「ちょっとこ太、どうなってるの?」
「俺の母親とはいえ、他人と一緒に暮らすなんてできるわけがないだろう」
嫁のはるかに玄関から入れてもらえず、立ち尽くす私の前で、息子のこ太がそう言い放った。その瞬間、すべてを悟った。こ太とはるかは、私に疑似住宅を購入させておいて、最初から私との同居など考えてもいなかったのだ。
その時、外に引っ越しトラックが止まり、続いてはるかの両親が車から降りてきた。「いつまでも私たちを困らせないで、大人しく帰ったらどう?」はるかの母が私を汚い物でも見るように睨む。「ほら、さっさと帰ってくれ」こ太は私に反論させまいと背中を押し、玄関の外に追い出した。
私は息子の育て方を間違えたのかもしれない。私のせいだ。これまでの自分の行いを反省し、息子への最後の教育をすることにした。
私は田中ち恵み、72歳。20年前、最愛の夫を事故で失い、会社員をしながら夜は居酒屋でアルバイトをして息子を育ててきた。当時のこ太はまだ11歳で、夫の遺産はあったが、息子の将来を考えると働けるだけ働いてお金を貯めておかなければと思ったのだ。
休みなどなく働き詰めの日々だったが、こ太に何不自由ない生活をさせてあげたくて必死に頑張ってきた。小さい頃のこ太は誰にでも優しくて明るい子だったが、いつも一人で留守番をさせていたせいか、思春期を迎える頃には非行を繰り返し、学校に呼び出されることもしょっちゅうだった。何度も頭を下げて回ったが、こ太は非行をやめようとはしなかった。今思えば、父のいない寂しさを埋めようとしていたのかもしれない。
当時の私は、こ太に寂しい思いをさせている罪悪感でいっぱいで、欲しがるゲームは惜しみなく買い与え、小遣いも言われるままに与えていた。それが良くなかったのだろうが、こ太は次第に悪い仲間と付き合うようになり、要求はエスカレートしていくばかりだった。
それでも、社会人になれば親の苦労を理解してくれるだろうと思っていた。
こ太が高校1年生の頃、私の両親が相次いで他界し、心の寄り所は息子の存在だけになっていた。そんな私を見透かすように、こ太は普段は口も利かないのに、金銭的な要求だけはしてくるようになった。大学生になってもアルバイトを始めたものの、私への要求は止むことがなかった。彼女へのプレゼントを購入したいとか、旅行に行く費用まで要求してくるる彼のアルバイト代は全て自分の娯楽に使い、感謝の言葉もない、次第に疑問を持つようになっていったが、社会人として自立するまでの辛抱だと自分に言い聞かせていた。
大学を卒業した後、こ太は一般企業に就職し、一人暮らしを始めた。これで少しはお金のありがたみが分かるだろう。そう期待していた。しかし数ヶ月後、こ太が家に帰ってきて言った。「生活費が足らないんだ」
珍しく素直な態度で助けを求めてきたこ太に、「それが分かったならもう大丈夫ね」と私は生活費を助けてやることにした。しかし一年、二年と時が過ぎても要求は止まらず、生活費と言いながら娯楽に費やしているのではないかと疑念が湧いてきたそれでも「生活費」と言われると出さないわけにはいかず、私は疑念を抱きながらお金を出し続けた。
就職して三年が過ぎた頃、こ太が結婚することになったと女性を連れてやってきた。「はるかだ。仲良くしてやってくれ」「初めまして。どうぞよろしくお願いします」はるかとは学生時代に同じサークルで活動していたらしく、久しぶりの再会で意気投合し、そのままの勢いで結婚を決めたという。「そんなに急いで結婚して、後悔することにならないの?」「はるかの性格はよく分かってるし問題ない。大丈夫ですよ。孝太とは学生の時から気があったし、ずっと支えていきます」
何はともあれ、こ太が自分の家庭を築くことを私は喜んでいた。家庭を持てば責任感も湧き、金銭的にも自立してくれると期待した。私はこ太とはるかの結婚式や新婚旅行の費用を全額出すことにした。はるかはアパレル店員としてパートをしながらこ太を支え、夫婦二人で働けば生活に困ることもないそれでも結婚してからも、こ太は度々私に金銭的な要求を繰り返した。最初は「生活費が足らない」と言っていたのが、次第に二人の旅行費用や、はるかの高級ブランドバッグの購入資金などを要求してくるようになった。給料日の直後やボーナス前など、タイミングよく尋ねてきては数十万、数百万と要求してくる。
私はある日、こ太の要求を断った「急になんだよ。一人息子が困ってるんだから、助けてくれたっていいだろう」「あなたたちの遊ぶお金まで私が出す必要はないでしょう欲しいものがあるなら自分たちのお金で買いなさい」こ太はヘラヘラと笑いながら「別に母さんに買ってくれって言ってるわけじゃないよただちょっと貸しといて欲しいだけだ」、「後でちゃんと返すよ」と言う「ちゃんと返しなさいよ」「分かったって」
それからというもの、私はこ太が要求してくるお金を全て記録するようになったこ太は何かにつけて借金を申し込んでくるが、返済を求めても「ボーナスが出たら返す」「昇進したら返す」と言いながら、気づけば十年が経っていた。
65歳になった私は、長年勤めていた会社を定年退職した。大学を卒業して以来43年勤め上げ、どこか誇らしい気持ちでいっぱいになる。こ太のことは気がかりだが、老後は趣味や友人たちとの時間を楽しみながらのんびり過ごそうと思っていたしかしいざ仕事をやめると、何もやることがなく虚しさが溢れたそこで近所のスーパーでパートを始めると、生活はまた充実したものとなっていった二年が過ぎた頃、こ太が家にやってきた「ちょっと相談があるんだ」またお金の無心に来たのだろうか。居ぶかしげに聞いていると、「母さんもこれから一人で暮らすのがしんどくなっていくだろうから、疑似住宅を立てて一緒に暮らさないか」と言うのだった
私は驚いた「疑似住宅って、私と同居するってこと?」「そうだよ疑似住宅ならお互いに生活しながら、いざって時は助け合えるだろう母さんに何かあった時もすぐに対処できる」「この年になって初めて母さんのありがたみが分かったんだ孤独死のニュースを見るたびに、母さんにそんな思いをさせたくないって思ったんだだから、俺たちと一緒に暮らそう」こ太がようやく私の苦労を理解したようで、嬉しかった苦労して育てた分、その喜びはなおさらだ「気持ちは嬉しいけど、はるかさんも同意しているの?」「大丈夫だよはるか、同居しようって言ってくれたんだ」
「それでその疑似住宅はどうするの?」「それなんだけど、母さんが購入してくれないかな?」「え?私が買うの?」こ太は私と同居する家を私自身に買えというのだ「悪いけどそれは聞けないわ」「なんでだよ退職金だって受け取っているんだろう購入資金を出したって、母さんの生活は何も困らないだろう」「退職金はこれからの生活に当てるつもりなのあなたたちと同居するとはいえ、家の購入に当てちゃったら生活ができなくなるわ」「老後のことなら何も心配しなくて大丈夫だよ俺たちが面倒を見る」「面倒を見るって、こ太に貸したお金もまだ返してもらってないわ」「だからだよそれを返すつもりで、母さんの生活は全部面倒を見るから家を買ってくれよ」
「気持ちは嬉しいけど、今からローンを支払っていくのもしんどいわ購入するのは無理よ」「大丈夫だって俺たちだって協力はする」「協力って、ローンはあなたたちが払ってくれるっていうの?」「全部母さんの負担にさせるつもりはないよ」「それが本当なら検討の余地はあるわけど、これまでのことを考えるとすぐには返事できないわよ」その場は一旦こ太を帰らせ、私はゆっくり考えることにした。
それから数日間、こ太は説得のため何度も電話をかけ、家を訪ねてきた私のことを心配だと言ってくれるのは嬉しいが、こ太が私の退職金を当てにしていることは百も承知だったそれでも、心のどこかでこ太が本当に改心したと思いたかったのだろう、そしてついに私はこ太の要求を受け入れてしまった
「家を買うのはいいけど、今後の生活費はあなたたちが出してね」「分かってるよ毎月のローンも半分は払うだから何も心配しなくて大丈夫だから」
こ太の言葉を信じ、私は疑似住宅の購入を決意した。翌日不動産会社で相談すると、総額で7000万ほどかかるという両親の遺産や退職金を当てれば全額現金での購入も可能だったが、今後の生活を考えると多少の資金は手元に残しておきたいし、72歳の私がローンを組むのは現実的には厳しかった相談を重ねた末、私は頭金として5000万を現金で支払い、2000万をローンで契約することにした不動産会社からはこ太と共同名義での契約も可能だと言われたが、それは拒否し、私の単独名義で登記してもらったローン支払いも協力すると言ってはいたが、これまでのことを考えれば100%信じることはできないし、最悪の場合は売却できるようにしておく方がいいと判断したためだ
半年後、家が完成し、引っ越しの日がやってきた私はそれまでのマンションを解約し、新居へと向かった到着すると、すでにこ太とはるかが来ているようだインターホンを鳴らすと、はるかが玄関を開けてくれただが、どういうわけか、はるかは私を玄関から入れようとしない「そこから動かないでお母様は立ち入り禁止」「どうして入れてくれないの?」「当然です他人は入らないで」「他人って、この家は私と同居するために買ったんでしょ?」はるかは仁立ちになって私が玄関から上がることを阻止している
そこにこ太がやってきた「ちょっと、どうなってるの?どうしてはるかさんは私を入れてくれないの?」「当然だろ夫の母親とはいえ、他人と一緒に暮らすことなんかできるわけがない」こ太の言葉に私は全てを悟ったこ太とはるかは、最初から私との同居など考えてもいなかったのだそれでも自分たちの家が欲しくて、いいように私を利用しただけなのである「そういうこと最初から私を騙していたのね」「騙したつもりなんてないさ母親として息子夫婦に家をプレゼントしたって、バチは当たらないだろう散々俺を放置しておいて、今更構ってもらえるとでも思っていたのか」
こ太の本音を聞き、怒りが込み上げてきた「ローンの半分を支払うっていうのも嘘だったの?」「親にプレゼントしてもらった家のローンを、なんで俺が支払わなくちゃいけないんだ」ヘラヘラと笑いながら私を見下すこ太に、底知れぬ冷酷さを感じる「いい加減にしてこの家は私が買ったのよ私を排除するって言うなら、この家は渡せないわ」「もう俺たちの家だババアはどこかで一人寂しく暮らせばいいだろう」その時、外に引っ越しトラックが止まり、続いてはるかの両親が車から降りてきた「これはどういうこと?」私はこ太を睨みつけた「ここにははるかの両親と一緒に住むんだ分かったらさっさと帰ってくれ」「そういうことよいつまでも息子夫婦を困らせてないで、大人しく帰ったらどう?」はるかの母は私を嘲笑するように見つめる「息子の稼ぎで贅沢をしてきたというのに、まだ図々しいっていうの本当、情けないったらありゃしないわね」
「なんでですって?」「ほら、さっさと帰ってくれ」こ太は私に反論させまいと、背中を押して玄関の外に追い出したおそらくこ太とはるかは、義両親に私が息子の稼ぎに頼って暮らしているとでも説明していたのだろう直後、はるかの親族や友人たちがやってきて、みんなで新築祝いパーティーを始めた私は湧き立つ怒りが抑えきれず、玄関先で震えていた散々私を財布代わりに使っておきながら、こ太とはるかは事実をねじまげて私を笑い物にしているのだ
私は息子の育て方を間違えたのかもしれない父親を早くに亡くし、一人で留守番ばかりさせていたことが申し訳なかったしかしだからと言って、甘やかしすぎたのかもしれないこ太はいつの間にか、人への感謝も忘れ、平気で嘘をつく人間になってしまっていた私のせいだ私はこれまでの自分の行いを反省し、息子への最後の教育をすることにした。今後はこ太が何を言ってきても一切援助しない心に誓い、それと同時に現実の厳しさを教えてあげることにした
その日は一晩友人の家に止めてもらい、翌日その友人に紹介してもらった高齢者向けのシェアハウスへ引っ越したそして弁護士の元を訪れ、こ太に対して法的措置を取ることにした弁護士事務所を出た私は、まっすぐ不動産会社へ行き、引き渡されたばかりの家を売却する旨を伝えた担当者はひどく驚いていたが、人気の住宅地に建てられた疑似住宅は需要も大きく、すぐに手続きを進めてくれたを通じて、家の売却に伴う退去通告をこ太たちに通知してもらった立てたばかりの家は購入金額には届かないものの、高値で買い取ってもらえることになり、三週間ほどで買い手が見つかった家の所有者が変更され、こ太たちには再三に渡る退去通告がされたしかしこ太とはるかは、それを私による悪質な嫌がらせと捉えたようだ何度通知を出されても一向に応じるそぶりを見せず、一ヶ月後新しい所有者は裁判所に申し出て、物件の明け渡し請求を提起した
ようやく私の嫌がらせではないと理解したこ太たちは、義両親を引き連れて私が住むシェアハウスに乗り込んできた「家を売却したってどういうことだ?人の家を勝手に売るなんて、どうかしてるわ」こ太とはるかは自分たちのことは棚に上げて私のことを攻め立てたその背後では、はるかの両親も私を睨みつけている「自分たちの家ですって?あの家は同居する目的で私が購入した家よ私が住まない家を売却して、何の問題があるっていうの」「だからって、俺たちに何の断りもなく売り払うなんて、それでも親かよ」「これを言うなら、親を騙して家を買わせておいて、他人だって追い出すなんて、それでも息子なの?」
こ太とはるかは激怒しているが、私との会話を聞いて、はるかの両親は困惑した様子を見せていた「一体どういうことなの?あの家はこ太さんが買ったものじゃないの?」「いいえあの家は私が全額負担して買ったものですこれまでだって、いくらお金を渡してきたか」真実を知ったはるかの両親は驚きを隠せないようだ「それじゃ、これまでこ太さんの稼ぎで贅沢に暮らしてきたっていうのも…」「ええ、全部二人の嘘です」私ははるかの両親に、これまでこ太たちに渡してきた金銭のことや家を購入した経緯を話して聞かせた「一体どういうことだ?お前たちから聞いていた話と全く違うじゃないか」「あなたたちの話を信じて、もう親戚たちにも自慢しちゃったじゃない」はるかの両親はこ太たちを激しく問い詰め、自分たちが騙されていたことを後悔しているようだ「そういうことですので、私に怒鳴り込まれてもどうすることもできませんから」はるかの両親は呆れながら帰って行った
「あなたたちがいくら叫んでも、現実は変わらないわよ」「分かったよ家は諦めるただ、俺が母さんと一緒に暮らしたいっていう気持ちは本当なんだ」こ太ははるかの両親に見栄を張りたくてあんな行動を取ったと言うしかし、それが口先だけの言い訳でしかないことは分かっていたこ太は昔からそうだ都合が悪くなると全部人のせいにして、自分は何も悪くないと言いはる「お母さんの介護は私に任せてください私たちと一緒に暮らしましょう」はるかまで土下座しながら私との同居を懇願してきた「申し訳ないけど、私は介護を受けるほど老いていないわ」「母さん頼むよ俺たちと一緒に暮らしてくれ」「いいえ、私に息子はいないあなたたちとは今後一切関わらない親子の縁は切らしてもらうわ」この後に及んでも、見え見えの嘘で私を騙そうとする息子夫婦に腹が立ち、私は絶縁を宣言してこ太とはるかを追い出した
その後、家の明け渡し裁判が行われる中で、こ太は私にお金を貸していると言い、家はその返済と慰謝料として受け取ったと主張したのだそれを証明するものとして、私の名前を書き込んだ借用書まで偽造したらしい数日後、こ太は私に脅しをかけてきた「手は他にもある裁判所から強制執行命令を出されたくなかったら、家の売却を取りやめろ」しかし偽の借用書を裁判所が認めるとは思えない「事実、私がこ太からお金を借りた事実などどこにもない借用書を偽造して私を落とし入れようとしたら、あなたが逮捕されることになるわよそれでもよければどうぞご自由にそれが偽物だってことはすぐに証明されるわよ」こ太は悔しそうに顔を歪ませ、その日は帰っていった
それから数日後、不動産会社から電話がかかってきた聞けば、不動産会社当てに私が重度の認知症を患い、正常な判断能力を失っているとして、不動産売買の無効を通知してきたという差出人ははるかだったはるかは裁判所や新所有者にも同じ文面を送り付けたらしいしかし私が認知症でないことはすぐに証明できる私は医師の診断書を取り付け、はるかが文書を送った全ての関係先に連絡した数日後、裁判所から家の売却について事実確認がしたいと呼び出しがあった私はそれに応じ、裁判所で全てを告白したこ太がこれまで私に要求してきた金銭の記録や、返済の事実がないことこ太から脅された事実を証拠と共に証言した
そして半年後、裁判所は新所有者の申し立てを聞き入れ、こ太たちに正式に明け渡しを命じたその判決を受け、私はこ太に対し、過去の貸し付け金の返済を求める訴訟を起こしたこ太は借りた覚えはないと反論したが、私が残していたこ太に渡した金額の記録や、日記に書き留めていたこ太との会話が証拠となり、裁判所はこ太に対して返済と損害賠償の支払いを命じたのであるその後私は家庭裁判所に申し立てて、こ太を法的相続人から排除する手続きを取ったこ太が偽造した借用書で私を落とし入れようとした事実や、悪質な名誉毀損・脅迫が認められ、親子関係の継続が困難と判断され、こ太は全ての相続権を永久に喪失した
しばらくして、こ太の家には裁判所の執行官と新所有者が訪れていたどうやら強制執行の通告に来たようだ執行官はこ太たちに対し一ヶ月後の退去を通知し、従わなければ強制執行を実施すると伝えた同じ頃、金銭返済請求での判決に基づき、こ太の資産が差し押さえられることとなった十年の間に私がこ太に貸し付けたお金は1500万を超えている余剰金はもちろん、購入したばかりの家具や家電製品の他、時計や高級バッグなど私から受け取った金銭で購入したと思われるものは全て差し押さえられることになった一ヶ月後、こ太の家には再び執行官と新所有者が現れ、強制執行が実行されたこ太とはるかは激しく抵抗したようだが、同行していた警察官に取り押さえられ、あえなく家から追い出された家に残された家具道具たちはすでに差し押さえられており、こ太たちが持ち出すこともできず、息子夫婦はわずかな荷物だけで外に放り出されたはるかの両親はこ太とはるかに呆れ果て、二人を見限り、すでに家を後にしていたのだとか家から追い出された二人は行く当てもなく親戚を頼ったそうだが、すでに事情を知らされていた親戚たちは二人を追い返し、誰も助けてくれなかった貯金は差し押さえられているため、はるかの貯金を使いしばらくはネットカフェで寝泊まりしていたようだが、二人は喧嘩が絶えなくなり、離婚した
その後、こ太は再び私の元を訪れてきた「母さん、俺が悪かったよこの通りだから、一緒に暮らしてくれ」「私に息子はいないって言ったはずよすでに相続人からも除外してある他人のあなたと暮らす理由なんてないわ」「そんなじゃ、この先俺はどうしたらいいんだよ」こ太は肩を落として出ていったその後どうしているのか詳細は知らないが、風の噂によれば町を出ていったらしい
私はこ太の資産と家を売却したお金を使い、最新のバリアフリーのマンションを購入した介護サービスもついているマンションで、今後私に何があっても安心して暮らせる場所だ週三日のパートを続けながら、同年代の入居者たちと時々お茶会を開き、今は快適な老後生活を送っている数日前、同じマンションに暮らす友人が社交ダンスに誘ってくれた正直なところダンスには自信がなかったのだが、いざ始めてみると楽しくて仕方ないすでに始めているお茶や生け花の趣味に合わせ、社交ダンスにも通うようになった私は毎日忙しく過ごしているようやく息子から解放され、自由になった私は、残りの余生を思いきり楽しもうと決めている新たにできた友人たちとの時間を楽しみながら、私の第二の人生は輝かしいものとなっている



