「邪魔だから帰ってくれませんか?」
その言葉を聞いた瞬間、心臓が凍りつきました。雲一つない11月の朝、私は最愛の孫娘・ゆいちゃんの七五三を心から楽しみにしていました。早朝から支度を整え、奮発して買ったお祝いの品を抱えて、息子の家のインターホンを押したのです。
玄関のドアを開けた嫁のエミさんの目は、氷のように冷たかった。
「お義母さん、今日は来ないでって言いましたよね」
耳を疑いました。そんな話は一度も聞いていません。
「でも、ゆいちゃんの七五三でしょう?私も一緒にお祝いを」
言いかけた私の言葉を遮るように、エミさんは言い放ちました。
「邪魔だから帰ってくれませんか?」
エミさんは私の言葉など聞く耳を持たず、無情にもドアを閉めようとしました。その隙間から、リビングの人影が見えました。エミさんのご両親です。彼らはすでに上がり込み、息子家族と楽しそうに過ごしているではありませんか。
なぜ私だけが排除されるのでしょうか。
私は呆然と立ち尽くし、これまでの人生を走馬灯のように思い出していました。
夫が10年前に他界してから、私は女手一つで息子のケンタを育て上げてきました。銀行員として支店長代理まで勤め上げ、それなりの蓄えもありました。県立大学の学費700万円も惜しみなく出しました。就職が決まった時の感動は、昨日のことのように覚えています。
結婚式では、援助として300万円を包みました。エミさんとの新生活を、心から祝福しました。
さらに3年前、2人がマイホームを購入する際には、迷うことなく頭金800万円を立てました。
「母さん、本当にありがとう」
あの時のケンタの笑顔を、私は信じていたのです。
ゆいちゃんが生まれてからは、私の生活は孫中心になりました。共働きの2人のために、週4日は朝から夕方までゆいちゃんの面倒を見ました。熱を出せば夜中でも駆けつけました。公園デビューも、初めてのおしりも、全て私が共に見守ってきたのです。
なのに、なぜ私だけが七五三に参加する権利がないのでしょうか?なぜエミさんのご両親は歓迎され、私は邪魔者と呼ばれなければならないのでしょうか?
胸が張り裂けるような思いで、私はとぼとぼと自宅へ戻りました。
その日の夕方、ケンタから電話がありました。
「母さん、今日は急に来られても困るよ。七五三は身内だけでやることにしたんだ」
「身内だけって。エミさんのご両親はいらっしゃったじゃない」
私が反論すると、ケンタは悪びれる様子もなく答えました。
「向こうは違うんだよ」
「どう違うの?私もゆいの祖母なのに」
「とにかくエミがそう決めたんだから」
一方的に電話を切られ、私は愕然としました。
思い返せば、このような差別的な扱いは今に始まったことではありませんでした。
お食い初めの時も、私は最後に知らされました。エミさんのご両親とは事前に日程調整をしていたのに、私には前日の夜に「明日来て」という連絡だけ。慌てて駆けつけた私を待っていたのは、すでに宴もたけなわの祝いの席でした。
「おばあちゃん、遅いですよ」
エミさんの第一声がこれでした。前日の連絡だったことなど、まるでなかったかのような扱いでした。
初節句の時はもっと露骨でした。
「お義母さんは午後から来てください。午前中は私の両親と過ごしますから」
それでも孫の晴れ姿が見たくて、指定された時間に行くと、もう片付けが始まっていたのです。
「あら、もう終わっちゃいました。でも写真は撮りましたから」
スマートフォンの画面を見せられました。そこには華やかな雛人形を中心に、エミさんのご両親と息子夫婦が笑顔で映っていました。私の居場所など、どこにもなかったのです。
最も衝撃的だったのは、去年のゆいちゃんの誕生日でした。
「家族だけでやりますから」
そう言われ、せめてプレゼントだけでもと訪れると、「もう用意してあります」と玄関先で追い返されました。後日ケンタから聞いた話では、エミさんのご両親は朝から一日中一緒に過ごしたそうです。
「家族だけって言ったじゃない」
抗議すると、ケンタは困った顔で言いました。
「母さん、向こうのゴウハイは違うんだよ。エミにとっての本当の親だから」
「じゃあ、私は何なの?」
「母さんは、まあ僕の母親だけど」
その言葉に深く傷ついた翌月、エミさんから信じられない要求を突きつけられました。
「お義母さん、ユイに会いすぎです。子供の教育に良くないので、月1回にしてください」
「でも私、毎日送迎をしているのよ」
「もう結構です。うちの両親が近くに引っ越してきたので、これからは向こうにお願いします」
週4日、朝7時から夕方6時まで。3年間、雨の日も風の日も続けてきた送迎と世話。熱が出れば看病し、エミさんが美容院やランチに行く時も快く預かってきました。
「今までありがとうございました」の一言もないまま、私は日常を奪われたのです。
最後に会った時、3歳のゆいちゃんが無邪気に言いました。
「バーバ、どうして最近来ないの?ママがね、バーバは邪魔だから来ちゃダメって言ってた」
その言葉に、私は凍りつきました。
そして今日の七五三という大切な節目からも、私は完全に排除されたのです。帰り道、涙が止まりませんでした。何のために、誰のために、私はこれまで尽くしてきたのでしょうか?
自宅に戻り、過去の写真を見返しました。ケンタが小さかった頃、夫が亡くなってから必死で支え続けた日々。
「母さんが世界で一番好き」
そう言ってくれた息子は、もうどこにもいません。
携帯電話に、エミさんからメッセージが届きました。
「お義母さん、今日は申し訳ありませんでした。でもこれからはお互いのために距離を置いた方がいいと思います。月1回という約束を守ってください」
追い打ちをかけるような内容に、私の心は完全に折れました。
数日後、ケンタが一人で訪ねてきました。
「母さん、この前は悪かったよ」
謝罪の言葉とは裏腹に、その目はどこか計算高い光を宿していました。
「それで相談があるんだけど」
嫌な予感がしました。
「実は、エミの実家の近くに引っ越すことになってね。向こうの両親も高齢だし、近くにいた方が便利だから」
エミさんのご両親は、私よりずっと若いはずです。それなのに「高齢」を理由にするなんて。
「それで、母さんにお願いがあるんだ」
ケンタが鞄から書類を取り出しました。それを見て、私は目を疑いました。
「売却承諾書」と書かれています。
「そう、この家の名義は母さんになってるけど、実質的には僕たち家族も住む権利があるわけだし」
私は言葉を失いました。この家は、亡き夫と2人で必死に働いて購入したものです。35年のローンを組み、夫が亡くなってからも私1人で払い続けてきました。
「権利?ケンタ、あなたは3年前に出ていったでしょう」
「でもいずれは僕が継ぐ家だろう。現実的に考えてよ。この家、1人で住むには広すぎるし、もう38年だよ。売って、そのお金で僕たちの新居の資金にした方が合理的じゃない」
私は震える手で書類を置きました。
「つまり、私の家を売って、そのお金であなたたちはエミさんの実家の近くに家を建てるということ。そして私は?」
「母さんの分もちゃんと考えてるよ。売却金の一部で、小さなアパートでも借りればいいじゃない」
38年間守り続けた我が家を売らせ、私を賃貸アパートに追いやる。そんな不条理な話があるでしょうか?
「母さんももう67歳だし、1人で大きな家を維持するのは大変でしょう。階段だって危ないし」
「私はまだ元気よ。今はね」
「でもこれから先のことを考えたら。それに固定資産税だってバカにならないでしょう。売却すればまとまったお金が入るんだから、母さんの老後資金にもなるじゃない」
私は深呼吸をして、息子を見つめました。
「ケンタ、正直に答えて。これはエミさんの案?」
ケンタは一瞬ひるみましたが、すぐに開き直りました。
「エミも賛成してるけど、僕も同じ考えだよ。母さん、意地を張らないでよ。これは家族みんなのためなんだから」
「私は七五三にも呼ばれない『家族』なの?」
「それとこれとは話が違う」
「違わないわ。私はもう家族じゃないんでしょう。エミさんもゆいちゃんもそう思っている。私はお荷物なのよね」
その時、ケンタの携帯が鳴りました。エミさんからのようです。
「うん、今話してる。ええ……そんなこと言うわけないだろう」
電話を切ったケンタは、苛立たしげに言いました。
「エミが心配してる。母さんがまた感情的になってるんじゃないかって。もしかして認知症の始まりじゃないかって」
実の息子から、そんな言葉を聞くとは。
「認知症ですって?」
「だって普通じゃないよ。家を売るのを拒否するなんて。これは母さんのためでもあるんだから」
「はっきり言いなさい。私からお金を取りたいだけでしょう」
「そんな言い方はないだろう。僕は母さんのことを考えて」
「1800万円の援助をしてきた私に、まだ要求するの?」
「それは過去の話だろう。母さん、論点をずらさないでよ。今は家の話をしてるんだ」
ケンタは書類を私の前に押し付けました。
「とにかくサインしてよ。これは決定事項なんだから」
「決定事項?誰が決めたの?」
「僕たち夫婦だよ。エミの両親も賛成してる。向こうも出資してくれるって言ってるんだ。だから早く売却して」
私は立ち上がりました。
「帰って」
「母さん、感情的になるなよ」
「帰ってと言っているの。私の家から出ていって」
「何を感情的になってるんだよ。自分の家を守ろうとすることが、感情的なの?」
ケンタはため息をつきました。
「分かった。今日は帰るけど、これは諦めないからね」
「母さんだっていずれ分かるよ。1人で生活できなくなったらどうするつもり?結局僕たちに頼ることになるんだから」
玄関で靴を履きながら、ケンタは最後にこう言い放ちました。
「お荷物はいらないんだよ、母さん」
ドアが閉まる音が、私の心に深く突き刺さりました。
「お荷物はいらない」
あんなに大切に育てた息子が、私をお荷物と呼ぶなんて。
でも、嘆いている時間はありません。私は立ち上がり、書斎に向かいました。
まず確認すべきは権利関係です。箪笥から権利書を取り出し、登記簿も改めて見直しました。間違いありません。所有者は「原田洋子」。私1人です。ケンタの名前はどこにもありません。
次に、過去の通帳を全て引っ張り出しました。元銀行員の習性で、私は全ての記録を残していたのです。教育費の振り込み、結婚式の援助、マイホームの頭金。全て私の口座から支払われていることが明確です。
「実質的に住む権利がある」なんて、冗談じゃありません。法的には、ケンタに何の権利もないのです。
その夜、私は長年の友人で弁護士をしている佐藤さんに電話をしました。事情を説明すると、佐藤さんは即座に答えてくれました。
「それは完全に洋子さんの権利よ。息子さんに同意を求める必要は全くないわ。生きている間は、洋子さんが自由に処分できるの」
佐藤さんの明快な説明に、私の心は決まりました。
「実はもう1つ相談があるの。この家を売ろうと思うの。でもケンタには内緒で」
電話の向こうで佐藤さんが驚いたようでした。
「売却?思い出の詰まった家でしょう」
「ええ。でも、もうこの家に未練はないわ。新しい人生を始めたいの」
翌日、佐藤さんの紹介で、信頼できる不動産業者の田中さんが訪ねてきました。
「この立地、築年数でしたら需要は十分にありますよ。正直、建物の価値はほとんどありませんが、土地が素晴らしい。4500万円は確実に超えるでしょう。現金一括購入を希望される方もいらっしゃいます。その場合、1週間程度で決済可能です」
私は即答しました。
「お願いします。できるだけ早く売却したいんです。ただ、息子には内緒で」
「承知いたしました。名義は洋子様だけですから、法的には全く問題ありません」
田中さんが帰った後、私は家の中を見回しました。38年間住んだ我が家。夫と選んだカーテン。ケンタの背丈を刻んだ柱の傷。庭の桜の木。全てに思い出があります。
でも、もういいのです。私をお荷物と呼び、家を奪おうとする息子のために、これ以上この家を守る必要はありません。
その週末、ケンタから電話がありました。
「母さん、この前の件。家の売却のこと」
「ええ、考えているわ」
「そうか。エミの両親も心配してるんだ。母さんが1人で大きな家に住んでること。それに売却金があれば老後も安心でしょう」
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫よ。私には私の計画があるから」
「計画?母さん、変なこと考えてないよね。また認知症の検査受けた方がいいんじゃない」
また認知症扱いです。私は怒りを抑えて言いました。
「私はまだ67歳よ。元銀行員の私が認知症ですって?とにかく、家の件は真剣に考えているわ」
電話を切った後、田中さんに連絡しました。
「実は、購入希望者が現れました。会社経営者の方で、現金一括払いを希望されています。提示価格は4800万円。いかがでしょうか?」
予想を上回る金額に、私の決意は固まりました。
「お受けします。来週月曜日に契約、その週のうちに決済ということで進めてください」
私は静かに微笑みました。ケンタもエミさんも、何も知りません。これまで我慢してきた分、きっちりとお返しをさせていただきます。お荷物と呼ばれた私が、どれだけの力を持っているか思い知らせてあげましょう。
翌週の月曜日、私は朝一番で不動産会社へ向かいました。契約書にサインをする瞬間、一瞬の寂しさはありましたが、迷いはありませんでした。契約と手続きを進め、その週の金曜日には、4800万円が私の口座に振り込まれました。
土曜日の朝、ケンタから電話がありました。
「母さん、今から家に行くから。家の売却の件、もう一度話し合おう」
「そう。11時頃に来て」
私は落ち着いて返事をしました。もう全ては終わっているのです。
11時きっかりに、ケンタがエミさんを連れてやってきました。
「母さん、エミも一緒に来たよ。この件は夫婦の問題でもあるから」
エミさんは相変わらず私を見下すような目をしていました。
「お義母さん、ケンタから聞きました。家の売却を拒否されているとか。でもこれは家族みんなの将来に関わることですから」
エミさんは持参した書類を広げ始めました。新居の間取り図、ローンのシミュレーション、私用の賃貸アパートのパンフレット。
「ほら、お義母さん。このアパート、駅から近くて便利ですよ。売却金の一部を使えば、20年は住めます」
「20年後は?」
「その時はその時で考えればいいじゃないですか」
ケンタも便乗しました。
「そうだよ、母さん。僕たちの新居、ユイの教育にも最適な環境なんだ。エミの両親も近くにいるし」
「それで、私は邪魔だから遠くのアパートに追いやるのね」
「追いやるなんて、そんな言い方」
エミさんがため息をつきました。
「お義母さん、はっきり言います。この家、もう古いんです。耐震も心配だし、バリアフリーでもない。お義母さんのためにも、売却した方がいいんです」
「私のため?」
「正直言って、お義母さん1人でこんな大きな家はもったいないです」
私は立ち上がりました。
「実は、あなたたちに報告があるの」
「報告?」
私は封筒を取り出しました。
「この家、売却しました」
エミさんの顔が凍りつきました。
「月曜日に契約し、金曜日に決済。来週の金曜日には引き渡しです」
「嘘でしょう」
ケンタが叫びました。
「本当よ。4800万円で売れたわ」
エミさんが青ざめました。
「そんな……勝手に……」
「勝手に?私の家を、私が売って、何が勝手なの?」
「だって相談もなしに」
ケンタが詰め寄りました。
「七五三に私を呼ばなかったわよね?それも相談なしに」
「それとこれとは違う」
「同じよ。私はもう家族じゃないんでしょう?お荷物なんでしょう?」
エミさんがケンタの腕を掴みました。
「どうするの?私たちの新居の計画は……」
「母さん、取り消してよ。今すぐ」
「無理ね。もう契約は完了しているから」
「じゃあ、その4800万円を。僕たちの新居の資金に」
私は笑いました。
「お荷物にお金なんてないわよ、母さん。それより、あなたたちには出て行ってもらわなきゃ。ここはもう私の家じゃないの。来週金曜日が引き渡しだから、それまでに私物があるなら片付けなさい」
エミさんが立ち上がりました。
「ふざけないでください。ケンタの実家でしょう」
「実家?ケンタは3年前に出ていったじゃない。ここはもう実家じゃないわ」
「でも、いずれは相続するはずの……」
「相続は私が死んでからの話。私はまだ生きてるわ」
ケンタが土下座しました。
「母さん、お願いだ。撤回してくれ」
「あら、認知症の老人の決めたことなのに、撤回が必要?」
「そんなこと言ってない」
「言ったわよ。この前も、電話でも」
エミさんも慌てて頭を下げました。
「お義母さん、お願いします。私たち、もう親にも話してしまって……」
「それは私には関係ないわ」
「でも、ユイの教育費とか……」
「ゆいちゃんの教育費?今まで私が全部面倒見てきたじゃない。保育園の費用も、習い事も。でも、もう終わりよ。邪魔者の私が、これ以上あなたたちに関わる必要はない」
ケンタが泣き始めました。
「母さん、本当にごめん。言いすぎた。だから許して」
「許す許さないの問題じゃないわ。もう売却は完了したの」
「じゃあ、そのお金を少しでも……」
「ケンタ、みっともないからやめなさい」
私は冷たく言い放ちました。
「あなたたちには1800万円も援助してきた。もう十分でしょう」
「でも、生活が……」
「エミさんのご両親が裕福なんでしょう。頼んだらいいじゃない」
エミさんが睨みつけてきました。
「お義母さん、本当にこれでいいんですか?もう2度とユイには合わせませんよ」
「あら、元々月1回しか合わせてもらえないんでしょう?それに『邪魔者は来るな』って、ゆいちゃんも言ってたし」
「それは……」
「もういいから、出ていって。これ以上居座るなら、警察を呼びます」
エミさんは仕方なく立ち上がりました。玄関で、ケンタが最後にもう一度振り返りました。
「母さん、本当にこれでいいの?僕たち、親子だよ」
「親子?私をお荷物扱いする息子が、今更『親子』ですって?」
「後悔するよ」
「後悔するのは、あなたたちよ」
ドアを閉める音が、38年間の親子関係の終わりを告げているようでした。
その日の夜、エミさんのご両親から電話がありました。
「原田さん、娘夫婦から聞きました。ひどいじゃないですか。息子さんの実家を勝手に売るなんて」
「勝手ではありません。私の家です」
「でも、将来はケンタ君たちのものでしょう」
「その将来を、あなた方が勝手に決めたんじゃないですか?私の同意もなく、新居の計画を立てて」
電話の向こうで、エミさんの母親が言葉に詰まりました。
「それは……でも、ユイちゃんのことを考えたら……」
「ゆいちゃんの七五三に、私は呼ばれませんでしたけど」
「それは……」
「もういいです。私には関係ありません」
電話を切った後、私は静かにお茶を飲みました。来週からは、新しい生活が始まります。4800万円という資金を手に、私は自由になったのです。
あれから3ヶ月が経ちました。私は今、都心の高級マンションの最上階に住んでいます。リビングの大きな窓からは、東京の街並みが一望できます。朝日を浴びながらコーヒーを飲む時間が、何より幸せです。
「原田様、おはようございます」
コンシェルジュの方が笑顔で挨拶してくれます。24時間体制のセキュリティ、充実した共用施設。そして何より、誰にも干渉されない自由な暮らし。売却金の一部2000万円で購入したこの部屋は、私の新しい城です。
残りの2800万円は、きちんと運用しています。元銀行員の知識を生かし、安定した配当が得られる投資信託と定期預金に分散。月々の年金と合わせれば、贅沢をしなければ一生困ることはありません。
先日、弁護士の佐藤さんから連絡がありました。
「洋子さん、お元気そうで何よりです。ところで、息子さんから相談があったようですよ。ケンタ君から」
「ええ?」
「家の売却を、向こうにできないかって。もちろん、無理だと説明しておきました」
私は苦笑しました。まだ諦めていないのですね。
「それから、もう1つ。養育費の請求ができないかとも。ユイちゃんの教育費を、祖母として負担する義務があるんじゃないかって」
「呆れた話ね。全く法的根拠はありません」
「きっぱりお断りしておきました」
電話を切った後、私は窓の外を眺めました。
ケンタたちがどうしているか、風の噂で聞いています。予定していた新居購入は当然白紙になり、今はエミさんの実家近くの狭い賃貸マンションに住んでいるそうです。家賃15万円、狭い2LDK。不動産業者の田中さんが教えてくれました。エミさんのご両親も、思ったほど援助してくれないみたいですね。因果応報とは、まさにこのことでしょう。
ある日、スーパーで偶然ケンタの同級生の母親に会いました。
「洋子さん、お久しぶりです。ケンタ君、大変みたいですね。エミさんが仕事を掛け持ちしてるみたいですよ。生活が苦しいからって」
「そうですか」
私は微笑みました。邪魔者扱いした報いを、今頃思い知っているでしょう。
先月、一通の手紙が届きました。ケンタからでした。
「母さんへ。この前は本当にすみませんでした。言ってはいけないことを言ってしまいました。どうか許してください。ユイもバーバに会いたがっています。1度だけでも会ってもらえませんか?」
まるで子供のような文字で書かれた手紙を、私はそっと引き出しにしまいました。許す?何を今更。私をお荷物と呼び、家を奪おうとした息子を許す理由がどこにあるでしょうか?
孫に会いたい気持ちはあります。でも、「邪魔者」と言われた記憶は消えません。
その後も月に1度、手紙が来ます。時にはエミさんの謝罪文も同封されています。
「お義母さん、本当に申し訳ありませんでした。私が間違っていました。どうかもう一度チャンスをください」
でも、私の心は動きません。信頼とは、1度壊れたら元には戻らないもの。特に親子の間でそれが起きた時、修復は不可能に近いのです。
昨日、新しい趣味を始めました。社交ダンスです。マンションの共用スペースで開かれている教室に参加したのです。
「原田さん、姿勢がいいですね」
インストラクターに褒められ、久しぶりに心から笑顔になりました。生徒仲間も皆、同世代。中には似たような経験をした方もいます。「私も息子夫婦に家を狙われました」なんて話で盛り上がり、会話が本当に楽しいのです。
来月は、豪華客船でのクルーズ旅行を予約しました。1人参加ですが、全く寂しくありません。むしろ、誰にも気を使わない自由な旅が楽しみです。以前では考えられなかった贅沢です。いつも自分の楽しみは後回しでした。今は違います。自分で稼いだお金を、自分のために使える。この当たり前のことが、こんなに幸せだとは思いませんでした。
時々思い出します。38年前、あの家を買った時のこと。夫と2人で「ケンタが大きくなったら、この家で3世代で暮らそう」と夢を語り合いました。
でも現実は違いました。息子は私を裏切り、嫁は私を邪魔者扱いし、孫からも引き離されました。
それでもいいのです。私は今、本当に自由で幸せなのですから。
親の愛情は無限ではありません。「子供のためなら何でもする。それが親の務めだ」と思い込んでいる方も多いでしょう。でも、親にも人生があり、尊厳があり、幸せを追求する権利があるのです。
私の選択が正しかったかどうか、それは分かりません。でも、後悔はしていません。67歳にして掴んだ本当の自由。残された人生を、私は私のために生きていきます。
窓の外では夕日が東京の街を黄金色に染めています。コーヒーを片手に、私は静かに微笑みました。これが、私の勝ち取った幸せです。誰にも邪魔されない、本当の自由です。



