工場長・小神は、口元に嫌な笑みを浮かべて言った。
「作業する方の手順に問題があるんじゃないの?ここの奴らってレベルが低そうだし。」
「役立たずのじじはいらねえから、やめちゃえよ。」
無茶な仕事量で体調を崩し、俺は退職せざるを得なくなった。しかし、俺が辞めた後、会社はかつてないピンチに陥る。
「とんでもないことをしてくれたな。」
社長の言葉に、工場長は真っ青になった。
俺の名前は寺田彰。子供の頃から手先が器用で、細かい作業が好きだった。小学校の夏休みや冬休みには、いつも大掛かりな工作を作って賞をもらっていた。中学生になると、紙や木材の工作では満足できず、電子工作にも手を出した。そんな俺は、当然のように工業高校の電子工学科へ進んだ。
高校3年の時、一つ下の後輩から進路について尋ねられたことがあった。
「先輩、高校卒業したらどうするんですか?大学に進学するんですか?」
「いや、俺は就職しようと思ってる。どこか精密機器を扱っている工場で働きたいんだ。テレビや本で見るような精密機器を、自分の手で作るなんて考えただけでワクワクする。お前は大学に行くんだろ?」
後輩の家は工場を経営していて、彼もいつかその後を継ぐために、今から色々と勉強させられているらしい。
「はい。そのつもりです。」
「ああ。」
「先輩みたいな熱い男が、うちの会社に入ってくれたらいいのにな。」
後輩の言葉に、俺は眉をひそめた。何だよ、熱い男って。自分で言うのも何だが、俺は自分の好きなこと以外には無関心だぞ。
「そこがまたかっこいいんじゃないですか。普段は無口でクールだけど、時々見せる熱い男の顔ってのが。」
楽しそうに言う後輩に、俺は苦笑いしてしまった。
それから俺は高校を卒業すると、望み通りの精密機器を扱う会社に就職した。主にスキャナーやプリンターなどの出力機器を扱う工場での仕事は大変だが、やりがいのあるものだった。後輩が褒めてくれていた熱い男の顔をしていたのかは分からないが、俺は大好きなモノづくりに熱中し、腕を磨いた。
それから7年が過ぎた頃、俺は別の会社からの誘いを受けて、そちらに移ることになった。新しい会社は医療機器を作っていて、こちらもまた俺にとってやりがいがある。自分たちが作ったものが、顔も知らない誰かの命を救っていると思うと誇らしかった。
こうして色々な精密機器を作り続けて数十年、気づけば俺は60歳になっていた。会社も医療機器を扱う業界の中ではトップクラスになるまで成長している。
そんな時、神優太という新しい工場長が本社から赴任してくることになった。
「寺田さん、今度来る工場長って本社から来るんですよね。」
「そうみたいだな。35歳で工場長なんて、きっと優秀な人なんだろうな。」
そう言って俺たちは楽しみにしていたが、その期待は見事に裏切られた。新しい工場長の小神は、いつも不機嫌そうな顔をしていて、おまけにとんでもなく横柄な態度を取る。しかも、工場で働く俺たちを見下してバカにしてくるものだから、この男がみんなに嫌われるのに時間はかからなかった。
「その年で未だに現場勤務なんて、よっぽど無能なんでしょうね。」
特に俺はよく攻撃された。60にもなる年寄りが工場で働いていることが気に食わないのか、やたらと敵視して罵ってくる。
「あの人、よくあんなに他人を見下したことばかり言えますよね。」
仕事の合間に後輩たちが愚痴をこぼす。若い社員たちのモチベーションが下がっていた。良くない傾向だな。次に社長に会った時に相談した方が良さそうだ。
そんなある日、若い社員たちが小神工場長の噂を仕入れてきた。
「寺田さん、聞きましたか?小神工場長の噂。」
「いや、知らないな。何か噂が流れているのか?」
俺が聞き返すと、彼は顔を近づけて声を潜めた。
「あの人、本社で何かとんでもないミスをやらかして左遷されて、ここに来たみたいですよ。」
思わず声を出してしまった。
「し、しっ、大きな声を出さないでください。あくまで噂ですからね。」
若い社員の話に、俺は首をかしげた。確かに工場は田舎町にある。だが、この工場はうちの会社が有するたくさんの工場の中でも中心に位置する。いわば心臓部だ。例えば、うちの生産ラインが何らかの事情で止まるようなことがあれば、他の工場にも影響が出て、最悪全てが停止してしまうだろう。そのような重要な工場に来ることを栄転と呼んでも、左遷とは呼べないだろう。少なくとも俺は、そのレベルの工場で働いているという自負はあった。
けれど、あの小神工場長の人間性を見ていると、左遷というのも案外間違ってはいないのではないかとも思ってしまう。彼はいつも何となく工場内を見回っているくらいで、まともに仕事をしているのを見たことがない。
どちらにせよ、ただの噂なのだからあまり本気にするなよと、俺は釘を刺しておいた。
しかし、釘を刺したにも関わらず、小神工場長の左遷の噂は止まらず、工場内の全従業員の知るところとなった。全員が知っているのだから、工場長本人の耳にそれが入らないわけがない。いつも不機嫌そうだった顔をさらに不機嫌にして、周りに当たり散らすようになった。ほんの少しのミスでも見つけようものなら、「無能が」と怒鳴り散らし罵倒する。俺も以前からよく罵られていたが、最近は「じじい、さっさと働け」と、さらにひどい言葉を浴びせられるようになった。
それだけで済めばまだ良かったのかもしれないが、今度は大量の仕事を短期間でやらせるという暴挙に出た。精密機器を扱う俺たちの仕事は、とてつもない集中力を要求される仕事だ。倍のスピードでやれと言われても、できるようなものでもない。そうなると当然、残業や休日出勤が増える。この状況で社員たちの疲労は溜まり、みんな余裕がなくなっていった。イライラが募り、従業員同士のトラブルも起こるようになっていたのだ。
ある時、若い社員たちが言い争いをしている現場に出くわしたことがある。2人ともかなり興奮した様子だったので、さすがに仲裁に入ったのだが、揉め事の理由を聞いて呆れてしまった。「ちょっと肩がぶつかった」「ぶつからない」などという、そんな些細なことが原因だったのだ。俺が割って入ったことで2人はハッと我に返ったが、やはりみんな精神的に参ってきている。かといって、俺も他人のことばかり言ってられない。
「寺田さん、大丈夫ですか?顔色が悪いですよ。」
「まあ、ちょっと目まいがな。年のせいかな。」
「無理しないでくださいね。」
ここのところ、身体的な不調も出始めている。
俺は工場がパンクする前に、小神工場長へ仕事の量を元に戻すように進言することにした。
「工場長、話があります。」
いつものようにダラダラと工場を見回っている彼を捕まえ、話しかける。
「ああ?」
小神工場長は面倒そうに振り返った。
「仕事の量を元に戻してください。この状態では、みんなの体が持ちません。」
「はあ?工場長である俺がやれって言ってるのに、できないって言うわけ?」
口元に嫌らしい笑みを浮かべて、小神工場長が言った。
「作業する方の手順に問題があるんじゃないの?ここの奴らってレベルが低そうだし。」
あまりの言いように頭にカッと血が上るが、何とか抑え込んだ。
「とにかく、このまま破綻に入ってしまったら、会社も従業員も取り返しのつかないことになってしまいますよ。」
周りの社員たちは固唾を飲んで、俺たちのやり取りを見守っている。
「できないのは、あんたが年だからだろ。」
俺の必死の訴えも、小神工場長には届かない。それどころか、俺にさらなる暴言を吐いてきた。
「役立たずのじじいは、いらねえからやめちゃえよ。」
その言葉を聞いた若い社員が眉を吊り上げて腰を浮かした。俺が視線でそれを制すると、その社員は悔しそうに唇を噛んで俯いた。小神工場長はニヤニヤと嫌な笑いを浮かべたまま俺を見ていたが、やがて興味を失ったように去っていく。
すると、さっき小神工場長に抗議しようとした社員が顔を上げた。
「どうして寺田さんが、あんなこと言われなきゃならないんですか?寺田さんは、誰よりも仕事ができる人なのに。」
「ここにいる俺たちみんな、寺田さんに仕事を教えてもらったから、今こんなに大変な仕事ができるようになったのに。」
悔しそうに彼が言うと、別の社員も同調した。
「そうですよ。寺田さんが普段どんなに頑張っているかも知らないで。あいつ。」
「みんな、ありがとう。俺みたいな年寄りのために、気を遣ってくれるみんなの気持ちが嬉しい。」
「寺田さん、やめたりしないですよね。」
心配そうに尋ねられたが、俺は曖昧に微笑むことしかできなかった。もちろん、やめたくなどない。だが、この激務の中で体調が悪化しているのも事実だ。
俺は考え抜いた末に、退職することにした。小神工場長に伝えに行くと、「あ、そう。お疲れさん」という軽い返事が帰ってきた。
俺は仕事をやめてからの日々を、ただぼんやりと過ごした。体調を心配する妻が色々と気を使ってくれるが、気分は晴れない。
そんな風に過ごしていたある時、元同僚から連絡が来た。
「よう、久しぶりだな。仕事はどうだ?」
頓着なく話す俺の声に被せるようにして、彼が話し出す。
「寺田さん、助けてください。工場が大変なことになってるんです。」
彼の話によると、仕事量が増えたままで破綻してしまい、案の定製品の質が落ちてしまった。検品室の製品を納入された取引先が大激怒で、クレームの嵐だという。
だから、あれだけ言ったのに。小神工場長に対する怒りが込み上げてきたが、そんな場合ではない。俺は急いで工場へ駆けつけた。
現場では、小神工場長が社員たちを怒鳴りつけていた。社員たちはみんな青い顔をしていたが、これは怒鳴られているせいではなく、疲労のためだろう。
「お前らがちゃんとやらないからだ!」
などという怒号が工場中に響いていた。俺が工場長に近づくと、それに気づいた社員たちの顔に一様にホッとした表情が浮かぶ。
「工場長、だから言ったでしょう。このままでは会社も従業員も、取り返しのつかないことになると。」
小神工場長は真っ赤な顔をこちらに向けた。彼が口を開く前に、俺はさらに続けた。
「従業員たちの顔を見てください。みんなひどい顔をしている。これでは、まともな製品を作れるはずがない。全てあなたの責任だ。」
「うるせえ!」
小神工場長が怒鳴る。
「じじいが知った風なこと言いやがって。お前に何がわかる?」
この後に及んでも、この男は怒鳴り散らすことしかできなかった。
とにかく今は、小神工場長のことよりも、起こってしまった問題をどうにかして片付けなくては。まずは社長に連絡して、と思ったその時、誰かが工場に入ってきた。
「社長!」
入ってきたのは、社長の清水孝志その人だった。社長の姿を見た小神工場長は、真っ青になった。
「小神君、これはどういうことだ?」
社長は開口一番、鋭く言った。
「粗悪品を納品されたと、あちこちから苦情の電話がかかってきているぞ。とんでもないことをしてくれたな。」
「ち、違うんです。社長。これは俺じゃなくて、こいつらが…」
言い訳しようとする小神を一喝して、黙らせる。
「この工場は君だ。全ての責任は君にある。」
「社長、どうしてここに?」
俺が話しかけると、社長は静かに頭を下げた。
「彰先輩、申し訳ありません。」
「社長、やめてください。」
俺は慌てて社長を止めた。小神工場長は目を丸くして、俺たちを見ている。
「ここの工場の製品についての苦情が入ってきて、先輩がいるはずなのにおかしいと思って、連絡したんです。そしたら、先輩は退職したと言われて仰天しましたよ。で、慌ててこっちに来たってわけです。」
いくらか表情を柔らげて話す社長を見て、小神工場長は困惑しているようだ。そんな彼に向かって、社長は言った。
「神君、寺田さんは私の高校時代の先輩で、他の会社に就職したのを、私が無理にスカウトして連れてきた人なんだ。」
小神工場長は、言葉を失っている。
先輩という懐かしい呼び方に、俺は昔を思い出していた。工業高校の後輩だった社長は、大学を卒業してすぐ、親が経営していた小さな工場を継いだ。工業系ではなく経営学部に入り、そこで経営のノウハウをじっくり学んだ。卒業して会社を継ぐと、どんどん新しい方策を立てて改革を行った。危なっかしくも見えるその改革が功を奏し、小さな工場は各地に支社を構えるまでに成長した。その成長の途中で、俺は「どうしても、先輩の力が必要なんです」と声をかけられ、彼のために尽力することにしたのだ。それからはずっと、彼と共に歩んできた。
俺がそんな感慨に浸っている間も、小神工場長に対する社長の説教は続いていた。
「本社の役員たちは、君にとても期待していたんだ。時代を担うのにふさわしい人物だとね。」
「で、でも俺、ミスをしたからここに左遷されたんじゃ…」
震える声で小神工場長が言う。
「ミスをしたから左遷?誰がそんなことを言ったんだ?」
「いえ、誰も左遷とは言いませんでしたけど…こんな遠くの工場に飛ばされたから、俺てっきり…」
社長は大きなため息をついた。
「バカな勘違いを。君の上司はちゃんと説明したはずだ。今後の君の成長に期待して、うちの主戦力であるこの工場を任せるということをね。言われなかったのか?」
「言われました。でも、俺、左遷の言い訳だと思って…」
そういうことだったのかと、色々と合点がいった。だからと言って、これまでしてきたこと、つまり製品の質を落としたことや従業員たちの健康を害したことが許されるわけではないが。
「社長、とりあえず今後のことを考えましょう。製品の質を戻して、みんなには交代でちゃんと休んでもらって、それから…」
「そうですね。それから、先輩、いえ、寺田さんの退職も取り消さなくてはいけませんね。」
「戻っていいんですか?」
不当な退職だったとはいえ、一度退職したものが戻っていいのだろうか。だが、今は俺のことよりも現場を立て直すことが先だ。
相談した結果、仕事量を元々の量よりも減らし、一つ一つの製品の質を上げていくことになった。社員たちもゆっくり休めるようになって、身体的にも精神的にも落ち着いて、目に見えて元気になっていった。俺も正式に復帰することが決まり、毎日元気に働いている。
小神は工場長の役から外された。生き違いはあったとはいえ、工場の無理な運営、社員たちへの態度などが問題視されたのだ。だが、当の本人は、さっぱりとした顔をしていた。誤解が全て溶けて、今までのことを反省しているようだ。工場内の全従業員一人一人に頭を下げて回っていると聞いた時は、驚いた。きっと彼も、いい方向に向かっていくだろう。
「しかし、一時はどうなることかと思いましたね。先輩。」
全てが片付き平穏が戻った後、社長がまた本社からやってきた。あの騒動を落着させるためには、あちこち駆けずり回って、多忙を極めたらしい。俺は周りに誰もいないことを確認して言った。
「お疲れさん。相当大変だっただろう。」
周りに人がいない、2人だけの時は、俺も昔のように砕けた口調で話していた。
「いえいえ、この工場のみんながさせられていた無茶を思えば、俺の苦労なんて小さいものですよ。」
軽い口調で言っているが、彼のこういうところは本当にすごいと思う。
「なあ、本当に俺を戻してよかったのか?」
俺の言葉に、社長は眉を上げた。
「何言ってるんですか?先輩にはまだいてもらわなきゃ困るんですよ。先輩みたいな熱い男が、うちには必要なんですって。」
高校の時のような口調で、彼が言う。
「お前、まだそれ言ってんのか?俺は、そんな熱い男じゃないっての。」
俺が呆れると、社長は微笑みを浮かべた。
「先輩は自分じゃ気づいてないみたいだけど、熱い男ですよ。それは俺だけじゃなくて、みんな知ってます。」
自分では、そんな風に思わないが。そうなのだろうか。しかし、まあ、それもまた悪くないかもしれない。これからも俺は、この体が動く限り、若い世代を見守り、会社のために尽くしたい。そのために、彼やみんなが思う熱い男であり続けよう。そう思うのだった。



