「こちらがお席になります」
その言葉を聞いた瞬間、私は自分の目を疑いました。孫の結婚式、人生で最も幸せな瞬間のはずなのに、なぜ私がこんな席に?
朝から着物を整え、亡き夫の仏壇に手を合わせてから家を出ました。会場は都内でも有名な高級ホテル。受付で名前を告げると、スタッフが困った顔をしました。
「申し訳ございません。篠原信子様のお名前がリストに見当たらないのですが」
私は微笑みました。「祖母ですから、どこかに載っているはずですよ」
やがて別のスタッフが慌てて私を会場の隅へ案内しました。指差した先に信じられない光景が広がっていました。トイレのドアがすぐ横に見える、会場の最も端の席。まるで私という存在を隠すかのような場所でした。
正面の主賓席には、嫁・彩子さんの両親が堂々と座っていました。花で美しく飾られた席で楽しそうに談笑しています。この差は何なのでしょう。45年前に夫を病気で亡くし、女手ひとつで息子の安弘を育ててきた私。薬剤師として朝早くから夜遅くまで働き、息子には何不自由ない生活をさせようと必死でした。大学の学費も全て私が負担しました。結婚する際には1000万円、マイホーム購入時には頭金として2000万円、孫が生まれてからは教育資金としてこれまでに500万円以上を渡してきました。
それなのにこの扱い。私は深くため息をつきました。でも今日は孫の晴れの日。自分にそう言い聞かせながら、トイレのドアが開く音を聞いていました。
式が始まって30分ほど経った頃、息子がやってきました。席の間違いを詫びに来たのかと思いましたが、彼の口から出た言葉は予想外でした。
「母さん、できるだけそこに座っててくれる? あまり目立たないようにしてほしいんだ」
「安弘、どういう意味?」
「彩子の親戚の手前もあるし、母さんがあまり前に出ると向こうの親族が気を悪くするかもしれないから」
胸が締めつけられる思いでした。私はただ孫の晴れ姿を見に来ただけなのに。「わかったわ」と静かに答えました。息子はほっとした顔で主賓席へ戻っていきました。
しばらくして今度は彩子さんが来ました。小声で話し始めます。
「お母さん、トイレの匂いが気になるようでしたら、外で待っていてもらってもいいですよ。式の様子は後で写真を見せますから」
「彩子さん、私は孫の式を直接見たいだけなの。匂いなんて気にしていないわ」
彩子さんの言葉には、明らかに私を追い出したいという意図が感じられました。彼女は不満な顔をして立ち去りました。
披露宴が始まり新郎新婦が入場。孫の晴れ姿を見て涙が込み上げました。あの小さかった子がこんなに立派になって。しかしその感動も束の間でした。
お祝いを伝えようと孫のもとへ歩いていくと、彼は友人たちと楽しそうに話していました。
「おめでとう」
「あ、え、どちら様でしたっけ?」
私は凍りつきました。まさか孫が私を忘れているなんて。友人が「おばあちゃんじゃない?」と言うと、孫はようやく思い出した顔をしました。
「あ、父さん方のおばあちゃん、来てたんだ」
その冷たさに言葉を失いました。幼い頃はあんなに甘えてきたのに。お祝いを渡そうとすると「後で親父に渡しといて。今忙しいから」と言われ、再び友人たちの会話へ戻っていきました。
疲れた足取りで席へ戻ると、家族写真の撮影が始まりました。「ご両家の親族の皆様、お集まりください」とカメラマンが声をかけます。私も立ち上がろうとしたその時、息子が走ってきました。
「母さん、ちょっと待って。これは両家の主要メンバーだけだから」
「でも私も家族でしょう」
「もちろんそうだけど、人数の関係で後で別に取るから」
結局その後、撮られることはありませんでした。私は最後まで家族写真に入れず、ただ遠くから見ているだけでした。
披露宴も後半に差しかかり、私はもう限界でした。この仕打ちは一体何なのか。35年間必死に働き、息子の幸せだけを考えて生きてきた私の人生は、トイレ横の席程度の価値しかないのか。涙をこらえていると、隣の席の方が優しく声をかけてくれました。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いようですが」
「ありがとうございます。少し疲れただけです」
本当は疲れたのではありません。心が深く傷ついていたのです。
披露宴の終盤、私はトイレに立ちました。これほど屈辱的な席でしたが、皮肉なことにトイレだけは近く便利でした。手を洗って出ようとした時、廊下から聞き覚えのある声が聞こえてきました。息子と彩子さんの声です。私は思わず足を止めてしまいました。
「あの人、まだ生きてるんだから面倒よね」彩子さんの声でした。
「仕方ないだろ。でも今日は来なくても良かったのに」息子の返事に息をのみました。
「本当よ。トイレ横の席でも文句言わないから楽だけど。存在自体が恥ずかしいわ。私の親戚にあんな地味な人が義母だなんて知られたくない」
「彩子、声が大きいよ。でも確かに母さんは空気が読めないところがあるからな。今日も勝手に孝也に話しかけに行ってたし」
私は個室の中で体が震えるのを感じました。存在自体が恥ずかしい。その言葉が胸に突き刺さりました。
「相続の件はちゃんと確認してるの?」彩子が話題を変えました。
「あ、母さんの財産のことか。この前それとなく聞いたら土地と預金で8000万くらいはあるはずだ」
「8000万。それだけあれば老後は本当に安心ね」
「まあ、母さんももう75だし、そう長くはないだろう。相続の時まで大人しくしててくれればいいんだが」
「あなた、遺言書とか書かせた方がいいんじゃない? 変な団体とかに寄付されたら困るし」
「それは大丈夫だろう。母さんは俺しか頼りがいがないんだから。全部俺に来るはずさ」
「でも念のためもう少し優しくしておいた方がいいかもね。月に1回くらいは顔を見せて機嫌を取っておかないと」
「面倒だけど8000万のためなら我慢するか」
2人は笑い声をあげました。その笑い声を聞きながら、私は涙を流していました。息子にとって私はただのATMでしかなかったのです。愛情でも感謝でも尊敬でもない。ただお金を引き出すための道具。それが私という存在の意味だったのです。
「そろそろ戻ろう。さすがに俺たちがいないと気づかれる」息子の声です。「そうね。ああ、今日の式本当に良かったわ。あなたのお母さん以外はね」
2人の足音が遠ざかっていきました。私はしばらくトイレから出ることができませんでした。
45年前、夫を亡くした時、幼い安弘を抱きしめて誓ったことを思い出しました。この子のために精一杯生きる。朝5時に起きて弁当を作り、夜遅くまで薬局で働き、息子の幸せだけを考えて生きてきました。大学受験の時は徹夜で勉強する安弘をそばで支え、就職が決まった時は2人で泣いて喜び、結婚が決まった時は心から祝福しました。全て息子の幸せを願ってのことでした。
でもそれらは全て、息子にとっては当たり前のことだったのでしょう。いや、もしかしたら迷惑だったのかもしれません。私は鏡に映った自分の顔を見ました。確かに地味で華やかさはありません。でもこの顔は、息子のために必死に生きてきた証です。その証を「恥ずかしい」と言われたことが、何より辛かったのです。
席に戻るとちょうど新郎新婦の退場の時間でした。幸せそうな2人の姿を見ながら、私は静かに決意しました。私はただのATMではない。1人の人間として尊厳を持って生きる権利がある。そして私を道具としか見ない人間に、私の財産を渡す気はありません。
その瞬間、私の中で何かが音を立てて崩れました。それは息子への盲目的な愛情だったのかもしれません。代わりに芽生えたのは、自分自身を大切にするという当たり前の感情でした。
新郎新婦が退場し、会場が少しざわついている中、私は静かに立ち上がりました。もうこの場所に一秒たりともいたくありませんでした。バッグを手に取り、誰にも気づかれないようそっと会場を後にしました。
ホテルのロビーに出ると深く息を吸い込みました。タクシーに乗り込み、運転手に告げます。
「千代田区の三山法律事務所までお願いします」
「今日は土曜日ですが、開いていますか?」
「事前に連絡を入れてあります」
三山弁護士は亡き夫の学生時代からの友人で、長年私の顧問弁護士を務めてくださっています。今朝、向かう前にもしかしたら急ぎの相談があるかもしれませんと連絡を入れていたのです。何か嫌な予感がしていたのでしょう。
事務所に着くと、三山弁護士が休日にも関わらず待っていてくれました。「結婚式はどうでしたか?」私は静かに首を振り、今日起きたことを全て話しました。トイレ横の席のこと、息子夫婦の態度、そして聞いてしまった会話のこと。三山弁護士は黙って聞いていましたが、話が終わると深いため息をつきました。
「篠原さん、大変お辛い思いをされましたね。で、どうされたいのですか?」
「遺言書を作成したいのです。今すぐに」
財産の全てを息子夫婦以外に残したい。でもそれは感情的な仕返しではありません。私の財産を本当に必要としている人のために使いたいのです。
三山弁護士は頷きました。「法的に有効な遺言書を作成しましょう。財産内容を確認させてください」
私は用意していた書類を取り出しました。土地の権利書、銀行の通帳、証券会社の取引残高報告書。全て合わせると確かに8000万円を超える資産がありました。
「まず土地の3000万円相当ですが、これは弟の子供たちに均等に分けたいと思います。弟は夫が単身赴任の時も一人で頑張って、時々私の様子を見に来てくれる優しい子です」
「わかりました」
「次は預金の2000万円は児童養護施設に寄付します。親を早く亡くした子供たちの気持ちが、私にはよくわかりますから」
「残りの3000万円は3つに分けたいと思います。1000万円は私がお世話になった病院に、1000万円は地域の高齢者支援団体に、そして最後の1000万円は女性の自立を支援するNPO法人に寄付します」
「息子さんには全く残さないのですか?」
私は少し考えてから答えました。「思い出の品だけは渡します。夫の写真やアルバム、息子が幼い頃に描いた絵。お金には変えられない、本当に大切なものです。もし息子が本当に私のことを大切に思っているなら、これらの方に価値があるはずです」
三山弁護士は優しく微笑みました。「なるほど。愛情の遺産というわけですね。ただ一つ、付け加えたいことがあります」
私は続けました。「もし息子夫婦が今後3年間、月に一度でも私に会いに来て、お金の話ではなく普通の親子の会話をしてくれるなら、遺言書を書き換えてもいいと思っています。でもそれは遺言書には書かないでください。本当の愛情なら、お金がなくても続くはずですから」
三山弁護士は深く頷きました。「篠原さんらしい、趣深い内容ですね。では正式な遺言書を作成しましょう」
2時間後、全ての手続きが完了しました。法的に完全に有効な遺言書が出来上がりました。事務所を出ると夕日が沈みかけていました。でも私の心は不思議と晴れやかでした。これで良かったのです。私は誰かの道具ではありません。1人の人間として自分の意思で自分の財産の使い道を決めることができる。それが証明できただけでも、今日という日には意味があったのかもしれません。
家に帰ると留守番電話が点滅していました。息子からでした。
「母さん、どこに行ったの? 式の途中でいなくなるなんて非常識だよ。みんなが探してたんだから。まあ、もう終わったからいいけど。連絡ください」
非常識。またその言葉です。でももう私の心は動きません。私は留守番電話を消去し、お茶を入れました。静かな部屋で一人でゆっくりとお茶を飲む。これもまた幸せな時間です。
あの屈辱的な結婚式から3日後の火曜日、午後2時過ぎのことでした。インターホンが鳴り、モニターを見ると息子夫婦が立っていました。
「母さん、いる? ちょっと話があるんだ」
私は静かにドアを開けました。二人とも妙に愛想が良い顔をしています。リビングに通すと、彩子さんが満面の笑みで話し始めました。
「お母さん、この前の式では席のことで本当に申し訳ありませんでした。会場側の手違いだったみたいで」
手違い? そんな言葉で片付けられることでしょうか。でも私は何も言わずお茶を出しました。
「母さん、急にいなくなっちゃったから心配したよ。体調でも悪かったの?」
「いいえ、大丈夫よ」
「それならよかった。実はさ、今度みんなで食事でもどうかと思って。母さんも一緒に」
「みんなで食事? 彩子さんと結婚してから、そんな誘いはほとんどなかったのに。急にどうしたのかしらねえ」
「お母さん」彩子さんが身を乗り出しました。「最近お体の調子はいかがですか? 一人暮らしは大変じゃありませんか?」
「おかげさまで元気にしています」
「それは良かった。でももし何かあったら遠慮なく言ってくださいね。私たち家族ですから」
家族。トイレで聞いた会話を思い出し、私は小さく微笑みました。しばらく世間話が続いた後、息子が本題を切り出しました。
「母さん、実は相談があるんだ。今度まとまったお金が必要になりそうで、もし余裕があれば少し援助してもらえないかな」
やはりお金の話でした。3日前の会話で「相続まで大人しくしていてくれればいい」と言っていたのに、もう我慢できなくなったのでしょう。
「安弘さん、彩子さん。実は私も皆さんにお話ししたいことがあります」
私は立ち上がり、箪笥から茶封筒を持ってきました。
「これは何?」息子が聞きました。
「遺言書の写しです。3日前に正式に作成しました」
二人の顔色が変わりました。彩子さんの笑顔が凍りつき、息子の目が大きく見開かれました。
「遺言書? なんで急にそんなものを?」
「申し訳ないけれど、あなたたちへの相続権は完全に排除することにしました」
静寂が部屋を包みました。
「そ、そんな!」息子が立ち上がりました。「僕は息子なのに。法定相続人なのに」
「確かに法定相続人です。でも遺言書で相続から排除することは法的に可能です。遺留分もありますが、きちんと手続きを踏めばそれも最小限に抑えられます」
「なんで、どうして母さんがそんなことを?」
私は封筒から書類を取り出しました。「土地の3000万円は弟の子供たちに、預金の2000万円は児童養護施設に寄付します。残りも本当に必要としている方々のために使わせていただきます」
彩子さんが青ざめた顔で口を開きました。「8000万円ですか?」
「あら、よくご存知ね。正確には8200万円ほどありますが」
「だって、それは私たちの…」
「あなたたちの何ですか?」
彩子さんは言葉に詰まりました。息子が必死の形相で詰め寄ってきます。
「母さん、考え直してくれ。僕が悪かった。式の席のことは本当に申し訳なかった」
「席のことだけではありませんよ、安弘」
「じゃあ何が不満なんだ」
「トイレで聞いてしまったの。あなたたちの本音を」
二人の顔が真っ青になりました。
「私のことを『まだ生きてて面倒』と言いましたね。『存在自体が恥ずかしい』とも。そして『相続まで大人しくしててくれればいい』と」
「あ、あれは…」息子が口ごもりました。
「言い訳は結構です。あの言葉で全てがはっきりしました。私はあなたたちにとってただのATMだったのですね」
「違う、母さん、違うんだ」
「では聞きますが、最後に親子らしい会話をしたのはいつですか? お金の話以外で私に会いに来たのはいつですか?」
二人は答えられませんでした。彩子さんが涙ぐみました。「お母さん、お願いします。家のローンが…」
「それはご自分たちで何とかしてください。私も75歳まで必死に働いてきました。あなたたちもまだ若いのですから」
息子が最後の手段という様子で言いました。「母さん、親子じゃないか。たった一人の息子の僕を見捨てるのか?」
「見捨てる? いいえ、思い出の品は残してあります。あなたが本当に私との親子の絆を大切に思うなら、お金より価値があるはずです」
「思い出の品なんていらない。必要なのは生活費だ」
息子の本音がまた露呈しました。
「安弘、あなたは私に言いましたね。『外の人だと…』。孫にも『父さん方のおばあちゃん』としか言われませんでした。それなのにお金だけは身内として要求するのですか?」
「トイレ横の席は本当に会場の手違いで…」
「嘘はもう結構です。彩子さんのご両親はちゃんと主賓席にいらっしゃいました。手違いなら、なぜ私だけ?」
二人は黙り込みました。
「自分たちで稼いでください。私が必死に働いて貯めたお金を、私を軽んじる人たちに渡す理由はありません」
「でも遺留分があるはずだ!」息子が叫びました。
「ええ、ありますね。でも最小限です。それも裁判を起こせばの話ですが。裁判を起こしてでもどうぞ。その時はあなたたちの言動も全て法廷で明らかになりますよ。録音もありますし」
それは嘘でしたが、二人はさらに青ざめました。彩子さんが泣き崩れました。
「お母さん、本当にごめんなさい。私たちが間違っていました。どうか許してください」
「許す許さないの問題ではありません。これは私の人生の選択です」
息子も膝をつきました。「母さん、頼む。考え直してくれ。これからはちゃんと親孝行するから」
「親孝行はお金のためにするものではありませんよ」
私は立ち上がりました。「もうお帰りください。話すことは何もありません」
二人は呆然と立ち上がり、魂を抜かれたような顔で部屋を出ていきました。ドアを閉めた後、私は深く息をつきました。50年間の親子関係がこんな形で終わるとは思いませんでした。でも後悔はありません。私は自分の尊厳を取り戻したのです。もう二度と誰かの道具にはなりません。
あの日から3ヶ月が経ちました。私の生活は驚くほど穏やかで充実したものに変わっていました。最初の変化は弟の家族との関係でした。遺言書の内容を知った弟の娘・和美は、涙を流しながら電話をかけてきました。
「信子おばさん、本当にいいんですか? こんな大金を私たちに」
「和美ちゃん、あなたは本当の家族として私に接してくれた。お金のためではなく心から心配してくれた。それが何より嬉しかったの」
それ以来、和美の家族は週に一度は必ず顔を見せてくれるようになりました。小学生の双子の子供たちは私に懐いています。
「おばあちゃん、学校で作文で表彰されたよ」
「まあ、すごいわね。どんな作文を書いたの?」
「『私の尊敬する人』っていうテーマで、おばあちゃんのこと書いたの。一人で頑張って生きてきた強い人だって」
子供の純粋な言葉に、私は思わず涙しました。これが本当の家族の温かさなのだと改めて実感しました。
児童養護施設への寄付も思いがけない繋がりを生み出しました。施設長から直接お礼の電話をいただき、施設を訪問する機会を得たのです。そこで出会った子供たちの姿に、私は若い頃の自分を重ねました。親を早くに亡くし、必死に生きている子供たち。彼らのために少しでも役に立てることが、私の新しい生きがいになりました。
「信子さん、月に一度でも子供たちに会いに来ていただけませんか? 人生の先輩としてお話を聞かせてあげてほしいのです」
施設長の申し出を私は喜んで受けました。今では月に2回施設を訪れては、子供たちと一緒に料理を作ったり勉強を見たりしています。子供たちの笑顔が私の心を満たしてくれます。お金では買えない本当の幸せがここにありました。
地域の高齢者支援団体での活動も始めました。薬剤師としての知識を生かし、お薬相談会を開いています。同世代の方々との交流は、私に新しい友人をたくさん与えてくれました。一人暮らしの寂しさなど、もうどこにもありません。
女性の自立支援NPOでは講演を頼まれました。テーマは「75歳からの再出発 自分の尊厳を取り戻すまで」。会場には様々な年代の女性たちが集まっていました。私は正直に、結婚式での出来事から遺言書作成までの経緯を話しました。
講演後、たくさんの方から声をかけていただきました。
「私も似たような経験があります。でも篠原さんのお話を聞いて勇気が出ました」
「お金より大切なものがあると、改めて気付かされました」
私の経験が誰かの役に立つ。それはとても嬉しいことでした。
一方、息子夫婦のことも風の噂に聞こえてきました。どうやら生活がかなり苦しくなっているようで、彩子さんもパートに出始めたとか。正直なところ複雑な気持ちです。息子は私の大切な子供です。でもだからこそ、自分の力で生きることの大切さを学んでほしいのです。
ある日、スーパーで偶然彩子さんに会いました。疲れた顔で安売りの商品を買い物かごに入れている姿を見て、少し胸が痛みました。
「あ、お母さん」
彩子さんは気まずそうにうつむきました。「彩子さん、お元気?」
「ええ、まあ」
沈黙が流れました。でも私から言うことは何もありません。
「お母さん、本当にごめんなさい。今更ですが、私たちが間違っていました」
「過ぎたことです。これからは自分たちの力で頑張ってください」
「はい。あの、安弘も反省しています。でもどう謝ればいいかわからなくて…」
「謝罪はいりません。ただ、これからは人を大切にすることを学んでください。お金ではなく、心で」
彩子さんは涙を浮かべながら深く頭を下げました。
家に帰ると、私は仏壇の前に座りました。「あなた、見ていますか? 私、やっと自分の人生を生きられるようになりました」夫の写真は相変わらず優しく微笑んでいます。
最近、一つ嬉しいことがありました。孫の孝也から手紙が来たのです。
「おばあちゃんへ。結婚式の時はひどいことを言ってごめんなさい。両親から聞いて、おばあちゃんがどんなに僕たちのために尽くしてくれたか知りました。今更ですが本当にありがとうございました。いつか必ず恩返しをします」
短い手紙でしたが、心がこもっていました。もしかしたらこの子は変われるかもしれません。私は返事を書きました。
「お手紙ありがとう。恩返しなんていりません。ただあなたが人を大切にできる大人になってくれれば、それで十分です」
75歳にして、私は本当の自由を手に入れました。誰かの期待に答えるためではなく、自分の価値観で生きる自由。誰かの道具ではなく、一人の人間として生きる自由。振り返れば、あの屈辱的な結婚式は私にとって転機となりました。もしあの日普通に主賓席に座っていたら、私は一生都合の良い存在のままだったでしょう。トイレ横の席。それは確かに屈辱的でした。でもそのおかげで目が覚めたのです。自分の人生を取り戻すきっかけをくれたのです。
今、私の周りには本当の愛情があります。お金目当てではない心からの繋がり。それは8000万円よりもずっと価値のあるものです。もしこの話を聞いているあなたも同じような思いをしているなら、勇気を出してください。年齢は関係ありません。いつからでも人生は変えられます。自分を大切にすること、それはわがままではありません。当然の権利です。誰かの道具として生きる必要はないのです。
私は今心から幸せです。毎日が充実していて、生きている実感があります。夕暮れにベランダから町を眺めながら、私は思います。人生は何歳からでもやり直せる。大切なのは自分の尊厳を守る勇気を持つこと。明日もまた、充実した一日が待っています。施設の子供たち、高齢者サークルの友人たち、弟の家族。本当の愛情で結ばれた人たちとの時間が。これが私の選んだ幸せの形です。
人を大切にする人は、必ず大切にされる。これは私が75年の人生で学んだ確かな真実です。


