朝の5時10分、雨が窓を叩く音で目が覚めた。68歳の独り身が、また今日も何事もなく終わるはずだった。ところが玄関の郵便受けに、赤いスタンプが押された封筒が挟まっていた。「保証人が死亡したため、親族による更新が必要。期限内に更新がなければ契約を解除します」と書かれていた。親族は一人だけ。横浜に住む息子だ。でも、最後に声を聞いたのは5年前。それ以来、連絡は一切ない。私は意を決して、古い公衆電話ボ…

朝の5時10分、雨が窓を叩く音で目が覚めた。68歳の独り身が、また今日も何事もなく終わるはずだった。ところが玄関の郵便受けに、赤いスタンプが押された封筒が挟まっていた。「保証人が死亡したため、親族による更新が必要。期限内に更新がなければ契約を解除します」と書かれていた。親族は一人だけ。横浜に住む息子だ。でも、最後に声を聞いたのは5年前。それ以来、連絡は一切ない。私は意を決して、古い公衆電話ボ...

雨が窓を叩く音で目が覚めた。午前5時10分。眠れていたわけではない。ただ布団の中で目を閉じていただけだ。松崎公平は68歳。千葉県の海沿いの町の団地でひっそりと暮らしていた。痩せた体にいつも同じベージュのウインドブレーカー。首回りがすり切れて白くなった長年の相棒だ。視線はいつも斜め下。目が合えば頭を下げなければならない。それが彼には難しかった。

彼は夜の男だった。スーパーの夜間倉庫係りとして週5日、夜11時から朝7時まで働いていた。静かな倉庫で一人黙々と仕事をするのが彼には合っていた。定年後、埼玉から家賃の安いこの団地へ移ってきたのは4年前。息子の柴田譲るは38歳で、結婚して妻の姓を名乗り、今は横浜に住んでいる。最後に声を聞いたのはいつだったか。金のことで揉めてから5年になる。それ以来、電話もなければ会うこともなかった。

木曜日の早朝。仕事を終えた松崎公平はコンビニで見切り品の弁当を買った。税込みで269円。波数を間違えずに小銭を出した。団地の自分の部屋、305号室の前に来た時、郵便受けの隙間に白い封筒が挟まっているのに気づいた。右上に太い赤いスタンプが押されている。差出人は住宅管理局。部屋に入り、茶ブ台の前に座って封筒を開けた。

中には2枚の紙。1枚目は通知書だった。内容を理解するのに時間がかかった。保証人の坂口県一郎が先月亡くなったこと。それに伴い、親族に保証人を更新する義務が生じたこと。更新には一親等の親族の署名が必要なこと。提出期限はあと15日。期限内に更新がなければ、賃貸借契約を解除する手続きに移行すること。

坂口が死んだ。埼玉で一緒に働いていた元同僚で、独身同士だった。定年後に引っ越す時、保証人を頼める人間が他におらず、彼だけが快く引き受けてくれた。それ以降、ほとんど連絡は取っていなかった。その坂口はもういない。

一親等の親族。彼には親はいない。子は一人いる。横浜に住む息子。5年間顔も見ていない。

松崎公平は通知書を丁寧に三つ折りにして封筒に戻し、茶ブ台の横の引き出しの一番上の段にしまった。それだけだった。弁当を温めることも、テレビをつけることもせず、ただ座り続けた。無意識に右手の角ばったところを左手の指で擦り始めていた。頭の中で、「15日」という数字が転がった。今日は13日。期限は28日だ。

それから5日が過ぎた。梅雨の雨は止む気配を見せなかった。松崎公平はいつも通りに過ごした。夜の倉庫で働き、夜明けに帰って買ってきた見切り品を食べ、眠れないまま午後をやり過ごす。引き出しの中の封筒のことは皮膚で感じていた。開けることも捨てることもできないまま、ただ指が止まらなかった。

6月18日の夜、倉庫に大量の商品が届いた。同じシフトに21歳のアルバイト、桑原という男がいた。作業は遅く、仕分けミスが多発した。パレットを雑に置いて離れた際、積んであった飲料ケースが崩れかけた。松崎公平が体を使って支えていると、桑原が戻ってきた。謝るでも手を貸すでもなく、軽く鼻で笑って言った。

「ちゃんと積んどけよ。俺が積んだのに倒れたみたいじゃないか」

松崎公平は何も言わなかった。黙って直した。すると桑原は誰に言うともなく呟いた。

「年寄りって細かいよな」

聞こえないふりをした。聞こえていたが、出してはいけなかった。この職場で感情を出してはならない。長年の経験がそれを教えていた。

午前7時、勤務が終わった。外はまた雨だった。歩き始めて3分ほどで、足が駅前の方向へ向いていることに気づいた。意識して向かったわけではない。ただ、頭の中に引き出しの封筒があった。残りは10日になった。民間の保証会社という選択肢が通知書に書いてあった。費用が発生するとだけ。金額はわからない。もう一つの選択肢は、考えようとしても押し込めなかった。駅前のロータリーに古い緑色の公衆電話ボックスが見えた。

携帯電話は持っていた。長年使っている折りたたみ式だ。しかし、今日はその画面に発信履歴が残ることが嫌だった。公衆電話なら相手側に番号が表示されない。自分の端末にも痕跡が残らない。彼はボックスに入り、財布から10円玉を4枚取り出した。7桁の番号を覚えていた。5年間一度もかけなかったが、忘れたことはなかった。

呼び出し音が1回、2回。3回目の途中で電話が繋がった。男の声がした。

「もしもし。誰ですか?」

譲るの声だった。背後に子供の声と食器の音が聞こえる。松崎公平は唇を動かしたが、声が出なかった。

「もしもし。いたずらですか?」

後ろで女性の声が大きくなった。「あなた、牛乳と保育園の連絡どこに置いたの」と聞こえた。譲るが一瞬離れて、また電話に戻ってきた。

「もしもし。誰ですか?要件があるならはっきり言ってください」

松崎公平は深く息を吸った。

「俺だ」

1秒か2秒の沈黙。

「え?」

「いや……なんでもない。掛け間違えた」

それだけ言って受話器を置いた。10円玉が2枚返ってきた。拾ってポケットに入れた。しばらく動けなかった。5年ぶりに息子の声を聞いた。そして、5年ぶりに自分の声を届けた。それだけだった。保証人のことは一言も言えなかった。あの忙しい朝の台所の音が聞こえた瞬間、何かが止まった。頼み事を口にすることが、最初からできなかったのだ。

残り10日。区役所へ行くことにした。もう他に動ける方向がなかった。10日間、何もしなかった。電話もかけたが、何も言えなかった。

朝9時に家を出た。前の晩もほとんど眠れていなかった。初めてグレーのジャケットを着た。役所へ行くからだ。区役所で住宅係の窓口に並び、通知書を出した。30代前半の女性職員が対応した。

「親族の方はいらっしゃいますか?」
「息子がおりますが……遠方に住んでおりまして」
「息子さんに保証人になっていただくのが一番スムーズですが、それは難しい状況でしょうか?」
「事情がありまして」

女性はそれ以上聞かなかった。代わりに民間の保証会社のリストを渡した。

「費用は、一般的に初回で15万円前後かかることが多いです」

15万円。通帳の残高は5万円を少し超えたところだ。低所得者向けの支援制度があるか尋ねると、女性はこう答えた。

「住民税非課税世帯であれば費用の一部を補助する制度はございます。ただし、扶養義務のある親族の方が経済的支援を行えない状況であることを証明していただく必要があります」

つまり、また息子の署名が必要になる。どの道も、息子のところへ繋がっていた。延長申請は可能だと言われたが、最終的に保証人が必要なことは変わらない。どこへ行っても同じ場所に戻ってきた。

「わかりました」

書類を受け取り、立ち上がった瞬間、右肘が机の上の湯飲みに当たった。女性職員の茶が入った湯飲みが床に落ち、茶が広がった。待合スペースの視線が一斉に集まった。松崎公平はただ立ち尽くし、「申し訳ございません」と繰り返すことしかできなかった。あの瞬間、床に広がる茶の中に自分の姿が映っているような気がした。保証人を頼める人間が一人もいなくて、15万円も出せなくて、役所へ来ても出口が見つからない老人の姿。

区役所から帰った夜、延長申請書に記入した。1週間の延長が認められれば期限は7月5日になる。だが、根本的な問題は何も変わらなかった。それどころか、昼の補充作業の仕事も増やした。睡眠はさらに削られた。頭の奥に霧がかかったまま、数字を読み違えることもあった。

12日目の昼、売り場で卵を運んでいた。段差が積まれた台車が床の継ぎ目に引っかかり、上の段の卵トレーが5つ滑り落ちた。50個の卵が床に広がり、黄身と白身が飛び散った。周囲の客が振り返った。売り場主任の田中が来た。松崎公平より20歳以上若い男だ。彼は怒鳴らなかった。低い抑えた声で言った。

「これどうなってんすか。昼間の補充に入ってもらってからもう3回目ですよ。卵1パックいくらかちゃんと計算してもらえますか?」

続けて、こう言った。

「年配の方に来てもらうのはいいんですけどね。もう少し動きを早くしてもらえませんかね。集中して仕事してもらわないと」

反論できる部分はなかった。全部事実だった。正しいことを丁寧に言われるのが、一番どこにも持っていけなかった。片付けが終わり、外に出ると、また雨だった。

団地の部屋のドアに、白い紙が貼り付けてあった。住宅管理局からの書面だった。赤い文字で「住宅明け渡しを前提に、正式な手続きとして契約解除の準備を開始する」と書かれていた。最終期限は7月5日。

部屋に入り、電気もつけずに茶ブ台の前に座った。ポケットから折りたたみ式の携帯電話を取り出した。電話帳を開いた。登録件数は少ない。健康診断のクリニック、近くのコンビニ、そして一軒だけ個人の名前があった。

柴田譲る。

その名前を見ながら、床に卵が広がる音が耳の中で繰り返された。田中の落ち着いた声が蘇った。松崎公平の目がじわりとうるんだ。気がついた時には、すでに視界が歪んでいた。泣くつもりはなかった。泣くことは自分に許していなかった。妻が死んだ時も、葬儀の最中は表情を保っていた。しかし今、誰も見ていなかった。暗い部屋で一人だった。頬を伝うものがあった。温かかった。声は出なかった。ただ目から水が出た。それだけだった。

7月5日が来た。おとといの夜、松崎公平は延長申請書からの着信に気づいていた。画面を見て、名前を確認して、そのまま震えが止まるのを待った。留守番電話のランプが点滅したが、再生しなかった。

「あの、俺です。先週、知らない番号から電話があって。多分、父さんだと思って。何かあったなら電話してください。こちらからもかけます。以上です」

電車の接近を知らせるアナウンスが流れた。松崎公平は画面を見た。今、この場で掛け直せば、繋がるかもしれない。繋がれば話せるかもしれない。話せれば、保証人のことを言えるかもしれない。言えれれば、息子が何か動いてくれるかもしれない。

電車の扉が開いた。乗客が降りてきた。松崎公平は携帯電話を閉じて、ポケットに戻した。

朝の公園で出会った家族のことは、もうすぐ横浜で仕事を始める新入社員が増える春のことだ。部屋は4年間、ここにあった。松崎公平は立ち上がった。ダンボール箱を一つ抱え、一つを脇に挟み、一つを手で持った。電車の扉に向かって歩いた。ブザーが鳴り始めたが、彼は乗り込んだ。電車が動き始めた。吊り革を掴んだ。誰も彼を見なかった。窓の外にホームが流れ、駅の屋根が終わり、外の空が広がった。熱い雲の下を、電車は走り始めた。

松崎公平は吊り革を両手で掴みながら窓の外を見た。線路沿いの風景が流れていく。どれも見覚えのないものではなかった。しかし今日は、どれも少し遠く見えた。乗り換えの駅まで20分、終点まであと40分。電車はカーブに差しかかり、車体が傾いた。足元のダンボール箱がわずかにずれた。彼は片足でそれを軽く抑えた。窓の外の景色が変わり続けた。松崎公平はそれを見続けた。どこかへ向かっているのか、どこかから離れているのかは、もう区別しなかった。

電車は動き、風景は流れ、そして時間が過ぎていった。

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