「お前がいなくても大丈夫だったぞ」
堂々と言い放つ北川部長に、俺は笑顔で対応した。
「そのようですね。でも、俺は彼らが優秀なのは知っていましたから」
「そうだ。お前がいなくてもやっていけるんだ。お前のような役立たずの無能は解雇しよう」
ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべながら煽ってくる北川部長。
「それは明暗です」
俺は北川部長に負けないくらいの笑みを浮かべて言い返した。
この後、自分の身に何が起こるか分からない部長に、俺は心の中でほくそ笑んだ。
俺の名前は藤田大和、30歳。大手精密機器メーカーの総務部に勤務している。
大学卒業後、この会社に就職し、最初は仕事を覚えることに必死だったが、慣れてしまえば効率よく仕事を進められるようになった。
今年で入社8年目になる俺は、自慢ではないが仕事ができ、優秀な人材だと思っている。その仕事ぶりは周りから高い評価をもらい、今では社内のデータを幅広く管理する立場にある。
うちの会社は毎年新年度に入ると人事異動が発表される。今年は俺の上司だった佐々木部長が海外支社に転勤することが決まり、総務部の新しい部長には北川さんという人物が就任することになった。
北川部長は俺より5歳年上で、人事部から異動してきたため、総務部の仕事に関しては内容をあまり把握していない。
「えー、今日から総務部の部長に就任した北川だ。まったく、こんなデータ管理と接客だけなんて誰でもできるようなところに飛ばされるなんて、本当に迷惑だ」
最後の方は何を言っているか分からないくらい小さな声になっていたが、総務部のことを馬鹿にしたような言い方をしていることだけは理解できた。
部署は違えど部長である人間が、最初からこんなことを言うのはおかしいと感じ、俺は一瞬、こいつは何を言っているんだと思った。
「藤田大和です。よろしくお願いいたします」
「お前が田中か…いや、なんでもない。よろしく」
俺は変に波風を立てないように、簡単な自己紹介の挨拶だけ済ませる。挨拶は返してくれたが、俺の名前と顔を聞いた途端に北川部長は不機嫌になり、それ以来、なぜか俺のことを気に入らない様子だ。
北川部長が異動してきてから、一つ変わったことがある。それは、北川部長が自分の仕事まで俺に回してくることだ。
なぜ俺が部長の仕事までやらないといけないんだと思いながら仕事をしていた。挙げ句の果てには、報告書を提出しても理由も言わずにやり直しだとか、意味の分からないことまで言われる始末。
今まで総務部以外の部長と会ったことはあるが、ここまであからさまに嫌がらせのようなことをされるのは初めてだった。
そんなこともあり、俺は北川部長からの当たりがなぜ強いのか分からず働いていた。
だが、俺はここ数日ウキウキとした気持ちで仕事をしていた。理由は簡単で、明日娘の運動会があるからだ。
その雰囲気が出ていたのが悪かったのか。いつもよりさらに不機嫌な北川部長が俺のデスクに近づいてきた。
「藤田、なんだか機嫌がいいな。ちょうどいい。これを明日までにはやっておけよ」
そう言って北川部長が大量の資料を俺のデスクに置いていく。
「え、この量を明日までにですか?さすがに少し無理がありませんか?」
「何を根拠に無理だというのかね?」
「実は明日は1ヶ月も前から有給申請していますので、休みをいただいております」
「そんな有給なんぞ、俺は一切聞いていない。分かったら明日も出社しろ」
俺は会社の規定通り、1ヶ月前から娘の運動会があるからと有給申請し、承認を得ている。それを知らないと怒鳴り、無茶ぶりしてくる北川部長に対して、俺はだんだんと腹が立ってくる。
だが、これ以上口応えすると何を言われるか分からないと思い、家に持ち帰り、娘の運動会が終わった後、家で仕事をこなすことにした。
翌日、出来上がった資料を渡すと、
「やればできるじゃないか。それなら最初からできないとか言うなよ」
ニタニタしながら言うので、俺は文句を言う気力もなくなっていた。
それから2週間後、朝、俺が出勤すると、北川部長が顔を真っ赤にさせて、部署の後輩である花山を怒鳴りつけていた。
「あ、お前、何てことをしてくれたんだ!」
「す、すみません、すみません!」
「えっと、一体どうしたんですか?」
俺が何があったのか事情を聞くと、どうやら花山が社内の機密事項を誤って送信してしまったようだ。それで社内の重役から呼び出しを受けたらしい。
「後輩のミスは確認不足のお前の責任だ。お前が何とかしろ」
本来なら北川部長が対応するべきことなのに、その責任を取りたくないのか、俺に丸投げしてきたのだ。
「え、俺がするんですか?部署の責任者として、北川部長が対応された方がよろしいのでは?」
「なんで俺がそこまでしないといけないんだ。後輩のミスはお前のミスでもあるんだぞ」
「はあ、わかりました。では今から花山を連れて、丁寧に謝罪してきます」
俺は北川部長に笑顔で返事した。俺と北川部長の話を間で聞いていた花山は、俺に何度もすみませんと謝ってきたが、俺は気にするなと声をかける。
そして俺は花山を連れて、社内の重役に直接謝罪しに行く。
すると重役から「藤田君が対応してくれるなら」と言われ、許してもらうことに。
俺が誠実に対応したことで信頼を得たのか、社内での俺の評価はさらに上がったのだ。
だが、それが気に食わなかったのか。北川部長はそれ以降、あれもこれもと全てのクレーム対応や雑務を俺に押し付けてくるようになった。
俺は北川部長から与えられた仕事を真面目にこなす。自分の仕事を終わらせ、重役たちの接客業務をし、さらにそれが終わってから北川部長が置いていった仕事をやるといった日々が続く。
あまりの業務の多さに、俺は朝早くから出社しなければならず、残業して夜遅くに帰宅することが多くなった。そして帰った後は何もする気が起きず、風呂に入った後はすぐに寝てしまうのだが、それでも睡眠時間が十分でなく、疲れが取れない状況になっていた。
そういった状況から、妻には申し訳なかったが、しばらくは家のことが手伝えないと伝えた。すると妻は「家のことは任せて」と心強い返事を返してくれた。
俺は妻のその言葉に感謝しながら、会社での激務をこなしていった。
そして俺のその状況を見かねて、後輩の花山や同僚たちが手伝おうとしてくれたのだが、
「お前らは手を出すなよ。あれは藤田の仕事なんだから。手を出すとどうなるか分かってるだろうな」
北川部長は花山たちに釘を刺し、睨みつける。それから自分の権力を振りかざすかのようにして、花山たちに脅すようなことを言うのだ。
こんなことを部長である立場の人間がしていいのかと思ったが、今の俺では北川部長に言い返す気力もなければ、上に報告することもできなかった。
それからさらに1週間後、俺はオフィス内にてパソコンと睨めっこして作業をしていると、意識が朦朧とし、目の前が真っ暗になった。
あ、やばいかも。
そう思った時にはすでに遅かった。はっと目が覚め、気がついた時には病院のベッドに横たわっていた。俺は、いつの間にか意識を飛ばして倒れていたらしい。自分の腕を見ると点滴をされていた。
俺は相当自分の体を酷使して仕事をしていたんだと実感する。
ふと横を見ると、花山が涙目になって立っていた。
「大和先輩、気がついたんですね。良かったです」
涙ながらに喜んでいた。その花山の後ろには他の同僚たちも一緒にいて、花山と同じような表情をしている。どうやら部署のみんなに心配をかけてしまったようだ。
花山が医者を呼び、改めて診察をしてもらった。どうやら新郎と過労が原因で倒れてしまったらしい。
俺は内心、やっぱりそうかと一人で納得する。
「花山から聞きましたよ。大和先輩、病院に運ばれてから2日間寝ていたんですよ」
その言葉に俺は驚いてしまう。そして医師からはさらに1週間の休みが必要と診断された。
「色々と仕事があるのに、1週間も休まないといけないなんて最悪だな」
「大和先輩、大丈夫です。僕たちが先輩の分まで頑張りますから」
「そうか。なら任せるが、分からないことがあればいつでも連絡してきてくれ」
「はい。なので大和先輩はこの機会にゆっくりと休んでください」
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」
それから俺が入院している間、花山たちは一生懸命に仕事をこなしてくれていたようで、この1週間、毎日欠かさず連絡をしてくれた。俺も報告を受けて、できる限りの返事をしたりアドバイスをしたりした。
そして俺は1週間の休みを経て、医者からも退院していいと言われ、そのまま会社に復帰する。
出勤した俺に気づき、花山が笑顔で近づいてきた。
「大和先輩、退院したんですね」
「ああ、お前たちもよく頑張ってくれたな」
「そんなことないですよ。先輩のアドバイスがあったからここまでやってこれたんですよ」
「そうそう。お前の人脈のおかげだよ」
同僚にも声をかけられ、俺たちはこの1週間でさらに信頼が深まった。
こうして花山や同僚から引き継ぎの件で話を受けていると、北川部長が話しかけてきた。
「なぜお前がここにいる?ああ、そうだ。お前がいなくても大丈夫だったぞ」
得意げに言う北川部長に、俺は笑顔で対応する。
「そのようですね。でも、俺は彼らが優秀なのは知っていましたから」
「そうだ。お前がいなくてもやっていけるんだ。お前のような役立たずの無能は解雇しよう」
俺を煽る北川部長。俺は北川部長のその言いに、何と返そうか迷った。
そういえば、この瞬間、同僚から聞いたことを思い出した。俺が休んでいる間に、北川部長が別の部署の人と会議室で話をしていたそうだ。
その内容とは、「藤田は出世する可能性があるから早めに排除した方がいい」ということだった。
確かに俺は他の部署にも敵がいることには気づいていたから、そういったことが影で言われていることにも気づいている。
その真実を知っている俺は、
「それは明暗です。仕事のできない役立たずは会社を去る。そうしましょう。部長もその言葉、覚えておいてくださいね」
「どういうことだ?」
「そういうことなので、今日は退職届も一緒に出して帰ろうと思います」
「大和先輩!」
花山が声を上げる。
「はっ、だったらお前が管理しているパソコン、全部消していけ。お前に戻ってくる場所はない」
少しでも俺に対抗したいのか、ただの強がりなのか、いつものように不機嫌になりながら言ってくる。
「わかりました。では全てのデータを消しておきますね。ああ、問題ないです。じゃあ、後は頼みますね。きっと北川部長はこれから大変になるでしょうけどね。俺は何も知りませんから」
ニヤニヤと笑う北川部長に、満面の笑顔で俺は答える。
そして俺は北川部長のお望み通り、パソコンの内容を全て消去して帰った。
俺は今月いっぱいで退職することにした。ただ、たっぷり有休が残っていたので、全て消化してからやめさせてもらおうと考えた。今まで仕事が忙しすぎたせいで、一緒に出かけられず娘に寂しい思いをさせてしまっていたからだ。
俺はその反省から、有給消化のため、娘と一緒にいろんなところに出かけることができた。そのおかげもあり、娘はとても笑顔が増えて、元気よく走り回っている。そして俺は娘のその笑顔を見るたびに癒されていた。
そんな俺が充実した時間を過ごして1週間が経ったある日、俺のスマホの着信音が鳴る。画面を見た瞬間に俺はため息をついた。理由は簡単で、北川部長からの電話だったからだ。
俺はとりあえず電話に出ることにした。
「おい、藤田。お前が削除したデータの中に大事な資料があるんだ。今すぐ会社に戻ってきて復元しろ」
鬼気迫る様子に怒鳴られてしまう。
「そうは言いましても、俺はもう有給消化中なので、行きません」
北川部長は何としてでも俺を出社させたいようだったが、俺は断固として応じないことを決めていた。
「そんな『今すぐ戻れ』と言われましてもね。俺は今、家族旅行中なので行きませんよ」
そう言って俺は電話を切った。
不安そうな顔をしていた娘の頭を撫でながら「もう大丈夫だよ」と声をかけ、再び一緒に遊ぶ。その後も北川部長から何度も電話がかかってきたが、俺はそれを全て無視をした。
その後、北川部長は俺が消した中にあった大事なデータを復元することができず、重役にこっぴどく叱られ、降格処分とされてしまった。
元々の性格も災いしているが、自分の無能ぶりが露呈してしまったので、当然の結果と言える。
出世するどころか降格処分になったことが、プライドが許さず耐えられなかったようで、自ら退職してしまったそうだ。
その時の様子を花山や同僚たちから詳しく話を聞いた。
「本当に、あの時の北川部長の顔を大和先輩にも見て欲しかったですよ」
「へえ。そんなに面白かったのか」
「あれは最高でしたよ」
笑う同僚たちを見て、俺はその時の様子が見られなくて本当に残念だと思った。
「でも本当に大和先輩はもう戻ってこないんですね」
「大丈夫だ。俺がいない間でもあれだけ動いていたんだ。これからはお前らが頑張っていけばいいだけだ」
「はい。先輩に教えていただいたことを忘れずに精進していきます」
花山の言葉に、俺は「その調子で頑張れ」と伝えた。
その後に聞いた話だが、総務部には新しい部長が就任したそうで、新しい部長はちゃんと周りに気を配り、気を使い助けてくれるそうだ。部長自身が分からないことも、積極的に部署にいる花山や同僚たちに話しかけているらしい。
ちゃんと自分の仕事に責任を持ち、やっている仕事への誇りを忘れないのであれば、俺はそれでいいと思っている。
だから俺はそこまで聞き、これからの総務部は安泰だなと思った。
それからの俺はと言うと、海外支社になった元部長の佐々木さんの紹介で、新しい会社へと就職することが決まった。もちろん。紹介してもらい、雇ってもらったからには、全力でその会社に尽くしていく。
そして家族全員で幸せに暮らしていけるように、これからも頑張っていこうと心に決めた。



