父が出版する前に、一度その出版社を見てみたいと言った。翌日、会社に行くと、上野編集長が俺にこう言ったんだ。「今日は大切なお客様が来る。お前みたいなバイトは邪魔だから、床の汚れでも舐めて掃除してろ」。まさか、その大切なお客様が俺の父だとは、編集長は知る由もなかった。父がオファーを断って、編集長に一枚の紙を渡したとき、編集長の顔が青ざめた。私は、これまで言われた言葉を全部メモして父に渡していた。…

父が出版する前に、一度その出版社を見てみたいと言った。翌日、会社に行くと、上野編集長が俺にこう言ったんだ。「今日は大切なお客様が来る。お前みたいなバイトは邪魔だから、床の汚れでも舐めて掃除してろ」。まさか、その大切なお客様が俺の父だとは、編集長は知る由もなかった。父がオファーを断って、編集長に一枚の紙を渡したとき、編集長の顔が青ざめた。私は、これまで言われた言葉を全部メモして父に渡していた。...

今日は大切なお客様が来る。お前みたいなバイトにはお呼びがかからないから、邪魔しないでどこかに行ってろ。

上野編集長は、いつものように最低な言葉で俺を追い払おうとした。出版の現場で働きたいと思ってこのバイトを始めたのに、上野編集長は俺に一度もまともな仕事を教えてくれず、雑務ばかりを押し付けてきた。それどころか、顔を合わせるたびに「邪魔だ」「使えない」と罵倒してくる。

それでも俺は我慢していた。他の社員たちも、同じように上野編集長からひどい扱いを受けているのを知っていたからだ。

俺の名前は佐野生吾。父はこの国で有名な小説家だ。俺は子供の頃から父に憧れていて、本に関わる仕事がしたいと思っていた。しかし、明確な目標があるわけではなく、ただなんとなく流されるままに過ごしていた。そんな俺を見かねた父が、出版社のアルバイトを紹介してくれたのだ。

「出版業務も体験できる」という募集の言葉に惹かれて応募した俺は、面接を経て採用された。初出勤の日、出版社のオフィスは妙に重い空気に包まれていた。社員の案内で編集長の上野さんのもとへ行くと、挨拶する間もなく冷たい言葉を浴びせられた。

「バイトに挨拶の時間なんてない。邪魔だけはするな」

最初の出会いから、上野編集長は俺に敵意むき出しだった。後に社員がこっそり教えてくれた。上野編集長は部下にとことん厳しい、みんなが「最低な上司」と呼ぶ人物らしい。

仕事は想像以上に忙しかった。次から次へと雑務が舞い込み、慣れるまで必死だった。少しずつ雑用をこなせるようになっても、上野編集長の嫌がらせは激しくなるばかりだった。

廊下ですれ違えば「邪魔だ。俺の前を歩くな」と言われ、休憩中に社員と話していれば「バイトが社員と話すな。うるさいんだよ」と怒鳴られる。仕事について質問すれば「こんなこともわからないのか」と罵られ、定時を過ぎて残っているだけで「使えないな」と嫌味を言われる。

上野編集長の標的は俺だけではなかった。ある日、女性社員とすれ違ったとき、肩がぶつかった拍子に彼女の持っていた書類が床に散らばった。すると上野編集長は「何やってんだよ」と舌打ちして、そのまま立ち去った。彼女の書類を拾って渡したのは俺だった。

また、ある社員が書類にたった一つの誤字をしたときも、上野編集長はオフィス中に響く声で怒鳴り散らした。「お前は使えない。バカみたいなミスだ。俺をイライラさせるな」。その社員は何度も謝っていたが、上野編集長は「謝るしか脳がないのか」と言い放ち、最後に「お前を見ているとイライラする。どこか行け」と追い払った。

そんな上野編集長の態度には耐えられても、俺にはもう一つ不満があった。募集には「出版業務も体験できる」とあったのに、上野編集長は雑務しか与えてくれない。出版の仕事をしたくて応募したのに、肝心な仕事をさせてもらえない。しかし、社員にこの不満を漏らすこともできず、俺はただ我慢するしかなかった。

そうしてアルバイトを始めて四ヶ月が過ぎた頃、父から「仕事はどうだ」と声をかけられた。

「働いている出版社はどんなところだ?」

父が俺に仕事のことを聞いてくるのは初めてだった。どうやら、父はその出版社から、本を出してほしいというオファーが来たらしい。しかし、父は悩んでいる様子だった。

「信頼のおける会社と仕事をしたいと思ってるんだが、これまで仕事をしたことがないから、中がわからなくてな」

俺は少し迷ったが、正直に答えることにした。

「社員はみんな良い人たちです。でも、編集長がひどい人で。俺の前を歩くなとか、喋るなとか、イライラさせるなって言うんです。みんなから『最低な上司』って呼ばれてます」

俺の話を聞いた父は、目を大きく見開いた。

「そんなひどい編集長がいるのか。オファーは断ることにしよう」

そして、一度その編集長の顔を見てやろう、と言うと、父はどこかに電話をかけ始めた。翌日、父は俺の働く出版社に訪問する予定を入れたのだ。

迎えた翌日、出版社のオフィスはいつもと違って活気に溢れていた。有名な小説家が来るということで、社員たちは準備に大忙し。さらに、出版社の社長まで姿を見せていた。父はよほど重要な人物なのだろう。

そんな中、上野編集長が俺に近寄ってきた。

「今日は大切なお客様が来るんだ。バイトはアホを見せるな。どっか行け」

また嫌味かと思いながらも、俺は仕事があることを伝えた。

「今日のお客様にお前なんか接客させるか。そんなに何かしたいなら、床の汚れを舐め取って綺麗にしておけ」

上野編集長は嫌味ったらしくそう言うと、俺の背中を押して隅の方へ追いやった。

しばらくして、父がやってきた。まず社長が挨拶をし、続いて上野編集長が愛想よく出迎えた。

「初めまして。編集長の上野茂です。先生の本は全て愛読しております。こちらへどうぞ」

父は丁寧に挨拶を返すと、席に着いた。すると、父は社長と上野編集長に切り出した。

「申し訳ございませんが、御社とはお仕事ができそうにありません」

父は、はっきりとオファーを断った。驚く社長と上野編集長。しかし、父はさらに続ける。

「社長、こちらを読み上げてみてください」

父が社長に差し出したのは、一枚の紙だった。社長が読み上げる。

「『俺の前を歩くな、喋るな、イライラさせるなよ。お前は使えない。お前の顔を見ているとイライラする』……これは?」

「上野編集長が、部下の皆さんに言った言葉です」

父の指摘に、上野編集長は必死に否定した。

「そんなことは言っていません! 誰がこんなことを……」

すると父は俺を呼び寄せた。

「生吾、こっちへ来なさい」

俺が父の隣に座ると、社長と上野編集長は驚いた表情を浮かべた。

「いつもお世話になっております。生吾は私の息子なんです」

「私の父です」

俺と父は親子であることを明かした。上野編集長の顔が一気に青ざめる。そして、俺は上野編集長に問いかけた。

「上野編集長、あなたは俺にも、他の社員の皆さんにも、ひどい言葉を言っていましたよね」

「私は息子から全てを聞いているんですよ」

父が追い打ちをかける。しかし、上野編集長は何も言えずに黙り込む。

「上野君、否定しないのか? 否定しないなら、ひどいことを言っていたのは事実なんだね」

社長に詰め寄られ、上野編集長はようやく小さな声で認めた。

「……確かに、そのようなことを言ったことがありました」

「君は部下にそんなことをしていたのか!」

社長は青い顔で怒りを露わにした。どうやら社長は、上野編集長の言動を本当に知らなかったようだ。社長はすぐに俺と父に頭を下げ、謝罪した。

「この度は申し訳ございませんでした。上野については、私どもで対処いたします」

上野編集長も一緒に頭を下げて謝る。しかし、父は言った。

「私ではなく、社員の皆さんに謝るべきではありませんか?」

上野編集長は一瞬、明らかに不愉快そうな顔をしたが、有名な作家である父に逆らえず、立ち上がって社員たちの方を向いた。しかし、震えながら立ったまま、なかなか謝罪の言葉を口にしない。

「上野君、きちんと謝ろう」

社長に促されて、ようやく上野編集長は頭を下げた。

「申し訳ございませんでした」

「もう二度と、社員にひどい言葉をかけないようにしてください」

父の言葉に、上野編集長は背中を丸めて俯いた。普段、馬鹿にしてひどい言葉をかけていた社員たちに謝るのは、よほど屈辱的だったようだ。

父は上野編集長を一瞥し、社長に向き直った。

「今後改善が見られれば、一緒にお仕事をすることもあるかもしれません。しかし、今は違うと思います。それでは、私はここで失礼します」

父は再びオファーを断り、そのまま帰っていった。父の背中が見えなくなると、社長は上野編集長を叱責し始めた。

「君はなんてことをしてくれたんだ!」

「申し訳ございません」

「君のせいで、ベストセラー作家からのオファーを断られてしまったんだぞ。君は出版社の大きなビジネスチャンスを奪ったんだ」

上野編集長はペコペコと頭を下げて謝り続けたが、しばらくすると社長は決意したように宣言した。

「上野君。君を解雇する」

その言葉に、上野編集長は真っ青な顔になった。

「そんな……解雇だなんて……私は反省しました。だから、解雇しないでください!」

上野編集長は社長にすがりついて頼み込んだが、社長は冷たい表情で言い放った。

「君はビジネスチャンスを奪ったんだ。そんな社員を、この会社に置いておくわけにはいかない」

そう言い残して、社長は部署を出ていった。その翌日、役員会議が開かれ、上野編集長は正式に解雇処分が言い渡された。

上野編集長は段ボールに荷物をまとめ、ひっそりと部署を出ていった。声をかける部下は、一人もいなかった。

こうして上野編集長がいなくなった職場は、嘘のように雰囲気が良くなった。新しい編集長は社員がミスしても「次から気をつけてね」と優しく声をかけてくれる。社員同士も、気持ちよく仕事ができるようになったと喜んでいた。俺も毎日仕事を楽しめるようになった。

ある日、いつも仕事を教えてくれていた社員から声をかけられた。

「佐野さん、出版業務も少しやってみる?」

「いいんですか?」

俺は嬉しさで胸が高鳴った。やっと、出版業務を経験できるチャンスが巡ってきたのだ。

こうして、俺は出版業務にも携われるようになった。そして、仕事をこなしていくうちに、明確な目標ができた。将来は出版社に就職することだ。

その目標を実現するために、俺は毎日本を読むなど、意欲的に過ごすようになった。今では、絶対に目標を実現するぞという気持ちで、バイトにも前向きに取り組んでいる。

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