今年も年末は嫁の両親も一緒に実家に行くから、よろしく頼むよ。
スーパーの買い物客のざわめきの中で、私、加藤藤子は息子の順からの電話に耳を疑った。68歳の私に向かって、これは通告だった。去年と同じように、と彼は言った。どうせ保険の仕事も年末は休みなんだから、暇なんだろ、と。
暇。その一言が、39年間、雨の日も風の日も顧客のために走り続けてきた私の人生を、まるで無価値なものにされたような気がした。去年の悪夢が鮮明に蘇る。朝早くからの8人分の食事の支度。休む間もない掃除と後片付け。深夜まで続く労働。私はただの便利な労働力として扱われた。嫁の雪も、自分の両親には「お母様」と丁寧に接するのに、私には「ちょっとこれやっといて」と言うだけ。最も辛かったのは、姑が私を「本当に働き者ね。うちにもこんな人がいると助かるわ」と、人を褒めるような、でも明らかに見下した調子で言ったことだった。
電話を切った後、私はスーパーのベンチに座り込んだ。なぜ、こんな扱いを受けなければならないのか。息子のために全てを捧げてきた。夫が病気で働けなくなってからは、保険外交員として必死に働き、順を大学まで行かせた。結婚の時には、マイホームの頭金として500万円も援助した。「お母さんのおかげで今の僕がある」と涙を流して言ったあの言葉を信じて、私は老後の蓄えまで削ったのだ。それが、一年前の屈辱で全てが否定された。
12月29日の朝、約束通り息子一家が到着した。重いスーツケースを押し付けられ、挨拶もそこそこに家へ運ばされる。雪の両親、田中夫妻は上品な笑顔で「今年もよろしくね」と言うが、その目は冷たかった。リビングに通すと、雪の母親がソファに座るなり言い放った。「ふ子さん、コーヒーはブルーマウンテンでお願いね。インスタントなんて飲めないから。」
うちにブルーマウンテンなどあるはずもない。慌てて近所のコーヒー専門店に走ったが、年末で品切れ。結局別の高級豆を買って戻ると、今度は雪の父親が「この家、随分狭いね。東京じゃこんなもんか」と不満げに言った。夫と二人で築いてきた、大切な思い出の詰まった家を、初対面の人間にけなされる屈辱。夕食の準備を始めると、雪が台所に来て、まるでレストランに注文するかのような口調で「今日は8人分だから、品数も多めにお願いしますね。あ、でも父は糖尿病だから薄味で、母は胃が弱いから油物は控えめに」と言った。
食卓に料理を並べ終えると、信じられない光景が広がっていた。上座には雪の両親。その隣に順と雪。私の席は、一番端の小さな補助椅子だった。「いただきます」と箸をつけ始めた時、順が言った。「お母さんの料理より、雪の実家の方が美味しいよね。」「そうね。やっぱりお母様は料理上手だから。」田中夫人は得意げに頷いた。「ふ子さんも頑張ってるけど、やっぱり育ちの違いかしらね。うちは代々、料理にはこだわってきたから。」
育ちの違い。その言葉が、鋭い刃物のように私の心を切り裂いた。
翌朝、5時に起きて朝食の準備をしていると、雪の母親が起きてきた。「あら、もう起きてるの?年寄りは早起きね。」68歳の私と65歳の彼女。たった3歳の差で、まるで別世代のような扱い。彼女は続けた。「ふ子さんって、ずっと保険の外回りしてたんでしょ。大変だったでしょうね。学歴もないのに。」学歴もない。確かに私は高卒だ。でも、保険外交員として39年間、誰よりも勉強し、顧客からの信頼を勝ち取ってきた。その努力を、たった一言で否定された。
昼食の時、雪の父親が言った。「順さんは出世してるみたいだけど、これからは雪の実家の人脈も使えるから、もっと出世できるよ。」まるで、私の存在はもう過去のものだと言わんばかりだった。
3日目の夜。私は台所の椅子に座り込んでいた。するとリビングから雪の声が聞こえてきた。「お母さんって本当に便利よね。文句も言わないし、何でもやってくれるし。」「そうね。ふ子さんみたいな人がいると助かるわ。うちにも欲しいくらい。」田中夫人の声に、皆が笑った。「でも、ちょっと要領悪いよな。もっとテキパキできないのかな。」順の声だった。息子にまで、そんな風に思われていたのか。「まあ、しょうがないよ。お母さんも年だし。」「そうそう。認知症とかじゃないといいけどね。」雪の軽い口調で放たれた「認知症」という言葉に、私は凍りついた。
4日目の朝、ついに限界が来た。朝食の準備中、目まいがして倒れそうになった。雪の母親に見つかり、「大丈夫?無理しないでいいわよ。でも、朝ご飯は8時までに用意してね。」心配するふりをしながら、結局は要求を続ける。私はただの道具でしかないのか。その夜、私は布団の中で泣いた。こんな屈辱を受けるために、息子を育てたのではない。人としての最低限の尊厳すら認めてもらえない。私は一体、何のために生きているのだろうか。
大晦日の朝、私は39度の高熱で目を覚ました。4日間の過労が限界に達していた。ふらつきながら廊下を歩いていると、足がもつれた。物音を聞きつけた順が顔を出す。「母さん、うるさいよ。まだ7時前だぞ。」「実は、熱が…」「え、熱?困るな。今日は大晦日で、特別な料理を作ってもらう予定だったのに。」息子の口から出たのは、心配の言葉ではなく、不満だけだった。「母さん、とりあえず朝食だけでも作ってよ。簡単なものでいいからさ。」高熱でふらつく私を支えることもなく、順は自室に戻っていった。
涙が勝手に溢れてくる。なんとか朝食を食卓に並べ終えると、雪の両親がリビングに入ってきた。「ふ子さん、顔色が悪いわね。」「実は熱がありまして…」「あら、大変。でも移ったら困るから、あなたは離れて食事してもらえる?」まるで病原菌扱いだった。私は黙って頷き、台所の片隅で、立ったまま味噌汁を飲んだ。食事中、リビングから雪の声が聞こえてきた。「お母さん、本当に使えないわね。大事な大晦日に熱を出すなんて、計画性がないのよ。」「まあ、年も年だしな。来年からは別の方法を考えた方がいいかも。」順の声に、私は凍りついた。別の方法。まさか。
午後、少し熱が下がったのでリビングを掃除していた。皆は買い出しに出かけており、家には私と、部屋にこもっている孫だけだった。掃除機をかけていると、2階から孫の声が聞こえてきた。電話で友達と話しているようだ。「うちにもばあちゃんいるけど、まじうざいよ。朝から晩まで働かされてるけど要領悪いし。」15歳の孫の言葉に胸が締め付けられた。「でもさ、親が言ってたけど、ばあちゃん結構金持ってるらしいんだ。保険の仕事でかなり貯めたらしくて…。父さんと母さんが話してるの聞いちゃったんだけど、ばあちゃんが死んだら、その金全部うちのものになるんだって。だから、今は我慢して面倒見てるふりしてるらしい。」
その瞬間、私の中で何かが音を立てて崩れた。面倒を見ているふり。全ては芝居だったのか。「施設に入れる話も出てるみたい。ばあちゃんの貯金で施設代払えば、残りは全部もらえるからって。」孫の電話はまだ続いていた。「正月明けにばあちゃんの通帳とか調べるって言ってた。認知症のふりして成年後見人になれば、金の管理できるからって。」
認知症のふり。昨日の雪の「認知症じゃないといいけどね」という言葉は、すでに計画の一部だったのだ。夕方、皆が帰ってきた。私は何も知らないふりをして、夕食の準備を始めた。しかし、手が震えて包丁が握れない。これは熱のせいではない。裏切りのショックで、体が拒否反応を起こしているのだ。「お母さん、大丈夫?」雪が心配そうな顔を作って近づいてきた。今となっては、その全てが演技に見える。「少し休ませてもらえますか?」「あら、大変。でも、年越しそばの準備はお願いね。」
夜10時、私は布団の中で一人、荷物をまとめ始めた。もう限界だった。すると、廊下から順と雪の声が聞こえてきた。「母さんの部屋、探った?」「まだよ。でも、明日の朝で寝込んでる隙に通帳探すわ。」「保険の書類も忘れるなよ。受け取り人が俺になってるか確認しないと。」「大丈夫よ。あと数年の辛抱よ。あの年なら、そう長くないでしょう。」
そう長くない。私の死を待っている。「施設の資料ももう取り寄せた。月に10万のところよ。ばあさんの年金と貯金で十分払える。残りは全部もらえるな。ざっと3000万は残るはずよ。」3000万。私が39年間、雨の日も風の日も働いて貯めた老後の資金。それを簡単に計算する息子夫婦の声に、私は怒りが覚めた。「でも、本当に認知症って診断してもらえるかな?」「大丈夫よ。最近、物忘れが激しいって医者に言えばいいの。それに、今日みたいに熱を出して倒れそうになったりしてるし。一人暮らしは危険だって言えば。」「そうだな。正月明けには動こう。」
私は震える手でスマートフォンを取り出した。録音機能を起動させ、この会話を証拠として残した。そして、私の中で決意が固まった。もう我慢はしない。息子であろうと、私の尊厳を踏みにじる者には、それ相応の報いを受けてもらう。
深夜、私は静かに行動を開始した。まず、録音した会話をクラウドストレージに保存した。次に、顧客であり顧問弁護士でもある山田先生にメールを送信した。「家族間の財産問題についてご相談したい」と。すぐに返信が来た。正月2日の午前中で良いという。39年間、誠実に仕事をしてきたことで築いた人脈が、今、私を支えてくれていた。
そして、私は重要な事実を思い出した。この家は、私の単独名義なのだ。10年前に夫が亡くなった時、相続で私が全て引き継いだ。順はそのことを知らない。土地と建物で資産価値は4000万円を超える。さらに、夫の生命保険金と私が貯めた貯金を合わせれば、総資産は1億2000万円になる。順たちが知っているのは私の貯金3000万円のことだけ。後の9000万円の存在は、誰も知らない。
私は金庫から不動産の権利書を取り出し、写真を撮って保存した。そして、最も重要な書類を作成し始めた。明け渡し通知書だ。この家の所有者として、居住者に対して退去を求める正式な書類。すぐに使うつもりはないが、切り札は用意しておく必要がある。
午前3時、私は親友の田村泰子に電話した。夫を亡くし、息子夫婦との同居を断って自由に生きている彼女は、事情を話すと即座に言った。「すぐうちに来なさい。正月でも構わないわ。部屋はいくらでもあるから。」
明け方、私は重要な発見をした。リビングの本棚に、見覚えのない書類が挟まれていた。それは介護施設のパンフレットと、成年後見制度の申請書類だった。申請書類には、すでに順の名前と印鑑が押されていた。「母は最近物忘れが激しく、金銭管理ができなくなっている」という理由で。添付書類として、私の預金通帳のコピーもあった。どうやら、私が買い物に行っている間に部屋を物色していたらしい。しかし、彼らは重大なミスを犯していた。コピーされていたのは地方銀行の通帳だけ。メインバンクの都市銀行とネット銀行の存在には気づいていない。
朝7時、私は朝食の準備を始めた。今日が最後の朝食になる。朝食の席で、順が言った。「母さん、正月明けに一度、病院に行こうか。最近、疲れやすいみたいだし。」「そうですね。お母さんの健康は大切ですから。」雪が心配そうな顔を作る。全ては芝居。認知症の診断を受けさせるための布石だ。「ありがとう。でも、私には主治医がいますから。」「え、主治医?」「ええ、月に一度、定期検診を受けているの。とても優秀な先生よ。」これは本当のことだ。私の主治医は私の健康状態を完璧に把握している。認知症などという診断書は絶対に書かない。「でも、別の病院でセカンドオピニオンを…」「必要ありませんわ。」私はきっぱりと断った。
その後、私は気分が悪いと言って自室に戻り、最後の準備を始めた。まず、家中の貴重品を金庫に移動させた。次に、重要書類は全て泰子に預けるための袋に入れた。そして、順への手紙を書き始めた。
「順へ。あなたが私をどう思っているか、全て知りました。介護施設に入れ、財産を奪う計画も。でも、私はあなたの思い通りにはなりません。」
いや、これではまだ甘い。書き直した。
「家政婦はやめました。他人様なので、もうお世話はできません。1月3日までに退去してください。ーー加藤藤子」
シンプルで冷たい文面。息子ではなく、ただの知らせとして。私はそれを机上に置いた。そして、最後にもう一通、雪の両親宛ての手紙も書いた。「保険のおばさんには、学も心もありません。どうぞお引き取りください。」
全ての準備が整った。明日の朝、私はこの家を出る。そして、二度と戻らない。
元旦の朝、私はいつものように起床した。しかし、今朝は朝食を作らなかった。代わりに身支度を整え、準備しておいたキャリーバッグを玄関に運んだ。6時、予約しておいたタクシーが到着した。運転手に荷物を積んでもらっている時、2階から足音が聞こえてきた。「母さん、どこ行くの?」寝ぼけまなこの順が、階段の上から見下ろしていた。「出ていきます。」「はあ?元旦の朝に…」「朝食は作りません。家政婦はやめました。」私は冷たく言い放った。「家政婦って…母さん、冗談でしょ?」「冗談?あなたたちが私の死を待っていることも、冗談ですか?」順の顔が真っ青になった。「何を言って…」昨夜の会話は全て録音してあります。「そう長くない」「あと数年の辛抱」「3000万は残るはず」。私がスマートフォンを取り出すと、順は慌てて階段を駆け降りてきた。「母さん、それは…待ってくれ!」「待ちません。成年後見制度の申請書に、あなたの印鑑が押してあったのも、ご存知ですよね?」
騒ぎを聞きつけて、雪が飛び出してきた。「お母さん、何してるんですか?」「ああ、雪さん。実はこの家、私の単独名義なんです。ご存知でしたか?」雪の顔から血の気が引いた。「え…」「土地と建物で4000万円。さらに私の総資産は1億2000万円。あなたたちが知っている3000万は、氷山の一角です。」「1億2000万…」雪が絶句した。「これから弁護士事務所に行きます。あなたたちの刑事告訴の手続きをするためです。」「刑事告訴!?」順が叫んだ。「成年後見制度の悪用は詐欺です。最高で懲役10年。知らなかったんですか?」「母さん、待って!話を聞いて!」「聞くことはありません。ただし、一つだけ条件があります。」
私は封筒を取り出した。「これは明け渡し同意書です。今すぐサインして、教えてもらうなら、告訴は見送ります。拒むなら、警察に行きます。証拠は全て揃っています。録音も、書類も、全て。」
田中夫妻も起きてきて、事態を把握すると顔面蒼白になった。「ちょっと、どういうこと?」田中夫人が娘に詰め寄った。「お母様、実は…」「まさか、犯罪に加担させられたの?」雪が泣き出した。「違うの。お金が必要で…」「恥さらし!」田中夫人が雪を張り手で打った。私は冷静に続けた。「田中さん、あなたも共犯ですよ。『ふ子さんみたいな人がいると助かる』『学歴もない』と私を侮辱したことも、録音してあります。名誉毀損で民事訴訟も可能です。」田中夫妻は言葉を失った。「さあ、どうしますか?サインしますか?それとも、全員で裁判所に行きますか?」
順が震える手でペンを取った。「わ、分かった。サインする。」「賢明な判断です。」
私は山田弁護士に電話した。「先生、予定通りです。これから向かいます。」電話を切ると、順が土下座した。「母さん、本当にごめんなさい!」「謝罪はいりません。ただ、二度と私の前に現れないでください。」「でも母さん…」「あなたは私を『母』と呼ぶ資格はありません。」
タクシーに乗り込む前、私は振り返った。「ああ、言い忘れました。私の遺産は全額、児童養護施設と、長年お世話になった顧客の皆様への恩返しとして寄付します。遺言書はすでに公正証書にしてあります。」「全額…」雪が叫んだ。「孫も同罪です。『ばあちゃんが死んだら金が手に入る』と言っていましたから。そんな因果応報という言葉をご存知ですか?人を金としか見ない人間に、金は残しません。」
私がタクシーに乗ると、順が窓を叩いた。「母さん!1億2000万なんて、嘘だろ!?」「確かめたければどうぞ。でも、もうあなたには一円も当たりません。」車が動き出した。バックミラーに、崩れ落ちる息子夫婦の姿が見えた。
山田弁護士の事務所で手続きを済ませた後、先生から確認の電話があった。息子夫婦は、翌日には家から出て行ったという。私は家を売却することにした。思い出は大切だが、新しい人生を始めるには過去を整理する必要がある。不動産屋の査定では、5000万円の値がついた。このお金も、全て寄付に回すつもりだ。
3月、地元新聞に記事が載った。「市内在住の加藤藤子さん(68歳)、総額1億7000万円を児童養護施設と地域福祉に寄付」。記事を見た順から、最後のメッセージが来た。「母さん、本当にやったんですね。俺たちが悪かった。でも、そこまでしなくても…」私は返信した。「あなたたちは私を家政婦扱いし、認知症にしたて上げ、金を奪おうとした。これは当然の報いです。二度と連絡してこないでください。次は本当に告訴します。」
それ以来、息子夫婦からの連絡は途えた。私は今、小さなマンションで一人暮らしをしている。家を売ったお金で購入した、こぢんまりとした部屋。必要最小限の家具だけを置いたシンプルな空間。でも、この部屋には誰も私を侮辱する者はいない。誰も私を道具扱いする者はいない。誰も私の死を待つ者はいない。窓から見える空は、青く澄んでいた。68歳にして掴んだ本当の自由の味。それは、1億2000万円よりも価値のあるものだった。
5月、児童養護施設から招待状が届いた。私の寄付で新しい図書館が完成したという。施設を訪れると、子供たちが満面の笑顔で迎えてくれた。「ふ子おばあちゃん、ありがとう!本がいっぱい読めるようになったよ!」子供たちの純粋な感謝の言葉に、私は涙が止まらなかった。これが本当の家族の温かさかもしれない。血の繋がりはなくても、心が通じ合える関係。施設長が言った。「ふ子さん、よければボランティアで子供たちに本を読んであげてもらえませんか?」「喜んで。」
週に一度、施設で読み聞かせをするようになった。子供たちは私を「ふ子おばあちゃん」と呼び、本当の祖母のように慕ってくれた。
6月、思いがけない人物から連絡があった。孫からだった。「おばあちゃん、僕です。…電話したのは、謝りたくて。あの時、ひどいこと言って。今更ですけど…。でも、僕、気づいたんです。お金より大切なものがあるって。父さんと母さん、離婚しました。父さんは今、日雇いの仕事してます。…僕、自分でバイトして学費を稼ぎます。おばあちゃんみたいに、自分の力で生きていきたいです。」「勝手にしなさい。」電話を切った。孫の成長は喜ばしいが、もう私には関係ない。
8月、泰子と温泉旅行に行った。露天風呂に浸かりながら、泰子が言った。「ふ子、すごいわね。息子を追い出すなんて。」「告訴はしていないわ。でも、するつもりだったのは本当よ。」「1億7000万円、全部寄付なんて。後悔はないの?」「ないわ。お金で買えない自由を手に入れたから。あなた、前より10歳は若返ったみたいよ。」確かに、鏡を見ると表情が明るくなっていた。誰かの顔色を伺うことも、理不尽な扱いを我慢することもない。ただ、自分らしく生きている。
10月、山田弁護士から連絡があった。「順さんから手紙が届いています。」「受け取りません。破棄してください。」「分かりました。ただ、内容は謝罪と、生活に困窮しているということです。」「自業自得です。私には関係ありません。因果応報。悪業には必ず報いがある。息子は今、かつて私にさせた苦労をしているだろう。でも、それは彼が選んだ道です。」
12月。今年も年末がやってきた。去年の悪夢のような年末とは違い、今年は施設の子供たちとクリスマスパーティーを楽しんだ。「ふ子おばあちゃん、来年もよろしくね!」子供たちの笑顔が、私の心を温かくした。
大晦日、一人で年越しそばを食べながら、この一年を振り返った。息子夫婦を追い出し、全財産を手放し、縁を断ち切った。普通なら、孤独で惨めな老後と思われるだろう。でも、私は今、人生で一番幸せだ。尊厳を取り戻し、自由を手に入れ、本当に必要としてくれる人たちと出会えた。お金では買えない、かけがえのないものを手に入れた。
新年を迎える瞬間、私は誓った。もう二度と、誰にも支配されない。もう二度と、理不尽に屈しない。もう二度と、自分を偽らない。私、加藤藤子は68歳にして、本当の人生を始めた。血の繋がった家族は失った。でも、心の繋がった新しい家族を得た。1億7000万円は手放した。でも、お金では買えない幸せを手に入れた。これが、私の完全勝利だ。



