雪野は私に、亡き父の再婚相手である継母が、こう迫ってきた。「杉山勝都と結婚しなさい。そうしたら借金はチャラにしてあげてもいいわ」と。
彼女は婚活パーティーで知り合った勝都が、ただの皿洗いのアルバイトだと知るや否や、「飛んだ外れ物件だ」と怒り狂い、別の男性と結婚することを決めていた。そして、断るなら父に援助した三千万円を一括で返せと脅してきたのだ。
いくら何でも三千万円を一括で返済することなどできず、私は受け入れるしかなかった。
実際に会った彼は、想像していた人物とはどこか違っていた。中古の車で迎えに来てくれたが、新居に着いても不思議な違和感は消えなかった。そして、勝都と二人で新生活の買い物に出かけた時、彼は何のためらいもなく一枚のカードを差し出したのだ。
「これで好きなものを選んでいいよ」
それは、皿洗いのアルバイトの男性の持ち物とは思えないブラックカードだった。
私は野村ひな子、二十四歳。子供時代の私は、優しい両親の元で穏やかに暮らしてきた。父は自動車部品を作る工場を経営し、家族を守るために懸命に働き、母は事務として父を支えながら家庭のことを一手に担ってくれていた。両親はとても仲が良く、何をするのも一緒だった。学校の授業参観や行事には必ず二人で参加してくれる、有名なおしどり夫婦だった。両親と三人の生活が、私は大好きだった。
しかし、不幸は突然やってきた。私が中学生の頃、母が亡くなってしまったのだ。ある夜、突然母がお腹が痛いと苦しみ始め、父は救急車を要請し病院へと向かった。検査の結果、悪性の腫瘍が見つかり、余命宣告を受けてしまった。母はずっと以前から違和感を感じていたらしい。しかし、工場のことや家のことを考えると長期の入院になったら困ると思い、検査もしなかったそうだ。きっとただの腹痛だと軽く考えていたらしい。それから母は一日でも長く生きようと懸命に治療に励んだが、遅すぎたのだろう。宣告から三ヶ月後、母は天国へと旅立ってしまった。
それからというもの、父は仕事も手につかなくなり、呆然と毎日を過ごしていた。私の前では元気なふりをしていたが、父の悲しみは底知れないものがあったのだろう。私自身も母の死を乗り越えられたのは大人になってからだった。
そんな中、工場である問題が起きた。納品した部品に不良品が混ざっていたのだ。最初は注意してくれという怒りだけで済んでいたようだが、繰り返し不良品が見つかると取引先も許してはくれない。ついには契約解除の宣告まで受けてしまった。その結果、父の工場は経営が悪化し、母が亡くなって一年が経つ頃には倒産の危機に直面していた。
「もうダメかもしれない」
普段は弱音など吐かない父が、仏壇の前で涙を流していたのだ。その姿を見て、私はもどかしい気持ちでいっぱいだった。まだ中学生の私には、父のためにしてやれることが何も見つからなかった。
そんな窮地を救ってくれるという人物が現れた。それが後に継母となる雪野だった。雪野は自動車メーカーの社長令嬢で、金よりも父の器量を気に入り、好意を抱いていた。
「工場の資金は私がパパに頼んで立て替えてもらう。ただし、あなたが私と結婚することが条件よ」
雪野の申し出に父は大いに悩んだ。母と共に築いてきた工場を守りたいと思っていても、母が亡くなってまだ一年しか経っていないのに、別の女性と結婚することなど考えられなかった。それでも銀行からの融資も打ち切られてしまっていた当時は、雪野だけが頼りだった。工場を続けるためには雪野と結婚するしかないと思った父は、母に申し訳ないと思いながらも雪野との再婚を選んだ。
父と結婚した後、雪野は約束通り実家の資金を投入し、工場をV字回復させた。しかし、それと同時に私の家では雪野が絶対権力者となった。
「家事はあんたがやりなさい」
雪野は私に家事を押し付けてきた。父が「ひなこは勉強があるから俺がやる」と言っても無駄だった。
「私の言うことに逆らうなら、どうなるか分かってるわよね」
雪野の言葉は絶対で、私と父は逆らえなかった。何か意見をしても、「文句があるなら立て替えてやったお金を今すぐ返せ」と迫られ、暴言を吐きかけられるのだ。そればかりか、雪野は父の工場も一切手伝わなかった。父が必死に働いているのを知りながら、毎日ランチだ買い物だと遊び歩いていた。
「私がいなきゃ工場はすぐに潰れるわ」
雪野は私と父に恩着せがましく、傲慢に振る舞っていた。
そんな雪野から早く解放されたかった私は、高校を卒業してすぐ公務員として働くことにした。本当は実家から離れたかったのだが、父のことを思うと家を出ることはできない。それでも自分で収入を得ることで、精神的な部分で解放された。
毎日のように繰り返される雪野のわがままに呆れながらも、父は懸命に働いた。雪野の実家から出してもらった資金を一日でも早く返済し、彼女と離婚しようと密かに考えていたのだ。
しかし、数年後、父が倒れてしまった。蓄積された疲労と雪野からのストレスが原因だったのかもしれない。仕事中に突然激しい頭痛を訴え倒れ込んだ。脳梗塞だった。工場のスタッフの通報で救急搬送され、一命は取り留めたものの、どんな後遺症が残るかわからないという。
私が病院に駆けつけた時にはまだ麻酔で眠っていたが、まじまじと見つめた父の顔は、記憶にあるよりもはるかに老け込んでいた。翌日目覚めた父は、右半身が動かず、言葉もはっきりと話せなくなっていた。医師の話では、リハビリで多少の回復は見込めるが、介護生活は免れないだろうとのこと。それから父はリハビリに励み、言葉はいくらか聞き取りやすくなったが、移動は車椅子がなければできなくなり、車椅子生活を余儀なくされてしまった。
三ヶ月後、父は退院することができたが、仕事に復帰するのは難しく、工場の今後が危ぶまれた。
「工場は閉鎖よ」
「待って。そんな簡単に決めないで」
「この人がこんな状態で、誰が部品を作るって言うのよ」
雪野は一言の相談もなく工場の閉鎖を決めてしまった。それでも私は工場のことは何もわからない。働いてくれていた職人も、「父がいなければいいものは作れない」と不安を見せていた。そんな状況で継続していくこともできなかった。
工場が閉鎖となり、父は悲しい顔を見せるようになった。母が愛した工場を守りきれなかった悔しさに苛まれていたのだろう。父は笑顔を見せなくなり、呆然と毎日を過ごすようになった。
そんな父を励ましながら、私は毎日介護に励んだ。父が好きだった料理を作り、休みの日には介護タクシーを使って母との思い出のある地へと出かけ、父に生きる気力を取り戻してもらおうと思った。しかし雪野は父の介護を拒絶し、毎日父を放置して出かけていった。
「結婚する相手を間違えたわ」
日中のみならず、雪野は夜間も外出するようになり、家に帰ってこない日も増えていった。介護を丸投げされたことに多少の不満は感じたものの、雪野がいない時間が増えたことは私にとっても父にとっても不幸中の幸いというべきだろうか。雪野の目を気にせず母との思い出話をすることができる。そんな時は父も少しだけ笑顔を見せてくれ、私はほっと胸を撫で下ろしていた。
ある日、家に帰ってきた雪野が私に一枚の写真を見せつけてきた。
「この人、かっこいいでしょ」
男性は杉山勝都と言い、婚活パーティーで知り合ったそうだ。父と離婚もしていないというのに、雪野は次の結婚相手を探すため婚活パーティーに参加していたのだ。
「父さんと別れるんですか?」
「働けない無職に何の魅力があるっていうの?」
雪野は父の見た目が気に入り結婚を望んだが、稼ぐこともできず介護が必要な父は、いくら顔がタイプでも価値はないと言い切った。雪野の話では、杉山勝都は年収数億円の実業家だという。雪野の父よりも収入の多い勝都に、彼女は大喜びしていた。しかし、その数日後、雪野は大激怒していた。
「本当? どんな詐欺師だったの?」
雪野は偶然流れてきたSNSの画像を見てしまったらしい。その画像には、オープンして間もない飲食店で皿洗いをしている勝都の姿が映り込んでいたのだ。
「ただの皿洗いのバイトのくせに、年収数億だなんて。結婚したら御用人足になるところだったわ」
雪野は勝都を外れ物件と決めつけ、切り捨てた。私はホッとした。雪野のような女性に捕まらずに良かった、と。
そんな中、私が務める役所に高校時代の先輩である仰木俊太が現れた。俊太は見た目は爽やかで整った顔立ちから、女性にも持てるタイプだ。しかし、性格に何かがあるというか、私とは趣味も考え方も違い、学生の頃から苦手意識を持っていた。高校三年生の頃、俊太から付き合って欲しいと告白されたが、私は断っていた。その俊太が一体何の用事があるのか。私は疑念を持ちながらも、仕事と思い対応した。
「もう一度、俺のことを真剣に考えてくれないか?」
俊太は私に改めて交際を考えて欲しいと迫ってきた。
「申し訳ないけど、あなたと交際するつもりはないわ」
「なんでだ? どうして俺じゃダメなんだ?」
俊太は食い下がってきたが、そもそも俊太のことがタイプではない私にとっては迷惑でしかなかった。その日は仕事があるからと帰ってもらったが、それ以来俊太は頻繁に私の前に現れるようになった。朝家を出る時も、夜仕事を終えて帰る時も、休日の買い物でさえ俊太の姿を見かける。俊太は私をつけ回していたのだ。警察に相談した方がいいのかもしれないと思ったが、父に余計な心配をかけたくなかった私は、そのうち諦めるだろうと軽く考えていた。
それから半年が過ぎた頃、父が風邪をこじらせ、肺炎を起こし、そのまま息を引き取ってしまった。父までもがなくなってしまった現実が悲しすぎる。しかし、父が天国で母と再会できると思えば、いくらか気が安らいだ。父はようやく心から笑える日々を手に入れた。そう思うことで、私は悲しみを乗り越えた。
数日後、父の葬儀を取り行った。その準備も全て私に丸投げし、雪野は一切知らん顔だ。葬儀当日も雪野の姿はない。雪野の中で父はもう過去の人物なのだろう。怒りは湧かなかった。雪野が家を出て行ってくれるなら、その方が良かった。一人にはなってしまうが、雪野の支配から解放される方が私にとっても嬉しい。亡き両親もきっとそれを望んでいる。そう思って雪野を自由にさせていた。
そして、思いの外早くにその日がやってきた。父の四十九日の法要が過ぎた頃、雪野が突然俊太を家に連れ帰ってきたのだ。
「あんたが付き合ってる小木君は、今日から私のものよ。略奪させてもらったわ」
雪野は俊太を私の彼氏だと勘違いしているらしい。
「別にいいですよ」
「強がっちゃって。私に取られたことがそんなに悔しいのね」
雪野は私を嘲笑いながら俊太に腕を絡ませている。
「年上女も悪くない」
俊太も鼻の下を伸ばしながら、まんざらでもない表情を見せた。雪野は私より五歳年上というだけで抜群のスタイルをしている。毎日のようにエステや美容クリニックに入り浸っているのだから当然だろう。俊太と一緒になるのは意外だったが、俊太は女なら誰でもいいと考える男で、そんな彼だったからこそ私は交際を断ったのだ。
「あら、見上げた心がけね」
雪野は満足そうに微笑んだ。
「だけど、私だけ幸せになったら申し訳ないから、あんたにも結婚相手を用意してあげたわ」
雪野は、杉山勝都と結婚しろと迫ってきたのだ。
「どうして私が」
実は雪野が勝都を切り捨てた後も、彼からは「これからバイトに行ってくる」「今日はお客が多くて大変だった」という内容の連絡が来るという。雪野は呆れて返信もしていないが、俊太と結婚することを決めた彼女にとって勝都は邪魔な存在でしかない。そこで私と勝都を結婚させようと画策したらしい。
「断るなら、お父さんに援助してやった三千万を一括で返してちょうだい」
雪野はまた父が借りたお金を盾に私を脅してきた。
「そんなむちゃくちゃすぎるわ」
「だったら、素直に杉山と結婚しなさい。そしたら借金はチャラにしてあげてもいいわ」
「分かったわ」
従うしかなかった。
数日後、私は勝都と連絡を取り、会ってみることにした。約束の時間より先に到着した私は、窓際の席に座り勝都を待っていた。メッセージのやり取りはしたものの、まだ彼のことはよくわかっていない。どんな人が来るのだろうかと不安でいっぱいだった。しばらくして、男性が一人、小走りで店に入ってきた。ジーンズにTシャツというラフな格好ではあるが、爽やかそうな印象がある。
「待たせてごめん」
勝都は私の元に来て、真っ先に謝った。
「いえ、私もさっき来たばかりなので」
お互い何度かメッセージのやり取りはしているとはいえ、緊張してしまう。雪野との結婚を考えていた勝都にしてみれば、「なんで娘なんだ」と疑問も湧くだろう。それでも勝都と話をしてみなければ、どんな人なのかも分からない。無言の数分間の後、私は思い切って話を切り出した。
「あの、突然連絡してすみませんでした。雪野の母がどうしても結婚しろって言うので」
「気にしないでください。最初は驚いたけど、僕は別に雪野さんと結婚したかったわけじゃないので」
「え、そうなんですか」
勝都は婚活パーティーで雪野と会い、何度かメッセージは送ったが、結婚を急いでいるというわけでもないという。雪野という人物を見極め、心から愛せる人だと思わない限り結婚相手には選ばないと言った。
「そうだったんですね。私はてっきり」
「それより、君みたいな娘さんが来てびっくりだよ」
雪野とは血は繋がっていないと説明し、雪野が私に結婚を進めてきた理由を話すと、勝都はひどく驚いた顔を見せた。
「あんなに強い女性だと思ったけど、そこまでひどい人だったなんて。雪野を選ばなくて正解だったな」
雪野の本性を知った勝都は呆れたように呟き、私にも「無理に結婚しなくていい」と言ってくれた。しかし会ってからの彼の言動の一つ一つに気遣いを感じ、言葉の端々に誠実さを感じた私は、しばらく付き合ってみないかと提案した。
「君もなかなか大胆な人だね」
意地悪そうに笑いながら、勝都は受け入れてくれた。
それからというもの、私の毎日は楽しくなった。勝都はまめに連絡をくれ、私の体調まで気遣ってくれる。仕事が終わると「お疲れ様」と連絡してくれ、夜も「お休み」とメッセージをくれた。時々電話でも話しながら、会っている間はお互いの好きなことを思う存分楽しむ。勝都との時間は、両親をなくした悲しみも雪野との嫌な思い出も全て忘れさせてくれた。いつしか私は勝都に惹かれている自分に気づいた。
「勝都と会えてよかった。本当にありがとう」
「俺の方こそ、ひなこと出会えてよかったと思ってる。もし俺でよければ、結婚してくれないか」
唐突なプロポーズではあったが、私は嬉しかった。もちろん皿洗いのアルバイトである勝都と結婚しても、生活は決して楽なものじゃない。しかし、夫婦二人の生活費なら私の収入でも十分賄っていける。となれば、公務員の私が勝都を支えればいいだけのことだ。
「よろしくお願いします」
私は勝都との結婚を受け入れた。
「ただ、結婚式なんだけど、仕事が立て込んでて。それが落ち着いてからでもいいかな」
勝都は結婚式を半年先まで待ってほしいという。
「もちろん大丈夫よ。なんなら無理に式をあげなくてもいいわ」
アルバイトの勝都には結婚式の費用を出すのも大変なのだろう。そう理解した私は、彼を傷つけないように入籍だけでいいと言った。しかし勝都は「結婚式は必ずあげる」と力強く言って見せた。
二週間後、勝都との結婚の日、彼は中古の車で迎えに来てくれた。
「貧乏な二人が結婚なんて、滑稽ね。言っとくけど、二人とも二度と私の前に現れないでね」
雪野は私たちの絶縁を宣言した。
「ええ、もちろん連絡することなんてないわ」
雪野と縁が切れることを喜んでいる私が彼女に連絡などするわけがない。私は清々しい気分で勝都の車に乗り込んだ。
しばらくすると、勝都は都内にあるマンションの前に車を止めた。一般向けのマンションではあるが、見るからに家賃が高そうだ。
「こんないいところに住んでるなんて思わなかった」
私は家賃を払い続けられるか心配になった。
「大丈夫だよ」
勝都は意地悪そうに笑っている。部屋に入ると、家具もこだわったアンティークばかりで、とてもアルバイト生活をしているとは思えなかった。
「イタリアのアンティークが好きなんだ」
とてもおしゃれな部屋ではあるが、勝都の金銭感覚を疑ってしまった。
その日の夜、勝都は初めての同居記念にと私を食事に誘ってくれた。着いてみると、そこは勝都が皿洗いのアルバイトをしていた店だった。最近オープンしたばかりだというのに、行列ができる人気の店としてSNSでも騒がれている。
「ここでアルバイトしてるんだよね」
「ああ、実はオープン直後に予定していた従業員が来なくてね。それで俺が急遽バイトに来てやったんだ」
店は勝都の友人がオープンさせたもので、人員不足に悩む友人を助けるため手伝いに来たという。
「それじゃ、仕事は別でしているの?」
「当然だろ。バイト代じゃマンションの家賃も払えないよ」
私は大きな勘違いをしていたようだ。
「てっきり皿洗いのアルバイトで生計を立てているんだと思ってたわ」
私は勝都と店の店主である友人と共に、大笑いしてしまった。
「それでも結婚してくれたなんて、ひなこさんは本当にいい人なんだね」
その日は勝都の友人も交え、彼の学生時代の思い出話で盛り上がった。
「同級生の中で一番の出世頭は、間違いなく勝都だ」
「おいおい、そんな話どうでもいいだろ」
友人の話では、勝都は誰よりも出世し稼いでいるという。少なくとも自分の趣味に使えるお金があるほどには稼いでいると知り、私は安心した。
食事を終えると、勝都が家具を選定しようと提案してきた。男の一人暮らしだった家では何かと不便があるだろうと思っての提案だったのだが、正直なところそれほど手持ちも持ち合わせていない。勝都に気づかれないように財布の中身を確認していると、彼は私にブラックカードを差し出した。
「これで好きなものを選んでいいよ」
「え、これって」
ブラックカードを持っているということは、それだけの年収があるということだ。皿洗いのアルバイトではなかったとはいえ、勝都とは一体何者なのかと私は戸惑ってしまった。
「勝都は学生時代から抜きん出た才能の持ち主なんだ」
友人の話によれば、勝都はホワイトハッカーをしており、その才能は学生時代にすでに開花していたらしい。この時にはすでに国家レベルのセキュリティ案件を扱う、数億円プレイヤーだという。勝都の想像以上の正体に私は驚いてしまった。
「別に隠してたわけじゃないんだけどね」
勝都は照れ臭そうに頭を掻いた。
「でも安心したわ。生活の心配は必要ないもの」
勝都がお金持ちでもそうでなくても、どっちでも良かった。勝都と一緒に暮らせることが、私にとって最大の幸せなのだ。
翌日、勝都と二人で高級デパートで買い物をしていると、派手なブランド品で身を固めた雪野と俊太に遭遇した。
「ホームレス予備軍がこんなところで何してるの?」
雪野は大きな声で私たちを罵倒した。
「今からでも土下座して頼むなら、俺の愛人にしてやる」
俊太はいやらしい視線を私に向けた。しかし二人の挑発に、勝都は全く動じない。
「この列のあれとそれ、それからその列も全部」
勝都は店員に次々と指示を出し、数千万円に上る商品を購入していった。その様子を見て、雪野たちは呆気に取られている。支払い時、勝都がブラックカードを取り出すと、デパートの店長が顔色を変えて駆けつけてきた。
「杉山様、本日はフロアを貸し切りにしましょうか」
「その必要はないよ」
勝都は涼しい顔で私に微笑みかけた。
「ふん。高が皿洗いのくせに」
雪野は勝都が盗んだ他人のブラックカードを使っていると決めつけたようだ。
「こちらの杉山様は、当店を含む関連グループ全体のセキュリティを一手に引き受ける超VIPです」
店長が勝都の正体を明かすと、雪野は顔を青ざめさせた。
「そんなの知らなかったわよ」
「俺は金目当てで近づいてくる女が一番嫌いなんだ」
辟易する雪野たちを置いて、私たちはその場を後にした。
「あんなもんでよかったか」
「ええ、すっきりしたわ」
勝都は私の気持ちも考えて、雪野たちに見せつけてくれたらしい。その気持ちが私は嬉しかった。
その後、俊太には多額の借金があることが分かり、雪野は発狂したのだとか。俊太は仕事もしておらず、雪野のことを「ATM」と呼び、SNSで面白おかしく書き連ねていた。俊太は雪野のバッグや高級品を無断で売却し、全てギャンブルに注ぎ込んでいたそうだ。
ある日、怒り狂った雪野が訪ねてきた。
「あんな男、あんたに返すわ」
「私は俊太とは付き合ってなかったわ。彼が一方的に私に付きまとっていただけです」
雪野は私から略奪したと思っていただけに、真実を知り驚愕した様子を見せている。
「そんなのどうでもいいわ。私と夫を交換しなさい」
「そんな無茶な要求には答えられません」
私がそう言った直後、雪野のスマホが鳴った。応答した雪野は途端に顔を曇らせ、慌てて帰って行った。実は、雪野の実家企業のセキュリティを担当していたのも勝都だった。雪野に「今後一切関わるな」と言われた勝都はその言葉を尊重し、実家企業との取引を完全に停止した。その結果、雪野の実家企業は大規模なサイバー攻撃にあったらしい。膨大な顧客データが流出し、株価が暴落した。顧客からは多額の損害賠償を請求され、社長をしていた雪野の父は退任を求められた。雪野の実家企業では緊急の株主総会が開かれ、勝都が手を引いた原因が雪野にあることから、賠償は社長である雪野の父が行うべきと判断したのだとか。その結果、雪野は父により全ての財産を取り上げられることになった。
一文無しになった雪野は、私の職場に乗り込んできた。
「お父さんに貸してやった金を今すぐ返せ」
雪野は周りの目も気にせず大声で喚いてきた。私は無言で一枚の書類を差し出した。そこには、父が雪野の実家から借り入れた金額の全てが完済していることが書かれている。父は生前、雪野が遊び歩いている間に工場の利益と保険金を工面し、借金を全て返し終えていたのだ。
「あなたに返すお金は一円もありません」
父は雪野の支配から逃れられるように、かねてから準備を進めていたのだろう。私からお金が手に入らないと分かった雪野は、「とにかく金をよこせ」と怒鳴りまくった。しかし、駆けつけた警備員によって身柄を拘束され、外へ放り出された。
同じ頃、俊太は別の女性に対する嫌がらせ行為で逮捕された。俊太は多数の金銭トラブルも抱えており、複数の女性から詐欺の被害届が出されていたそうだ。その結果、俊太には執行猶予付きの判決が下され、多額の賠償金の支払いが命じられた。雪野は慣れないパートを始めたようだが、トラブルを続出し、どの職場もすぐに首になってしまったらしい。雪野の身勝手な行動のせいで退任に追い込まれた雪野の父は、彼女を勘当し、家からも追い出したのだとか。住む家を失った雪野は、その後ホームレスとなり町を彷徨い歩いている。
その後、私と勝都は本当の意味で穏やかな日々を手に入れ、半年後、私たちは勝都の友人の店で小さな結婚式をあげた。お互いの友人たちだけで祝うささやかなものだったが、私にはもったいないくらいの式だった。
「新婚旅行は、ひなこの思い出の地に行こう」
勝都は、私が両親と一度だけ訪れたことのある場所に一緒に行こうと提案してくれた。父が守ってくれた自由と、勝都が与えてくれた愛情に包まれ、私の未来は光輝くものとなった。これからは勝都と二人で幸せな毎日を送っていこう。素敵な人に巡り合えたことに感謝しながら、今日も前に進んでいく。



