「悪いな。皿洗いしかできない。このバイトは置いていくわ」
閉店後の店に、その声がやけに軽く響いた。言ったのは高校からの友人で、俺の店で店長をやってくれていた男だ。後ろには白衣のままの料理長と若いコック、まだ着替えていないバイトが2人立っていた。みんな下を向いている。誰も俺の顔を見ない。
男は洗い場の方を親指でさした。その先に1人の女がいた。ゴム手袋をしたまま水を止めて、こちらを見ている。父の代からこの店で皿を洗っている人だった。
「中卒の役立たずはあげるよ」
そう言って男は笑った。悪気があるように聞こえないのが、この男の一番怖いところだった。男と4人は出ていった。厨房の灯りはもう落ちていた。冷蔵庫の音だけが低く響いている。俺は動けなかった。手には翌月の予約表を持ったまま。そこにはまだ埋まっている名前がいくつも書いてあった。
洗い場の方で、水がまた流れる音がした。彼女は何も言わずに、残っていた皿を洗い続けていた。後になって思う。あの夜、あの男が本当に置いていったものが何だったのか。あいつは最後まで分かっていなかった。
俺の名前は佐井直、35歳。この町の坂の途中で「養鶏亭」という小さな店をやっている。父から継いだ2代目だ。継いだのは3年前になる。カウンターが6席、4人がけのテーブルが4つ。全部で22席しかない。厨房も大人が3人立ったら肩がぶつかる広さだ。
看板はビーフシチューとオムライス。それにハンバーグとナポリタン。父の代からずっと変わらない。さっき出ていった男は黒瀬琢磨という。高校からの同級生だから、俺と同い年だ。3年前からこの店の店長をやってもらっていた。洗い場にいたのは霧谷未央さん。31歳。父が雇った人で、この店で13年皿を洗っている。
この夜のことを話す前に、父のこととこの店のことを少しだけ話させてほしい。それを知ってもらわないと、俺がどれだけ間抜けだったか伝わらないと思うからだ。
父の名前は佐井両蔵と言った。この店を40年やった人だ。父は元々養鶏屋の生まれではない。20歳で市内の養鶏屋に入って皿洗いから6年修行した。26歳でこの坂の途中に自分の店を出した。
なぜこんな不便な場所にしたのか、俺は一度だけ聞いたことがある。駅前の方がどう考えても客は来る。父はカウンターを拭きながら言った。
「駅前ってのは通る場所だ。ここは来る場所になる」
その時の俺は中学生で、意味がよくわからなかった。分かったのはずっと後になってからだ。
母は俺が17歳の時に病気で亡くなった。父は再婚しなかった。俺と父の2人でこの店の2階に住んでいた。母がいなくなった後、父は少しだけ無口になった。ただ店に立っている時は同じだった。「いらっしゃい」と言って水を出し、注文を聞いて厨房に戻る。それをきっちり繰り返していた。
父の口癖が一つある。
「腹が減ってる時に食う養鶏は人をもう1回立たせるんだ」
これを父は何度も言った。俺が高校をやめたいと言った時も、そう言ってオムライスを出してきた。試験に落ちた日も、そう言ってハンバーグを焼いた。何かあると飯を出す人だった。
父の料理は上品なものじゃない。ソースは濃くて量が多い。器も薄っぺらいものじゃなく、分厚い白い皿だ。それでもこの店にはいつも人がいた。田渕幻現造さんという常連がいる。78歳。駅の向こうの印刷工場で働いていた人で、父の代から40年通ってくれている。奥さんを7年前になくしてから、週に3回は来る。頼むものはいつも同じだ。
畑中さんは72歳。近所で1人暮らしだ。この人はオムライスしか頼まない。「うちで作るとどうしても違うのよ」と毎回言う。宮原さん一家は20年うちに来てくれている。最初は若い夫婦2人だったのが、いつの間にか子供が2人になって、その子たちが今は高校生と中学生だ。父はそういう人たちの顔を全部覚えていた。覚えているというより、見ていたのだと思う。
俺は高校を出た後、調理学校に行ってそのまま東京の養鶏屋に入った。何年かしたら帰るつもりだったけれど、東京は面白かった。店は忙しくて、教わることはいくらでもあった。気がついたら12年経っていた。父は一度も帰って来いと言わなかった。年に何回か電話をしてきて、いつも同じことを聞く。「飯は食ってるか?」それだけだ。店の話も体の話もしない。
3年前の冬のことだった。夜中に知らない番号がかかってきた。うちの近所の人からだった。父が店で倒れて運ばれたという。病院に着いた時には、もう話ができる状態ではなかった。脳の血管が切れていた。その日の夕方に父は亡くなった。66歳だった。
準備は何もなかった。遺言も引き継ぎのメモもない。父はその日の夜の分の仕込みまで済ませていた。冷蔵庫にはデミグラスソースの鍋が残っていた。葬式の間、俺はずっとその鍋のことを考えていた。一つだけ覚えていることがある。最期の隅に、誰とも話さずに立っている女の人がいた。挨拶をしようとして人を書き分けたら、もういなかった。
店を畳む選択もあった。俺には東京の仕事があったし、22席の店を継いだところでどうにもならないと、頭のどこかでは分かっていた。決めたのは葬式の日だった。田渕さんが来て線香を置いて、それから俺の顔を見て言った。
「あんた、店はどうするんだい?」
俺が答えられずにいると、田渕さんは少しだけ黙ってから続けた。
「うちのが死んだ年に、わしはここで毎晩飯を食ってた。1人で家におると飯の食い方まで忘れてしまうんだ。あんたの親父さんは何も言わずに毎晩シチューを出してくれた。それだけだよ」
そして帰って行った。その夜、俺は東京の店に電話をしてやめると伝えた。こうして俺は32歳でこの店を継いだ。
継いですぐに分かった。俺は料理は作れても、店をやることは何ひとつ分かっていなかった。東京の店では厨房のことだけ考えていればよかった。仕入れの交渉もシフトも金の計算も、全部他の誰かがやってくれていた。それがどれだけありがたいことだったか、俺は継いでから知った。
伝票の綴りを見てもどこを見ればいいのかわからない。業者の電話も何を聞かれているのかわからない。1ヶ月目で俺は完全に溺れていた。そこに来てくれたのが黒瀬だった。黒瀬琢磨とは高校の同級生だ。あいつは高校を出てから飲食の道に入っていくつかの店を渡り歩いて、その時は駅前の居酒屋で店長をやっていた。父の葬式にも来てくれた。葬式の後、俺の肩を叩いていった。
「困ったら言えよ。俺こういうの得意だから」
俺はあいつを親友だと思っていた。社交辞令だと思っていたけれど、本当に来た。俺が店の裏で伝票を前に固まっていたところへ、ふらっと入ってきて束を取り上げて10分で仕分けてしまった。
「直、お前は作る方だけ考えろ。数字は俺がやる」
確定申告の書類も黒瀬がまとめて税理士さんのところへ持っていくようになった。その税理士さんは黒瀬が連れてきた人で、うちは電話だけを頼んでいた。店に来たことは一度もない。俺はハンコをつくだけで合計しか見たことがなかった。
正直その時、俺は救われた気持ちになった。黒瀬はそのまま居酒屋をやめてうちの店長に入った。給料は高くない。それでも来てくれた。俺は感謝していたし、あいつを疑う理由が一つもなかった。黒瀬は明るい男だった。厨房にもホールにも顔を出して冗談を言い、みんなを笑わせる。バイトの子の相談にも乗っていた。黒瀬のそういうところがずっと眩しかった。
うちのスタッフのことも話しておく。料理長は菅国彦さん、48歳。父の代から15年この店にいる。無口で、笑ったところをほとんど見たことがない。菅さんは昔、隣の市で自分の店を持っていたそうだ。年で潰して借金を抱え、行き場がなくなったところを父が拾ったと聞いている。本人から聞いたことはない。
コックの日山渡は26歳。まだ若いが手は早い。いつか自分の店を持ちたいと言っている。ホールのバイトは2人。若林大地は大学4年の21歳で、母親と2人暮らしだ。学費は自分で払っていると言っていた。天野里保は24歳。就職活動がうまくいかず、しばらく何もできない時期があったらしい。そして霧谷未央さん。未央さんはこの店で13年皿を洗っている。父が雇った人だ。俺が帰ってきた時にはもうそこにいた。背は低くて、髪をいつも後ろで1つに結んでいる。声が小さい。話しかけると必ず一度俯いてから答える。やっている仕事は洗い場と野菜の下ごしらえと納品の受け取り。ホールには出ない。火のそばにも立たない。
最初の頃、俺は不思議に思った。当時でもう10年いた人だ。普通は何か1つくらい任される。菅さんに聞いてみたことがある。
「霧谷さん、ずっと洗い場なんですか?」
菅さんは手を止めずに答えた。
「先代がそのままでいいと言ってた」
それ以上は言わなかったし、俺も聞かなかった。黒瀬はもっとはっきりしていた。
「あの人、中卒だろう。まあ洗い場が向いてんじゃないの?」
そう言って笑った。俺は何も言い返さなかった。それが今でも喉に引っかかっている。
店の売上は俺が継いでから少しずつ落ちた。最初の年はまだ良かった。父の常連が来てくれたし、代替わりを見に来る人もいた。2年目からおかしくなった。ランチの客足が鈍り、夜が埋まらない日が増えた。俺は何が原因なのか分からなかった。分からないまま思いついたことをやった。黒瀬が新しいメニューをいくつも提案してきた。「今こういうのが流行ってるから」という言い方だった。牛頬肉の赤ワイン煮、牛タンのシチュー、エビのグラタン。菅さんは最初いい顔をしなかった。
「品数を増やすと仕込みが回らなくなります」
「変わるように組み直せばいいだけっすよね」
直は頷いた。何か手を打たないといけなかったし、黒瀬が言うなら正しいのだろうと思った。品数は父の代の14からいつの間にか27になっていた。それでも売上は戻らなかった。3年目の夏、俺は初めて自分の給料を取れない月を出した。そして9月の終わりのあの夜に黒瀬が行ったのだ。
「俺、独立するわ」
その日は夜の客が少なかった。8時を過ぎたら誰も入ってこなくて、9時前には看板の灯りを落とした。俺は厨房でソースの鍋を火から下ろしていた。菅さんはまな板を洗っていた。ホールでは大地と里保が椅子を上げていた。洗い場では未央さんが最後の皿を流していた。いつもと同じ夜だった。黒瀬は事務の椅子でレジの締めをしていた。それも毎晩のことだ。
締めが終わると、黒瀬は立ち上がって手を叩いた。
「みんなちょっといいかな?」
その言い方に俺は何も感じなかった。黒瀬はよくそうやってみんなを集めて予約の話などをする男だったからだ。みんなが厨房の入り口に集まってきた。未央さんだけは洗い場に立ったまま水を止めていた。黒瀬は俺の方を見て、それから笑った。
「俺、独立するわ」
最初、俺は言葉の意味が取れなかった。
「独立って?」
「駅前に物件が出てさ、もう契約した。来月頭には工事に入る」
「聞いてないぞ」
「今言ってるじゃん」
黒瀬はそう言って笑った。俺の頭はまだ追いついていなかった。黒瀬が出ていく。ホールが1人減る。すぐに人を探さないといけない。人はどこに出せばいいのか。そんなことを考えていた。黒瀬が続けた。
「あ、それと、料理長もバイトも全員連れて行くから」
その一言で店の中の空気が止まった。
「何を言ってるんだ?」
「そのまんまだよ。菅さんも日山も大地も里保も、みんな来てくれる」
俺は菅さんを見た。菅さんは目を合わせなかった。まな板を持ったまま下を向いていた。
「菅さん」
「すみません」
それだけだった。俺は日山を見た。口を開きかけてやめた。大地は俯き、里保は自分の腕を握っていた。
「みんな、本当に行くのか?」
誰も答えなかった。それが答えだった。自分の声が震えているのが分かった。
「来月の予約入ってるんだぞ。宮原さんの誕生日の回も入ってる。仕込みだって明日の分はもう……」
「明日の分は今中に俺らでやっとくよ。そのくらいはするって。あと退職届けは全員分そこに置いといた。日付は今日にしてある。文句はないだろう。こっちは法律通りにやってんだから」
法律通りではなかった。やめるには2週間前に言うことになっている。あいつはそういう嘘を一番自信のある顔で言う男だ。そういう問題じゃなかったけれど、それ以上の言葉が出てこなかった。怒鳴れば良かったのかもしれない。掴みかかれば良かったのかもしれない。でも俺はただ厨房の真ん中で突っ立っていた。自分の店で、自分だけが何も知らされていなかった。その事実を飲み込むのに頭が精一杯だったのだ。
後から何度も考えた。なぜ気づかなかったのか。考えるたびに答えは同じところに戻る。俺は黒瀬を信じていた。信じていたというより、あいつに任せておけば数字のことは考えなくていいと思っていた。それが楽だったのだ。黒瀬は俺の方に手を置いた。
「悪いな。でもさ、お前の店は無理だよ。俺が3年見てて言うんだから間違いない」
「無理って」
「売上、去年よりまた落ちてるだろう。俺は毎晩レジ閉めてんだぞ。数字は嘘つかないの」
その言い方にはどこか俺を気の毒がるような響きがあった。だから余計に何も言えなかった。黒瀬は上着を取って、みんなに顎で合図をした。菅さんが白衣を脱ぎ、日山がロッカーを開け、大地と里保が黙って荷物をまとめ始めた。その短い時間のことを俺は今でもはっきり覚えている。誰も何も言わない。ロッカーの扉の音と、椅子を戻す音だけがしていた。
その時だ。黒瀬が洗い場の方に気づいた。未央さんはずっとそこに立っていた。ゴム手袋をしたまま、シンクの縁に手を置いてこちらを見ていた。黒瀬はその姿を見て鼻で笑った。
「ああ、そうだ」
そしてこう言った。
「悪いな。皿洗いしかできない。このバイトは置いてくわ」
俺は黒瀬の顔を見た。冗談ではなく、本気でそう思っている顔だった。
「中卒の役立たずはあげるよ」
未央さんは何も言わなかった。表情も変わらなかった。ただ手袋の中で指が動いたのが分かった。大地が小さい声で「黒瀬さん」と言った。黒瀬は聞こえないふりをした。最後に出ていく時、菅さんが一度だけ足を止めた。厨房の入り口で振り返り、包丁のケースを持ったまま俺を見た。何か言おうとして口が動いたけれど、そのまま出ていった。そして4人と黒瀬は出ていった。
後のことはさっき話した通りだ。冷蔵庫の音だけが残った店で、俺は翌月の予約表を持ったまま立っていた。洗い場でまた水の音がした。未央さんが皿を洗い始めていた。さっきの続きを、何事もなかったみたいに。俺は洗い場まで歩いていった。何を言えばいいのかわからないまま、口が動いた。
「霧谷さん」
「はい」
「ごめん。君まで巻き込んだ」
未央さんは水を止め、手袋を外して洗い場の縁に置いた。
「今のを聞いていたら分かると思うけど、この店はもう無理だ。料理長もホールもいない。明日から何をどうしたらいいのかも分からない。畳むしかないかもしれない。だから君まで無理に残らなくていい。給料もいつまで出せるかわからないし」
言い終わってから、自分が何を言っているのかと思った。あんな言われ方をされたばかりの人を、追い出そうとしている。未央さんはしばらく黙っていた。俯いて、それから顔を上げて俺の方を見た。小さい声だった。
「少しは力になれるかも」
「え?」
「すみません。なんでもないです」
そう言ってまた手袋をはめようとした。俺は慌てて言った。
「いや、ありがとう。助かる。本当に」
その言い方が我ながら空っぽだった。正直、俺はその時期待なんてしていなかった。料理長がいない。ホールもいない。仕込みも回らない。そんな状況で、13年ずっと洗い場にいた人に何ができるのか。情けない話だが、思ったのだ。
未央さんは黙って洗い場に戻り、残りの皿を洗ってシンクを磨いて床の水を切ってから、帰り支度をした。出ていく時、入り口のところで一度立ち止まってこちらを向いた。
「あの、明日、いつもより1時間早く来てもいいですか?」
「え?うん。でも早く来ても俺しかいないよ」
「はい。だから早く来ます」
意味がよくわからなかった。俺は「じゃあお願いします」と答えた。未央さんは頭を下げて、戸を閉めて帰って行った。その夜、俺は2階に上がらず、電気を消した店のカウンターに座っていた。上には予約表が置いたままになっていた。翌月は21件の予約が入っていた。宮原さんの下の子の誕生日の会は8人だ。週末の夜はほとんど埋まっていた。そのどれも料理長がいる前提で受けたものだ。夜は俺がハンバーグとオムライスを焼き、菅さんがシチューと煮込みを見て、日山が付け合わせと盛り付けをしてやっと回っていた。次の日から厨房に立てるのは俺だけになる。厨房に俺が1人、ホールと洗い場に未央さんが1人。その2人で22席を回す方法が俺には分からなかった。その上、翌月の25日には仕入れの支払いがある。肉と野菜と物で月に60万円を少し超える。先に品物をもらって翌月に払う掛けの支払いだ。店が止まっても消えてはくれない。父が死んだ日から3年、この店を回してきたつもりだった。回せていなかったのだと、俺はその夜に知った。
厨房の奥に父の使っていた鍋が置いてある。もう何年も使っていない、分厚い大きな鍋だ。その鍋を見ながら父の口癖を思い出していた。
「腹が減ったやつを飯でもう1回立たせる」
父はそういう店を40年やった人だ。父さんと、俺は心の中で言った。俺は今、腹が減っているどころじゃない。立ち上がり方が分からないんだ。
翌朝、俺が2階から降りて行くと、店の灯りがもうついていた。未央さんが厨房にいた。エプロンをつけて、シンクの前で玉ねぎの皮を向いていた。
「早いね」
「はい」
「霧谷さん、今日どうしようか。まだ何も決まってなくて」
「ランチだけ開けましょう」
即答だった。
「え?」
「11時半から2時まで。品書きは3つにして、夜は今日は閉めます。予約が入っている日だけ夜を開けて、それ以外は仕込みに使った方がいいと思います」
俺は未央さんを見た。この人がこんなに続けて喋るのを初めて聞いた。
「ちょっと待って。3つって何を出すの?」
「オムライスとハンバーグとナポリタンです。この3つなら1人でも回ります」
「シチューは」
「今日は無理です。ソースが足りません。仕込みからだと3日かかります」
その通りだった。未央さんは玉ねぎを置いて手を洗い、それから洗い場の棚に置いてあった紙袋から何かを取り出した。英語の書かれた分厚いノートだ。表紙が擦り切れている。
「あの、これ見てもらえますか?」
俺はそれを受け取ってカウンターに置いて開いた。そして手が止まった。ページの上に日付、その下に細かい数字が並んでいた。その日の売上、客の数、ランチと夜の割合、出た品ごとの数、仕入れた材料と金額、仕込みにかかった時間、そして廃棄した分の量。それが1日1ページ、びっしり書いてある。ページの下には短い言葉が書き添えてあった。
「田渕さん、ビーフシチューライス少なめ、半分残す」「畑中さん、オムライス完食。ケチャップ追加」「12番テーブル4名、グラタン2つ残し」
これ。俺はページをめくった。同じ書き方が延々と続いている。ノートの終わりまで行って、次の1冊を開いた。全部で4冊あった。
「これ、君が全部書いたのか?」
「はい」
「いつから?」
「先代がなくなった次の月からです。それまでは先代がご自分でつけてらしたので」
俺は未央さんのノートの3冊目を開いた。去年の夏のページだった。そこにはこう書いてあった。「牛頬肉の赤ワイン煮、本日1食。8月の合計12食。1食の材料費780円、売1800円」「11時半から2時まで厨房の中で人が3回ぶつかった。動線を考えた方がいい」
「なんでこんなもの書いてんだ?」
未央さんが少し俯いた。
「皿洗いをしながらずっと見てましたので。売上は出た品と品書きの値段をかけて出しています。伝票は見られないので」
その言い方があまりに普通で、俺はしばらく言葉が出なかった。洗い場は店の一番奥にある。シンクに向かって立つと目に入るのは厨房の背中だけだ。振り返らない限り客席の様子までは分からない。けれど、その場所を全部通っていくものがある。朝に納品される箱。そこに書いてある産地と規格と入り数。厨房から出ていく皿。客席から下がってくる皿。下げられた皿は卓ごとにまとまって戻ってくる。どの席の何が残ったかは洗い場でも分かる。何がどれだけ入って、何がどれだけ出て、何がどれだけ残って帰ってきたか。それを毎日全部見ている人間が、この店にはずっと1人いたのだ。
「霧谷さん、うちの店、なんでこうなったと思う?」
未央さんは俺の顔を見た。それからまた少し俯いて、小さく息を吸った。
「客足が減ったからではないと思います」
「え?」
「お客様の数は3年前と比べて2割減りました。売上も同じくらいです。月に250万円あったのが、今は200万円くらいです」
「そんなに落ちてたか」
「はい。でも落ちた分はお客様が減った分で説明がつきます。合わないのはそこじゃありません。仕入れの金額です。3年前は月に75万円でした。今は70万円です。そのうちマルシンさんに払っているのが62万円です」
俺の頭の中で何かが引っかかった。売上は2割も減ったのに。
「はい。材料にかかるお金がほとんど減っていません。だから利益が全部なくなりました」
未央さんはノートの4冊目を開いて、あるページを俺の方に向けた。そこには表が書いてあった。左に品名、右に売上と材料費と月に出た数。
「品書きが14品から27品になりました。増えた13品のうち、ほとんどは月に10食も出ていません。でも出ない品でも仕込みは毎日します。だから毎月6万円分くらいが捨てられています」
「6万?」
「はい。1年で72万円です」
口の中が乾いていくのが分かった。
「それからソースが増えて、仕込みの時間が1日で2時間半増えています。その分、回転前にできることが減りました。だから昼のピークで回らなくなって、料理を出すのが遅くなりました」
言われて初めて思い当たった。去年の秋くらいから、ランチのピークで必ず一度注文が詰まるようになっていた。俺はそれを自分の腕が落ちたせいだと思っていた。
「あと、これも大きいと思います」
未央さんは表の一箇所を指した。ビーフシチューの行だった。
「ランチで一番出るのがビーフシチューです。全体の3割がこれです。でも材料費の重い品でもあります。原価率が」
「原価率?」
「はい。原価率です。売る値段が1200円で材料費が520円。4割を超えています」
「4割」
「牛頬肉の赤ワイン煮は1食の材料費がもっと高いです。でもあれは月に12食しか出ません。毎日一番出る品の原価率が4割を超えているのはこれだけです。看板の原価がこのままだと、忙しいのに金が残らないお店になります。ただ、材料費は市場の値段で計算しています。うちが実際に払っている金額なら、もう少し高いはずです」
「もう少し、どのくらい?」
「それが分からないんです」
未央さんはそこで一度手を止めた。それから言った。
「一番大きいものを言っていませんでした」
「まだあるのか?」
「人の数です」
俺は顔を上げた。
「先代の時は、先代と菅さんと私とホールのパートさんの4人でした。昨日までは7人いました。売上が2割減っているのに、人は4人から7人になっています。材料をいくら削っても、ここが合いません」
俺は何も言えなかった。3年前に人を増やしたのは俺だ。黒瀬が入って、日山が入って、ホールのバイトを2人入れた。店を大きくするつもりでそうした。父の代からのパートさんは、その年に家の都合でやめていた。俺は椅子に座り込んだ。教科書のようなことだ。東京の店でも聞いた。それを俺は自分の店で3年間、一度も計算していなかった。
「なんで俺に言わなかったんだ?」
言ってから、しまったと思った。責めるつもりはなかったけれど、そう聞こえたはずだった。未央さんは黙った。しばらくしてからこう言った。
「言おうと思ったことはあります」
「じゃあなんで」
「洗い場の人間が数字の話をすると、みんな困った顔をするので」
俺はその一言で何も言えなくなった。
「それに店長さんが、黒瀬さんが、数字は自分がやるとおっしゃっていたので」
俺は俯いた。その通りだった。俺は数字を黒瀬に丸投げした。黒瀬は毎晩レジを閉めて、月末に「今月もまあまあだったよ」と言った。俺はそれを聞いて安心していた。
「霧谷さん、もう1つ聞いていいかな?」
「はい」
「なんでそこまで分かるんだ?」
未央さんの手がエプロンの裾を握った。長い沈黙だった。厨房の換気扇の音がしていた。それがやけに大きく聞こえた。やがて未央さんは俺の方を見ずに言った。
「子供の頃に、学校で検査を受けたことがあって」
「検査?」
「知能の検査です。あの時出た数字が、その、200だったそうです」
俺は意味を取り違えたかと思った。
「200?」
「はい。先生方が何度か測り直したと聞きました。それで家にも連絡が行って」
未央さんはそこで言葉を切った。
「でも、うちはそれどころではなかったので」
その先を、未央さんはあまり詳しく話さなかった。家のことで色々あって、中学を出た後、高校には行けなかった。それだけを言った。
「働き始めてから、何度か言ったことがあるんです。数字のこととか、こうした方がいいですとか」
「うん」
「その度に『中卒のくせに』って笑われました」
俺は顔を上げられなかった。
「1回や2回じゃないので、そのうち言うのをやめました。言わなければ笑われませんから」
淡々とした言い方だった。怒りも悲しみもなく、終わったことを説明する話し方だった。それが余計に堪えた。俺の頭の中に、前の夜の黒瀬の声が戻ってきた。あの男が未央さんに向けて言ったあの言葉だ。あの時、俺は何も言い返さなかった。それだけじゃない。3年前に黒瀬が「あの人、中卒だろう。まあ洗い場が向いてんじゃないの」と言った時も、俺は黙って聞いていたのだ。
「霧谷さん」
「はい」
「昨日のこと、それから今までのこと。俺が悪かった」
未央さんは驚いた顔をした。この人が表情を変えるのを、俺は初めて見た気がした。
「いえ、佐井さんは。何も言わなかったのが悪いんだ」
こう言うと、未央さんは何かを言いかけてやめて、小さく頭を下げた。
「そのノート、貸してもらえるかな?」
「はい。でも、全部は無理だと思います」
「何が?」
「4冊全部読むと、多分3日かかります。今日はランチを開けないといけないので」
俺は思わず笑った。この2日で笑ったのは初めてだった。
「そうだな。まずは玉ねぎだ」
「はい」
その日、ランチは11時半に空いた。品書きはオムライスとハンバーグとナポリタンの3つだけ。厨房は俺1人。ホールと洗い場と会計は未央さんが1人でやった。後で気づいたことがある。その日、未央さんは注文を通す声が最初の1時間だけ裏返っていた。伝票を持つ手も震えていた。それでも一度も洗い場に逃げなかった。客は14人だった。いつもの半分だ。昼の間、皿はシンクに漬けておく。洗うのは閉めてから。けれど遅れて出た皿は1枚もなかった。翌月の21件の予約は6件だけ断り、残りは未央さんが1時間をずらして入れ直した。
それから10日ほどうちはランチだけの店になった。11時半に開けて2時に閉める。品書きは3つ。夜は予約が入っている日だけ開けた。厨房は俺1人。ホールと洗い場と会計は未央さんが1人でやる。人を雇い直すことは考えなかった。売上が減ったのに人を増やしてこの店を殺したのが3年間だったからだ。
やってみて分かった。22席はこの人数でもギリギリ回る。ただし品書きが少なく、仕込みが前の日に終わっていることが条件だ。未央さんは毎朝俺より1時間早く来る。来るとまず前の日の売れた数をノートに書き移す。それから冷蔵庫を開けて残っている材料を確認し、その日に何をどれだけ仕込むかを紙に書いて厨房の柱に貼った。
「これ、毎日作るの?」
「はい。天気と前の年の同じ時期の数を見て決めます。雨だと2割減るので」
「2割?」
「はい。うちは坂の上なので、雨の日はお客様が下の店で済ませます」
そういうことを、この人は13年見てきたのだ。客足は正直に落ちた。ランチの客は1日20人前後まで減った。父の代は50人くらい入っていた日もある。理由は分かっていた。品書きが3つしかないからだ。ビーフシチューがない養鶏屋に、わざわざ坂を登ってくる人は少ない。
田渕さんが来たのは店を縮めて4日目だった。引き戸を開けて店の中を見回して、品書きを見た。
「シチューはやめちまったのかい?」
「すみません。今作れなくて」
「ふーん」
田渕さんはカウンターに座ってハンバーグを頼んだ。食べ終わって水を飲んで、それから言った。
「ここのシチューはな、2年ばかり前からまずくなかった」
俺は箸を置いた。
「わしは40年ここで食っとる。うまいまずいくらいは分かる。2年前くらいから味が変わった。前より上等な味になった。だがあの味じゃあなくなった」
「上等な味に褒めてるんじゃないよ。わしは上等な味を食いに来とるんじゃない」
田渕さんはそう言って料金を置いて帰っていった。俺はしばらく動けなかった。その夜、未央さんのノートを開いた。田渕さんのところを日付に追っていった。3年前、ビーフシチュー完食。2年前の春、ビーフシチュー完食。2年前の夏、ビーフシチュー少し残す。去年の1月、ビーフシチュー半分残す。去年の7月、ハンバーグに変わる。そしてそこから先、田渕さんの欄にはずっとハンバーグと書いてあった。
「霧谷さん」
洗い場から返事があった。
「田渕さん、去年からシチューを頼まなくなってるんだね」
「はい」
「これ、気づいてた?」
「はい」
俺は聞かずにはいられなかった。
「なんで言ってくれなかったんだ?」
言ってからまた後悔した。この人は言えばよかったのに言わなかったのではない。言える場所にいなかったのだ。未央さんは水を止めてこちらに来た。
「あの、1つだけ言っていいですか?」
「うん」
「シチューのソースの作り方、2年前に変わりましたよね。ブラウンのルーを炒める時間が短くなりました。それから赤ワインを入れる量が増えました」
俺は思い出した。その通りだった。2年前、黒瀬が「今時のシチューはもっとコクがあって色が濃い方が受ける」と言った。俺と菅さんはルーの炒め時間を詰め、その分ワインを増やした。仕込みを短くしたい事情もあった。俺たちはそれを改良と呼んでいた。
「先代のソースはルーを45分炒めていました。今は25分です」
「そこまで測っていたのか」
「時計で測っていましたので」
俺は椅子に座った。田渕さんが言った「あの味じゃあなくなった」の意味が、その時初めて分かった。
最初の大きな壁は10日目にやってきた。宮原さんの下のお子さんの誕生日の会だ。8人、夜の予約。普通なら断るところだ。俺1人で8人分のコースはどう考えても無理がある。けれど宮原さんは20年通ってくれている家族だ。断る電話をかけようとして、受話器を持ったまま止まっていた。
「やりましょう」
背中から声がした。
「無理だよ。前菜からデザートまで8人分だ」
「順番を決めれば回ります」
未央さんは紙を1枚持ってきた。そこには時間が書いてあった。6時に着席と飲み物。6時5分、前菜を一斉に出す。前菜もスープも前の日に仕込んで、当日は温めるだけにする。火を使うのはメインだけだ。6時40分、ハンバーグを8枚、2回に分けて焼く。1回目の4枚を焼いている間に、2回目の付け合わせを盛る。メインの前に私が一度お席に出て「写真を撮りましょうか」とお声をかけます。そこで3分もらいます。その3分で佐井さんは2回目の4枚を返せます。
俺はその紙を見つめた。
「これ、考えたの?」
「順番は予約が入った日に書いてありました。厨房の人数が変わったので、昨日書き直しました」
予約が入ったのは2ヶ月前だ。書き直したのはこの10日ということだ。当日、俺たちは朝からずっと動いていた。ランチを閉めた後、俺は前の日に仕込んでおいた8人分の前菜を盛り付け、スープを鍋に移した。未央さんはテーブルを拭いて、椅子の高さを揃えて、席の札を並べて、それから紙のナプキンで小さい飾りを折っていた。
「あれ、どうしたの?」
「下の子は、この前来た時ナプキンを折った形のまま置いていったので」
夜の会は紙の通りに進んだ。前菜が出て、スープが出て、メインが出た。未央さんが「写真を撮りましょうか」と声をかけた時、宮原さん一家は全員でカメラの方を向いた。その3分で俺は残りの4枚を返した。デザートを出した時、下の子が声を上げた。宮原さんの奥さんが言った。
「ここ来るたびに大きくなるのよ、この子たち。この子たちが生まれる前から来てるんだから」
そして店を見回した。
「あの、今日は少ないんですね」
「はい。ちょっと色々ありまして」
「そう。でも、味は変わってなかった」
その一言が刺さった。「変わっていない」と言われて、俺は嬉しくなかった。宮原さんの奥さんが「変わっていない」と言ったのは、俺が変えた後の味のことだ。つまり、あれから何1つ戻せていないということだった。
会が終わって8人を送り出して、店を閉めた。俺は椅子に座り込んだ。膝が震えていた。
「回ったな」
「回りました」
未央さんはそう言って、初めて少しだけ笑ったように見えた。そこへ電話が鳴った。夜の10時前だった。こんな時間にかかってくる電話にろくなものはない。取ると仕入れ先からだった。マルシンフーズという会社だ。3年前からうちは肉も野菜も全部そこ1本にまとめていた。担当の男は随分言いにくそうにこう言った。
「あの、佐井さん。今月限りでお取引を終わらせていただきたく」
「え?うちも人手が足りませんので、配達のルートを見直すことになりまして」
「待ってください。うちは今月の支払いも……」
「支払いはもちろんお願いいたします。ただ、来月からの納品が」
俺は受話器を握ったまま天井を見た。その男は最後に余計なことを言った。
「駅前に新しく出られた店の方にまとめさせていただくことになりまして」
電話が切れた後、俺はしばらく動けなかった。仕入れ先がなくなった。支払いだけが残った。立て直しを始めようとした矢先に、次の問題が来たのだ。その時、厨房の奥から未央さんが声をかけてきた。
「佐井さん」
見ると、未央さんは棚の一番下から埃をかぶった分厚いファイルを引っ張り出していた。
「先代の時の納品書です。ここに残っています」
父の代の納品書は年ごとに束ねてあった。一番新しい束は3年前で止まっている。一番多かったのが山根肉店だった。坂を降りて商店街の真ん中にある小さな肉屋だ。次が和田青果。市場の近くにある店で、車で25分ほどかかる。
俺は次の日の朝、山根肉店に行った。店先でシャッターを上げていた主人は、俺の顔を見てそれから目を細めた。
「両蔵さんとこの息子さんか」
「はい。佐井直です。ご無沙汰しています」
山根さんは60代の後半くらいだろうか。前掛けで手を拭いて、ちょっと笑った。
「久しぶりだな。親父さんの葬式以来だ」
俺は要件を話した。仕入れ先がなくなったこと、また取引をお願いしたいこと。山根さんは黙って聞いていた。それからこう言った。
「うちはなあ、3年前にオタクから切られたんだよ」
「切られた?」
「電話が1本来てなあ。安いところが見つかったから、今月で終わりにしてくれと」
俺は何も言えなかった。そんな電話をかけた覚えはない。かけたとすれば、あの頃うちで数字を見ていた男だ。
「まあ商売だからなあ。仕方ない。ただ、あんたの親父さんとは30年やってたからね。一言くらい直接聞きたかったよ」
「すみませんでした」
俺は頭を下げた。山根さんはしばらく黙って、それから店の奥に入って白いトレーを持って出てきた。牛のスネ肉だった。
「両蔵さんが使ってたのはこれだよ。この筋の入ったところ」
「これですか?」
「和牛じゃない。和牛と乳牛を掛け合わせた交雑って牛だ。安いよ。1kgで1400円ちょい」
顔が熱くなるのが分かった。うちが3年使っていたのは和牛のスネだった。1kg3000円を超える。マルシンの担当が「先代より上のものを」というので、そのまま使っていた。
「シチューに上等な肉を使ってどうすんだ?和牛は脂が入りすぎてる。煮込むと油で濁るだけで、あの味は筋のゼラチンが出すんだ。同じスネでも、この筋の入り方が一番合ってる。両蔵さんはそれを知ってたから、わざとこっちを買ってたんだ」
俺は言葉が出なかった。
「山根さん、またお願いできますか?」
山根さんは前掛けで手を拭いた。
「明日から持ってってやるよ」
後で未央さんが計算した。スネ肉が半分以下になって、シチューの材料は520円から330円に落ちた。原価率が4割から2割7分になる。売れるほど薄くなっていた品が、売れるほど残る品に変わるということだった。
和田青果にもその日のうちに電話をした。こちらも同じだった。3年前に電話1本で切られていた。それでもうちの店の名前を言うと、電話の向こうの声が柔らかくなった。電話に出たのは和田の2代目だった。俺と同じくらいの年の人だ。
「竜三さんにはうちの親父が世話になってましてね」
「そうなんですか?」
「うちが代替わりしたばかりの頃、まだ誰も相手にしてくれなかったんですよ。両蔵さんだけが取ってくれた。あの人、うちの人参を見て『これは正直な人参だ』って言いました」
「正直な人参?」
「味は今でも分かりませんけどね。嬉しかったですよ」
その人は最後に「明日の朝から入れます」と言ってくれた。俺は電話を切った後、しばらく受話器を持ったままでいた。父が40年かけて作ったのは味だけではなかったのだと、その日に少しだけ分かった。
そこから俺と未央さんの立て直しが始まった。未央さんは1枚の紙を持ってきた。そこにはこれからやることが書いてあった。1つ、品書きを27品から半分以下の12品まで減らす。見た目だけ立派で数の出ない品はやめる。牛頬肉の赤ワイン煮も、エビのグラタンも、牛タンのシチューも。2つ、ビーフシチューを先代の作り方に戻す。3つ、ランチは3品に絞る。ビーフシチュー、オムライス、ハンバーグ。ナポリタンは夜だけにする。4つ、夜は予約だけ開ける。予約が入っていない日は仕込みに使う。5つ、仕込み表を作り直して廃棄をゼロに近づける。6つ、厨房の動線を変えて2人で回るようにする。
「6つもあるのか」
「はい。でも順番があります。まず6番からです。動線を変えないと、他が全部できません」
その日の営業が終わった後、俺たちは厨房のものを全部一旦外に出した。未央さんが床に紙のテープを貼っていった。
「先代はここに立っていました。コンロとまな板と冷蔵庫がこの三角の中に入っていました。この場所から3歩以上動かないで、全部やっていました」
俺は自分の立ち位置を思い返した。焼き場とまな板の間を、1回の注文で4回も5回も往復していた。3年前に人が増えた時、置き場所を少しずつ変えたからだ。
「戻すか?」
「はい、戻しましょう」
俺たちは夜中の2時までかかって、厨房を父の頃の並びに戻した。その次の日から、料理を出すまでの時間が3分縮んだ。品書きを減らすのは正直怖かった。減らせばその分だけ選ばれなくなる。頭ではそう思う。けれど未央さんのノートにははっきり書いてあった。27品あった頃、ランチの注文の8割は3品に集まっていた。夜も同じようなものだった。
「選べる数が多いと、人は決められなくなります。決められない人は『また今度でいいか』と思います」
「そうか」
「うちの品書きは、うちを知らない人に向けたものになっていました。でも坂を登ってくるお客様は、もう知っている人です」
その言い方に、俺は父の言葉を思い出した。「駅前ってのは通る場所だ。ここは来る場所になる」。
問題はビーフシチューだった。俺は厨房の奥から父の鍋を出して洗った。何年も使っていなかった鍋だ。うちのデミは継ぎ足さない。父は毎回、仔牛の骨を焼くところから1から取っていた。継ぎ足せば楽なのに、あの人は一度もそうしなかった。骨を焼いて、香味野菜と一緒に半日煮出す。フォンという出汁になる。次の日にブラウンのルーを45分炒めて、フォンと合わせて、山根さんのスネ肉を入れる。赤ワインの量も父の頃に戻した。3日かけて仕込んで、それから味を見た。違った。近いのだが、違う。何かが足りない。
俺は次の週も仕込んだ。今度は炒め時間を1時間まで伸ばしてみた。それでも違った。そのまた次の週は水の量を変えた。トマトを足してみた。フォンを濃く取り直してみた。どれも違った。自分の舌がおかしくなったのかと思った。父の味を12年も離れていた。もう覚えていないのかもしれない。
何度目かに失敗した夜、俺は鍋の前に立ったままお玉を置いた。
「無理だ」
未央さんが洗い場から顔を上げた。
「霧谷さん。今日はもう閉めよう」
「はい」
「俺、多分父さんの味は継げなかったんだと思う」
自分で言って、胸の辺りが痛くなった。12年も東京にいた。帰ってきたのは父さんが死んでからだ。あの人が何をどうやってたか、結局隣で見なかった。厨房の床に自分の影が落ちていた。継いだって言葉だけで、俺は何も継いでいない。しばらく誰も何も言わなかった。やがて未央さんが水を止めてこちらへ来た。
「あの」
「ん?」
「私、先代にご飯を食べさせてもらったことがあります」
俺は顔を上げた。
「それは、この店の話か?」
「いえ、ここで働く前です」
未央さんは洗い場の縁に手を置いた。
「13年前の冬でした。私は18歳で家を出て、行くところがありませんでした」
俺は黙って聞いた。
「夜にこの店の裏の路地に座っていました。換気扇から料理の匂いが出ていて、少し温かかったので。そうしたら裏口が開いて、おじさんが出てきました」
未央さんは少しだけ笑った。笑ったのだと思う。
「怒られると思いました。でも先代は何も聞かずに『中に入れ』って言いました」
「父さんが?」
「はい。それで席に座らされて、オムライスが出てきました」
俺は父の顔を思い浮かべた。何も聞かずに飯を出す。あの人がやりそうなことだ。
「私、食べながら泣いてしまって。そうしたら先代が」
未央さんはそこで一度言葉を切った。そして、はっきりした声で言った。
「『腹が減ってる時に食う飯は人をもう1回立たせるんだ』と」
俺の手が勝手にカウンターの縁を掴んだ。それは俺が数えきれないほど聞いた言葉だった。俺が高校をやめたいと言った日にも、試験に落ちた日にも、父はそう言ってから飯を出した。
「父さんが、君にも」
「はい。その次の日から、ここで働かせてもらいました。最初は皿洗いでした」
未央さんがそこで口を閉じた。何か言いかけてやめた顔だった。
「すみません。今日はもう遅いので、帰ります」
そう言って未央さんは頭を下げて帰っていった。俺は1人で厨房に残った。失敗した鍋が、火から下ろしたままそこにあった。翌朝、未央さんはいつもより30分早く来た。手に紙の袋を下げていた。
「佐井さん、渡さないといけないものがあります」
袋の中から出てきたのは、小さい手帳だった。1冊ではない。5冊あった。表紙が茶色く焼けている。角が丸くなっている。何度も開かれた手帳の形だった。俺はその一番上の1冊を開いた。そして息が止まった。父の字だった。
「これ、先代の仕込みの覚え書きです」
「なんで君が?」
「先代から預かりました」
中身はレシピではなかった。日付とその日の天気と仕込んだものの名前、それから短い言葉が書いてある。「デミ仕込み45分。焦がすな。色は栗の皮」「今日のスジ肉が細い。煮る時間を20分短く」。そういう書き方が延々と続いている。俺は父がこんなものをつけていたことを知らなかった。
父の手帳の3冊目の途中に、こんな行があった。「火を止めてから、急がず待て」。俺は指でその行をなぞった。その下に続きが書いてあった。「肉が柔らかくなる時間ではなく、客の顔を思い出す時間を取れ」。俺は手帳を持ったまま、そこから目を離せなかった。
「霧谷さん、これ、どういう意味か分かる?」
「はい」
即答だった。
「先代はソースを仕上げた後、火を止めて2時間置いていました。ゆっくり冷ますのはそこまでです。長く置くと痛むので、シンクに氷水を貼って鍋ごと沈めて一気に冷やして、冷蔵庫に入れます。出すのは次の日です。一度沸かしてから弱火に落として、それから出していました。仕上げたその日には、一度も出しませんでした」
「2時間」
「はい。私は見ていたので、時間だけは分かります。何を考えていたかまでは分かりませんけど。これは手帳と一緒にお渡しするものだと思っていたので、今まで言えませんでした」
俺は思い返した。父は夜、店を閉めた後に鍋の前でよく座っていた。俺は子供の頃、あれをサボっているのだと思っていた。あの人はただ、火を止めた鍋の前で座っていたのだ。
「先代がおっしゃっていました。ソースは冷める時に味が入るんだと」
その通りだと、俺は思った。料理をやる人間なら誰でも知っている。煮込みは冷める間に味が入る。当たり前のことだ。俺はその当たり前を、忙しさを理由にやっていなかった。仕上げたその日に出していた。ワインとルーで足りない分を埋めようとしていた。
「あの」
「うん」
「先代の味は材料じゃないと思います」
未央さんはいつもより少しだけはっきりした声で言った。
「待つ時間と、食べる人を思う気持ちだと思います」
俺は手帳を胸のところに持ったまま、天井を見た。こらえたつもりだったが、多分こらえられていなかった。
「霧谷さん、この手帳、いつから持ってたの?」
「3年前からです」
「3年?」
「はい」
「なんで今まで」
未央さんは少し俯いた。
「渡す時を、先代に決められてました」
「決められて?」
「はい。それだけです。すみません」
「せめていつ預かったのかだけ教えてくれ」
未央さんは少し迷ってから答えた。
「倒れる10日ほど前です。閉店の後に先代が洗い場へ来て、この袋ごと私に渡しました。『しばらく持っとけ』と。その時、もう1つ言われました」
「それは、今は言えません」
「10日前」
「はい。それから先代はその日の分だけ紙に書いて、次の日に私に渡していました。私がこの手帳に書き移していました。最後の10日だけ、文字が私のものです」
「膝を悪くしてから、あの人はそういうことを何度か言うようになったのだそうです」
「俺に何かあったら」
と。そこから先を、この人はどうしても言わなかった。
俺はその日から、また3日かけてソースを仕込み直した。骨を焼いて出汁を取る。ルーは45分。色は栗の皮。肉は山根さんの筋の入ったところ。香味野菜は飴色まで。そして、火を止めてから2時間、鍋の前に座った。何もしない2時間は思ったより長い。途中で何度も火をつけたくなった。もう1回だけ煮たら良くなるんじゃないか。料理をやる人間は大抵そう思う。父の手帳には「急がず待て」と書いてある。「急ぐな」ではない。「急がず」だ。急がないというのは何もしないということではないのだと、俺はその2時間で気づいた。何もしないでいるためには力がいる。座りながら、客の顔を思い出そうとした。田渕さんが「わしは上等な味を食いに来とるんじゃない」と言った顔。畑中さんが「うちで作るとどうしても違うのよ」という時の顔。宮原さんの下の子がナプキンで遊んでいた顔。そのうちに、父が鍋の前に座っていた背中を思い出した。あの人は、この2時間そうしていたのか。
2時間が過ぎて、俺はシンクに氷水を張った。鍋を沈めて、お玉で回しながら荒熱を抜いて、冷蔵庫にしまった。3日目の朝、俺は一度沸かしてから弱火に落として味を見た。スプーンを口に運んで、そのまま動けなくなった。
これだ。俺が東京へ出る朝、父が食わせてくれたあの味だった。
「霧谷さん」
「はい」
俺は小皿に少し取って渡した。未央さんは一口食べてスプーンを置いて、じっとしていた。しばらくしてこう言った。
「これです」
その声が、少しだけ震えていた。
ソースを仕込み直している間は1週間ほど閉めていた。うちが店を開け直したのは11月の頭だった。品書きは12品。ランチはビーフシチューとオムライスとハンバーグの3つ。ナポリタンは夜だけ。夜は予約が入っている日にだけ開ける。外の看板は未央さんが書いた。字が驚くほど下手だったので、俺が書き直した。
「霧谷さん、字が苦手なんだ」
「はい。人に見せる字を書いたことがないので」
そういうものかと思った。開ける前に、俺たちは葉書を出した。父が年賀状を出していた名簿が残っていた。全部で60人ほどいる。そのうち、この2年で来なくなった人が23人いた。未央さんがその23人を選んだ。
「この方たちは、味が変わってなくなった方です」
「分かるのか?」
「最後にいらした人、その時残された量が書いてありますので」
何を書くかは迷った。謝るのも宣伝も違う気がして、結局1行だけ書いた。「先代のビーフシチューを元の作り方に戻しました」。それだけを23枚、手で書いた。
初日の客は6人だった。昼に4人。夜に2人。俺と未央さんはその日の皿を全部洗って、店を閉めた。2日目は9人。3日目は7人。正直不安だった。ここまでやって、これなのかと思った。田渕さんが来たのは開け直して4日目の昼だった。引き戸を開け、いつもの端のカウンターに座って品書きを見た。ここにビーフシチューが戻っているのを、田渕さんはしばらく見ていた。
「これ、戻したのかい?」
「はい」
「ふーん」
田渕さんはそれだけ言って注文した。「ビーフシチュー、ライス少なめ」。俺は皿にソースをかけてパセリを振り、未央さんが運んでいった。田渕さんはスプーンを取って、肉を1つ掬って口に入れた。そして手が止まった。俺は厨房から見ていた。田渕さんはスプーンを皿に置いた。それから下を向いた。だいぶ長い間、そうしていた。俺はカウンターから出てそばに行った。
「田渕さん、どうかしましたか?」
田渕さんは顔を上げなかった。低い声でこう言った。
「この味だ」
「え?」
「これだよ。親父さんの味が戻ってきた」
俺は何も言えなかった。田渕さんは目の辺りを手の甲で擦った。
「わしはなあ。うちのが死んでから、ここの飯だけで生きてきたようなもんだ。それが2年前に急によその味になった。寂しくてなあ」
「はい」
「言えば良かったんだろうが。あんたは親父さんが死んだばかりで引き継いでやっとった。年寄りが口を出すことでもないと思ってな」
俺は頭を下げた。
「すみませんでした」
「謝るこっちゃない。戻ったんだから」
田渕さんはその後、一皿を全部食べた。ライス少なめの分まで、残さず食べた。皿が下がってきた時、未央さんはそれをじっと見ていた。
「霧谷さん、完食です」
「うん」
「2年半ぶりです」
未央さんはそう言って、皿を洗い場へ持っていった。俺は厨房で火のそばに立っていた。泣いてはいない。ただしばらく動けなかった。
その日の夜、田渕さんの仲間だという人から電話があった。明日4人で行きたいという。田渕さんが電話をかけて回ったらしい。用件を言うと、その人は笑ってこう言った。
「田渕さんがな、電話で泣いとったんだよ。あの味が戻ったって」
俺は受話器を置いてから、厨房の椅子に座った。その夜、俺は父の手帳を開いて、最後の1冊の一番後ろのページを見た。そこにはまだ何も書かれていなかった。父はこの続きを書くつもりだったのだ。俺は自分の字でその日の日付を書いた。「デミ仕込み直し。ルー45分。火を止めて2時間。田渕さん完食」。それが、俺がこの手帳に書いた最初の1行だ。
ここまでがこの話の半分だ。そこから少しずつ、客が戻ってきた。きっかけは田渕さんだった。次の日、田渕さんは電話をかけた印刷工場の仲間を3人連れてきた。全員70を超えている人たちだ。「ここのシチューがな、また食えるようになったんだよ」。そう言って4人でカウンターに並んで座った。その3人がまた誰かを連れてきた。畑中さんも友達を連れてきた。宮原さんの奥さんが近所に話した。派手なことは何もしていない。看板も宣伝も出していない。ただ「味が戻った」というそれだけの話が、坂の上と下を巡った。
12月の頭には、ランチの客が1日30人を超えるようになった。夜も動き始めた。12月に入ると忘年会の問い合わせが立て続けに来た。8人、10人、6人。うちはテーブルを3つつげて10人までで、1日1組しか受けられない。そう言っても「それでいい」と言われた。結局その月は夜を18日開けた。俺と未央さんの2人で回した。回るように組み換えてあったからだ。未央さんは相変わらず声が小さかったが、ホールに出るのにも慣れてきていた。客の顔と注文を全部覚えていた。田渕さんが座ると、何も言わなくても水と一緒にお絞りを2つ置く。あの人のお絞りはいつも2枚とも使われて戻ってくるからだ。畑中さんには頼まれる前にケチャップを持っていった。
ある日、畑中さんが未央さんを呼び止めて言った。
「あんた、前からいたっけ?」
「はい。ずっと洗い場にいました」
「あら、そう。もったいない」
未央さんはどう返していいのか分からない顔をしていた。そこまでがいい話だ。同じ12月に、駅前の店が話題になった。地元の情報誌に載ったのだ。「駅前に本格ビストロ誕生」という記事で、写真には黒瀬が腕を組んで映っていた。その隣で菅さんがコック帽をかぶって、少し困ったような顔をしていた。記事には「養鶏の名手で15年腕を振るった料理長を招聘」とあった。うちの店の名前は出ていなかった。週末になると、坂の下の人が駅の方へ流れていくのが分かった。
黒瀬が来たのは12月の半ばだった。昼を少し過ぎた時間だった。引き戸が開いて、あいつが立っていた。
「いらっしゃい」
黒瀬はカウンターの真ん中に座った。店にはまだ客が2組いた。品書きを上から下まで見て笑った。
「12か。随分減らしたな」
「うん」
「まあ、1人じゃそれが限界か。うちは38だよ」
そう言ってビーフシチューを頼んだ。俺は黙って作った。黒瀬は一口食べて「ふーん」と言った。
「昔の味に戻したんだ」
「戻した」
「客来てる?」
「おかげ様で」
「うちは初月で400万行ったよ。行列できてるの見た?」
俺は返事をしなかった。黒瀬は食べ終わって水を飲んで、それから洗い場の方を見た。未央さんは背を向けて皿を洗っていた。
「あれ、まだ置いてんの?」
「霧谷さんはうちのスタッフだ」
「ふうん」
黒瀬は財布を出しながらこう言った。
「言っとくけどさ、お前、あの人のこと何も知らないだろ」
「何が言いたい?」
「いや、俺は前に商店街の人から聞いたことがあってさ。あの人、若い頃色々あったらしいよ。家のこととか金のこととか」
「黒瀬」
「怒るなって。心配していってんだよ。店の金、触らせてないよな」
自分の中で何かが切れる音を聞いた気がした。店にはまだ客がいた。俺は声を落とした。
「帰ってくれ」
黒瀬は肩をすくめて、金を置いて出ていった。引き戸が閉まった後、俺は洗い場の方を見た。未央さんは背を向けたまま皿を洗い続けていた。聞こえていたはずだ。
年末の商店街の集まりは12月の20日過ぎにあった。田渕さんに「顔くらい出しとけ」と言われて、しぶしぶ出た。酒の入った席で聞かれた。
「佐井さん、オタク、中卒の女の子に全部やらせてるんだって。駅前の黒瀬さんが言ってたよ。人がいなくなって、しょうがなく素人に任せてるって」
実はそういうやり方をする男なのだ。俺はできる限りの言い方をした。うちは2人でやっていること。彼女は13年うちにいて、この3ヶ月で店を立て直したのは彼女だということ。半分くらいの人は「ああ、そうなの」と言った。残りの半分は笑って別の話に移った。それが噂というものだと思った。
金の方も、その月に一度きつくなった。マルシンフーズとの取引は切れたが、支払いは残っていた。掛けというものはそういうものだ。9月に入れてもらった分の62万円を10月の25日に払い、最後に入れてもらった10月分を11月の25日に払って、それでようやく終わった。それを払って、うちの手元はほとんど空になった。12月には年内最後の給料と家賃と山根さんと和田さんへの支払いが重なる。切り替えたばかりの取引先にうちの信用はない。初めは納めてもらった分を早めに払うしかない。その月の売上は伸びていた。それでも11月までずっと赤字だったから、貯めていたものが尽きていた。
俺は信用金庫に行った。父の代から43年、うちが世話になっている支店だ。担当の人はうちの決算書と未央さんが作った12月の見込みの表を見て、しばらく黙っていた。それからこう言った。
「佐井さん、この表、誰が作られたんですか?」
「うちのスタッフです」
「よくできています。正直、このくらいの規模のお店でここまで出してこられる方は少ないです」
その人はうちに残っていた借入れを1つにまとめ直してくれた。担保の保証をつけて借りられる枠が残っていたので、返す期間を伸ばして年末の仕入れと給料に回す分を少し載せた。毎月の返済は半分以下になった。それでその年を越せた。
帰りに担当の人が言った。
「先代の時も一度だけお世話したことがあるんですよ。開店の時です」
「そうなんですか」
「43年前です。うちの支店長が先代を覚えていましたね。開店の時に貸して、3年きっかりで返してもらったと」
俺は坂を登りながら、そのことを考えていた。
年が開ける前に、未央さんがやめると言い出した。12月の29日だった。年内の営業の最後の日で、店を閉めた後だった。未央さんはエプロンを畳んで、それを両手で持って立っていた。
「佐井さん、お話があります」
「うん」
「私、今月でやめさせてください」
俺はお玉を持ったまま聞いた。
「理由を聞いていいかな?」
「私がいるとお店に迷惑がかかります」
「商店街の話か?」
「はい。それだけじゃありません」
未央さんは畳んだエプロンを見たまま言った。
「黒瀬さんの言うことは、間違ってはいないので」
「間違ってる」
「いえ」
未央さんは顔を上げなかった。
「私は中卒です。資格も何もありません。それに家のことは黒瀬さんが言った通りです。私の父が借金を作って、私は中学を出てすぐ働きに出ました。18歳で家を出たのも、家に帰れなくなったからです」
俺は何も言わなかった。
「そういう人間が店の数字を触っていると聞いたら、心配になる人はいます。当たり前だと思います。先代の手帳もお渡ししました。品書きも仕込み表も残しました。もう私がいなくても、佐井さん1人で回ります」
そう言って未央さんはエプロンをカウンターに置いた。俺はしばらく黙っていた。言いたいことはいくらでもあった。噂なんか放っておけばいい。あんたがいないと回らない。そんなことでやめるな。けれどそのどれも、この人が今まで13年浴びてきたものの前では軽すぎる気がした。俺は結局こう言った。
「霧谷さん、1つだけ聞かせてほしい」
「はい」
「あの夜、なんで残ってくれたんだ?」
未央さんが小さく息を吸うのが分かった。
「黒瀬にあんなことを言われて、俺にも畳むかもしれないって言われて、それでも君は残ると言ってくれた。なんでそう言ってくれたんだ?」
長い沈黙だった。外で誰かが自転車のベルを鳴らして通っていった。やがて未央さんはこう言った。
「先代に、言わないと決めさせられたことがあります」
「先代に?」
「はい」
「その決めたことは、いつまでなんだ?」
未央さんは答えなかった。俺は自分でも意外なほど落ち着いた声で言った。
「今すぐ返事をくれなくていい。年末年始は店を休む。1月4日から開ける。それまでゆっくり考えてほしい。ただ、辞表は受け取らない。エプロンも、持って帰ってくれ」
未央さんはカウンターのエプロンを見て、それからそれを取った。
「はい」
そして頭を下げて帰っていった。俺は誰もいない店に残った。年内最後の日なのに、大掃除をする気にもならなかった。レジを閉めた。12月の売上は父の代の半分を少し超えたところだった。それでも計算してみると、手元に残る金は去年の12月とは比べ物にならなかった。人が減って、捨てるものが減って、肉も父の頃のものに戻したからだ。それを見ても、何も嬉しくなかった。
うちは12月30日から1月3日まで店を閉める。父の代からそうだ。その5日間、俺は2階で父の手帳を最初から読んだ。5冊、5年分ある。父が亡くなる年の分まであった。読むうちに、妙なことに気づいた。手帳の3冊目の途中から、仕込みの覚え書きに混じって別の書き方の行が増えているのだ。「玉ねぎ10kg、1850円」「スジ肉4kg、5600円」。材料の量と値段だ。父は仕込みの記録に仕入れの単価まで書き残していた。それも途中からだんだん細かくなる。5冊目、つまり最後の1年の分になると、ほとんど毎日値段が書いてあった。なぜ父がそんなことを始めたのか、その時の俺には分からなかった。値段の行は目に入っていたはずだ。それを自分の店の請求書と並べてみることなど、その時の俺は思いつきもしなかった。黒瀬の机も、あれから一度も開けていなかった。俺はあいつの私物だと思っていたし、正直に言えばあいつの残していったものには何1つ触りたくなかった。帳簿は税理士さんの控えで足りていたから、開ける理由を俺は自分に作らなかったのだ。
若林大地が来たのは1月2日の昼だった。店の前の落ち葉を掃いていたら、坂の下から自転車を押して上がってくるのが見えた。
「あ、佐井さん」
「大地?どうした?」
大地は自転車を止めて、深く頭を下げた。
「すみませんでした」
「おい、道の真ん中で」
「本当にすみませんでした」
頭を上げなかった。俺は店の鍵を開けて中に入れた。暖房をつけて、湯を沸かしてコーヒーを出した。大地はそれに手をつけずに、椅子に座って膝を見ていた。
「俺、本当は残りたかったんです」
「うん」
「でも、言えませんでした」
大地は話し始めた。黒瀬はあの夜の1ヶ月も前から、1人ずつ呼び出していたのだという。後で4人で話してみて、みんな同じだったと分かったのだそうだ。菅さんには新しい店では料理長兼店長にする、給料もあげると言った。日山には「若いうちに本格の店をやった方がいい。あの店にいてもハンバーグしか焼けないぞ」と言った。里保には「うちなら社員にする。就職のことで悩まなくていい」と言った。そして大地にはこう言ったのだそうだ。
「佐井さんは来月には給料が出せなくなる。学費、どうするんだよって」
「そんなことを」
「それだけじゃないです」
大地はカップを見たまま言った。
「残ったら、この辺の飲食では働けなくなると聞いていて」
手が冷たくなるのが分かった。黒瀬の父親は駅前で30年居酒屋をやっている。この町の飲食の集まりでは古株だ。黒瀬はそこの息子として、若い頃からあちこちの店に顔を出していた。21歳のバイトに、その脅しは本物に聞こえたはずだ。
「あと、佐井さんのことも。佐井さんはいざとなったらバイトから切るつもりだって。人柄はいいけど経営が分かってないから、判断はできないって」
俺はしばらく黙っていた。あの男はずっと俺の店の中で、俺の知らない話を配って回っていたのだ。
「大地、新しい店はどうなんだ?」
大地は顔を上げた。
「最初の1ヶ月はすごかったです。行列もできてました」
「うん」
「でも、12月に入ってからだんだんおかしくなって」
黒瀬は売上が落ちた日に、菅さんを厨房で怒鳴るのだという。「客が入らないのは料理が悪いからだ」と。バイトは開店前から終電前まで働かされているという。給料は上がったが、休憩がない日もあるらしい。客からの苦情は全部ホールのせいにされるのだそうだ。
「里保さん、先月泣いてました。社員にするって話も、まだ何も出てないみたいで。菅さんは料理長兼店長って、あれ名前だけです。仕入れも金も全部黒瀬さんが1人でやってます。菅さん、この前休憩室で1人で座ってました。何もしないで、ずっと。声をかけたら『大丈夫だ』って。それだけでした」
「そうか」
「俺、あの人があんな顔してるの、初めて見ました」
俺は菅さんが白衣を脱いだあの夜の顔を思い出した。大地は最後にこう言った。
「俺、やめます。もう決めました」
「そうか」
「それで……」
「言いたいことがあるなら」
「いえ、今日はそれだけです。すみませんでした」
そう言って帰って行った。戻してくれとは言わなかった。言えなかったのだと思う。俺も戻って来いとは言わなかった。まだ言う時ではないと思ったし、正直に言えばその時の俺にはその余裕がなかった。
1月4日の朝、俺が2階から降りると店の灯りがついていた。厨房に未央さんがいた。エプロンをつけて、柱に紙を張っているところだった。その日の仕込み表だった。
「霧谷さん、おはようございます」
「あの、玉ねぎを剥かないといけないので」
それだけ言って、シンクの方へ行った。俺は何も聞かなかった。聞かない方がいい気がしたし、聞いたところでこの人は答えないだろうと思ったからだ。理由を聞いたのはずっと後になってからだ。正月の間、未央さんは父の手帳のことを考えていたのだそうだ。渡しただけでやめるのは、預かったことの半分しかしていない。先代に言われたことは、まだ終わっていない。そう思ったのだと。
1月と2月は飲食にとって一番きつい時期だ。忘年会も新年会も終わり。寒くて、みんな家から出ない。父の代でもこの2ヶ月は落ちていた。ところがこの冬、うちは客の数が落ちなかった。ランチは1日30人前後で安定した。夜は週に6日から8日、予約で開けるようになった。春にはランチが1日40人を超えた。思い当たることは1つしかなかった。うちに来る人が、父の代と同じ「わざわざ坂を登ってくる人」に戻っていたからだ。
田渕さんは相変わらず週に3回来た。印刷工場の仲間も来た。畑中さんが友達を連れてきて、その友達が娘さんを連れてきた。宮原さんの上の子が高校の友達を連れてきて、オムライスを食べて帰った。
2月の初めのことだ。40歳くらいの女の人が、小学生の男の子を連れてきた。オムライスを2つ頼んで、食べ終わった後、レジでこう言った。
「私、ここで誕生日をやってもらったんです。小学校3年の時です」
「うちでですか?」
「はい。母が働いていてお金がなくて、でもここの大将が『うちならケーキの代わりにプリンをつけてやる』って」
その人は少し笑った。
「その日、母が泣いていたのを覚えています」
俺はその話を知らなかった。父は40年、こういうことを家では一度も話さなかった。自分の父親のことを、俺は客から教わっている。
「今日は、この子に食べさせたくて」
男の子は口の周りにケチャップをつけたまま、こちらを見ていた。その親子が帰った後、未央さんが皿を下げてきた。
「完食です。2つともです」
そういう人が、その後もポツポツ現れた。父が40年で何をやってきたのか、俺はその時少しずつ知った。未央さんは裏で完璧に店を回した。その日の客の数は前の週の同じ曜日と天気から読み、仕込みの量を決めた。廃棄はほとんど出なくなった。予約の入れ方を組み換えて待ち時間を減らし、常連の座る席まで開けておいた。俺は途中で気づいた。この人は料理を作る天才ではない。店に何があって、誰が来て、何がどう流れているかを、全部同時に見ている天才なのだ。
そして2月の半ばに、あの営業が来た。マルシンフーズの森田という担当だった。取引を切った時に電話をかけてきた男だ。その日、うちに納品はない。森田さんは手ぶらで入ってきて、へらへらと笑った。
「ご無沙汰してます」
「何かご用ですか?」
「いえね、実は駅前さんとのお取引を、うちから一度整理させていただくことになりまして」
「はあ」
「それでですね、こちらとまたやらせていただけないかと」
俺は断ろうとした。その時、森田さんが書類を出しながらこう言ったのだ。
「あ、条件はですね、前と同じで行けます。あの、黒瀬さんの分はどうしましょう?もう乗せなくてよろしいですか?」
店の中の音が止まった気がした。
「黒瀬さんの分?」
森田さんの顔から笑みが消えた。
「あ、いえ、あの」
「森田さん、黒瀬さんの分って、何ですか?」
「黒瀬さんからは、佐井さんも承知の上と伺っていたもので」
「いえ、すみません。今のは忘れてください」
森田さんは書類を鞄に戻して、逃げるように出ていった。俺はカウンターの前に立ったまま動かなかった。洗い場から未央さんが出てきた。手袋を外しながら、こう言った。
「佐井さん、あの、私、多分分かります」
「霧谷さん」
「先代の手帳に、仕入れの値段が書いてありましたよね」
「ああ。最後の年は毎日書いてあった」
「はい。マルシンさんの請求書は毎月の初めに封筒で届きます。私が受け取って、店長さんに渡していました。私が手渡すので、しまうところまでは見えます。黒瀬さんはそれを開けて、机の一番下の引き出しに入れていました。3年分、溜まっているはずです。持ち出すところは一度も見ていません」
「開けたのか?」
「いえ、鍵がかかっていますし、私が勝手に開けるわけにいかないので」
俺はレジの下から鍵を取った。
「開けよう。今から」
店長の机はホールの奥にある。レジのすぐ裏だ。引き出しは3段あって、一番下だけが鍵がかかっていた。その鍵を黒瀬は持っていかなかった。俺は鍵を回して引き出しを開けた。中にはマルシンフーズの納品書と請求書が、月ごとに輪ゴムで束ねて入っていた。請求書は1ヶ月に1枚だ。3年で36枚あった。俺と未央さんはそれをカウンターに並べた。そして父の手帳の5冊目をその横に置いた。
「霧谷さん、どこから見ればいい?」
「品目です」
「品目?」
「お肉は比べられません。先代のメモは交雑牛で、うちが使っていたのは和牛なので、品物が違います」
「そうか」
「でも、玉ねぎとじゃがいもと人参とトマト缶と油と小麦粉は、3年前と同じ規格のものです。これなら比べられます。玉ねぎとじゃがいもから見ます。数が多いので差がはっきり出ます。缶と油と粉はその後で見ます」
その晩、店を閉めてからずっとそれをやった。未央さんが父の手帳から単価を読み上げ、俺が請求書から同じ品目を探す。玉ねぎLサイズ10kgの箱。父の手帳では1850円。マルシンの請求書では2150円。じゃがいも男爵10kg。父の手帳では1600円。請求書では1870円。トマトの缶も、サラダ油も、小麦粉も。同じだった。全部だった。例外は1つもなかった。
「全部高い」
「はい。大体、1割5分から1割7分です」
「相場が上がったんじゃないのか。3年経ってるんだから」
「上がっています。でも、そこまでではありません」
未央さんは洗い場の棚の奥から、表紙の色の変わった古いノートをもう1冊持ってきて開いた。
「私、月に1回、休みの日にバスで市場まで行って、外に出ている値段を書き移していました。10年分以上あります」
「なんでそんなことを?」
「先代がそうしなさいと言ったので。『いつか自分が市場に行けなくなる日が来る。その時のために見ておけ』と」
俺はその一言に、しばらく顔を上げられなかった。未央さんは表を作った。市場の値段とマルシンの請求書の値段を、月ごとに並べた表だった。線が2本引ける。市場の線と、うちの線だ。マルシンさんに1本化する前までは、2本の線は同じ幅を保って動いている。変わった次の月から、うちの線だけがすっと上に離れる。そしてその差はそこからずっと同じ幅で開いたままだった。市場が上がれば、市場の線も上に上がる。この幅だけが、上乗せの分だった。
「これ、いくらになるんだ?」
未央さんは伝票に手を伸ばしてやめた。
「お肉だけは品物が違うので比べられません。ですから、他で出た1割6分がお肉にも同じだけ乗っているものとして計算しました。森田さんが『条件は前と同じ』とおっしゃっていたので、多分外れていません。マルシンさんに払っていたのが肉と野菜と物で月に62万円です。上乗せがなければ、54万円で買えていた計算になります。月に8万円くらいです。1年だと96万円くらいです。3年だと290万円くらいになります」
俺はカウンターに手をついた。3年かけてこの店を殺しながら、去年の夏には自分の給料まで取れなくなりながら、俺が守っていたつもりのこの店から、毎月8万円が静かに流れ出ていたのだ。そしてそのお金はどこに行ったのか。それを教えてくれたのは、請求書の裏だった。束を1つほどいて5月の請求書を裏返した時、鉛筆で薄く数字が書いてあった。「5月25日 8. 2」。その次の月の裏には「6月25日 7. 9」。その次は「7月25日 8.

4」。1枚めくるたびに、同じ書き方の数字が出てきた。全部で31枚。25日はうちがマルシンさんに払う日だ。そして数字はどれも8の前後。さっき未央さんが出した月8万円と、そのまま重なった。書いていないのは一番古い5枚だけだった。最初の5ヶ月分はまだ上乗せが始まっていない。黒瀬が搾り取り始めたのが、少し遅かっただけだ。
俺はその字を知っていた。毎晩レジの締めを書いていた字だ。あいつは俺が請求を1枚でも見比べるとは、多分一度も思っていなかった。あいつ。自分の声が低くなっていた。黒瀬は3年前、父の代からの山根肉店と和田青果に電話1本を入れて切った。そして仕入れをマルシンフーズ1本にまとめた。単価に上乗せさせて、その分を毎月受け取っていた。俺が「数字は俺がやる」と言われて安心していた間、ずっとだ。品数を増やしたがったのも、肉を変えさせたのも、今なら分かる。うちの仕入れが膨らむほど、あいつの取り分も膨らむからだ。
「霧谷さん、これ、いつから気づいてた?」
「はっきり分かったのは今日です。そうです、請求書を見たのが今日なので。それまでは『おかしい』と思っていただけです」
未央さんはその古いノートを閉じた。
「納品を受け取るのは私なので、その日の合計だけは分かります。ノートに書いた1食いくらというのは、市場に出ている値段から計算した数字です。うちが本当にいくらで買っていたかは、分かりませんでした。業者と一緒に届く納品書は、品目ごとの欄が空でした」
「空?」
「はい。品目と、一番下に伝票全体の合計があるだけです。普通は品目ごとに単価と金額が入っています」
「黒瀬がそうさせていたのか」
「多分。産地と規格は箱に書いてありますから、市場でいくらのものかは分かります。でも、うちが1つずついくらで買っているかは、翌月の初めに来る請求書を見ないと分かりません。その請求書が、店長さんの机の鍵のかかった引き出しでした」
そういうことだった。この人はずっと、数字が合わないことに気づいていた。鍵の場所も知っていた。けれど、あの人間がその引き出しを開けたら、その日で終わりだ。手が届かなかったのではない。伸ばせなかったのだ。そしてその紙を管理していたのが、疑うべき相手の黒瀬だったのだ。
「言えばよかったのに」
言ってしまってから、俺は自分の口を塞ぎたくなった。またこれだ。俺はこの人に何度、同じことを言うのだろう。けれど未央さんは、今度は少し違う答え方をした。
「言おうとしたことはあります」
「え?」
「2年前の秋です。仕入れの値段のことで、佐井さんに話そうと思って、閉店の後に待っていました」
「全然覚えてない」
「話していませんから」
未央さんは少し間を置いた。
「あの日、佐井さんは厨房で寝ていました。仕込みの途中で、まな板に手をついたまま」
俺はそのことを思い出した。あの秋はひどく忙しかった。品数が増えて仕込みが終わらず、俺は毎晩店で仮眠を取っていた。
「その顔を見て、言うのをやめました。今、この人に『信じている人がお店のお金を抜いています』と言ったら、この人はもう立てなくなると思ったからです」
俺は言葉が出なかった。
「それに、その時私が持っていたのは市場の値段の紙だけでした。証拠にはなりません。中卒のバイトが店長さんを疑って、間違っていたら、私はここにいられなくなります」
未央さんはそこで自分の手を見た。
「私は、ここにいたかったので」
「霧谷さん、あいつが1人ずつ呼び出していたのは、君も知ってたのか?」
未央さんは長いこと黙っていた。
「はい。9月に入ってから、みんなの顔が変わりました。里保さんが裏の入口から出てくる時、必ず目が赤かったので」
「また、言えなかったんだな」
「洗い場の人間が『店長さんが何かしてます』と言ったら、どうなるかは分かっていたので」
「じゃあ、あいつが出ていった後は?あれからもう5ヶ月経つ。10月に仕入れの話をした時に、単価のことも言えたはずだ」
「言おうと思いました。でも証拠は引き出しの中でした。開けて何もなかったら、佐井さんはお友達を疑った自分を、この先ずっと責めます。森田さんがああおっしゃるまで、私は自分の思い違いの方にかけていました」
俺は天井を見た。この人はこの3年、言えることを何ひとつ言えないまま、全部を見ていたのだ。俺はカウンターの椅子に座った。しばらく2人とも何も言わなかった。やがて俺は父の手帳を手に取った。
「霧谷さん、1つ教えてほしい」
「はい」
「父さんは、なんで最後の1年、毎日仕入れの値段を書いていたんだ?」
未央さんは手帳の5冊目を見た。
「先代は、最後の年に膝を悪くしていました」
「手帳を君に預けたのも、その膝の頃か」
「はい。それまでは週に2回、ご自分で市場に行っていました。でも、その年から行けなくなりました」
膝のことを、父は電話で一度も言わなかった。自分の体の話をする人ではなかった。
「電話で頼むようになると、現物を自分の目で見られません。それで『値段だけは自分で書いておく』と言っていました」
未央さんは静かに言った。
「先代は『店が続くかどうかは仕入れの単価で決まる』と言っていました。味は落ちなくても、単価が1割ずれたら、店は死ぬと」
俺はその手帳を両手で持っていた。父は自分が市場に行けなくなった年から、値段を毎日書くようになった。それが3年後、息子の店で何が起きているかを証明する紙になった。父は狙って書いていたわけではない。ただ店を守るためにやっていただけ。だけど、それが残った。
「霧谷さん」
「はい」
「父さんは、その書き方を君に教えたんだよな」
長い沈黙の後、未央さんは小さく頷いた。
「はい」
「なんで君に?」
未央さんは洗い場の方を見た。そして、13年前からの話をした。働き始めて3ヶ月ほど経った頃、未央さんは父にこう言ったのだそうだ。
「今日のデミグラス、いつもと違います」
父はそれを聞いて手を止めた。実はその日、ルーを焦がしかけて作り直していた。それを知っているのは、父のはずだった。それから父は時々、未央さんを試すようになった。「3番テーブルの客は満足したか?」未央さんは「あの方は満足していません。フォークとナイフを揃えずに置いていましたので」と答えた。次の週、その客は来なくなった。「野菜の切り方を変えたのはなぜだ?」「今日の人参が細いので、いつもの厚さだと火が入りすぎます」。父は何も言わずに聞いて、そのまま仕込みを続けたのだという。そういうことが何度かあった後、父は洗い場の未央さんにこう言った。
「お前さんは皿を洗っているんじゃない。店全体を見てるんだ」
未央さんはその言葉を口にする時だけ、少し声が変わった。
「私、それまで人に何かができると言われたことがありませんでした。学校でも家でも、どこの職場でも、私は変わっている人でした。数字が見えるのは、私が悪いんだと思っていました」
俺は父の顔を思い浮かべた。あの人はそういう人だった。誰かの中にあるものを見つけても、大袈裟に褒めない。ただ事実として言う。
「なんで父さんは君をホールに出したり、仕込みをやらせたりしなかったんだ?」
「私が断ったからです」
「断った?」
「人前に出るのが怖かったので。それだけです」
未央さんは少し笑った。
「先代は『無理にとは言わない。お前さんのやり方でいい。ただ見るのだけはやめるな』と」
俺は目の辺りが熱くなった。そして、一番聞かなければいけないことを聞いた。
「霧谷さん、この手帳を渡す時を、父さんに決められてたって言ったよな」
「はい」
「なんて言われたんだ」
未央さんは長いこと黙っていた。そして、はっきりと言った。
「あの日『言えない』と申し上げた、もう1つです。『いつか直が本当に困った時に渡してくれ』と。この手帳のことは、それまで一言も言うなと言われました。店のことは『気づいたらええ』と言われていました。それは私にはできませんでした」
「なんで、手帳のことは言うなって言われたんだ?」
「自分で気づかないと、直の店にならないから、と」
俺は手帳を持ったまま下を向いた。父は俺が東京から帰ってくるとは思っていなかったはずだ。自分がいつまで店に立てるかも分かっていなかった。ただ、いつかこの店を息子がやるかもしれないとは思っていたのだ。そしてその時に、息子が転ぶことまで分かっていた。だから手帳を未央さんに預けた。俺が自分で転んで、自分で立ち上がろうとするまで、待たせたのだ。
「父さん」
そういうところが、俺はそこで言葉を切った。その先が続かなかった。未央さんは何も言わずに洗い場の方へ行って、蛇口をひねった。水の音がした。俺はカウンターに座ったまま、その音を聞いていた。
菅さんが来たのは2月の終わりの、店を閉めた後だった。引き戸が開く音がして、俺が顔を上げると、そこに菅さんが立っていた。コートの前を開けたまま、手ぶらだった。
「夜分にすみません」
「菅さん」
菅さんはそのまま入り口のところで、深く頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
腰から折るような下げ方だった。
「頭を上げてください」
「上げられません」
菅さんはしばらくそのままだった。俺は椅子を出した。それでもすぐには座らなかった。やっと座った後、菅さんはこう言った。
「先代に、顔向けができません」
「菅さん」
「私は15年前に自分の店を潰しました。借金だけ残して、女房にも逃げられて、どこにも行くところがありませんでした。その時、先代が拾ってくださった。何も聞かずに『明日から来い』と。私はこの店で15年、先代のソースを守ってきたつもりでした。でも2年前から、佐井さんと一緒にあのソースを変えました」
俺は何も言えなかった。
「変えようと言ったのは俺だ」
「変えながら、私は毎日『これは違う』と思っていました。それでも、言いませんでした」
菅さんは自分の手を見た。厚くて傷だらけの手だった。
「そこへ、黒瀬さんが来て『うちの店で料理長兼店長をやってくれ』と言われました。情けない話です。私はまだ自分に底力があると思いたかったんです」
菅さんの声がそこで一度途切れた。
「『古い味だ』と言われ続けて、自分が守ってきたものがいらないものになっていく。その気持ちを、黒瀬さんにはよく分かるんです。分かった上で、言葉をかけてきました」
その時初めて、黒瀬という男が何をしていたのかを理解した。あいつは嘘をついたわけじゃない。人が触られたくないところを、正確に探して、そこに手を置いたのだ。
「駅前に行って5ヶ月です。私は料理長でも店長でもありませんでした。仕入れも金も、全部黒瀬さんが1人でやっていました。聞きました。売上が落ちた日は、厨房で立たされます。若い子の前で」
俺は拳を握った。
「先週、やめてきました」
「そうですか」
菅さんはもう一度腰から折った。
「恥ずかしいのは分かっています。それでも、言わせてください。もう一度、この店で働かせてください」
俺はすぐに答えなかった。答えたい言葉は口のすぐそこまで来ていた。それを飲み込むのに、少し力がいった。
「菅さん、1週間考えさせてください」
「はい。はい、そうですよね」
菅さんはそう言って帰っていった。その2日後に日山が来た。3日後に里保が来た。大地はもう一度来た。みんな同じように頭を下げた。里保は話しているうちに泣き出した。
「社員にするって言われたんです。でも、3ヶ月経っても何も言われなくて。私、就職も決まらなかったし、誰かにいてほしいって言われたのが嬉しくて」
大地から聞いて知っていた話だった。それでも本人の口から聞くのは違った。俺はその子にハンバーグを焼いて出した。父のやり方だ。何かあったら、まず飯を出す。里保は泣きながら、全部食べた。俺は4人に同じことを言った。1週間、考えさせてくれと。
その1週間ずっと考えていた。戻したかった。それは本心だ。この店はあの人たちが作ってきた店でもある。けれど、前と同じ店に戻したら、また同じことが起きる。3年前、俺は数字を人に丸投げした。誰かを見下す言葉を店の中で聞いても、黙っていた。それが3年かけて、うちの店をここまで持ってきたのだ。
3月の最初の定休日、俺は4人を店に呼んだ。昼過ぎだ。看板は消したまま、暖房だけつけた。菅さんと日山と里保と大地が、テーブルに並んで座った。未央さんは洗い場ではなく、カウンターの端に座っていた。俺がそこに座ってほしいと頼んだからだ。
俺は4人の前に立った。
「戻ってくれるのは、本当に嬉しいです」
みんなが顔を上げた。
「でも、前と同じ店には戻しません」
俺は続けた。
「うちはこれから、条件を1つ作ります。守れないなら、うちには置けません。誰かを見下すのは禁止です」
店の中が静かになった。
「学歴でも立場でも担当でも、それで人を判断する人は、うちには置けません。洗い場だから、バイトだから、中卒だから。そういう言い方をこの店でした人は、次の日から来なくていい」
誰も何も言わなかった。俺は未央さんの方を見た。
「霧谷さんは、皿洗いじゃありません」
未央さんが少し驚いた顔をした。
「この人が仕込み表を作り直して、品書きを12品に絞って、動線を組み換えて、予約の入れ方を変えました。父の手帳を守っていたのもこの人です。この5ヶ月、うちが潰れなかったのは、この人がいたからです。この店を救ってくれた、大切な仲間です」
菅さんが椅子を引いて立ち上がった。そして未央さんの方を向いて、深く頭を下げた。
「霧谷さん、長いこと失礼をしました」
日山も立った。里保も、大地も立った。
「すみませんでした」
「俺、霧谷さんのこと、ただの人としか思ってませんでした」
「日山さんは後で一度だけ、駅前では毎日冷凍のソースを湯煎してたと言いました。ごめんなさい」
「話しかけたこともなかった。この夜、俺、何も言えませんでした。すみませんでした」
未央さんは椅子に座ったまま、動けなくなっていた。やがて立ち上がったが、どうしていいのか分からない顔をしていた。
「あの、私、そんな」
「霧谷さん」
菅さんは頭を上げてから言った。
「教えてください。手順は覚えていました。なぜそうするのかが、私は15年いて分かりませんでした」
菅さんは仕込みを終えると先に帰る人だった。父が鍋の前に座っていたのは、店の者がみんな帰った後だ。あの2時間を見ていたのは、最後まで洗い物をしていた人だけだった。未央さんは俯いて、それから小さく頷いた。
その時だった。引き戸が開いた。黒瀬が立っていた。
「ああ、やっぱりここにいた」
菅さんの背中が硬くなるのが分かった。黒瀬はずかずかと入ってきて、店の中を見回した。それから笑った。
「なんだ、全員集合か」
「今日は休みだ」
「知ってるよ。だから来たんだ」
黒瀬はカウンターに手を置いて、未央さんの方を見た。
「霧谷さん、だっけ?」
未央さんは何も言わなかった。
「聞いたよ。あんた、頭いいんだってな。親父から聞いたよ。山根さんとこがまたお前んとこに品物を入れるってな。しかも仕切ってるのは洗い場の人らしいじゃないか」
「黒瀬」
黒瀬は俺を無視して、未央さんに近づいた。
「なあ。こんな才能あるなら、最初っから言えよ。あんた、ずっと皿洗いやってたんだろ?もったいねえよ」
黒瀬は笑いながら言った。
「うち来いよ。給料倍出す。仕込みでも仕入れでも、好きなことやっていい」
店の中の誰も動かなかった。未央さんはカウンターの椅子から立ち上がった。俯かなかった。黒瀬の方をまっすぐ見た。
「私は」
小さい声だったけれど、店の隅まではっきり届いた。
「『いらない』って言われた場所には、戻りません」
黒瀬の顔から笑みが消えた。
「なんだよ、それ」
「あなたが私に言ったのは『置いていく』と『あげる』の2つです。物についての言い方です。おい、私は物ではないので、行きません」
黒瀬はしばらく未央さんを見て、それから俺の方を向いた。
「おい、直、お前、何言わせてんだよ」
「言わせてない。この人が言ってる」
「大体なあ。俺がいなかったら、お前の店なんかとっくに」
「黒瀬」
俺はカウンターの上に、3つのものを並べた。マルシンフーズの請求書の束。父の手帳の5冊目。未央さんが作った、市場の値段とうちの値段を比べた表。黒瀬の目がそれを見た。
「玉ねぎも、じゃがいもも、人参も、油も、小麦粉も。3年分、全部同じ規格で比べた。全部、1割5分から1割7分高い。相場の上がり方じゃない。月に8万円。3年で290万円だ」
黒瀬は何も言わなかった。
「請求書の裏に、鉛筆で数字が書いてある。31枚だ。日付と数字だけ。あんたの字だ」
「そんなもん、証拠にならねえよ」
「そうだな。ならないかもしれない。でも、先月、マルシンの森田さんがうちに来た」
黒瀬の眉が動いた。
「取引を戻してくれと言いに来て、こう言った。『黒瀬さんの分はどうしましょう』と。俺は聞き返した。森田さんは謝って、帰った」
店の中が静まり返っていた。黒瀬は口を開きかけて、閉じた。
「訴えるつもりはない。金も時間もかかる。うちにはその余裕がない。それにそんなことに使う時間があったら、俺はソースを1回でも多く仕込みたい。ただ、山根さんと和田さんには話した」
黒瀬の顔色が変わった。山根肉店は商店街で30年以上。和田青果は市場のそばで代々やっている店だ。黒瀬の父親の居酒屋にも、あの2件は品物を入れている。
「あの2人はな、3年前に電話1本で切られてる。誰が電話したのかも聞いた。それと、この4人がこの町の飲食で働けなくなったら、その話がどこへ行くか、あんたが考えてくれ」
「お前」
「言いふらすつもりはない。でも、聞かれたら答える」
黒瀬はしばらく黙っていた。これからいつもの笑い方をしようとした。うまくいっていなかった。
「俺は、お前のためにやってたんだよ」
「知ってる。あんたは本当にそう思ってる。それが一番質が悪い」
俺は続けた。
「あんたは、うちのスタッフを仲間だと思ったことが一度もなかった。菅さんも、日山も、里保も、大地も、霧谷さんも。全部、駒だ。使える奴は連れて行く。使えない奴は置いていく。あんたはあの夜、本気でそう言った。父の店に、そういう人はいらない」
黒瀬は俺を見ていた。多分、あいつはその時も自分が何を言われているのか、半分も分かっていなかったと思う。
「好きにしろよ」
そう言って、引き戸に手をかけた。出ていく前に、一度だけ振り返った。
「言っとくけどな。俺がいなかったら、この店は3年前に終わってたぞ」
菅さんが立ち上がった。
「終わっていません」
「あ?」
「先代のソースは、この店に残っていました。私が守れなかっただけで、ここにありました。あなたが持っていったものは、何も残っていません」
黒瀬は何も言い返さなかった。引き戸が閉まった。坂を降りていく足音が、だんだん小さくなって、消えた。
黒瀬が出ていった後、しばらく誰も口を聞かなかった。最初に動いたのは大地だった。
「あの、お茶入れます」
そう言って、厨房に入っていった。この子は昔から、こういう時に手を動かす。湯が湧く音の間に、俺は4人に言った。
「明日から、来てください」
菅さんが顔を上げた。
「さっきの条件だけ、守ってください。それだけです」
「はい」
「はい」
「はい」
「はい」
「あと、給料のことは正直に言います。前と同じ額は、まだ出せません。今は月の売上が父の代の半分を少し超えたくらいです。夜は予約の日しか開けていません。4人が戻れば、人にかかる金が増えます。しばらくは苦しいです。その代わり、数字は全部見せます。店が今いくら入っていくら出ていくのか、毎月、全員に見せます」
菅さんが顔を上げた。目が丸くなっていた。
「そんなもの、私らに見せるんですか?」
「見せます。あの時、俺はそれを1人に任せました。任せた相手が悪かったんじゃない。1人に任せたのが悪かったんです」
菅さんが黙って頷いた。4人はそのまま帰らなかった。菅さんが「今のうちに明日の分の仕込みだけでも」と言い出して、日山が白衣を出し、大地がテーブルを拭き始めた。俺が止めても聞かなかった。結局、その日の夕方まで、6人で厨房にいた。誰も金の話をせず、ただ玉ねぎを剥いて、人参を切って、鍋を洗った。
菅さんが途中で未央さんに聞いた。
「霧谷さん、この仕込み表の、この数字は何ですか?」
「明日のお客様の数の予想です」
「予想?」
「はい。明日は晴れて気温が上がるので、シチューが3割減ります」
菅さんはその紙をしばらく見ていた。
「先代も、こういうことを言ってました」
「はい。教わりましたので」
菅さんは何も言わずに、玉ねぎに戻った。
みんなが帰ったのは、日が落ちてからだった。店には俺と未央さんだけが残った。未央さんはいつも通り洗い場に立って、6つの湯飲みを洗っていた。俺は椅子を戻してテーブルを拭き、それから未央さんのところへ行った。
「霧谷さん」
「はい」
「さっきは、よく言ってくれた」
未央さんは蛇口を止めた。そのままシンクの縁に手を置いて、動かなくなった。しばらくして、こう言った。
「私、本当は怖かったんです」
「うん」
「さっき立ち上がる時、足が震えていました。言った後も、ずっと震えていました」
俺は何も言わずに聞いていた。
「あの人がこの店に入ってきた時、私、また同じことになると思ったんです」
「同じこと?」
「『中卒のくせに』って、みんなの前で言われることです」
未央さんは俯いたまま続けた。
「前に『言わなければ笑われませんから』と申し上げました」
「うん」
「あれは、半分だけ本当です。本当は、笑われた顔をもう一度見るのが、怖かっただけです。13年、それを見ないで済む場所に立っていました」
俺は父の顔を思い出していた。「無理にとは言わない」と未央さんは言っていた。「ただ見るのだけはやめるな」と。父は未央さんが何を怖がっているかを、知っていたのだ。
「今日、あの人に『うち来い』と言われた時、本当は何も言わずに首を振るつもりでした」
「うん」
「でも、さっき佐井さんが『皿洗いじゃありません』って言ってくださったので」
未央さんはそこで言葉を止めた。肩が小さく動いていた。
「霧谷さん、すみません」
「謝らないでほしい」
未央さんは手の甲で目を押さえた。それでも足りなくて、エプロンの裾を目に当てた。声を出さずに泣く人だった。俺はしばらく、その隣に立っていた。厨房で換気扇がまだ回っていた。俺はそれを止めに行って、また戻ってきた。やがて未央さんは深く息をして、顔を上げた。
「佐井さん」
「うん」
「先代に、一度だけ聞いたことがあります」
「父さんに?」
「はい。働き始めて何年か経った頃です。私、どうしても不安で、『私みたいなのが、この先どうやって生きていったらいいんですか』って聞きました」
俺は黙って待った。
「先代は玉ねぎを刻みながら、こう言いました」
未央さんは父の口調を真似るように言った。
「『学歴じゃない。人の腹と心を満たせる奴が、一番強いんだ』」
俺はその言葉を初めて聞いた。俺が父から聞いたことのある言葉ではなかったけれど、あの人が言いそうな言葉だった。あまりにも、そうだった。
「父さんは」
自分でも声が変になっていた。
「父さんは、俺の知らないところで君を、助けてたんだな」
「助けていただきました」
「そして、君は俺の知らないところで、この店を守ってたんだな」
未央さんは首を振った。
「守れていません。3年、何もできませんでした」
「霧谷さん、君がいなかったら、この店は9月で終わってた。あの夜、俺は『畳むしかない』って言った。畳んでたよ。1人だったら、次の日に業者に電話して、それで終わりだった。君があの夜そう言ってくれたから、俺は次の日、店を開けたんだ」
未央さんはまた下を向いた。俺は続けた。
「父の店が残ったのは、君がいたからだ」
その後、未央さんは何も言わなかった。洗い場の前で、ただ立っていた。俺も何も言わなかった。外はもう暗く、坂の下の街灯が、すりガラス越しに見えた。しばらくして、未央さんが言った。
「明日も、より1時間早く来ます」
「4人も来るのに」
「はい。人が増えると、動線をもう一度組み直さないといけないので」
俺は思わず笑った。
「そうだな。頼みます」
「はい」
未央さんは湯飲みを拭いて棚に上げ、エプロンを外した。帰り際、入り口で一度立ち止まって、こちらを向いた。13年、この人はいつもそうやって、一度立ち止まってから帰る。
「先代のお墓、どこにあるか教えていただけますか?」
「え?」
「私、行ったことがないので」
俺はその一言に、少し詰まった。
「行こう。今度の休みに、一緒に」
「いいんですか?」
「いいも何も、君が行かないでどうする?」
未央さんは小さく頭を下げて、帰っていった。その夜、俺は父の手帳の最後の1冊に、その日の文を書いた。「3月。菅さん、日山、里保、大地、戻る。霧谷さんと俺で、6人になった」。それから少し考えて、もう1行足した。「父さん。あんたが預けたもの、ちゃんと届いた」。
その月の休みに、俺は未央さんを父の墓に連れて行った。墓は坂を降りて川を渡った先の寺にある。歩いて20分ほどだ。未央さんは途中の花屋で、小さい花束を買った。それと、紙の袋を1つ持っていた。墓の前で俺が先に手を合わせ、未央さんが花を備えて、袋の中から小さいタッパーを出した。
「それ、何?」
「オムライスです」
俺は驚いた。
「今朝、作りました。あの、卵はうまく焼けなかったので、乗せただけですけど」
そう言って、墓の前に置いた。未央さんはしゃがんだまま、長いこと手を合わせていた。何を言ってたのかは、聞かなかった。帰り道、俺は聞いてみた。
「父の葬式の時、最期の隅に立っていたのは、君か」
未央さんは小さく頷いて、言った。
「ご挨拶をする立場ではないと思ったので」
坂を登りながら、未央さんがぽつりと言った。
「13年、お礼を言っていませんでした」
「そうか」
「思っているうちに、先代がいなくなってしまったので」
俺は前を向いたまま歩いた。
「多分、聞こえてたよ」
あれから半年が過ぎた。9月になって、この町はまだ暑い。うちの店は今も坂の途中にある。カウンターが6席、4人掛けのテーブルが4つ、22席。品書きは12品のまま。店の作りは、父の代から何も変わっていない。夜は今も予約でだけ開ける。ただし、予約は2週間先まで埋まるようになった。昼は開ける前から外に人が立つようになった。道が狭いので、店の前に紙とペンを置いてある。名前を書いて、時間になったら戻ってきてもらう。この仕組みを考えたのは、未央さんだ。
売上は父の代にあと少しというところまで戻った。人が6人になった分、俺の手元に残るものは父の頃より薄い。それでも、捨てるものはほとんど出なくなった。200万売って自分の給料も出せなかった去年とは、まるで違う。
人は6人になった。俺と、菅さんと、日山と、里保と、大地と、未央さんだ。大地は大学を出て4月から社員になった。母親に反対されたそうだが、里保が一緒に説得しに行ったらしい。里保も社員だ。2人とも契約書を作って、判をついてもらった。菅さんは49歳にして、父のソースを1から習い直している。習う相手は、俺だ。15年うちにいた人に、12年よその店にいた俺が教えている。おかしな話だが、菅さんは真面目にノートを取る。先週、その菅さんが1人で仕込んだデミグラスの味を見た。
「菅さん、これ、どうですか?」
「父の味です」
菅さんはそれを聞いて、厨房の壁の方を向いた。しばらく、こっちを向かなかった。
田渕さんは今も週に3回来る。79歳になった。この前は5歳の孫を連れてきた。その子が「おじいちゃん、これ何?」と聞いた。田渕さんはシチューだと答えた。
「おいし」
「うまいよ」
そう言って、自分の分から肉を1つ、孫の皿に移していた。畑中さんはこの春に足を痛めて、しばらく来られなくなった。その間、未央さんが週に1回、うちのオムライスを詰めて届けに行っていた。俺がそれを知ったのは、3ヶ月も経ってからだ。畑中さんは今、また自分の足で坂を登ってくる。「あんたのオムライス、うちで作るとどうしても違うのよ」。そういうのも、前と同じだ。
未央さんはもう、あの頃の未央さんではない。品書きと予約と仕入れと原価と、それから席の回し方。全部、この人が見ている。毎月の数字は約束通り、全員に配っている。売上と仕入れと捨てた分、それに人にかかる分と家賃と電気とガスと水道を合わせた、店を開けるのにかかる金だ。最初は菅さんも日山も困った顔をしていたが、3ヶ月もすると自分から質問するようになった。先月は日山が「人参、今の切り方だと端が捨てられてます」と言い出して、切り方が変わった。うちの廃棄は今月、2万円を切っている。
洗い場は今、6人で順番に入る。俺も入る。未央さんが言ったからだ。「洗い場に立たないと、お客様が何を残したか分かりませんから」。それが、この店の決まりになった。外の黒板は、今は未央さんが書いている。夜、店を閉めた後に練習していたらしい。ある日、俺が書き直そうとしたら、「今日は私が書きます」と言った。うまくはない。それでも、去年の字ではなかった。まだ人前に出るのは怖いと本人は言う。けれど、怖いまま出てくるようになった。それは、怖くなくなるよりも、多分ずっと難しいことだと思う。
駅前の店は、夏に閉まった。閉まる少し前に、マルシンフーズの森田さんがうちに来て、頭を下げていった。取引は戻さなかった。うちは山根さんと和田さんでやっている。黒瀬がその後どうしているのかは、知らない。商店街の集まりで誰かがその話を仕掛けたことがあるが、俺は聞こえないふりをした。「言いふらすつもりはない」と、あの時言ったからだ。
9月の終わりの、ある夜だった。店を閉めて、みんなが帰って、俺と未央さんが2人になった。ちょうど1年前だと、俺は思った。1年前のちょうど今頃、この店の中であの言葉が言われた。
「霧谷さん」
「はい」
「話がある。座って」
未央さんはエプロンを外し、カウンターの椅子に座った。俺はその向いに立った。
「この店の、共同責任者になってほしい」
未央さんはしばらく、意味が分からない顔をしていた。
「共同責任者、ですか?」
「うん」
「あの、それは、私がですか?」
「君以外に誰がいる?」
「品書きも、仕入れも、金のことも。これからは、俺1人で決めない。2人で決めて、2人で責任を持つ。それが共同責任者だ。給料もあげます。黒瀬が言った額には届かない。それでも、洗い場の時給でこの店を回してもらうわけにはいかない」
未央さんは首を振った。
「私、中卒です。資格も何もありません」
「書類の名前とか、そういうのも関係ない。それと、来月から社員だ。契約書はもう作ってある。判をついてもらう。大地の時と同じだ。随分遅れたけどな」
俺は言った。
「この店を一番よく見てきたのは君だ。あれから1年経った。君はこの店を14年見てきた。俺はまだ4年だ」
未央さんは自分の手を見ていた。指の関節が荒れている。長いこと水に触ってきた手だ。長い沈黙の後、未央さんは顔を上げた。そして言った。
「私、少しは、力になれましたか?」
俺はその言葉を聞いて、1年前の夜を思い出した。あの夜、この人は俯いて、消えそうな声で言ったのだ。「少しは力になれるかも」と。俺はゆっくり答えた。
「少しどころじゃない。君は、父さんが俺に残してくれたこの店で、一番大きな宝物だ」
未央さんは口を押さえた。それから笑った。泣きながら笑うのを、俺はこの時初めて見た。
黒瀬は1年前、この店から料理長を連れ、コックを連れ、バイトを2人連れて行った。そして、皿洗いの人を1人置いていった。「役立たずだ」と言った。「あげる」と言った。あいつは最後まで、自分が何を置いていったのか、分かっていなかった。父が40年かけて作った味と、その味を覚えている人たちの繋がり。それを全部、静かに守っていた人だ。中卒で、声が小さくて、13年ずっと洗い場にいて、誰にも数えられなかった人。その人が、この店を救った。


