彼女とのディナーの最中、携帯が震えた。見ると、職場の部長からだ。気乗りしないまま電話に出ると、開口一番こう言われた。「お前、左遷だそうだ。明日から会社に来るなって、社長からの伝言だ」鮮明に浮かぶのは、あの部長の得意げな声。だが、俺は冷静に言い放った。「分かりました。確認します。今、社長と一緒にいるので」次の瞬間、ビデオ通話に映ったのは、超音波の上司の絶望的な顔だった。まさか、あの部長が自分の…

彼女とのディナーの最中、携帯が震えた。見ると、職場の部長からだ。気乗りしないまま電話に出ると、開口一番こう言われた。「お前、左遷だそうだ。明日から会社に来るなって、社長からの伝言だ」鮮明に浮かぶのは、あの部長の得意げな声。だが、俺は冷静に言い放った。「分かりました。確認します。今、社長と一緒にいるので」次の瞬間、ビデオ通話に映ったのは、超音波の上司の絶望的な顔だった。まさか、あの部長が自分の...

出張先から戻るなり、後輩たちが口を揃えて同じ名前を口にした。吉井部長が、取引先との正談の場で、部下の一人を叱責したという。

「課長、あの件は、本当は部長の指示が間違ってたんです。部長は『ただの打ち合わせだから書類は要らない』って言ったらしいんです。なのに、後輩は準備を怠ったって怒られてて…」

俺は眉をひそめた。ミスをしたと言われている後輩は、仕事ぶりが丁寧で有名な男だ。納得がいかず、俺は同僚や関係各所に話を聞いて回った。誰もが同じことを言った。吉井部長の指示が杜撰だったのだと。

俺は直属の上司である吉井部長に抗議した。

「部長、今回の件は、元を辿れば部長の説明不足が原因じゃないですか。彼に『打ち合わせだから書類は必要ない』と言ったと、関係者の皆さんが証言しています」

部長の顔色が変わった。

「何を言ってるんだ。俺はそんな指示を出していない。お前が取引先を下に見てるから、部下も仕事を舐めるんだろう!」

部長は逆上し、声を張り上げた。周囲の視線が一斉にこちらを向く。これ以上言い争えば、自分と後輩に火の粉が降りかかるだけだ。俺は一旦頭を下げて、その場を離れた。

「課長、すみませんでした…」

「いや、こちらこそ。もう少し上手くやれると思ったんだけどな」

後輩に謝りながら、俺は心の中で決意した。この件は、仕事で取り返すしかない。

俺は問題の取引を何とかフォローし、無事に完了させた。周囲の同僚たちも手を貸してくれた。結果的には、部長への良い仕返しになったかもしれない。それから暫くは忙しい日々が続いたが、ようやく久しぶりの休日を迎えた。俺は、多忙で後回しにしていた恋人、京子とのデートの約束を取り付けた。

数週間ぶりに会う京子は、相変わらず優しく、そしてはっきりと物を言う強い女性だった。彼女と過ごす時間は、いつも俺を落ち着かせる。

「今日はどうする? 映画でも見たい?」

「ああ、家でゆっくりしてから、夜は予約したレストランに行こう」

幸せな時間だった。だが、それは長くは続かなかった。

買い物帰り、俺たちは吉井部長とその家族に鉢合わせした。

「おい、立花じゃないか。なんだ、彼女か? お気楽にデートとは、お前も本当に調子に乗ってるんだな。この前のミスの件も、そろそろ反省したらどうなんだ?」

京子がいる前で、部長は嬉しそうに俺をこき下ろした。俺は慣れっこだったが、京子は違った。

「あの人、本当に部長なの? あんなの、ただのパワハラじゃない!」

「まあ、そうなんだけど…うまく立ち回ってるんだよ、上司の前では礼儀正しくとかね。そういう人って、結構いるんだ」

俺の冷静な返しに、京子は悔しそうに口を歪めた。

その後、気を取り直して予約していたフレンチレストランへ向かった。個室に通され、京子と他愛のない話をしていると、スマホが震えた。画面には「吉井部長」の文字。

「…ちょっとごめん」

俺は電話に出た。

「ああ、立花。手短に言うわ」

電話口からは、得意げな声しか聞こえてこない。すると、部長は突然こう言い放った。

「さっき、お前の話を社長にしたんだ。これまでの問題の数々を。それで、社長がお前を左遷するって決めてさ。明日から出社しなくていいって」

「え…? 左遷…ですか? 本当に決まったんですか?」

「当たり前だろ。社長命令だからな。じゃあな」

意味が分からなかった。確かに部長とは衝突したが、左遷されるほどのことではない。混乱しながらも、俺は必死に頭を回転させた。社長が、こんな電話一本で処分を伝えるはずがない。何かおかしい。

その時、個室の扉がノックされ、ウェイターに案内された人物が入ってきた。俺の婚約者の両親、つまり、勤め先の社長夫妻だった。

「あ、お義父さん! ちょうど良かった。今、電話口の人間に、私の処分について聞かれましたんで、直接確認してもらえますか?」

俺は慌てて電話をビデオ通話に切り替えた。画面には、不機嫌そうな吉井部長の顔が映る。

「もしもし、お前、何を…」

「吉井君。私の息子が、何かしたのかね?」

画面に映った社長の姿を見た瞬間、部長の顔が真っ青になった。

「た、立花君が、社長の…息子?」

「ああ、そうだ。立花君は、近々私の息子になるんだよ。私の娘の婚約者だ。分かったかね?」

俺は社長に、今の部長との電話の内容を全て説明した。社長はそれを聞き、ゆっくりと口を開いた。

「君は、立花君を左遷すると言ったそうだな。その権限が、君のどこにあるんだ?」

「い、いえ…あの、これは誤解で…」

「誤解? 私は、君が立花君の仕事を妨害しているという報告を、ずっと受けているぞ。総務からの嘆きも聞いている。今回の取引先の件も、全ては君の指示の行き違いだろう。部下に十分な指導もせず、適当な指示を出したのは、君じゃないのか?」

部長は必死に言い訳を重ねたが、社長の言葉は止まらなかった。

「処分というのなら、君にこそ相応しい。正式な処分は後日伝える。では、これで失礼する」

社長は電話を切り、俺にスマホを返した。

「すまなかったな。迷惑をかけた」

「いえ、こちらこそ、ご迷惑をおかけしました」

「いいや、構わんよ。さあ、気を取り直して、食事にしよう。今日は楽しむ日だ」

それからは、本当に楽しい時間が過ぎていった。翌日出社すると、吉井部長が俺に泣きついてきた。

「立花君! お願いだ! 俺を助けてくれ! 謝罪でも何でもする! 社長に取り次いでくれ! 君の望みは何でも聞く!」

「お断りします。部長には、考え直す機会はいくらでもあったはずです。これは、身から出た錆だと思いますよ」

部長はその後、正式な処分を受け、部長職を剥奪された上で地方の子会社へ飛ばされた。自分が連発していた「左遷」を、自らの身に受けることになったのだ。

部長の席には、海外の子会社から帰国した人が収まることになった。俺はそれが会社にとって最善の選択だと納得している。そして俺は、今度は自分の基礎を固める番だと思っている。会社のために、そして京子にとって誇れる夫になるために。

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