「お前が扱いやすそうで頭悪そうだったから選んでやったんだよ」…

「お前が扱いやすそうで頭悪そうだったから選んでやったんだよ」...

「おい、どうして家具が何もないんだよ」

電話の向こうで、夫のナオが怒鳴っていた。私はスマホを耳に当てたまま、静かに言った。

「私のものなんだから、どうしようが勝手でしょ。それに、ずっと無視してきたのはそっちでしょ」

キャンプに出かけた隙に、私は家具を全部運び出し、離婚届けだけを置いて家を出た。2泊3日の旅行から帰ってきたナオは、空っぽの部屋を見て慌てふためいていた。

「なんだよこれ。どうしてこんなもの?」

ナオが声を荒げる。私はわざと知らないふりをした。

「離婚届けでしょ? 書いて出しておいてね。もうあなたとはやっていけないから」

すると、ナオは言った。

「離婚届けだと? それよりこの写真だよ。こんなもの、お前どこで手に入れた?」

それが、私がずっと隠していた真実を暴く瞬間だった。

私の名前はエリカ。自分ではあまり思ったことはないが、整った顔をしている方らしい。大学時代は友人のゴリ押しでミスコンに出場し、思いがけず優勝したこともある。照れ臭かったが、自分が認められた気がして嬉しかった出来事だ。

母はデパートの化粧品店で美容部員をしていて、家にいる時でさえいつも化粧をしていた。母がすっぴんでいたのは寝る時くらい。よく母に似ていると言われる私。だけど母の顔は綺麗だと思っても、自分の顔はなんだか好きになれなかった。中学時代に嫌がらせを受けたからだ。

母の影響で、小学生の頃からスキンケアをしていた私。日焼け止めも欠かさず塗っていたし、毎晩フェイスパックもしていた。でもそれは全て、母にアドバイスされるままにしていただけ。そのおかげか、思春期に多い肌トラブルとは無縁だった。

中学生になった私はソフトテニス部に入部。近所に住むお姉さんがテニスをする姿に憧れたのがきっかけだ。しかし母は屋外で活動する部活に反対した。日焼けほど肌にダメージを与えるものはないというのだ。それでも私はどうしてもソフトテニスがしたかったので、「絶対に日焼け止めをまめに塗るし、スキンケアも欠かさない」と約束し、やっと入部を許可してもらえた。

入部した私はソフトテニスにのめり込んでいった。練習すればするほど上達できるのが楽しかったのだ。でも汗をかくと日焼け止めが流れ落ちてしまうので、休憩の度に塗り直していた。それが先輩たちからすると気に食わなかったらしい。

ある日の休憩中、いつも通り日焼け止めを塗っていると、こんな声が聞こえた。

「そんな暇があったらボールでも拾えばいいのに」

私はショックを受けていた。休憩中に何をしようが自由ではないか。入部して半年も経った頃には、先輩に勝てるくらいの実力をつけていた私。私よりも弱い先輩に何を言われても負け惜しみにしか聞こえなかった。でも揉めたくない私は、トイレで塗り直すようにした。

ダブルスでペアを組んでいたトモカは「気にすることないよ」と支えてくれた。しかし先輩たちの嫌がらせはエスカレートしていく。テニスシューズに水をかけられたり、荷物を隠されたりするようになった。さすがに堪りかねた私は顧問の先生に相談した。すると先生はすぐに対応してくれ、目に見える嫌がらせは収まった。

しかし、今度は影口が始まった。

「可愛いからって調子に乗るな」
「ごまんに媚び売ってんだろ」
「顧問と付き合ってるから番手を上にしてもらってるに決まってる」

当時の顧問は若い男性だったが、もちろん付き合っていたわけではない。テニスが上達したのも、私が団体に選抜されたのも、全部自分の実力だ。結局、先輩たちが引退するまで影口を言われ続けた。

高校生になっても居心地の悪さは続く。今度は恋愛だ。友人の好きな男子が私を好きだと言うことが何度かあった。もちろん私はその男子に興味はない。友人とうまくいけばいいといつも応援していた。でも彼は私に「可愛いから付き合って欲しい」と言ってくる。話したことなんて記憶にないくらい接点がないのに、どうして付き合おうと言えるのか全く理解できなかった。

そして友人には「エリカが言い寄ったからだ」とまで言われる始末。私はそんな友人との関係に疲れきった。唯一私を理解してくれていたのは、別の学校に通うトモカだった。テニスでペアを組んで以来仲を深めていたのだ。定期的に会っては私の愚痴を聞いてくれた。トモカがいたから、私はなんとか学校生活を乗り切ることができた。

大学生になると、容姿を理由に嫌がらせをする人も、面倒な恋愛に巻き込もうとする人もいなかったので楽しく過ごせた。でも男性と付き合いたいとは思わなかった。近寄ってくる男性が私の見た目に引かれたという人ばかりだったからだ。見た目に引かれることはよくある話だろう。でもそれ以上に中身を好きになってもらえる自信がなかった。恋愛に発展することはなかったが、新しい友人が増え、バイトに励んで充実した大学生活を送ることができた。

大学を出て社会人になった私は、化粧品関連の会社に勤務した。商品開発部の研究員だ。1人暮らしを始めた私は、特に趣味がなかったので自宅と会社を往復する日々。フェイスパックをしながら泡風呂に入って、好きなテレビを見るのが私の癒しだった。そんな生活をしていたら、あっという間に29歳になってしまった。

友人たちの結婚ラッシュで結婚式に呼んでもらうことが増え、「もうそんな年か」と身にしみる。1人でいる生活に慣れすぎて、恋愛など全くできなかった。結婚式に何度も出るうち、幸せそうな新婦を祝福するより「私も結婚がしたい」という気持ちが次第に大きくなっていった。友人たちの結婚式に一緒に出席していたトモカに「ついに私も来月入籍する予定」と言われ、1人取り残されてしまった私は結婚を焦り出し、思い切ってマッチングアプリに参加した。有名な結婚式場が主催しているパーティーなら身分確認もきちんと行われるので参加しやすそうだと思ったのだ。

そこで出会ったのが、夫となるナオだった。ナオは身長はそこまで高くなかったが、とても鼻筋が綺麗で目もキリッとしている。見た目は私のタイプだったが、それ以上にナオは私の内面を見てくれた気がした。1対1で対話する時間に、私をとても褒めてくれたのだ。

「見た目はもちろんですが、お箸の使い方がとても綺麗で見とれてしまいました」

他にも食べ方や椅子に座る姿勢、背筋を伸ばした歩き方など、とにかく私の顔以外の部分をべた褒めしてくれる。今まで男性に顔しか注目されたことがなかった私は、思わず照れてしまった。そして私はナオと連絡先を交換することに。それから何度かデートを重ねるうち、彼にどんどん惹かれていった。ナオは私より10歳も年上なのに、どこか幼い雰囲気があって、そのギャップもまた好きだった。

交際して半年ほど経った頃、妊娠していることがわかった。まだ結婚の話も出ていないのに妊娠してしまったことが怖くなった。妊娠を理由に別れを告げられたらどうしようと思った私は、なかなか彼に相談できずにいた。さらに半年が経ち、お腹が目立ち始めてしまう。これ以上隠しきれないと思った私は、とうとうナオに打ち明けた。

「今まで隠していてごめんなさい。実はナオさんの子供を妊娠してます」

そしてナオと別れたくない、子供を一緒に育てたいと伝えた。すると私の心配をよそに、ナオは「結婚して一緒に育てよう」と即答してくれた。まさかすぐに返事をもらえるとは思わなかったので、私は安心した。しかしその直後から、衝撃的な事実を知らされることになる。

「僕も言っておかないといけないことがあって。実はバツイチで子供がいるんだ」

驚きすぎて、すぐに言葉が出てこない私。

「子供って言っても、もうすぐ20歳になるんだ。それに高校を卒業してすぐに働いてるから」

私は何をどう質問していいのか分からず黙っていると、ナオが事情を話してくれた。息子はいるが、すでに彼が就職しているため養育費はもう支払っていないという。元妻の浮気が原因で離婚したが、彼女が息子を引き取ることになったのだとか。面会を希望しても拒否されているから、子供と何の接点もないそうだ。

「ちょっと考えさせて」

あまりに多くの情報が入ってきて処理しきれず、私はこの日は帰宅した。ナオは「別れないで、2人の子供だから一緒に育てよう」と言って私の手を握ってくれた。家に帰って1人になり、ナオの話を思い返す。ナオは私より10歳も年上だし、過去に結婚していて子供がいてもおかしくはない。でもナオに離婚歴があるなんて考えもしなかった。ましてや子供がいるかどうかを聞く発想などなかったのだ。だがナオにどんな過去があったとしても、大事なのは今私のお腹にいる子を第一に考えるべきだろう。そう思った私は数日後にナオと会って告げた。

「やっぱりこの子には父親が必要だと思うの」

私はナオとの結婚を決めた。正直、離婚して子供までいることはショックだったが、離婚の原因は元妻にある。それに彼の子供は就職しているし、養育費を支払っていないなら家計の負担になることもないだろう。

結婚して数ヶ月後、私は元気な男の子を出産できた。名前はマルオ。

「やっぱり僕たちの子供可愛いね。それにエリカによく似てくれて本当に良かった」

ナオもマルオの誕生を喜んでくれている。マルオは私の幼少期とよく似た顔をしていた。鼻だけは少し丸い感じがしたが、親に似ない部分もあるだろうと思ったので、特に気にすることもなかった。とにかく元気に無事に生まれてきてくれた。それだけで十分だ。

マルオが生まれてくると、私は育児に追われた。ナオも手伝ってくれるものの、彼には仕事があるため、ほとんど私が育児と家事をしている状態。自分の時間はほとんどなく、独身時代のようにフェイスパックや湯船にゆっくり使う余裕なんてなかった。おまけに寝不足で肌がくすんでいるので、鏡を見るのも嫌になるほどだ。改めてスキンケアの大切さを身を持って感じた。でも自分の時間を犠牲にして育児に励み、肌が悪くなっても、マルオと過ごせる時間はすごく幸せだ。初めてのことばかりで疲弊しながらも、新しい発見をする毎日を過ごした。

マルオが1歳になると保育園に預けて、私は短時間勤務で仕事に復帰した。仕事と家事に追われるうちにあっという間に時が経ち、小さかったマルオも中学生になろうとしていた。

ある日、仕事から帰宅するとマンションの前に知らない男性がいた。帽子を深くかぶっていて顔が見えず、年齢も分からない。背中が曲がっていて黒い上下のジャージを着ている。不審者だろうか。それにしては荷物が多い。訪問販売にでも来たのか。私は少し離れたところからナオにテレビ電話をかけた。

「家の前に不審者みたいな、とにかく怪しい人がいるんだけど」

私は携帯でこっそりその男性を映した。画面をじっと見たナオが大きな声を出した。

「もしかしてナツキ?」

なんと不審者のような男性は、ナオと元妻との子供だというのだ。ナオはすぐ帰ると言って慌ただしく電話を切った。私とマルオはマンションの前でナオの帰りを待つ。約20分後、帰宅したナオがすぐその男性に声をかけると、やはりナツキだった。ナツキの顔は30代前半とは思えないくらい老けていて、ナオと全然似ていなかったので驚いた。髭も生えて、清潔感があるとは言えないみすぼらしい身なりをしている。

家に入ってすぐナツキにお風呂に入ってもらい、一息ついてから彼の事情を聞いた。ナツキの話はこうだった。母親と折り合いが悪かったナツキは、高校卒業後就職を機に1人暮らしを始めたという。彼が家を飛び出した形だったため、それ以来母親と連絡を一切取っていなかったらしい。だが仕事がうまくいかずに体調を崩してしまい、最終的には休職状態となった。職場からの手当ても支給されなくなり、生活に困ったナツキは母親に助けを求めた。しかしすでに母親は引っ越していたようで、かつての家には別の住民がいた。母親と連絡がつかなかったナツキは、父親だったナオの住所をなんとか探し出して今日ここにいるということだった。

話が終わると部屋に沈黙が流れる。私はちらっとナオを見ると、考え込んでいるような顔をしていた。疎遠になっていたとはいえ、自分の子供が困っていたら心配になるだろう。お金の援助くらいはすると言い出すだろうか。そう思いながらも、他人である私はただ黙って話を聞くことしかできなかった。

「そんなことになっていたのか。よし、そういうことなら当分ここに住みなさい」

簡単に言い放つナオに、私はあんぐり口が開いた。私は内心「勝手に決めないでよ」と言いたかったが、ナツキが涙を浮かべてナオに感謝している。そんな光景を見たら、反対できるわけがなかった。

こうして私の気が進まないまま、3人での奇妙な生活が始まった。ナツキは私からすると赤の他人。やはり生活しにくいものだ。仕事に行けない日は体調不良を理由に家でずっとゲームをしているようだ。いつもゲームのBGMが漏れてくる。どう見てもサボりとしか思えなくて、苛立たしい気持ちになる。かと言って家事を任せられるほど信用もできない。私たちが仕事で家を開けている時には、何か盗まれていないかと不安になったくらいだ。通帳などの貴重品は全て鍵のついた寝室に保管した。マルオに加えて大人が1人増えると、当然ながら食費もかさむ。でも収入がない彼にはお金の請求もできない。

何より嫌だったのは、ナツキの食べ方が汚いこと。お箸も握るように持つし、左手はいつも机の下。小さい頃にちゃんと教えられなかったのだろうか。私は食事の度にそれが気になって仕方ない。

マルオもナツキのことが気になっているようだった。ある日帰宅すると、ナツキとマルオが仲良くゲームをしていた。私はすぐにマルオからゲームを取り上げ、「勝手にマルオにゲームさせないで」と感情のままに2人を怒ってしまった。私はマルオにゲームをさせたくなかったのだ。周りのママ友が「子供がゲームばかりして」「勝手に課金されて困る」などと聞いていたから、トラブルになるくらいなら遊ばせないという方針を取っていた。

「返せよ」

ところがマルオは怒鳴り、私の手元にあるゲームを奪い取ったのだ。私はマルオに初めて反抗されたことに驚きとショックを受けた。そして2人は私を無視してゲームを再開した。ナツキが来てから、マルオはすっかり悪い影響を受けてしまったように見えた。

そんな生活が1ヶ月ほど続いても、ナツキの状況は何も変わらない。そもそもこのご時世で、こんなに長い期間休ませてくれる職場なんてあるのか。ナツキが病院に行く様子や職場に連絡を取っているところなど見たことがない。職場や私たち親子に迷惑をかけているという考えはこの男にはないのだろうか。ナオはいつまでここに彼を住ませるつもりなのだろうか。私にとって他人であるナツキと生活することは、かなりストレスとなっていた。そのストレスが肌のかゆみやぶつぶつなど、目に見える形で現れ始めた。

「ねえ、いつまでナツキ君をこの家にいさせるつもり?」

穏やかに話すつもりが、現状に耐えきれなくなっていた私は、つい口調がきつくなってしまう。今までとは違う私の態度に、ナオも驚いているようだった。

「いつって、1人で生活できるようになるまでかな」

ナオの返事は曖昧で、具体的に何も考えていないことがありありとわかる。

「1人で生活できるなんて、いつの話よ」

私の口調がもっと強くなり、声も大きくなる。

「もう1年以上休職していて、ずっとゲームばかりで仕事に行こうとする気配もない。仕事に行く行かないという以前に、まだその会社に在籍できているの? もしかしたら本当はとっくに首になっているんじゃないの? ナオが甘やかしてここに住まわせてしまったから、ナツキは新しい仕事を探そうともしていないでしょう。ゲームにハマり、ナツキに懐いているマルオを見るのも、私はすっかり嫌になってしまっていた。それにこのままだと、ずっとナツキはこの家に居座り続けるんじゃないの?」

ナオは私が言い放った疑問の数々に圧倒されたのか、黙ってしまった。それがまた苛立つ。

「ナツキ君、本当に清潔感がない感じよね。さえない顔して、その上、身なりも汚い。あれじゃあどこの職場にも採用してもらえないよ。ナオにも全然似てないし。本当にあなたの子供なの? 30代にもなって行儀も悪すぎるし。マルオにゲームも勝手にさせてるし、どうにかしてよ」

私はぶちまけてしまってからはっとした。見た目のことを責めるのは違う。私はすぐに「言いすぎてごめん」と謝ったが、ナオを怒らせてしまったようだ。

「見た目は関係ないだろう。自分がちょっと美人だからって、調子に乗るなよ」

私はすぐに謝ったが、見たことがないほど怖い顔をしている彼に怯えた。

翌日から、ナオの私に対する態度が一変した。こちらから声をかけても返事どころか見向きもしてくれない。ご飯を準備しても居るのが当たり前のように無言で食べ、片付けもせずに出かけていく。ずっとこんな状況で同じ家にいるのは辛い。私はナオに何度か謝ったが、聞く耳を持ってもらえなかった。その後も無視されたが、私はとにかく耐え続けた。

しかも、ナオに何か吹き込まれたのか、マルオもナツキも私を無視し始めたのだ。きっとマルオは「私を無視すればゲームを買ってあげる」とでも言われたのだろう。少し見ないうちにゲームの種類が増えていた。同じ家で過ごしておきながら、よくここまで人をいないものとして扱えるものだ。無視されていても私は彼らに食事を出し続け、いつも通りに挨拶をした。ここで私も同じように無視して家事をやめたら、彼らの思う壺だ。

ナオがたまに口を開いたかと思えば、私への悪口ばかり。

「顔面が汚い。ずっと化粧しておけ」

と、私の顔を貶してくるのだ。確かにマルオを出産してから自分の時間がなくなってスキンケアがおろそかになり、シワやシミが増えた。肌が荒れているのはナツキが来てからだ。全てはこの家庭環境のせい。こんなストレスだらけの生活をしていたら、顔に疲れが出るに決まっている。

家族ぐるみの無視はなんと3ヶ月も続いた。ここまで徹底されたら、私だって黙っていられない。私はある作戦を立てた。あとは実行のチャンスを待つだけ。

そしてある日、やっとそのチャンスが訪れた。ナオとナツキ、マルオが3人でキャンプに行くというのだ。それも2泊。私は心が踊る。やっと作戦を実行できるのだから。彼らが出発する日、飛び切りの笑顔で見送ってやった。

室内が静かになると、私はすぐに荷物をまとめて引っ越し業者を呼んだ。部屋をすっきりさせると、私は離婚届けとあるものだけを残して家を出た。

2日後の午前中、帰宅したであろうナオから電話がかかってきた。

「おい、どうして家具が何もないんだよ」

まだ離婚届けを見ていないようだ。

「私のものなんだからどうしようが勝手でしょ。それに話しかけてもずっと無視してたのはそっちだよね。そんな人に話すことなんて何もないんだけど」

家具は全て私が購入したものだ。そして離婚届けと「あるもの」を見つけたナオは声を荒げる。

「なんだよこれ。どうしてこんなもの?」

この反応は離婚届けのことではないと思った私は、わざと聞いてやった。

「離婚届けでしょ? 書いて出しておいてね。もうあなたとはやっていけないから」

離婚届けを探しているのか、ガサガサと音がする。

「離婚届けだと? それよりこの写真だよ。こんなものお前どこで手に入れた?」

ナオからすると離婚よりも重要で、どうやって手に入れたか問い詰めたくなる「あるもの」。それはナオの昔の写真だったのだ。実はナオは整形していた。それはもう原型がないくらい、ナオの顔は変わっていたのだ。

「その写真のあなたの顔とナツキ君、本当にそっくりね。マルオの鼻にもよく似てるわ。2人ともあなたの子供ね」

「何が言いたい? 俺がブサイクだから笑ってるんだろう」

私が言いたいこととはずれているが、ナオは自分の顔にそれほど自信がなかったのだろうか。私もナオが整形していたのを知った時は驚いたが、それは本人の自由だ。誰にでもコンプレックスはあって、ナオの場合それを改善する手段が整形だっただけである。誰も整形が悪いなんて言ってない。

「1つ大事なことを教えてあげるわ。人間ね、見た目よりも大事なのは中身なの。離婚の原因は元妻の浮気とか言ってたけど、嘘だったじゃない」

夫が以前結婚していたなら、元妻がどんな人だったか気になるものではないだろうか。私は以前ナオから元妻の写真を見せてもらったことがあった。彼女は私とはタイプの違う細面の女性だったから印象に残っていた。

ナオの態度に悩んだ私は、友人のトモカに相談していた。私の愚痴を聞いてもらううちに、トモカの兄が結婚したという話題が出た。

「奥さんは年上でバツイチでもないし、兄貴もこの年になって今更結婚式挙げるつもりないから、写真だけ撮ったんだってさ」

トモカが見せてくれた結婚写真に映っていた新婦は、なんとナオの元妻・リエだった。ナオとの離婚を考えていた私は、トモカに2人の関係を聞いてリエに会いに行った。そこでリエが教えてくれた離婚の理由は、私が聞いていたものとは全く違ったのだ。

「リエさんから全部聞いたわよ。ナオが借金にはまったのが離婚のきっかけじゃない。元々自分の顔にコンプレックスを持っていたナオは、生まれたナツキが自分の顔にそっくりだったことに嫌気が差し、整形を思い立ったという。両親も初めは特に反対せず、『自分の顔だから好きにすればいい』と思ったらしい。でも1か所手を入れて整形にはまってしまったナオは、借金をしてまで繰り返すようになったという。さすがのリエも止めたが、ナオは聞く耳を持たなかった。整形で自信がついたナオは浮気を繰り返したらしい。顔が変わると言い寄ってくる女性が多く、それに快感を覚えたのだとか。リエはそんな我が儘を『そのうち気が済むだろう』と見守っていたそうだが、『過去の自分によく似ているから』という理由でナツキの面倒を見なくなった。そんなに我慢できなくなった彼女は離婚に踏み切ったということだった」

「養育費払ったんだから、育てたも当然だろう」

ナオは開き直って言うが、本当のことをリエから聞いている私は、息を吐くしかなかった。

「養育費払ってたのなんて、最初の数ヶ月だけでしょ」

ナツキが小学生の頃に離婚してから、2ヶ月養育費を支払うとナオは音信不通になったというのだ。無責任なナオを頼れないと察したリエは、1人で一生懸命働いてナツキを育てた。しかし高校を卒業したナツキは家を出て行ってしまった。リエはナツキを自立した男に育てたくて色々厳しいことも言ったらしいのだが、繊細な彼にはそれが耐えられなかったらしい。心配したリエが連絡をしても、ナツキに無視され続けた。これ以上何をしても無駄だと思った彼女は、ナツキが自分から連絡するのを待ったという。しかしそんな時連絡をしてきたのは、なんと養育費をすっぽかして行方をくらましていたナオだった。借金の返済に追われたナオはリエにお金を要求してきたのだ。それがあまりにしつこかったので、身の危険を感じた彼女は電話番号を変えて引っ越したということだった。

「よくそこまで調べたもんだな」

ナオは開き直っているのか、落ち着いた口調に戻っている。

「まあね。どれも結婚する前に知っておきたかったけど、こんな男だと知っていたら絶対に結婚なんてしていなかったわ」

「お前が扱いやすそうで頭悪そうだったから選んでやったんだよ」

ナオは借金をしていても許してくれそうで、正社員で働いてお金を稼いでいそうな女性を狙ってマッチングアプリに参加していたという。私の妊娠は予定外だったようだが、結婚して共働きすれば自分の自由になるお金が増えると思ったようだ。子供のための助成金なども狙っていたらしい。

本当に最低な男だ。

「そういうことで、離婚届け書いたら取りに行くから連絡してね」

そう言って電話を切った。私は実家に避難しており、隣でやり取りを見ていた両親は心配そうな顔をしていた。

その日の夕方、実家のチャイムが鳴った。ドアを開けると、目に涙を溜めたマルオが立っていた。マルオは自分たちがキャンプから帰ってきたら私が消えていて、さすがにショックだったらしい。元々後から迎えに行くつもりだったが、なんとマルオは自力で実家にやってきたのだ。冬休みに帰省した時に連れて行ったので道を覚えていたとのこと。マルオは私に今までの態度を謝り、「一緒にいたい」と言ってしがみついてきた。

数日後、ナオから連絡が来た。2人きりだと何をされるかわからないため、待ち合わせは人が多い昼間のカフェ。やってきたナオはすぐに離婚届けを渡してくれたので、私は安心した。

「俺の借金はお前の借金でもあるからな。離婚してもよろしくな」

ナオはドヤ顔でそう言ったが、意味がわからない。結婚している時の借金も財産分与されるとか言っている。私と結婚していた時も借金を重ねていたのかと改めて呆れていると、ナオは勝ち誇ったように笑いながら店を出ていった。その後すぐに離婚届けを提出。やっとナオから離れられた私は解放感に満ち溢れた。

後日、ナオが泣きながら電話をかけてきた。何でも会社を首になったらしい。それも当然だ。会社のお金を数百万横領して整形費用に当てていたのがバレたというのだ。一緒に返済して欲しいなどとふざけたことを言っている。夫が個人的な理由で勝手に作った借金は妻には返済の義務がないとだけ伝え、私は電話を切って着信拒否した。借金ばかりか横領までするような男とは、今後一切関わりたくない。最後まで泣き叫んでいたが、どうでもいい。もうマルオをナオに合わせるつもりもないため、養育費の支払いは求めなかった。というより、借金の返済と会社への賠償で手いっぱいのナオには無理だろう。京都の時でさえ支払いを放棄して逃げ出した男だ。それにナオからお金をもらわなくても、私には十分生活できるだけの貯金はある。独身時代に特にお金をかけた趣味もなく、堅実に生活してきた甲斐があったというものだ。

どうにか前の職場と示談に持ち込めたナオは、借金の返済と賠償金を支払うために新しい仕事を探しているという。整形を繰り返しすぎて表情に不自然さがあるのと、横領の噂がどこからか流れているのか、ナオを採用する会社はなかなかないようだ。何にしても、やり過ぎには注意が必要ということだ。

マルオは今までの態度を謝罪して仲直りした。ナツキは再婚しているリエの家で一緒に住むのはさすがに遠慮したらしく、彼女に金銭的援助を受けながら1人暮らしを始めたのだとか。リエのサポートのおかげで、ナツキは新しい仕事を見つけることができたらしい。私が思っていた通り、やはり前の職場は早いうちに首になっていたとのことだった。お箸の持ち方が下手で行儀が悪かったのも、ナオの影響だったそうだ。ナオも元々行儀が悪く、ナツキが真似して覚えたのだ。リエがいくら注意しても、ナツキは「パパと同じだ」と言って直さなかったという。整形したナオは「顔だけ良くてもモテない」と悟り、もう直したらしい。ちなみにナツキは家にあったアルバムを見たらしく、ナオが整形を繰り返していることを知っていた。ナツキはナオがSNSにアップしていた画像から、私たちが住んでいたマンションを特定したという。いくら整形を繰り返していたとしても、実の子が見ると分かるものがあったそうだ。私もナオのSNSを検索したが、見るに耐えないものだった。ナオはベランダで撮影した自撮り画像などを頻繁にSNSに投稿していた。それにしても、こんな画像から自宅が特定できるなんて恐ろしいことだ。

私はと言うと、新居に引っ越してマルオと2人で幸せな生活を送っている。受験勉強を頑張っているマルオにゲームを買ってあげた。ちゃんと約束を守ってゲームをしてくれているし、2人で楽しめて、前より私たち親子の絆が深まったように思う。仕事では忙しいママ向けのスキンケアを開発して、それが大ヒット。もっとシリーズを展開する予定で、仕事にも熱が入る。これからも私は私らしく、人生を楽しんでいきたいと思う。

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