葬儀場の廊下で、私は手を震わせながら電話を握りしめていた。母が亡くなったと知らせを受けたのは、一時間前のことだ。れなのに、夫の第一声は「飛行機に乗っていて電源を切っていた」だった。やか、本当にごめん。飛行機に乗っていたんだ」という、まるで他人事のような言葉が、私の心臓を凍らせたまさか、と尋ねると、夫はあっさりと言った「実は一週間、両親と兄貴たちと京都に遊びに来てるんだ」と。
その瞬間、世界から音が消えた。母が亡くなったその日に、夫と義理の家族は旅行に出かけていたのだ。れでも、私は最後の望みをかけて頼んだ「飛行機なら一時間でしょう、すぐに来てくれるわよね」と。れに対する夫の答えは、あまりにも残酷だった」。
「義理の母の葬式なんて、重要じゃないじゃないか」」。
頭が真っ白になった。私にとって世界で一番大切な母が、血が繋がっていないというだけで、重要じゃないだと? 夫は続けた「それに、キャンセル料が半分近くかかるんだ。うん、また後で電話するよ」と。れだけ言って、電話は無慈悲に切られた。
私はその夜、一人で通夜の世話をし、母のそばで一晩中泣いた。義理の家族は誰一人として来なかった。
葬儀が終わった時、私は家には帰らず、母が残してくれた場所へ向かうことにした。母は生涯を一人で過ごし、東京の高級マンションと、銀座に三百億円のビルを残してくれていたのだ。
私はもう、あの家に帰るつもりはなかった。
れまでの、義理の家族に虐げられ、夫に見下されて生きてきた「佐藤さやか」は、今日で終わりにする」。
タクシーの中で、私はこれまでの人生を思い返していた。私には二人の母がいた。一人は、私を産んだ実母。しかし貧しい父と幼い私を残して、家を出て行ったもう一人は、父が再婚した、私を育ててくれた母だった。
最初は、私は彼女を「おばさん」と呼び、心を閉ざしていた。実母に捨てられた私には、血の繋がらないこの人も、いつか必ずいなくなるに違いないという恐怖があったからだ。れでも彼女は、私がどんなに冷たくしても、毎朝お弁当を作り、優しく接し続けてくれた。
転機が訪れたのは、小学校の頃だ。近所の駄菓子屋で、私はお金を払おうとしたのに、店のおじさんに「万引きしようとしただろう」と、いわれのない罪を着せられた。「親もまともにいない子だから、万引きでもするんだろう」というその言葉に、私は涙が溢れそうになった。
その時だった。後ろから、鋭い声が聞こえたのは「今、何とおっしゃいましたか? 」と。振り返ると、あの「おばさん」が、普段とは全く違う、冷たい表情で立っていた。彼女は、私を産んで育ててきたこと、一度も嘘をついたことのない子だと言い、大人が子供に傷つくような言葉を言うのは絶対に許せないと言い切ったそして、私の手を握り、こう言った「さやか、お母さんは信じているわ」と」。
その瞬間、私の中で何かが崩れ落ちた。その日、私は初めて彼女を「お母さん」と呼んだ彼女は涙を流して喜び、「お母さんは、さやかを世界で一番愛しているのよ」と抱きしめてくれたそこから、私たちは本当の母娘になった。
しかし、幸せな日々は長くは続かなかった。父が、タクシー運転手の仕事の暇つぶしに始めたギャンブルに、次第にのめり込んでいったのだ借金は雪だるま式に膨れ上がり、家の中は喧嘩が絶えなくなったそして、ある夜、父は母を突き飛ばし、彼女を床に倒した。
私は母と一緒に家を出たいと思ったが、父を一人にしたら本当に大変なことになると考え、家に残ることを選んだ「お母さんは新しい人生を生きて、私はここに残ってお父さんの面倒を見るから」と。母は涙を流して私を強く抱きしめ、そして、本当に出て行ってしまった。
れ以降、私は生涯、母を恋しく思いながら生きたが、連絡する勇気はなかったただ、残された母の服を抱きしめて眠る日々が続いた。
のち、父は借金に追われる中で、心臓発作により他界した私は二十歳で天涯孤独になり、その後、夫と出会い、結婚した。
れが、また新たな苦しみの始まりだった」と。
夫の家族、義理の家族は、私の出自をことあるごとに見下し、侮辱した最初の顔合わせの時から、義母は私を「苦労して育ったんだから、掃除や料理は得意でしょうね」と品定めするように扱った結婚後も、お盆や正月の準備は全て私の役目で、ちょっとでも友達と会えば「家のことを放って遊び歩いてる」と非難されたそして、夫はそんな私を、一度もかばってはくれなかった。
そんな中での、母の死だったからこそ、彼らの「義理の母の葬式なんて重要じゃない」という言葉は、私の心臓をえぐるほどに深く刺さったのだ。
私は母が残してくれたマンションで、夫からのしつこい電話に出た「今、東京に着いたんだけど」と言う夫に、私は言った「葬儀はもう、とっくに終わりましたよ」と。れから、夫は「家で話そう」と言うが、私の決意は変わらない「いいえ、それに今後もあの家に帰るつもりはありません」と。れに対し、夫は怒鳴り、私を狂ったと言い「身分のないをお前と結婚してやったんだぞ、ありがたいと思え」と吐き捨てた。
その言葉を聞いた瞬間、私は静かに言った「あなたたちにされたことを、そっくりそのままお返しして、一人で生きていきます」と。れきり、電話を切った」
私はこれから、どう生きるべきだろうかと考えていると、三ヶ月前のある出来事が頭に浮かんだ。の日も、平凡な火曜日だった。家で夕食の準備をしていた時、見知らぬ番号から電話がかかってきたのだ「東京中央総合病院の医療福祉相談室です」というその電話で、私は「伊藤和子」という、育ててくれた母の名前を聞いたのだ。
母が、病院にいて、私の連絡先を緊急連絡先として届け出ていたというのだ私は慌てて病院へ向かったそして、二十年ぶりに母と対面した」
そこにいたのは、昔のように綺麗だった母ではなく、痩せ細り、髪も真っ白になった一人の老婆だったしかし、その眼差しだけは、昔と変わらず温かかったお互いに、しばらく見つめ合った後、どちらからともなく抱き合って泣いた母は、謝った「ごめんね、お母さんが、あなたを置いて出ていって」と」。
その日から、私は毎日病院に通った夫には「病気の友達の看病をしている」と嘘をついて母は、父と別れた後、実家からも見放され、独身を貫きながら、ありとあらゆる仕事をして働き、貯めたお金で、小さなワンルームから不動産投資を始めていたそうだそして、それがいつの間にか、銀座のビルにまで育っていたのだ母は、全てを私に残すため、すでに弁護士を通して手続きを済ませてくれていた。
れまでの三ヶ月間は、失われた二十年分の時間を取り戻すかのような、大切な日々だった母は、日に日に容態が悪化し、最後の週にはほとんど言葉も話せず、ただ私の手を強く握っているだけだったその母が、最後に残した言葉は「さやか、愛してるわ、本当に愛してる」だった。
そして、母は亡くなった」。
その後の手続きのため、私は弁護士事務所を訪れた渡辺弁護士から、母の遺産の詳細を聞いたそれは、私が今いるマンションと、銀座にある十五階建ての商業ビルで、その価値はおよそ三百億円になるという。の時、私はビルの写真を見て、息を飲んだなぜなら、そのビルは、夫と義父が共同で経営する会社が、テナントとして入居しているビルだったからだ。
つまり、私が今まで見下してきた義理の家族は、母の所有するビルに家賃を払って、間借りしていたことになる一週間後、所有権の移転が完了し、私は正式にそのビルのオーナーになった。
オーナー変更の通知が、テナントたちに送られたそして、その翌日、夫の会社から、夫と義母が、マンションに乗り込んできた「おい、さやか、今すぐ家に帰ってこい」と怒鳴る夫に、私は冷たく言った「帰りません」と。れから、彼らは、ビルのオーナーが私だと知り、顔色を変えた。
れまでの傲慢さはどこへやら、「家族だろう、家賃なんて払えない、ビルの一部をよこせ、内装をリフォームしろ」と、今度は図々しい要求をしてきた私は、契約書通りに履行するよう求めたそして、彼らが家賃を滞納したその日、私は管理所長に指示を出した「八階のみ、電気と水道を止めてください」と。
夫と義理の家族は、ペットボトルの水で手を洗い、悪臭のするオフィスで三日間耐えた後、ついに降参し、家賃と延滞金を全額支払った」。
しかし、復讐はこれで終わりではなかった私は、夫と、不倫相手の女性社員に対する慰謝料請求の準備を進めたそして、夫の会社は、経理担当者が一億円を持って海外逃亡したことにより、完全に崩壊したその後、夫と義母が、再びマンションに現れ、土下座して金を無心した「お願い、助けてちょうだい」と。
私は冷たく言った「私がどうして、あなたたちを助けなければならないのですか」と」。
やがて、離婚訴訟が行われ、裁判所は私の請求を認め、慰謝料三千万円の支払いを命じた夫の会社は、その後、完全に撤退し、そのオフィスは、がらんとした空間となった。
復讐をやり遂げたが、私の心には、虚しさだけが残った」。
しかし、私は気づいたのだ。母が私に残してくれたのは、単なる財産ではないと。れは、新しい人生を始めるチャンスなのだと。
私は、ビルの一画に、無料の就職支援教育センターを開設した私のように、家庭の事情で学ぶ機会を失った人たちのための場所だったそして、私自身も、大学に入学したかつて父が亡くなり、諦めざるを得なかった、あの夢を叶えるためにその教育センターは、少しずつ成長し、多くの卒業生が、就職に成功していった。
ある日、私は母の墓を訪れ、手を合わせた「お母さん、お母さんが残してくれたもので、良いことをしているよ」と。風が吹き抜けていったまるで、母が答えてくれているかのようだった。
れから、私は教育センターで、新しい生徒を迎えたその生徒は、目を輝かせて言った「合格しました、私、本当に合格しました」と”。
私はその生徒を抱きしめ、一緒に喜んだこれこそが、私が本当に望んでいたことなのだろう。れは、復讐ではなく、希望だ。
の外では、新しい星が輝き始めていた私は、もう二度と過去に縛られることはない。今日から、私は、堂々と未来へ向かって歩いていく」。



