「ここをどこだと思ってるんだ?入る店を間違えたのか?」
父と訪れた高級料亭の廊下で、偶然再会したのは会社員時代の先輩だった。漁師に転身した俺を見て、西田さんはまったく隠そうともせずに笑った。
「ほら、お前らがここにいたら料亭の価値が下がるだろ。貧乏人は帰れよ」
俺たちをどこまで馬鹿にすれば気が済むのか。その言葉に俺と父は踵を返そうとした。
「お待ちください」
そこに、表情を変えた上司が飛び出してきた。
俺の名前は山下登る。俺が大学受験を考えていた頃、突然父に家業を継ぐように言われた。父は地元の漁師で、早朝から働きに出ては遅くまで家に帰ってこない生活をしている。それに加えて元々口数の少ない性格もあり、同じ家に住んでいるのに会話がなかった。そんな父が珍しく話しかけてきたかと思えば、家業を継ぐ話だった。しかもかなり一方的な言い方だ。
「は?何勝手なこと言ってんだよ。今の時代、漁師なんて流行らない。大体、漁師は体を悪くしてしまえば稼げなくなる。しかも将来性もない」
俺は昔からそう考えていた。世間で後継者問題が騒がれていることは知っている。「息子が後を継ぎたがらない」と、父の漁師仲間が愚痴っているところを聞いたこともある。だからと言って、家業を継ぐことを強要されるのは許せなかった。
「俺は大学に行っていい会社に就職する。何の保証もない漁師なんて絶対やらねえからな」
俺は父の反対を無視して大学へ進学した。入学と同時に一人暮らしを始めた。このまま家にいると、漁師になれと父からしつこく言われると思ったからだ。一人暮らしを始めると、父との会話は完全になくなった。時折、母が電話をかけてきて俺の近況を聞く程度だ。
「父さんどうしてる?」
「なんか今不漁らしくて、今日も集まりに出て帰ってこないのよ」
漁師は自然に左右される職業だ。収入が安定しない職業に、誰がなりたがるものか。見切りをつけた俺は、それ以降家業のことを考えることはなくなった。
大学卒業後、俺は大手食品メーカーの企画部に就職した。会社経営に関わる企画部は、俺に今までにないやりがいを与えてくれた。自分で集めた情報を使って企画し、それが採用されて業績アップにつながる。努力したことが目に見えて分かり、モチベーションにもつながる。
「さすが山下君だ。君のおかげで今月も助かってるよ」
「ありがとうございます」
地道に努力と実績を重ね、上司からも高い評価を得られるようになり、俺は仕事に自信を持ち始めていた。
「さすがは俺の弟子だな。俺も鼻が高いよ」
「西田さんの教え方が良かったんですよ。感謝しても仕切れないです」
先輩の西田さんには入社したばかりの頃から面倒を見てもらっている。他の社員にも慕われる西田さんは指導の仕方がとても上手く、コミュニケーション能力も高い。いつも誰かの相談に乗っており、俺もいつも助けられていた。
「俺、いつかもっと大きな企画を成功させて昇格するのが夢なんですよ」
「お、俺も超えていくってか」
「きっとその頃には西田さんはもっと上にいると思うんですよね。追いつけるように頑張ります」
確かに西田さんと一緒ならば夢は叶えられると思っていた。しかし、その夢は突然潰えることになった。
ある日、俺が出社すると社内が大騒ぎになっていた。
「おい、お前のパソコンから社外秘の情報が流出したらしいぞ」
俺に気がついた同僚が青い顔をして駆け寄ってきて、そう告げた。パソコンを確認するとロックがかかっていた。しかし、メールの送信履歴を見て愕然とする。なんと俺のアドレスからライバル社へ社外秘の情報が添付されて送られていたのだ。金銭的な被害はもちろん、会社の信用問題になる。取引している他社への影響も大きい。
俺は情報管理を徹底的に行っていた。こんなメールが、間違っても送れるはずがない。きっと誰かが俺のパソコンを使って流出させたんだ。
「そんなことして何の得になるってんだよ」
「それは分からないけど」
同僚の言う通り、自社の損になることをする意味が分からない。それに、パソコンを開くパスワードを知られていたことになる。どうやって調べたのか、分からないことだらけだった。
ところが、その疑問はすぐに判明することとなった。俺が温めていた企画が、なぜか西田さんの企画として上司に提出されていたのだ。
まさか、西田さんが――
頭の中が真っ白になる。西田さんに限って、そんなことをするはずがない。そう思おうとした。しかし、西田さんとはよく一緒に仕事をしている。パソコンのパスワードを盗み見るのも、難しいことではなかったはずだ。俺も全く警戒していなかった。俺がいない間に西田さんが俺のパソコンから企画を抜き取り、社外秘情報を流出させた。俺の企画を西田さんが提出したことを考えると、それしか考えられない。俺はすぐに西田さんの元へ向かった。
「あれは俺の企画です。取り消してください」
「こんな証拠がどこにある?」
「それに、情報を流出させた奴の言うことなんて、誰が聞いてくれるかな?」
西田さんがニヤニヤと笑いを浮かべて言う。その通りだった。手柄を横取りされただけならまだいいが、俺には情報を流出させた罪がある。当然、誰も俺の話を真に受けなかった。
「俺は無実です。流出させていません」
「そんな証拠はどこにもない。無駄な言い訳はよしてくれ」
会社にも無実を訴えるが聞いてもらえず、俺は退職に追い込まれてしまった。退職する直前に、俺の企画が成功したことを知った。それを得意げに報告してきたのは、手柄を横取りした西田さんだ。
「いやあ、お前のおかげで昇格できそうだわ。ありがとうよ」
「そうですか」
「まあ、退職するお前には関係ない話か。まあ、田舎でせいぜい頑張れよ」
俺は怒り心頭だったが、今更何をしても決定が覆えるわけでもなく、俺は唸りながら会社を後にするしかなかった。
退職してしばらくは近くで就職先を探した。しかし前の職場での話が噂になっているのか、どの会社に履歴書を送っても面接までたどり着けない。貯金が底を突きかけ、俺は途方にくれた。
そんな時、実家から久しぶりに連絡があった。
「お前、今どうしてる?ちゃんと食べてるかい?」
「母さん、それが……」
俺は仕事をやめたことを母に伝えた。情けないが、こっちで暮らしていくのは無理だろうとも。
「それなら帰っておいで。部屋もいつも掃除してるから綺麗だよ」
今の俺には母の言葉がとても嬉しかった。行く場所がない俺は、仕方なく実家に帰ることにした。久しぶりに帰ってきた実家は変わっている様子もなく、懐かしさを感じた。
「明日から仕事を手伝え」
実家に帰って数日後、部屋でスマホをいじり仕事を探していると、父が突然部屋にやってきてそう言った。そして返事も聞かずにさっさとどこかへ行ってしまう。
自分勝手だなあ。そう思ったが、実家にいながら何もしないというのも居心地が悪い。俺はいやいやながら父の漁師の仕事を手伝うことにした。
しかし漁師の仕事というのは、俺の想像以上に辛かった。興味もなく全く慣れない仕事。それなのに父の指導は厳しい。俺は何度もくじけそうになった。特に俺のやる気を削いだのは、体力勝負で長時間働いているというのに、儲けがほとんどないことだった。
「こんなに働いても全然金になんねえじゃん」
「今は不漁だから、どうにかなんないわけ」
「こっちに来い」
俺が不漁に愚図つくと、父は養殖場へと案内してくれた。そこには大量のウニがいた。俺は目を輝かせる。
「ウニなんてすごいじゃん。売ればいいのに」
「これは売り物にはならねえ」
父が言うには、最近の不漁の原因がこのウニだという。本来ウニは冬になると活動が弱くなるのだが、温暖化のせいで常に活動してしまっていた。そして活動を続けるために海藻を食べ、生殖活動を繰り返し、見境なく増えてしまうため、最終的には海藻がなくなり、磯焼けを起こしてしまうそうだ。ウニは餌がなくても長時間生きられるため、駆除が追いつかないらしい。地元の漁師全員でウニを叩き潰すなどしているが、父はそれを何とか有効活用できないかと考えているそうだ。
最初は売ることを考えてみたそうだが、磯焼けを起こした海のウニは食べるものが少ないので身が痩せていて、売り物にならない。そこで野菜を育てられているウニの話を聞いて試しているそうだ。
「キャベツを与える養殖を参考にしているんだが、野菜を買うのも大変でな」
確かに何をするにしても金は必要だろう。どんなことをするにも調査は必要だし、キャベツ以外でも大丈夫なら、地元の野菜で代用できるかもしれない。
「それならクラウドファンディングを使って資金を集めてみたらどうかな」
「あ、なんだって?」
同時に活動をプロジェクト化して、ネットを使った広報活動もしよう。俺は元企画部所属の経験を生かし、すぐさま企画を立ち上げた。磯焼けしている海に海藻を取り戻す計画とし、活動風景などを発信する。その甲斐もあってか、クラウドファンディングでは目標の金額を達成できた。
その資金を使って試行錯誤を繰り返し、様々な野菜を与えた結果、ウニはどうやら葉物の野菜が好きらしいことが分かった。そこでそれを中心に与えると、最初では考えられないほど成長を見せる。ウニを割ってみると、以前では比べ物にならないほど身が詰まっていた。
「このくらいなら売れないかな」
「うん。良さそうだ」
父の合格点が出た。そうなると次の一手だ。売り物に適した大きさになるのを待ち、試食会を開催する。地元の人たちが多く集まってくれた。
「なんだかこの風に食べやすくない?臭みが少ないよね」
「苦みが少なくて甘味が強いな」
「これはうまい。ウニにちょっと苦手だったんだけど、これなら食べられるわ」
そんな声が聞こえてきて、俺は思わずガッツポーズをする。そっと隣の様子を伺うと、父は真顔で試食をする人たちを見ていた。なんとなくだが、満足しているように感じられた。
試食会での手応えは十分だ。そこですぐ販売を開始する。すると噂を聞きつけた地元の人たちが買い求めてくれて、即完売した。
「やったな、父さん」
「まだまだだ」
それはもちろん、目指すは全国展開。俺はさらに広報活動を活発化させた。また食べてくれた人がSNS等で拡散してくれたおかげで地元での売上が伸び、俺たちはさらに事業を拡大することができた。そしてさらに2年の歳月をかけ、自社ブランドのウニとしての本格販売にたどり着く。販売を開始した際にはこれまでの広報活動の効果もあり、全国ネットのメディアで取り上げられるなど話題になった。
「まさかこう売れるようになるとは」
ここまで盛り上がると、さすがの父も驚きと喜びを隠しきれないようだった。
「俺一応企画部にいたから、こういうのは得意なんだよ」
「お前のおかげだな」
俺は初めて父に褒められてポカンとしたが、父は何事もなかったかのように振る舞う。この頃になると、俺も漁師にやりがいを感じ始め、実家に戻ってきて良かったとさえ思えていた。
「そういえば、大手食品メーカーからの打診があったんだ。会うことにしたから、父さんも一緒に来てくれ」
いい儲け話だと思い、俺は父を誘って待ち合わせ場所に出かける。相手が指定してきた場所は、有名な高級料亭だった。会社勤めをしていた頃、打診を持ちかける側として交渉の場に立ったことはあるが、受け手になるのは初めてだ。緊張を胸に抱き、足を踏み入れる。
案内で廊下を歩いていると、横に伸びる廊下から一人の男性が姿を現し、ぶつかりそうになった。その相手を見て、俺は絶句する。
「え、西田さん……?」
「はあ?なんでこんなところにお前が」
西田さんはトイレに行っていたのか、半乾きの手を拭きながら軽蔑した顔をして俺を見た。そして俺の後ろについてきた父の姿を見て、ニヤリと笑う。
「そういえばお前の実家は漁師だったな。ここをどこだと思ってるんだ?入る店を間違えたのか?」
父はスーツを持っていなかったため、普段着を着ていた。それもファッションに興味のない父の普段着だ。ここに来るような服装ではない。それは息子の俺から見てもそう思う。だが、それを嫌味たっぷりに言うとは。
「失礼ですね。その口の利き方は交渉において最悪では?」
裏切られた時は怒りでいっぱいだったが、今はこんな人を慕っていた自分が恥ずかしい。俺は冷静さを保つように自分に言い聞かせ、落ち着いた口調で告げた。それに西田さんが笑う。
「お前らみたいな田舎者の様子に丁寧に対応してどうすんだよ。ほら、お前らがここにいたら料亭の価値が下がるだろう。貧乏人は帰れよ」
「……父さん、帰ろうか」
「そうだな」
振り返ると、父は西田さんを睨んでいた。そして俺の言葉に短く答え、踵を返す。
「お待ちください」
俺たちが言われるまま帰ろうとすると、廊下の先から表情を変えた上司が駆け寄ってきた。驚く西田さんを押しのけ、俺たちの前に立つ。
「なぜ話もないのに帰ろうとなさるのですか?」
「そちらの方から帰れと言われましたので、帰ろうかと」
「何?西田君、本当か。わざわざお越し頂いたのに、なんということを」
「え?こいつらがですか?」
暴言を知った上司が西田さんを叱責する。状況を飲み込めていなかった西田さんはポカンとしていたが、理解するなり頭を下げて詫びてきた。
「ま、誠に申し訳ありません」
「部下が大変なことを致しまして、私からも謝罪いたします。申し訳ございません」
「ああ、いいんですよ。それじゃあ話を始めましょうか」
正直、西田さんの態度は許せるものではなかった。しかしウニを売り込む絶好の機会だ。稼ぎのためだと笑ってごまかす。
ところが、それから交渉に入ったものの、父は首を縦に振らなかった。
「お宅と契約する気はない」
父がはっきりと告げる。これには俺も困った。西田さんの態度に腹が立つのは分かるが、ここは柔軟になってほしい。
「父さん、そんなこと言わないで。いい話なんだぞ」
「もっとご希望の条件がお好みでしたら、従いますので」
「いや、どんなに条件が良かろうと、息子を退職に追い込んだ奴とは契約できん」
父の言葉に、西田さんがギクリと肩を揺らす。俺も驚いて、怒りに満ちた父の横顔を見つめた。母には退職に追い込まれた話をしたが、父には教えていない。知っていたということは、母から聞いたのだろう。今まで一度もそんな素振りを見せていなかったが、父は俺を退職に追い込んだ西田さんを、ずっと恨んでいたのだ。
「いやいや、仕事のためだし、過去のことは水に流そうよ」
「絶対許さん。登る。帰るぞ」
「そ、そんな。お待ちください」
父は俺の訴えに耳を傾けず、俺を退職に追い込んだことを理由に断ってしまった。食い下がる西田さんと上司だったが、俺でさえ止められない父を止められるわけもなく、俺たちは席を立った。
「もったいない。せっかくの儲け話だったのに」
「金なんてどうでもいいんだよ」
俺が残念がる横で、父は全く気にしていなかった。俺としては、こんなに早く大手企業が食いついてくれるとは思っていなかったので、我慢してでも受けるべきだと思っていたのだが。しかし、社長である父が断るのだから仕方がない。
「まあ、他の会社からも来るかもしれないし、待つか。そうだ。こんなに美味いウニを見逃すわけがないだろう」
興味を持ってくれる会社が他にあることを祈り、今後に期待することにする。
帰宅すると、父は海の様子を見に行き、俺は母に今日のことを報告した。
「せっかくのビジネスチャンスだったんだけどな」
「お父さん、そういうことに興味ないから」
「けど、養殖を始めたのは少しでも儲けを増やすためだろう?」
「それもあるんだろうけど……」
母は言葉を切ると、窓の方へ向いた。その先には海が見える。
「一番はね、魚が取れる海を登るに残したかったからなのよ。磯焼けした海じゃ登るには渡せないって、昔から言ってたから。だからウニの養殖を始めたの」
「え、金を稼いで生活を楽にするためじゃなく?」
「だって、どんなにお金を稼いだって、漁を続けられないんじゃ意味ないじゃない」
金のために始めたことだと思っていたので、面食らった。まさか、漁師になることを断った俺のために始めたことだったとは。
最近では、ウニの養殖が軌道に乗ったおかげでウニの回収が進んでいる。このまま続けていけば、海藻も育ち、昔のように魚が取れるようになるかもしれない。ウニだけでも生活できるかもしれないが、父はきっと漁師を続けるのだろう。そして俺も一緒に海に出るようになって2年以上が経ち、今の生活も悪くないと思い始めている。自然に左右される仕事ではあるが、知恵を絞ることで今回のように解決できたらと思う。
「さん、別の食品メーカーと提携することになったよ。ほら、見ろ」
別の食品メーカーと提携することになり、全国にウニを届けることになった。そのことを報告すると、父は笑顔になることもなく、さも当然とばかりに俺を見た。売上は上場で、今では地元の廃棄野菜を無償で入手できるようになり、コストの削減にもつながっている。提携先の担当の話では、これからさらに需要が伸びるだろうとのことだった。ありがたい話だ。
ウニの売上が良くなった頃、以前の会社の同僚から西田さんが退職したという話を聞いた。
「お前のところの交渉失敗で悪い噂が立っちまって、社長が西田さんのことを全部調べさせたんだと。そしたら出るわ、出るわ。お前が手柄を横取りされた後も、他の奴にもやってたらしい」
「なんで他の人は抗議しなかったんだ?」
「お前の末路を見てたからみたいだな。罪を被せられて首になるのを、みんな恐れてたみたいだな」
俺を見せしめにして、好き放題やっていたということか。とんでもない人だ。
「それで今、西田さんは?」
「どこ行っても悪い噂がついて回ってるみたいで、就職できずにいるんだってさ。家業とかもないみたいで、今はどこかでバイトしてるんだってよ」
そう考えると、俺は随分と幸せなのだろう。家業というものがあるおかげで、俺は噂に左右されることなく仕事ができている。
「お前、今ならこっち戻ってこれそうだけど、どうだ?」
「いや、俺はもうこっちで働くことにしたから」
「残念だなあ」
「あ、今度お前のとこの海に行ってくれよ」
「元同僚のよしみだ。今度送ってやるよ」
元同僚とのやり取りを終え、スマホの通話ボタンを切る。俺は目の前に広がる海へ目を向けた。そして胸いっぱいに潮の香りを吸い込む。俺は会社員としてではなく、漁師として生きていく覚悟を決めていた。海に出るのは今でも大変だと思う。だが自然と共に仕事をするのは楽しいし、調査するのが好きな俺にとって、養殖も面白いと言えるだろう。磯焼けしている海の海藻を取り戻す活動も、試行錯誤はありながらも前へ進んでいると思う。いつの日か海が蘇ることを信じて、次の世代に魚の取れる海を残すために、俺は今日も海と共に生きる。



