたちです」
「それは… 」
「ではなぜ紀子さんには月十万円のお小遣いを渡し、私の援助要請は断るの?」
「それは… 」
「なぜ紀子さんには部屋を渡し、私は事前予約なの?」
「… 」
「それも紀子さんとは温泉旅行に行き、私は留守番なの?」
畳みかけるような質問に、二人は答えられませんでした。
「母さん、お願いだ。せめて援助だけは考え直してくれ」
健二が土下座をしそうな勢いで頭を下げました。
「萌花はどうなるんだ? おばあちゃんがいなくなったら」
私は少し考えるふりをしました。
「萌花には、紀子おばあちゃんがいるじゃないですか。月三万円の高級茶を飲んでいる、素晴らしいおばあちゃんが」
ゆかりさんが泣き出しました。
「お母さん、本当にごめんなさい。私たちが悪かったんです」
「悪かった? 何が悪かったのか、具体的に言ってもらえますか?」
ゆかりさんは涙を拭いながら答えました。
「お母さんを差別して、他人扱いして…
。それから千五百万円も出してもらったのに、感謝もせずに… 。続けて、本当の家族として扱わなかった… 」
私は静かに頷きました。
「分かっていらっしゃるじゃないですか。でも、もう遅いんです」
「遅くない! 今からやり直せる!」
健二が必死に食い下がってきます。
「やり直す?」
私は健二の目をまっすぐ見つめました。
「じゃあ、紀子さんへの十万円の仕送りをやめられますか?」
健二は黙り込みました。
「結局、あなたたちの本音は変わらない。ただ私のお金が惜しくなっただけ」
「違う!」
「では、なぜ今まで何も変えようとしなかったの? 私が七千二百万円持っていると知った今、急に態度を変えるのはなぜ?」
二人は完全に言葉を失いました。
私は最後の書類を取り出しました。
「これは弁護士を通じての連絡先です。今後、私への連絡は全てこちらの弁護士を通してください」
「弁護士?」
「ええ。他人同士の付き合いは、法的に処理する方が適切でしょう」
私は立ち上がり、玄関に向かいました。
「千五百万円は差し上げます。でも、私という他人とは二度と会うことはありません」
「母さん!」
健二が追いかけてきましたが、私は振り返りませんでした。
「さようなら。お元気で」
ドアを閉める音が、静かな夜の闇に響き渡りました。これで、全ての縁が切れたのです。
三ヶ月後、私はフィレンツェのアルノ川を望むアパートメントで優雅な朝を迎えていました。バルコニーに出ると、朝日に照らされた赤レンガの街並みが、まるで一枚の絵画のように広がっています。
手には、近所のカフェで買ったエスプレッソ。その香りがイタリアの朝の空気と混ざり合って、私の心を満たしていきました。
「これが私の選んだ人生」
そうつぶやきながら、私は深呼吸をしました。自由の空気は、こんなにも甘いものだったのですね。
朝食を終えると、私は近所の美術学校へ向かいました。週に三回、日本の美術について教えているのです。
「ボンジョルノ、まち子先生!」
生徒たちが明るく挨拶してくれます。
教室では二十人ほどの生徒が、熱心に私の講義を聞いてくれます。日本の浮世絵について説明していると、一人の生徒が手を挙げました。
「先生、この技法は現代アートにも応用できますか?」
「もちろんです。実は多くの現代アーティストが浮世絵から影響を受けているんですよ」
生徒たちの目が輝きます。彼らは私の知識を本当に必要としてくれている。「他人扱い」されることなど、ここには存在しません。
授業が終わると、同僚のソフィアが声をかけてきました。
「まち子、今日も素晴らしい授業だったわ。来学期も続けてくれるわよね?」
「もちろんよ、ソフィア。生徒たちがあなたを必要としているの」
「日本文化への理解が本当に深まったって」
私は心から嬉しくなりました。必要とされ、尊重される。当たり前のことが、こんなにも幸せだったなんて。
午後はアルノ川沿いを散歩するのが日課です。観光客で賑わう通りも、もう私には慣れ親しんだ風景。カフェの主人も顔馴染みになりました。
「チャオ、まち子! 今日は何を探してる?」
「水彩絵の具を少し。風景が描きたくて」
「それならこれがおすすめだ。フィレンツェの光を表現するのに最適だよ」
こんな温かいやり取りが、私の新しい日常です。
夕方、アパートメントに戻ると、郵便受けに一通の手紙が入っていました。日本からです。差出人を見ると、健二からでした。
部屋に戻り、ソファに座って封を開けました。震える文字で、謝罪の言葉が綴られています。
「母さん、本当にごめん。僕たちが間違っていた。お願いだから、一度でいいから連絡をください。ゆかりも萌花も母さんに会いたがっています」
私は手紙をそっとテーブルに置きました。そしてスマートフォンを取り出し、メールの受信ボックスを確認しました。健二から二十三通、ゆかりさんから十五通。全て未読のままです。
私は静かにスマートフォンを置きました。
その時、インターホンが鳴りました。
「まち子、私よ。ジュリア」
開花に住む友人のジュリアです。
「今から夕食に行かない? 新しくできたレストラン、とても評判がいいのよ」
「素敵ね。是非行きましょう」
ジュリアは私と同年代の、夫を亡くした女性です。すぐに親しくなりました。
レストランへの道すがら、彼女が聞いてきます。
「まち子、日本の家族から連絡はあった?」
「ええ…
。でも、返事はしていないの」
「それでいいのよ。自分を大切にしない人に時間を使う必要はないわ」
ジュリアの言葉に、私は深く頷きました。
レストランでは、美しいトスカーナ料理を楽しみました。
「ああ、まち子。あなたがフィレンツェに来てくれて、本当に嬉しいわ」
「私もよ、ジュリア。ここでの生活は、想像以上に素晴らしいの」
「来月、ベネチアに小旅行に行かない? カーニバルの時期よ」
「まあ、素敵! 是非一緒に行きましょう」
新しい友人、新しい計画、新しい喜び。私の人生は六十七歳にして、花開いたのです。
一方、日本では健二から時々来るメールによると、家の状況は一変したようです。私からの援助が止まり、新築のローン返済に追われているとのこと。紀子さんへの仕送りも続けているため、家計は火の車。ゆかりさんはフルタイムで働き始めたものの、それでも足りないようです。
「お母さんがいなくなってから、家の中が暗くなった」「子供たちが『まち子おばあちゃんはどこ?』って聞いてくる」「紀子さんも最近は来なくなった」
そんな内容のメールが続きますが、私の心は少しも動きません。
夜、私は日記を書きました。
「『他人』と呼ばれた日から、私の本当の人生が始まった。あの屈辱は、私を自由にしてくれた。健二たちには気の毒だが、これは彼らが選んだ道。私は私の道を行く」
窓の外では、フィレンツェの夜景が輝いています。ドゥオーモのクーポラが、月明かりに照らされて幻想的です。
ふと、日本での最後の日を思い出しました。空港で一人で搭乗手続きをしている時、不思議と寂しさはありませんでした。むしろ、これから始まる新しい人生への期待で胸がいっぱいだったのです。
そして今、その期待は現実となりました。毎朝好きな時間に起きて、好きなものを食べ、好きなことをする。誰にも遠慮せず、誰からも咎められることもない。
これこそが、私が手に入れたかった生活でした。
明日は、フィレンツェ美術館で開かれる特別展の開会式に招待されています。日本美術の専門家として、スピーチも頼まれました。私の知識と経験が正当に評価される場所。それが、ここフィレンツェなのです。
「他人は来るな」。あの言葉が、私を解放してくれました。他人なら、縛られる必要もない。他人なら、自由に生きていい。
健二、ゆかりさん。あなたたちのおかげで、私は本当の幸せを見つけることができました。人生はいつからでもやり直せる。六十七歳の私が、それを証明しています。
理不尽に耐える必要はない。自分を大切にしない人のために、自分を犠牲にする必要もない。大切なのは、自分の人生を自分で選ぶ勇気を持つこと。その勇気が、必ず新しい扉を開いてくれるのです。
私は立ち上がり、バルコニーに出ました。グラツィエ、フィレンツェ。そしてグラツィエ、私の新しい人生。
イタリア語で感謝を述べながら、私は夜空を見上げました。きっと、この選択を応援してくれている人がどこかにいるはずです。同じように理不尽な扱いを受けても、一歩踏み出せずにいる人たちが。
そんな人たちに伝えたい。勇気を出して、自分の人生を取り戻してください。他人と呼ばれたなら、本当の他人になればいい。そこから、新しい人生が始まるのですから。

