「ちょろいもんよ。無料ベビーシッター最高だしね」——切れたはずの電話から聞こえてきたのは、息子と嫁が私を『タダで使える便利なバカ』と嘲笑う声だった。5年間、頭金300万円、育児の手伝い、総額500万円以上の援助。それなのに『正月なんてどうせ暇でしょ』と、孫を押し付けて沖縄旅行に行こうとしている。涙が止まらなかった。でも、その夜、夫と私は決めた。3日後、息子夫婦が帰ってきた時、家には誰もいない…

「ちょろいもんよ。無料ベビーシッター最高だしね」——切れたはずの電話から聞こえてきたのは、息子と嫁が私を『タダで使える便利なバカ』と嘲笑う声だった。5年間、頭金300万円、育児の手伝い、総額500万円以上の援助。それなのに『正月なんてどうせ暇でしょ』と、孫を押し付けて沖縄旅行に行こうとしている。涙が止まらなかった。でも、その夜、夫と私は決めた。3日後、息子夫婦が帰ってきた時、家には誰もいない...

「明後日から子供を預けるから、孫の面倒を見るのは当然だよね。」

12月19日の夕方、台所でおせち料理の下準備をしていた私の耳に、息子の声が飛び込んできた。慌ただしく動かしていた手が、思わず止まる。

「え? 明後日って……31日よね。お正月だけど」

私は包丁を握りしめながら、確認するように尋ねた。

「うん。俺たち旅行行くから、よろしく」

息子の声は、まるで宅配便の手配をするかのように軽やかだった。

「ちょっと待って。私たちにも予定が……」

言葉を続けようとした瞬間、息子はもう話の半分しか聞いていない様子だった。

「じゃ、31日の朝に連れてくから」

一方的な通告に、私の胸に小さな違和感が広がっていく。

看護師として働きながら、今年こそは夫と2人でゆっくり過ごそうと決めていた正月。丁寧に準備してきたおせち料理。2人だけの穏やかな時間を夢見ていた矢先の、この電話だった。

「誠一、お母さんにも予定があるのよ。お父さんと2人で……」

私が必死に説明しようとすると、息子の声が冷たく刺さる。

「何言ってんの? 親なら孫の面倒を見るの、当たり前でしょ」

当たり前。その言葉が私の心に深く突き刺さる。

私は包丁を握りしめながら、これまでの5年間が走馬灯のように浮かんでいた。息子夫婦が結婚した時、新居の頭金として300万円を渡したことを思い出す。

「2人の新しい門出だから」

そう言って笑顔で渡した私に、息子と直美さんは何度も頭を下げてくれた。

「ありがとうございます、お母さん」

あの頃の感謝の言葉が、今も耳に残っている。

3年前、孫が生まれた時のことも鮮明に思い出される。入院費50万円を全額負担し、直美さんの実家が遠方だったため、1ヶ月間毎日通って育児を手伝った。夜泣きの対応、料理、洗濯、全て無償で引き受けたのだ。

それからも月に2、3回は孫を預かり、急な予定でも断ったことは一度もない。誕生日やクリスマスには毎回3万円から5万円のプレゼントを用意してきた。総額にすれば500万円以上の援助だろう。時間にすれば、2400時間を超えるサポートを続けてきた。

でも、いつからだろう。息子夫婦の「ありがとう」が「当然」に変わっていったのは。「助かります」という言葉が「当たり前じゃん」に変わっていったのは。

電話を切った後も、私の手は震えていた。

夫の高志が、心配そうに台所へやってくる。

「美代、大丈夫か?」

「ええ……少し驚いただけよ」

しかし、その夜のことだ。再び息子から電話がかかってきたのは、午後8時を過ぎた頃だった。

「あ、母さん。子供のこと、ちょっと詳細伝えとくわ」

息子の声は、相変わらず軽やかだ。

「あの……誠一。お母さん、やっぱり……」

「何?」

不機嫌そうな声に、私の言葉が詰まる。

「お父さんと正月の予定を立てていたから……」

「は? 今さら何言ってんの? 旅行の予約取ってるって言ったよね」

息子の声が、明らかに苛立ちを帯びてきた。

「あ、それでさ。子供の着替え3日分と、おもちゃと好きなDVDも持ってくから」

「3日分って……簡単に引き受ける気は……」

「当たり前じゃん。旅行3日間行くって言ったよね」

私が言葉を探していると、息子は続ける。

「母さん、正月なんて暇でしょ。どうせ家にいるんだから、同じじゃん」

暇。その言葉が私の心に重くのしかかる。看護師として週5日働き、この年末も28日まで勤務していたというのに。

「あ、お母さん?」

突然、直美さんの声に変わった。

「食事もお願いしますね。うちの子、好き嫌い多いんで、ちゃんと食べさせてくださいね」

「でも、おせち料理は……子供は食べませんよ」

「おせち? 子供、食べませんよ。ちゃんと子供用の料理、作ってください」

直美さんの声は、まるで当然のことを言うかのように軽やかだった。

「それと、アレルギーもあるんで気をつけてくださいね。何かあったら困りますから」

責任だけは押し付けられる。そんな思いが胸をよぎる。

電話を切って30分後、また息子から連絡が入った。

「あ、母さん。もう1つ忘れてた」

私はもう疲れた声で答えるしかなかった。

「子供、夜9時には寝かせてな。規則正しい生活大事だから」

「9時? お母さん、子どもは女将の金……」

「は? 母さん、何時代の人? 今時『女将の金』なんて言う人いないって」

息子の言葉に、私の中で何かが音を立てて崩れていくような感覚があった。

「さ、母さん、看護師でしょ。子供の面倒を見るの、仕事みたいなもんじゃん」

「看護師と子育ては違うわよ」

「同じようなもんでしょ。プロなんだから楽勝」

プロ。仕事を軽視された気持ちになる。

そして、息子は決定的な言葉を口にした。

「あ、そうだ。母さん、もし無理なら、直美の母親呼ぶけど」

「え……」

「向こうのおばあちゃんは孫可愛がってくれるし、料理も上手だし」

その言葉に、私は言葉を失った。

「まあ、母さんでいいけどね。向こう遠いし、交通費もったいないから」

交通費がもったいないから。私は、コスト削減の道具なのでしょうか?

通話はそこで終わった。

しかし、その直後だ。完全に切れていなかったスピーカーから、息子夫婦の会話が聞こえてきたのだ。

「よし、これで母さんに押し付けられるな」

息子の声が、はっきりと聞こえる。

「本当に助かるわ。沖縄3日間楽しみ!」

直美さんの弾んだ声。

「太郎、母さん、正月なんてどうせ家でゴロゴロしてるだけだし。しかもタダだしね。ベビーシッター頼んだら10万円くらいかかるのに」

隣で一緒に聞いていた夫が、拳を握りしめる。

「でも、お母さんの料理、子供あんまり食べないのよね」

「まあ、古臭い味付けだからな。うちの母さん、センスは死んでるし」

「私のお母さんの料理は美味しいのにね」

「だよな。でも向こうに頼むと交通費で3万くらいかかるし。お母さんは近くて便利よね」

「都合いいわ」

「そうそう。使える時に使わないと」

使える時に使う。その言葉が私の心臓を締め付ける。

「もしお母さんが断ったらどうする?」

直美さんの質問に、息子が笑いながら答えた。

「断るわけないじゃん。あんな暇人、他にやることないんだから」

「そうよね。私たちに必要とされることが生きがいみたいなもんでしょう。孫に会えるだけで喜ぶタイプだし」

「ちょろいもんよ」

ちょろい。その言葉が、私の全てを否定するかのように響く。

「じゃあ、これからもどんどん頼んじゃおうかな」

「いいね。無料ベビーシッター最高!」

2人の笑い声が、向こう側で響いていた。

やがて、電話が完全に切れる。

私と高志は、2人とも言葉を失ったまま、じっと見つめ合っていた。

「よ……今の、聞いたか?」

高志の声が、怒りを抑えたように低く震えている。

「ええ……」

私の目から、涙がこぼれ落ちた。暇人。ちょろい。使える時に使う。無料ベビーシッター。これが息子の本音だったのだ。

12月31日の朝、9時きっかりにチャイムが鳴り響いた。

一晩、夫と話し合った末、私たちは決断していた。今回こそは、きちんと断ろう。そう心に決めて、玄関のドアへ向かう。

しかし、ドアを開ける前に息子の大きな声が飛び込んできた。

「母さん! 急いでるから! 早く早く! 行かなきゃ!」

直美さんの焦った声も聞こえてくる。

ドアを開けると、そこにはキャリーケースを抱えた息子の姿があった。すでに旅行モード全開の2人は、3歳の孫を抱えている。

「あの、誠一。お母さん、昨日の電話のこと……」

私が話し始めようとした瞬間、息子が言葉を遮った。

「あ、母さん、悪い。超急いでるから、話は後で!」

「お母さん、これ、子供の荷物です」

直美さんが玄関に大きなバッグをドンと置く。

「ちょっと待って、お母さん!」

「やっぱり母さん! マジで急いでるから! 飛行機の時間あるの!」

息子は私の言葉など聞く気もないようだった。そして、抱えていた孫を私の腕に押し付ける。

「はい。よろしく」

「ママー!」

孫が泣き出した。

「お母さん、よろしくお願いしますね!」

直美さんはもう車に向かって走り出している。

「じゃ、3日後に迎えに来るから!」

息子も車へ向かった。

「待って! 誠一! お母さん、断るって!」

私は必死に声を張り上げる。しかし、息子は振り返ることもなく、手を振るだけだった。

私がまだ何か言おうとすると、夫の高志が玄関から駆け寄ってくる。

「おい、誠一、待て!」

「父さんも、何急いでるんだけど」

息子が車の窓を開けて、不機嫌そうに答えた。

「お前ら、母さんの話を聞け! 父さん母さんの言い分ばっかりしないでよ。孫の面倒を見るくらい、親として当然でしょう」

「当然? お前たちのその態度が……」

「お父さん、邪魔しないでください。私たち、楽しみにしてたんです」

直美さんの声が、まるで私たちを悪者扱いするかのように響いた。

「そうそう。母さんたち、どうせ家にいるだけなんだから、孫の方が有意義でしょ」

息子がそう言い放つと、車のエンジンをかける。

「誠一!」

高志が叫んだが、車はもう動き出していた。

私たち夫婦は、呆然と立ち尽くす。泣き続ける孫を抱えた私、去っていく車をただ見つめることしかできなかった。

やがて車が見えなくなると、重い沈黙が降りてくる。高志が低い声でつぶやいた。

「美代……もう限界だろう」

私は孫を何とか落ち着かせながら、小さく頷いた。涙声になっているのが、自分でも分かる。

リビングに戻り、ソファに座った。孫はようやく泣き止んで、おもちゃで遊び始めている。

高志と私、2人で見つめ合った。

「あいつら……もう息子夫婦じゃない。人として最低だ」

高志の言葉に、私も同じ思いを抱いていた。

「私、何のためにこんなに尽くしてきたんでしょう……」

声が震える。

「お前は何も悪くない。悪いのは、お前の献身を当たり前だと思ってるあいつらだ」

高志が私の手を握ってくれた。その温かさに、私の中で何かが揺れ動く。

「あなた……私から提案してもいいかしら」

その言葉を口にした瞬間、高志が驚いたように私を見つめた。

「美代……」

「私、もう我慢したくない。昨日の電話……『ちょろい』『無料ベビーシッター』……思い出すだけで胸が苦しくなる。もういいの。親としての務めは、十分果たしたわ」

私の声は、もう震えていなかった。

「そうだな。俺も同じ気持ちだ」

高志が力強く頷く。

そして、私は決意を口にした。

「あの子たち、3日間沖縄を楽しむのよね」

「ああ」

「だったら、私たちも3日間……いえ、もっと長く、自由を楽しみましょう」

「どういう意味だ?」

高志が身を乗り出す。

「姿を消すの。孫を連れて。私の妹が北海道にいるでしょう。そこに行くわ」

私の言葉に、高志が目を見開いた。

「それは……大丈夫なのか?」

「孫はちゃんと預かる。でも、私たちの条件で、私たちの好きな場所で」

私の目を見つめる高志の表情が、次第に変わっていった。そして、力強く頷く。

「分かった。徹底的にやろう」

「今日の昼には出発するわ。北海道の妹にはもう連絡済み。あなたは家に残って、息子たちが帰ってきた時の対応をお願い」

私の計画を聞いて、高志が小さく笑った。

「あいつらの顔、楽しみだな」

「電話もメールも一切無視するわ。3日間……いえ、1週間は帰らない。徹底的にやるの」

「ああ」

「もう、都合のいい母親は終わりにするの」

その言葉を口にした瞬間、私の中で長年の我慢が溶けていくのを感じた。

高志が立ち上がり、私を優しく抱きしめてくれる。

「美代、よく決心した。ありがとう。あなたがいてくれて」

私たちは固く手を握り合った。もう後戻りはしない。

孫は無邪気に遊んでいる。その姿を見ながら、私は荷造りを始めることにした。新しい人生への第一歩を踏み出す時が来たのだ。

荷造りを始めた私の手は、不思議なほど落ち着いていた。孫の着替えや必要なものを丁寧にバッグに詰めていく。自分の荷物も手際よくまとめた。

そして、台所へ向かう。昨日から丁寧に作ってきたおせち料理を、1つ1つ容器に移していった。

「おせち、持っていくのか?」

高志が台所に入ってきて尋ねる。

「ええ、せっかく作ったもの。妹と一緒に食べるわ」

荷造りが終わると、私は一通のメモを書いた。

「誠一へ。孫はちゃんと預かりました。でも私にも都合があります。連絡は控えてください。母より」

「これ、あなたから渡しておいて」

「分かった」

午後1時、タクシーが家の前に到着した。玄関で、高志と向かい合う。

「気をつけてな」

「ええ、あなたも。あいつらが帰ってきたら、思い知らせてやるのよ」

高志の目には、静かな決意が宿っていた。

「楽しみにしてるわ」

私は微笑む。孫を抱いてタクシーに乗り込んだ。

窓の外を眺めながら、私は心の中でつぶやいた。さようなら、都合のいい母親。これからは、私の人生を生きるわ。

新幹線の中、窓の外を流れる景色を眺めながら、不思議な解放感が胸に広がっていく。隣で眠る孫の寝顔を見つめた。この子に罪はない。ただ、親である息子夫婦に教えなければならないことがあるのだ。

夕方、札幌に到着した。駅で待っていた妹の美智子が、大きく手を振っている。

「美代! 久しぶり!」

美智子が駆け寄ってきて、私を抱きしめてくれた。

「美智子、ありがとう。急にお願いしてごめんね」

「電話で聞いたわ。あの息子、ひどいわね」

妹は私より10歳年下だ。結婚して札幌に住み、もう30年以上になる。

「ええ、でも、もう大丈夫。私、変わることにしたから」

「そうよ。それでいいのよ。さあ、お正月を楽しみましょう!」

美智子の家は、温かい雰囲気に包まれていた。広いリビング。暖炉の火が優しく揺れている。

「このおせち、相変わらず美味しいわね」

美智子が、私の作ったおせち料理を味わいながら言った。

「誠一は『古臭い』って言ってたけど、バカね。こんなに丁寧に作られた料理、最高じゃない」

妹の言葉に、私の目頭が熱くなる。

「ありがとう……」

「泣かないで。これからは、自分のために生きるのよ」

美智子が私の手を握ってくれた。

「ええ、そうするわ」

大晦日の夜、除夜の鐘を2人で聞いた。孫も一緒に、新年を迎える。

「あけましておめでとう」

「おめでとう、美代、美智子」

乾杯する。

「不思議ね。こんなに穏やかな気持ち、何年ぶりかしら」

窓の外には、雪が静かに降り始めていた。

「ずっと息子たちに振り回されてたものね。でも、もう違うわ。これからは私の人生よ」

私の言葉に、美智子が優しく微笑む。

一方、その頃、息子夫婦は沖縄のビーチリゾートでくつろいでいた。高級ホテルのプールサイド、カクテルを片手に笑顔の2人。

「やっぱ沖縄最高だな」

「本当! 3日間満喫しましょう!」

「母さんに子供を預けといて正解だったわ」

息子の言葉に、直美さんが笑う。

「そうよね。タダで預かってくれるし、便利よね。親孝行させてやってるんだから、感謝して欲しいくらいだわ」

「そうそう。孫に会えて光栄でしょう」

2人は完全に、私のことを軽視していた。

元旦の朝、ビーチで朝食を取りながら乾杯する。

「今年もいい年になりそうだな」

「ね! また旅行たくさん行きたいわ」

「母さんに子供預ければ、いつでも行けるしな」

「便利な義母で助かるわ」

直美さんの言葉が、青い空に消えていった。

1月3日、夕方5時過ぎ。スーツケースを引きながら、息子夫婦が玄関に到着した。日焼けした顔で、上機嫌な2人だ。

「ただいまー! お疲れ様でした!」

息子がドアを開けると、高志が1人で立っていた。

「あれ? 父さん、母さんは?」

高志の冷たい一言に、息子の表情が曇る。

「いないぞ」

「え? 買い物ですか?」

直美さんが尋ねる。

「違う。家にいない」

「は? どういうこと?」

息子の声が、焦りを帯びてくる。

「そのままの意味だ。お前たちが出かけた日に、姿を消した」

高志の言葉に、2人の顔色が変わった。

「姿を消したって……子供は!?」

息子が慌てて声を張り上げる。

「連れて行った」

「え? どこに!?」

直美さんが金切り声を上げる。

「北海道だ」

「北海道!? なんで!?」

息子の声が、パニックに染まっていく。

「お前たちが旅行を楽しんでいる間、母さんも旅行を楽しんでいるんだよ」

高志は淡々と告げた。

リビングに通された息子夫婦に、高志が1枚のメモを差し出す。

息子が震える手で読み上げた。

「『孫はちゃんと預かりました。でも私にも都合があります。連絡は控えてください。母より』……って、どういうこと!?」

「そのままの意味だ」

「もういい! 電話して! 子供返してくださいって!」

直美さんが半狂乱になる。

「電話は出ない。メールも既読無視だ」

「なんで!? 母さん、何考えてんの!?」

息子が叫ぶ。

「お前たちが母さんを都合のいい道具扱いしたからだ」

高志の言葉が、重く響く。

「都合のいい道具って……何のことですか?」

息子がうろたえた様子で尋ねる。

「とぼけるな」

高志の目が鋭く光る。そして、スマホを取り出した。

「実はな、お前たちの電話、全部録音してあるんだ」

「え!?」

息子の顔が、さらに青ざめていく。

高志が再生ボタンを押した。録音された息子の声が、リビングに響く。

『母さん、正月なんてどうせ家でゴロゴロしてるだけだし。親なんだから当たり前。金払う必要ないし。断るわけないじゃん。あんな暇人、他にやることないんだから。孫に会えるだけで喜ぶタイプだし。ちょろいもんよ。無料ベビーシッター最高!』

直美さんの声も続く。

『お母さん、近くて便利よね。都合いいわ。使える時に使わないと』

録音が止まった。リビングに、重い沈黙が降りてくる。

「こ、これ……いつの……?」

息子が震える声で尋ねる。

「年末の夜。お前たちが電話を切ったと思った後の、会話だ」

「聞いてたんですか?」

直美さんの声が小さくなる。

「ああ。美代と2人で、全部聞いた」

高志の言葉に、2人は完全に言葉を失った。

「『ちょろい』『無料ベビーシッター』『都合がいい』。よく言えたもんだな」

高志が続ける。

「お前たちが結婚した時、母さんは頭金300万円出した」

息子が俯く。

「子供が生まれた時、入院費50万円。1ヶ月間毎日通って育児を手伝った。これまでの5年間、援助した金額、総額500万円以上だ」

高志の声が、淡々と事実を告げていく。

「サポートした時間、計算したら2400時間以上。お前たちの頼みを断ったことは、一度もない」

「父さん……」

息子がか細い声を出した。

「母さんは、もうお前たちの都合のいい道具じゃない」

高志の言葉が、容赦なく突き刺さる。

「父さん、俺たち、そんなつもりじゃ……!」

「じゃあ、なんだ? 『暇人』『ちょろい』『使える時に使う』。これがお前たちの本音だろう」

高志の指摘に、2人は反論できなかった。

「本当にすみません……」

直美さんが涙声で謝罪する。しかし、高志は冷たく言い放った。

「いいか、母さんは今、北海道で孫と一緒に本当に楽しい正月を過ごしている。お前たちが沖縄を楽しんでいた間、母さんも自由を楽しんでいたんだ」

その言葉に、息子が顔を上げる。

「父さん……いつ帰ってくるんだ?」

「知らん。母さんの気が済むまでだ」

そんな直美さんが、絶望的な表情を浮かべた。

「嫌なら、直美さんの母親に頼めばいいだろう」

高志の言葉に、直美さんがハッとする。

「向こうのおばあちゃんは、孫可愛がってくれるし、料理も上手なんだろう」

自分の言葉が返ってきて、直美さんは顔を真っ赤にした。

「でも、交通費もったいないんだよな」

高志がさらに追い討ちをかける。

「都合よく使えて、タダで働いてくれる。そういう存在が欲しかっただけだろう。もういないぞ。そんな都合のいい母親は」

高志の言葉が、リビングに重く響いた。

「父さん……母さんに謝りたい。電話してもらえないか?」

「出ないと言っただろう」

「お願いします! 子供を返してください!」

直美さんが泣き崩れそうになる。

「子供は元気だ。心配するな。でも……」

高志の言葉が続く。

「どうした?」

「また母さんに押し付けるのか?」

「そうじゃなくて……そうじゃなくて……」

「じゃあ、なんだ?」

高志の問いかけに、息子は答えられなかった。

「今さらか。これから気をつけるから!」

息子が必死に訴える。

「何を気をつけるんだ? また『暇人扱い』しないようにか?」

「うっ……ごめんなさい……」

「もう母さんは、お前たちを信用していない」

高志の冷徹な言葉に、2人は完全に打ちのめされた。

「いいか、母さんは1週間は帰ってこない」

「1週間!?」

2人が驚愕の声を上げる。

「妹のところでゆっくり休むそうだ。孫も喜んでいるらしい」

「でも、私たち、仕事が……」

直美さんが訴える。

「仕事? 知るか。お前たちの都合なんて、もう関係ない」

高志の言葉が、容赦なく突き刺さる。

「父さん……」

「母さんも、ずっとお前たちの都合に合わせてきたんだ。たまには、母さんの都合を優先させろ」

高志が立ち上がった。

「あ、そうだ。お前たち、こう言ってたよな」

「何を?」

息子が恐る恐る尋ねる。

「『正月なんてどうせ暇だろ』って。じゃあ、お前たちも暇だろう。子供の面倒くらい見られるよな」

高志の皮肉に、2人は何も言えなかった。

「『親なら当たり前』。これ、お前たちにも当てはまるよな。子供の面倒を見るのは、親として当たり前だ。頑張れよ」

高志の言葉に、息子夫婦は完全に言葉を失った。

「あ、それと」

高志が追い打ちをかける。

「ベビーシッター代、計算してみたんだ」

「え?」

直美さんが青ざめた顔で聞き返す。

「お前たちが母さんに押し付けた時間、全部で2400時間。ベビーシッターの相場、時給2000円として計算してみろ」

息子が震える声で答える。

「480万円……」

「そうだ。お前たち、母さんに480万円分の無償労働させてたんだぞ」

その数字に、2人は完全に言葉を失った。

「それでも、『親なら当たり前』か?」

高志の問いかけに、誰も答えられなかった。

「今日は帰れ。話はこれで終わりだ」

高志が玄関へ向かう。息子夫婦は、完全に打ちのめされた様子で立ち上がった。2人は重い足取りで、車に向かう。

車の中、2人は完全に沈黙していた。

「どうしよう……子供、いつ帰ってくるの?」

直美さんが涙声でつぶやく。

「分からない……」

息子も呆然としていた。

「明日から仕事なのに……」

「俺が悪かった」

息子が深く後悔の言葉を口にする。

「私も……調子に乗りすぎた。母さん、本当に怒ってるんだ……」

車が暗い夜道を走っていった。

一方、玄関で見送った高志は、満足した表情を浮かべている。スマホを取り出し、メールを打った。

「今、あいつらが帰った。完全に打ちのめしたぞ。美代、お前は本当によくやった」

すぐに北海道から返信が来る。

「ありがとう。私、もう少しここにいるわ。本当に……自由って素晴らしいのね」

計画は、完璧に成功したのだ。

2週間後、ついに私は北海道から帰ってきた。孫も、元気そうに笑っている。高志が優しく迎えてくれる。

「とてもいい時間だったわ」

「そうか。よかった」

「妹とたくさん話して、いろんなことを考えたの」

私の表情は、出発前とは明らかに違っていた。

「これからは、自分のために生きようって」

その言葉に、高志が優しく頷く。

「私、看護師の仕事続けるわ」

「そうか」

「患者さんから『ありがとう』って言われると、本当に嬉しいの。息子たちからは『当たり前』としか言われなかったけど……仕事では、ちゃんと感謝してもらえるのよ」

高志が微笑む。

その日の夕方、玄関に息子夫婦が現れた。2人とも、深々と頭を下げている。

「母さん、本当にごめんなさい」

「申し訳ありませんでした……」

私は何も言わず、静かに2人を見つめた。

それから、息子夫婦の生活は一変していた。毎朝、保育園への送り迎えに追われる2人。誠一は会社で何度も遅刻を繰り返していた。

「すみません! 今日も遅刻させてください!」

上司の前で頭を下げる。

「また誠一、最近多いぞ」

「申し訳ありません。子供の迎えが……」

「奥さんは?」

「妻も仕事で……今まで母に頼んでたんですが……」

誠一の声には、深い後悔が滲んでいた。

直美さんも同じように苦しんでいる。職場から慌てて電話をかける姿があった。

「誠一、今日は私が迎えに行けない」

「俺も会議が……」

「どうしよう……ベビーシッター高いのよ」

「頼むしかないだろ」

「1回3万円よ……」

その言葉に、2人は沈黙した。

月々のベビーシッター代は12万円。保育園の延長料金が5万円。夕食の外食やデリバリーの増加で10万円。合計、毎月27万円の追加出費だ。

「これじゃ貯金が……正月にやられました」

今まで母がどれほど自分たちを助けてくれていたか、その価値を痛いほど実感する日々だった。

ある日、息子夫婦が再び訪れた。

「俺たち、調子に乗ってた。母さんの大変さ、全然分かってなかった」

誠一の声が震えている。

「ベビーシッター代……こんなにかかるなんて……」

直美さんも涙声になっていた。

「母さんがどれだけ俺たちを助けてくれてたか、今やっと分かったよ」

私はしばらく沈黙した後、静かに口を開いた。

「誠一、直美さん」

「はい」

2人が顔を上げる。

「私は、もう都合のいい母親にはならないわ」

その言葉に、2人が縮こまる。

「でも、本当に困った時、事前に相談してくれれば、考えるわ」

「ありがとうございます!」

直美さんが心から感謝の言葉を述べる。

「ただし、『当たり前』と思わないで。感謝の気持ちを忘れないで」

「はい!」

誠一が力強く頷く。

「それと、これからは週に1回だけ。それ以上は無理よ」

「はい、それで十分です」

「お正月やお盆は、私たちの予定を優先させてもらうわ」

「もちろんです!」

「事前に相談すること。これが守れないなら、一切協力しないわよ」

その言葉に、2人は真剣な表情で頷いた。

それから3ヶ月が経った。私は看護師として生き生きと働いている。患者さんから「ありがとう」と言われ、笑顔で答える姿があった。

週末、事前に相談があった孫を預かる。

「母さん、今週末、お願いできますか?」

「いいわよ」

「ありがとうございます! 本当に助かります!」

直美さんの感謝の言葉が、心地よく響く。

「母さん、いつも感謝してる」

誠一も、素直に感謝を伝えてくれるようになった。

夜、高志と2人でソファに座りながら、私はつぶやいた。

「ねえ……今度の正月、温泉行かない?」

「いいな」

「今年は2人でゆっくりしましょう。誠一たちには、早めに伝えておくわね」

「ああ。向こうも予定を立てられるだろう」

私たちは、穏やかに微笑み合った。

これが、私の新しい人生。自分の人生を自分で選択できる自由。感謝される喜び、尊重される喜び、そして、大切な人と過ごす穏やかな時間。

我慢し続ける必要はありません。自分の尊厳を守るためには、時として毅然とした態度が必要なのです。

私は今、心から幸せです。これが、勝利者が手にした真の幸せなのでしょう。

Thumbnail