「高が農家が私に口応えをするなんて生意気よ。あなたは黙って私に従っていればいいの?」
大口取引先の社長令嬢・美穂さんが声を荒げて俺を怒鳴りつけてきた。社長の父親が病気で倒れ、権力を握って以降、彼女はいつも俺たち農家を見下した態度を取り、無茶な要望で振り回していた。
今回は大量注文の納品日当日に突然のキャンセル。廃棄せざるを得なくなった野菜を前に、我慢がならなくなり、こんなことが続くと困ってしまうとクレームを入れたのだが、彼女はそれに逆上した。
「農家なんてたくさんあるのよ。けど、まあ、今までより値段を安くするなら、あんたの失礼な態度は見逃してあげるわ」
「今までもギリギリの値段で取引させていただいていますので、これ以上の値下げはできません」
「こっちは父が病気になってたから契約を続けてやってるだけなのよ。安くするか契約中止かどっちか選んで」
どこまでも高圧的で上から目線を崩さない社長令嬢の姿に、俺も堪忍袋の緒が切れた。
「わかりました。取引を中止します」
「あっそ、後悔しても遅いからね」
社長令嬢は最後まで農家の俺を馬鹿にして電話を切った。後悔しても遅い? 後悔なんてするはずがない。農家を馬鹿にしてくるような人とこのまま付き合っていくのはごめんだ。
社長令嬢のことなんてさっさと忘れて、野菜作りに集中しようと俺は気持ちを切り替えようとした。ところが、その一ヶ月後、顔面蒼白になった社長令嬢が農園にやってきて――。
俺の名前は松本優太。叔父が経営している農園で働いている。
幼い頃から叔父は俺の遊び相手になってくれるなど、面倒をよく見てくれていた。そんな叔父のことが大好きだった俺は、夏休みなど長い休みが始まると叔父に会いに行き、農作業を手伝っていた。叔父の仕事を早く終わらせて一緒に遊びたいというのもあったが、畑そのものも好きだった。それに、叔父の作る野菜はどこで食べるものよりも美味しい。採り立て野菜を食べさせてもらった時の感動は、大人になった今でも鮮明に覚えている。
そんな美味しい野菜と、毎日一生懸命働く叔父の姿を見て、いつの頃からか俺は農家になりたいと思うようになった。どんな仕事よりも一番かっこいいと感じていた。
高校卒業後は農業大学に進学し、少しでも叔父に近づけるようにたくさん勉強をした。しかし叔父は俺が農家になりたいと言った時、少し反対しているようだった。
「お前が思っている以上に体力がいるし大変だぞ。天候が悪くて出荷できない時もある。安定した職業に就いた方がいい」
叔父が俺のためを思ってそう言ってくれているのも分かっていた。しかし何度も話をしているうちに、だんだんと俺の本気が叔父に伝わったようで、農業大学を卒業すると叔父の農園で働かせてもらえることになったのだった。
叔父はとてもスパルタで、最初は毎日へとへとになっていた。だけど、その分たくさんのことを学ぶことができ、俺も一人前になることができた。そしてついには、俺に後を継いでもらいたいと言ってくれたのだ。反対されていた時のことを考えると想像もできないことだったし、本当に嬉しかった。気合いだって入る。いつか叔父が安心して引退できるよう、俺は精一杯働いている。
そんなある日、大口の取引先である大手飲食店の社長が病気で倒れ、入院したとの知らせがあった。叔父と社長は長い付き合いだそうで、他のところよりも安く野菜を卸している。燃料費の高騰などもあり、農園としてはギリギリの値段だった。
「そのためにも、少し値上げをした方がいいんじゃない?」
俺はそんな提案を叔父にしたこともある。しかし叔父は首を横に振った。
「社長の人柄に惚れて野菜を卸し続けているんだ。値上げは絶対にしないよ」
そんな叔父の気持ちも分からなくはなかった。
「ここの野菜は美味しいと評判なんです。お客様にはいいものを提供したいので、本当にいつも感謝しています」
社長は自ら農園に足を運び、感謝の気持ちをいつも伝えてくれるような人だった。経営者として本当に素敵な人だと尊敬もしている。そんな社長が倒れてしまい、俺も叔父も本当に心配していた。
しばらく社長は入院生活を送るようで、社長の一人娘である美穂さんが社長代理に就任したと聞いた。美穂さんは経営の一端を担っているとは聞いていたが、農園に来たことはなく、実際に会ったことはない。噂で、かなりのわがままお嬢様だということをよく耳にしていた。
ある日、美穂さんから電話がかかってきた。
「父と付き合いが長かったようですが、今は社長代理の私が全ての決定権を持っていますので」
社長代理に就任したことの挨拶だろうと思って電話に出たが、美穂さんからろくな挨拶もなく突然そんなことを言われた。
「ああ、はい。今後ともよろしくお願いいたします」
どういう意味でそう言ってきたのか。それがあまり理解ができなかった俺は、とりあえずそう答える。
「今後とも付き合っていくかどうかは、あなたたちの頑張り次第ね。契約を切られたくなかったら、せいぜい頑張りなさい」
美穂さんは少し鼻で笑いながら、馬鹿にしたように俺にそう言って電話を切った。脅すようなことを言われてしまい、早速美穂さんに対して不審感を抱いた。
その言葉が気にかかったが、俺はこれからも変わらずにいい野菜を作ろうとあまり気にしないようにした。しかし、だんだんと美穂さんの言葉の意味が分かっていくようになる。美穂さんは電話の後からめちゃくちゃな注文をしてくるようになったのだ。発注を納品直前に変更してきたり、「今すぐに持ってこい」と連絡が来ることもあった。
「明日納品予定の分を今すぐ持ってきて」
「今からですか? すみませんが、別の納品で出ていますので、今すぐに持っていくことはできません」
めちゃくちゃな注文に少し腹が立ったが、それでも失礼のないようにと丁寧に対応していた。しかし美穂さんは自分の言った通りにならないと、イライラした口調で文句を言ってくるのだ。
「はあ。うちが最優先に決まってるでしょ。せっかく契約してあげてるのに、契約が切れてもいいわけ?」
そう言って毎回脅してくるのだ。社長が復帰するまでは辛抱するしかないと叔父とも話しながら、なんとか美穂さんの要求に答えていた。
美穂さんは社長と違い、農家への気遣いはゼロだった。むしろ気遣うどころか、「農家なんて暇だろう。黙って野菜を作っていればいいんだ」と見下すようなことばかり言ってくる。そんな美穂さんに腹が立っていたが、仕事である以上は仕方がないと頑張ってこらえ、振り回される日々を過ごしていた。
その日、いつもの倍以上の大量注文が入った。不思議に思いながらも、間違いがないように何度も確認する。
「いつもの倍以上の注文ですが、数量お間違いないですか?」
「はあ。せっかくたくさん注文してあげてるのに文句を言うわけ?」
「いえ、ただ間違いがあってはいけないので確認させていただきました」
「うるさいわね。間違えるわけないでしょ。黙って従っていればいいの」
偉そうにそう言われてしまい、電話を切られる。俺はすぐに叔父に大量注文が入ったことを伝えた。
「今までそんなに大量に注文されたことないけどな」
「俺も不思議に思って何度も聞き返したけど、間違いないって言われたよ」
叔父も不思議そうにしていたため、何度も確認したことを伝えた。
「ああ、注文が入ったのなら納品するしかないか。その代わり前後の日の3日間はスーパーに納品できないと伝えておこう」
叔父の農園は地域のスーパーにも納品をしている。美穂さんの大量注文に備えて、スーパーに相談して調整をすることにした。
大量注文の納品日。俺は納品に行く前に美穂さんにこれから行くと電話をかけた。
「今から納品に伺わせていただきます。よろしくお願いします」
ところが帰ってきたのは思わぬ返事だった。
「ああ、その注文取り消して。納品も来なくていいわ」
突然そんなことを言われて、俺は頭が真っ白になる。
「え? どういうことですか? この量を当日キャンセルされるのは困ります」
俺は慌てて美穂さんに伝えるが、美穂さんは少しイライラしているようだった。
「キャンセルって言ったらキャンセルよ。ていうか、この前そう言って電話で話したけど?」
「電話? いえ、そのような電話はしていません」
全く身に覚えのないことを言い出されてしまい、少し動揺する。
「あんたが忘れてただけでしょ。まあ、農家なんてバカそうだもんね」
少し鼻で笑いながら馬鹿にされ、忙しいからと電話を切られてしまった。慌てて叔父に相談に行くと、叔父もそんな電話は来ていないという。
このままでは全て無駄になってしまうと思った俺たちは、少しでも使ってもらえないか飲食店に直接話しに行くことに。美穂さんには話も聞いてもらえないが、店の従業員に話したら少しはなんとかならないかもしれない。わずかな望みをかけて訪問したが、店に着くと臨時休業の張り紙が入り口に張ってあった。店舗工事で2日間休みだと張り紙には書いてある。
俺と叔父はもうどうすることもできないのだと肩を落とした。そのことを美穂さんが忘れていたのか、わざと困らせるようなことをしてきたのかは分からないが、そんなことを考えている場合ではない。なんとか叔父と地域のスーパーに頭を下げて少し納品することができたが、大量の野菜が残ってしまった。美穂さんから大量注文がなければ納品する予定だったスーパーも、納品できないと言ってあったため、よそから仕入れてしまっていたのだ。
鮮度を大切にしているため、今日納品ができない分の野菜たちは無駄になってしまった。叔父は少し悲しい顔をしていたが、「しょうがない」と言ってそのまま作業に戻ってしまった。
そんな叔父を見ていても立ってもいられず、俺は美穂さんに電話をする。いい機会だと考え、今日のことだけではなく、今までのめちゃくちゃな要望についてもクレームを入れた。
「これからもお付き合いさせていただきたいと思っておりますが、こんなことが何度もあるとこちらも対応できません。勝手な注文はやめていただきたいです」
それを聞いた美穂さんは腹を立てたのか、大きな声で怒鳴りつけてきた。
「何様のつもり? 誰に向かってそんなことを言ってるか分かっているの?」
耳が痛くなってしまうほどの大きな声だった。
「父が病気になってたから私も契約をしてやってるのに」
そう言って恩着せがましく切れてくる。
「契約してくださっていることは分かっていますし、感謝もしています。でもこんなことが続くと困ってしまいます」
「うるさい。こっちは取引先なんていくらでも選べるのよ」
いつものように脅しが始まった。
「ああ、今までより値段を安くするなら、あんたの失礼な態度は見逃してあげるわ」
今度はそう言って高圧的に無茶な要求をしてきた。
「今までもギリギリの値段で取引させていただいていますので、これ以上の値下げはできません」
「農家なんてたくさんあるの。安くするか契約中止かどっちか選んで」
俺はきっぱり断るが、美穂さんは何としても自分の思い通りにしたいようだ。脅すように迫ってくる。それに俺も完全に我慢の限界に達した。
「わかりました。契約を中止します」
社長のことがあり要望に答えていたが、野菜を無駄にして農家を馬鹿にしてくるような人とこのまま付き合っていくのは嫌だった。
「あっそ。後悔しても知らないから」
美穂さんはそう言って電話を切った。叔父の許可なく決めてしまったが、電話のことを話すと叔父も同じ考えだった。
「うちの野菜を大切にしてくれない人とは仕事はしたくないからな」
そう言って、これ以上このことについて話すことはなくなった。俺も美穂さんのことなんて忘れようと畑仕事に打ち込んだ。
ところが一ヶ月後、会いたくもなかった美穂さんが農園にやってきた。契約中ですら一度も農園にやってこなかったのに。何事かと思っていると、美穂さんは深刻そうな顔で口を開いた。
「もう一度契約をしてほしいの」
美穂さんの突然の申し出に、俺と叔父は顔を見合わせる。
「再契約はできません。他の農園を当たってください」
叔父は険しい顔で美穂さんを見てきっぱり断った。
「お願いします。今までどれだけ安く卸してもらっていたか分かっていなくて」
美穂さんはうちと契約を中止してからのことを話し出した。他の農家に契約を申し込んだんですが、そんな安い値段で卸せるわけないと拒否されてしまって。うちとの契約を切った美穂さんは、もっと安く仕入れようと農家を探したらしい。だが、ありえない金額に門前払いされてしまった。うちの農園と同じ価格ですら契約を結んでもらえなかったという。
「この値段で卸してくれるところはあるわけないと思いますよ。燃料費も肥料代も高騰しているし、どこも値上げをする一方だよ」
「でもずっとこの値段で卸してくれていたから、どこも変わらないと思ったの」
俺も叔父も美穂さんの言葉に呆れてしまう。社長との長い付き合いがあり安く卸していたことも、分かっていなかったのだろう。
「お父様にはずっとお世話になっていたから、値上げをせずに卸させてもらっていたんだ」
美穂さんは相場も知らず、うちとの契約の値段が当たり前だと思っていたようだ。仕方なく海外からの輸入品を仕入れるようになったが、昨今の輸入費の高騰で思ったほど安くなかったり、輸送のタイミングがずれて必要な量が揃わないこともあったと話す。また鮮度も悪く味が落ちたと口コミサイトに書かれてしまい、客足が鈍っていると困った顔で言ってきた。
「このままではお店を潰してしまうことになるんです。お願いします」
今更そんなことを言われても、俺たちに美穂さんへの同情の気持ちなど湧かなかった。
「契約中止を言ってきたのは美穂さんですよ。農家はいくらでもあると言っていたじゃないですか。何を言われても再契約はしませんので、お帰りください」
俺たちは美穂さんに冷たく言い放った。すると美穂さんは顔を俯かせ黙り込んだ。
「何なの? 偉そうに」
美穂さんは顔を俯かせながら小さな声でそうぼやいた。
「え、今なんて?」
俺も叔父も耳を疑い聞き返す。すると美穂さんは顔をあげて鋭い目つきで俺たちを睨みつけた。自分の思い通りにならず、わがままなお嬢様には俺たちの言葉がむかついてしまったのだろう。
「何なの? 偉そうにって言ったの。父への恩とかないわけ?」
美穂さんは開き直ったかのように偉そうな態度でそう言ってきた。言い返そうとすると、横にいた叔父が怒りでガタガタと震え出した。
「いい加減にしてくれ。あんたみたいな人と契約したいと思う農家なんて一つもないよ」
農園に響き渡るほどの大声で叔父が叱りつける。
「お父様はいつも俺たち農家も野菜のことも大切に思ってくれていた。何も知らず勝手なことばかりしている君に、お父様の代わりが務まるはずがない」
「なんであんたみたいな農家に説教されないといけないわけ? こんな仕事しかできない能なしのくせに」
だが美穂さんには叔父の言葉は全く届かなかった。
「もう話す気にもなれないよ。帰ってくれ」
「どうせあんたんとこも納品先がなくなって困ってるんでしょ。このままだと潰れちゃうんじゃない? 再契約した方が身のためだと思うけど」
「結構です。新しい大量納品先もありますので」
実は美穂さんに契約を切られた後、俺は大手食品メーカーと契約をしていた。その会社は俺の父さんの会社で、前からお願いをされていたのだ。しかし美穂さんのところとの契約もあり余裕がなく断っていた。今回の件で契約ができることになり、父さんもすごく喜んでくれていた。
「大手食品メーカーとの契約があり、美穂さんのところに卸す余裕はありません」
そんなことを伝えると予想外だったのだろう。美穂さんは呆然として立ち尽くした。そしてもう何も言えなくなってしまったようで、美穂さんは悔しそうに帰って行った。
その後、農家仲間から聞いた話によると、美穂さんのところは他の農家と業務契約を結んだらしい。美穂さんの農家を見下す自分勝手な振る舞いは農家の間に知れ渡っていた。そのためどこも契約を結びたがらず、その農家に足元を見られたのだろう。美穂さんは業務契約で経営を圧迫させてしまった。また口コミサイトのせいで減ってしまった客足が戻ってこず、赤字に転落したという。
店をダメにした美穂さんに対して、退院した社長は大激怒だったそうだ。社長は美穂さんを社長代理から解任し、首にした。そして社長は退院後状況を知り、急いでうちの農園にやってきた。
「この度は本当に申し訳ございませんでした」
「いえ、うちもせっかく長くお付き合いいただいていたのにすみません」
「いえ、娘の話を聞きました。契約を中止されても仕方ないことをしたと思います」
「美穂さんは今はどうされているんですか?」
「家からも追い出して、今はコンビニのバイトでなんとか暮らしているみたいです」
それを聞いた俺たちは苦笑いをするしかなかった。
「一人で甘やかしすぎたのかもしれません。僕の責任でもあります。本当に申し訳ございませんでした」
こう言って社長は何度も頭を下げてくれた。
「僕も反省し、これから経営をしっかり立て直そうと思っています」
社長が決意に満ちた表情でそう口にする。するとそれを聞いた叔父が言った。
「もう一度社長と契約をさせていただきたいと思っているんですが」
叔父の提案に、社長は顔を上げて目を見開いた。
「もう一度契約をしてくださるんですか?」
「社長のような方とは今後ともお付き合いをさせていただきたいと思っています」
俺と叔父は社長が退院したらもう一度再契約をしようと考えていた。父さんの会社との契約であまり余裕がなかったが、再契約できるように調整して、社長の復帰を待っていたのだ。
社長は叔父の言葉を聞いてすごく嬉しそうにしていた。
「本当にありがとうございます」
こちらとしては以前の価格で卸すつもりでいたが、社長の意向で正規価格で契約を結ぶことになった。その後も社長は前のように農園に足を運んでくれている。農園に今まで通りの日々が戻ってきて、叔父も嬉しそうだ。
叔父と社長の姿を見ながら、人との繋がりの大切さを感じる。俺もしっかり人との繋がりを大切にして、立派な農家になろうと改めて決心した。



