「おい、どうした、君?」――その声で、雪の駅舎で死にかけていた12歳の俺の人生は変わった。医者の先生は、金も保険証もない俺を黙って治療し、「生きて、誰かを救う人になれ」と言った。それから15年。俺はドクターヘリの救急救命士になった。そして今朝の無線が告げた。患者名、早坂誠一郎。78歳。先生が雪の路上で倒れた。心臓が止まった。機内で俺は圧迫を続けながら心の中で叫んだ――「先生、今度は俺の番です…

「おい、どうした、君?」――その声で、雪の駅舎で死にかけていた12歳の俺の人生は変わった。医者の先生は、金も保険証もない俺を黙って治療し、「生きて、誰かを救う人になれ」と言った。それから15年。俺はドクターヘリの救急救命士になった。そして今朝の無線が告げた。患者名、早坂誠一郎。78歳。先生が雪の路上で倒れた。心臓が止まった。機内で俺は圧迫を続けながら心の中で叫んだ――「先生、今度は俺の番です...

午前10時12分、出動要請のブザーが鳴った。俺は非番のファスナーを上げながら立ち上がった。窓の外には真冬の空が広がっていた。よく晴れた、飛ぶには申し分のない朝だった。

無線の声が続けて現場の情報を読み上げていく。山合の集落、最寄りの病院まで車で1時間以上。そして患者の名前。

「患者名、早坂誠一郎さん。地元診療所の医師です。至急の搬送を要請します」

その瞬間、ヘリポートへ走り出そうとしていた俺の足が止まった。

誠一郎。聞き間違いであってくれと思った。けれど無線はもう一度はっきりとその名前を繰り返した。

忘れるはずのない名前だった。15年前、真冬の無人駅で死にかけていた俺を拾い上げてくれた人。金も保険証も持たない子供を黙って治療してくれた人。そして俺の人生を変えるたった一言をくれた人。

隣で立ち上がった三雲先生が叫んだ。

「何してる?走るよ」

俺は震えそうになる手で色材バッグの持ち手を握り直し、屋上のヘリポートへ走った。

この日の空が、15年前のあの雪の夜と俺のこれからを1本の線で繋ぐことになるなんて。駆け出したこの時の俺はまだ何も分かっていなかった。

俺の名前は高瀬悠人。27歳。県のドクターヘリに乗る救急救命士だ。出動要請が入れば医師と看護師を乗せて空へ飛び、倒れた人の元へ誰よりも早く駆けつける。現場で命をつなぎ、病院へ運ぶ。それが俺の仕事だ。

どうして俺がこの仕事を選んだのか。それを話すには、15年前の冬まで遡らなければならない。雪の降る無人駅にたった1人で捨てられた、12歳の俺のところまで。

母は1人で俺を育ててくれた。決して裕福な家ではなかったけれど、母は明るい人だった。夜遅くまでミシンを踏んで、それでも朝には必ず味噌汁の匂いで俺を起こしてくれた。今でもよく覚えているのは母の手だ。張り仕事のせいで指先はいつも荒れていた。赤切れだらけのゴツゴツした手。それなのにその手はいつも温かかった。

「悠人の手はあったかいね」

俺の手を握るたび、母は嬉しそうにそう言った。

「あったかい手はね、人を安心させる手なんだよ。母さんはこの手が大好き」

この言葉が、後の俺の一生を支えることになる。

母との暮らしが突然終わったのは、俺が9歳の秋だった。母は心臓の病気で倒れ、そのまま帰らぬ人になった。朝いつものように行ってきますと手を振って仕事へ出て、夕方には冷たくなっていた。

母を亡くした俺を引き取ったのは、母の姉夫婦だった。車で2時間ほど離れた町に住む夫婦で、俺より2つ上の息子がいた。

引き取られる日、伯母はこう言った。

「かわいそうに。これからはうちの子になればいいからね」

その言葉を信じた俺がバカだった。

田川の家での扱いは最初の日で決まった。食事は皆と同じ食卓につけたのは最初だけで、やがて俺の分だけ後から台所で食べるようになった。茶碗に軽く1杯の飯と、残り物のおかずが少し。育ち盛りには到底足りなかった。

従兄の詩太が新しいゲームを買ってもらう横で、俺は穴の開いた靴下を自分で繕った。風呂はいつも最後の冷めた残り湯だった。部屋は物置を片付けた三畳の板の間で、冬は吐く息が白かった。

伯父は俺と目を合わせない人だった。何か気に入らないことがあると舌打ちだけが飛んできた。

「面倒を見てやってるだけありがたいと思え」

口を開けばそれだった。

後になって知ったことだが、母が俺に残してくれたわずかな保険金と俺に支給されていた遺族年金は全て伯母が管理していた。そのお金がどこへ消えていたのか、従兄の新しい自転車や家族3人だけで出かける外食が何よりも答えだった。ただ毎日腹が減っていた。

6年生の冬、俺は風邪で倒れた。熱は38度を超えていた。家に着くと薬も出されないまま物置の間に布団を敷いて寝かされた。

「大げさなのよ。あんたは寝てれば治るんだから」

隣の部屋からはテレビの音と3人の笑い声が聞こえていた。同じ屋根の下に、こんな遠い場所があるのか。俺は熱で霞む頭で考えていた。

風邪はこじれてなかなか治らなかった。そしてあの日が来た。1月の半ばのことだった。

朝から伯母の様子がおかしかった。俺の数少ない着替えを古いボストンバッグに詰め、母の写真が1枚だけ入ったお守り袋をその上に放り込んだ。

「おばさん、どこか行くの?」

「いいから乗りなさい」

熱の下がりきらない体で、俺は車の後部座席に乗せられた。雪が散らつき始めていた。1時間ほど走った頃、車は小さな駅の前で止まった。古い木造の駅舎。ホームが1本あるだけの、駅員もいない無人駅。駅の名前は雪沢と言った。

伯父が後部座席のドアを開け、俺のバッグを雪の上に下ろした。

「もう面倒は見られない。ここまでだ」

言われている意味が分からなかった。呆然と立ち尽くす俺に、伯母は車の窓から1000円札を1枚差し出した。

「電車でもバスでも、どこへでも行けるでしょ。あんたももう12歳なんだから、1人でなんとかしなさい」

「待って。俺、どこに行けばいいの?」

「知らないわよ。どこでも行けばいいじゃない」

窓が閉まった。車はUターンして来た道を戻っていった。テールランプが雪の向こうに小さくなって見えなくなった。

俺は札を握りしめたまましばらくその場に立っていた。追いかけようとは思わなかった。追いかけたところであの家に俺の居場所はない。それだけは分かっていた。

雪が本降りになってきた。駅舎の中は外と変わらないくらい寒かった。時刻表を見ると、次の電車は2時間以上先だった。切符も買えない駅で、俺は初めて母が死んだ日よりもはっきりと思った。俺はこの世界のどこにも行くところがないんだ。

日が暮れ始めると、寒さは刃物みたいになった。持っている服を全部着込んでも震えは止まらなかった。バッグから母のお守り袋を出して両手で握った。木のベンチに腰を下ろした。体の震えが止まらなかった。寒いからなのか、熱のせいなのか、それとも怖いからなのか。もう区別がつかなかった。

膝を抱えて俺は母の手を思い出そうとした。あの温かい手。あったかい手はね、人を安心させる手なんだよ。母の声が遠くで聞こえた気がした。

「母さん」

心の中で叫んだ。返事はなかった。

どのくらい時間が経ったのか分からない。気がつくと、俺はベンチから崩れ落ちて駅舎の床に倒れていた。体が芯まで冷えているのに、頬だけが焼けるように暑かった。このまま眠ったら多分もう起きられない。子供ながらにどこかでそう思った。それでもいいかとも思った。そうしたら母さんに会えるかもしれない。

遠くで車の音がした。夢だと思ったけれど、音は近づいてきて止まった。ドアの開く音。雪を踏む足音。駅舎の引き戸がガラガラと開いて、冷たい風と一緒に誰かが入ってきた。

「おい、どうした、君?」

低い落ち着いた声だった。白髪交じりの男の人が俺の顔を覗き込んでいた。60歳を過ぎたくらいだろうか。その人は俺の額に手を当て、それから手首を取ってじっと何かを数えるように黙った。

「ひどい熱だ。車から毛布を持ってきなさい」

駅の外に止まった車から、小柄なおばあさんが毛布を抱えてかけてきた。2人は俺を毛布でくるむと、そのまま車の後部座席に運び込んだ。車の中はストーブみたいに温かかった。

運転席の男の人は前を見たまま、時々後ろへ声をかけた。

「起きるな。寝るなよ。もうすぐ着くからな」

「しっかりしなさい。すぐ近くにわしの診療所がある。心配はいらん」

診療所。その言葉で、この人が医者なのだと分かった。

後から知ったことだが、2人は山向こうの集落へ往診に行った帰りだった。いつもは通らない駅前の道を、その日に限って雪を避けて通った。駅舎の明かりに人影が見えた気がして、車を止めたのだという。

後になって先生は言った。「あと1時間発見が遅れていたら危なかった」

目を覚ますと白い天井があった。俺は診療所の奥の部屋のベッドに寝かされていた。枕元にはさっきのおばあさんが座っていて、俺が目を開けたのに気づくと、ぽっとしたように顔をほころばせた。

「気がついたね。よかった」

「気分はどうだ?名前は言えるか?高瀬悠人君か?わしは早坂誠一郎。この診療所の医者だ。こっちは妻の梅江。もう心配はいらんからな」

肺炎の一歩手前だったと言われた。数日はここで安静にしていなさいと。

俺はぼんやりした頭でそれでも必死に考えていた。治療を受けたらお金を払わなければいけない。俺の手元には1000円しかない。

「あの、俺、お金1000円しか持ってなくて。保険証も持ってません」

言った瞬間、先生の眉がぴくりと動いた。怒られると思って俺は身を固くしたけれど、先生は俺の頭に大きな手のひらを置いて、なんでもないことのように言った。

「金の話は元気になってからだ。まずは治る。それが先だ」

「そうよ。子供がそんな心配しなくていいの」

その夜、梅江さんはお粥を抱えて部屋に来た。卵がゆだった。匙で少しずつ口に運んでもらった。温かいものを人に作ってもらって食べるのはいつ以来だろう?一口ごとになぜだか涙が出た。梅江さんは何も聞かずに、俺が泣き止むまで背中をさすっていてくれた。

事情を話したのは、熱が下がった3日目の夜だ。どこから来たのか、家の人は心配していないのかと先生に静かに聞かれた。嘘をつく気力もなくて、俺はぽつりぽつりと話した。母が死んだこと、親戚の家に引き取られたこと、あの家での3年間のこと、そして雪の駅に置いて行かれたこと。

先生は最後まで口を挟まずに聞いていた。聞き終わってもしばらく黙っていた。膝の上で組んだ手が小さく震えているのが見えた。怒りを抑えている震えだと、子供の俺にも分かった。隣で聞いていた梅江さんは前掛けで顔を覆って泣いていた。それから俺の手を両手で包んで、絞り出すように言った。

「よく、ここまで生きてきたね」

責められると思っていた。厄介な子供だと思われると覚悟していた。けれど、この人たちは俺のために泣いてくれた。たった数日前に会ったばかりの、どこの誰とも知れない俺のために。その俺は声をあげて泣いた。母が死んでから初めての、本当の泣き方だった。

それから俺はしばらく診療所で寝起きすることになった。先生はすぐに役所と児童相談所に連絡を入れてくれた。ただ、施設の受け入れには色々な手続きがいるらしく、時間がかかるとのことだった。それまでの間、俺の体を直しながらここで預かると先生は言ってくれた。

早坂診療所は山合の集落にポツンと立つ古い平屋だった。10キロ四方に医者は先生1人きりだった。診療所の朝は早い。夜明け前からドアを叩く音がして、先生が飛び起きていく。腰の曲がったおばあさんが3時間歩いて診察に来る。吹雪の夜に電話が鳴れば、先生は迷わず往診鞄を掴む。

古びた革の鞄だった。角がすり切れて、持ち手には包帯が巻いてあった。先生は休みの日ってないの?

「ないね。この山で誰かが倒れたら、駆けつけられるのはあの人だけだから」

梅江さんは笑っていたけれど、その横顔には心配の色が透けて見えた。実は先生自身、心臓に少し持病を抱えているのだと梅江さんはこっそり教えてくれた。

「無理するなって言っても聞かないの。昔からそういう人なのよ」

先生の診察には決まった流儀があった。どんな患者でも、まず名前を呼んで目を見て、それから両手で手を取って脈を見る。

「先生、なんで最初に手を握るの?」

「機械はな、数字は教えてくれるが、冷えとるかどうかは教えてくれん。逃げりゃ冷えも震えも嘘も分かる。それににな」

先生はにやりと笑った。

「手を握られて嫌な気になる患者はおらんのじゃ。あったかい手は人を安心させる手なんじゃよ」

母の言葉と、同じことをこの人は何十年も診察室でやり続けてきたのだ。俺は妙に納得して、それから少し誇らしかった。

診療所には毎日いろんな患者さんが来た。畑仕事で腰を痛めた茂さんというおじいさんは、診察代の代わりに白菜や大根を置いていった。先生はそれを当たり前のように受け取った。

「先生よ、また野菜ですまんな」

「構わん。うちは薬より野菜が多い診療所だ」

待合室に笑いが起きる。俺はその隅で毎日その光景を眺めていた。待合室の年寄りたちはいつの間にか俺の名前を覚えていた。

「悠人、あんた顔色がようなくなったな」

「先生んとこの飯は効くじゃろう」

体が動くようになると、俺は自分から仕事を探した。待合室の床を拭き、雪かきをして薪を運んだ。何かをしていないと落ち着かなかったのだ。置いてもらっている分、役に立たなければ捨てられる。3年間の暮らしで体にそう染みついていた。

ある朝、雪かきをしている俺を見て先生は言った。

「言うと誰かに言われてやっとるのか」

「いや、自分で」

「そうか。ならいい」

それだけ言って先生は診察室へ入っていった。褒めるでもなく、遠慮しろと言うでもなく。その距離感が俺にはありがたかった。

梅江さんは毎晩俺に温かい飯を振る舞った。

「育ち盛りはね、食べるのが仕事なの。ほら、お代わり」

「もうお腹いっぱいだよ」

「嘘。おっしゃい。あんたの腹の音、台所まで聞こえてたよ」

3杯目の飯をよそわれて、俺は思わず笑ってしまった。この家では腹の底から笑っても誰にも睨まれなかった。

体が戻ってくると、俺は梅江さんの台所にも立つようになった。母に教わった卵焼きを焼いてみせたら、梅江さんは目を丸くして、それから俺の頭を撫でた。

「お母さん、いい人だったのね。手つきで分かるよ」

梅江さんは俺に料理の作り方を教えてくれた。

「覚えときなさい。あったかいものを作れる人はね、どこへ行っても大丈夫なの」

夜になると、梅江さんは居間で編み物をしていた。赤い毛糸だった。何を編んでいるのか聞いても、内緒と笑うだけだった。

そういう夜、先生は診察室で古いカルテの整理をしていることが多かった。俺が茶を運んでいくと、時々手を止めて昔の話をしてくれた。先生は若い頃、都会の大きな病院で外科医をしていたそうだ。腕も立って出世の道も見えていた。それを捨ててこの山に戻ったのは、40を過ぎた年の冬だという。

「親父がな、この山で死んだ。心臓だった。町の病院まで雪道で3時間。間に合わんかった」

先生は湯呑みを両手で包んで、静かに言った。

「わしはその頃、東京で人の心臓を手術しとった。腕のいい外科医が息子でも、親父は診療所1つない山で死んだ。医者が足らんのやない。届く医者が足らんのじゃ。そう思ったら、いてもたってもおれんでな」

「後悔したことないの?」

「あるさ。しょっちゅうな。だがな、後悔にも種類がある。やって悔むのと、やらんで悔むのと。わしはやらんだけは2度とせんと決めとる。後悔だけはしない」

この言葉も俺の骨になった。

そしてある吹雪の晩のことだ。夜中に電話が鳴った。山向こうの家でおじいさんが胸を押さえて苦しんでいるという。外は横殴りの雪だった。先生は迷いもせずに往診鞄を掴んだ。

「あなた、この雪よ。夜が開けてからじゃ、夜明けまで心臓は待ってくれん」

俺は気づいたら口を開いていた。

「俺も行く。雪かきならできるから」

先生は少しだけ俺の顔を見て、頷いた。車が入れない坂道を、俺はスコップで雪をかきながら先生の前を歩いた。たどり着いた家で、先生は患者のおじいさんに注射を打ち、朝まで枕元に付き添った。

夜が明け始める頃、おじいさんの呼吸は穏やかになっていた。帰り道、雪は止んでいた。朝焼けの中を俺は先生と並んで歩いた。診療所が見えてきた頃、先生がふいに口を開いた。

「悠人、夕べ怖かったか」

「少し。でも、おじいさんが助かってよかった」

「そうだな。人はな、助かるんだ。誰かが間に合いさえすればな」

先生は立ち止まって、雪をかぶった山々を見た。

「わしはもう年寄りだ。この山を走り回れるのもあと何年かだろう。だがな、命っちゅうのはリレーみたいなもんじゃ。わしが君を救ったのも、誰かがいつかわしを拾ってくれたからな。もらったもんは次へ渡す。それでこの世は回っとる」

そして先生は俺の目をまっすぐ見て言ったのだ。

「悠人。生きて、誰かを救う人になれ」

朝焼けの中で聞いたその言葉を、俺は生涯忘れないだろう。金もない、家もない。明日どうなるかも分からない。12歳の俺に、先生は生きろだけではなく誰かを救えと言った。お前は救われるだけの子供じゃない。いつか誰かを救う側に立てる人間だ。そう言われた気がした。

体の真ん中に、小さな火が灯った。あの朝の火は、それから15年、1度も消えたことがない。

穏やかな日々に影が差したのは、2月に入ってすぐのことだった。診療所の前に見覚えのある車が止まった。降りてきたのは田川の夫婦だった。俺は思わず廊下の影に隠れた。2人がここを突き止めたのは、役所から連絡が行ったからだった。保護者である以上、手続き上は連絡が行く。そして連絡を受けた途端、夫婦は態度を変えて飛んできた。

「世話になったな、先生。さあ、悠人、帰るぞ。家族が離れ離れはダメじゃないか」

「そうよ。あんたがいないと、うちも寂しくて」

歯の悪い言葉の裏で、2人の目は落ち着きなく泳いでいた。先生は診察室の椅子に座ったまま、静かに2人を見ていた。そして俺に聞こえるようにはっきりと言った。

「帰るかどうかは、悠人が決めることだ」

「あ、何を言ってるんだ、あんた?子供の引き取り先を子供が決めてどうする」

「では聞くが、あんたらはなぜこの子が真冬の無人駅で生き倒れとったのか、説明できるかね?」

顔色が変わった。

「この子が勝手に家を出たんですよ。私たちがどれだけ探したか」

「勝手に出た12歳の子供が、着替えの詰まったバッグを持っとったのか。おかしな話だ」

先生の声は静かなままだった。静かなまま、一歩も引かなかった。

「わしは医者として見たままを役所にも児童相談所にも伝えとる。栄養失調、長引く感染症の放置、この寒空の下で数時間。あと1時間遅ければ命に関わった。これが何を意味するか分からん、あんたらではなかろう」

伯母の顔が赤くなり、それから白くなった。

「金か。金が目当てなんだろ。あんた、この子を抱え込んで遺族年金でも搾取する気か」

その言葉に、先生ではなく梅江さんが動いた。いつも柔らかいあの人が、まっすぐ伯母の前に立った。

「お金の話をしに来たのは、あなたたちの方でしょ」

「なんですって」

「この子、うちでご飯を3杯お代わりするんですよ。骨と皮みたいになった12歳の子が。3年間、あなたたちの家でこの子がどんな風に暮らしてきたか。それでも家族と言うんですか?」

夫婦は言葉に詰まった。そこへ約束したように児童相談所の職員が到着した。先生が前もって連絡を入れておいたのだ。職員の姿を見た途端、夫婦の勢いはしぼんだ。帰り際、伯父は吐き捨てるように言った。

「知れず、誰のおかげで生きてこられたと思ってるんだ」

その時、待合室の奥から茂さんのおじいさんの声が飛んだ。

「そりゃあ、先生と奥さんのおかげじゃろうよ」

待合室の年寄りたちが一斉に頷いた。夫婦は真っ赤になって逃げるように出ていった。

それからのことは俺は後から聞いた。児童相談所と役所が調べを進めると、俺の遺族年金と母の保険金が3年にわたって田川家の家計に消えていたことがはっきりした。置き去りの件も含めて警察が2人から事情を聞いた。使い込んだ金の返還を求められ、町にいづらくなり、一家は逃げるように町を出ていったという。

自業自得だと思ったけれど、不思議とざまあみろという気持ちは分かなかった。あの家のことを思い出す時間がもったいなかったのだ。

俺の毎日は診療所の温かさで手いっぱいだった。ただ、この一件で決まってしまったこともあった。俺の行き先だ。児童相談所の判断で、俺は隣の市の児童養護施設に入ることになった。本当は先生と梅江さんが随分掛け合ってくれたらしい。うちで引き取れないかと。けれど2人の年齢と、先生の心臓の持病がどうしても壁になった。これもずっと後になって聞いた話だが、「何かあった時にこの子をまた1人にするわけにはいかない」と、最後は先生自身が引き取りを断念したのだ。

「悠人、すまんな。わしがもう20年若ければなあ」

「先生のせいじゃないよ。俺、大丈夫。施設、ちゃんと行く」

強がりだった。本当は行きたくなかった。この診療所の子になりたかった。けれどそれを口にしたら2人を困らせる。それが分かるほどには、俺はもう大人になっていた。

出発の前の晩、夕食はすき焼きだった。診療所に来て一番のご馳走だった。先生は俺の皿に肉ばかり入れた。梅江さんは白菜が煮えるより先に涙ぐんで、先生に笑われていた。

「あな、餞別の別れあるまいし」

「分かってますよ。分かってますけどね」

先生は障子の奥から1冊の古い本を持ってきた。人体の作りを子供向けに描いた図鑑だった。ページの角が丸くなるほど読み込まれていた。

「わしが子供の頃に読んどったやつだ。やる」

「いいの?」

「本は読まれるために生まれとる。飾られるためではない」

旅立ちの朝はよく晴れていた。児童相談所の車が迎えに来るまで、梅江さんは台所でずっと何かを包んでいた。持たされた紙袋の中には、握り飯と卵焼き、そして赤い毛糸の手袋が入っていた。毎晩編んでいたあの赤い毛糸だった。

「寒い思いは、もうさせたくないから」

手袋をはめると、指先までぴったりだった。先生は診療所の前に立って、俺の肩に手を置いた。

「体を大事にしろ。飯を食え。勉強しろ。それからな……」

先生は1度言葉を切って、俺の目を見た。

「あの言葉を忘れるな」

「うん。生きて、誰かを救う人になる。俺、絶対なるから」

先生は目を細めて、深く頷いた。車が走り出す。リアガラス越しに2人はいつまでも見えた。先生はまっすぐ立ったまま。梅江さんは何度も目元を拭いながら手を振り続けていた。道が曲がって2人の姿が見えなくなるまで、俺も赤い手袋の手を振り続けた。

2ヶ月足らずの日々だったけれど、その2ヶ月が12年間の俺のどの時間よりも濃かった。人に生かされるということ。人を救うということ。俺はあの診療所で、人生で一番大事なことを教わったのだ。

児童養護施設・青葉学園。そこが俺の新しい住まいになった。最初の夜、俺は布団の中で赤い手袋を握りしめていた。心細くなかったといえば嘘になるけれど、あの三畳の板間で震えていた頃とはまるで違った。俺には帰る場所こそないけれど、俺を思ってくれる人がこの世にいる。それが分かっているだけで、人はこんなにも強くなれるのかと思った。

施設に来て1週間目、最初の手紙が届いた。差出人は早坂梅江。3枚にわたって診療所のことが細かく書いてあった。梅江さんがまた大根を持ってきたこと。先生が雪道で転んで尻餅をついたこと。あんたのいない食卓は米の量が減って寂しいこと。最後の1枚は先生の字だった。癖のある四角い字。

「飯を食え。勉強しろ。以上だ。誠一郎」

たった2行に、俺は布団の中で笑って、それから少し泣いた。

それから手紙のやり取りが始まった。月に1度は必ず封筒が届いた。俺も返事を書いた。学校のこと、テストの点数、覚えた料理のこと。書くことがある暮らしというのは、それだけで上等な暮らしだった。

施設の暮らしになれるまでにはそれなりの時間がかかった。中学に上がってすぐ、年上の連中に赤い手袋をからかわれて隠されたことがあった。俺は3日かけて隠した相手を突き止め、生まれて2度目の本気の喧嘩をした。施設長にこっぴどく叱られて、帰宅の時間になっても理由を聞かれた。手袋のことを話すと、施設長は長いこと黙って、それから俺の頭を引き寄せた。

「喧嘩はダメでもね、守りたいものがある子は強くなるよ」

手袋は戻ってきた。以来、俺の手袋に触る奴はいなくなった。

勉強は正直遅れていた。田川の家の3年間、俺はまともに机に向かっていなかった。中1の最初のテストは下から数えた方が早かった。俺は消灯後の廊下の明かりで教科書を開いた。先生の手紙の「勉強しろ」の3文字が聞いていた。あの人が言うことに間違いはないのだ。

誕生日には毎年小包みが届いた。新しい手袋、文房具、辞書。中学に上がる年には目覚まし時計が入っていた。梅江さんの手袋は毎年少しずつ大きくなった。俺の手の成長を、会えないのに知っているみたいだった。

そして大輔がいた。村瀬大輔。俺より2つ下で、俺が入所した年の夏にやってきた。親の育児放棄で保護された10歳の男の子だった。来た当初の大輔は荒れていた。誰かれ構わず噛みつき、物を壊し、夜は布団をかぶって出てこなかった。職員が手を焼く問題児だったけれど、俺には大輔の目つきに見覚えがあった。田川の家にいた頃、鏡の中の自分がしていた目だ。誰も信じない。期待すれば裏切られる。だったら最初から全部壊してしまえという目だった。

ある冬の日、大輔が中庭で1人、素手で雪玉を握りしめていた。手が真っ赤だった。俺は自分の赤い手袋を持っていって、黙って差し出した。

「いらねえよ」

「そうか。じゃあ置いとく」

俺はベンチに手袋を置いて、隣で勝手に雪だるまを作り始めた。大輔はしばらくつっていたが、やがて手袋をはめて、無言で雪玉を転がし始めた。その日から、大輔は俺の後ろをついて歩くようになった。

「まあ、その手袋、誰にもらったんだよ」

「俺の命の恩人の話、長いぞ」

「別に暇だし」

俺は話した。雪の無人駅のこと。先生と梅江さんのこと。「生きて、誰かを救う人になれ」と言われたこと。大輔は口を尖らせて聞いていたが、聞き終わるとぼつりと言った。

「いいな。俺も会ってみてえな、その先生」

「ああ、いつか合わせてやるよ」

この約束を果たすのは、ずっと先のことになる。

中学の進路面談で、俺は初めて自分の口で将来の話をした。

「俺、消防士になりたいんです」

「消防士?どうして」

「倒れてる人のところに一番早く駆けつける仕事だから。あの雪の日、俺は駅舎の床で死にかけていた。あのまま誰も来なければ、俺は今ここにいない。先生たちが通りかかってくれたのはただの偶然だった。偶然に任せたくない。倒れている誰かのところへ、偶然じゃなく仕事として一番早く駆けつける人間になりたい」

それが俺の出した答えだった。救急車に乗れる消防士になる。そのために体を鍛え、勉強もした。施設の子には金がない。公務員である消防士なら高校を出てすぐ受けられる、現実的な道でもあった。

手紙にそう書いたら、すぐに返事が来た。梅江さんの丸い字の下に、先生の四角い字が添えてあった。

「いい目標だ。だが救急の仕事は体力より心がすり減る。すり減った分はよく眠って返せ。以上だ」

そっけない文面を、俺は何十回も読み返した。財布に入れて、お守りにした。

高校は県立の普通科に進んだ。制服は施設の先輩のお下がりで袖が少し長かった。梅江さんに手紙でそう書いたら、次の小包みに裁縫セットが入っていた。部活は陸上部で長距離を選んだ。金のかからない部活という理由が半分。体力が資本の仕事につく、と決めていたのが半分だ。

3年の秋、俺は消防士の採用試験に合格した。18歳の春、施設を出る日が来た。大輔は最後まで不機嫌そうな顔をしていた。

「置いてくのかよ」

「置いていかない。先に行って待ってるだけだ。お前も来い」

「勉強できねえもん」

「関係あるか?お前、機械得意だろ?ラジオ直したの見たぞ。手に職つけろ。手だよ、大輔」

大輔は俯いて、それから小さく頷いた。

施設を出る時、俺は1つだけ決めたことがあった。先生と梅江さんに、しばらく手紙を書かないことだ。消防士になりましただけでは足りない。俺はまだ誰も救っていない。訓練を受けただけの18歳だ。あの言葉に胸を張って答えられる人間になるまで、会いに行くのはやめよう。今にして思えばそれはただの若さだった。1人前になった姿だけを見せたい。その一心だった。切れかけて届く手紙のやり取りも、これで途切れることになる。

最後の手紙に俺はこう書いた。「必ず誰かを救える人間になります。慣れた日に必ず会いに行きます。だからそれまで手紙を我慢します。体に気をつけて待っていてください」

この手紙を俺は何年も後に思い出して、唇を噛むことになる。時間が誰の上にも同じに流れることを、18歳の俺はまるで分かっていなかったのだ。

消防学校の半年は、人生で一番体がきつい半年だった。朝5時半の起床ラッパ、20キロのランニング、放水訓練、ロープ訓練。毎晩泥のように眠った。それでも根を上げずに済んだのは、腹が減る辛さも寒さで眠れない辛さもとっくに知っていたからだ。あの3年間が、皮肉なことに俺の土台になっていた。

消防学校では同期に恵まれた。隣のベッドの佐野は、実家が酒屋のお調子者で、休日によく菓子を分けてくれた。施設育ちだと話しても、佐野はふうんと流すだけだった。

「それより高瀬、お前ロープ結ぶの早すぎん?どうやってやんの?」

そっちの方が大事らしかった。過去より手際。この世界の物差しは、俺には居心地が良かった。

1度だけ限界が来たことがある。真夏の放水訓練で、俺は熱中症寸前まで追い込まれて膝をついた。教官が怒鳴った。

「高瀬、お前が倒れんのなら要救助者は死ぬぞ。お前が立たん1分で人が死ぬんだ」

俺は立った。立てたのは根性じゃない。あの言葉のせいだ。俺が立たない1分で死ぬ誰かの中に、12歳の俺がいた。雪の駅舎で誰かが来てくれるのを待っていた俺が。

卒業して消防署に配属され、最初は消火隊に乗った。21歳で希望が通り、救急隊に配属された。初めて乗った救急車のことは今でも覚えている。サイレンの音が自分の体の中からなっているみたいで、指先が震えた。隊長の岩崎さんは、そんな俺を横目で見て言った。

「高瀬、震えとけ。震えなくなったらこの仕事は辞め時だ」

岩崎さんは当時44歳のベテラン隊長だった。現場では鬼のように厳しく、署に戻ると黙ってコーヒーを差し出してくれる人だった。よそから来た俺が署に早く馴染めたのは、この人が最初から俺の名前を呼び続けてくれたからだと思う。

初めて人の死に立ち合った夜のことも忘れていない。1人暮らしのおばあさんの、老衰に近い状態だった。処置の余地はもうなかった。署に戻る車内で、ハンドルを握る岩崎さんが前を向いたまま言った。

「高瀬、今夜のこと忘れんでえ。忘れられんもんは、忘れんでええんや」

署に戻ると、岩崎さんは俺を連れ出して夜明けの牛丼屋のカウンターに並んだ。

「食え。食える時に食え。俺らが倒れとったら誰が行くんや」

忘れられない夜がある。救急隊に配属されて2年目の冬だった。通報は深夜2時過ぎだった。現場までは6分。着いた家で、浴室の脱衣所で50代の男性が倒れていた。呼吸なし、脈なし。心配停止だった。強心圧迫を交代しながら、AEDのパッドを貼る。電気ショック。反応なし。圧迫再開。腕の感覚がなくなりかけた頃、モニターの波形がふっと変わった。

「戻った。脈触れるぞ」

手のひらの下で止まっていた心臓が動き出した。その感覚を俺は一生忘れない。人の命が自分の両手の中で帰ってきた。あの雪の駅で先生が拾い上げてくれた命が、今、別の誰かの命を拾い上げた。

搬送先の病院で男性の意識が戻ったと聞いた帰り道、夜明けの救急車の中で俺は隊員に分からないように少しだけ泣いた。心の中で何度も報告した。

「先生、俺、救えました。初めて人を救えました」

その春、俺は救急救命士の国家試験に挑んだ。勤務の合間に研修所へ通い、休日は図書館にこもった。岩崎さんは暇さえあれば問題を出してきた。後で知ったことだが、岩崎さんはその年の休みを削って救命士の指導を取りに行っていた。俺に教えるためだった。

合格発表の日、掲示の中に自分の番号を見つけた瞬間、真っ先に浮かんだのは2人の顔だった。その足で署に戻ると、岩崎さんが両腕を広げて待っていた。

「見えたぞ。やったな、高瀬」

背中を叩かれすぎて俺は咳き込んだ。夜は署のみんなが安い中華屋で祝ってくれた。餃子をつつきながら、岩崎さんがふと言った。

「その、本人の先生には知らせたんか?お前の言うとった山の先生や」

「これから書きます」

「そうか。喜ぶやろな、その先生」

その夜、久しぶりに便箋を広げた。「先生、梅江さん、俺は救急救命士になりました。この前、初めて自分の手で人の命をつなぎました」

そこまで書いて止まった。まだだ、と思ってしまったのだ。救命士になった。1度は救えた。でも、救えなかった命の方がまだ多い。こんな途中の報告であの言葉に答えたことになるのか。どうせ会いに行くなら、もっと胸を張れる俺で行きたい。

書きかけの便箋は、定形の先生の手紙と一緒に机の引き出しにしまった。翌朝、岩崎さんに書いたかと聞かれた。

「まだ途中で」

嘘ではなかった。嘘ではなかったが、その「途中」はそれから何年も続くことになる。岩崎さんはそれ以上聞かなかった。ただ1度だけ、こう言った。

「高瀬、手紙やお見舞いはな、早い方がええぞ」

その言葉の重さを、当時の俺は半分も受け止められていなかった。

今度こそ次の節目には、と思っているうちに月日はあっという間に流れていった。24歳になっていた。施設を出てからもう6年が経っていた。救急救命士になってできる処置は増えた。静脈路の確保も、心停止の際の薬剤投与も。現場で救える幅が広がる。俺は少しずつあの日の先生に近づいている気がした。それなのに、近づいた分だけまだ足りない気持ちも伸びていった。おかしな話だ。救える力がつくほど、会いに行けなくなるなんて。人はこうやって一番大事なことを後回しにする。取り返しがつかなくなりかけて、初めてそれを知るのだ。

25歳の冬。俺は生涯忘れられない現場を経験することになる。内の山合の集落から通報が入った。80代の男性が胸を押さえて倒れたという。現場は峠を2つ超えた先の集落だった。折からの雪で道は圧雪になっていて、救急車は普段の倍近い時間をかけて坂道を登った。現場に着いた時、男性はまだ意識があった。

「すまんなあ、こんな山奥まで」

搬送先の病院までは下りでさらに50分かかった。その50分の途中で、男性の心臓は止まった。狭い車内で俺たちは交代で強心圧迫を続けた。静脈路も薬剤も、やれることは全部やった。それでも病院に着いた時、男性の心臓は2度と動かなかった。

処置室の前の廊下で、遅れて到着した息子さんが壁に手をついて泣いていた。そして誰に言うでもなく、こう呟いたのだ。

「親父は、山に住んどっただけです。山に住んどるだけで、命は安くなるんですか?」

返す言葉がなかった。俺たちは全力を尽くした。処置に落ち度はなかった。けれど、あの雪道の1時間半がなければ、あの人は助かっていたかもしれない。医療の腕でも装備でもなく、ただの距離と時間が、あの人の命を決めた。

病院からの帰り、車内は静まり返っていた。署に戻った俺は着替えもせずに車庫の隅に座り込んでいた。あの言葉が頭から離れなかった。山に住んどるだけで命は安くなるんですか?12歳の俺は山合の無人駅で死にかけた。あの時先生の車がたまたま通らなければ、俺の命も距離と時間に殺されていた。俺が救急救命士になったのは、その偶然を仕事に変えるためだったはずだ。それなのに、どれだけ早く靴を履いても、道が雪で埋まっていたら間に合わない。どうすればいい?どうすれば間に合う?

その背中に缶コーヒーがこつんと当たった。

「高瀬、ちょっと付き合え」

連れて行かれたのは署の資料室だった。岩崎さんは古いキャビネットから1冊の手帳を出した。表紙がすり切れた黒い手帳だった。

「俺が新人の頃からつけとる、救えんかった人の名前だ」

ページをめくると、几帳面な字で名前と日付が書き記してあった。長い年月分の名前だった。けれど、ゾっとするほどの数ではなかった。むしろ少ないと感じた。それだけこの人が間に合わせてきたということだ。それでも岩崎さんは、この少ない名前を今も捨てずに持ち歩いている。

「この中に、7歳の女の子がおる。25年前の冬だ。俺がまだお前みたいなひよっこの頃。山向こうの集落の子が喘息で倒れた。重症や。息ができんで、気道を確保して、えらい時間かけて着くまで2時間。間に合わんかった」

岩崎さんは手帳を閉じて、俺を見た。

「あの日からずっと考えとった。道がダメなら、どこを通ればよかったんかとな。答えは1つしかない。空や」

そして岩崎さんは1枚の書類を机に置いた。県がドクターヘリの運行を始める。基幹病院に医師と看護師が常駐し、要請から5分で離陸する。そして、機動隊の運行管理と現場活動の要員として、消防から救急救命士の派遣枠が設けられる。その募集要綱だった。

「山の上の患者を、道を使わずに病院へ運ぶ。お前が悔しがっとった1時間半が、15分になる。……15分や、高瀬。お前はこの署の宝やが、お前の居場所は多分もっと上や」

俺はその夜のうちに志願書を書いた。志願書を書く手が、久しぶりに震えた。ここからが本当の壁だった。派遣枠は県全体でわずか数名。志願者は各署のエースばかりだった。書類審査、体力測定、実技、面接。加えてヘリという特殊な環境の適正検査があった。

面接で「なぜ空を目指すのか」と問われた。用意してきた模範解答があった。救急の搬送時間短縮。救命率の向上。数字も暗記してきた。けれど、面接官の目を見た瞬間、口から出たのは別のものだった。

「私は12歳の冬、山合の無人駅で生き倒れました」

俺は初めて身の上を面接の場で語った。親戚に捨てられたこと。高熱で倒れたこと。通りかかった老夫婦に救われたこと。「生きて、誰かを救う人になれ」と言われたこと。

「あの日の私は偶然に救われました。ですが、命が偶然に左右されていい理由はありません。道が塞がるなら、空を使うべきです。私をその空に置いてください。あの日の私のような誰かのところへ、必ず誰よりも早く降ります」

気がつけば、面接官の1人がメガネを外して目頭を抑えていた。

初めてヘリに乗った訓練の日、俺は機体を晒しながら吐いた。狭い機内は想像を超えて揺れた。エンジン音で声は聞こえず、指示は全てサインとインカムだ。地上では何百回もやった静脈路確保が、揺れる機内ではまるでできなかった。指導役として同乗していたのが、基幹病院のフライトドクター、三雲先生だった。当時38歳。細身で無駄口を一切聞かない人だった。訓練後の評価で、三雲先生は俺の評価表に容赦なく書いた。

「地上の腕は買う。空では泣きっ面以上」

悔しくて、その夜は眠れなかった。次の訓練もその次も、俺は空になれなかった。同期の訓練生が1人、また1人と適性を掴んでいく中で、俺だけが置いて行かれていた。

岩崎さんに電話で弱音を吐くと、帰ってきたのは笑い声だった。

「当たり前や。お前はずっと地面の男やったんやぞ。空に上がって半年で飛べたら、鳥に失礼やろ」

「鳥ですか?」

「鳥勝ち。雛のうちは巣から落ちて死にかけるんや。落ちてから覚えるんが飛ぶっちゅうことや。俺、明日も落ちてこい」

受話器の向こうの笑い声に、不思議と力が湧いた。それから俺は休みの度に基幹病院へ通った。見学でも何でもいい、機体に慣れさせてくれと頭を下げた。そして、自宅の部屋に養生テープで機内と同じ広さの枠を貼り、その中で処置の手順を何百回も繰り返した。畳1枚半。その枠の中が俺の戦場になるはずだった。枠の中には扇風機を首振りで回して風を送った。揺れの代わりに、目をつぶって片足で手だけを動かした。

半年後の最終審査で、俺は揺れる機内での処置をやり切った。発表の日、掲示された名簿に俺の名前があった。三雲先生はすれ違い様、前を向いたまま言った。

「畳1枚半だそうね。岩崎さんから聞いた」

「はい」

「お手本通りの訓練より、そういう泥臭いのが空では効く。よろしく、高瀬君」

こうして26歳の春、俺は県のドクターヘリの救急救命士になった。出発の日、署の車庫で署のみんなが並んで見送ってくれた。消防学校からの同期で同じ署にいた佐野は、非番なのにわざわざ出てきて俺の肩を殴った。

「山の上で頑張れ。俺は下から行く」

はっきりそう言ってくれる仲間がいる。それだけで新しい空への足は軽くなった。

赴任した日、岩崎さんに電話をかけた。

「決まったか。岩崎さんのおかげです」

「はん、お前の畳のおかげや。高瀬、1つ約束せえ。お前が空から降りてくる現場に、俺は地上から患者を上げる。空と地上で、両側から間に合わせるんや。ええな」

「はい。約束します」

電話の向こうで、手帳をめくる音が聞こえた気がした。

基幹病院での日々が始まった。ドクターヘリの朝は点検から始まる。医師、看護師、操縦士、整備士、そして救急救命士。全員で機体を囲み、資器材を確認し、気象を読む。要請のブザーが鳴れば、目標は5分以内の離陸だ。

操縦士の柴田さんは、元は防災ヘリを長く飛ばしてきた大ベテランだった。無口で、操縦桿を握ると余計に無口になる。最初の頃、俺が気象の判断に口を出しかけたら、一言だけ帰ってきた。

「風はわしが読む。あんたは患者を読め。持ちは持ちや」

以来、俺は空のことは全部この背中に預けると決めた。

看護師の柏木さんは、俺より5つ上の姉御肌で、緊張で固まる新入りの俺に初日からあだ名をつけた。

「よろしくね、畳君」

「畳ですか?」

「畳1枚半派の人でしょ?三雲先生が珍しく人を褒めてたわよ」

あの三雲先生が褒めていた。それだけで初日の緊張が半分解けた。

初出動は配属から4日目に来た。峠道での交通事故だった。離陸から着陸まで、俺は自分の心臓の音を聞いていた。それでも機体から降りた瞬間、体は勝手に動いた。畳1枚半で刻み込んだ手順通りに。観察、ルート確保、処置。基地に戻って降りると、膝が少し笑っていた。

「高瀬君、感想は?空は揺れました。でも、あなたの手は揺れてなかった」

その一言を、俺はその夜手帳に書き留めた。

配属されて最初の週、俺は格納庫で思いがけない再会をした。機体の下に潜り込んで作業していた整備士が、俺を見るなり工具を取り落としたのだ。

「は?……だろ?青葉学園の俺だよ。大輔!村瀬大輔!」

あの雪だるまの大輔だった。聞けば、施設を出た後、航空整備の専門学校に進み、整備会社に入って、去年からこの基地のドクターヘリを担当しているという。「手に職つけろ。手だよ」と言った俺の言葉を、あいつは本当に守ったのだ。しかも、よりによって空の上の俺が乗る機体を、俺が守ってんの。24歳になった大輔は、あの頃の表情を残したまま、いい職人の顔になっていた。

「空が言ったんだろ?手に職つけろって。手だよ。俺、あれからずっと自分の手見て生きてきたもん」

参ったなと思った。何気なく投げた言葉を、こいつはまるで8年握りしめていたのだ。言葉というのは、投げた本人が忘れた頃に、思いもよらぬ実を結んで帰ってくる。先生の言葉が俺を空へ運んだように、俺の言葉はこいつを空へ運んでいた。

それから俺たちは休みが重なる夜に、時々飲むようになった。安い居酒屋で施設の思い出話をして、施設長がまだ現役で子供を叱り飛ばしていることを笑い合った。

三雲先生は相変わらず無駄口を聞かない人だったが、機動隊の要請にだけは誰よりも早く立ち上がった。どんな悪条件でも飛べる限界まで飛ぼうとする。柏木さんがこっそり教えてくれた。

「三雲先生ね、山の案件だけは絶対に断らないの。何かあるのよ。あの人にも聞いたことないけど」

何かがある。それは多分、岩崎さんの黒い手帳と同じ種類の何かなのだろう。この仕事を続ける人間は、多かれ少なかれそういう何かをポケットに入れて飛んでいる。俺の胸ポケットの赤い手袋みたいに。

出動は多い月で30件を超えた。峠でバイクごと転んだ大学生。沢に落ちた3歳の子供。吹雪の夜の脳卒中。飛ぶたびに、岩崎さんの言った15分の意味を思い知った。地上で1時間半かかる距離を、俺たちは15分で駆けつける。間に合うという言葉の重さが、この機体には積んであった。

それでも全員を救えるわけではない。空にも間に合わない命はあった。そういう夜、俺は岩崎さんの真似をして手帳に名前を書き留めるようになった。一度、柏木さんに手帳を見られたことがある。柏木さんは何も言わずに、自分のポケットから小さなノートを出して見せた。同じだった。この基地の人間は、みんなどこかに名前を書き留めて飛んでいた。

その夜も、そんないつもの夜になるはずだった。2杯目の途中で、大輔がふいに聞いてきたのだ。

「なあ、例の先生にはもう会いに行ったのか?俺の命の恩人の先生」

「いや、まだだ」

「だってお前……」

大輔はジョッキを置いた。

「ドクターヘリに乗ってんだぞ、今のお前。これ以上何になったら気が済むんだよ」

「区切りがつかなかったんだ。会いに行くなら、ちゃんとちゃんとな」

「……なあ、俺は親に捨てられたから分かるけどな。待ってる側の時間ってのは、吹っ飛んでくんだよ。1日な。吹っ飛んでくんだよ。先生、いくつになる?」

「78になるはずだ」

「78……なあ。それ、いつまでもあると思うなよ」

言葉が出なかった。大輔の言う通りだった。1人前になってから、もっと胸を張れるようになってから。そうやって俺は9年間、手紙1枚出さずに来た。18歳の決意は、いつからかただの逃げ癖に変わっていた。会いに行かない自分に慣れてしまっていたのだ。

思えば区切りなんてとっくに超えていた。初めて蘇生に成功した夜。救命士になった日。ヘリに乗った日。どの日だって、会いに行く理由には十分だった。それなのに、俺は引き出しの便箋を9年も寝かせた。怖かったのだと思う。立派になった姿を見せたいという願いは、裏を返せば、まだ足りない自分を見られたくないという臆病だった。そしてもう1つ。9年も音信を絶った俺を、あの2人がどう思っているか。呆れられていたら。忘れられていたら。それを確かめるのが怖かった。

「行けよ。今度の休みでいい。なんなら俺もついてく。合わせてくれる約束、果たしてもらってねえし」

そうだった。合わせてやる、と中庭の雪の上で約束した。

「ああ、行くよ。行く」

その週末、俺は9年ぶりに便箋を買った。引き出しの奥には、書きかけのまま黄ばんだ昔の便箋が眠っていた。それを机に並べて、俺は一晩かけて手紙を書いた。9年間の無沙汰の詫び。救命士になったこと。救急隊で人の命に触れてきたこと。そして今、ドクターヘリに乗っていること。最後の1枚に、俺はこう書いた。

「先生、梅江さん。俺は今、倒れた人のところへこの県の誰よりも早く駆けつける仕事をしています。あの日先生がくれた言葉の通りの人間になれているかは、まだ分かりません。でも、なろうとし続けることだけはやめませんでした。近いうちに必ず会いに行きます。今度こそ本当に行きます。どうか体に気をつけて」

便と一緒に写真を1枚入れた。ヘリの前で撮った、機動隊の制服姿の俺だ。大輔が絶対入れろと言って聞かなかった。

ところが、書き上げた手紙はそれから2週間、俺の机の上にあった。住所を書いて切手を貼った。あとはポストに入れるだけだ。それができなかった。9年分の重さが、高が数十グラムの封筒には詰まっていた。

大晦日は当直だった。年越しの瞬間も、俺は待機室で資器材のリストを見ていた。夜明け前、点検で屋上に上がると、東の空が明け始めていた。新年の初日を俺はヘリポートで見た。雪をかぶった山並みの向こうから、光がまっすぐに伸びてきた。あの山のどこかに、雪沢がある。あの光の元で、先生と梅江さんが新年を迎えている。

その時ふいに思ったのだ。先生は元日も多分、枕元に往診鞄を置いて寝ている。誰かが倒れたら、正月も雪もない。あの人は今も、「やらない後悔だけはしない」人のままだ。だったら俺は、何をぐずぐずしている?

正月明けの7日の終わりに、俺はあの手紙をポストに落とした。厚い封筒が、ことりと音を立てた。

返事はすぐには来ないだろう。来たら、次の休みに雪沢へ行こう。大輔を連れて。駅前で花でも買って。梅江さんは驚くだろうか?先生はあの四角い字で、何と言うだろうか?そんなことを考えながら過ごした数日後の朝だった。

あのブザーが鳴った。

1月半ばの、よく晴れた朝だった。15年前、俺が雪沢駅に置き去りにされたのと、ちょうど同じ頃合いの季節だった。最も、その朝の俺はそんなことを考えてもいなかった。いつも通りの点検を終え、待機室で資器材のリストを確認していた。点検の間、大輔と軽口を叩いたのもいつも通りだった。

「悠人、今日は空気が澄んでるぞ。機体がよく見える日は、遠くまで飛ばされる日だからな」

「経験則か、それ」

「武士の勘ってやつだぜ」

笑ってた。今思えば、それがいつも通りの朝の最後の軽口だった。

午前10時12分。出動要請のブザーが鳴った。待機室の空気が一瞬で張り詰める。俺は非番のファスナーを上げながら、無線の声に耳を済ませた。

「ドクターヘリ出動要請。救急事案。78歳男性。雪の路上で倒れているのを通りかかった人が発見。意識レベル低下。現場は県北の山合」

地図で言えば基地病院から直線40キロ。車なら1時間半、ヘリなら15分の距離だった。俺の頭は自動的に動き出していた。飛行ルート、気象、着陸地点。いつもの手順の朝。

そして無線は、続けてこう言ったのだ。

「患者名、早坂誠一郎さん。地元診療所の医師です。至急の搬送を要請します」

誠一郎。その名前が耳に入った瞬間、世界から音が消えた。手にしていたリストの紙が、指先から滑り落ちた。拾わなければと思うのに、指が動かなかった。機材の壁の時計の音だけが、やけに大きく聞こえた。

聞き間違いだ。そう思おうとした。どうせ同姓同名だ。そうであってくれ。けれど心臓は頭より先に答えを知っていた。嫌な速さで打ち始めた鼓動が、俺に告げていた。あの人だと。

無線は言った。地元診療所の医師、と。県北の山合で、診療所で。誠一郎という名の78歳の医師が、あの人の他にいるはずがなかった。

先生が倒れた。雪の路上で。あの山のどこかの雪の上で。体の芯がすっと冷えた。15年前、雪の駅舎で感じたのと同じ冷えだった。

「高瀬。何してる?走るよ」

三雲先生の声で我に帰った。俺は落ちた紙を拾うのも忘れて走り出した。屋上へ続く階段を駆け上がりながら、心臓が肋骨の内側で暴れていた。走りながら、頭の芯だけが妙に冷えていた。動揺するな。手順は変わらない。患者が誰であっても、やることは同じだ。自分にそう言い聞かせるたび、「患者が誰であっても」という言葉が胸の中で軋んだ。

ヘリポートでは、大輔がもう機体の横に立っていた。エンジンが唸りを上げ始めている。乗り込む寸前、俺は三雲先生の腕を掴んでいた。

「三雲先生。報告します。患者の早坂誠一郎医師は、俺の命の恩人です」

三雲先生の目がわずかに見開かれた。

「15年前、生き倒れていた俺を救ってくれた人です。身内も同然の関係です。規定に照らして、俺は今回の出動を外れるべきかもしれませんが……」

言葉に詰まった俺に、三雲先生は短く言った。

「続けて。現場は雪沢です。俺はあの村で暮らしていました。地形も雪の癖も診療所の場所も、この県の誰よりも知っています。乗せてください。仕事は必ず果たします」

三雲先生は2秒だけ黙った。それから機体を指さした。

「乗りなさい」

「はい」

「ただし、約束して。空の上では、あの人は患者。あなたは救命士。それ以外の何者でもない。感情で手元が狂ったら、その瞬間に交代よ」

「はい。約束します」

そう言った自分の声が、少しかすれていた。

機体に飛び乗る俺の背中を、大輔が叩いた。何か言おうとして、言葉にならなかったらしい。ただ、2度強く叩いた。あいつも無線を聞いていたのだ。患者の名前も、それが誰なのかも、全部分かった上で、あいつは最高の状態の機体を差し出してくれた。

10時17分、離陸。要請から5分だった。

機内で三雲先生はヘッドセット越しに短く聞いてきた。

「高瀬、患者の既往歴は?」

「15年前の時点で、心臓に持病がありました。詳細は不明です。78歳、現役の医師。山向こうの集落まで、今も徒歩で往診しています」

心臓に持病を抱えて、雪の中を徒歩で往診する医師ね。

「はい。昔からそういう人なんです」

三雲先生は小さく頷いて、資器材の最終確認に戻った。この人は、俺の個人的な事情をそれ以上一言も聞かなかった。ただ現場に必要な情報だけを引き出して、後は静かに前を見ていた。プロの横顔だった。

機動隊を上げたヘリは市街地を抜けて、一直線に北へ向かった。眼下の景色が白い山並みに変わっていく。インカムの向こうで、消防からの続報が入り始めた。

「患者は往診からの帰宅途中に倒れた模様。発見者は郵便配達員。呼びかけに応答なし。血圧低下。地元救急隊が接触。心筋梗塞の疑い」

往診の帰り。その一言が胸に突き刺さった。78歳、心臓に持病を抱えた体で、先生はまだ雪の山道を歩いて往診に出ていたのだ。15年前とまるで変わらないまま。夜明けの雪道を、すり切れた往診鞄を下げて歩いていた、あの背中のままに。

無線は続けた。

「付き添いは奥様。搬送先の希望は問わず、一刻も早くとのこと」

梅江さんだ。雪の路上で、あの小さな体で倒れた先生に付き添っている。泣いているだろうか。それとも、必死に冷静を保っているだろうか。想像しただけで、喉の奥が閉まった。

どうしてもっと早く会いに行かなかった?俺の手紙はあまりに遅かった。あの分厚い封筒は届いただろうか。読んでくれただろうか。それすら分からないまま、先生は今、雪の上に倒れている。

まぶたの裏を、15年前が駆け抜けていった。駅舎の床の冷たさ。覗き込んでくれた白髪交じりの顔。「ひどい熱だ」と。卵がゆの湯気。朝焼けの帰り道。「生きて、誰かを救う人になれ」。あの車の窓から見えた、いつまでも振られていた2つの手。あの日から俺の中で回り続けてきた全てが、白い山並みの上で1つに重なろうとしていた。

操縦席から柴田さんの声がした。

「ランデブーポイントの確認だ。地元消防の指定は、雪沢駅前広場」

「了解、雪沢駅前広場」

息が止まった。駅。15年前、俺が捨てられた駅。高熱で倒れて死にかけて、そして先生と梅江さんに拾われた、あの無人駅。その駅前の広場が、ドクターヘリの着陸地点に指定されていた。山合でまとまった平地は、あそこしかないのだ。

偶然と言うには出来すぎていた。15年前、俺はあの駅で救われた。そして今日、俺はあの駅に空から降りて、先生を救いに行く。

インカムに地上の消防無線が入った。

「こちら雪沢消防。現場周辺の着陸隊確保完了。ヘリの侵入を待つ」

聞き覚えのある太い声だった。まさかと思った。県北の消防署。そうだ、あの人の管轄だ。約束せ、と言った声が耳の奥で重なった。お前が空から降りてくる現場に、俺は地上から患者を上げる。岩崎さん、あなたの言った現場が、よりによってここになりました。

機体は谷に沿って高度を下げていく。眼下に見覚えのある県道が現れた。あの日、田川の車で運ばれた道。自転車の車で施設へ向かった道。人生を運んだ道の上を、今日は俺が飛んでいた。

非番の胸ポケットの上から、俺はそっと手のひらを当てた。そこには、あの赤い手袋が入っている。梅江さんが編んでくれた最初の手袋。とっくに小さくなって、はめられなくなった手袋を、俺は初出勤の日からずっとお守りとして胸ポケットに入れて飛んできた。

先生、持ってくれ。頼む。

前方の山合いに、見覚えのある谷が見えてきた。雪をかぶった小さな集落。細い川。曲がりくねった県道。そして、ぽつんと佇む古い駅舎。15年ぶりの雪沢が、眼下に広がっていた。

「侵入する。接地に注意」

機体が高度を落とし始める。駅舎の赤い屋根が近づいてくる。ホームのベンチが見えた。あの日、俺が膝を抱えていたベンチだ。その前の広場に、誘導の隊員が立ち、救急車が止まっている。

色材バッグのベルトを握り直した。胸ポケットの上から、もう1度だけ手袋に触れた。梅江さん、今行きます。あの日々がしてくれたことを、そっくりそのまま返しに行きます。

10時32分、雪沢駅前広場に着陸。地元救急隊が雪を割って作った着陸隊に、機体は正確に降りた。ローターの風が地面を巻き上げ、視界が一瞬白く染まった。機体が停止するまでの数秒、俺は窓越しに現場を見ていた。駅舎。ホーム。ベンチ。何もかもが記憶より小さく、そして何ひとつ変わっていなかった。15年前ここで終わりかけた命が、今、救う側になって降りてくる。感慨に浸る時間はない。それでもこの1瞬だけ、俺は運命というものを信じた。

ドアを開けて飛び降りる。色材バッグを担いで走り出す。真っ先に見えたのは、駅舎の前に止まった救急車と、その脇に立つ四角い体の男だった。

「高瀬!こっちだ!」

岩崎さんだった。数年前から県北の消防署に異動していたことは知っていた。まさかこの現場で会うことになるとは。

「約束通りや。地上は俺があげた。あとは頼む」

「はい!」

救急車の後部ドアが開く。ストレッチャーの上に、先生がいた。

一瞬、言葉を失いそうになった。記憶の中の先生より、ずっと小さく見えた。白髪は増え、頬はこけ、しわが刻まれていた。血の気のない顔に、酸素マスクの曇りだけがかすかな呼吸を伝えていた。先生の体は、救急隊の毛布でしっかりと包まれていた。毛布。あの日、梅江さんが車から抱えて走ってきてくれた毛布を思い出した。あの時包まれていたのは俺だった。今包まれているのは、先生だった。15年かけて、立場だけがそっくり入れ替わっていた。

それでも、先生だった。15年前の駅舎で、俺の額に手を当ててくれた、あの人だった。

ストレッチャーの脇に、小さなおばあさんがうずくまるようにして付き添っていた。梅江さんだった。75歳になった梅江さんは、あの頃より一回り小さくなって、夫の手を両手で握りしめていた。

「あなた、あなた。だめよ。置いていかないでねえ、あなた」

梅江さんは俺に気づかなかった。ヘルメットとバイザーで顔は見えない。それに、梅江さんの目には、夫のことしか映っていなかった。当たり前だった。

名乗りたかった。梅江さん、俺です。悠人です。あの時の悠人が、先生を助けに来ました。けれど、俺はその言葉を飲み込んだ。今の俺は、高瀬悠人である前に、救急救命士だ。名乗る時間があるなら、処置を1秒早く始めるべきだった。それが、先生に教わった「誰かを救う」ということのはずだった。

「ドクターヘリ救急救命士の高瀬です。接触時の状況をお願いします」

岩崎さんの隊員が数値を読み上げる。意識なし。血圧は80の50台。微弱。心電図の波形は、急性心筋梗塞を示していた。一刻を争う状態だった。三雲先生が並走しながら指示を飛ばす。

「ルート確保。やるよ」

「高瀬、ルート確保します」

揺れる車上の上で、俺は先生の腕に針を進めた。畳1枚半で何百回も繰り返した手順。手は震えなかった。静脈路のラインが通る。薬剤が入る。

収容の直前、梅江さんが俺の非番の袖を掴んだ。

「お願いします。お願いします。この人を……この人は、山にいなくちゃいけない人なんです」

知っています。誰よりも知っています。喉まで出かかった言葉を飲み込んで、俺はバイザー越しに梅江さんの目を見た。

「必ず助けます。信じて待っていてください」

梅江さんは何度も頷いた。その目は、俺が誰なのかにはまだ気づいていなかった。それでいい。今はそれでいい。代わりに俺は心の中で名乗った。梅江さん、悠人です。あなたの編んでくれた手袋は、今もこの胸にあります。

モニターの波形を睨みながら、俺たちは先生を機内へ収容した。

その時だった。モニターの電子音が、連続音に変わった。

「心室細動!強心圧迫!」

先生の心臓が止まった。目の前が暗くなりかけたけれど、体は頭より先に動いていた。俺は先生の胸に手を重ね、圧迫を始めた。1、2、3、4。肋骨のしなる感触が手のひらに伝わる。15年前、この胸の中の心臓が、雪の駅で凍えていた俺を見捨てなかった。夜明け前の往診に俺を連れ出して、「命はリレーだ」と教えてくれた。この心臓が、止まっていいわけがなかった。

「充電完了。離れて」

三雲先生の指示で、ショックで先生の体が跳ねた。モニターを見る。波形、戻らない。圧迫再開。

「アドレナリン1ミリ」

「アドレナリン1ミリ、投与」

訓練通りの声が出た。手も動いた。それなのに、視界の端で、先ほどの雪の上に立つ小さな影がちらついた。両手を握り合わせて、こちらを見つめている影が。

だめだ。見るな。今は患者だけを見ろ。

圧迫を続けながら、俺は気づけば心の中で叫んでいた。先生、あんたが言ったんだ。人は助かるんだと。誰かが間に合いさえすれば、人は助かるんだと。だから俺はここまで来た。あんたの言葉通り、生きて誰かを救う人間になるために、15年かけてここまで来たんだ。一番救いたかったこの人を、俺の手で救わせてくれ。先生、今度は俺の番です。

「充電完了。離れて」

2度目のショック。先生の体がもう1度跳ねて、そしてモニターの波形が変わった。規則正しい山が、1つ、また1つと画面を流れ始めた。

「戻った!正常洞調律、脈触れる!」

手のひらの下で、先生の心臓が動いていた。弱々しく、それでも確かに動いていた。

「行くよ。離陸!」

機体が浮き上がる。窓の外で、雪沢の駅舎がみるみる小さくなっていった。あの駅の、ベンチもホームも赤い屋根も。15年前に俺の命が終わりかけて、そして始まった場所が、眼下で朝の光に光っていた。

飛行中、俺は先生の手を握っていた。処置の必要から脈を確かめるためだったけれど、それだけではなかったことを、俺は自分で分かっていた。大きな手だった。記憶の通りの、大きな手のひらだった。この手が15年前、駅舎の床から俺を拾い上げた。この手が俺の額に触れ、頭を撫で、旅立ちの朝に肩を叩いた。その手は今、氷みたいに冷たかった。俺は自分の両手で、先生の手を包み直した。

あったかい手はね、人を安心させる手なんだよ。母の声が、ふいに耳の奥で聞こえた。

「先生、聞こえますか?もうすぐ病院です。頑張ってください」

返事はない。それでも、俺は語りかけ続けた。基地病院の屋上が見えてくるまで、ずっと。

10時54分、基幹病院ヘリポート着陸。屋上で待ち構えていた医療チームに、俺たちは先生を引き継いだ。ストレッチャーが自動ドアの向こうへ消えていく。救命治療室へ直行だった。それを見送った瞬間、膝から力が抜けそうになった。ヘリポートの手すりを掴んだ俺の腕を、三雲先生の手が支えた。

「間に合ったわ。現場での5分と、あなたの土地勘が効いた。あとは救命医の仕事よ」

梅江さんは、岩崎さんの手配した車で昼過ぎに病院へ着いた。勤務の合間に待合いの廊下を覗くと、小さな背中が長椅子にぽつんと座っていた。声をかけたかったけれど、仕事中の非番の男が、家族にかける言葉を、俺はうまく見つけられなかった。代わりに、売店で温かい缶コーヒーを買って、黙って隣に置いた。

「ああ、ご丁寧にありがとうございます」

梅江さんは深々と頭を下げた。やっぱり気づかなかった。それでよかった。名乗るのは、先生が助かってからだ。そう決めていた。

処置は2時間に及んだ。昼下がり、詰まっていた冠動脈は無事に開通し、先生は集中治療室に移された。命の峠は越えたと、担当医が言った。

その知らせを聞いた夜、俺は1人で病院の屋上に上がった。夜空には冬の星が出ていた。手すりに捕まったまま、俺は声を殺すこともできずに泣いた。27歳にもなって、子供みたいにしゃくり上げて泣いた。

隣に、缶コーヒーがそっと差し出された。

「お疲れ、悠人」

いつの間にか、大輔が立っていた。あいつは何も聞かずに隣に並んで、自分の缶を開けた。

「なあ、悠人。俺の機体、ちゃんと飛んだだろ」

「ああ、最高の機体だった」

「先生にあったら、言っといてくれよ。あんたが拾った子供は、2人ともちゃんと空で働いてますって」

2人とも。そうか、と思った。先生が拾ったのは、俺1人じゃない。俺を経由して、大輔もあの言葉に救われていたのだ。雪の中庭で赤い手袋を差し出したあの日から、命のリレーはもう始まっていた。星空の下で、俺たちは冷めた缶コーヒーを飲み干した。

その夜、ホテルに帰ってから、俺は胸ポケットの赤い手袋を取り出して机に置いた。小さな手袋は、今日も一緒に飛んでくれた。先生は助かった。声に出してそう言った途端、また涙が出た。

先生の意識が戻ったのは、搬送から3日後のことだった。経過は良好で、集中治療室から一般病棟へ移ったと、俺は院内の掲示板で聞いていた。すぐにでも駆けつけたかったけれど、勤務がある。それに、いざとなると足がすくんだ。9年も音信を絶った俺が、どんな顔で会えばいいのか。

結局、俺が病棟へ向かったのは、意識が戻って4日目の休日のことだった。洗い立ての私服を着て、売店で買った果物の包みを下げて、俺は病室の前に立った。何度か深呼吸をして、扉を叩いた。

「はい、どうぞ」

あの声だった。15年前と同じ、柔らかい声だった。扉を開けると、窓際のベッドに先生が半身を起こしていた。頬にはまだ血の気が足りなかったが、その目には確かに光が戻っていた。ベッドの脇には梅江さんが座っていて、りんごを剥いていた手を止めて、俺を見た。

「あら、どちら様?」

無理もなかった。12歳の骨と皮の子供が、180センチ近い27歳の男になって現れたのだ。分かるはずがない。先生も、不思議そうに首をかしげて俺を見ていた。

言おうと決めてきた言葉があった。俺は包みを床に置き、ベッドの横に立って、まっすぐ先生の目を見た。

「早坂先生。15年前の冬、真冬の無人駅で倒れていた子供を覚えていますか?」

先生の目が、ゆっくりと見開かれていった。

「熱を出して、雪沢の駅舎で生き倒れていた12歳の子供です。金も保険証も持っていないのに、先生は黙って治療してくれました。梅江さんは、卵がゆを食べさせてくれました。そして先生は、その子にこう言ったんです」

声が震えた。構わずに続けた。

「生きて、誰かを救う人になれって」

病室がしんと静まり返った。りんごの皮が、梅江さんの手から滑り落ちた。先生は俺の顔をじっと見ていた。目の奥で、15年という時間が巻き戻されていくのが分かった。やがて、その唇がかすかに動いた。

「悠と……君は、悠人君なのか」

「はい。悠人です。高瀬悠人です。先生、俺……」

それ以上、言葉にならなかった。先生の目から、涙がこぼれた。静脈路の繋がれた手が、俺に向かって伸ばされた。俺はその手を、両手で握った。あの日機内で握った時は氷のようだったその手に、温かさが戻っていた。

「君だったのか。あの日、ヘリでわしを運んでくれたのは」

気づいてたんですか?と、意識が戻ってから聞いた。

「ドクターヘリの若い救命士が、それはもう的確な処置をして、『命の恩人です』と言って、手を握り続けとったと。名前を聞いて、まさかと思った。まさかと思いながら、待っとった」

先生は涙を拭いもせずに、俺の手を握り返した。

「ああ、悠人君。手紙、届いとったぞ」

「読んでくれたんですか?」

「倒れる前の晩に届いた。梅江と2人でなあ、何度も読んだ。『誰よりも早く駆けつける仕事をしております』と書いてあった。あの翌日に、書いた本人が空から降りてくるとはなあ。出来すぎて、誰にも話せんよ」

先生は泣きながら、少しだけ笑った。俺も泣きながら、笑った。梅江さんはといえば、両手で口を覆ったまま、声もなく泣いていた。それから立ち上がって、俺の腕やら肩やらを、何度も確かめるように触った。

「大きくなって。まあまあ、こんなに大きくなって。悠人ちゃん、あんた、ご飯はちゃんと食べてるの?」

「食べてます。梅江さんに教わった通り、3杯」

「よかった。本当に」

梅江さんは肩を震わせながら、何度も何度も頷いていた。そして俺の手を、あの人と同じように両手で包んだ。

「よく、ここまで立派になったね」

15年前、この人は「よく、ここまで生きてきたね」と言って泣いてくれた。生きてきただけの俺を、丸ごと認めてくれた。その同じ手が、今「立派になったね」と言ってくれている。俺は何度も頷くことしかできなかった。

それから俺は深く頭を下げた。

「梅江さん、9年間、手紙も出さずにすみませんでした。1人前になってから会いに行こうなんて、勝手なことを考えて」

「それでいいの」

梅江さんは、俺の言葉を柔らかく遮った。

「生きて、元気で、ちゃんとご飯を食べてた。それでね、悠人ちゃん、お釣りが来るぐらいなの。母親っていうのはね……うん、なんでもない」

言いかけてやめた言葉を、俺は生涯大事にしようと思った。

それから俺は、預かってきた伝言を伝えた。うちのヘリの整備士が、先生に会いたがっていること。「あんたが拾った子供は、2人とも空で働いてます」と伝えてくれと言われたこと。施設の中庭の雪だるまから始まった大輔の15年を話すと、先生と梅江さんは顔を見合わせて笑った。

「そうか。わしの言葉は、大したことない子まで拾っとったか。今度、連れてらっしゃい。ご飯を炊いて待ってるから」

「はい。必ず」

今度の約束は、9年間も寝かせたりしない。

ひとしきり泣いて笑った後、先生は背筋を伸ばすと、俺の目を見て静かに聞いた。

「悠人君。1つだけ聞かせてくれ。なぜ、この仕事を選んだ?」

「先生の言葉があったからです。俺、あの一言だけを頼りにここまで来ました。倒れている誰かのところへ一番早く駆けつける人間になろうって。それだけを考えて生きてきました」

先生は目を閉じた。しわだらけのまぶたの奥から、また涙が広がった。

「本当に……なってくれたんだなあ」

その声は震えていた。

「医者を55年やってきた。何千人も見てきた。だがなあ、自分の言葉が人の人生になって、空から降りてきて、この頑固な爺の命を救ってくれる日が来るとは思わんかった。医者冥利。いや、人間冥利に尽きるよ」

「先生、俺の方こそです。俺の15年、全部先生と梅江さんにもらったものでできてます」

先生は首を振った。

「違う。わしらはきっかけをやっただけだ。歩いたのは、君の足だ。よう歩いた。よう生きた」

その一言で、俺の中の何かがようやく終わった気がした。雪の駅舎で膝を抱えていた12歳の俺が、15年かけてやっと家にたどり着いたような、そんな気がした。

帰り際、病室の戸口で振り返ると、先生は窓の外の冬空を見ていた。

「悠人君。今度、ゆっくり空の話を聞かせてくれ。ヘリっちゅうもんに、あの日初めて乗ったんでな。何も覚えとらんのだ」

「はい。何度でも」

15年分の時間が、ゆっくりと溶けていく音がした。

それから2年が過ぎた。先生は無事に退院し、雪沢の診療所に戻った。さすがに以前のような無茶はできなくなり、診察は週の半分。往診は梅江さんと若い看護師さんが付き添える範囲だけと決められた。決めたのは梅江さんで、先生は口を尖らせながらも、今度ばかりは従っている。

「わしより、君の方がよほど医者みたいなことを言う」

「教わった相手が良かったので」

俺は今も、県のドクターヘリに乗っている。そして休みの日には、車で雪沢へ通うようになった。診療所の雪かきをして、薬品の在庫を運び、待合室の年寄りたちの血圧を測る。茂さんのおじいさんはさすがに畑を辞めたが、息子さんが今も大根を置いていく。あの待合室の笑い声は、15年前と少しも変わっていなかった。

通いながら、俺は1つの活動を始めた。山間の集落を回って、ドクターヘリの着陸できる場所を増やす活動だ。学校の校庭、神社の広場、河川敷のスペース。地元の領を取り付け、冬でも使えるように段取りを決めて、県の運行要領に登録していく。岩崎さんが後方から協力してくれて、この2年でランデブーポイントは12箇所増えた。その1号が、雪沢駅前広場だったことは言うまでもない。

あの駅は今も無人駅のままだけれど、ホームのベンチの上には、村の人たちが小さな木の看板をかけてくれた。

「この駅前広場は、ドクターヘリの着陸場所です。倒れている人を見つけたら、ためらわず119番へ」

この一行を見るたび、俺は胸の奥が温かくなる。15年前、ためらわずに車を止めてくれた2人がいたから、今日ここにヘリが降りるのだ。

去年の秋には、この駅前広場に本当にヘリが降りた。畑で倒れた茂さんの息子さんを、うちの機体が運んだのだ。命は取り留めた。お礼に来た息子さんは、診療所に大根を一箱置いていったらしい。診察の代わりに野菜を置いていく、あの山の流儀は、次の世代にもちゃんと受け継がれていた。梅江さんは電話でそれを報告しながら、また少し泣いていた。

大輔は、あれから念願を果たした。初めて雪沢に連れて行った日、大輔は診療所の前で直立不動になり、それから深々と頭を下げた。

「初めまして。高瀬悠人の施設の弟分です。あの、俺、あなたの言葉に間接的に救われました」

「ほほう。ということは、わしの孫みたいなもんだな」

「ち、違いますかね、それ?」

以来、大輔は本当に、正月には必ず雪沢へ顔を出す。梅江さんは、大輔の分の手袋も編むようになった。青い毛糸のやつだ。あいつは工具を握る商売なのに、その手袋を宝物みたいにしている。

梅江さんの編み物といえば、忘れられないことがある。再会してからしばらくして、診療所を尋ねた日、梅江さんは押し入れから古い箱を出してきた。中には、赤い毛糸の手袋が九組、きちんと並んでいた。

「あんたが施設を出てから、行き先が分からなくなってしまってね。それでも、毎年冬になると編んでしまうのよ。癖になっていて。いつかは渡せる日が来るかもしれないと思って、しまっておいたの」

9年分の手袋だった。音信を絶っていた9年の間、俺は忘れられているかもしれないと怯えていた。その9年、この人は毎年会えない俺の手のサイズを想像しながら、毛糸を編んでいた。俺は箱を抱えて、しばらく顔を上げられなかった。

その9組の手袋は、今、山の子供たちの手にある。冬の救命講習で雪沢小学校を訪問した時、梅江さんが1組ずつ配ったのだ。以来、冬に赤い手袋を編むのが、梅江さんの毎年の仕事になった。先生はそれを横目に見ながら「人恋しいことをせんでも」と文句を言い、それでもこっそり毛糸の補充に行く。

子供たちの前で心配蘇生の手本を見せようとして、梅江さんと看護師さんに両側から止められるのが、毎年の恒例になった。

「わしは心臓を止めた男やぞ。説得力が違う」

「先生、それ、自慢になってません」

救命講習の教室は、毎年よく笑う。

診療所の待合室には、いつからか1枚の写真が飾られている。ヘリの前に立つ機動隊の俺と、その隣で照れ臭そうに立つ先生と梅江さんの写真だ。手紙に入れたあの写真ではない。再会の日に、3人で撮り直したものだ。患者の年寄りたちはそれを見るたびに同じことを言うらしい。

「先生、いい息子さんだね」

先生はいつも、否定しないのだという。

山の冬道で、赤い手袋の子供たちが手を振ってくれるたび、俺は少しだけ泣きそうになる。

岩崎さんの黒い手帳には、新しいページが増えた。救えなかった名前の隣に、「空と地上で間に合った名前」を書き留めるページだ。こっちのページの方が早く埋まっていくのだと、岩崎さんは目尻のしわを深くして笑っていた。

三雲先生は相変わらず無駄口を聞かないけれど、この前、県内の救急の報告会で、俺の活動を紹介してくれた。壇上の締めくくりに、あの人には珍しく「私事ですが」と前置きして、こう言った。

「私は、搬送が間に合わずになくした兄がいます。だから断言します。道で救えない命は、空で救えます。そして空で救った命は、次の誰かを救いに来ます。うちの救命士が、その証拠です」

先週、俺はまた雪沢にいた。診療の終わった夕方、先生と2人で駅前まで散歩した。先生は今年80になる。歩みはゆっくりだが、背筋はまっすぐだ。駅前のベンチに並んで腰を下ろすと、先生がぽつりと言った。

「悠人君。わしはこの頃、あの雪の日のことをよう思い出す。あの日、いつもの道が雪で通れんで、駅前を回った。ただそれだけのことやで、わしは君に会えた。人生っちゅうのは、不思議なもんじゃなあ」

「はい。本当に」

「『命はリレーだ』と昔、君に言うたな。ちゃんと当たっとった。わしが思っとったより、ずっと遠くまでなあ」

先生は膝の上の往診鞄をぽんと叩いた。あのすり切れた革の鞄は、まだ現役だった。

「この鞄もな、そろそろ届かん場所が増えた。悠人君。わしの足の届かんところは、頼んだぞ。君らの空に、頼んだ」

「はい。任せてください」

頷けた自分が、少しだけ誇らしかった。先生は満足そうに頷いて、それから黙って駅前の夕日を見ていた。夕日が、ヘリの降りるあの広場を染めていた。俺たちはしばらく、並んでそれを眺めていた。

あの日、真冬の無人駅で俺を見つけてくれた夫婦がいなければ、今の俺はいない。命は救われた瞬間で終わるんじゃない。誰かに渡され、誰かへ返され、また次の命へ繋がっていく。先生から俺、俺から大輔、俺たちから山の子供たちへ。あの言葉と一緒に、ずっと先まで。

俺は今日も、あの日もらった言葉を胸に、空へ飛ぶ。生きて、誰かを救うために。

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