「お母さん、今すぐ出て行ってください。あなたは私たちにとって、ただのお金を出す機械、ATMなんですから。」…

「お母さん、今すぐ出て行ってください。あなたは私たちにとって、ただのお金を出す機械、ATMなんですから。」...

病室のドアを開けた瞬間、まゆ香の鋭い声が私を貫いた。
「今すぐ出て行ってください。」
手に持っていた出産祝いの花束が、震える私の手の中で揺れていた。私は園田文恵、62歳。今日は人生で最も幸せな日になるはずだった。初孫の誕生を祝うために、朝早くから準備をして病院に駆けつけたのだから。
「何しに来たんですか?」
まゆ香の顔は怒りで真っ赤に染まり、生まれたばかりの赤ちゃんを抱いたまま、私を睨みつけている。
「お祝いなんていりません。あなたみたいな人に、我が子を触らせたくありません。」
私は息子の教一郎に助けを求めるように視線を向けた。しかし教一郎は目をそらすばかりで、何も言ってくれなかった。
病室には重い沈黙が流れ、私は自分がここにいてはいけない存在なのだとはっきりと感じ取った。35年間、息子のために尽くしてきた母親が、なぜこんな仕打ちを受けなければならないのか。私の中で何かが音を立てて崩れていくのを感じた。

私は過去を振り返らずにはいられなかった。教一郎とまゆ香が結婚する時、私は心から祝福した。結婚式の費用として300万円を援助し、新居の頭金も用意した。2人の幸せのためなら何でもするわ、と伝えた時のまゆ香の涙ぐんだ顔を今でも覚えている。
結婚して3年、なかなか子供に恵まれなかった2人。まゆ香は思い悩み、不妊治療を始めた。高額な治療費に困っていると聞いて、私は迷わず500万円を用意した。
「お母さん、本当にいいんですか?」
「いいのよ。私にできることがあるなら、何でも言って。」
治療は辛く長い道のりだった。思い通りに行かず、まゆ香が泣き崩れるたびに、私は彼女を抱きしめて励ました。
「大丈夫よ。私がついているから。」
そして、長い年月が流れ、今、ついに待望の赤ちゃんが生まれた。私は誰よりも喜び、朝一番に病院へ向かった。可愛い孫の顔を見られる幸せで胸がいっぱいだった。
それなのに、まさかあんな言葉を投げつけられるなんて。800万円以上の援助、数えきれないほどの励まし、全てがなかったことにされたような気持ちだった。

私が呆然と立ち尽くしていると、まゆ香はさらに言葉を続けた。
「お母さんはお金だけ出してればいいんです。顔は見せないでください。」
その冷たい言葉に、私の心臓は凍りついた。お金だけ……。私が今まで注いできた愛情は、彼女にとってお金だけの価値しかなかったのだろうか。
「まゆ香さん、どうしてそんなことを?」
「どうしてって? お母さん、自分の行動を振り返ってみてください。私たちの生活に口出しすぎなんです。」
私は困惑した。口出しなどした覚えはない。ただ心配で時々様子を聞いたり、手料理を持っていったりしただけだ。
「料理の味付けも古臭いし、インテリアのセンスもない。はっきり言って時代遅れなんですよ。」
まゆ香は赤ちゃんを抱いたまま、私を貶すような目で言った。隣で教一郎は黙って下を向いている。
「私が作ったものを、美味しいって食べてくれていたじゃない。」
「社交辞令ですよ。本当は味が濃すぎて、教一郎も嫌がってましたね。ねえ、一郎。」
教一郎は小さく頷いた。その瞬間、私の中で何かが崩れる音がした。息子まで私の料理を嫌がっていたなんて。
「それに、お母さんの服装も恥ずかしいんです。この前ママ友に会った時、『お母さん、昭和で時が止まってるの?』って笑われました。」
私は自分の服を見下ろした。確かに派手ではないが、清潔で品のある服装を心がけているつもりだった。
「教一郎の出世にも影響するんです。上司の奥様方は皆さんエレガントなのに、お母さんだけ違いますから。」
「でも……”
「言い訳はいいです。とにかく、これからは私たちに関わらないでください。」
まゆ香はため息をつきながら続けた。
「正直に言います。お母さんなんて、私たちにとって家族だと思っていません。」
その言葉に、私は息を飲んだ。家族じゃない……。8年間、実の娘のように接してきたまゆ香から、そんな言葉を聞くなんて。
「じゃあ、私は何なの?」
「ATMですよ。ATM。お金を出してくれる便利な機械。」
まゆ香は冷たく言い放った。その瞬間、今までの出来事が走馬灯のように頭を巡った。結婚祝い、新居の頭金、不妊治療費、その他にも生活費の援助、車の購入資金……。私が差し出したお金は、全てATMからの出金だったのだろうか。
「教一郎、あなたもそう思っているの?」
息子に最後の希望を託して尋ねた。教一郎は顔を上げることなく、小さな声で答えた。
「母さん、まゆかの言う通りだよ。もう僕たちに干渉しないでくれ。」
干渉……。私の愛情は、干渉という言葉で片付けられてしまった。
「赤ちゃんの面倒も、お母さんには頼みません。信用できませんから。」
「信用できないだって? 私、認知症の兆候があるんじゃないかって。この前も同じ話を2回もして……。」
私は愕然とした。あの時はまゆ香が聞いていないようだったので、もう一度話しただけなのに。
「もう十分でしょう。今までありがとうございました。でも、もうお母さんの助けは必要ありません。むしろ迷惑なんです。一郎の会社の人に見られたら、恥ずかしいし。」
迷惑……。私は震える声で繰り返した。
「あ、でも、まゆ香が思い出したように付け加えました。孫の教育費は援助してくださいね。それくらいはお母さんの義務ですから。」
義務。愛情からではなく、義務として金銭を要求される。私は自分がどれほど惨めな存在になってしまったのか、痛いほど理解した。病室の空気は冷たく、私だけが異物のように浮いていた。
「わかりました。」
私は静かに言った。もうこれ以上ここにいる意味はない。愛情を注いだ8年間は、全て無駄だったのだ。
私は深く息を吸い込んで、最後にもう一度だけ息子に問いかけた。
「教一郎、本当にそれでいいの? 母さんはあなたにとって、ATMでしかないの?」
教一郎は一瞬顔を上げたが、私の鋭い視線を感じ取ると、すぐに目をそらした。
「母さん、もういいよ。まゆかの言う通りだ。」
その言葉を聞いて、私の中で何かが完全に切れた。35年前、この子を産んだ時の喜び、初めてママと呼んでくれた時の感動、熱を出して看病した夜、受験で一緒に頑張った日々。全てが音を立てて崩れていった。
私は花束を静かにテーブルに置いた。まゆ香はその花を一瞥もせず、赤ちゃんを抱き続けている。
「わかりました。もうお邪魔しません。」
私は静かに踵を返した。病室のドアに手をかけた時、まゆ香の声が追いかけてきた。
「あ、そうそう。来月の生活費の振り込み、忘れないでくださいね。それと、赤ちゃんのための貯金も初めてください。月10万円くらいで。」
私は振り返らなかった。ただ静かにドアを開けて、廊下に出た。

病院の長い廊下を歩きながら、私は不思議なほど冷静だった。もう涙も出ない。ただ心の中に、冷たい決意が固まっていくのを感じていた。エレベーターに乗り、1階に降りると、病院の外はすっかり日が落ちて、当たりは暗くなっていた。私は携帯電話を取り出し、登録されている番号を探した。
「もしもし。前沢さん、私、園田です。」
電話の向こうで、私の会社の顧問弁護士である前沢氏の声が聞こえた。
「会長、お久しぶりです。何かございましたか?」
「ええ、例の件を進めてください。」
「例の件と申しますと、息子さんの会社との取引見直しの件でしょうか?」
「はい。それと、個人的な援助も全て整理します。詳細は後日お伝えしますが、準備を始めてください。」
前沢弁護士は少し驚いたような声で答えた。
「承知いたしました。ただ、息子さんとの関係に影響が……。」
「もう関係などありません。私は家族ではなくATMだそうですから。」
電話を切ると、私は深呼吸をした。園田物産の会長として、私は多くの決断をしてきた。時には情に流されず、冷徹な判断も必要だった。でも、まさか実の息子に対してこのような決断をする日が来るとは思わなかった。
タクシーを拾い、自宅へ向かった。車窓から見える景色はいつもと変わらないのに、まるで別世界のように感じられた。私が園田物産の会長であることは、息子夫婦には一度も話していない。夫が亡くなった後、会社を継いだことも、小さな会社を年商300億円の企業に成長させたことも、ただ「お父さんの残した会社で少し手伝っている」とだけ伝えていた。それは、息子には自分の力で生きてほしかったから、そしてお金目当てで近づく人から守りたかったから。でも結果的に、息子は母親の本当の姿を知らないまま、ただのATMとして扱うようになってしまった。
自宅に着くと、私はリビングに飾ってある家族写真を手に取った。まだ教一郎が小学生の頃、3人で遊園地に行った時の写真だ。無邪気に笑う教一郎と、若かった頃の私たち夫婦。
「あなた……。私は間違っていたのかしら。」
私は亡き夫に語りかけた。答えは帰ってこない。でも、もし夫が生きていたら、きっと「踏ん張りなさい」と言ってくれただろう。私は決意を新たにした。もう理不尽な扱いに耐える必要はない。自分の人生を、自分らしく生きる時が来たのだ。

翌日、私は前沢弁護士と会社の応接室で面会していた。
「会長、本当によろしいのですか? 園田物産さんは息子さんの会社にとって最大の取引先です。年間売上の4割を占めています。」
「構いません。ビジネスは信頼関係が基本です。私を信頼していない人と取引を続ける理由はありません。」
前沢氏は書類を広げながら、慎重に言葉を選んだ。
「それでは、来月末で取引を終了ということで通知を出します。」
「また、個人保証の件ですが、全て解除してください。住宅ローンの連帯保証人もおります。」
私は淡々と指示を出した。心の中ではまだ母親としての情が残っていたが、もう後戻りはできなかった。
面談を終えて、私は会社を後にした。きっと今頃、教一郎の会社では大騒ぎになっているだろう。園田物産との取引が年間売上の4割を占めていることは、以前教一郎から聞いていた。
車で移動中、私の携帯電話が鳴り続けている。画面を見ると、教一郎からだった。でも、私は出ない。昨日「関わらないで」と言われたのだから。
夕方、私は隣のホテルにチェックインした。近くにいると、きっと押しかけてくるだろうから。フロントの方が丁寧に挨拶してくださる。
「園田会長、いつもありがとうございます。本日はスイートルームをご用意させていただきました。」
「ありがとう。しばらくお世話になります。」
部屋に入ると、大きな窓から東京の町が一望できた。私はソファーに腰を下ろし、改めて今日の出来事を振り返った。午後3時頃、教一郎の会社に通知が届いたはずだ。営業部は大混乱だろう。園田物産は20年以上の取引先だったから。でも、これは私怨を挟まないビジネスの決断だ。
そして、まゆ香の元にも銀行から連絡が入った頃だろう。住宅ローンの連帯保証人を降りる手続きは、前沢氏が迅速に進めてくれた。実は、まゆ香の実家が園田物産の下請けをしていることも、私は知っていた。会社の資料で偶然見つけたのだ。年商3000万円ほどの小さな部品工場で、園田物産との取引が売上の6割を占めている。私は窓の外を眺めながら、複雑な気持ちになった。まゆ香の父親には申し訳ない気持ちもある。でも、これも仕方のないことだ。私は家族ではなくATMなのだから。
携帯電話を確認すると、教一郎から20回、まゆ香から15回の着信があった。留守番電話にもメッセージが入っているようだが、聞く気にはなれなかった。私は立ち上がって、ワインセラーから白ワインを取り出した。グラスに注ぎ、夜景を眺めながら一口含む。
「あなた……。私は冷たい母親でしょうか?」
私は亡き夫に問いかけた。でも、もし夫が生きていたら、きっとこう言うだろう。「文恵は強い女性だ。自分の決断を信じなさい」と。
今頃、教一郎とまゆ香は私のマンションを訪ねているかもしれない。管理人さんには、当分帰らないと伝えてある。荷物も必要最小限にした。明日の朝、私は正式に2人の前に姿を表すつもりだ。ただし、今度は園田文恵としてではなく、園田物産会長として。
私は手帳を開き、明日のスケジュールを確認した。午後3時、帝国ホテルで息子夫婦と面会の予定だ。その時、2人は初めて知ることになるだろう。ATMだと思っていた存在が、実は自分たちの人生を左右する立場にあったということを。
夜が更けていく。東京の夜景は相変わらず美しく、まるで宝石箱のようだった。私は静かにワインを飲みながら、明日を待った。

翌朝、教一郎の会社では緊急会議が開かれていたそうだ。後から前沢弁護士から聞いた話だが、私の決定は即座に大きな波紋を呼んでいたようだった。
「園田物産の会長が、我が社との取引中止を直接指示したそうだ。」
社長の怒声が会議室に響いたとのこと。営業部長の言葉に、教一郎は聞き覚えのある名前に反応したそうだ。
「会長って、園田文恵ですよね。でも、なぜ急に……。」
「知らないのか? 園田物産の創業者の未亡人だ。年商300億円の大企業に成長させた辣腕経営者だよ。」
教一郎の顔色が引いていく様子が目に浮かぶ。
「その会長の写真とかありますか?」
「ああ、会社案内に載っているはずだ。」
渡されたパンフレットを開いた教一郎は、そこで完全に凍りついたことだろう。写真に写っているのは、紛れもなく母親である私だったのだから。
「なんだって……。君のお母さんが園田物産の会長……。知らなかったのか?」
「母は、ただ父の会社を少し手伝っているだけだと……。」
私の携帯電話は朝から鳴り続けていたが、出る気にはなれなかった。35年間育てた息子からATM扱いされた母親の気持ちなど、誰に分かるだろうか。
午前中、私は帝国ホテルのスイートルームで、これまでの人生を振り返っていた。夫と2人で小さな会社を立ち上げ、必死に働いてきた日々。夫が他界した後、女で1つで会社を守り、発展させてきた過程。その全てを息子には隠してきた。教一郎に心配をかけたくなかった。普通の子供として、自由に生きてほしかった。その思いが、結果として今日の事態を招いたのかもしれない。
昼前、私は教一郎にメールを送った。
「教一郎へ。今日の午後3時、帝国ホテルのロビーで待っています。まゆ香さんも一緒に来てください。母よりも、仕事をする必要はありません。」
全てを明らかにして、きっぱりと関係を絶つ時が来たのだ。

午後3時、私は帝国ホテルのロビーで2人を待っていた。いつもの地味な服装ではなく、会長としてのビジネススーツに身を包んで。教一郎とまゆ香が現れた時、2人の顔は真っ青だった。特にまゆ香は、昨日とは別人のように小さくなっていた。
「母さん……。」
「座りなさい。」
私は静かに、しかし言い逃れをさせない口調で言った。もう優しい母親を演じる必要はないのだ。
「まず、自己紹介をし直しましょうか。私は園田文恵。園田物産の代表取締役会長です。従業員は1000人、年商は300億円。あなたたちがATMと呼んだ人間の本当の姿です。」
2人の表情を見ていると、少しかわいそうにも思えた。でも、私の心はもう決まっていた。
「なぜ黙っていたかって? 息子には自分の力で生きてほしかったからです。そして、お金目当ての人間を寄せつけたくなかったから。」
私はまゆ香を見つめた。あんなに可愛がっていたのに、まさかこんな本性を隠していたなんて。
「でも、結果的に私の正体を知らなくても、あなたは私をATM扱いしましたね。」
「お母さん、あの時は……。」
「言い訳は結構です。あなたは私に言いましたね。『お金だけ出していればいい』『家族だと思っていない』『ATMだ』と。」
まゆ香は顔を伏せた。昨日の傲慢な態度は、どこへ行ってしまったのだろう。
「教一郎、あなたも同意しましたね。母親の料理が嫌いだと。私の存在が迷惑だと。」
「母さん、あれはまゆかに合わせただけで……。」
「だけで? 私は息子を見つめました。この子を産んだ時の喜びを思い出すと、胸が痛みます。でも、もう後戻りはできません。」
「いいでしょう。あなたたちの望み通りにしてあげます。私は家族ではないのですから、ビジネスライクに行きましょう。」
私は用意してきた書類をバッグから取り出した。
「まず、園田物産との取引は予定通り終了します。あなたの会社への配慮は一切しません。」
「母さん、それじゃ会社が……。」
「次に、住宅ローンの保証人も降りました。新しい保証人を探すか、家を手放すか、お好きにどうぞ。」
まゆ香が涙を流し始めた。昨日の傲慢な態度とは大違いだ。
「お母さん、お願いします。子供が生まれたばかりなんです。」
「子供。私に触らせたくないという、あの子ですね。」
私の言葉に、まゆ香は土下座しようとした。
「見苦しい真似はやめなさい。ここは公共の場です。」
「では、どうすれば……。」
「どうもこうもありません。あなたたちが決めたことです。私は家族ではなくATMなのでしょう。ATMに感情はありませんし、家族への配慮もしません。」
私は立ち上がった。
「もう十分でしょう。あ、そうそう。まゆ香さんのご実家の工場との取引も終了します。ビジネスは信頼関係が大切ですから。」
「そんな! 父の会社が潰れてしまいます!」
「それは私の知ったことではありません。あなたが私を家族として扱わなかったように、私もあなたの家族に配慮する理由はありません。」
教一郎が必死に引き止めようとした。我が息子ながら、今更遅いのだ。
「母さん、お願いだ。考え直してくれ。僕が悪かった。」
「今更ですね。昨日、私があなたに最後の確認をした時、あなたは何と答えましたか?」
私は最後に名刺を取り出した。
「これが私の本当の姿です。これが、あなたたちがATMと呼んだ人間の本当の姿です。従業員1000人の生活を預かり、取引先企業の運命を左右する立場にある人間を、あなたたちは『お荷物』『邪魔物』と呼びました。」
2人は名刺を見つめたまま、言葉を失っていた。
「さようなら。もう2度と会うことはないでしょう。」
私は踵を返して歩き始めた。背後から教一郎の声が聞こえたが、もう振り返ることはなかった。35年間の母親は、昨日終わったのだ。

帝国ホテルを後にした私は、そのまま会社へ向かった。園田物産の本社ビルに入ると、社員たちが挨拶をしてくれる。
「会長、おはようございます。」
「おはよう。今日もよろしくお願いします。」
私は会長室に入り、大きな窓から都心の景色を眺めた。この会社を夫と2人で小さな事務所から始めて40年。夫が亡くなってからの15年は、女で1つで必死に守り抜いてきた。秘書の金子さんがコーヒーを運んできてくれた。
「会長、午後から取締役会の資料です。それと……。」
「どうしました?」
「いえ、会長が最近お元気そうで、私たちも嬉しいです。」
金子さんの言葉に、私は微笑んだ。確かに、心の荷が下りたような気がする。

その週末、私は以前から支援している児童養護施設を訪れた。子供たちが駆け寄ってくる。この施設には、様々な事情で親と暮らせない子供たちが生活している。
「今日はみんなにプレゼントを持ってきたわよ。」
「やったー!」
無邪気に喜ぶ子供たちの笑顔を見ていると、心が温かくなる。施設長の佐藤さんが近づいてきた。
「園田会長、いつもありがとうございます。子供たちも、会長が来るのを楽しみにしているんです。」
「こちらこそ。この子たちの笑顔が、私の生きがいです。」
午後は、子供たちと一緒に料理を作った。私の「古臭い料理」も、ここでは大人気だ。
「おばあちゃんの肉じゃが、すっごく美味しい!」
「本当? 嬉しいわ。」
8歳のさなちゃんが、私の手を握った。
「おばあちゃん、ずっと来てくれる?」
「もちろんよ。約束する。」
この子たちは私を必要としてくれている。ATMとしてではなく、一人の人間として。夕方、施設を後にする時、佐藤施設長が言った。
「実は、来月から新しい教育プログラムを始めたいのですが、資金が……。」
「詳細を送ってください。検討します。」
「本当ですか? ありがとうございます。」
私のお金は、本当に必要としている人たちのために使われるべきだ。感謝の気持ちを忘れない人たちのために。

翌週、私は長年の友人である証子と久しぶりに会った。
「文恵、顔色がいいわね。何かあった?」
「ええ、人生の整理をしたの。」
事情を話すと、証子は深く頷いた。
「辛かったでしょうね。でも、あなたは正しい選択をしたと思うわ。」
「本当にそうかしら? 実の息子を切り捨てるなんて……。」
「切り捨てたんじゃないわ。あちらが先に、あなたを切り捨てたのよ。」
証子の言葉に、私は救われた気がした。
「文恵、あなたには価値がある。会社の会長としてだけじゃなく、一人の女性として、人間として。」
「ありがとう、証子。」

その後、私の生活は大きく変わった。今まで息子夫婦のために取っていた時間を、自分のために使えるようになったのだ。美術館巡りを再開し、若い頃に諦めた絵画教室にも通い始めた。新しい友人もでき、充実した日々を送っている。会社の業績も順調だ。教一郎の会社との取引中止で空いた生産ラインは、より条件のいい新規顧客で埋まった。ビジネスでも、相手を選ぶことの大切さを改めて実感している。
ある日、会社に一本の電話があった。
「会長、息子さんから電話です。どうしますか?」
「繋がないでください。私に息子はいません。」
私はきっぱりと断った。情に流されては、また同じことの繰り返しだ。
後で聞いた話では、教一郎の会社は大幅なリストラを余儀なくされ、教一郎自身も降格処分を受けたそうだ。まゆ香の実家の工場も、廃業の危機に瀕しているとか。でも、それは彼らが選んだ道だ。私をATMとしか見なかった報いを、今受けているのでしょう。

私は今、本当の意味で自由だ。誰かの期待に答えるためではなく、自分の意思で生きている。児童養護施設の子供たちは、私を「おばあちゃん」と呼んでくれる。証子たち友人は、私という人間を大切にしてくれる。会社の社員たちは、私の経営手腕を心から尊敬してくれている。
「あなた……。見ていますか?」
私は書斎に飾った夫の写真に語りかけた。
「私、強くなりました。もう理不尽な扱いには屈しません。」
写真の中の夫は、優しく微笑んでいるように見えた。
振り返ってみれば、私は息子夫婦に依存していたのかもしれない。息子の幸せが私の幸せだと思い込んでいた。でも、それは間違いだった。私には、私の人生がある。息子に認められなくても、嫁に感謝されなくても、私の価値は変わらない。
今、私の周りには、本当の意味で私を必要としてくれる人たちがいる。利害関係ではなく、心で繋がっている人たち。それこそが、本当の家族なのかもしれない。血の繋がりだけが家族ではない。心が通い合ってこそ、家族と呼べるのだ。
あの日、病室で言われた言葉を思い出す。
「お金だけ出していればいい。」
「家族だと思っていない。」
「ATM。」
今となっては、感謝しているくらいだ。あの言葉があったからこそ、私は目覚めることができた。本当の自分の価値に気づくことができたのだ。
私、園田文恵は、これからも自分らしく生きていく。誰のためでもない。自分自身のために。そして、本当に私を必要としている人たちのために、持てる力を使っていきたいと思う。
理不尽な扱いに苦しんでいる方がいたら、伝えたい。あなたには価値があります。その価値を認めない人のために、自分を犠牲にする必要はありません。勇気を出して一歩踏み出してください。きっと、新しい世界が待っています。

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