「娘が君に会いたいそうだ。見合いをしてみないか?」
取引先の社長にそう持ちかけられたとき、俺は驚きの声を上げることしかできなかった。なぜなら、俺は経営がピンチの小さな書店を継いだばかりの男。そして、その社長の娘であるお嬢様は、俺の顔を見るなり嬉しそうに笑ったのだ。
「ずっと会いたかったの」
混乱する俺の手を、彼女は突然ぎゅっと握った。
「ねえ、お願いがあるの。私のパートナーになってくれない?」
そんな突拍子もない申し出から、俺たちの物語は始まった。
俺の名前は久保田司、28歳。東京の出版社で文芸雑誌の編集者をしていた。
担当する作家の一人に、藤谷時也という男がいた。女性を中心に絶大な人気を誇るベストセラー恋愛小説家だ。読む人の胸を打つ繊細な心理描写と、俳優のようなルックスで、メディアに出ればますますファンを増やす。だが、その素顔は最悪だった。
「げ、またお前かよ。次こそ女の編集をよこせって言ったはずだけど」
俺の顔を見るなり、不快そうに顔を歪める。とにかく女性が大好きで、気に入った担当者は必ず恋人にしようとする。断れば原稿を送らなかったり、連絡を無視したりする。前任の後輩が辛そうだったので、俺が担当を交代してもらったのだ。
「お願いします。本当に入稿期限ギリギリなんです」
「誠意が足りないんだよな。作家の頼みも聞けないのに」
結局、遠くの店に弁当を買いに行かされたり、掃除をさせられたりして、原稿が完成したのは夕方だった。
そんなある日、実家の父が倒れたという知らせが来た。息を引き取ったという知らせだった。
俺が生まれ育ったのは、本州の北にある小さな町。賑わっているのは町の中心部だけで、あとは畑と山ばかり。そんな町でたった一つの書店が、俺の実家・久保田書店だった。
父は最後の最後まで店を守ろうとしていた。病院にも行かず、倒れた時にはもう手の施しようがないほど病魔に蝕まれていたという。
「藤谷先生の担当は次も必ず男性にする。だから心配せず全力でやりなさい」
編集長に背中を押され、俺は会社に退職届を出し、地元に戻ってきた。
しかし、店はガラガラだった。商店街は静まり返り、大型ショッピングセンターができてから客足は遠のいていた。父は、いつか俺が帰ってきた時のために、新刊の張り紙や手作りの看板で、店を立て直そうと試行錯誤していたのだ。
「なら俺もやれるだけやるしかないよな、親父」
俺は父の思いを継ぎ、店を立て直すと決意した。レイアウトを変え、編集者時代の経験を生かしてポップを作り、SNSアカウントも開設した。だが、2ヶ月経っても客は来ない。
何か他にできることはないかと店内を見渡した時、かつて担当したベテラン作家の言葉を思い出した。
「本が多すぎて、どれを読めばいいか分からない」
ならば、本の存在を知ってもらうことから始めよう。俺は隣の八百屋に相談し、商店街の各店舗に、その店の商品に関連する本を置いてもらうことにした。野菜のレシピ本、植物図鑑、手芸の本。お客さんに「本を読む」という選択肢を増やしてもらう作戦だ。
すると1ヶ月ほど経った頃、店を継いでから初めて本が売れた。それを皮切りに、ぽつぽつと客が来るようになった。
ある日の夕方、店に初老の男性が訪れた。父の代からお世話になっている出版取次会社の社長、強木さんだった。
「いい店になった。司君が頑張っていることは、うちに届く注文からも伝わってきてね」
「社長のおかげです」
「実はな、今日ここに来たのは君に頼み事があるからなんだ。うちの娘が君に会いたがっていてね。ここは一つ、見合いをしてみないか?」
その頼み事があまりに予想外で、俺は大きな声を上げてしまった。
それから半月後、社長が用意してくれたレストランの個室で、俺は彼女と対面した。
「久保田君、久しぶり。ずっと会いたかった」
にっこりと笑いながら長い髪を耳にかける。彼女は、社長の一人娘で、俺と同じ高校に通っていた同級生の強木かほさんだった。成績優秀でスポーツ万能、学校一と評判の美少女。雲の上の存在で、言葉を交わしたことは一度もなかった。
「私ね、お願いしたいことがあるの」
「お願い? 藤谷先生に?」
「実は私のパートナーになって欲しくて」
え、パートナーだって? また藤谷の外面に騙された女性か。心臓が早鐘を打つ。だが、彼女の話は違った。
「本屋さんをしているだけじゃなくて、司君自身も本が好きでしょ。大勢の人に本を読む楽しさを知ってほしいの。だから、司君と一緒に何か本を使ったビジネスをしてみたい」
どうやら彼女は、本と町の未来を助けるプロジェクトを提案しているらしい。そして、藤谷の新刊がこの町をモデルにしていると知り、目を輝かせた。
「新刊発売記念に、この町で先生のサイン会なんて開催できない?」
こうして俺は、かほさんと二人でプロジェクトに取り組むことになった。
イベントの準備は順調に進んだ。小説の中で起きる事件を商店街で再現し、謎解きをしながら宝を探すというものだ。藤谷に許可を取りに行くことになり、かほさんもどうしても同行すると言って聞かなかった。
東京のタワーマンションで、藤谷は俺の顔を見るなりめんどくさそうな表情をしたが、かほさんを見るなり態度を180度変えた。
「イベントの許可だっけ? いいよ、いいよ。好きにやっちゃって。あ、それより君、名前は?」
藤谷の視線がじろじろといやらしいものになっていくのを感じて、俺は二人の間に割り込み、強引に話を切り上げた。
帰りの電車で、かほさんは興奮気味に藤谷の話ばかりしていた。
「すっごくいい人だった」
「それはメディアと女性の前だけなんだよ」と言えない俺は、複雑な思いで相槌を打っていた。
「ああいう人がタイプなの?」
その言葉は勝手に俺の口から飛び出した。すると、かほさんは急に顔を赤らめて、もじもじとし始めた。
「かっこいいなって前から思ってたの。今日改めてそう思った」
「そ、そっか」
「でもね、違うの。ずっと先生に憧れていたのは本当だけど、小説家とファン以上になりたいかって聞かれたら、今日はっきり違うと思ったから。あのね、私が好きなのは」
かほさんの瞳が真っすぐに俺を捉える。あまりに綺麗で、俺も目が離せなくなった。
イベント当日、商店街は数年ぶりにたくさんの人で賑わった。数百人もの女性が詰めかけ、どの店舗もかつてないほどの売上を出した。祝賀の輪の中で、かほさんの姿が見えないことに気づいた。嫌な予感がして、店の裏へ向かうと、そこには藤谷とかほさんの姿があった。
「サインしてあげるってば。欲しいでしょ。僕のサイン」
困ったような顔でこちらに来ようとするかほさんを、藤谷が腕を掴んで引き止めている。
「行こう、かほさん」
俺は二人の前に飛び出した。すると、藤谷が俺の肩を掴み、地面に投げ飛ばした。
「せっかくいいとこだったのによ。邪魔すんなよな。知ってるぞ、自分が持てないからって」
「藤谷先生、酔ってるんですか?」
「酔ってねえよ。これからいいとこなのに」
「かほさんに近づくな」
ようやく立ち上がり、俺は二人の間に割り込む。
「なんだその口の聞き方は? 一体誰のおかげでイベントが成功したんだ」
「令は後日しっかりお支払いさせていただきます。タクシーを呼びますから」
「ふざけんな。この僕が、こんなクソ田舎にわざわざ足を運ぶとでも思ったか? あの女だよ。恩を売ればかほにもできると思ったから、協力してやったんだろうが」
藤谷は俺を指差してわめき散らした。その時、藤谷の頭にバシャバシャと液体が降り注いだ。
「なんだこれ、冷てえ!」
顔を拭う藤谷の前に、冷え切った表情で空のビール缶を掲げるかほさんが立っていた。
「最低なのはあなたです、藤谷さん」
「知っていますよ。司君が小説家志望だったことくらい。放課後いつも図書館でノートに向かって、難しい顔をしていたから。全部見てた。彼が努力しているのを知っているので、無駄ですよ。彼が小説家の道を諦めたのを、恥ずかしいことだと私に思わせようとしても」
「司君は書くのをやめたんじゃなくて、書く人を応援する道を選んだだけ。その証拠に、藤谷さんたちがいい小説を書けるようにずっと支えていたはずです。そして今度は、この商店街で働く人たちを応援しようと。そんな人なの。司君は努力家で優しくて、あなたなんかより何百倍も素敵です」
「それから、藤谷さんのことは好きじゃありません。むしろ嫌い。大嫌いです」
そう言い放つと、かほさんは大通りを駆け出した。
「かほさん、待って!」
追いかけると、かほさんはピタッと足を止めた。
「もう1本ビールを持っていたらよかった。あれだけじゃ全然許せない。私の好きな人に向かって、あんなひどいことを言うなんて」
「聞こえた? さっきの」
「さっきのって?」
「だから、私が司君を好きだってところ」
振り返ったかほさんの顔は真っ赤だった。目に涙を溜めて、こちらをきっと睨んでいる。
「知らないでしょ。私がずっと司君を好きだったってこと。放課後の教室で読書している姿に一目惚れして、本当はずっと話しかけたかったことも、全然読まなかった本を司君の真似をして読むようになったことも」
「かほさん」
「ずっと呼びたかったんだ。本当は好きだったから。高校の時ずっと。それからもう一度好きになった。商店街のみんなとすぐに打ち解けた明るさも、どんどん新しいアイデアが出てくる頭のいいところも、怒った時はっきりと言える強さも、それに表情がくるくる変わるところも、どんどん好きになって、少しも目が離せなかった」
言いかけた言葉は、かほさんが俺の胸に飛び込んできたことで遮られた。
「もうこんなことなら、もっと早く言えばよかった」
「ごめん、かほさん。俺もだよ」
俺も腕を回して、その体をそっと抱きしめた。
その後、藤谷はイベントで知り合ったファンと8股していたことがSNSで暴露され、大炎上。どこの出版社からも相手にされなくなり、小説家生命は終了した。
一方、俺たちの商店街は一躍有名スポットになった。町全体に活気が戻り、かほさんは久保田書店で働いてくれるようになった。彼女が笑顔でおすすめすれば、面白いように本が売れる。
そして、1年間の交際を経て、俺たちはもうすぐ結婚する。
父を亡くして書店を継いだ時、まさか自分にこんな未来が待っているとは想像もしていなかった。まさに事実は小説より奇なりだ。


