「農家のくせに高級レストランに来るなんて勘違いもはなはだしいわ」——そう言って、店長は私に消毒スプレーを吹きかけた。招待されて行った高級レストランで、泥のついた服を見ただけで、私は“ただの農家”と決めつけられ、話も聞いてもらえずに追い出された。おもてなしの心が欠けた人に、食材を作る農家の尊厳を踏みにじられた悔しさで、私は震えていた。でも、私はこの店のオーナーを知っていた。たった一本の電話が、…

「農家のくせに高級レストランに来るなんて勘違いもはなはだしいわ」——そう言って、店長は私に消毒スプレーを吹きかけた。招待されて行った高級レストランで、泥のついた服を見ただけで、私は“ただの農家”と決めつけられ、話も聞いてもらえずに追い出された。おもてなしの心が欠けた人に、食材を作る農家の尊厳を踏みにじられた悔しさで、私は震えていた。でも、私はこの店のオーナーを知っていた。たった一本の電話が、...

「お引き取りください。農家のくせに、こんな高級レストランに来るなんて勘違いもはなはだしいわ」

そう言って、店長と呼ばれる女性は私に消毒スプレーを吹きかけた。目に染みるアルコールの匂い。泥のついた作業着のまま、私は有名レストランの入口に立ち尽くしていた。

私の名前は徳島優像。気づけば世界的に有名なレストランのオーナーになっていた、ごく普通の人間だ。もともとは小さな一軒の店を開き、訪れるお客さんを笑顔にしたいという気持ちだけで日々料理を作っていた。ところが、時代がその規模では済ませてくれなかった。来店した客がSNSで絶賛のコメントを書き始めると、店の評判は右肩上がり。独自の料理と丁寧な接客が話題になり、ネットニュースにまでなった。

「弟子にしてください」

集まってきたのはお客さんだけではなかった。評判を聞きつけた若き料理人たちが、次々と弟子入りを志願してきたのだ。最初は「そんなに一気には教えられない」と断っていたが、それでも希望者は絶えず、毎日満席の店内を見ているうちに、規模を大きくしてもいいのではないかと思い始めた。徹底的に教育した弟子たちに店を任せながらメニューを考え、全国を飛び回る毎日。あっという間に時間は過ぎていった。

気づけば全国展開はおろか、世界的に有名なガイドブックで星を獲得し、世界中から客が集まるレストランのオーナーになっていたのだ。

「次の新商品、これで行こうと思うから準備よろしく」
「新規で企画しているイベントはどういう方向性にしていきましょうか?」
「ああ、考えきれてなくて申し訳ない。2日待ってもらえる?」

毎日大量の業務に忙殺されるうちに、薄々感じていたことが現実になってしまった。新しいメニューが思い浮かばない。最近は各店舗の運営に力を入れるばかりで、現場には顔を出す程度。厨房に立つことはほとんどなかった。料理に一番近い仕事をしていたはずなのに、気づけば料理から遠ざかっていたのだ。

「外の空気を浴びられてはいかがでしょうか?」

思い悩んでいるのが周囲にも伝わってしまったのか、心配した社員が声をかけてくれた。彼は私が有名になる前からの取材記事まで読み込んでくれていたようで、こんなことを言った。

「以前、よく新メニューを考える時には、食材を生産してくれている農家さんと話してインスピレーションを得るっておっしゃっていたじゃないですか。運営や業務の部分は私たちに任せてください。オーナーにしかできないことがあります」

いつからか、私は日本全国、世界各地を飛び回って食材探しをするようになっていた。土のついた野菜をその場で食べさせてもらった時、これまで以上に感動した。その時、数年前のある出来事を思い出した。

「有像君」

当時も食材探しをしていたのだが、同行したいと言ってくれた人物がいた。宮沢さん。中学高校と同じ学校で、ずっと同じクラスという妙な縁の人物だ。お互いによく話すわけではなかったが、クラスの学級委員長として周りをテキパキと仕切る姿はかっこよかった。卒業してから連絡を取っていなかったが、雑誌の取材記事でまさか同じ業界に進出していることを知った。高級レストランを経営しているという。懐かしさに後押しされて連絡を取り、こうして一緒に農家を回ることになったのだ。

「そういえば、そのまま食べる派なんだ?」
「そりゃ出来たてほやほやだよ。このまんま食べるのが一番贅沢だと思ってるんだ」

宮沢さんは当時と変わらず芯が強くてかっこよかった。同い年なのに「先輩」と呼ばれるのが嫌だと言い合ったり、学生時代にはできなかったような会話を楽しんだ。

「今度よかったら、うちの店に食べに来て。先に星を獲得してる融の感想が聞きたいから」
「いいの? 是非食べに行きたい」
「ありがとう。楽しみにしてるから、先輩」
「だから先輩じゃないって」

あれからすぐに事業が拡大してオフィスにこもりがちになり、全然連絡できずにいた。だが、美味しい食材に触れると自然とアイデアが湧いてくる。少しずつ調子が戻ってきたのを感じ、勢いのまま宮沢さんに連絡した。心配してくれていたようで、「生きててよかった」と返事が来た時は思わず笑ってしまったが、トントン拍子に訪問の日程も決まった。

予定が決まった日まで、私は変わらず地域の農家を巡ることにした。宮沢さんが地元の本店に来てほしいと言ってくれたから、久しぶりに地元に帰っていた。この機会にもう一度地元の野菜に触れておきたいと考えたのだ。食材を手に取りながら農家さんと話し、インスピレーションをメモに取る。ふと思いついたアイデアが自分でも斬新だと感じ、急遽近くのキッチンスタジオを予約して試作品を作った。時間はギリギリだったが、その分以上に集中して取り組み、一発目にしてはかなりの完成度に仕上がった。

予想していなかったキッチン作業だったため、慌てて店に向かうことになった。駐車場に車を止め、いざ降りようとした時、膝の辺りに泥がついているのを発見した。シャツの後ろ側にも泥がついている。農家さんが収穫中にバランスを崩して倒れそうになったのを支えたものの、一緒に転んでしまった時に付いたのだろう。叩いてみたが一向に取れそうにない。せっかく招待してくれたわけだから、汚い格好は失礼かと思ったが、着替えも持っていなかった。このまま行くか、遅刻してでも新しい服を買うか。天秤にかけた結果、遅刻はしたくないという結論に至り、このまま向かうことにした。

「いらっしゃいませ。本日招待していただいている…”

そう言いかけた時、受付に立っていた店員が私を見て一瞬ポカンとした顔をした。

「お客様、こちらは大衆食堂じゃないんですが」

一拍遅れて、店員が吹き出すように言った。その人の名札には「店長」と書いてあった。突然の思いもよらない言葉に、悪意のない朝の光を浮かべる店員を見つめてしまった。

「ああ、すみません。仕事の帰りに寄ったのですが、あいにく汚れてしまっていて…」
「いや、仕事終わりって…。ちょっと、ここは農家が来るようなレストランじゃないんですよ。高級レストランなんです。お引き取りください」

「そう言われましても、招待していただいていて…」
「お引き取りください」

急に大声を出すから驚いてしまう。店員たちも驚いた様子でこちらを見つめていた。まだ開店前でお客さんが私しかいないのが不幸中の幸いだろう。

「聞こえていないんですか? お引き取りくださいって言っているんです」
「聞こえていますよ。それはできません。今日はここの料理を食べに来たんですから」
「ここの料理を食べに来たんですからって…。ここは高級レストランですよ。あなたのような人が来る場所じゃないって言っているんです。汗くせ畑仕事しているような人には支払いもできないでしょう。早くお引き取りを」

店長は私の言葉を一切聞かず、奥へと去ってしまった。このまま入口に置き去りにされるのだろうかと心配していると、店長が再びこちらに向かって歩いてくる。もう一度話しかけようとしたその時だった。

突然、目が染みたような感覚になって思わず目を閉じてしまう。

「うわ、何だ?」
「お引き取りくださいって言ってるのに、いつまでもいるからこんなことになるんですよ。ほら、早く去って」
「何してるんですか?」
「消毒スプレーです。ここに泥を持ち込まれても困りますので」

店長は楽しそうに笑いながら、アルコールスプレーをこちらに向けてくる。

「わざわざこんなことしなくてもいいだろう」
「農家のくせに高級レストランに来るなんて、勘違いもはなはだしいわ」

この言葉に、我慢していた私もさすがに頭に来た。

「ちょっと、失礼すぎるんじゃないですか。農家を馬鹿にすることは、食材を馬鹿にしているのと同様のことですよ。農家がいないと食材がない。食材がないと料理が作れない。なぜそこまで農家を卑下することを言うんだ」

店長は相変わらず厚かましい表情で、私にアルコールスプレーを吹きかけてくる。このままいてもどうしようもないと思い、私は慌ててレストランから出た。

「やっと出たわ。やっぱりアルコールスプレーっていいわね」

そう言って満足そうに、エントランスで笑みを浮かべていた。

私はこのままでは店に入れないと思い、宮沢さんに連絡した。

「もしもし」
「どうしたの? 有像君からしたら珍しいじゃない」

私は店に入れないこと、店長の振る舞いをかいつまんで話した。

「ちょっと待ってて。今すぐそっちに行くから」

相変わらずのテキパキとした態度に安心させられた。今すぐという言葉がぴったりな速さで駆けつけてくれた宮沢さんと握手を交わす。

「忙しい中来てくれて、本当にありがとう」
「それにしても、想像以上に吹きかけられたのね。本当に申し訳ない」
「いや、僕も泥がついているのを気にはしていたから、責められないというか」
「それでも悪いことは悪い。本当にごめんなさい」

深く頭を下げて謝罪した宮沢さんと共に、再び店に入る。するとまた店長がやってきた。

「どうされたんですか? って、またこの人入ってきてる」

店長は再びアルコールスプレーを手に取ろうとしたが、宮沢さんが静止した。

「やめなさい。お客様に対してその態度は失礼よ」
「お客様って…この人はただの農家ですよ」
「こちらはあの世界的に有名な三つ星レストランのオーナーよ」

ちょっと待って、と思ったが、宮沢さんは普段から嘘をつく人じゃないから、店長も悟ったのだろう。私と宮沢さんを交互に見ては、徐々に顔が青ざめていった。

「忙しい合間を縫って、私たちが星を獲得するレストランになるためのアドバイスをもらおうと招待したの。私が招待したお客様に、あなたは何をしたの?」
「あ、いや、その…」
「そもそも、ここに来てくれるお客様へあなたの偏見で対応を変えていたの? さっきから黙ってるけど、どうなの?」

冷静に問い詰める宮沢さんに、店長は言葉が出ない様子だった。そのまま座り込んでしまった店長は、小さい声で何かを呟いている。

「何? はっきり言わないとわからないでしょ」
「…大変失礼しました。申し訳ございません」

さっきまでアルコールスプレーを吹きかけていた人物とは思えない、か細い声で私に謝罪しているようだった。私は普段なら謝られると「いいよ」と言ってしまう人間だが、今回ばかりは人として許すことができなかった。

「あなたには、おもてなしの心が欠落している。そんな人が入口にいるレストランは、三つ星は取れない」

はっきりと言い放った私に、店長は顔を上げるも、何も言うことができずにうつむいてしまった。

「あなたの処分は後日考えるから、今日は帰りなさい」
「でも…」
「まだ帰りなさい。帰宅命令よ」

宮沢さんの迫力に圧倒されたのか、店長はとぼとぼと店を後にした。

その後は、とにかく気を取り直して食事に集中した。店長は散々だったが、他の人たちのプロ意識がとにかく素晴らしい。宮沢さんと食事を楽しみながらも、店の相談やこの業界をどうしていこうかなど、様々な意見交換をしたのだった。

そうして意見交換をしたからだろうか。それからの私はますます創作意欲が掻き立てられ、当日思いついてレンタルキッチンで試していた試作品も無事完成した。この料理は地元の野菜を使いたいと地元の農家とも契約を結び、目標の一つにしていた地産地消を推進する取り組みにも一役買うことができたのだ。

その後も、宮沢さんとは今でもよく連絡を取り合っている。食事の後、手紙を書いてきてくれた。そこには、店に来てくれた時のお礼と、店長について書かれていた。彼女は広格処分になったようだ。それでもどうしてもやめたくないと懇願した彼女の気合いに、最後のチャンスを与えたらしい。今ではおもてなしの心を叩き込むために、下っぱから頑張っているのだという。

「大変だろうけど、自分で選んだ道だ。僕を問い詰められる迫力があったくらいだから、乗り越える気合いは持ち合わせているだろう」

そう信じて、私は手紙の返事を書いた。

「彼女におもてなしの心が身についたら教えてください。今度はあの人に、もてなしてもらいたいから」

そう書きながら、自分自身ももっと成長していかないとなと思っていた。ペンを置いて、愛用しているリュックを背負う。

「よし、探しに行くぞ。まだ見ぬ食材を、行ってきます」

今日も私は、新しいメニューのために食材探しの旅に出かけるのだった。

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