「無能は首だ」…

「無能は首だ」...

弱い者いじめをするような人間は、やはり許せない。

「残業もできない無能はやめろ」

家族との時間を大切にするために、仕事量を調整してもらった私に対して、なぜか反感を持つ上司がいた。所長に許可をもらい、同僚たちも理解してくれていたのに、その上司だけは納得しなかった。

理由もなく「無能」と繰り返し罵られ、ついに私の我慢は限界に達した。

「わかりました。そこまで言われるなら、辞めます」

私はそう伝え、会社を去る決意をした。

そして、迎えた退職日。上司が慌てた様子で駆け寄ってくるとは、その時は知る由もなかった。

私の名前は木村理佐。現在は弁護士として大手事務所に勤めている。元々医師を志して医学部に入学したが、弁護士という仕事にも興味を持ち、在学中に司法試験に合格した。勉強が趣味と言えるほど好きだった私は、どんなに忙しくても学ぶことを苦に思ったことはなかった。医師免許を取得し、医師として数年勤務した後に、今の事務所に転職したのだ。

弁護士として働き始めた頃は、毎日朝から晩まで仕事に追われていた。医師として働いていた時も同じだったが、私は働くこと自体が好きなのだろう。病院では患者さんから感謝されることが原動力だった。弁護士になってからは、問題が解決した時にクライアントが見せる安心した顔を見ると、努力してきて良かったと心から思えた。

そして、弁護士になってから結婚し、娘が生まれた。娘は妻に似て本当に可愛い。娘が生まれてから、今までのように仕事ばかりしているわけにはいかないと感じるようになった。家族との貴重な時間を犠牲にしていることに不満を募らせていった。

そこで早矢所長に相談し、定時で帰れるように仕事量を調整してもらおうと考えた。早矢所長は快く承諾してくれた。

「家族も守れないような人が、赤の他人を守れるわけないからね」

早矢所長は、私が弁護士になりたての頃からお世話になっている人物だ。これまで抱いてきた弁護士のイメージとは、良い意味でかけ離れた人だった。彼の考え方としては、弁護士はクライアントの一番の理解者であり味方でなければならないというものだ。事務所もそれを理念に日々業務に励んでいた。

そんな所長は、どんなクライアントに対しても常に誠実に、親しみやすさや話しやすさを感じてもらえるように接している。私に対しても例外ではなく、困ったことがあって相談しに行くと、仕事の手を止め、体や目線をこちらに向けて話を聞いてくれる。弁護士としても上司としても、本当に尊敬できる人だと思っている。

同僚たちにも申し訳ないと思いつつ事情を説明すると、私よりも若い所員たちからは「今後私たちがそうなった時のためにも、残業を出しやすくなったから助かります」と逆に感謝された。先輩たちからは「俺もなかなか家に帰れなくて家族に寂しい思いをさせたからさ、大事にしてやれよ」と応援してもらえた。

こうして私は、家族と過ごす時間を確保しつつ、仕事に励むことができていた。同僚たちは皆、私の働き方を理解し、応援してくれている。

ただ一人、少し年上の先輩である瀬田を除いては。

彼は私の上司ではあるが、部下に対して理不尽な要求をしてくる上に、傲慢な態度で接してくる。弁護士事務所で働く者としてどうなのだろうか。自分自身が訴えられてもおかしくないというのに、そのくらい彼の言動はひどかった。

瀬田はよく私に仕事を振ってくるが、その大半は彼が本来受け持つべきものだった。自分で何か仕事をすることはほとんどなく、小さなものではクライアントからの相談、大きなものでは自分が引き受けた案件を私に丸投げしてくる。そして、裁判に勝利したなどの手柄はしっかりと自分のものにしようとするのだ。

瀬田に振られた仕事のせいで、定時に帰れないこともしばしばあった。それでも何とか早めに仕上げて帰ろうとすると、決まって瀬田から嫌味を言われる。

「もう帰るのか。他の奴らはまだ働いてるぞ」
「無能は仕方ないな。本当に使えないやつだ」

私が得意とする分野は少し特殊で狭い分野なため、他の所員のように常に何件も案件を抱えているわけではなく、残業は発生しにくい。もちろん手が空いている時は手伝い、皆が早く帰れるように多少なりとも貢献しているつもりだった。それなのに、無能扱いされるのは腹立たしかったが、ここで相手にしても時間の無駄だと割り切り、「申し訳ありませんが、お先に失礼します」と言って事務所を後にしていた。

そんな日常が続くうちに、私は仕事をこなすスピードが格段に上がっていた。瀬田からの無茶な要求さえなければ、平穏に仕事を終わらせることができるようになっていた。

ある日の定時直前、私は自分の仕事を終わらせ、時間通りに帰れるだろうと片付けをしていた。すると、そこに瀬田から声がかかった。

「おい、これ、明日までに作っておけ」

そう言って、私に数枚の紙を渡し、資料作成を要求してきた。それは瀬田が担当している案件に関する資料で、これまでの判例をいくつか拾い上げ、今回の事例ではこのくらいの金額を請求するのが一般的だという根拠を示すためのものだった。しかも彼が手渡した紙は少なく、自分で判例を調べろということか。そんなことをしていては、いつ帰れるか分かったものではない。

「さすがに、もう退社時間なのでお受けできません。しかも、それは瀬田さんが持っている案件ですよね。本来、瀬田さんの業務なのではないですか。すみませんが、私には無理です」

瀬田の口元が歪み、舌打ちする音が聞こえた。

「使えないやつだな。早く上がりたがるような無能は首だ」

彼は確かにそう言った。

その言葉を聞いて、私はしばらくの間、瀬田の方を向いて立ち尽くしていた。瀬田にこの事務所の人事権があるのだろうか。他人の基本的人権を擁護する立場にある弁護士が、他人の仕事を勝手に奪うことなど許されるのだろうか。そして、私が残業しないで帰ることは、この事務所ではすでに認められていることだ。なぜこの男はいつもそれを邪魔してくるのだろう。

私の頭の中が、ものすごい速さで冷静になっていくのが分かった。今ならどんなことでも、冷静に判断できそうだ。瀬田の日頃の言動に皆が頭を抱えていること。無能呼ばわりするが、その無能に仕事を振ってくるお前こそ無能だということ。言いたいことは山ほどあった。

いや、冷静に判断できると思っていたのに、私の口から出た言葉は、とても冷静とは思えないものだった。

「わかりました。そこまで言われるのであれば、辞めます」

その言葉に、自分でも少し驚いた。この事務所は、瀬田という男以外は皆、とてもいい人ばかりなのに。私が早く帰っても嫌な顔をせず送り出してくれ、娘の成長を一緒に喜んでくれる人たちだ。しかしこれまで何度も、定時間際に無理なことを言われ、断るたびに無能だと貶されてきた。自分自身でも気づかないうちに、もう限界だと感じていたのかもしれない。

私は早矢所長のところへ向かい、辞意を伝えた。所長はペンを置き、こちらをじっと見据えてきた。

「木村さんに辞められてしまっては、あの分野が弱くなってしまうのだがね。考え直してくれないか」

そう言われたが、私は自分の言葉を覆す気はなかった。それを伝えると、所長は少しだけ表情を明るく取り繕った。

「わかった。木村さんの気持ちを無にするわけにはいかないからね。でも、気が変わったら、いつでも言ってくれ。辞めた後だって構わないよ」

こんな形になってしまい、これまで応援してくれていた同僚や所長に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。定時で上がりたいと仕事をセーブすると伝えた時の申し訳なさとは比べ物にならないほど、その気持ちは大きかった。そして同時に、悔しさが込み上げてくる。瀬田がいなければ、この事務所は私にとってとても居心地のいい職場だった。それなのに、瀬田のせいで、これまで協力してくれた皆の気持ちを踏みにじる結果になってしまった。

退職を宣言したのは月の半ばで、残り約2週間で同僚への引き継ぎやクライアントへの報告と詫びをしなければならなかった。遠方のクライアントへは手紙と電話で、近くのクライアントには直接出向いて挨拶をした。まとめた引き継ぎ資料はかなりの量になり、何人かの同僚に渡すことができた。その中には瀬田に渡すものもあったが、彼は私から引き継ぎ資料を受け取ろうとはしなかった。

「もっと分かりやすくまとめてこいよ。そういう気遣いもできないなんて、本当に使えないなあ」

なんとか月末前にそれらの作業を終わらせ、私は残すところ最終日のみとなった。

最後の日、私は職場の皆に挨拶して回った。同僚たちからは「木村さんがいなくなったら困ります」「今までありがとう」「たまには子供の顔を見せに来いよ」と声をかけてもらった。

今回の件の張本人である瀬田は、電話対応中で何やら焦っている様子だったが、もう私には関係のないことだ。さあ、そろそろ定時なので帰ろうかと思っていたところ、瀬田が慌てた様子で駆け寄ってきた。

「おい、お前が担当していたクライアントからだ。急いで対応してほしいことがあるらしいから、お前が対応しろ」

私はちらっと左手の腕時計を見た。妻が私の誕生日にプレゼントしてくれたものだ。高価なものではないが、シンプルで無駄がない。私が好むデザインだ。長針はすでに12のところを指している。

「瀬田さん、今までお世話になりました。定時を過ぎたので、私はもうここの所員ではありません。すみませんが、対応はできません。ありがとうございました」

私はそう言って、先に礼をした。頭を上げた時に見えた瀬田の顔は、怒りと焦りが入り混じったような表情だった。

「何言ってるんだ。この案件は、お前にしか担当できないものだろう」

「そんなことを言われても、私はあなたに首を言い渡されたので。一応、実績上は瀬田さんの手柄になっているものもありますし、瀬田さんがご対応なさったらいかがですか? 先方も、それだけの実績があるならと思ってくれるかもしれませんよ」

少し呆れながらも、私は「帰りますね」と玄関へ向かおうとした。

私が担当していた案件は、主に医療訴訟だった。医師の資格もあるため、その分野の知識は普通の弁護士よりも深く、手術が正しく行われていたか、薬が正しく投与されていたか、リハビリに問題はなかったかなどを話してもスムーズに対応できると評判だった。クライアントは大学病院などが多く、かなり複雑な裁判も担当していた。

専門分野なだけに、医療訴訟を担当できる弁護士は少なく、この事務所でもできるのは私だけだった。瀬田は自分が引き受けた医療訴訟を私にほとんど押し付け、結果だけを自分の手柄にしていたのだ。そのため瀬田も医療訴訟に対応できると公言しているらしい。実際に動いていたのは私なので、瀬田にできるはずがないのだが、今回連絡があった案件も医療関連だったようだ。瀬田に内容を理解できるのだろうか。

そういえば、私は忘れていたものがある。

「瀬田さん、これ。私が担当していた案件の引き継ぎ資料です。今電話が来た病院のことでしたら、この中に資料がありますので、それを読めば瀬田さんでもできますよ」

私は自分の机から瀬田の机へと、大量の資料を運んだ。「分かりやすくしろ」と言われたので、専門用語にいちいち解説を付けていたら、当初渡そうとしていたものの3倍近い量になってしまった。医療器具や術式、疾患や病気の分類、解剖生理だけでなく、患者の権利に関する用語、医療者の倫理に関する資料なども含まれている。他の同僚への引き継ぎ資料にも分かりにくい用語の説明は付けているが、瀬田に渡すものが一番手がかかってしまった。彼の要望通りにしたまでなので、これ以上何か言われても、もう私には関係ない。

「こんな大事なものを忘れていたなんて、自分でもうっかりしていたな」

大量の資料を見て呆然とする瀬田に、「よろしくお願いします」と挨拶し、私は今度こそ事務所を後にした。

外に出ると、昼間に降っていた雨は上がっていた。地面の水溜まりに夕日が反射して、キラキラと輝いていた。

今後のことに関して不安がないわけではなかったが、私には私にしかない武器があると思っている。元々派手な生活をしていたわけではないので、蓄えもそこそこある。時間もある。自分らしく働ける場所を探せばいいだけだ。

そういえば、今朝家を出る際に妻が「今日はあなたの好きなものを作って待っていますね」と言っていた。妻には職場で苦手な人がいること、今回の退職にその人が関わっていることを伝えていた。その職場を辞められることは、妻にとってお祝いすべきことだったようで、「やっとその人から解放されるね」とも言っていた。

お祝いならケーキを買って帰ろうか。妻が好きなケーキ屋さんへ足を伸ばした。

その後、事務所の話は人づてに聞いた。瀬田は自身の傲慢な態度や他者への仕事の押し付けなど、無責任な言動が露呈したようだ。私がいなくなったことで話がスムーズにできる弁護士がいなくなったことも大きかったのかもしれない。多少強引に渡した引き継ぎ資料には目を通したようだが、今まで私に仕事を任せてばかりだった瀬田には、内容を十分に理解できなかったらしい。そのためクライアントとの打ち合わせも難航し、徐々に患者や病院からの相談も減ってしまったようだ。

困った所長が事務所内で調査を行い、私が急に退職を申し出たことに瀬田が関与していることも明るみに出た。結果的に、瀬田のせいで事務所の信頼性や評判に傷をつけたと判断されたらしい。瀬田自身も、その責任を問われ、事務所を追い出されたようだった。

私はと言うと、次に働くとしても、やはり家族との時間を大切にしたいという気持ちは残っていた。雇われの身ではそれが難しいのかもしれないと考え、自分の専門性と医師という経験を生かす道はないかと、医療訴訟に特化した事務所を立ち上げた。既存の大手弁護士事務所では医療に関する知識が少ない弁護士も多く、なかなか医療訴訟に関わろうとする弁護士はいない。そうなると、病院はともかく、被害を受けた患者は泣き寝入りするか、経験の乏しい弁護士に依頼するしかなくなってしまう。私は医療機関や患者に寄り添った法的サービスを提供したいという思いもあり、事務所立ち上げに踏み切ったのだ。

以前の事務所から独立したという話を聞きつけた元クライアントからも依頼が来るようになり、徐々に事務所は評価されるようになっていった。患者や医療機関からも信頼を得て、数々の医療訴訟で成功を収めることができた。

これからも、家族との時間を大切にしつつ、自分の得意分野である医療訴訟を通じて社会に貢献していこう。そう心に誓ったのだった。

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