「パソコンをいじるしか能のない高卒なんて、もう会社にいらないんですよ。後のことは俺に任せて、どうぞ心置きなく引退してください」
そう言って、ゆう太は勝ち誇ったように笑った。エリート大学を出た自分と、高卒の俺とでは格が違うと言わんばかりの表情だった。
俺は清水健二、35歳。高校を卒業してすぐに食品卸売業の会社に入り、今は課長を務めている。取引先からの発注やスケジュールをシステム化し、管理するのが主な仕事だ。一見地味に見えるかもしれないが、一日に扱う発注数は膨大で、スケジュールは刻一刻と変わる。責任の重い仕事だった。
それでも続けられたのは、雇ってくれた斎藤社長のおかげだ。社長はいつも俺の仕事を認めてくれた。
「清水君が管理してくれるようになって、発注ミスやスケジュールの手違いが格段に減ったんだよ。本当にありがとう」
こんな風に褒めてくれる社長のためなら、どんなに大変でも頑張れると思っていた。
子供の頃からパソコンを触るのが好きで、高校時代には情報の授業の先生より知識があった。担任からはプログラミングの専門学校への進学を勧められたが、早く自立したかった俺は就職の道を選んだ。この会社に入れて本当に運が良かったと思う。社長の人柄に惹かれて集まった同僚や上司、部下も皆いい人ばかりで、気持ちよく仕事ができていた。
――しかし、その平穏な日々を壊す者が現れた。
「俺は有名大学を出てるエリートなんで、こんなつまんない仕事やってられませんね」
ゆう太という男が営業として入社してきてから、会社の空気が変わった。彼は自分の学歴をやたらと自慢し、自分より学歴の低い社員を見下すような態度を取る。しかも厄介なことに、こいつは小島専務の息子だったため、誰も強く注意できずにいた。
俺はそれとなく注意してみた。
「ゆう太君、みんなへの態度を何とかならないか。職場の雰囲気が悪くなって、仕事がやりづらいんだよ」
しかし、ゆう太は聞く耳を持たなかった。
「みんな低学歴だから、俺みたいなエリートを妬んでるんですよ。気にしないですよ、俺は」
エスカレートする態度に頭を抱えていたが、ついに社外からの苦情が来てしまった。取引先が「態度が悪く、社の人間を見下すような社員とは取引できない。担当を変えるか契約を打ち切ってほしい」と言ってきたのだ。
「社内のことなら注意で済むが、社外の人に迷惑をかけたらそうはいかない。態度を改める気がないなら、君を営業には出せない」
今までより厳しく注意すると、ゆう太は逆ギレした。
「偉そうに言わないでくださいよ。高卒のくせに。低学歴に上から物を言われると腹が立つんですよ」
怒りを感じたが、怒鳴るのも馬鹿らしかった。
「じゃあ、もう営業には出さないからな」
それだけ伝えて、俺は自分の事務作業や雑用を手伝わせることにした。営業として入社したゆう太に他の仕事ができるはずもなく、こうするのが精一杯だった。
「いつまでこんなつまんない仕事をしなきゃいけないんですか?」
ゆう太は毎日文句を言い、ストレスが溜まると俺に当たるようになった。
「高卒の手伝いなんて、いつまでもやってられないですよ」
毎日のように嫌味を言われ、俺の我慢も限界に近づいていた。
そして、ある日のことだった。
「ああ、清水なんてさっさと会社辞めればいいのにな」
「何?」
「ああ、聞こえちゃいましたか」
わざとらしく言うので、俺に聞かせるつもりだったのは明らかだった。
「だってそうでしょ? 清水さんがいなくなれば、俺は出世できるんだから」
「お前……」
「実際、清水さんがやってる仕事は俺にもできますよ。もうあなたは会社にいらないんです。パソコンをいじるしか能のない高卒はいらないんです。後のことは俺に任せて、どうぞ心置きなく引退してください」
そう言って、ゆう太は嫌らしい笑顔を浮かべた。
その顔を見た瞬間、腹が立つよりも呆れてしまった。こいつに対して怒る気力すら失せてしまった。
「わかった。そうしよう」
「おや、ご理解いただけましたか?」
「ああ。どうやら俺はもう会社にいらないようだ。準備が整い次第、会社を辞めることにするよ」
「今までご苦労様でした」
再び見えた嫌味ったらしい顔に、俺は何も言わなかった。
それから俺はシステムのバックアップや引き継ぎの準備を始めた。そんな俺を見て、ゆう太は満足そうな顔をしていた。
数日後、退職の準備が整い、退職届を持って出社した。
「今日、社長に退職届を提出してくるから」
ゆう太にそう言うと、彼は満面の笑顔を見せた。
「そうですか。じゃあ準備は終わったんですね。お疲れ様でした。では、後のことは俺にお任せください」
そして、あの嫌みったらしい笑顔で頭を下げた。
俺は何も答えず、社長室へと向かった。ノックをして中に入る。
「社長、失礼いたします」
「清水君、どうしたんだ?」
「これを受け取ってください」
そう言って、退職届を提出した。
「ちょ、ちょっと待て。いきなり退職ってどうしたんだ?」
社長は見るからに慌てていた。その反応に、俺は少し申し訳なくなる。
「うちの部署に入社してきた、小島専務の息子さんなんですが……」
「ああ、ゆう太君だろ。彼がどうかしたのか?」
「彼は自分が優秀な大学を出ていることを鼻にかけ、何かにつけてそれを自慢します。それだけなら可愛いものですが、私みたいに学歴のない社員を見下す癖があるのです」
「うむ」
「俺だけなら我慢もできます。しかし、同僚を馬鹿にし、注意した上司にまで『高卒のくせに』と言い放つ始末で。しかも専務の息子だからと、仕事をしなくても許されると勘違いしているようです」
「そうだったのか……」
「彼の対応に追われて、自分の本来の仕事にも支障を来してしまいまして。ちょっと俺の手には負えないというか……」
社長は俺の話に何度も頷くと、しばらく何かを考えるように黙り込んだ。
「清水君、悪いんだが、この退職届は少しの間保留してもらえないか?」
「保留ですか?」
「いや、実は噂程度にはそういう話も耳にしていたんだ。しかし、誰からも直接訴えられることがなかったので、噂の域を出ないと思っていた。今まで対応できずにすまなかった」
社長が頭を下げるので、慌てて止める。
「少し対応を考えるので、退職は待ってもらえないだろうか? 他にも理由があるのなら話は別だが」
「いえ、私は社長にはずっとお世話になっていますし、この会社には何の不満もありません」
「それならよかった」
社長は安心したような笑顔を見せた後、再び何かを考え込む様子だった。
「清水君、ちょっと協力してもらいたいんだが」
「はい、何でも」
そして、社長から今後の対策の話を聞いた。
「なるほど。それはいいですね」
俺はその作戦に協力することにした。社長室を出て、自分のデスクに戻ると、ゆう太がうずうずした様子で俺のことを気にしていた。
「今、退職届を提出してきたよ。明日から有給消化に入る」
すると、ゆう太はこれまでで一番の笑顔を見せた。
「いやあ、よかった。これで一件落着ですね。本当にお疲れ様でした」
「そうなるな。それで、引き継ぎの話なんだが……」
「いや、必要ないですよ。俺はあなたと違って優秀ですから。今までの仕事をしていたんだから、全部わかります。あなたがやってた仕事、全部引き受けますから、安心して休んでください」
そう笑いながら言う。
「そうか。わかった。じゃあ、システムは全てゆう太君に預けておくから。あとは頼んだよ」
「全部俺に任せてください」
ゆう太の満面の笑顔を背中に受けながら、俺は荷物をまとめて会社を出た。
翌日、有給消化のため家でゆったりと過ごしていた。今までは仕事一筋で忙しくしてきたが、こんな時間も悪くないなと思っていた。しかし、その時、スマホが鳴った。会社からだった。
「もしもし」
電話の相手はゆう太だった。
「清水さん、今すぐ会社に出てきてもらえます?」
いきなり失礼な奴だなと思いながら対応する。
「いや、今は有給消化中だから」
「つべこべ言ってないで早く来てください」
「どうしたの? そんなに慌てて。仕事は全て任せたはずだけど」
「いいから! さっさと来てください! お願いします!」
そう言うが早いか、ゆう太は電話を切った。
「しょうがねえな……」
俺はしぶしぶ会社へ向かった。
会社に着くなり、ゆう太が血相を変えて駆け寄ってきた。
「これ、どうなってるんですか!?」
「落ち着いて。何があったの?」
「システムにエラーが出て、取引先の会社からクレームが止まらないんです!」
ゆう太は完全に慌てていた。その後ろには、ゆう太の父親である小島専務が立っている。呼ばれたのだろうが、専務自身はこの仕事にノータッチなので、何もできないようでただ立っているだけだった。
「おい! 何とかしろ!」
「何とかしろと言われても、昨日システムの権限を全て渡したじゃないですか。俺には何もできませんよ」
「いや、やってみせる!」
ゆう太がパソコンを必死に操作するが、画面に表示されるのはエラーの文字ばかりだった。
「何度やってもエラーになる! このままだと顧客情報も見れないし、社長にバレてしまう! 早く何とかしてくれ!」
ゆう太が半泣きで俺に怒鳴る。
「だから、元々の権限が俺にはないので、どうすることもできないんですって」
俺のその返事に、ゆう太は絶望の表情を浮かべた。
ちょうどその時、社長が現れた。
「さっきからずっと職場が騒がしいが、何かあったのか?」
そう言って、社長は立ち尽くすだけの小島専務に目を向ける。
「いや、システムにエラーが出たらしいのですが……」
「ほう、そうか。ならばすぐに対応しないとな。君は何をしているんだ?」
「いえ、私が手を出すほどでもないかと……」
「でも職場全体がこれだけの騒ぎになっているんだぞ。全て君に関係ないわけがないだろう?」
「こ、これは一時的なものでして、慌てる必要は……」
「君の息子も含めて全員が慌てているんだぞ」
それ以上の言い訳を見つけられなくなった専務は、ついに黙り込んでしまった。
「君では話にならんな」
社長は見限るように言った。
「もしかして、データが壊れたんじゃないですか?」
俺がそう言うと、ゆう太が反応する。
「は?」
「データのバックアップなら、ここにありますが」
そう言って、俺はUSBメモリーを取り出した。
「そんなもの持ってるなら、さっさと出してくださいよ!」
ゆう太は俺からUSBメモリーを奪い取るようにして、自分のパソコンに差し込んだ。
しかし、画面に表示されるのは相変わらずエラーの文字だった。
「くそっ! なんでだよ!」
そこへ、うちの部署に社員が一人、慌てて駆け込んできた。発注システムが使えなくなったおかげで、大口の契約が破談になったという。
「この責任、どう取ってくれるんだ!」
その社員はゆう太の胸ぐらを掴み、詰め寄った。
「違う! 俺のせいじゃない! 全部、あいつが悪いんだ!」
ゆう太は俺を指差して叫んだ。
「いい加減にしなさい!」
社長が大声で怒鳴った。騒いでいた社員たちは一瞬で静まり返り、苦情の電話のベルだけが職場に鳴り響いていた。ゆう太も反論できず、泣きそうな顔で社長を見ている。
「君には今回の件での処分をしっかり受けてもらう。覚悟しておきなさい」
「お、俺のせいじゃないんです! こいつがいなくなった途端にシステムエラーが出たんだ! だから俺が悪いんじゃない!」
「それはあなたがちゃんと引き継ぎを行わなかったからでしょう?」
「してない! 俺はちゃんと仕事を引き継いだ!」
「じゃあ、これは何ですか?」
俺はスマホを取り出し、録音した音声を流した。ゆう太と俺の、あの日のやり取りが再生される。
――「それで、引き継ぎの話なんだが」
――「いや、必要ないですよ。俺はあなたと違って優秀ですから。今までも仕事してたんだから、全部分かります。あなたがやってた仕事、全部引き受けますから。安心して休んでください」
その音声を、社長も専務もじっと聞いていた。
「お前、なんで録音なんかしてるんだ!」
「念のため録音させてもらいました。俺がいなくなってから、もし何か問題が起きた時に、俺の責任にされたら困りますので」
ゆう太はその場に膝から崩れ落ちた。汗か涙かわからないもので顔中が濡れている。ただひたすら「すみません」と繰り返しながら、何度も頭を下げていた。
「清水君、これ、何とかできるか?」
社長が俺に聞く。
「少し時間はいただきますが、何とかできると思います」
「すまんが、よろしく頼む」
俺はエラーの復旧に取りかかった。
一方、社長は崩れ落ちているゆう太を見下ろして言った。
「君が清水君や他の社員に対して行ってきた嫌がらせの話は、全て聞いている。今回の件も含めて、しっかりと処分は受けてもらうから、そのつもりでいなさい」
しかし、ゆう太は声も出ないようで、何も答えなかった。社長はそのまま社長室へと戻っていった。
俺は30分ほどでシステムの復旧を終え、社長室へ向かった。
「社長、復旧が終わりました」
「そうか。ありがとう。助かったよ。それにすまなかったな。面倒なことを頼んでしまって」
「いえ、とんでもないです」
社長は、俺が退職届を出した時にこう言っていた。
「退職届は私が受理したことにして、明日から有給を取りなさい。すぐにシステムの不具合が出るはずだから」
俺はこの会社の取引システムの九割を管理していた。そのため、俺がいなくなればシステムのアップデートができず、エラーが起こる。社長はそのことを全て把握した上で、俺に退職を装い、エラーの責任をゆう太に背負わせる作戦を提案してくれたのだ。そして俺はそれに協力させてもらったというわけだ。
結果として、ゆう太は懲戒解雇となり、会社を首になった。父親の小島専務も減給処分が下った。そして、二人には破談になった大口契約の分の損害賠償も請求された。
その後、ゆう太は再就職先が見つからないようで、実家で引きこもっているらしい。
一方の俺はすぐにでも会社に戻ろうとしたが、社長から「一度有給を使って体を休めて、リフレッシュしたらどうだ」と提案してもらえたので、今はゆっくりと体を休めている。
しかし、人間とは不思議なものだ。長い間休んでいると、仕事がしたくなってくる。今では出社するのが楽しみなほどだ。
安易に辞めず、真実を話せば助けてくれる人がいることを教えてくれた。俺が恵まれた環境にいることに気付くきっかけをくれた……とは、どうしても言えない。あの親子には迷惑しかかけられなかった。だが、結果として俺は居心地のいい場所を守れた。
居心地のいい場所を作ってくれる同僚たち、そして尊敬する社長への感謝を忘れずに、これからも働いていこうと思う。



