九年間行方不明だった息子の三回忌の法要。遺体も見つからないまま、私は息子を弔うために骨壺を前に手を合わせていた。すると、参列者の一人だった見知らぬ老婆が、私の耳元でささやいた。「この子、生きてるわよ。骨壺の中、見たことある?」私は唖然とした。息子は法的に死亡扱いになっているのに、なぜ彼女がそんなことを知っているのか。言われるがままに骨壺を開けると、そこには息子が失踪した日に持って出かけたはず…

九年間行方不明だった息子の三回忌の法要。遺体も見つからないまま、私は息子を弔うために骨壺を前に手を合わせていた。すると、参列者の一人だった見知らぬ老婆が、私の耳元でささやいた。「この子、生きてるわよ。骨壺の中、見たことある?」私は唖然とした。息子は法的に死亡扱いになっているのに、なぜ彼女がそんなことを知っているのか。言われるがままに骨壺を開けると、そこには息子が失踪した日に持って出かけたはず...

三回忌の法要が始まり、僧侶の案内で私や親族が順番に焼香を済ませていった。最後に遺骨を納めた骨壺の前で手を合わせる順番が、見知らぬ老婆に回ってきた。

彼女が焼香を終えて席に戻ろうと私の横を通り過ぎる瞬間、小さくささやいた。

「この子、生きてるわよ。骨壺の中、見たことある?」

予想外の言葉に私は固まった。彼女は今、行方不明になって九年になる息子が生きていると言ったのだ。

「息子が生きているって、本当ですか?」

縋る思いで問いかけると、老婆は考え込むようにしてから口を開いた。

「ひとまず骨壺を確認してみて。そうすれば、私の言葉を信じてもらえると思うの」

彼女が何か知っていることは確かだった。私はお寺のスタッフに骨壺の中身を確認したいと伝え、恐る恐る蓋を開けた。次の瞬間、恐怖で顔が一気に蒼白になった。

骨壺の中には、私が入れたはずの遺品のネクタイではなく、見覚えのあるスマートフォンが入っていたのだ。それは、息子が失踪したあの日、持って出かけたはずのものだった。

私は岡村桜子、五十二歳。スーパーでパート勤務をしている。一つ上の夫とは二十八年前、当時働いていた保険会社で出会った。

初出社の日に緊張する私に、彼は優しく笑いかけてくれた。「分からないことがあったら何でも聞いて。俺なりに力になるから」

正は直属の先輩で、私の教育係だった。成績優秀で周囲から慕われる彼に迷惑をかけまいと、私は必死に努力した。右も左も分からない私を、彼は温かく見守り、どんな質問にも真剣に答えてくれた。

初めて一人で契約を取れた日、彼は祝いだと私を飲みに誘ってくれた。「桜子さんってすごく頑張り屋だね。俺、びっくりしたよ」

「私は先輩みたいになりたいんです。入社した時からずっと憧れていて」

そう伝えると、彼は顔を赤くしてお礼を言ってくれた。この日を境に私たちは急速に距離を縮め、やがて交際に発展。結婚後、息子の誠也が生まれた。

「可愛いな。俺、この子と桜子のためにもっと頑張るから」

「私こそ、正のこと支えるわね」

大切な家族に囲まれ、私は幸せの絶頂にいた。誠也の妊娠を機に保険会社を退職し、現在のパートを始めたのは十五年前ほどだ。誠也は二十五歳になり、食品メーカーに就職。正は同じ保険会社で営業部長を務めていた。家族仲は良好で、夕食時には三人で食卓を囲み、穏やかな時間を過ごしていた。

だが徐々に、日常に変化が訪れる。ある時から誠也の様子に違和感を覚え始めたのだ。

「誠也、疲れているの? もしかして体調が悪いとか?」

以前は夕食後もリビングでテレビを見て過ごしていたのに、いつしか彼は食べ終わるとすぐに自室へ閉じこもるようになった。声をかけると「大丈夫」と力なく答え、時折スマホを見つめては深くため息をつくようになった。

心配になった私は正に相談した。

「誠也の様子がおかしいんだけど、何か知らない?」

「心当たりはないな。でも俺もあいつが気になっていた。改めて尋ねてみようか」

だが正は、無理に悩みを聞き出すのは良くないと言った。「誠也から話すのを待った方がいいと思う」

言う通りだと思い、私たちはしばらく見守ることにした。

すると一週間後の夜、お風呂から上がった誠也が改まって話しかけてきた。

「母さん、ちょっと相談があるんだけど、聞いてもらってもいい? お父さんには聞かれたくないことなんだ。できれば先に母さんに話したい」

「それで、どうしたの?」

「実は今お金に困っていてさ。少しだけでいいから貸して欲しくて」

意外な言葉に驚いた。誠也は食品メーカーから給料をもらっており、実家暮らしで生活費を一切入れていなかった。就職後、少しでも負担して欲しいと伝えたが、彼は給料が増えてからでいいと断ったのだ。だから貯金しているものだと思っていた。

「貯金していたよ。でもそれを全部使ってしまったんだ。このままだと昼飯も食えない。ただ付き合いが重なって、今月出費が多かったんだ」

「いくらなんでも、それだけで貯金がなくなるなんて」

迷ったが、息子が困っているのを見捨てられず、私は「今回限り」の約束で五万円を渡した。

「今後は私たちに無心しないで。あと、できるだけ貯金もしなさい」

「分かった。母さん、ごめん。ありがとう。これからは気をつけるよ」

満面の笑みで謝る姿を見て、私は反省してくれたのだと安心した。だが、その期待はすぐに裏切られる。

「母さん、ごめん。ちょっと今月も厳しくてさ、また借りられないかな?」

翌月、誠也が悪びれる様子もなく、当然のように金をせびってきたのだ。私は呆れて断った。

「今回も貸したら、誠也はずっと甘え続けるわ。自分でどうにかしなさい」

「ケチケチしないでよ。母さん、五万くらい稼いでるでしょ」

「うちは裕福なわけじゃないの。毎月五万円ポンと渡せないわ」

丁寧に説明しても、誠也はますます不機嫌になった。

「母親のくせに冷たいな。たった数万貸して欲しいだけなのに」

「約束を守られなかったんだから、あなたを信用できないの。諦めて」

そう言うと、彼は表情を一変させて怒鳴った。

「なんだよそれ。親ならごちゃごちゃ言わずに助けろよ」

いつも穏やかな彼が声を荒らげる姿に驚き、使用目的を尋ねても、彼は「なんだっていいだろ」と吐き捨てて自室へこもってしまった。翌日から誠也は不機嫌になり、私が話しかけても無視するようになった。

心配になった私は正に相談したが、正は「俺から一度話してみる」と言う。その矢先、誠也は正にも同じように金を無心していた。

「父さん、今月仕事の付き合いで手持ちが厳しいんだ。少しでいいからお金借りれないかな?」

予想に反して、正は五千円をポンと渡したのだ。

「仕方ないやつだな。来月は重々しくな。約束守れよ」

誠也は勝ち誇った顔で私を見て言った。「やっぱり母さんより父さんの方が優しいな」

「正、どういうこと? 断るんじゃなかったの?」

「俺は断るとは言っていない。誠也はちゃんと使い道を教えてくれた。だから貸してやったんだ」

「あの調子だと、また来月も頼みに来るわよ」

「桜子には分からないだろうけど、男の付き合いには金がかかるんだよ。俺も昔はそうだった」

「でも正はお父さんたちにお金を借りていたの? あなたは計画的にやりくりしていたわよね」

そう言うと、正は突然笑い出した。

「誠也がああなったのは、桜子の教育が悪かったからじゃないのか。桜子がもっとお金の大事さを教えていれば、あいつもだらしなくならなかっただろう」

まさか自分が責められるとは思わず、絶句した。正は「俺は桜子の尻拭いをしてやっているんだ」と上から目線で言い放ち、部屋を出て行った。

この日を境に、誠也は金を渡してくれる正には愛想よく振る舞い、私には冷たい態度を取り続けた。正も誠也を甘やかし、毎月のように金を渡すようになった。

そして、正が初めて誠也にお金を貸してから三ヶ月が経った頃。誠也はいつものように正にすり寄ったが、珍しく正が首を横に振った。

「悪いが今月は俺も厳しい。こんなに困っているなら、母さんに頼みなさい」

「母さんはケチだよ。どうせ頼んだところで断られる」

私を挑発するように見ていた誠也の視線を無視していると、正が命令した。

「おい、桜子、誠也に五万円渡してやれ」

「無理よ」

キッパリ断ると、誠也は私の元に歩み寄って頭を下げた。

「父さんが無理なら、母さんにしか頼めないんだ。助けてくれ」

「何度も言わせないで。毎月毎月、一体何に使っているの?」

「色々と金がかかるんだよ。お願いします」

見向きもせず拒否し続けると、誠也の表情が険しくなり、近くのテーブルに拳を叩きつけた。

「母さんは俺のことどうでもいいのか? こんなに困っているのに」

「物に当たるのはやめなさい。何をしても、私の考えは変わらないから」

「ふざけるな。もういい」

そう言って自室に戻っていった。すると、それを見ていた正が顰めっ面で言った。

「桜子、さすがに冷たすぎだ。あれだと誠也が可哀そうじゃないか」

「私は誠也のために心を鬼にして注意したの。甘やかすばかりの正とは違うのよ」

「だからって、何もそこまで言わなくても」

「以前、正が私の教育が悪いって言ったんでしょ。だから母親として正論を伝えたまでよ」

正は自分が言った言葉を思い出し、黙り込んだ。

その後、誠也が私に金をせびることはなくなった。しかし事態は思わぬ展開を迎える。二ヶ月後、誠也が行方をくらましたのだ。

あの日、誠也は朝いつものように出社した。夜になっても帰ってこず、スマホに連絡しても電波が届かないというアナウンスが流れるだけ。翌日、会社に連絡すると、誠也は前日から無断欠勤していると告げられた。

私たちは警察に行方不明者届を提出した。しかし部屋を調べても遺書のようなものは見つからず、クローゼットから私物がいくつかなくなっていた。警察は「自発的な失踪の可能性が高い」と判断し、積極的な捜査はしないと言った。結局、誠也は無断欠勤が続き、自然退職となった。

私はSNSで情報提供を求めようとしたが、正に大反対された。

「誠也が戻りたければ自分で帰ってくる。それまでは静かに待つしかない」

正の考えも理解できた。彼もまた息子を失った悲しみにくれていた。私は正を信じることにしたが、一年経っても二年経っても状況は変わらなかった。

失踪から三年が経過した頃、正が言い出した。

「誠也の財産をこのまま放置しておくわけにはいかない。管理人を置こう」

正が管理してくれるなら安心だと、私は彼に任せることにした。誠也は失踪時、自分の通帳を置いていったのだ。私はまだ現実を受け入れられず、写真を眺めては涙する日々が続いた。

そして、失踪から七年が経過した。ある日、正が真剣な顔で提案した。

「家庭裁判所に失踪宣告の申し立てを行わないか?」

「それって…」

失踪宣告が確定すれば、誠也は死亡したと見なされる。私は反対した。

「もしかしたら帰ってくるかもしれない。もう少し待ちましょう」

「誠也は一度も連絡を寄越さなかった。あいつは生きていても、もう俺たちに会いに来ることはないよ。桜子の気持ちも分かる。だが、このまま待ち続けたら、いつかお前が参ってしまう」

彼は私の心配をしていた。そう言われて、私は迷いながらも失踪宣告の申し立てを決意した。そして無事に確定し、誠也は法的に死亡扱いになった。

「俺たちだけでも葬儀をしようか。けじめをつけないと」

私たちは親族だけの小さな葬儀を行った。遺体はないため空の棺を置き、骨壺には遺品を入れることにした。私は、かつて誠也にプレゼントした紺色のネクタイを入れた。

「誠也、このネクタイよくつけていたでしょ。使ってくれてありがとうね」

こうして私たちは一つの区切りをつけた。だが、誠也の葬儀を終えた頃から、正の態度が徐々に変わっていく。帰りが遅くなり、私に対して冷たくなったのだ。

ある晩、遅くに帰ってきた彼のスーツを受け取った瞬間、違和感を覚えた。スーツから、ほんのりと甘い香水の匂いが漂ってきたのだ。

「ねえ、正、最近帰りが遅いけど仕事忙しいの?」

「だったらなんだ? いちいち報告する必要があるのか?」

それ以来、正はスマホを肌身離さず持ち歩くようになり、私が近づくと慌てて画面を伏せた。私はついに問い詰めた。

「ひょっとして不倫しているわけじゃないわよね」

彼は激怒し、「意味の分からない妄想はやめてくれ」と言い放った。そして、衝撃的な言葉を口にした。

「そもそも、お前がしっかりしていないから誠也は出ていったのに」

「私のせいにするの?」

「ずっと言いづらかったけど、俺は桜子のせいだと思っているよ。失踪する前、誠也はいつもお前にイライラしていたじゃないか。俺は内心、桜子を恨んでいる。でも俺の家族はもう桜子だけだから、お前を養ってやっているんだ。それが分かっているのか?」

大切だと思っていた夫に恨まれていると知り、目の前が真っ暗になった。

それからさらに二年が経ち、誠也の失踪から九年。三回忌の法要を行うことになった。だが当日、正は法衣ではなく仕事用のスーツを取り出した。

「悪い。実は今日、出張が入ったんだ。俺は法要には出席しない」

「出張って何? 誠也の三回忌より大事なことってあるの? 他の社員ではダメなの?」

「今回の出張は元々俺が行く予定だったんだ。親戚には適当に説明しておいてくれ」

彼は私の言葉を無視して、そのまま家を出ていった。夫に失望しつつも、私は一人でお寺へ向かった。親族だけを呼んだ質素な法要だったが、彼らは正がいないことを不思議がった。私は「どうしても外せない出張が入った」と説明するしかなかった。

その時、ふと参列者に見知らぬ人物が混じっていることに気づいた。七十代ほどの老婆で、葬儀には出席していなかったはずだ。声をかけると、彼女は丁寧に頭を下げて言った。

「私は誠也さんの知人です。三回忌があると聞いて参りました。どうか私も参列させてもらえませんか?」

彼女は角倉世子と名乗った。誠也の名前を知っているなら赤の他人ではないはずだと、私は参列を許可した。

法要が始まり、最後に世子の焼香が終わった。席に戻ろうとした彼女が私の横を通り過ぎる瞬間、あの言葉をささやいたのだ。

「この子、生きてるわよ。骨壺の中、見たことある?」

法要が終わり、私は彼女に改めて事情を尋ねた。

「息子が生きているって、本当ですか? 誠也は今どこに?」

縋る思いで問いかけると、世子は静かに答えた。

「ひとまず骨壺を確認してみて。私も詳しくは知らないけれど、確かめたらきっと何かに気づくはずよ。それに…あなたの夫は、今回のことに大きく関与している。下手をしたら、桜子さん自身に危険が及ぶかもしれない」

彼女はそう告げて連絡先を伝え、立ち去っていった。

私はお寺のスタッフに骨壺の中身を確認したいと伝え、恐る恐る蓋を開けた。そして、あのスマートフォンを見つけたのだ。

なぜ、誠也が失踪した日に持っていたスマホが骨壺に入っているのか。どう考えても、誰かが後から入れたとしか思えない。私はそのスマホを回収し、警察署へ持っていった。

「息子が失踪する際に持っていたスマホが、骨壺から出てきました。どう考えても、誰かが後から入れたとしか思えなくて」

警察は難しい顔をしながらも、「遺失物のような形で預かり、調査を行う」と言った。スマホの持ち主が分かれば事態が進展するかもしれない。初めて一筋の光が見えた気がした。

私はこのことを正には伝えないと決めた。彼が紛れ込ませた可能性が高い。葬儀の際、正は骨壺に入れた遺品の品を教えてくれなかった。「それは俺と誠也だけの秘密にしたいんだ」と。

帰宅した正は、何食わぬ顔で法要の様子を尋ねてきた。私は平静を装って答えた。彼に見破られるわけにはいかない。

翌日、私は一人になった隙に世子へ連絡を入れた。彼女は声を潜め、直接会って話したいと言う。「絶対に正さんにはバレないよう、来てほしい」

私たちは近くの喫茶店で落ち合った。着席するなり、世子は一枚の写真を取り出した。

「これ、確認してもらえるかしら? あなたの息子さんで間違いない?」

写真に映っていたのは、確かに誠也だった。しかし記憶の中の彼とは髪型や体型が違う。私は目を疑った。

「誠也に似てはいますが、本人ですか?」

「もう九年も会っていないものね。でも、これが今の彼よ」

世子は続けた。

「私は、誠也さんが住んでいるアパートの大家なの。彼には何度も顔を合わせていた」

「え? すぐ近くに誠也がいるんですか?」

「ええ。あなたの夫、正さんが彼に住む場所を与えていたの。失踪した直後くらいに、単身赴任だと言って部屋を借りたの。でも、すぐに誠也さんが出入りするようになって…。正さんは彼のことを『裕介』という名前で紹介していたわ。息子がたまに遊びに来るんです、と言って」

「嘘…。じゃあ、正は誠也がどこにいるか知っていたの?」

「それだけじゃない。誠也さんはあのアパートに毎日住み着くようになったの。仕事に行く姿も見たことがなかった。おかしいと思って正さんに尋ねたら、『息子は心の病気で仕事を休んでいる。あまりストレスを抱えたくない。そっとしておいてください』と言われて、私も深く追求できなかった」

世子はさらに、もう一枚の写真を見せた。そこには、アパートの一室に入っていく女性の姿が映っていた。

「この女性は正さんの不倫相手よ」

「樋口理乃さん…」

実は正の態度が急変した後、私は白黒はっきりさせるため興信所に調査を依頼していた。彼の不倫相手は部下だということも突き止めていた。

「でも、私が不倫を問い詰めようとした矢先に三回忌で、あなたと出会ったの。だから今は誠也さんのことを優先したのよ」

「あの女性は、正の妹だという話では…」

「ええ。私もそう聞かされていたわ。誠也さんを心配して会いに来ているって」

「嘘ばかり。正も誠也も、そして理乃さんも、三人で結託して私を騙していたのね」

私は怒りで震えたが、同時にある疑問が頭をよぎった。何の目的で、こんな大掛かりな嘘をついたのか。失踪宣告まで出させて、遺産を管理させて…。

「保険金…」

考えれば考えるほど、辻褄が合った。正は誠也が行方不明になる三ヶ月ほど前に、彼を保険に入れていたのだ。

「誠也はお金のために失踪したのよ。そして正は失踪宣告を出させて保険金を受け取った。理乃もそれに加担していた」

私は自分の推測を世子に話した。彼女は深く頷いた。

世子は娘を早くに亡くしていた。「娘は真面目で優しくて、とっても母思いだった。体が弱かったの。あなたが自分のことよりも家族を優先して苦しいことにも耐え続ける姿が、あの子と重なって…。どうか私にも協力させて」

その言葉に、私は涙が出そうになった。味方は誰もいないと思っていたのに、手を差し伸べてくれる人がいた。私は彼女の手を握り返し、共に計画を練ることにした。

帰宅すると、正が不機嫌そうに待ち構えていた。

「今日はどこに行っていたんだ?」

「同僚とランチに行っていただけよ」

「夕方にランチ? おかしいじゃないか。スマホを見せろ」

「どうしてそんなことを言うの?」

「俺はお前に養ってもらっているんだ。もしも不倫していたら、絶対に許さないからな」

高圧的な態度で迫ってくる正。彼は私が何か隠し事をしていると思ったようだ。スマホには世子と連絡した履歴が残っている。それに、骨壺からスマホを見つけた時の写真も保存してあった。

どうしてもスマホを見せるわけにはいかない。私は抵抗したが、正は力尽くで奪い取ろうとした。

「大丈夫だ。私、不倫なんてしていないわ」

「それなら見せられるだろう!」

その時、インターホンが鳴った。正は苛立ちながらモニターを確認し、驚愕した表情を浮かべた。

「なんでここに?」

その隙に、私は玄関へ走り、扉を開けた。そこには世子が立っていた。

「桜子さん、大丈夫?」

「世子さん、ありがとうございます」

私はそのまま家を飛び出し、世子が用意してくれたタクシーに乗り込んだ。窓の外には、慌てて電話をかける正の姿があった。

私たちは誠也がいるというアパートへ向かった。私は九年前に突然姿を消した息子と、再会することになる。

世子に案内された部屋のインターホンを押すと、呑気な声が返ってきた。

「はい。どちら様ですか?」

「裕介さん、私よ。大家」

玄関のドアが開き、中から男性が現れた。記憶の中の誠也よりも体格が良くなっていたが、顔つきは間違いなく息子だった。

「え、なんで母さんが?」

「誠也、やっぱりここにいたのね」

驚く彼をまっすぐ見据えると、誠也は慌ててドアを閉めようとした。だが、私は片足を入れて防いだ。

「逃げようとしたって無駄よ。家に入れてちょうだい。あなたには聞かなきゃいけないことがたくさんあるんだから」

「人違いじゃないですか? 俺は誠也じゃなくて裕介で…」

「あら、あなたさっき私を見て『母さん』って言ったわよね。今更知らばくれるなんて無理よ」

最終的に誠也は観念し、私たちを部屋に入れてくれた。部屋の中は荒れていて、自堕落な生活がうかがえた。

改めて問い詰めると、誠也は小さく頷いた。

「そうだよ。今までの九年間、ずっと裕介として生きてきた」

「なぜ、あなたは九年前に行方をくらましたの? 計画的だったんでしょ?」

「父さんの計画に乗っかったんだ。俺がバカだったよ」

どうやら正は、誠也にお金に困っていると相談され、失踪を提案したらしい。保険金を受け取るために、だ。

「あなたたちは、私が入れた保険金を目当てにしていたのね」

「違う…!」

誠也は否定したが、言い訳にしか聞こえなかった。

その時、部屋の扉が激しく叩かれた。

「誠也、いるんだろ。開けろ!」

正がやってきた。そして、彼の背後には理乃もいた。

「奥さん…。なんでここに?」

「正、あなたは誠也が生きていることを知っていたのね。私に何もかも隠して、失踪宣告まで出させて…。私をずっと騙していたんでしょ」

「違う! 俺は…」

言い訳を始めた正に対して、私は全てを告げた。

「あなたたちの計画は、もう全部お見通しよ。スマホはすでに警察に提出してある。誠也とあなたたちがやり取りした証拠が、今頃調べられているはずよ」

「なんで警察に渡すんだ! あれは俺の物だ!」

「自分の罪を隠すためでしょう?」

すると、今まで黙っていた世子が口を開いた。

「詐欺罪で、あなたたちはもう終わりよ」

「詐欺? 俺たちは何もしていない!」

「誠也さんが失踪した後、あなたは彼にお金を渡し続けていた。そして失踪宣告を出させて、保険金を受け取った。これは立派な詐欺よ」

正と理乃は顔色を変えた。理乃は「私は正に計画を手伝うよう強要されたんです!」と叫んだが、「受け取ったお金はもう全部使っちゃった」とも白状した。

正は土下座して許しを乞うた。

「桜子、すまなかった。俺が悪かった。もう一度やり直してくれないか?」

「今更遅いわ。私は離婚する。この離婚届に署名してちょうだい」

私は離婚届を取り出した。正は尚も反論したが、私は揺るがなかった。

「私はもうあなたたちに騙されない。せっかく新しい仕事も決まったばかりだしね」

「仕事? パートの収入だけで生きていけると思っているのか?」

「ええ。喫茶店で働くことになったの。世子さんに紹介してもらって」

すると、理乃が突然言い出した。

「やっぱり、私は正とは結婚しない。もう疲れた。あなたたちと一緒にいたら幸せになれない気がする」

「おい、理乃! 俺たち九年も付き合ってきたんだぞ!」

激しく動揺する正をよそに、外からパトカーのサイレンが聞こえてきた。私はあらかじめ警察に連絡を入れていたのだ。誠也が見つかったこと、保険金詐欺のことを伝えて。

警察官が部屋に踏み込み、正、誠也、理乃の三人を連行していった。彼らは「俺は悪くない」「父さんの命令に従っただけだ」と互いに責任をなすりつけ合いながら、パトカーに乗り込んでいった。

幸い、離婚届には署名してもらえた。私はその後すぐに提出し、晴れて独身となった。

捜査の結果、正と誠也と理乃は詐欺罪で逮捕された。誠也は失踪宣告を取り消してから逮捕された。正と理乃は保険会社を解雇され、受け取っていた保険金は全額返還請求された。三人はバイトを掛け持ちしながら、必死に借金を返済していると聞いた。

一方の私は、喫茶店での新しい仕事を始めた。仕事にも徐々に慣れ、毎日楽しく過ごしている。世子は定期的に店を訪れ、私をそっと見守ってくれる。

「桜子さん、すっかりお店に馴染んだわね。やっぱりあなたを紹介してよかった」

「世子さん、ありがとうございます。今度また一緒にランチにでも行きましょうね」

家族に裏切られ、どん底に落ちた私を救ってくれたのは、見知らぬ老婆だった。彼女との出会いに、私は心から感謝している。

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