金曜日の夜、息子の家の玄関の影で、私は偶然、自分がどう思われているかを知ってしまった。「ただの無料の家政婦」。嫁は笑いながら、そう言った。外食したら月に十万はかかるからって、私がいるおかげで助かってるって。そして、私の貯金は遺産目当てで、あと十年もすれば老人ホームに押し込めばいいとまで言った。「親なら当たり前だろ」って言い続けたのは、あなたたちの方だったのに。二年間、週末の全てを捧げてきた私…

金曜日の夜、息子の家の玄関の影で、私は偶然、自分がどう思われているかを知ってしまった。「ただの無料の家政婦」。嫁は笑いながら、そう言った。外食したら月に十万はかかるからって、私がいるおかげで助かってるって。そして、私の貯金は遺産目当てで、あと十年もすれば老人ホームに押し込めばいいとまで言った。「親なら当たり前だろ」って言い続けたのは、あなたたちの方だったのに。二年間、週末の全てを捧げてきた私...

金曜日の夜、私はいつものように翌朝からの週末に備えて、玄関の外に響いた声に足を止めた。
「親なら当たり前だろ。」
息子の健太の声だった。続いて、嫁の由美子の声も聞こえてくる。
「今週も実家で食べられるね。お母さん、料理上手だから助かるわ。外食したら月に10万はかかるものね。」
私は玄関の影に隠れ、息を殺して聞いていた。まさか、私がただの無料の家政婦としか思われていなかったなんて。毎週末、土日の二日間、朝から晩まで料理を作り、洗濯をし、掃除をし、孫の世話まで。そのために金曜日は買い出しで一日が潰れていた。

チャイムが鳴った。
「はーい、今開けるわね。」
私は何事もなかったかのように笑顔で玄関を開けた。でも心の中では、静かな怒りが燃え上がっていた。

この状況が始まったのは、ちょうど二年前のことだった。
夫を亡くして三年、孫の顔を見ることが何よりの楽しみになっていた私は、息子の「最近顔を見せてないから、たまには週末に遊びに来てよ」という言葉を素直に喜んだ。最初は月に一度程度の手料理だった。しかし、それがいつの間にか毎週末の恒例行事になっていた。断ろうものなら、健太は不機嫌になる。
「親が子供に会いたくないのか。」
そう言われると、罪悪感で断れなくなった。気がつけば、食材費だけで月に5万円を超え、光熱費も跳ね上がり、毎月10万円以上の出費。年金暮らしでは正直きつかった。でも家族のためだと、自分に言い聞かせていた。

最初は料理だけだった。しかし、要求は次第にエスカレートしていった。
「お母さん、ついでに洗濯もお願いできる?」
ある土曜の朝、由美子が山のような洗濯物を持ってきた。一週間分の衣類、シーツ、タオル。洗濯機を三回も回した。翌週からは掃除も追加された。掃除機が壊れたというのは嘘で、後日、新品同様の掃除機が物置にあるのを見つけた。それでも私は黙って二階建ての家を隅々まで掃除した。腰痛持ちには階段の上り下りが地獄だった。

孫の世話も丸投げされた。
「お母さん、今日は友達とランチの約束があるから翔太を見ててもらえる?」
由美子は五歳の翔太を置いてさっさと出かけた。可愛い孫の頼みは断れない。でも一日中相手をするのは69歳の体にはきつかった。公園で走り回り、夕方にはヘトヘトだった。
「あら、楽しそうに遊んでたじゃない。」
帰ってきた由美子は、疲れ果てた私を見ても何も感じないようだった。

私の予定が考慮されたことは一度もない。
「今週末は高校の同窓会があるの。」
そう伝えると、健太は顔を曇らせた。
「え、でもいつも来てるじゃん。」
「たまには私にも用事が…」
「母さんの同窓会なんて、どうせ年寄りの集まりだろう。うちの方が大事じゃないか。」
結局私は四十五年ぶりの同窓会を諦めた。昔からの友人からの誘いも断るしかなかった。

体調が悪い時も休ませてもらえなかった。
金曜の夜、微熱があると電話で伝えると、健太は「大げさだな。少しの風邪だろ。薬でも飲んで来ればいいだろ」と言った。由美子の両親はもっと高齢だけど元気に手伝いに来ていると比較された。結局、熱がある中で料理を作り、洗濯をし、掃除をした。風邪は悪化し、月曜日から三日間寝込んだ。でも見舞いの電話の一本すらなかった。

ある時、勇気を出して提案した。
「食費だけでも、少し出してもらえないかしら?」
すると由美子は驚いた顔をした。
「え? 親が子供からお金を取るんですか?」
「だって毎週だと結構な額に…」
「お母さん、年金もらってるでしょう。私たちはローンもあるし、子供の教育費もかかるんです。」
健太も援護する。
「そうだよ。親なら子供を助けるのが当たり前だろ。」
当たり前。この言葉を何度聞いただろう。私の辛さは当たり前。私の出費は当たり前。私の犠牲は当たり前。でも、感謝はどこにもなかった。

最近では買い物リストまで渡されるようになった。高級肉、刺身、フルーツ、お菓子。毎回二万円近い買い物をしても、お金が返ってくることはない。貯金を切り崩す日々が続いていた。
親なら当たり前。その言葉が呪文のように私を縛りつけていた。

運命の金曜日だった。
体調が優れなかった私は、いつもより早く午後六時に息子の家へ向かった。以前もらった合鍵で玄関を開け、「ただいま」と小さくつぶやいて中に入ると、リビングから健太と由美子の声が聞こえてきた。まだ帰っていないと思っていたので驚いた。挨拶をしようと近づいた時、聞こえてきた会話に足が止まった。
「今週も実家で飯か。正直めんどくさいよな。」
健太の声だった。
「でも、ただで豪華な食事が食べられるんだから我慢しなさいよ。」
由美子が笑いながら答える。
「それにしてもお母さん、よく続くわね。毎週毎週文句も言わずに。単純なんだよ。」
「うちの母親は、孫に会いたいって言えば何でもやってくれるからな。」
私は息を潜めて聞き続けた。
「でも、最近さすがに動きが鈍くなってきたよな。」
「あら、でも使えるうちは使わないと。外食したら幾らかかると思ってるの?」
「確かに。外食で月に10万はかかるよな。それが無料なんだから、お母さん様々だよ。」
二人の笑い声が響いた。私の膝が震え始めた。でも、まだ終わりではなかった。
「そういえば、この前食費の話してきたよな。図々しいわよね。親のくせに子供から金取ろうなんて。」
「まあ、年金暮らしだから仕方ないけどな。だからこそ、こっちだって生活があるんだよ。」
由美子の声が急に冷たくなった。
「財産をもらうための投資だと思えばいいじゃない。」
「ああ、遺産か。そういうことなら、今のうちに孝行しておけば遺言書も有利に書いてもらえるだろう。」
「でも、大した財産もなさそうだけどね。」
「あら、知らないの? お母さん、結構貯金持ってるらしいわよ。」
私は驚いた。なぜ由美子が私の貯金のことを知っているのだろう。
「この前、通帳がテーブルに置いてあったから、ちらっと見ちゃった。」
「おい、それはまずいだろ。」
「大丈夫よ。二千万円近くあったわ。」
「間近か。」
健太の声が弾んだ。
「だから今は我慢の時なの。どうせあと十年もすれば…。それまではうまく使わせてもらいましょう。」
「翔太もなついてるしな。」
「そうそう。『おばあちゃん大好き』って言わせておけば何でもしてくれるから。子供は正直だからね。本当は『おばあちゃん臭い』って言ってたけどね。」
また笑い声。私の心臓が早鐘のように打ち始めた。
「でも、最近ちょっと図々しくない? 同窓会に行きたいなんて言い出してさ。年寄りの集まりなんて行く価値あるのかね。」
「そもそも友達なんているのかね。いないだろ。だから毎週うちに来るんじゃないか。寂しい老人の相手も大変だよ。」
「まあ、あと少しの辛抱よ。遺産もらったらもう用はないからね。」
「そしたら老人ホームにでも入ってもらうか。」
「それがいいわね。『お母さんの介護は無理です』って言えば済むし。」

私はもう聞いていられなかった。静かに玄関まで戻り、そっと外に出た。家の前でしばらく立ち尽くした。二年間、七百三十日。私が愛情だと思っていたものは、全て計算だったのだ。息子の笑顔も、嫁の感謝も、孫の「大好き」も、全て遺産目当ての嘘だった。涙は出なかった。悲しみを通り越して、ただ虚しかった。

でも次の瞬間、私の中で何かが変わった。虚しさが、静かな怒りに変わっていった。使えるうちは使う、遺産目当て、老人ホーム。よくもそこまで人を侮辱できたものだ。

私は携帯を取り出し、メッセージを送った。
「体調が悪くなったので、今日は行けません。」
すぐに既読がつき、健太から電話がかかってきた。
「母さん、どうしたんだ? もう準備してるのに。」
「申し訳ないけど、体調が悪くて。」
「え? さっきまで元気だったじゃないか。」
さっき、私はまだ家についていないはずだった。私は電話を切った。

家に帰ると、私は一つの決意を固めた。十倍返し。二年間受けた屈辱を、十倍にして返してやる。私は日記帳を開き、これまでの全てを記録し始めた。毎週の出費、要求された家事、断った予定、体調不良でも休めなかった日。そして、あの会話も一言一句、書き留めた。

その夜から私の準備が始まった。二年間のレシートと銀行の通帳を全て見返した。結果は驚くべきものだった。食費が月平均八万円×二十四ヶ月で百九十二万円。日用品と雑費が月平均二万円×二十四ヶ月で四十八万円。光熱費の増加分が十四万円。交通費が十二万円。合計で二百七十六万円だった。さらに、料理、掃除、洗濯、育児の労働を、一日八時間、時給千円で換算すると、なんと百五十三万六千円。全て合わせると、私が息子夫婦に提供した価値は約四百三十万円になっていた。

翌日、私は昔からの知り合いの弁護士、山田先生の事務所を訪ねた。全てを話すと、山田先生は真剣な表情で言った。
「なるほど。金銭的な請求は可能です。提供した食事代や労働の対価、さらに精神的苦痛の慰謝料も請求できます。録音などの証拠があれば、なお有利ですが…」
「そうだ、これからは証拠を残そう。」

私は小型のボイスレコーダーを購入し、使い方を覚えた。そして演技の練習をした。鏡の前で何度も、いつも通りの優しい母親を演じる練習を。何も知らない、人の良い老人を。

次の金曜日、私はいつも通り息子の家へ向かった。胸ポケットには、小さなボイスレコーダーが入っていた。
「お母さん、今日もよろしくお願いします。」
由美子の偽りの笑顔を見ながら、私は内心思った。今日もちゃんと証拠を残させてもらうわ。

その日の会話も、全て録音された。
「お母さん、来週は翔太の誕生日なんです。お友達も二十人くらい呼ぶので、料理お願いできますか? もちろんケーキもお願いしますね。お母さんの手作りケーキ、評判いいんですよ。」
「あ、それと、うちの両親も呼ぶので、少し豪華にお願いします。」
「そうそう。母さん、最近翔太が『おばあちゃんの料理に飽きた』って言ってるんだ。だから、もっとバリエーションを増やしてくれない?」
毎週違うメニューを考えているのに。でも私は笑顔を保った。
「そうね。新しい料理も研究してみるわ。」

証拠は着々と集まっていった。私は銀行で、全ての口座の名義が自分の単独名義であることを確認した。そして、新しい遺言書の下書きを始めた。全財産を福祉団体に寄付する。健太には一円も残さない。翌週、弁護士事務所で正式な遺言書を作成した。
「本当によろしいのですか?」
「はい。息子は私を財布としか見ていません。なら、その財布は別の人のために使います。」

私は親しい友人たちにも事情を話し始めた。友人たちは皆、怒ってくれた。
「みち子さん、そんなひどい目に…。二年間もよく我慢したわね。私ならとっくに縁を切ってるわ。」

全ての準備が整った時、私は決行日を決めた。翔太の誕生日パーティーの日だ。その日に全てを終わらせる。十倍返しの幕開けだった。

翔太の誕生日パーティー当日。私は朝四時から準備を始めた。二十人分の料理、手作りケーキ。全て完璧に用意した。材料費は四万円を超えたが、これが最後だと思えば安いものだった。息子の家に着くと、由美子は上機嫌だった。きっと無料の家政婦がいることが嬉しいのだろう。パーティーが始まり、子供たちの歓声が響く。
「すごい美味しそう! 翔太君のおばあちゃん、料理上手!」
子供たちの純粋な反応に、少し心が痛んだ。でも、決意は変わらない。由美子の両親も到着した。
「あら、みちこさん、相変わらず大変ね。私たちは由美子に手伝いなんてさせませんけどね。」
上から目線で言われた。比較され、見下される。いつものことだった。

パーティーが盛り上がっている最中、私は静かに席を立った。
「ちょっとお手洗いに。」
誰も私を気に留めない。私はバッグから封筒を取り出し、テーブルの上に置いた。中身は、弁護士からの内容証明郵便。そしてもう一つ、録音した会話を文字起こしした書類だった。

リビングに戻ると、ちょうどケーキの時間だった。
「さあ、おばあちゃんのケーキよ。」
みんなが集まったところで、私は口を開いた。
「皆さん、ちょっとお話があります。」
場が静まり返った。
「実は、今日で私はこの家に来るのを最後にします。」
健太が驚いて立ち上がった。
「母さん、何を言ってるんだ?」
「テーブルの上に書類を置いてあります。」
由美子が封筒を手に取った。
「これは…内容証明?」
「そうです。二年間の食費、労働費、慰謝料、合わせて一千万円を請求します。」
場が凍りついた。
「ゆ、冗談でしょう!」
健太が叫ぶ。
「冗談ではありません。詳細は全て記録してあります。それから、もう一つの書類も見てください。」
由美子が震える手で書類を開いた。顔が青ざめていく。
「これは…」
「あなたたちの本音です。『ただ飯食い』『家政婦代わり』『遺産目当て』。全て録音してあります。」
由美子の両親も書類を覗き込んだ。
「由美子、これは本当なの? みち子さんをこんな風に利用してたの?」
健太は必死に弁解しようとした。
「違う、これは言葉の綾で…」
「言葉の綾? 『どうせあと十年もすれば』って言ったわよね。私の死を待っているのが言葉の綾なの?」
子供たちも、何か大変な事態が起きていることを察して静かになっていた。

「それから、遺産の件ですが。」
最後の爆弾を投下した。
「全額、福祉施設に寄付することにしました。あなたたちには一円も残しません。」
「そんな! お母さんの財産でしょう? 好きにしていいんですか?」
「あら、『どうせ大した財産もない』って言ってたじゃない。なら、関係ないでしょう。」
私は由美子が言った言葉をそのまま返した。健太が土下座する勢いで頭を下げた。
「母さん、ごめん。本当にごめん。謝るから。だから…」
「謝罪? 二年間、毎週末を奪われた時間は戻ってこないのよ。」
「でも、親子じゃないか。」
「親子? 『親なら当たり前』って言ったのは誰? なら、子供が親に賠償するのも当たり前でしょう。」
完璧な論法だった。由美子の両親が口を開いた。
「みち子さん、本当に申し訳ありません。娘がこんな…」
「あなた方に罪はありません。ただ、由美子さんは私を見下していましたよね。『手伝いなんてさせない』って。」
由美子の母親が恥ずかしそうにうつむいた。パーティーは完全に崩壊していた。招待客の親たちも気まずそうに帰り始める。

「これで失礼します。」
私は立ち上がった。
「待って! 一千万円なんて、払えるわけないじゃない!」
由美子が必死に呼び止める。
「そう? 『家政婦を雇ったら月に十万円はかかる』って言ってたでしょう。計算してみせたわ。月十万円×二十四ヶ月で二百四十万円。これに慰謝料を加えれば、一千万円でも安いくらいよ。」
「でも、払えないなら裁判になります。録音もありますし、勝ち目はないでしょうね。」
「裁判に…なったら?」
健太が青い顔で尋ねた。
「ええ、職場にも知られるでしょうね。『親を搾取していた人間だ』って。それは社会的な死を意味していました。」
「分割でも構いませんよ。」
私は最後の提案をした。
「月々十万円。八年ちょっとで完済です。」
月十万円。くしくも、私が毎週末に使っていた金額と同じだった。

「あ、それから翔太君には罪はないから。誕生日プレゼントは置いていくわ。」
小さな包みをテーブルに置き、私は言った。
「でも、もう『おばあちゃん』じゃないから。『田中さん』と呼んでもらってね。」
翔太が泣き出した。
「おばあちゃん、行かないで…。」
私の心が少し痛んだ。でも、もう後戻りはできなかった。
「ごめんね、翔太君。でも、あなたのパパとママが悪いことをしたの。子供にも真実を知る権利はあるわ。」
家を出ると、春の風が心地よく頬を撫でた。二年ぶりの自由な週末の始まりだった。携帯が鳴り続けていたが、私は電源を切った。もう振り回されることはない。二百七十六万円の損失に対して、一千万円の請求。確かに十倍ではなかった。でも、失った時間と尊厳を考えれば、これでも安いくらいだ。これが私の復讐だった。

あれから三ヶ月が経った。土曜日の朝、私は優雅にコーヒーを飲みながら新聞を読んでいる。
「みち子、今日のランチはイタリアンでいいかしら?」
友人の英子から電話があった。
「いいわよ。十二時にしましょう。」
こんな当たり前の約束ができることが、今はとても幸せだった。英子とのランチの後は、絵画教室へ。若い頃の趣味を、やっと再開できたのだ。子供食堂でのボランティアも始めた。地域の子供たちに料理を振る舞うと、感謝される。ここでは、私の料理は「当たり前」ではなく「ありがとう」と言われるものだった。

先月、健太から手紙が届いた。
『母さんへ。あれから家は崩壊しました。由美子は毎日のように言い争い、翔太は情緒不安定になっています。お金の件ですが、本当に支払います。月十万円、必ず振り込みます。由美子も今はパートですが働いています。僕も残業を増やしました。正直きついです。でも、これが母さんが二年間感じていた苦しみなんですよね。毎週末自由を奪われ、お金も時間も搾取される。今、身を持って理解しています。母さん、本当にごめんなさい。』
手紙を読んで、複雑な気持ちになった。でも、許すつもりはない。信頼は一度壊れたら、簡単には戻らないのだ。実際、今月も十万円が振り込まれていた。このお金は全額、子供食堂に寄付している。汚れたお金でも、使い方次第で誰かの幸せになれるのだから。

ある日、スーパーで由美子に会った。以前の派手な格好はなく、地味な服装で疲れた顔をしていた。
「お母さん…。いえ、田中さん。」
由美子が気まずそうに声をかけてきた。
「こんにちは。」
私は淡々と挨拶だけして通り過ぎようとした。
「待って。あの…翔太が、おばあちゃんに会いたがって…」
「それは残念ですが、もう他人ですから。冷たいようですが、これが現実です。」
「でも、翔太には罪は…」
「罪はありません。でも、親の行いの結果は子供にも影響するものです。あなたも言ってたでしょう? 『おばあちゃん臭い』って。」
由美子の顔が真っ赤になった。
「あれは…」
「子供は親の鏡です。親が祖母を軽蔑していれば、子供も同じように育ちます。もう、話すことはありません。」

先日、健太の会社の同僚だという人から連絡があった。
「田中さんのことを、健太から聞きました。彼は職場でも事の次第を説明しているようです。彼、本当に反省していますよ。毎日遅くまで残業して…」
「そうですか。」
「ただ、あまりに無理をしすぎて、体調を崩しがちで…」
私は少し心が動いた。でも、自業自得だ。私も二年間、体調が悪くても休ませてもらえなかったのだから。健太には、これが良い薬になればいい。

最近、新しい変化もあった。絵画教室で知り合った山本さんという紳士と、お茶に行くようになったのだ。75歳の山本さんは、奥様を亡くされて三年。趣味を通じて、少しずつ親しくなった。息子との確執を話すと、山本さんは優しく言った。
「誰にでも過去はあります。大切なのは、これからどう生きるかです。」
この年齢で新しい出会いがあるとは思わなかった。人生は本当に分からないものだ。

ある日、孫の翔太から手紙が届いた。たどたどしい字で、一生懸命書かれていた。
『おばあちゃんへ。ごめんなさい。パパとママが悪いことをしたって聞いています。僕も、臭いなんて言ってごめんなさい。本当は、おばあちゃんの料理大好きでした。また会いたいです。翔太』
涙が出た。罪のない孫まで巻き込んでしまった。でも、これも現実だ。親の行いは子供の人生に影響する。健太と由美子には、それを身を持って知ってもらう必要がある。私は返事は書かなかった。でも、翔太の手紙は大切に保管している。いつか翔太が大人になった時、真実を理解してくれることを願って。

先月、私の誕生日だった。70歳の記念だ。友人がサプライズパーティーを開いてくれた。絵画教室の仲間、子供食堂のスタッフ、近所の友人たち。山本さんも素敵な花束を持ってきてくれた。
「田中さん、これからも素敵な人生を。」
涙が止まらなかった。これが本当の幸せなんだと実感した。血のつながりだけが家族ではない。心が通い合う人たちとの時間こそが、人生の宝なのだ。

今、私は心から言える。あの時、息子夫婦の本音を聞いてよかったと。もし聞いていなかったら、私は今も奴隷のような生活を続けていただろう。「親なら当たり前」という呪縛から解放されて、初めて自分の人生を生きることができた。

もし同じような状況で苦しんでいる人がいたら伝えたい。あなたの人生はあなたのものだ。家族だからといって搾取される必要はない。親だからといって全てを犠牲にする必要はない。勇気を出して「嫌だ」と言ってほしい。そして、自分の幸せを見つけてほしい。70歳の私にできたのだから、あなたにも必ずできる。

息子夫婦への十倍返しはまだ終わっていない。残りの返済はあと七年と九ヶ月。その間、毎月十万円を支払うたびに、私の二年間の苦しみを思い出してほしい。そして二度と同じ過ちを繰り返さないでほしい。それが、私の最後の教育だ。

私は今、本当に幸せだ。週末は自由に使え、感謝される場所があり、大切な友人がいる。「親なら当たり前」ではなく、「ありがとう」と言われる人生。それが、私の選んだ道だ。

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