「お前が代わりに嫁げ」――父が投げ出した見合い写真の前で、私は36年の人生で初めて「嫌です」と口にした。だが、返ってきたのは脅しだった。「断るなら会社も家も出ていけ」。妹が鼻で笑い、母は湯のみを傾けた。私がその縁談を受けたのは、この家を出る唯一の扉だと思ったから。相手は、妹が「工場勤務って油臭そう」と笑った静かな作業着の男。でも彼は、私にこう言った。「あなたの値段を、あなたが下げないこと」。…

「お前が代わりに嫁げ」――父が投げ出した見合い写真の前で、私は36年の人生で初めて「嫌です」と口にした。だが、返ってきたのは脅しだった。「断るなら会社も家も出ていけ」。妹が鼻で笑い、母は湯のみを傾けた。私がその縁談を受けたのは、この家を出る唯一の扉だと思ったから。相手は、妹が「工場勤務って油臭そう」と笑った静かな作業着の男。でも彼は、私にこう言った。「あなたの値段を、あなたが下げないこと」。...

父の声が実家の居間に響いた。テーブルには見合い写真が投げ出されている。妹のリナが断った相手。私はその代わりに、と差し出された。36歳にして、会社も家も失うか、見知らぬ男と結婚するかの二択を突きつけられたのだ。

私は藤原みつき。父が経営する自動車部品の会社、藤原成功で経理をしている。高校を出たその足で入社して18年。給与計算、支払い処理、銀行対応。数字にまつわる仕事は全部私の机に集まってくる。朝は誰より早く鍵を開け、夜は誰より遅く帳簿を閉める。ボーナスと正月以外にまとまった休みを取った記憶がない。

肩書きはただの事務。給料は月に15万円。そこから8万円を毎月生活費として母に渡してきた。給料日の夜、母は私の目の前で封筒の中身を数える。18年で渡した額は1700万円を超えた。文句を言ったのは一度だけ。20代の頃だ。父の返事は早かった。

「事務の給料なんてそんなもんだ。嫌なら出ていけ。誰のおかげで飯が食えてると思ってる」

以来、私は言わなくなった。5つ下の妹のリナは私立の大学へ行き、20歳の誕生日には赤い外車が買い与えられた。成人式の振り袖は70万円。私の成人式は母のお下がりの着物に、近所の写真屋の一番安い一枚だった。大学を出てもリナは働かない。それなのに、会社からリナへ毎月30万円が振り込まれている。帳簿の上ではリナも社員だった。出社した姿を私は一度も見たことがないのに。振り込みのボタンを押すのは私だ。

「リナは顔を売るのが仕事だ。お前みたいな地味な女には分からん世界だよ」

私の給料の倍の金が、働かない妹に流れていく。その処理を私の指がする。唯一の味方は祖母だった。縁側でみかんを分けながら、祖母はよく言った。「みつきはよう働く子だ。心配せんでも、ちゃんと見とる人はおるからね」。その祖母は5年前に亡くなった。最後の2年は寝たきりで、朝晩の世話をしたのは私だけだった。祖母は最後の頃、私の手を握って繰り返した。「みつき、すまんね。すまんね」。何に謝られているのか、その時の私には分からなかった。

2年前、父は決算の作業と銀行の対応を私から取り上げた。「お前は日々の伝票だけやっていればいい。決算は俺の仕事だ」。同じ頃から、ついでのように私の実印と印鑑登録カードも会社で預かるといった。預かり証の一枚もなかった。そしてあの年の春、大隅さんという取引先の社長が、一つお見合い話を持ってきた。リナのためだった。

お見合い当日、相手の神谷さんは作業着で現れた。「午後の部品の検品がありまして、着替える時間が取れませんでした」。リナはあからさまに眉をひそめた。「工場勤務って油臭そう。私、作業着の男の人と結婚とかありえないんで、帰っていいですか?」。そう言い切ってスマートフォンをいじり始めた。場が凍った。神谷さんは怒らなかった。静かに湯のみを置き、店員さんに礼をして立ち上がった。「本日はお時間をいただき、ありがとうございました」。声は最後まで平らだった。お茶を注いだだけの、名前も紹介されない係の私にまで、小さく会釈をして。

数日後、私は実家の居間に呼びつけられた。「町工場の男なんか妹には無理。お前が代わりに嫁げ」。父は前置きもなくそう言った。「相手には俺から話をつける。妹の代わりに姉を出す。それで筋は通る」。リナにはもっと立派な相手がいるのよ。でも地味なあなたにはちょうどいいでしょう。母は湯のみを傾けながら頷いた。リナはソファーから顔もあげない。「無口な工場作業員と地味な事務。お似合いじゃん。私の代わりに引き取ってよ」。

「嫌です。結婚は物の貸し借りじゃありません」自分でも驚くほどはっきり声が出た。父の顔色が変わった。「誰に向かって口を聞いてる。断るなら会社も家も出ていけ。今までの飯代も部屋代も、耳を揃えて返してからな。退職金なんか1円も出さん」。私は自分の手を見た。妹の学費を稼いだ手。祖母を介護した手。会社の帳簿を閉める手。この家で私は、手としてしか扱われてこなかった。

追い詰められた理屈の上に、それでも小さな明かりが灯った。なら逆に考えよう。この縁談は、この家を出られる唯一の扉かもしれない。それにあの人のことがあった。辱められても声を荒げなかったあの静かな人。家族の誰もあの人に詫びる気などないなら、誰かが詫びなければならない。そしてもう一つ、意地のような計算も確かにあった。この人たちは私が出て行っても会社が回ると思っている。ならば一度、私のいない机を見てみればいい。

「わかりました。私が行きます」私は頭を下げた。父は満足そうに鼻を鳴らした。リナは「決まりね。じゃあ私、友達と約束あるから」と、財布だけ持って出ていった。姉の結婚が決まった夜に、それ以上の関心は1秒もなかった。

顔合わせの前の晩、大隅さんから私の携帯に電話があった。「みつきさん、妙な話に巻き込んですまんかったな。1つだけ言うとく。神谷君はわしが40年で見た中で一番の男じゃ。会って、あんたの目で確かめなさい」。あんたの目で。この家で私の目に何かを委ねてくれた人は、祖母の他に初めてだった。

約束の日、私は謝るためだけに喫茶店へ向かった。神谷さんは灰色の背広で先に来ていた。私が頭を下げようとすると、彼は手のひらで制した。「先に言わせてください。あなたが謝ることではありません。妹さんが断ったことも責める気はありません。合わない縁談は断るものです。ただ、お父さんからのお話は気になっています。あなたはこの話を望んでいますか?」

望んでいるか。この18年、誰にも聞かれたことのない問いだった。返事に詰まった私に、神谷さんは続けた。「望まない結婚をする必要はありません。お家の事情で断りにくいのなら、俺から断ったことにします。角はこちらで引き受けます」。この人は辱められて追い返された側なのに、身代わりに差し出された私の逃げ道の心配をしている。「どうしてそこまでしてくださるんですか?」「人を値札で測る家を知っているからです」神谷さんは窓の外の通りを見た。「俺は工場の人間です。うちの製品は、現場で働く人がいるから客先に届く。それを誇りに思っています。でも、作業着というだけで値段を下げて見る人はいる。あなたはあの席で、そういう目をしていなかった」。

見られていたのは私の方だった。末席でお茶を注いでいただけの私を、この人はちゃんと見ていた。運ばれてきたコーヒーに、神谷さんは店員さんへ「ありがとうございます」と頭を下げた。リナが鼻で笑った作業着の男は、私の家の誰よりも人に礼を言う人だった。店を出る時、神谷さんは私の分の伝票へ先に手を伸ばして、それから思い直したように言った。「割り勘にしましょうか。対等な話をした日ですから」。おかしな理屈だった。でも、その理屈が嬉しかった。断るつもりだった縁談を、私は断らないまま持ち帰った。

それから私たちは月に何度か会うようになった。神谷さんの話はいつも現場から始まった。従業員の名前が次から次へと出てくる。一人一人の顔まで浮かんでいるような話しぶりだった。「一緒に働いている人の名前を忘れたら終わりですよ」。私は神谷さんに、18年一人で経理を回してきた話をした。「それは大変だったでしょう」。その一言を、私は生まれて初めて他人からもらった。目の奥が熱くなるのを、コーヒーをすすってごまかした。

夏の終わり、神谷さんは伊前を正していった。「身代わりでも命令でもなく、あなたの意思で決めてもらえませんか?」私は頷いた。「ただ1つだけ約束してください」神谷さんは私の目をまっすぐ見た。「あなたのご家族が何を言っても、あなたの値段をあなたが下げないこと。それだけです」。私の値段を私が下げない。36年分の値札を、この人は一言で剥がしにかかった。

正式な結婚の報告を実家で行った時、父は新聞をめくりながら言った。「そうか。縁談を片付けたのなら、お前の役目は終わりだな。月末で会社をやめてもらう。今後、人前で藤原誠の名を出すな。貧乏工場の嫁が身内だと知れたら恥だからな」。退職金を求める私に、父は吐き捨てた。「お前この家にいくら世話になったと思ってる? 家に入れさせた生活費と相殺だ。文句があるなら弁護士でも呼んでみろ」。相殺。毎月8万円、18年で1700万円を超える金を受け取っておいて、この人は相殺という言葉を使う。

最終出社の日、後任の井口さんが不思議そうな顔をした。「藤原さん、この2年前からの決算の綴り、どこにありますか?」「それは社長の管轄なの。私も触らせてもらえなかった」「経理なのにですか?」その顔が妙に記憶に残った。帰りは現場の人たちが門のところに集まってくれた。工場長の田島さんが油の染み付いた作業着で小さな花束をくれた。「経理さんがおらんくなると困るんだがな」「皆さんの給料は、締めを間違えない人が計算しますから大丈夫です」。冗談のつもりだったのに、田島さんは笑わなかった。「あんたの心配をしとるんだよ。体を大事にな」。18年で一番の労いの言葉が、親からではなく現場から出た。

会社を出たその足で、私は銀行へ寄った。祖母が生前、私にだけ教えてくれた。「みつきの名前で定期を積んである。300万。嫁に行く時に持っていきなさい」。通帳と印鑑は、なくすといけないからと父が預かっていた。窓口で手続きを頼むと、係りの人は困った顔になった。「藤原みつき様名義の定期預金は、2年前に解約されています」。委任状には、私の書いた覚えのない字が並んでいた。その晩、母に聞くと、母は悪びれもしなかった。「ああ、あれね。おばあちゃんのお金は家族のお金でしょ。名義なんて、髪の上の話じゃないの」。隣でリナが口を挟んだ。「300万ぐらいでガタガタ言わないでよ」。

数日後、私は市の法律相談で紹介された早川さんという弁護士を訪ねた。48歳の物腰の柔らかい女性だった。「感情で動くと負けます。まず銀行に取引記録の開示を求めましょう。誰が、いつ、どんな書類で解約したか。記録を揃えてから動くんです」。ついでに退職金のことも聞いた。「勤続年数なら、会社の規定次第ですが、100万や200万では済まないこともある話です。生活費との相殺という理屈は、まず通りません。これも記録を揃えましょう」。200万、あるいはそれ以上。父が1円も出さんと言い捨てた退職金の大きさを、私はその時初めて知った。

私たちは入籍した。新居は神谷さんの工場から歩いて15分の古いアパート。入籍の知らせを聞きつけて立ち寄った母とリナは、玄関先で家を見上げて遠慮もなく笑った。「思ったより質素なのね。やっぱり工場勤めじゃこんなものかしら」。リナは「お姉ちゃん、やっぱりハズレ引いたじゃん。ウケる」と笑った。お茶の1杯も出す間のない、ほんの数分の訪問だった。神谷さんは怒るでもなく、湯のみを2つ食卓に置いた。「怒らないんですか?」「怒る値打ちのある言葉と、ない言葉があります。今のは、ない方です」。

結婚してから知ったことがいくつもある。神谷さんは私より先に起きて味噌汁を作る。休みの日には工場の若い人がよく家に来て、縁側で図面を広げる。「社長、ちょっと図面を見てもらえますか?」町工場の親方はみんな社長と呼ばれるものだから、私はそれを気に留めなかった。ある晩、神谷さんは通帳と印鑑を私の前に置いた。「うちの家計、預かってもらえませんか? あなたの方が俺より確かだ」。通帳と印鑑を取り上げられて育った私に、この人は両方を差し出した。手が震えたのを覚えている。

「みつきさん、経理の資格、取り直してみませんか?」ある晩、神谷さんは検定の案内を食卓に置いた。「私、もう36ですよ。今更」「君が家族に評価されなかったことと、君に能力がないことは別だ」。神谷さんは当たり前のことのように言った。「18年の実務がある人が評価されない道理はない。勉強の時間は、俺が家のことをやって作ります」。その夜、私は久しぶりに自分のためだけにペンを持った。

神谷さんの会社のことは、実は深く聞いていなかった。工場を経営していること、従業員を大切にしていること。私にはそれで十分だった。肩書きで人を測る家を出てきた私が、夫を肩書きで測ってどうするのか。だから神谷製作という社名を聞いても、よくある名前だとしか思っていなかった。神谷さんには不思議なところもあった。夜遅い時間に電話が鳴る。「ああ、うん。北の工場の乾燥炉な。無理に回すな。明日俺が見る。いや、飛行機で行くから」。飛行機で行く工場とは、どこの工場だろう。遠くにもお仕事があるんですね。「付き合いの長い現場があちこちにありましてね」。嘘ではない。ただ、全部でもない。

その秋、リナのSNSが騒がしくなった。「ついにオーナーになりました」。白い内装のエステサロンの写真。働いたことのないリナが店を持った。開業のお金はどこから出たのだろう。画面を見ながら、経理の頭が勝手に勘定を弾き始めるのを止められなかった。冬の初め、田島さんから電話があった。会社は良くないらしい。「あんたの後に入った井口さんって子が、引き継ぎの数字が合わんと頭を抱えとる。前からそうだったのかい?」「いいえ。私が渡した帳簿は、最後まで合っていました」「だよな。あんたの帳簿が合わんかったことは、1度もなかった」。

電話を切ってから、私は在職中の風景を思い返していた。閉められた社長室の扉。父が持ち帰る書類の鞄。触らせてもらえなかった決算。リナの毎月30万円。消えた300万円。書いた覚えのない委任状。バラバラだった違和感の粒が、ゆっくりと一つの方向へ転がり始めている。父は何かを隠している。そして、それを隠すのに数字の読める私は邪魔だったのではないか。年が開けてすぐ、神谷さんが言った。「みつきさん、うちの工場を1度ちゃんと見てもらえませんか」。歩いて15分のいつもの工場だと思っていた。連れて行かれたのは、車でしばらく走った先の、見たこともない大きな敷地だった。門に掲げられた看板に、私は足を止めた。

神谷製作グループ中央工場。

工場の中は天井が高く、機械の列がどこまでも続いていた。すれ違う人が次々に立ち止まって挨拶をしていく。「社長、おはようございます」。町工場の親方の呼び名だと思っていたその言葉が、この規模の建物の中で繰り返されている。事務室の廊下に日本地図が張ってあった。赤い印が北から南まで、数えて15。「これ、全部うちの製造拠点です」。私がよくある名前だと思っていた神谷製作は、業界の人間なら誰でも知る会社だった。知らなかったのは、机の伝票の外を知らされずに来た私と、調べもしなかったあの家族だけだ。

「隠していたわけではないんです。聞かれたらいつでも答えるつもりでした」神谷さんは地図の前で姿勢を正した。「ただ、名乗ると人が変わるんです。銀行も取引先も縁談の相手も、会社の名前を聞いた瞬間、みんな目の色が変わる。俺は、名前を見ないで俺を見てくれる人と一緒になりたかった」。縁談の席で社名を言わなかった理由。それは私が給与明細を捨てられないのと同じ、この人の性だった。「怒っていますか?」「いいえ。会社が大きくても、あなたはあなたでしょう。味噌汁の日加減も道具の手入れも、何も変わらないもの」。神谷さんは目を見開いて、それから声を出して笑った。「大隅さんが言ってた通りだ。あんたの目は確かだって」。

その晩、リナのSNSを久しぶりに開いた。「うちのサロン、雑誌に載るかも」。輝くような笑顔の下に、見覚えのある白い内装が映っていた。この姉妹の冬は、静かに明暗を分けようとしていた。

2月の半ば、実家から電話が鳴り始めた。最初は母だった。「あなた、暇でしょ? 会社に戻って経理を手伝いなさい。井口さんとかいう子がやめたのよ。数字が合わないの何だのって。失礼な子。とにかく戻りなさい。ああ、お給料は出せないから。家族なんだから当然でしょ。無給で戻れ」。お断りします。私はもう藤原成功の人間ではありません。数日後の電話は父だった。「金を貸せ。2000万でいい。旦那の稼ぎがあるだろう。貧乏工場でも命の金ぐらい絞れるはずだ」お父さん、会社に何があったんですか?「お前が知る必要はない。いいから金の工面をしろ。娘だろうが」。目都合のいい時だけ、その言葉が出てくる。お断りします。それと、私の祖母の300万、あれはどうなったんですか?一瞬、受話器の向こうが黙った。「ケチな女だ。誰に似たんだか」。電話は切れた。

3月の初め、母とリナが揃って家に押しかけてきた。玄関を開けるなり、母は上がり込んだ。「みつき、あなた、育ててもらった恩を忘れたの? 実家が大変な時に知らんぷりする娘がどこにいるの?」「サロンの資金はどこから出ているんですか?」私が声を低くして聞くと、母の目が泳いだ。「そんなこと、あなたに関係ないでしょう」。道具のくせに、道具らしくしなさいよ。長年言われ続けた言葉の、一番剥き出しの形だった。不思議なほど心は揺れなかった。むしろはっきりした。この人たちは最後までこうなのだ。「その取り柄は、この家を出た日に置いてきました。お引き取りください」。母は捨て台詞を残し、リナは「ケチ」と吐き捨てて帰っていった。

そして3月の末、田島さんから短い電話が来た。「社長が会社を売るそうだ」。4月の半ばにはもう契約が済んだと聞いた。相手は都内の持ち株会社。「契約が済んだ晩、神谷さんが伊前を正した。「みつきさん、話があります。藤原成功を引き受けたのは、うちのグループです」。息が止まった。「大隅さんから相談があったんです。藤原の現場と技術は本物だ。潰すには惜しいと。調査させたら、その通りだった。現場はいい仕事をしています。ただ、先に言っておきます。君の実家だからと言って特別扱いはできない。経営については、決めるべきことを決めます」。「それでいいわ。お父さんたちのことは庇わなくていい。ただ、あの会社で真面目に働いてきた人たちだけは守ってほしい。田島さんたちは何も悪くないの」「約束します。それが引き受けた理由ですから。それと、もう1つ。買収の前の調査で、妙なものがいくつも出ています。明日、先方への挨拶と説明の場がある。君にも同席してほしい」「私にですか?」「ええ、君に関わることも含まれていますから」。

翌朝、藤原成功の会議室には父と母とリナが揃っていた。新しい親会社への顔通しだと、父が家族を連れ込んだのだ。「戦略的に家族経営の温かさを見せるんだ。お前たちは笑っていればいい」。廊下まで父の声が漏れていた。私が親会社側に用意された席に着くと、リナが眉をひそめた。「は? なんであんたがここにいるのよ」「親会社の同席者です」。9時ちょうど、扉が開いた。担当者に続いて入ってきたのは、濃紺のスーツを着た神谷さんだった。「本日から藤原成功の親会社となります。神谷製作グループ代表の神谷です」。父の顔が途中で止まった。笑顔の形のまま、筋肉だけが凍っていく。リナの手からスマートフォンが滑り落ちた。母は口を開けたまま、神谷さんと私を交互に見ている。「え、嘘だって。あんた、工場の作業員って」「工場へは毎日出ています。それがうちの会社のやり方ですので」。1年前、この家の全員が辱めて断った人。私は初めて自分から口を開いた。「私の夫です」。

神谷さんは、私の手から資料を受け取り、静かに口を開いた。「ご紹介します。当社側の同行者、神谷みつき。私の妻で、この会社の帳簿を18年閉めてきた人です」。その後の調査報告は、淡々と進められた。リナのサロンへの広告費3年間で計600万円余り。広告の実績が確認できない。母が代表を務める会社への事務所代。月20万円。その住所にあるのはご自宅。リナへの給与、月30万円が9年間。出勤の記録が1日分も見つからない。「うちのやり方に口を出すな!」父が机を叩いた。「昨日まではそうだったかもしれません。本日からは当社の子会社です」担当者は淡々と続けた。そして、これが一番の問題です。「3年前の信用金庫からの借入れ4000万円。会社が返せなければ代わりに払わされる連帯保証人の書類です」。

差し出された書類を見て、私は自分の目を疑った。藤原みつき。私の名前が、私の字ではない字で書かれ、私の実印が押されていた。「みつき様、この署名はご本人のものですか?」「違います。私は署名していません。それに取締まり役って何のことですか? 私は18年、ただの事務員でした」帳簿の上では、3年前から取締まり役。私は知らない間に役員にされ、会社の借金の保証人にされていた。知らない借金の、知らない保証人。私が身代わりにされていたのは、縁談だけではなかったのだ。手が冷たくなっていくのが自分で分かった。

休憩の後、再開された報告の最後に、神谷さんが新しい資料を私の前に滑らせた。「みつきさん、あなたの給与の話です。この会社が銀行に出していた決算の書類。その内訳です。役員報酬、藤原みつき、年600万円」。声がかれた。「私の給料は月15万円です。年にして180万円。600万円なんて1度も」「ええ、分かっています。帳簿の上のあなたは、年600万円を受け取る役員でした。実際の振り込みは180万円。差額は毎年420万円。3年で1200万円を超える金が、あなたに支払われた形を取って、どこかへ消えています」。外に見せる帳簿と中の帳簿。二重帳簿だ。経理として、これほど侮辱的な話はなかった。私の名前が、私の知らないところで金を抜く道具に使われていた。「18年分を一度に原本で示せるものが、会社の側にはない。そこでです」神谷さんは私の風呂敷包みを見た。「みつきさん、あなたの記録を見せてもらえますか」。

私は結び目を解いた。古いファイル。18年分の給与明細と給与証明書。日焼けして角が丸くなっている。「会社が年に1度くれる給料の証明書です。入社の年から全部あります。毎年、定規で穴を開けて、順番に閉じてあります。捨てられないんです」。担当者が手袋をはめて1枚ずつ確かめていく。「支払い金額180万円。前年も、その前も。最後の年は退職の月までの分だけ。帳簿のある3年分のどれも、決算書類の600万円とは一致しません。用紙の年式も日焼けの具合も連続していて、後からまとめて作られたものとは考えられません」。地味な事務が性で閉じ続けた紙の束。それが父の帳簿を突き崩す刃になった瞬間だった。

「当社の結論を申し上げます」神谷さんは綴りを閉じた。「藤原社長個人、ご家族、そしてご家族の関連会社に結ばれている契約は、今月で全て終了します。勤務の実態のないリナ様への給与は退職の手続きへ。サロンへの広告費、みつき様の会社への家賃、役員報酬とは別に藤原社長個人へ払われていた顧問料も、解消へ。全てです。従業員の雇用と取引先との仕事は、全て守ります。終了するのは、あなたのご家族に流れていた分だけです」。「そ、その分の金がなければ、うちはどうやって暮らせと」「働いて暮らすんです。皆さんそうしています」。神谷さんの答えはそれだけだった。「家族の会社を乗っ取る気か」父の怒鳴り声が会議室の窓を震わせた。神谷さんは動じなかった。「従業員と技術を守るためにこの会社を引き受けました。あなたの財産と地位を守るためではありません」。

「1年前、工場勤務の男は釣り合わないと言いました。釣り合っていなかったのは、お父さんの帳簿と現実の方です」。これが、私が最後に父に伝えた言葉だった。会議が終わり廊下に出た時、リナが神谷さんの前に回り込んだ。「ねえ、おかしいでしょ、こんなの。だってそもそも、あんたと結婚するはずだったのは私なのよ。今からでも私と結婚し直せばいいでしょ。妹の私の方が若いし綺麗だし。お姉ちゃんもその方が……」「お断りします」神谷さんは即答した。「あなたが縁談を断ったこと自体を責めてはいません。合わない相手を断るのは当然の権利です。じゃあ、俺が軽蔑しているのは、人を職業だけで辱めたことと、断った縁談にお姉さんを身代わりとして差し出して笑っていたことです。みつきはあなたの代わりではありません。俺が結婚したかったのは、最初からみつきただ1人です」。

その夜は久しぶりに夢も見ずに眠った。朝目が覚めると、枕元のスマートフォンが震え続けていた。父から32件、母から27件、リナから21件。合わせて80件。メッセージも溢れていた。「今すぐ電話しろ」「どうして夫の正体を黙っていたの?」「返してよ」。この間まで私を道具と呼んでいた人たちだ。私は電源のボタンを長押しした。画面がすっと暗くなる。「今朝は静かにご飯を食べたいわ」「それがいい。今日の味噌汁は豆腐とわかめです」。湯気の向こうで、神谷さんが笑った。食卓についた。豆腐とわかめの味噌汁、炊きたてのご飯、ぬか漬けの音。80件の着信より、1杯の味噌汁の方がずっと重い。そういう暮らしを、私はもう知ってしまった。

3日後、実家の3人は揃って家に押しかけてきた。チャイムが連打され、ドアを叩く音が響く。「みつき、いるんだろう。開けろ」。扉を開ける前に、1度だけ深呼吸をした。怖くはなかった。36年分の言葉を、やっと言える朝が来ただけだ。「直さんに言え。会長を解任しろと。お前が言えば聞くんだろう」「言いません」。母が金切り声をあげた。「親不幸もいい加減にしなさい! 家族を見捨てる気なの?」「見捨てられていたのは、私の方です。お父さんたちが私にくれたのは愛情ではなく命令でした。働け。我慢しろ。金を入れろ。妹の代わりに嫁げ。全部命令でした。私はもう、あなたたちの都合のために生きません。お引き取りください。今後のご連絡は、こちらの弁護士を通してください」。私は早川さんの事務所の名刺を差し出した。「せめて、リナのお店だけでも直さんに頼んでよ」母の語気が、途中から泣き落としに変わった。「あんたのせいで、リナのお店が潰れるのよ。姉のくせに」「あの店は、会社から抜いたお金でできていたんです。潰れるんじゃありません。元に戻るだけです」。私はドアを閉めた。鍵をかけた。向こうの叫び声は、もう言葉として届かなかった。やがてそれも途切れた。

それから、早川さんの反撃が始まった。定期預金300万円については、無断解約の記録を添えて返還を求めた。委任状の筆跡と印影の写し、解約金の行き先、全部揃っていた。残業代は時効で消えていない分に絞って請求した。それだけでもおよそ120万円になった。退職金はあえて請求しなかった。働いた時間の対価である残業代と違って、退職金は規定の解釈一つで額の膨らむお金だ。今の藤原成功に余計に払わせれば、周り回って神谷さんの世話になる。それは私の性が許さなかった。連帯保証契約については、署名が私の筆跡ではなく、実印は会社で預かると言って父の手にあったものが私に無断で押されたのだと示して、向こうの確認を求める手続きに入った。実印と印鑑登録カードの無断使用については警察に相談し、記録を残した。書類が届いた週を境に、実家からの電話はぴたりと止んだ。怒鳴り声という通貨が、あの人たちの手元で初めて使えなくなったのだ。

「全部終わりましたね」「ええ、終わらせました。あとは始めるだけ」。夜、神谷さんが湯のみを2つ持ってきた。

それから1年が過ぎた。父は臨時の株主総会で正式に経営から退いた。無断で載せられていた私の取締まり役の登記も、4000万円の連帯保証も、署名が偽物と認められて消えた。自宅と車を手放したらしい。田島さんは言った。「前の社長がいなくなって会社は困っとるかって? それがなあ、経理さん。新しい体制になってから、残業代がきちんと出るようになった。若いのも戻ってきた。妙な話だが、会社は前より元気だ」。父の口癖は「俺がいなければ会社は回らない」だった。回らなかったのは会社ではなく、父の勘定の方だった。

母は家を出て、郊外の古いアパートに移ったそうだ。一度だけ、知らない番号から連絡が来た。「少しでいいの。生活費を送ってちょうだい。昔は家族みんなで助け合ったでしょう」。私は一度だけ返事を書いた。「助け合った記憶はありません。私だけが助けていました」。それきり、その番号を着信拒否にした。リナのサロンは、広告費が止まって3ヶ月で閉店した。車とバッグを売っても借金が残り、最後に届いたメッセージはリナらしいものだった。「お姉ちゃんが離婚すれば、全部うまくいくのに」。返事はしなかった。リナは今、小さな会社で事務をしているらしい。朝起きて電車に乗って、自分の給料で家賃を払う。私が18年やってきたことを、あの子は30を過ぎて初めて始めた。遅くはない。誰の代わりでもない自分の人生を、あの子も一行ずつ書いていけばいい。

300万円は、自宅を手放した父から分割で戻り、祖母の遺言通りの使い道にした。「嫁に行く時に持っていきなさい」。そう言われていたお金だ。何年か遅れたけれど、私はあれを自分の足で立つために持っていく。私はといえば、小さな事務所を開いた。町工場のための経理の支援事務所だ。資金繰りの相談、帳簿の整理、銀行に出す書類の作り方。父の会社で評価されなかった18年が、今は看板になっている。開業の資金は神谷さんに借りなかった。退職金代わりに取り戻したお金と、自分の貯金で始めた。初めてのお客さんは藤原成功だった。「経理さんに頼むのが一番安心だからな」。田島さんたち現場の人がそう言って、書類を持ってきてくれる。井口さんも今は藤原成功に戻って、経理の机に座っている。

事務所の壁には、額を1つかけている。中身は賞状でも資格でもない、祖母の写真だ。ちゃんと見とる人はおる。迷いそうな日は、その言葉を思い出してから具を弾く。先週、私は神谷さんと藤原成功の新しい工場を見に行った。神谷さんはいつもの作業着だった。「社長なのに、どうしていつも現場へ来るんですか?」若い従業員に聞かれて、神谷さんより先に私が笑ってしまった。「この人は、最初から工場で働くことを誇りにしているからですよ」「そのおかげで、みつきと出会えたからね」。帰り道、夕日が機械の列をオレンジ色に染めていた。あの家の人たちは2年前、工場勤務の男は妹には釣り合わないと言った。でも、人の価値は肩書きや服装では決まらない。それを教えてくれたのは、作業着のまま頭を下げられるこの人だった。妹の代わりに嫁げと命じられた私だけれど、この結婚を選び直したのは私自身だ。

事務所の名前は「みつき経理事務所」。誰の代わりでもない、自分の名前を看板に出した。私は誰かの代用品でも、誰かの付属品でもない。自分の帳簿を自分の手で締めながら、これからも自分の人生を生きていきたい。

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