「マジ使えねえ。貧乏なお前には何の価値もねえわ。」…

「マジ使えねえ。貧乏なお前には何の価値もねえわ。」...

「あいつには本当にがっかりだよ。社長の息子だから仲良くしてたってのに。」

酒に酔った親友の言葉に、俺は耳を疑った。しかし、それは紛れもない真実だった。

「マジ使えねえ。貧乏なお前には何の価値もねえわ。」

ショックで思考が停止する。そんな俺に追い打ちをかけるように、親友はグラスに入った酒を浴びせた。

立ち尽くす俺をせら笑う親友。俺はこの世のどん底に突き落とされたような気分になった。

だが、そこへ駆けつけてきた同僚の言葉によって、事態は一変した。

俺の名前は石川学ぶ。俺は父が嫌いだ。

父は有名な大企業で社長をしている。その周りにはいろんな大人がうようよしている。媚びを売る人、気に入られようと必死な人、敵対心を燃やしている人。

そんな大人たちを幼い頃から間近で見続けていたからか、昔から人の裏の姿を推測する癖がついてしまった。

そんな苦労を周りが理解することはなく、学校に行けば金持ちの息子というレッテルで標的にされることが多かった。

「お前んち金持ちだから何でも買ってもらえるんだろ。いいよな。」

「漫画買ってもらって俺らに見せろ。それぐらいしろよ。金持ち。」

父は仕事で忙しいことを言い訳にして、家庭や子供に興味を向けていなかった。だから好きなものを何でも買ってもらえるなんてことはない。でも父が大企業の社長であるという看板のせいで、俺が何を言ってもイメージが覆えることはなかった。

数年前のクリスマス、父が珍しく話しかけてきたことがあった。

「学ぶ。いつも放っておいてしまって申し訳ない。クリスマスプレゼント、何がいいかな?」

ちょうどクラスメイトからゲーム機を買ってもらうよう指示されたタイミングだったのもあって、俺は素直に言葉を受け取ることができなかった。

「プレゼント?プレゼントすればどうにかなると思ってんの?俺は絶対父さんみたいにはならないからな。」

そう言って家を飛び出してしまった。一瞬父が寂しそうな顔をしたようにも見えたが、気のせいだと自分に聞かせた。

俺は自ら父の話をしないようにして、仕事のことも家のことも全く話さないように心がけるようになっていった。いつからか俺は父を避けるようになり、あんな大人にはなりたくないと反抗心を燃やしていた。

しかし年齢を重ねてきた俺は、父と同じ業界に興味を持ち始めてしまった。特別意識して見ていたわけではなかったのだが、業界研究をしているうちに、いつの間にか引き寄せられていた。

業界のことを知ると、父がこの業界で一代で大企業に成長させたことがいかに大変で偉大なことであるかが分かった。

俺もこの業界で成功したい。知れば知るほどその気持ちが強くなっていったが、同時により父の背中が超えられない大きな壁であることを突きつけられたような気持ちになった。

父の経営する会社で働くことは幼い頃からの反抗心が許さなかったが、この業界で働くならば最先端を行く父の会社が一番魅力的だった。

そこで俺は父の会社の子会社にこっそり就職することにした。

こっそりと就職したのは、父に知られたら自分の親会社に入るよう言われると思ったからだ。就職した会社は小人数の社員で業務は多岐に渡っていたし、大企業と比べると給料も低かった。

地道に働きながら7年目を迎えても、その給料は大して上がらず、学生時代から住み続けているアパートで今も暮らしている。日々節約しているから引っ越そうと思えば引っ越せるのだが、仕事から帰ってきて寝るだけの生活に今以上の贅沢はいらないとずっと住み続けていた。

通勤は自転車。外食はほとんどせず、昼用のお弁当と晩御飯は週末に作り置きをしておく日々だ。仕事帰りは曜日ごとに異なる特売品を仕入れるべく、複数箇所のスーパーを使い分ける。絵に書いたような貧乏生活なのかもしれないが、働きたいと思った業界で働けていて、任されている仕事も責任あるものばかりだ。大変ではあったがやりがいはとてもあった。

そんな仕事と節約の日々を送る俺だったが、その日は珍しく居酒屋の暖簾をくぐった。

「お疲れ。」

「ああ、お疲れ。ショ太は元気そうだな。」

先に来ていたショ太がビールジョッキ片手に笑う。ショ太は大学時代からの友人だ。ショ太は俺の父の会社に入社し、今は人事部のエリートとして働いている。

同級生のショ太が自分よりも出世して高い給料をもらっていることに少しの悔しさはあったものの、自分のした選択に後悔がなかったからか、今でも学生の頃と変わらずに話せている。

俺が社長の息子であることをショ太は知らない。知らないからこそ会うことで本社の様子も自然と聞くことができていた。

「学ぶ、お前も仕事できる人間なんだからさ。いつまでも子会社にこだわるんじゃなくて本社に来いよ。」

「またそんなこと言って。俺は今のままでいいんだよ。それより本社はどんな感じ?」

ショ太は酔っ払うといつも俺にこう言ってくるのだが、俺は本社で勤務することはないと心に誓っていたから首を縦に振ることはなかった。

「もうめっちゃ忙しい。上司もめっちゃ厳しいし。でもとにかく給料がいいんだ。今我慢すれば小級だぞ。小級。」

このところショ太は口を開けばお金の話ばかりする。そんな彼に苦笑しつつ、友人との時間を楽しんだ。

その翌日、俺はいつも通りの一日を迎えた。朝出勤し、外回りに出かける。社員が少ないから割り当てられている顧客数はかなり多く、顧客ごとに対応を考えているから毎日必死だ。それでもやりがいが勝っている。俺はやりがい重視で働きたいと思っているからとても満足していた。

「お疲れ様です。ただいま戻りました。」

事務所のドアを開くと、様子が少し違っていた。同僚が話し合っていて、その中にいたジュンが俺に気がつき駆け寄ってくる。

「マナブーやばい。顧客から要望を受けたんだけど、ついにかも。」

ジュンが険しい顔して言う。ジュンは1年前に本社からこの子会社に移動してきた社員だった。問題行動により左遷されたという噂を聞いたが、ここでの様子を見る限り特に問題はない。むしろ仕事は負けていられないくらい熱心だし、考え方も似ていた。外食ではなく互いのボロアパートで缶中杯を持ち寄って乾杯する時は素の自分のまま楽しめている気がする。

そんな彼から「ついにかも」と言われ、ここのところ飲みながらずっと話題にしていた課題が思い浮かぶ。顧客の要望に対するレスポンスの遅さ。

その原因は明確で、子会社だけで決められることが少なすぎるのだ。うちの会社の今のシステムでは、顧客からの要望のほとんどを本社に提出して決済を受けなければならない。仕組みとして悪くはないが、顧客に提案するまでにどうしても時間がかかってしまうという難点があった。

これとジュンは以前から問題視はしていたものの、日々の業務に忙殺されて本格的に取り組んでこなかった。

「本社に掛け合ってみるしかないよな。でもなあ…」

「この状況変えられるのは俺たちだけだ。俺も手伝うしやってみないか。」

「うーん。もう先延ばしにはできないか。」

戦友でもあるジュンの後押しが心強く感じられ、俺たちは本社に改善してもらうよう要望書を提出することになった。

それから俺たちは協力して、通常業務の合間に過去データをまとめたり、他の視点での聞き込みをして資料を作成したりした。連日の徹夜で寝不足になり、体はフラフラになったが、1月ほどで要望書は完成した。そして最後は本社での会議に参加する店長に託す。

「店長、子会社の社員が1からまとめ上げたこの要望書、本社に届けてください。よろしくお願いします。」

店長としては荒波を立てたくないのが本音だろうと思ったが、2人が頑張っていたのはよく知っている。

「しっかりと渡してくるから安心してくれ。」

店長はしっかりと握りしめてくれた。

結果が出たのはそれから数日後のことだった。本社からの一斉通達が行われ、そこには俺とジュンが要望した内容の大半が叶えられた新しいシステムが記されていた。

俺とジュンは達成感に包まれ、その日の勤務後は俺の部屋で祝杯を上げていた。

「マナブー、本当にお前はすげえよ。よくやってくれた。」

「それはジュンも一緒だよ。ジュンが手伝うって言ってくれなかったら俺は動けなかった。ジュンのおかげだ。」

ジュンは大半の作業を手伝ってくれていたのに俺を褒めるばかりで、自分の手柄とは決して言わない。だが実際のところ、ジュンがいなければ本当に成し遂げられなかった。こんな男が左遷されるなんて本当に不思議だったが、俺としては素晴らしい同僚と出会えてラッキーだったと思う。

俺はこれまでにない達成感に、思わず涙が溢れそうになっていた。その時、突然ピンポンとインターホンが鳴った。

こんな時間に来客かと思っていると、まで飲んでいたジュンが慌て出した。

「リム人学ぶ。アパートの前にリム人待ってるぞ。」

ジュンの言葉に首を傾げ、ドアを開ける。そこに立っていたのは俺の父親だった。

「夜分遅くに申し訳ない。どうしても学ぶと話がしたくて押しかけてしまった。」

俺が固まっている横で、ジュンが慌てた様子のまま手早く帰り支度を済ませる。

「すみません。僕、今日のところは失礼します。」

父にペコペコとお辞儀をしてジュンは帰って行った。後には俺と父だけが残される。ボロアパートで息子と数年ぶりに再会した父という構図はとても気まずかった。

「お前が提出した要望書は読ませてもらった。視点まで目が行き届いていなかったようだ。よくやってくれた。」

父が重苦しい空気の中口を開く。

「マナブが子会社に入社したのは知っていたんだが、なんせ嫌われていると思ってな。会いに行く勇気がなかったんだ。今回のを出してくれていいきっかけになると思った。」

「そんな父さんに認めて欲しくて要望書を書いたわけじゃないし。」

「分かっている。私にとってのただの口実だ。口実がなきゃ息子に会いに行けない臆病な父なんだよ。」

これまでの父のイメージとは似つかない父がそこにいた。記憶にある姿との違いに戸惑う。

「それで何の用なんだよ。」

「学ぶ。今日はお願いがあってきた。学ぶの仕事ぶりはよく知っている。だから将来は私の後をついで欲しいと思っている。どうか本社に来て副社長を担ってくれないだろうか。」

本社。副社長。後継。想像もしていなかった言葉が続々と登場してとても困惑する。だが同時に、この業界の最前線を走る父に認めてもらえて嬉しい気持ちにもなった。

「そんな大きい話、即決できない。しばらく考えさせてほしい。」

「わかった。」

そう言うと父は帰って行った。

翌日出社するとジュンがいた。

「ジュン、昨日は本当に済まなかった。」

手を合わせて謝罪すると、ジュンはいつもと変わらぬ様子で振り返り笑った。

「気にすんな。親父さんとの再会は久しぶりだったんだろう。昨日は父として会いに来たのか?それとも社長として?」

「え?」

俺は固まってジュンを見つめる。

「え、今『社長として』って言った?」

「言ったよ。学ぶの親父さん、本社の社長だろう。」

俺は誰にもこのことを話していないのに、ジュンが知っていたことに驚いた。

「なんで知ってるの?」

絞り出すように言う。すると突然ジュンが吹き出した。それに驚いていると、周りからも笑い声が聞こえてきた。他の同僚たちも俺を見てクスクス笑っている。

「知ってるも何も、苗字同じだし顔もそっくりだし仕事はできるし、気づくっしょ。」

「うんうん。」

と同意する同僚たち。隠しているつもりだったのは、どうやら自分だけだったようだ。

「そうだったのか。」

俺はへなへなとジュンの隣の席に腰を落とす。なんだか気が抜けた。それと同時に、これまで父のことに一切触れずに接してくれた同僚の優しさに嬉しくなる。

「それで昨日は何だって?」

そう思うと気持ちも軽くなり、笑いながら昨日父から言われたことに関してみんなに相談することになった。

「すごいじゃん。学ぶ。本社に行くべきだよ。」

「この業界を新しくよりよくしていってくれ。」

同僚たちも頑張れと背中を押してくれる。

「そうか。分かったよ。」

不安はある。だが、みんなの期待に答えるため、俺は副社長になろうと決意した。

それからすぐ本社に出向いて父に副社長になることを伝える。すると父はとても穏やかな笑顔を見せてくれた。

これから頑張っていくぞ。気合を入れつつ、本社の廊下を早足で急ぐ。向かう先は人事部。父からの発表がある前に、自分の口からショ太に伝えたかった。

報告したら喜んでくれるかな?そんなことを考えながら人事部を訪ねたが、ショ太は不在だった。

「帰りは遅いのかな?」

やや肩透かしを食らったような気分になりながら尋ねると、対応してくれた若い社員は首を横に振った。なんとまだ就業時間前だというのに、飲みに行くからと帰ったのだという。

「本当に友達だったんだ。」

「え、何?」

「あ、いいえ。何でもありません。」

つぶやき声が気になったが、今はショ太の方が問題だ。ショ太が飲みに行く場所は大体決まっている。社員にお礼を言い、俺は行きつけのバーに向かった。

バーに着くまでの間、ショ太が就業時間前に退社していたことを消化しようとしていたが、どう頑張っても消化できない。仕事を頑張っていると思っていただけに、そんな常識外れなことをするなんて信じたくないのかもしれなかった。

バーに到着し、重たい扉を開ける。入り口近くのカウンター席に同僚と並んで座るショ太の姿があった。すでに酔っ払って、薄暗い店内でも分かるくらい顔が赤くて目がうつろだった。

「あいつには本当にがっかりだよ。社長の息子だから仲良くしてたってのに。」

来店早々に聞こえてきたショ太の愚痴に体が固まる。俺の理解が追いつくよりも先に、ショ太は続けた。

「親友ポジションゲットしてたら出世とかできそうじゃん。なのに全然そんな気がねえんだもん。ガチャミスったわ。」

思わぬタイミングで知らされた親友の本音。信じたくなくて俺は必死に言い訳を考えた。きっと俺が考えているようなことではなく、別の意味があるのだと。だけど、いくら考えても、利用しようと親友のふりをしていただけという答えは変わらなかった。

ショックのあまり体が動かない。そんな姿にショ太が気づいたのは、ずっと立ち尽くしてしまっている俺に店員さんが声をかけたからだった。

俺を見て一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにニヤニヤと笑う。

「お噂をすれば子会社勤務のマナブ君じゃないの?」

「さっきの話、どういうことだよ。」

「そのまんまの意味だって。仲良くしとけばいいことあるかなって思ってたのによ。本社勤務せずに子会社にこだわって、マジ使えねえ。貧乏なお前には何の価値もねえわ。」

面と向かってまでこのように言われるとは思っておらず、俺はどうしたらいいのか思考が停止してしまう。

「おや、黙っちゃって。ま、貧乏人だからそうなるわな。」

言いながらショ太が酒の入ったグラスを片手に立ち上がる。何か言い返してやりたいのに、何も言葉が出てこない。

「ほら、なんか言えよ。いつまで固まってんの?」

言いながら、俺の頭の上でグラスを逆さにする。誰かが「あっ」と言葉を漏らしたのが聞こえた。頭のてっぺんに感じる冷たさと、顔や首に流れる酒の匂い。服の中にまで入ってきて気持ち悪い。

だが、信じられないことの連続で、怒る気力もなかった。

その時、背後でバーの扉が再び開く音がした。

「おい、大丈夫か?」

やってきたのはジュンだった。

「おいおい、笑えないな。マナブ君の次は左遷のジュン君まで。揃いも揃ってここはね、あんたら貧乏人が来るようなバーじゃないんだよ。」

ジュンは少々驚いた様子だったが、すぐに冷静さを取り戻し、俺の方をじっと見つめた。

「どうしてここに?」

「本社の人事部で残業していた社員から聞いたんだよ。それより…」

とジュンは大きな深呼吸を一つすると、俺の腕を掴んで続けた。

「副社長、俺、行ったご相談があります。少しお時間よろしいですか?」

そう言って俺をバーから連れ出す。

「まあ、そんな話ないんだけど。」

外に出たところでジュンが言う。どこまでも気遣いのできる尊敬できる人間だなと思っていると、勢いよく扉が開いてショ太が出てきた。

「おい、副社長ってどういうことだよ。」

俺の目の前には、父が使っている高級リムジンが止まっている。

「とりあえず乗ってください。副社長。」

「うん。」

顔面蒼白でこちらを見つめるショ太を見ながら、俺はリムジンに乗り込んだ。

「ま、待ってくれよ。俺、親友だろ。頼むよ。許してくれって。頼むよ。副社長。」

どこまでも金に目がないやつだな。

「なんか一言言ってやったらちょっとすっきりするかもよ。」

ジュンが言う。

「いや、いいや。そんな元気はなかった。」

「そっか。じゃあ運転手さん、出発させてください。」

高級リムジンがゆっくりと動き出す。

「おい、無視しないでくれよ。頼むよなあ。」

ショ太は声の様子からしてすがりついてきているようだったが、俺は後ろを振り返らなかった。

ショ太の叫びが聞こえなくなり、気持ちが落ち着くのを待ってからジュンへ目をやる。するとジュンは苦笑いを浮かべた。

「俺が左遷になったのは、あいつに文句言ったのが原因だからな。」

「どういうことだ?」

「あいつ、社長の息子の親友だって偉そうにしてたんだよ。それで一言文句言ってやったんだ。」

「そうか。それは悪いことしたな。」

「お前の責任じゃねえよ。」

ジュンは肩を揺らして笑ってくれた。だが、俺がショ太の本性に気づかず親友を名乗らせてしまった責任がある。この責任をどうやって取ったらいいのか考えていると、ジュンが答えをくれた。

「それでも責任感じるってなら、この会社もっと働きやすくしてくれよ。頼むぜ。」

肩をコツンと叩かれる。それに俺は少しだけ笑みを浮かべて頷いた。

「明日から俺、頑張るわ。」

「おお、応援してる。」

「たまには俺のボロアパートにも来てくれよ。」

「当たり前だろう。いつもの缶中杯、大量に買って持っていってやるよ。」

リムジンが夜の街を駆け抜ける。副社長としての覚悟を胸に、流れる夜景を見つめた。

あっという間に1年が経過した。俺は今も自転車で通勤している。副社長なのに、って思われるかもしれないが、仕事が変わった分、他はそのままが良かったのだ。まあ、リムジン通勤になれなかったというのもあるのだが。

副社長に就任して以来勉強の日々だが、やりがいはある。そう、俺はやりがいのある仕事が大好きなのだ。

今日はどんな一日になるかな?ワクワクしながら、俺は自転車のペダルを思いっきりこぎ出した。

Thumbnail