「会社の外になるやつはいらない。さっさと出ていけ」
専務の言葉に、私は静かに頷いた。六十歳の私が、居酒屋でアルバイトとして働き始めて数ヶ月。まさか、こんな形でこの店を去ることになるとは思っていなかった。
「分かりました。会社の外になるやつはいらない——その意見、私も賛成です」
私はそう言って、事務所を後にした。
かつて私は、全国に名を知られた大手IT企業で働いていた。定年は六十歳。先日、その定年を迎えて退職した。仕事一筋だった私には趣味らしい趣味もなく、それでも働き足りないと思っていた。そんな折、前々から興味のあった居酒屋でのアルバイトを始めたのだ。会社員時代、飲み会やプロジェクトの打ち上げ、部下の相談——節目節目で居酒屋に助けられてきた。だから、今度は自分が働く側になりたかった。
居酒屋での仕事は、まさに天職だった。確かに大学生のアルバイトが多いが、私のような中年層も数人いる。店長の清水さんは三十五歳と若いが、明るくて気が利く。何かあれば時間を作って話を聞いてくれる、いい店長だった。職場の雰囲気も良く、私は毎日楽しく働いていた。ただ一点を除いては——。
私の勤める居酒屋は全国チェーンの店舗で、売上は中央本部が管理している。だが私の店は売上が伸び悩み、何度も専務の佐藤が手入れに来ていた。佐藤は清水店長を目の敵にしており、来るたびに怒鳴り散らしていた。
ある日、また専務の怒鳴り声が事務所から聞こえてきた。ドアが開いていたため、中の様子が見える。
「他の店はこの時期売上が伸びてるのに、なんでここだけこんなに伸びが悪いんだろうな」
清水店長は頭を下げながら、何度も謝罪を繰り返していた。
「お前みたいなのが店長やってるから店員に舐められてるんじゃないの? しっかりしてくれよ。お前、店長やる器じゃないんだよ」
頭が膝につきそうなほど深く謝っている店長に対し、佐藤は店長の頭を押さえて罵倒し続けた。
「謝ったからって売上伸びんの? そんな暇あるなら、どうやったら売上が上がるか考えなよ。そんなんで給料もらってんじゃねえよ」
さすがにこれはやりすぎだ。いてもたってもいられず、私は口を挟んでしまった。
「失礼します。お言葉ですが、さすがにやりすぎではないでしょうか」
驚いたように、佐藤の視線が私に向く。
「誰だ、お前は?」
「アルバイトの山本と申します。先ほどから拝見しておりましたが、あなたの店長に対する態度は行きすぎているように見えます。我々は店長のことを馬鹿にしているなど、全く考えておりません。店長は店の雰囲気をよくしようと努めてくれています。店長が給料泥棒という発言、撤回していただけますか?」
そこまで言って、私は専務の言葉を待った。一介のアルバイトが出すぎた真似をしただろうか。だが、これ以上店長が馬鹿にされているのを見ていられなかった。
「なんだお前は。急にでしゃばってきて文句ばかり言いやがって。何もわからないくせに口出ししてくるな」
周りの店員の視線もあり、居心地が悪くなったのか、佐藤は「また来るからな」と言い残して店を去っていった。
「山本さん、助けてくれてありがとうございました」
清水店長は放心状態だった。あんなに罵倒されては、成人男性といえど堪えるだろう。
「いえいえ、いつも店長には助けてもらってますから。こんなことしかできず申し訳ありません。その代わり、今日もバリバリ働きますからね」
右腕で力こぶを作って見せると、店長の顔も少しだけ綻んだように見えた。
「ありがとうございます。今日もよろしくお願いしますね」
その後も佐藤の手入れは続いた。店長への暴言も続き、その度に私が口を挟むのが鬱陶しかったのだろう。佐藤が来た日に私が出勤していると、露骨に嫌そうな顔をするようになった。そして、次第に佐藤の標的は私に向くようになった。
「なんでこんなじいさんがここで働いてるんだよ。じじいなんてどん臭いし、目に入るだけでも邪魔だろ。あんたみたいな人のこと、何て言うか知ってる? 老いって言うんだよ。じじいなんて使えないやつ雇ってるほど余裕ないんだよね。どうせ新しい機械とか入っても使いこなせないじゃん。そんでミスしたら会社の損害になるっておかしくない? ねえ、いつまでここにいるつもりなの?」
よくもまあ、これほど人に対する文句が出てくるものだ。しかも、こんなに人を馬鹿にするような人間が専務を務めているのか。この会社は大丈夫なのかと心配になってくる。専務としてだけでなく、人として尊敬できるところが何一つ見つからない。ただ、店長への当たりが少しだけ軽くなったのは、良かったと言えるだろう。
私も多少は堪えたが、店長よりも年を食っている分、打たれ強くなっているはずだ。少しでも店長の気が楽になっているなら、それでいいと思った。もちろん、清水店長が店長という立場ゆえに佐藤と話している姿を、その後も何度も目にした。
ある日、佐藤が店にやってきた。「店長に話がある」と言う。なぜだか、私もその場にいるように呼び出された。何事だろうか。また私に対する文句であれば、受けてやろうではないか。
事務所に入ると、佐藤は一瞥をくれた後、清水店長の肩に手を回しながら話し始めた。以前の様子とはまるで違い、少し馴れ馴れしい様子にさえ見える。
「清水君、最近頑張ってくれてるようだけど、まだいまいち利益が伸びないね」
気持ち悪い笑みを浮かべながらそう話す佐藤に、清水店長もどう反応したらいいのか分からないようだった。
「ええ……そうですね。すみません」
「いや、今日はそんなに硬くならないでくれ。一つ提案があるんだよ。利益が出ないんだったら、経費を削減すればいいだろう」
佐藤は清水店長の耳元に顔を近づけて、何事か囁いた。その口元が醜く歪む。
「使えないアルバイトなんて、何人か首にしてしまえばいいだろう。何人か減らしたとしても店は回る。それに、使えない年寄りなんて置いてても金と場所の無駄だ。それこそ給料泥棒だよな。会社にとって外になる人間。やめてもらったらどうだ?」
佐藤が私の方に視線をやった。なるほど。私がこの場に同席するように言われたのは、そういうことか。
清水店長は何と言っていいのか困り、私と佐藤の顔を交互に見ている。なぜここまで言われなければならないのだろうか。自分が批判されたことが、そんなに気に食わないのか。ここまで言われては、仕方がない。
「分かりました。そこまで言われるのであれば、もうここにいようとも思いません。店長、申し訳ありませんが、今日でやめさせていただきます。今までお世話になりました」
「さっさと出ていけ」
私は少ない荷物をまとめると、佐藤へ向かって言った。
「会社にとって外になるようなお荷物はやめてもらうという意見。私も賛成です」
「そうだろ。身のほどをわきまえられるようになったんだな」
佐藤は笑いながら、出ていく私の背中に声をかけてきた。清水店長は必死に引き止めてくれたが、もう後には引けなかった。
それから数日後。佐藤のところに、社長の影山から連絡が入った。近いうちに臨時株主総会が開かれるという。その時に資料も渡された。この時期に株主総会なんて珍しいなと思いながら資料をめくり、議題を確認した佐藤は、目を丸くした。
——佐藤務の解任が、提案されていたのだ。
佐藤はなぜ自分が解任されるのかと焦ったが、考えても考えても理由など思い当たらない。それは株主総会当日まで、考え抜いても分からなかった。
株主総会当日。私は会場で佐藤の到着を待っていた。私を見つけた佐藤は驚いた様子で、こちらへ寄ってきた。
「なんでお前がいるんだ。まさか、また文句を言いに来たのか?」
「ご無沙汰しております」
私は佐藤に頭を下げた。そして、告げた。
「私もここの株主なんですよ」
少し考え込んだそぶりを見せた後、ガンをつけた顔で私の方を見てきた。
「さては、今回の私の解任についてもお前の仕業か。お前ごときに何ができるんだ?」
「それができるんですよ」
私は言い、今回の株主総会開催に至った経緯を説明した。実を言うと、会社の代表取締役である影山は、私の古くからの友人である。今回私が解雇されたこともそうだが、普段からの佐藤の態度は目に余るものがあったので、影山に相談したのだ。すると影山の方でも、佐藤の対応には困っていたらしい。他の店舗の店長や社員からも、佐藤に嫌がらせを受けた、暴言を吐かれたという相談が多く寄せられていたのだそうだ。その暴言が私にも及んでいたことを知った影山は、自分の責任だと謝罪し、もう我慢ならない。きっちり対応するということを約束してくれた。
それからの行動は早かった。まず他の取締役と決起し、佐藤には内密に株主総会開催の準備を進めた。私の方からも他の大株主へと話をつけ、総会に出席してくれるか、欠席の場合にも議決権行使は認めてもらえるかの意向を集めたのである。もちろん、佐藤の普段の様子を伝えることも忘れていない。大株主のほとんどが、私たちの意見に賛同してくれたのだ。私たちは万全の準備をし、今日この日を迎えている。
私の話を聞いていた佐藤は、顔を青くして震えていた。
「今回の株主総会、あなたのために開いてもらったんです。楽しんでくださいね」
私は吐き捨てるようにそう言い、会場へと足を運んでいった。
質疑応答の時間では、佐藤からの言い訳も聞かれた。
「私は会社のためを思って行動しただけだ。会社の外になるものを排除して、何が悪い?」
見苦しい言い訳に耳を貸すものは、もはやいなかった。社員からの報告、社長からの説明もあり、議決権の総数に対し過半数以上の賛成が得られた。佐藤務の解任が、決まったのである。
最後に影山が壇上に立った。
「先ほど、あなたは会社の外になるものはいらないと言ったな。ならば、まず会社を去るべきはあなたでしたね」
佐藤は膝から崩れ落ち、その場でしばらく崩れていた。
閉会後、私は影山に礼を言った。
「何、働いているものを守るのも社長の役目だ。何より、友人が困っているのを見過ごすわけにはいかないだろう」
その後、佐藤は正式に会社を辞めた。そして私は、アルバイトしていた店舗に向かっている。やめる際、清水店長にきちんと挨拶ができていなかったためだ。佐藤が解任されたことで、もう店に来ることはないということを、直接伝えてあげたかった。
慣れ親しんだ裏口に立ち、中へ声をかける。まだ開店まで時間があるため、この時間にいるのは店長くらいだろう。やはり中にいたのは清水店長で、私を見つけると駆け寄ってきてくれた。
「山本さん、本当に急にやめてしまうだなんて、ひどいじゃないですか。最近は私がやめたせいで忙しくなってたんですよ」
「すまなかったね」
謝りながら、その後の佐藤解任の話までを清水店長に伝えた。清水店長は、私が大株主であったことや社長と友人であったこと、株主総会でのこと、全てに驚いているようだった。
「山本さん、ただ者じゃないと思ってましたけど、すごい人だったんですね」
「もうあの専務にいびられることはない。安心してください」
そう伝えると、清水店長もほっとしたような顔をしている。すると急に、清水店長の顔が何かひらめいたような表情をした。
「あの、もしよかったら、またうちで働いてくれませんか? 山本さんすごく楽しそうに働いてましたし、山本さんが戻ってきてくれたら、とても助かるんです」
まさか、そんな嬉しい申し出を受けるとは思っていなかった。
「とても嬉しいんですが、それはちょっとできないんです」
少しがっかりした表情を浮かべながら、清水店長は私に尋ねた。
「もう居酒屋で働くの、嫌になっちゃいましたか?」
「実は、社長の影山から、佐藤の後釜として一緒に働いてくれないかと言われていてね。散々悩んだけれど、面白そうだし、その話を受けることにしたんです」
清水店長はまたも驚いた様子だった。店舗のアルバイトから、専務取締役だものな。私だって、そんな話を聞かされたら驚くだろう。
「やっぱり、ただ者じゃないですね」
清水店長の顔は、苦笑いを浮かべている。その後、私たちは込み上げてきた空気を吹き出して、笑い合った。働く場所は変わってしまうが、これからもお互い同じ会社で頑張っていこうと話したのだった。
「今度はお客さんとして、来てくださいね」
清水店長が言った。清水店長がいれば、この店は大丈夫だろう。私は店を後にした。
数日後、私が専務取締役として初めて出勤する日が来た。久しぶりにスーツに袖を通すと、これまでとは違う緊張感が迫ってくるようだ。これまでは店舗でアルバイトとして働いてきた。だが、これからは自分に与えられた仕事、店の中のことだけをこなしていればいいというわけにはいかなくなる。経営にも携わっていくことになるだろう。むしろ、私に期待されているのはそっちがメインなのかもしれない。
経営も大事だが、やはり現場で働く人たちに、楽しんでやりがいを持って働いてもらえる環境にしたい。清水店長のように一生懸命働いている人が、正当な評価を受けられるようになってほしい。両者の架け橋となれるように、これからも私は働いていこう。そう、心に誓ったのだった。



