「貧乏人を甘やかすからいけないんですよ」
この言葉を、65歳の私が笑顔で受け流せるわけがなかった。長年続けてきたボランティア活動に水を差す、たった一人の若い男。その傲慢さに、私はあの日、呆れるよりも先に悲しくなった。
私は大江という。とある地方都市の貧しい家庭に生まれ育った。家族と支え合い、アルバイトをしながら商業高校を卒業し、地元の商店に就職。そこから道が開け、35歳で独立して小さなスーパーを開いた。妻と二人三脚で築いた店は、30年経った今では小さなビルを構えるまでになった。
苦しかった時代、自分を助けてくれたのは地域の人々だった。その恩返しのつもりで、私は子供食堂やひとり親世帯への支援、貧しい子供たちのための無償の塾や奨学金制度を続けてきた。点数稼ぎだと誹謗する声もある。しかし、私は自分の務めだと思って貫いてきた。
年末、隣町の子供支援団体と合同で、年越しイベントを開くことになった。年越しそばと弁当を配り、年始の小さなおせちと食料もセットで出す。共産企業である大手パッケージメーカーが、応援の人員を手配してくれることになっていた。
イベント当日、冬の凛とした空が広がった。メーカーから送り込まれた若者たちの中に、金子という24歳の社員がいた。東京出身のエリートで、会社から相当期待されているらしい。しかし、彼は自分の優秀さを鼻にかけ、人を軽蔑する傾向があると上司から聞かされていた。
「あの、僕はどうしたらいいですか?」
「金子さんは受付の回収と弁当の配布を頼む」
「何か他のことはないんですか? もっと仕事らしいこと」
「いや、これもボランティアですが、仕事の一環かと」
「こんなの施しでしょ。しかも給料なしで」
金子青年は、列に並ぶ人々に向かって吐き捨てた。
「ま、抜け作られないから、貧乏の底辺暮らしなんだ」
私は思わず口を挟んだ。
「金子君、口を慎しめないのか?」
「え? ああ、聞こえてましたか?」
「ああ、不愉快なほどにね」
しかし、彼はそれすらも自分の意見でねじ伏せようとした。
「大さん、どうしてこんな時間の無駄を?」
「無駄?」
「ええ、あなたは会社経営者ですよね。本来すべきは、弱者の救済よりも優秀な人たちの育成だったり、会社のさらなる成長と発展でしょう」
「それは私が決めることだ」
「失礼ですが、できていないから価値のない人たちに関わっているんじゃないですか? 本気で会社と仕事に打ち込んでいたら、こんなことが時間の無駄だとお気づきになるでしょう」
私は無言で自分の仕事に専念した。弁当を配り、列を整理して、見つけたゴミを拾う。金子青年は、嫌味な笑みを浮かべて並ぶ人たちを観察し、時折何かを口にして笑っていた。
イベントも終わりに近づいた頃、突然、金子青年の爽やかな声が響いた。
「社長、お疲れ様です。バンジ順調です。お集まりいただいた皆さん、ほっとされていますよ」
振り返ると、彼のそばに大手パッケージメーカーの浅井社長が立っていた。父から社長職を引き継いだ、まだ35歳の若い経営者だ。私は彼と穏やかに言葉を交わし、感謝を伝えて別れた。
年末のイベントは無事に終わり、全国ネットのニュースでも話題になった。年明け早々、活動への協力を申し出る企業や団体が相次ぎ、私はその対応に追われた。そんな中、妻と共に浅井社長の会社の新年総会に招かれた。毎年恒例の出席だった。
会場のホテルに到着し、受付を済ませると、案内係の腕章をつけた金子青年と目があった。彼は迷いなく私と妻に歩み寄ってきた。
「これはこれは大江社長、今日は施しはお休みですか?」
「今日はこちらにお招きいただいたのでね。伺った次第だよ」
「ああ、出席しないっていうのはお考えにはならなかった?」
金子青年は、あの嫌味な笑みを浮かべた。口元を歪めながら、またベラベラと自分の主張を始めた。
「我が社の大切な取引先か何か知らないですけどね。それでもあなたのような貧乏人と付き合うような人がこの場にいるだなんて、理解できないな。ここはもっと高い意識のある社会で、存在価値がある人が来る場所ですよ」
「それは君の意見だね」
「え、そうですが、ですがここではあなたの意見に賛同する方は少ないかと」
「そうかね。では少し聞いてもらいたいものだ」
私は無礼な金子青年に、今日こそ立ち向かうつもりで口を開きかけた。しかし、そこに浅井社長が私と妻を見つけ、駆け寄ってきた。
「すみません。ご挨拶できず」
「いや、構わないよ。君が挨拶すべき人はもっといるんだ」
「やめてください、お父さん。僕は今年、新年のご挨拶にも伺えなかったんです。今日はとにかく真っ先にと思っていたんですから」
私は浅井社長と家族としての会話に頭を切り替えた。浅井社長に道を開けられ、私は同時に金子青年を見た。彼は青ざめた顔で浅井社長の様子を伺っていた。
すると、浅井社長の表情が一変した。私と妻には義理の息子として穏やかな顔を見せていた彼が、金子青年に冷たい目を向けたのだ。
「金子君。君は今日も応援社長、いや、私のお父さんにブレイを働いたのか」
「ああ、社長、何をおっしゃって。私は大江社長のご案内よ」
「だとしたら、君は一体お父さんと何を言い争っていたんだ」
「争って…? そんな、意見交換を」
「一方的に君の意見を押し付けただけでは? ボランティアは無駄。世の中の効率化を邪魔しているのは貧しい人々だという考えを」
「それは社長、何かの間違いでは? 私はそんなこと」
引きつった顔の金子青年に、浅井社長は冷静に突きつけた。年末のボランティア活動の場で、彼がどれほどの不平不満を漏らし、列に並ぶ人々を愚弄し、差別的な言葉を投げかけていたのか。そして、私にいかに無礼な主張をぶつけたのか。
「お父さんからも直接苦言をもらっているよ。何かの学びや気づきになればいいと、君に淡い期待をしたが、何の意味もないようだったと」
「これはボランティアは初めてで、勝手が分からずについ」
「そういうことではないと思わないのか?」
「ああ、いいえ、あの」
「もういい。構わない。君が何を思っているか。強制するなど会社として受けはないな」
浅井社長は、言い訳をしようとしていた金子青年を見限ったような言葉を残した。金子青年はまだ何か言いたそうだったが、浅井社長は社長として仕事をしなければならなかった。
ステージに立ち、浅井社長は新年総会での挨拶と決意表明を行った。登壇した彼は、それまでの怒りを顔から拭い去っていた。彼のスピーチは、会社と社会の今後を主題にしたものだった。
「今後、微力ではありますが、これまで頂いた御恩へのお返し、還元をしていきたい。そう考えております。弊社の社員や職員の皆様へは特別手当ての形で、そして一般のお客様や社会へということでは、ボランティアや各種社会貢献の形でお返しさせていただきたい」
彼は続けた。
「私の義理の父は、長い時間をかけて社会貢献に身を捧げております。ボランティア活動の意味とその必要性。私は義父から学び、自らの知識不足も痛感してまいりました。これからは勉強をしながら、自身と社員一同、より一層ボランティア活動に力を入れてまいります」
スピーチが終わり、会場には控えめな拍手が湧き上がった。ステージを降りた浅井社長に、私は声をかけた。
「相変わらず素晴らしい腕前だ」
「いいや、あの、よしてください。私もこれで緊張するんです」
すると、金子青年が濡れた前髪を振り乱しながら、浅井社長に頭を下げた。
「社長、あの、申し訳ございません」
浅井社長は、さっと表情を切り替え、社長に戻った。彼は金子青年に、静かだが明確な通告をした。
「私の意見というのは、あのスピーチに込められているんだ」
「はい。全て拝聴いたしました」
「ならわかるね。この会社では、ボランティアと社会貢献も社員の大事な心構えと考える。それを嘲るものに、順風満帆な将来は与えられない」
浅井社長の宣言。私はそう受け取った。金子青年は、言葉を飲んでいた。あれほど饒舌だった彼は、最後は無言で立ち尽くしていた。
それから数ヶ月が経ち、私や浅井社長の周囲には、少々の変化が起きている。まず、あの金子青年が浅井社長の会社を退職していった。浅井社長は彼に何の処分も下さず、ボランティアの場での行動や言動について不問の姿勢を貫いた。金子青年の個人的な更生を促したようだが、青年はその心を汲み取れず、また周囲からの冷たい視線に耐えられなくなったようだ。彼がボランティアの場で何をして、何を言ったのかは、すでに社内に広まっていた。それから常に周囲を見下していた彼のエリート意識も、仇になった。誰も彼に関心する機会と再挑戦させるチャンスすら用意しない。そうなって、彼は会社を辞めたそうだ。
今、私は浅井社長とボランティア活動を継続している。彼は新年の宣言通りに活動を活発化させ、自身も団体を立ち上げるべく、現在は都内で賛同者を募っているところだ。私は、私がいなくなった後にもボランティアの輪が残るよう、人と手を取り合いながら、未来へ目を向けている。



